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SPECIAL PROGRAM - 【追悼】鈴木勲 OMA SOUNDを語る

2022.3.16update
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JJazz.Net SUMMER SPECIAL PROGRAM
「鈴木勲 OMA SOUND を語る」

ジャズ・ベーシストの鈴木勲さんが3月8日、逝去されました。享年89歳。

ジャズ・メッセンジャーズの一員としての活動やジャズレジェンドとの共演はみなさんご存知のことかと思いますが、DJとのセッションや、日本のヒップホップに数多くサンプリングされるなど、ジャズシーンのみならず日本の音楽シーンに多大な影響を与えた重要人物としても知られています。

1997年からは積極的に若手を起用した”OMA SOUND”というバンドを始動。SOIL & "PIMP" SESSIONS加入前の丈青さんやメジャーデビュー前の小沼ようすけさんなど、現在中堅、若手として活躍しているジャズミュージシャンが数多く在籍しました。

”OMA SOUND”はメンバーが流動的ということもあり系統立ててまとめられてはいませんでした。
そこでJJazz.Netでは2015年、石渡久美子さんを中心に歴代参加メンバーの協力を仰ぎOMA SOUNDの年表を作成。
鈴木勲さんを招き、過去在籍したメンバー、スガダイローさんと纐纈雅代さんと共に”OMA SOUND”について話を聞くという特別番組を放送しました。

今回は追悼として、その時のインタビューの模様を特別にお送りいたします。
番組タイトルは「鈴木勲 OMA SOUNDを語る」。
鈴木勲さんの声を聞くことができる貴重なインタビューです。


出演者:鈴木勲/スガダイロー/纐纈雅代(敬称略)
インタビュアー:石渡久美子
収録:2015.6.21 @横浜某所


追悼特別番組:「鈴木勲 OMA-SOUNDを語る」。

80歳を超えた今も精力的に活動するベーシスト、オマさんこと鈴木勲さんを迎え、多くの才能ある若手を発掘、輩出してきた異色のバンド、“OMA-SOUND“についての鼎談をお送りします。

ゲストとしてお迎えしたのはOMA-SOUND初期メンバーの一人、ピアニスト、スガダイロー。そして、2010年までOMA-SOUNDに在籍していた女性アルトサックス奏者、纐纈雅代。

インタビュアーはOMA-SOUND参加メンバーのマネージャーを務め、今回この企画の為、OMA-SOUNDの年表を作成した石渡久美子さんです。

■OMA SOUND年表
石渡さんがまとめてくれた年表の一部はこちら。
今から15年程前にはSOIL&"PIMP"SESSIONS加入前の丈青さんや
メジャーデビュー前の小沼ようすけさんなどが名を連ねています。

OMASOUND年表_photo.JPG

年表にご協力いただいたみなさま(敬称略)
荻原亮、工藤精、斉藤良、丈青、力武誠、小泉P克人、織原良次、スガダイロー、小松伸之、吉岡大輔、中村恵介、纐纈雅代、石崎忍、吉良創太


"OMA SOUND"は鈴木勲の審美眼により見いだされた若手を率い、常にメンバー・チェンジしながら進化していくバンド。これまで、ソイル&ピンプセッションズの丈青、スガダイロー、荻原亮、小沼ようすけ、小泉P克人、吉田サトシ、織原良次、井上銘、吉本章紘、石若駿といった今のジャズ・シーンを牽引する実力派の中堅、若手がメンバーに名を連ね、ここから注目されるようになったミュージシャンも少なくありません。

この"OMA SOUND"はメンバーが流動的ということもあり、系統立てて紹介されておらず、ある意味ベールに包まれたバンドともいえますが、今回はこの企画の為、歴代参加メンバーの協力を仰ぎOMA SOUNDの年表を作成。そして鈴木勲さん本人がこのOMA SOUNDについて語る、貴重な鼎談です。


香津美と最初に会ったのはまだ16、7歳ぐらいだったかな。

- OMA SOUND以前にも日野皓正さんや日野元彦さん、渡辺香津美さんなど60年代、70年代から若手を育ててきている経緯がありますよね?

当時、日野のお父さんが子供たちを連れてショーで来てたんですよ。皓正が15歳か16歳くらい、トコベエ(故日野元彦さん)は11、12歳くらいだったかな。トコベエはドラム叩くんだけどなかなかいいリズムしてんのよ。それでお父さんに「この子絶対ジャズ出来るよ」って言ったら、じゃあ教えてもらえませんか?っていうことになって、それで彼らを僕のバンドに入れて、俺が行くとこ全部連れてって、教えたんだよね。

- 渡辺香津美さんが入られたきっかけは何だったのですか?

香津美と最初に出会ったのはまだ16、7歳ぐらいだったかな。ムレさん(中牟礼貞則さん)の紹介で。手がめちゃめちゃに動くんだけどジャズじゃないのね。そこで僕のところに8年くらいいたのかな。毎日練習させてね(笑)。お客さんでいっぱいのビデオホールに連れてって、そういう実践の場で真剣にやんなきゃだめだって教えましたね。

エルビン・ジョーンズ、アート・ブレイキー、フィリー・ジョー・ジョーンズなど、当時NYであれだけ一緒に沢山演奏したのは僕ぐらいじゃないかな。

- 1997年頃から若いメンバーと一緒に演奏されるようになりましたが、どうしてですか?

僕はドラマーにしても、エルビン・ジョーンズやアート・ブレイキー、フィリー・ジョー・ジョーンズなどと一緒にやっていたでしょう。当時NYであれだけ一緒に沢山演奏した日本人は僕ぐらいじゃないかな。それをどうにかして若い子に教えたいなと、これじゃなきゃダメなんだって。


丈青に伝えたのは「曲」をよく知ること。

- 2001年から現在はSOIL&"PIMP"SESSIONSで活躍中の丈青さんが参加されましたが、彼に伝えたことは何でしたか?

やっぱり、曲をよく知ること。そんなの譜面をみてやるもんじゃないんだよって。全部頭にいれなきゃいけない。どういう流れのコードがあるか。それと、同じようなレコードがあったらそれを聴いてみる。それで本番よーいドンでやる。そういうのじゃないとそれ以上はいかないですよ。進化しないわけだ。

ダイローはやっぱり全然スピードが違う。

- 丈青さんがOMA SOUNDを辞める時、オマさんに4、5人ピアニストを紹介したそうですが、ダイローさんに決めた理由は何でしたか?

やっぱり、全然スピードが違う。
あんまりやり過ぎるのもダメだけど(笑)。


ジャズなんて瞬間にいかにやるか。誰に似てるとかではなく毎回違うことを。

- NEW VERSIONの時ぐらいからヒューマンビートボクサーの桜井響さんやDJの方など、クラブミュージック関連の人との共演が増えられていますね?

僕はDJとは昔からやってるの。要はなんでも僕はやるんです。今でもそうですよ。ジャズなんて瞬間にいかにやるか。誰に似てるとかではなく毎回違うことを。

同じ4つ弾くんでもなんかひとつ違うっていう。それを考えてからやっちゃもう遅いんですよ。瞬間にそれができる。そういう訓練をしないといけないね。それが出来るようになるとどこにいっても通用するというか、あいつは凄いなってなる。言ってみれば相手が絶対できないことをやっちゃうという事だよね。そしたら向こうは頭下がっちゃう。もちろん中身がよくないとダメですよ。そういうものを教え込んでいかなくちゃいけないね。日本のミュージシャンに。

【わたしとOMA SOUND】

ゆかりあるメンバーに「わたしとOMA SOUND」というテーマでコメントを寄せていただきました。

「オマさんとの共演は自分のスタイルや能力と直面する、ある種逃げ場のない修行の場、ドラゴンボールで言うところの「精神と時の部屋」にいるようなものです。オマさんとの共演によって個性を発酵させられ、後に自分という名のオーブンで焼き上げなくてはなりません。そしてこの'発酵'こそが現在の音楽シーンに欠かすことのできない、そして鈴木勲にしかできない、愛情溢れる荒療治なのです。」

織原良次(フレットレスベース)

「脳に浮かんだインスピレーションを即座にプレイに反映すること、考えてしまった時点でリアルタイムではなくなる=フレーズが腐ってしまうこと、オマさんが中心にいるだけで油断してしまったらロスト、もしくは振り落とされそうなハイパワーなグルーヴになりその中に放りこまれ鍛えられる。少しでも音に作為的なものなど嘘があれば見破られ、サングラスの上からでもわかる鋭い眼光がそれを指摘する。」

小沼ようすけ(ギター)

「年表にある様に、様々なメンバーチェンジを繰り返しながら2年半ほど参加させて頂いたが、当時を振り返ると、音楽的に幼かった自分の中では全くオマさんの伝えようとしていた事を消化出来なかった様に思う。というか理解が追いつかず、ただ苦しみ続け、もがき続けた日々であった。しかし、グループ脱退直後、本田竹広さんのグループに参加した時に全てが一変した。オマさんの伝えようとしていたジャズの瞬間性や、個性を発揮する為に在るべき音楽家の姿が、本田さんの言葉とリンクして爆発した。 」

斉藤良(ドラム)

「僕は日野元彦さんというドラマーの弟子だったのですが、その日野さんを鍛えあげ、あの人は天才だと言わしめた人が鈴木勲さんでした。」

力武誠(ドラム)




 OMA SOUND年表



■石渡久美子/企画・制作・宣伝協力
1998年よりジャズバンドのマネジメントを5年間担当し、クラブを中心としたジャズ関連のイベント企画制作を実施。プロモーター勤務を経て広告業界、事業会社にてデジタルマーケティングに携わる。現在は会社員の傍ら、ジャズ関連公演の企画制作やプロモーション協力を行っている。直近、2015年4月「丈青×スガダイローDUO 極楽鳥花」の企画制作宣伝を実施。


PROFILE

鈴木勲 スガダイロー 纐纈雅代

鈴木勲 -Isao Suzuki-

1933年東京生まれ。ジャズベース、チェロ奏者及び作曲家。 1956年アメリカ軍楽隊のキャンプでベースを弾く。東京自由が丘「ファイブスポット」のハウスバンドとして演奏していた時、1970年アートブレイキーに見出されてブレイキーの待つニューヨークへ単身渡米し、ジャズメッセンジャーズの一員として活動。メッセンジャーと共にアメリカ全土とヨーロッパを公演。合間をぬってニューヨークのジャズメンと共演し、交流を深める。2009年スイングジャーナルで南里文雄賞を受賞。現在も鈴木勲自身は、感性を磨き、日々練習を重ねて進化し続けている。2015年3月アルバム『入魂の"アヴェ・マリア"』をリリース。

スガダイロー -Dairo Suga-

ピアニスト。1974年生まれ。神奈川県鎌倉育ち。洗足学園ジャズコースで山下洋輔に師事、卒業後は米バークリー音楽大学に留学。帰国後「渋さ知らズ」や「鈴木勲OMA SOUND」で活躍し、坂田明や森山威男、小山彰太、田中泯らと共演を重ねる。2008年、初リーダーアルバム『スガダイローの肖像』(ゲストボーカル・二階堂和美 3曲参加)を発表。2015年KAAT神奈川芸術劇場にて開催される白井晃 演出「舞台 ペール・ギュント」の総合音楽担当を担当。2015年4月より、FMヨコハマ/FM 84.7 にて初の冠ラジオ番組「スガダイローのジャズニモマケズ」(毎週土曜日夕方6時30分~6時45分)が放送開始。

纐纈雅代 -Masayo Koketsu-

Saxophone奏者。1977年生まれ。岐阜県出身。1歳より2人の姉の影響でピアノを弾き始める。高校時代にソプラノサックス、アルトサックスを手にする。2008年9月SONY MUSICより『鈴木勲 SOLITUDE FEAT.纐纈雅代』でデビュー。そのオリジナリティーは唯一無二と称される。3年間の鈴木勲『oma sound』で活動後、2011年に自身のオリジナル曲によるリーダーバンド、Band of Eden結成。現在新宿PIT INNをホームグラウンドに様々なバンドやセッションで活動中。秋葉原 HOT MUSIC SCHOOLにてサックス科の講師を務める。2015年suisui record発足。2015年8月8日1stアルバム『Band of Eden』をリリース。

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