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CRCK/LCKSインタビュー





CRCK/LCKSインタビュー


ポップスシーンに突如現れた異能の集団"CRCK/LCKS"(クラックラックス)。結成から1年も経たずにその噂は拡散し、今年4月にはついにアルバムをリリースした。それぞれのルーツミュージックが濃厚に詰め込まれたハイブリッドなサウンドは、明らかにポップの様式美からはハミ出ているが、彼らはそれをとてもナチュラルに鳴らす。そんな彼らの音楽性は、彼らがみな何処か一側面ではジャズ・ミュージシャンであることと切り離せない。

今回は小西遼(Sax, Vocoder, etc,)、小田朋美(Vo, Key)、角田隆太(B)、井上銘(Gt)、石若駿(Ds)というメンバー全員と本作のプロデューサーである阿部氏を迎えて、それぞれのルーツやレコーディングについて、そして彼らが肌で感じるシーンの現状について話を聞いた。

インタビュアー:花木洸 HANAKI hikaru(音楽ライター)






ライブをするまでは誰も長続きすると思ってなくて。


――まずはメンバーそれぞれの経歴について聞きたいな。まず角田くんからお願いします。

[角田]
「僕は高校の時にバンドをやりはじめて、渋谷界隈でライブをやっていたんです。その後に明治大学でビッグバンドをやりはじめてそこからジャズに入っていきました。ジャズと今までやっていた音楽とのハイブリッドなものをやりたいな、と思って ものんくる をやり始めたのが大学を卒業してから。で、そこから5年間ぐらいやって、今はこのバンドもやっています。」


――最初は普通にロックバンドをやっていたんですか?

[角田]
「ロックバンドでしたね。それもメロコア(メロディック・ハードコア)。もう無くなっちゃったんだけど渋谷のGIG-ANTICっていうメロコア界の新宿ピットインみたいなところでよくやっていました。今はいわゆるジャズはほとんどやっていなくて、サポート的に色んな所で弾いていますね。」


――なるほど。じゃあ、銘くん。

[井上]
「俺は15歳でギターをはじめて、18歳でOMA(鈴木勲)さんのバンドに入って、気付いたらこの世界から出れなくなった、みたいな(笑)それだけ。"That's It!"ですね。」

[小西]
「ジャズ以外でプロになろうとかも思ってたの?」

[井上]
「全然全然。ジャズしかやる気なかった。これって決めたら一個のことしかできないタイプなんですよね。」


――「ジャズだ!」って決めたきっかけは何だったんですか?

[井上]
「最初は単純にギターが好きで。クリームとかジミ・ヘンドリックスとかレッド・ツェッペリンとかが好きだったんだけど、ある時親父にマイク・スターンのライブに連れて行ってもらって。それがロック少年にも響く音楽だったから「これもジャズっていうんだ」ってなったのがきっかけだね。」


――なるほどね。じゃあ石若くん。

[石若]
「僕は小学校4年生の時に札幌のビッグバンドに入って、中学2年までそれをやっていて。高校から東京出てきてようやくジャズのイロハがわかり、、、今に至る(笑)」

[小西]
「札幌に居た時は誰かと共演したりしてたの?」

[石若]
「大体今お世話になってる人たちは札幌で出会ってそれからの付き合いだから。「東京に出たい!」ってなったのもその人達に会ったからなんだよね。」

[一同]
「へぇー!」

[小西]
「札幌ではセッションとかしてたの?」

[石若]
「全くしてない。ジャムセッションとかスタンダードとかそういう概念に出会ったのは東京来てからなんだよね。それまではただのドラム小僧でしたね。」


――じゃあ次はリーダーの小西さん。

[小西]
「小学生からピアノを始めたのが一番最初の音楽との出会いかな。きっかけは小学校の発表会でアコーディオンを譜面と鍵盤見てって頑張ってたら、友達が鍵盤見ないでスラスラ弾いてて「かっこいい!」と思って。でもピアノは3年くらいで先生と喧嘩して辞めた(笑)。クラシックの超厳しい先生で。しっかり練習して暗譜して来ないと怒られた。でもその代わりに3年でショパンをガンガン弾けるようになった。」

[小田]
「それはすごいね!」

[小西]
「それ以来ピアノは人に一切習ってない。サックスを始めたのは小学校の時に体育館に隣のクラスの担当の旦那さん、なんと平原まことさんが演奏会を開いてくれた。それを見て「サックスいいじゃん!」ってなって中学校の吹奏楽部でサックスを始めたんだ。親父からはずっと「コルトレーン聴け」とか「キャノンボール聴け」とか言われてたんだけど天邪鬼だったからジャズを毛嫌いしてた。でもルパン三世の吹奏楽バージョンみたいなのを吹奏楽部でやって「カッコいい!」ってなって。で、アニメオタクだったから『カウボーイ・ビバップ』とかからジャズに興味を持っていきました。」


――菅野よう子だ。

[小西]
「そう。菅野よう子ぐらいから入っていって、中3の時にはコルトレーンとか聴き始めてたかな。で、高校入ってからは池袋のマイルス・カフェ(現:SOMETHIN' JAZZ)のセッションに行き始めて、それからは都内でジャムセッションをしたりレストランの仕事とかをぼちぼちやり始めたんだよね。で、洗足学園音楽大学に行って、バークリーに行った。大学の時に藤原清登さんにお世話になった。バンドに入ってアルバムにも参加させて頂いて(『JUMP MONK』)。大学三年の時に明治大学のビッグバンドに一緒にいて、そこで角田と一緒だったんだよね。その前にセッションで出会ってたんだけど。」

[角田]
「高田馬場のコットンクラブね。あの日しか行ったこと無いけど(笑)その日は当時習ってた安ヵ川大樹さんがホストだったからね。」

[井上]
「え、そうなの?」

[小西]
「その繋がりも明治大学のビッグバンドだよね。その後は初期のものんくるに参加してからバークリーに行って、、、その前後でテンテンカルテットってバンドでサッポロ・シティ・ジャズのコンテストの第一回で優勝したり色々してた。 それは柵木雄斗(ds)、吹谷禎一郎(b)に白井アキト(p)って今はもうフュージョンの人になった人で組んでて。」

[石若]
「えーテンテンカルテットだったんだ!俺、あの時会場で見てたよ。応援してました(笑)優勝したならカナダも行ったんでしょ?」

[小西]
「行った行った。トロント・ジャズ・フェスティバル出た。それが大学一年だから18とか19歳の時。で、バークリーでラージアンサンブルを始めて。作曲とか編曲が好きになったのもビッグバンドに居たからだと思うな。銘とはバークリーで一緒だったから当時から知っていたし、角田はメンバーだったし、今回プロデューサーをやってくれた阿部さんもよくラージアンサンブルを見に来てくれていて、そこに朋美も来てくれてって感じで全員飲み友達になったって感じです。」


――じゃあ今やってるのはこのバンドとラージアンサンブル?

[小西]
「そうですね。あと6月に挟間美帆と一緒にユニットを組んでライブをします。第一回はビッグバンドで。挟間さんも結局飲み仲間なんだよね。ニューヨークに居た時に仲良くなって。」


――なるほどね。じゃあ最後に小田さん。

[小田]
「私は母親がピアノの先生だったので小さい頃からピアノをやっていました。母親はクラシックの先生なんだけど、すごくジャズが好きで。母親は割りと厳しい先生だったんだけど、私は練習が嫌いで。勝手に譜面と違うことを弾いたりしてよく怒られてましたね。それで「だったら自分で曲を書いた方がいいな」と思って小さい時から作曲をしていました。歌うのが好きだったんだけど小さい頃は本当に音痴で(笑)」

[井上]
「えー?!」

[小田]
「歌に向いてると思えなかったから、作曲を勉強しようと思って高校から国立音大の附属に行って。あ、その作曲科の同級生には挟間美帆がいたんですよ。」


――へぇー。

[小田]
「で、大学も作曲に行ったんですけど、大学の作曲科の人たちって楽譜が大好きなんですよね。でも、私はそんなに楽譜だけに入れ込めないなと思って。楽譜に託せるものと託せないものがあって、楽譜に託せないものの方に興味があるし、何よりやっぱり歌いたいなと思ったので大学にいる時にライブハウスとかで歌うようになって。その時に阿部さんが聴きに来てくれて。」


――うわぁ、暗躍してますね(笑)

[阿部]
「暗躍してるよ(笑)これは本当に無名の頃で、知り合いに「小田朋美って子がいて可愛いし才能があるし最高なんだよ!」って話を聴いてね。調べたらライブをやってたから観に行って。」

[小西]
「それすごい(笑)」

[阿部]
「それでライブが凄かったから「アルバム出そうよ!」って声かけて一年くらい企画を通すべくいろいろ動いてやっと『シャーマン狩り』が出来てね。」

[小田]
「自分ではアコースティックな編成でライブをやっていて、作曲するときも弦楽器とかを好んでつかっていたんだけど、所謂バンドとかは全然やったことがなくて。今回も阿部さんがきっかけを作ってくれて、ずっと憧れていた「バンド」が出来てすごく嬉しいです。」


――バンド結成の話を教えてください。

[小西]
「それが本当に無いんですよ。飲んでて決まった、っていうだけ(笑)」

[阿部]
「まあそうですね。去年の6月にあって菊地成孔さんのイベントに向けてバンドをブッキングしていた時に、ちょうど小西と小田と飲むなと思って。小西くんが帰国してラージアンサンブルのライブが終わって落ち着いたタイミングだったんだよね。小田と小西が決まって、まず角田くんにファーストコールしたんだよね。で、小西が銘くんに連絡して、俺が駿に連絡してって。」


――じゃあ結成しようってなって、とりあえずスタジオに入って、みたいな?

[小田]
「結成っていうかイベントに向けたリハーサルだったね。」

[小西]
「"よし!これで結成!"っていう瞬間は無いんですよ。なんとなくイベントに出ることが決まって、バンド名をつけたってだけであって。ライブをするまでは誰も長続きすると思ってなかった。一回目のライブがすごい良かったから、アルバムを作ろうってなったけど最初はあんまりバンド感は無くて。」

[角田]
「半年ごとにライブするくらいのペースかなって気持ちだったよね。」

[井上]
「だから全然入ったつもり無かったもん(笑)やっと「バンドだな」と思ったのはレコーディングをした1月くらい。あれで一丸となれた気がする。最初は普通のセッションライブ感覚で行っていて、気付いたら小西くんがFacebookで「CRCK/LCKS始動します!」みたいな事を書いてて俺はそこでバンド名知ったからね(笑)」

[一同]
(笑)

[小西]
「すいません(笑)でもそれくらい誰も執着してなかったんだよね。歌ものをやるっていう事はみんなに電話をかけた時点で決まってたけど。ジャズの面子でジャズじゃないものをやるっていうコンセプトは頭の中にずっとあったね。」


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一番最初にみんなで音を出して感じたのはブラック・ミュージック的な要素だった


――この5人で集まった時に、音楽的な共通項って何だったんですか?

[小西]
「ポップスを好きっていうのは共通項だったね。」

[石若]
「俺が一番最初にみんなで音を出して感じたのはブラック・ミュージック的な要素だったな。」

[小西]
「俺は駿が入るって決まった時点で一曲ゴリゴリのブラック・ミュージックっぽいのを作ろうと思って。それで作ったのが「いらない」。最初はそっちの雰囲気のほうが強かったよね。」

[石若]
「そうそう。でも段々みんなの好きな感じが分かってきてポップになっていった。」


――今回のアルバムは曲をみんなで持ち寄ったってことなんだけど、スタジオでの曲作りはどういう風にして進んでいったんですか?

[小西]
「今回のアルバムに入っている曲は、基本的にはガッツリ決めてスタジオに持って来てますね。というのも、一番最初のイベントの時点で、リハが2,3回しかなくて70分のステージをやらなきゃいけなかったから「ジャムって曲を作っている時間は無いな」ってみんな分かっていたから。譜面を書いたりデモを送り合ったりして作っていきました。今でもだけど、作曲者がイニシアチブをとって曲を作ってますね。一回ベーシックを作って、その中で音色とかアレンジの話をリハーサルで詰めていくという流れです。今回一番リハーサルで変わったのは俺の曲で「いらない」と「坂道と電線」かな。テンポも全然変わったし。」


――なるほどね。僕は音源を聴いてセッションぽくやってるのかな?って思ったんです。とくにドラムとかベースの、良い意味でラフな感じ。

[石若]
「それは俺のせいかも(笑)」

[一同]
(笑)

[小西]
「細かいところを決めるというよりも、フィールを決めたんだよね。」

[石若]
「そう。テイクによって全然違ったんだよね。」

[角田]
「それで成立するのがすごいんだよ。そこを決めちゃうと、駿じゃなくても良くなるというか。」

[小西]
「ベーシックだけ作曲者がガツッと作ってるけど、そこからジャムが始まるみたいな。」

[石若]
「沢山アイディアが出てきて、ボツになるアイディアも沢山あるしね。フィール一つにしてもパターンが沢山あって、それが個々の楽器であるから。で、ライブの為のアレンジとレコーディングでもまた全然違って。アイディアが出すぎて(笑)」


――レコーディングされたものはソロがコンパクトになったり色々ライブとは変わっていたよね。

[小西]
「それはメンバーみんなの中でアルバムを一つの作品として聴かせたいっていうのを考えていたから。俺達の中でもライブする時にアルバムに囚われたくないっていうのはあるんです。メンバーで「ライブはライブで有機的なものにしたい」って話をしていて。今回のアルバムはミックスに時間を掛けたから、俺とかはレコーディングが終わってすぐのリハでレコーディングをめちゃくちゃ追ってしまっていて「カラオケみたいな雰囲気になってる」って言われたりとか。」


――レコーディングはどれくらい時間かけたんですか?

[小西]
「録音が2日でミックスが3日ですね。」


――6曲で録音2日?!かなり素早くやらないとですね。

[小西]
「今回は結構みんな一緒に録ったよね。あとから鍵盤とかは重ねたりはしたけど、リズムはほぼ一緒。」

[小田]
「私の鍵盤も一緒に録ってたよね。」


――へぇー。

[小西]
「だからそこまでにアレンジとかをキッチリ詰めて。ドラム、ベース、ギター、鍵盤、、、「スカル」はサックスも一緒に録ったね。スタジオの部屋の使い方は角田とか銘が慣れてたから「ここにアンプを置こう」とか部屋割りとか色々考えてくれて。」

[井上]
「いい感じにコンパクトなスタジオだったからね。良い意味で豪華すぎないというか。そういうほうが一発録りはしやすいんですよね。」

[小西]
「「スカル」だけサックスの僕が別のブースでみんなが見えないところで音だけ聴いて演奏するっていう録り方だったけど、それ以外はみんな目が合うところに全員いたから。」

[小田]
「歌もほとんど一緒に入れて。でも結局、後日歌とサックスの録り直しを色々したりして。だから録音が全部で3日。」


――今回はミックスもこだわっていたみたいだけど、ミックスする時にどんな音像を目指してたとかあります?

[小西]
「曲ごとにイメージはあったけど、具体的な音像っていうのは無かったかな。あとは僕の中の流行りかな(笑)」

[角田]
「バンドとしては無かったよね。でも小西がリーダーシップをとってくれて「こういう音像にしよう」ってディレクションしてくれた。」


――「いらない」でパーカッションが重なったりしてるのも....。

[小西]
「あれはかなり偶発的なものだったんです。ASA-CHANGがいきなり焼き芋を持ってスタジオに来て(笑)」

[小田]
「だから当日まではあそこまで重ねる予定は無かったんだよね。」

[小西]
「トライアングルを重ねたいとかは思っていて、みんな小物の打楽器をそれぞれ持って来てたんだけど、やってみたら結構色々なアイディアがその日に出てきて。」


――「クラックラックスのテーマ」では電子レンジまで入ってましたもんね。

[石若]
「最初はタイプライターを入れて、ガシャ、ガシャガシャって始まったらいいな思ったんだけど。」

[小西]
「でも良いサンプルが無くて、レコーディングスタジオにあったレンジがめっちゃ良い音してたからそれを使った(笑)」

[角田]
「あれ良かったよね。」


【CRCK/LCKS 1st EP予告編】



[小西]
「アルバムを作る時に銘が言ってたのは、「ラジオとかで掛ける事も考えたら、頭から始まる曲も作ったほうが良いよ」って話をしたんだよね。それもあって銘の曲(「簡単な気持ち」)はど頭から歌が入っていて。」

[井上]
「俺は割りとバッと始まるのが好きだから。」

[小西]
「それぞれが良いところでアイディアをくれたんだよね。躊躇せずに意見を言ってくれる。特に銘は曲が出来上がるところまで待ってくれて、最後に「ここはこうしよう」みたいなのをいいタイミングで言ってくれる。今回は曲が並んだ時に「曲調が似通ってるのが多いから違うテイストの曲も作ったほうがいい」とか、曲の頭の事もそうだし。一歩引いて客観的に見てくれてる。バンドの雰囲気に良い意味で飲まれないで、「いや、もっと良くなるでしょ」って提案してくれてたね。」

[井上]
「面白いですよね。クラックラックスはアイディアマンが多いんだけど、僕自身はまた違ったタイプの人間だと思っていて。だから多分そうやって違う視点で聴こえたり見えるものが結構あるんだと思う。」

[小西]
「クラックラックスはみんなどこか冷静というか、冷めてる部分があるんだよね。それが上手く作用してる。」


――僕はレコーディング前とレコーディング後両方ライブを観てるんだけど、やっぱり後のほうが面白かったんだよね。

[一同]
「へぇー!」


――え、本人たちはあんまり実感無いですか?(笑)

[井上]
「いや、個人的な感覚では1月と3月の自分の状態は違っていて。一回レコーディングをして、2ヶ月経って。ミックスでめちゃくちゃ聴くから、大体僕は自分の音源を聴かなくなるんですよ(笑)聴かなくなって、ライブがあるぞってなると練習する為に聴くんだけど、そうするとまた違った景色からその曲が聴こえるから。それが一周二周って回って、三周くらいしたところでライブを迎えられると体に入っているパーセンテージが違うというか。」


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ソロが長くなってもそれは曲に必要な要素なだけであって、僕達がジャズ・ミュージシャンだからってわけではない。


――クラックラックスとしての「ポップの条件」って何かあります?このバンドは普段ジャズを演奏しているメンバーが所謂バンドのサウンドを作ってるわけじゃないですか。その中で何か意識の違いだとか。

[井上]
「クラックスラックスに関してはジャズとかポップスとか対比するレベルではなく、完全にポップスだと思ってるな。」

[小西]
「そうだね。俺たち的には完全にそういうスタンスでやっている。聞く人によってはジャズテイストってなるかもしれないけど。」

[井上]
「要素としては聞こえるかもしれないけどね。」

[小西]
「作り方としてはジャズの意識はほとんどないね。特に朋美はメンバーの中でもジャズのイディオムを知らない人だから。それも良いバランスというか。ボーカル以外の4人はボーカルに歌ってもらっているというか、歌を支えているっていうスタンスだから。ソロをとりたいとかハプニングする要素を用意したいっていうんじゃない。一番届けたいのは歌だから。歌をメインにして作って、その中で必要だったらソロを入れて。楽器のソロっていうのは所謂ポップスでもよくあるじゃないですか?ギターのソロとかサックスのソロとか。ソロが長くなってもそれは曲に必要な要素なだけであって、僕達がジャズ・ミュージシャンだからってわけではないんです。」

[角田]
「ジャズっぽくないものだから「ポップス」っていう風には言いたくないな。特にジャズの人は、いわゆる「ジャズ」っていうものから離れるほど「ポップスだ」みたいな言い方をしがちだけど。ポップスと一言で言っても広いし、その大きな流れのなかでどういう風に定義するかって事がすごい大事で。ジャズじゃないからポップス、っていう風にはなりたくないと思うし。今はそういう中で個人個人でやっているようなバンドだったりとか企画っていうのがいい感じにまとまってきているような気がしていて。世代的にというか。」

[井上]
「たぶん誰も「ポップスだ」とか「ジャズだ」っていう風に思って演奏してない。曲に対してアプローチしているのが、結果としてどういう風にカテゴライズされるか分からないけれど、みんなが曲に対してそれぞれ自然な形でアプローチしているって感じ。」


――じゃあ意識的にはジャズをやる時と一緒って感じですか?

[石若]
「スタンス的には変わってない気がするね。」

[井上]
「まぁストラト持ったら気分変わるけどね(笑)」

[石若]
「それは俺もバスドラが大きくなったら気分変わる(笑)」

[小西]
「俺は一切変わって無いかな。ジャズの作編曲してる時と、クラクラのスタジオに入った時と。対する意識としてはその時の音楽を良くするってことしか考えてないから。」

[小田]
「私はちょっと変わるかも。バンドの名義になることによってね。音楽よりも歌詞が変わるな。私は自分の名前を出して歌詞を書くっていうことが苦手で。ただ小田朋美っていう名前から逃れてクラックラックスっていう主体が出来た時にそこで書けるものっていうのは意識が違うかもなとは思う。」


――その作詞に関してもうちょっとききたいんだけど、「スカル」だけ園子温さんの詩なんですよね。違う人が書いた詞を持ってくる感じは、僕としてはクラシックっぽい発想だなって思ったんです。違うモチーフを持って来てその上で創作をするっていう。

[角田]
「確かにそうだよね。」

[小田]
「私は詩というものにずっと憧れていて、すごく可能性を感じているんです。だから詩に連れて行って貰いたいという気持ちがどこかにあって。純粋に音楽の為に書かれた歌詞ってだいたい音数や語数が歌いやすい範囲内に収まっているし、形式も一番、二番がだいたい揃っていて、サビも分かりやすくなっているじゃないですか。そういうのは音楽を付けやすいんだけど、読むものとして書かれた詩ってフォーマットがすごく自由なんですよね。そういう自由な詩には音楽を付けにくいし、形式的にも聴きやすい型にはハマらなかったりするんだけど、それがすごく面白いと思っていて。その詩特有の展開や改行の位置、段の分け方など色んな要素がそのまま音楽に変換された時に、音楽からの発想だけでは生まれないフォーマットが生まれると思っていて。だから人の書いた詩に音楽をつけるってことは元々すごく好きですね。」


――ライブではマザーグースの詩(Little Bo Peep)の寺山修司訳に音楽をつけたりもしていましたよね。

[小西]
「それは俺の持って来た曲だね。俺は自分のバンドでも詩をつけるって事はしているし、詩とか読み物は昔から好きなんです。人の詩に曲をつけるって経験としては多くないんだけど、このバンドを組み始めた頃に寺山修司の詩をよく読んでいて、雰囲気がいいなぁと思って。それとマザーグースの世界観がすごい好きだったんですよ。実は他にも寺山の詩に音楽をつけた曲を作っています。マザーグースはもっと定型詩って感じで、Little Bo Peepも元々童謡みたいに作られているものだから曲は付けやすかったですね。」


【そして彼女達は前を向く - 象眠舎 (旧:小西遼ラージアンサンブル)】 





シーンが変わったというか、角田がシーンを作った


――角田さんは、ものんくるでも詞を書いているんですよね。

[角田]
「そうです。ほとんど俺が書いてるね。」

[小西]
「角田の作詞は本当に天才的。」

[井上]
「日本のジャズシーンでも一番早くからそういう事やってたよね。」

[小西]
「ものんくるになる前に、角田隆太カルテットみたいな感じでボーカルの吉田沙良が入ってっていうのを見て「すげぇ!」って思っていて。その後ものんくるが出来て、俺もメンバーとして中にいたんだけど、当時はどちらかというと曲の方に意識がいっていたんです。でもその後ものんくるとして活動して色んな曲が出来てきた時に、すごい歌詞がまぁ出てくる出てくる(笑)それがすごい好きになって、俺がアメリカに行った頃にはただのファンみたいになってたね。」

[角田]
「あの時にそういう事やってる人は居なかったから、あれ成功しなかったら相当痛い人としてカテゴライズされてただろうなって気はするよ(笑)」

[井上]
「俺から見るとここ2、3年くらいで、角田くんを取り巻く環境というか理解してくれる人がすごい増えたなと思っていて。」

[角田]
「増えたね。ありがたいことに。」


――ジャズのシーンにいてもやっぱり変化があったんですか?

[小西]
「シーンが変わったというか、角田がシーンを作ったからね。」

[角田]
「おっ!すごい話になってきたね(笑) 」

[井上]
「最初にやるっていうことが一番難しいからね。後に続くことは簡単かもしれないけど。」

[小西]
「明らかに切り込み隊長だったから。でも角田的には結構自然なものだったよね。」

[角田]
「そうだね。やっぱりバンドやってたからね。」

[石若]
「今、ジャズ・ミュージシャンが歌の入った「バンド」をやるって事がすごい増えてるような気がするな。」

[小西]
「増えてるよね。それは世代的なものが絶対ある。角田がその先駆けで。俺がまだアメリカに住んでた頃にものんくるのツアーで一時帰国した時、角田と「日本面白くなりそうだよね」みたいな話をしたんだよね。ポテンシャルとしてはまわりにそんなのはゴロゴロしてるって。その頃確かに俺の中にもあったし、みんなの中にあったと思うんだけど、「ジャズ・ミュージシャンでもポップスをやりたい」っていう気持ちが。エスペランサ・スポルディングとかロバート・グラスパーとか形は違うけど、ああいう人たちも自分達が聴いてきたポップネスが色濃く出ている音楽、ポップって言っていいのか分からないけれど、歌に関する物をやりたいっていうところから発生している音楽がかなり増えていた。アラン・ハンプトンとか、グレッチェン・パーラトとかベッカ・スティーブンスとか。カテゴライズとしてはジャズの方面だけど、聴く人が聴いたらハイブリッドな歌ものっていう。それはアメリカにいる間もすごく感じていたし。」

[小田]
「ベッカもジャズなんだ?」

[小西]
「まぁジャズだよね。」

[石若]
「最初は超ジャズシンガーだったよね。」

[小西]
「プロデュースとかまわりにいるミュージシャンがジャズで、レコーディングもジャズっぽい雰囲気になっていって、っていう文脈としてジャズの方になってるよね。彼女自身もニュースクール出身だし。でも、今の朋美の発言が代表するように「あれジャズなの?」ってなる人がいてもおかしくない。」


――クラックラックスも「ハイブリッドな歌もの」としても聞けそうですよね。

[小西]
「それは是非お客さんに訊いてみて欲しいな。」

[井上]
「クラックラックスは、それぞれが曲を書いてきてみんなで演奏しますが、自分達の音楽がどのジャンルに当てはまるのかは誰も意識していないと思います。なので、ハイブリッドな歌モノという言葉も、それは聴いてくれた人達がどう感じるか判断するものだと思います。 」

[小西]
「昔の人たちがジャズとかフュージョンとかしっかりカテゴライズされていたのは多分時代の流れがあって。有名な話だけど、チャーリー・パーカーだって現代音楽の勉強をすごいしてたけど、最後までビ・バップのプレイヤーだった。早くに死んじゃったけど、表現する可能性が広かったらパーカーは絶対ジャズじゃない作曲もやっていたと思うし。そうやって間口が広がっていった結果、俺たちはもうジャズっていうフォーマットでやらなくて良いし。もう全部あるから。聴いてきた音楽の中にそれが散らばっていて。」

[角田]
「今はもうパンクの代名詞になってるイギー・ポップがニューヨークに出始めた頃にライブを観に行った人に聞いたんだけど、「誰もその場でパンクっていう言葉を使っていた記憶が無い」って言ってた。パンクっていうのは後から付けられた名称なんだよねって話をしていて。僕達が今やってる音楽にも後々何か名前が付いたらいいよね。」


【「Goodbye Girl」PV CRCK/LCKS】





CRCK/LCKS 1st EP「CRCK/LCKS」Release Live

【東京】
出演:CRCK/LCKS
GUEST ACT : WONK
日時:2016年6月16日(木) 開場19:00 開演19:30
会場:月見ル君想フ(青山)
料金:予約2,500円/当日3,000円(いずれも+1ドリンク500円)
ご予約・お問い合わせ:http://www.moonromantic.com/?p=30067


【名古屋】
出演:CRCK/LCKS、THE PYRAMID
日時:2016年6月20日(月) 開場18:00 開演19:00
会場:TOKUZO(名古屋・今池)
料金:予約2,500円/当日3,000円(いずれも+1ドリンク)
ご予約・お問い合わせ:http://www.tokuzo.com/schedule/2016/06/620crcklcksthe-pyramid.php


【大阪】
出演:CRCK/LCKS andmore!!!
日時:2016年6月21日(火) 開場18:00 開演18:30
会場:LIVE SQUARE 2nd line(大阪)
料金:予約2,300円/当日2,800円(いずれも+1ドリンク600円)
ご予約・お問い合わせ:http://www.arm-live.com/2nd/index.html#ticket



New Album

200CRA.jpg

Title : 『CRCK/LCKS』
Artist : CRCK/LCKS
LABEL : Apollo Sounds
NO : APLS1605
RELEASE : 2016.4.20

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【MEMBER】
小西遼(sax,etc)
小田朋美(vocal­,keyboard)
角田隆太(e.bass)
井上銘(guitar­)
石若駿(drums)



【SONG LIST】
1 Goodbye Girl
2 いらない
3 簡単な気持ち
4 スカル
5 坂道と電線
6 クラックラックスのテーマ







CRCKLCKS600.jpg


【CRCK/LCKS】

2015年4月に結成。
同年6月、菊地成孔が新宿ピットインで開催するイベント"モダンジャズディスコティー­ク"に出演し大きな反響を受ける。メンバーは2015年よりアメリカでの音楽留学を終え日本での活動を本格化し注目を集­めるリーダーの小西遼(sax,etc)/ 2013年にアルバム『シャーマン狩り』でデビューした作曲家の小田朋美(vocal­,keyboard)/ 2015年にフジロック出演を果たし今後の活動が注目されるバンド"ものんくる"のリ­ーダー角田隆太(e.bass)/ リーダーアルバムを既に2作リリースしている人気若手ギタリスト井上銘(guitar­)/ メンバー最年少ながら数多くのレコーディングやライブに出演、天才ドラマーとも呼び声­の高い石若駿(drums)

5人の若き才能が結集して作られるハイクオリティなポップミュージックは耳の早い音楽­ファンの間では既に話題となっている。2016年4月、パーカッショニストのASA-CHANGをゲストに招き、待望の1s­tミニアルバム『CRCK/LCKS』をリリース。


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