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JJazz.Net Blog Title

Snowboy(latin percussion,dj) - 『London Acid Jazz Scene』

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ARTIST : Snowboy(latin percussion,dj)
TITLE : London Acid Jazz Scene(「JAZZ ON THE ROAD#5インタビュー日本語訳」)


JJazz.Net "SOMETHING SPECIAL" では毎回、様々なゲストの方に「大切なもの」を語っていただきます。
今回は、北ロンドンにあるThe Old Queens Headで毎月第3木曜日に開催されているイベント"JAZZ ON THE ROAD"(on Thursday 20th November 2008)にゲストDJとして参加した Snowboyに80年代のAcid Jazz時代を自身の活動と共に振り返って頂きました。また70年代からAcid Jazz Sceneが終焉を迎え始める90年代前半までのブリティッシュ・ジャズダンスの歴史を詰め込んだ、自身の本についても語ってくれています。

インタビュアーは、UKを拠点にDJやボンゴプレーヤーとして活動、また自身が携わるイベント"JAZZ ON THE ROAD"ではResident DJを務めるSakai Koichiさんです。


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(Snowboy以下SB)(Sakai Koichi以下KS)


KS:1980年代にUKで頂点を極めたAcid Jazz。その時代をリアルに体験されましたが、当事のシーンについてご自身の活動と共に教えて下さい。


SB:私はイギリスのファンキージャズ時代先駆けの1970年代にDJとして活動を始めました。そこからダンサーがフロアーでどう踊るかという事でジャズにも傾倒し、それを通じてパーカッションに出会い1985年からミュージシャンとして、レコーディングアーテイストとしても活動するようになりました。80年代はアシッドジャズが商業的にも頂点にいた時代でもありました。私自身アシッドジャズとはとてもゆかりが深く、レーベルの2作目のリリースが私のアルバムであったと記憶しています。ところがアシッドジャズが世界中で認知されるくらい大きくなったのにシーンはほとんど消滅してしまいます。当時私はロンドンから50マイルほど離れたところにあるサウスエンドという町で"Back to the Tracks"というイベントをやっていました。真のジャズがシーンの本拠地でもあるDingwallsでしかプレイされたなかったので、毎月1回多くのダンサーがロンドンからサウスエンドまで駆けつけ、もう一人のDJであるPhil Leveneとともに1年ほど続けました。やがてDingwallsが終わると私のセッションがイギリスで唯一のジャズセッションとなりました。そしてかつてない素晴らしいクラブ、イギリスで最も偉大なクラブ「ブルーノート」がスタートしました。私はそこで毎週日曜日のランチタイムにイベント"ハイハット"をはじめます。ハイハットが始まるとほとんどのダンサーはロンドンから来ていたのですぐに私はサウスエンドのイベントをやめました。このハイハットは大成功でブルーノートで5年、Jazz Caféで8年と、合計13年間続きました。

しかし残念ながら現在はあまり多くのダンサー達がシーンにはいません。ほとんどのダンサー達は当時からいる平均年齢40歳位の人たちで、あまり新しいダンサー達が生まれてきていないのは残念なことですし、セッションもあまり残っていません。ロンドンのShiftless Shuffle、ノッテインガムのOut to Lunch、そしてこの素晴らしいセッションJazz On The Road。これはシーンにとってとても重要なセッションだと思います。私は今日DJとして招かれ初めて来ましたが、今までにこんなイベントを見た事がないし、類い稀なもので、私自身今夜これを見ることが出来てとても楽しめました。

それともうすぐ私が書いた70年代から始まりアシッドジャズシーンが終わりかけた94年頃までのブリテイッシュジャズダンスの歴史についての本がイギリスとオランダと日本で出版されます。日本は80年代中頃からジャズダンスシーンがありますしオランダにも小さいけど強力なシーンがあります。10年かけて完成したこの本は深いところまでシーンを振り返り歴史的でもあります。私はこの本が日本語に翻訳されて、3月に発売(5月に日本発売予定)されることをとても誇りに思います。日本の音楽ファンはとても歴史や詳細にこだわっているし、日本に行くと他のどの国よりもたくさんの音楽の歴史本があるのを知っているので、多くの人が私の本に興味をもってくれると思います。たまに言葉が違うと表現の仕方も違うので、誤解のないように日本の出版社が正確に翻訳してくれる事を期待します。本が出版されると同時に私のバンドのアルバムも発売されますし、それと併せて大きなイベントも行われる予定なのでとても楽しみにしています。そしてこれがジャズダンスシーンの再燃になればと願います。



KS:本当に楽しみですね。今日はJazz On The Roadに参加してくれてありがとうございました。


SB:こちらこそありがとう。とても楽しかったです。


Snowboy






[[[ Snowboy PROFILE ]]]


アシッド・ジャズ黎明期から常にクラブジャズ・シーンを牽引してきたDJ & ラテン・パーカッショニストであり、Acid Jazz Records よりリリースされた"The Many Faces of Snowboy"など数々の名作を発表したアーティストで自身のバンドThe Latin Sectionのリーダー。彼のキャリアは、DJとして70年代から活動を開始。クラシック・ジャズファンク全盛の78年に17歳でUK No.1のブラック・ミュージック系クラブ"The Goldmine"でDJを務め、この経験が彼のジャズ、ラテン、ファンクやソウルの知識を深め、パーカッションを演奏するようになる。今や伝説となった彼のレギュラーイベント"The Hi-Hat"や"Messin Around"でのセッションなどで現代のジャズ、クラブジャズシーンに多大な影響をもたらす。



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