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インタビュー / INTERVIEWの最近のブログ記事

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大和田慧 Kei Owada メールインタビュー:インタビュー / INTERVIEW

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やさしくソウルフルな歌声と、深いまなざしを持つ独特の詞の世界で知られるSSWの大和田慧が、新作EP『LIFE』を2021年6月3日 (木)にリリース!

プロデュースは大野雄二 & Lupintic Six、綾戸知恵、モノンクル、Millenium Paradeなどでも知られるマルチキーボーディスト、宮川純。そしてメンバーには、吉田サトシ(g)、伊吹文裕(d)、越智俊介(b)、荒田洸(beat make)、角田隆太(b)といった新世代のジャズミュージシャンが参加。

コロナ禍で生まれたこの新作EPはあらゆる感情を肯定する色とりどりの5曲を収録。
JJazz.Netも注目の1枚です。

そこで今月の新譜紹介番組JJazz.Net「PICK UP」では大和田慧さんのコメントをお送りしています。



【JJazz.Net「PICK UP」】(毎月第1水曜日更新)

https://www.jjazz.net/programs/pick-up/

放送期間:2021年6月2日(17:00)〜2021年7月7日((17:00まで)



この話題の新作やコロナ禍で思うことについて、メールインタビューでもお答えいただきました。
6/29には初の単独公演 at 丸の内Cotton Club 決定しています。


【大和田慧 インタビュー】


■新作EP『LIFE』の楽曲タイプは多岐に渡ります。楽曲制作やそのプロセスについて教えてください。


[大和田慧]
シングルリリースした新曲3曲は、コロナ禍でとことん自分や世界に向き合ったところから書いていきました。
近年のライブや、昨年出したライブ盤の流れから、次作を宮川純くんと制作すると決めていたので、彼と話すなかで「Life」と「Switch」は、いまこういう曲が欲しいよね、という出発点がありました。根幹となる一部のメロディができた段階で純くんに投げて、彼のフィールで弾いてみてもらったり、話し合いながら一緒に作って行きました。それから詞を書いていき、メロも歌詞も納得いくまで何度も書き直しました。とくに「Life」の歌詞は書きたいテーマが大きかったので相当時間がかかり、ようやく書きあげた日の達成感をすごく覚えています。


【大和田慧 - LIFE (Music Video)】



【大和田慧 - Switch (Lyrics Video)】



今回のプロセスの特徴は、全部自宅録音しているところです。ドラムも、スタジオを借りて伊吹くん自身にマイクをたててもらって録音しました。スタジオオーナーさんのご家族、こどもたちに「Life」のコーラスに急遽参加してもらったり、普通のレコーディングスタジオだったら起きなかった嬉しい出来事もありました。コロナによってみんなの宅録スキルがアップして、スタジオの制約がない分、じっくりと作ることができました。私も何度も何度も、とことん歌い直しました。

今回一番化学反応が起きたのは「You will never lose me」でした。一番だけのデモができて、自分は好きだけど暗いだろうか...と思いながら純くんに送ったら、すごくいいじゃん!!と返ってきて、この曲を荒田くんにお願いしてみない?と提案してくれました。荒田くんのトラックメイカーとしての力は素晴らしく、ビートだけでなく、サウンドで全体の世界観を大きく構築してくれました。あまりにも好きな仕上がりになったので、予定じゃなかったのにシングルリリースして、渾身のMVも作ってしまいました。


【大和田慧 - You will never lose me (Music Video)】



初期に純くんの演奏と打ち込みで完成させていた「Seasons」も荒田くんに参加してもらって再構築しました。

「バタフライ・エフェクト」はライブを重ねてきたメンバーでのバンドサウンドですが、私のシンガーソングライターとしてのアコギ弾き語りの良さを大事にしたい、という純くんのディレクションで、ギター主体のアレンジをしてくれました。

我ながら多岐にわたる5曲ですが、EPの曲順に並べた時に、全体のストーリーがつながり、曲の聴こえ方も変わって驚きました。配信でシングルリリースが主体になった時代に、アルバムを作る大きな意味を感じました。


■EP『LIFE』のプロデュースはマルチキーボーディストの宮川純さん。
参加メンバーも吉田サトシ(g)/伊吹文裕(d)/越智俊介(b)/荒田洸(beat make)/角田隆太(b)と、新世代のジャズミュージシャンが脇を固めています。彼らと通ずる部分、共感する部分はどういうところでしょうか?



[大和田慧]
プロデュースしてくれた宮川純くんは、実はすごく歌詞と歌を聴いてくれてる人で、そのうえで、その曲に必要な、大切な音は何かを考えて演奏/アレンジしてくれます。

今回参加してくれてるメンバーはみんなそういうところが通じている気がします。尊敬する、素晴らしい音楽家です。スーパープレイヤーなので、彼らのプレイの凄さだけで惹きつけることが出来る人達なのですが、必要なことをよくわかっていて、歌や楽曲の魅力を最大限に引き出してくれます。抑えるというよりも、調和しながら、でも出るべきところでしっかりと前に出て、それが歌ってる私や聴いてくれる人達の感情を確実に高めてくれます。同じ曲でも、彼らと演奏すると、届けられるものが何倍にもなる、と思ってます。
そして互いに尊敬しあい、この世代の音楽を作っていく意識を持っている人達だと思います。


■EP『LIFE』に収録の「バタフライ・エフェクト」について。
実際の活動にも通ずることかと思いますがこの曲に込めた思いを教えてください。



[大和田慧]
実は3年以上前に書いた曲で、ライブでたまに演奏していましたが、コロナ禍で本当の役目を与えられたような曲でした。きっとこの曲はこの時を待っていたんだと思いました。

バタフライ・エフェクトは、小さな蝶の羽ばたきが連鎖して、地球の裏側で竜巻を起こすといわれる現象です。それくらい世界は響き合っている。今の私達が抱える悔しさも、気付かないうちに、どこかの誰かの救いにつながっているかもしれない。だから何一つ、きっと無駄にはならないし、ひとりひとり自分がこの世界に存在してることを大切に思って欲しい。そんな願いを込めました。

コロナ禍で毎週行ってきたインスタライブでは、この曲を歌うと視聴者のみんながコメントで"青い蝶の絵文字"を飛ばしてくれました。今回EPに収録して、全体のストーリーをつなげてくれています。ライブでみんなと歌える日が楽しみです。


■大和田さんの詞の世界での"別れ"はポジティブなものが多い印象です(例えば「You'll never lose me」)。(恋愛に限らず)一般的には悲しいとされる"別れ"をポジティブに変換できる理由はなぜでしょうか?


[大和田慧]
私は7歳の頃に両親が離婚して、別れというのは人生で不可避なもののような印象がずっとありました。当然悲しい感情もありましたが、彼らの別れはそれぞれが自分らしく生きるための選択であり、始まりのようにもみえました。実際その後そうなっていくのを見ていたし、ありがたかったことに、離婚後も、父はずっと私の父で、母は母であり続けてくれて、私は両親を失わずにいられました。この体験はいつも私の根底にあるような気がします。


■好きなジャズミュージシャンを教えてください。


[大和田慧]
Dianne Reeves、Cassandra Wilson 、Brian Bladeです。
ジャズミュージシャンと共演が多いのに私自身はジャズを勉強したことはなく、ただ一部の好きなものだけ純粋に音楽として聴いてきたのですが、このお三方は大好きで、ライブも何回も行っています。音楽の塊のような人達。豊かで、愛に溢れ、大きくうねる音楽は、魔法使いのようだと毎回感動して、喜びで泣くこともしばしばです。


■コロナ禍が続きます。ミュージシャンとして今思うことを教えてください。


[大和田慧]
去年、仕事やライブがなくなり、人に会えず何ヶ月も人前で歌うことがない状況になったとき、それがこんなにも苦しいと思いませんでした。経済的なことだけでなく、つながりを失ったり、自分の90%が使われてないような、すごく無益な存在に思えて、かなりしんどかった。でも、コロナで仕事や住むところを失った方や、ずっと頑張ってくださってる医療従事者の方、コロナにかかったり大切なひとを失くしたりした方もいるなかで、自分は住むところもあってご飯も食べられている。苦しいと思ってはいけない、と感じてる方も多いんじゃないかと思います。でも、日々のささやかなことであっても「生きてる」と感じることを失うのはやっぱり辛く苦しいのだと思います。心豊かに生きることは、誰もが望んでいいし、誰にでも与えられるべきものなのだ、と改めて感じた1年でした。このメッセージはコロナ禍で噴出した社会の構造問題にもリンクしていると思いました。

ここまで状況が長引いてきて、どんなひとも疲弊していると思います。どうか自分を労ってあげてください。音楽は、その時代を映し、共に生きるものだと感じています。音楽活動もまだ思うようには出来ませんが、今回のEP制作を通して、私自身、とても苦しい時間と、そこから息を吹き返す感覚がありました。一緒に生きましょう、という思いです。


ありがとうございました。


【初の単独公演 at 丸の内Cotton Club 決定】


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【公演名】
大和田慧EP『Life』Release Special Live 〜Our Key Of Life〜

【日時】
2021. 6.29.tue
[1st.show] open 5:00pm / start 6:00pm
[2nd.show] open 7:45pm / start 8:30pm

【メンバー】
大和田慧 (vo,g)
宮川純 (key,music director)
吉田サトシ (g)
越智俊介 (b)
伊吹文裕 (ds)
Haruna (cho)

▼URL
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/kei-owada/index.html





ALBUM情報

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タイトル:『LIFE』
アーティスト:大和田慧
発売日:2021年6月3日



*CDは数量限定で大和田慧ウェブサイト通販、
ライブ会場にて販売。通販 ​予約受付開始!
詳しくはこちら


【SONG LIST】
01. Life
02. バタフライエフェクト
03. Switch
04. Seasons
05. You will never lose me
produced by 宮川純 Jun Miyakawa






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大和田慧 プロフィール

シンガーソングライター、作詞/作曲家。東京出身。
ソウルミュージック、キャロル・キングらに影響を受けた音楽性と、深いまなざしを持つ言葉で、静かにその世界へ引き込んでいく。透明で繊細な歌声はやさしく、ソウルフルに心に触れる。曲ごとに多様なストーリーをみせ、NHKみんなのうた「まどろみ」など、楽曲提供、歌唱も行う。

生まれ育った東京を拠点に活動し、定期的に渡米。NY、LAでライブやレコーディングを行い、2014年にはアポロシアターのアマチュアナイトでTOPDOG(準決勝)まで進出した。

2017年よりボーカリスト/クリエイターとして大沢伸一氏のプロジェクトMONDO GROSSOに参加し、FUJI ROCK '17出演。作詞を担当した「偽りのシンパシー (vocal: アイナ・ジ・エンド)」はTBS系火曜ドラマ「きみが心に棲みついた」挿入歌として好評を得る。

2018年、「NHKみんなのうた」のために書き下ろし、Jon Brionとロサンゼルスでレコーディングした「まどろみ」が同局で2ヶ月間オンエア。2019年、Jon Brion、Shingo Suzuki(Ovall)、Michael Kaneko、小西遼(CRCK/LCKS)らを迎えた3年ぶりのアルバム「シネマティック」リリース。同収録の「Closing Time」は清原翔主演のMVと、テラスハウスでもフィーチャーされ話題となる。

2020年より、キーボーディスト宮川純をプロデュースに迎えた新プロジェクトを開始。コロナ禍に書き上げた賛歌「Life」、WONKの荒田洸を共同プロデュースに迎えた「You will never lose me」、「Switch」を3作連続配信リリース。2021年6月3日にEP「Life」をリリース。

https://www.keiowada.com/


松丸契 Kei Matsumaru メールインタビュー:インタビュー / INTERVIEW

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石若駿を中心に結成したカルテット、SMTKのメンバーとしても知られる注目のサックス奏者、松丸契。12/9に個人名義では初となるアルバム『Nothing Unspoken Under the Sun』をリリース。

そこで今月の新譜紹介番組JJazz.Net「PICK UP」では松丸さんのコメントをお送りしています。


【JJazz.Net「PICK UP」】(毎月第1水曜日更新)
https://www.jjazz.net/programs/pick-up/

放送期間:2020年12月2日〜2021年1月6日(17:00まで)





この話題の新作についてメールインタビューでもお答えいただきました。


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【松丸契 Kei Matsumaru メールインタビュー】


■昨年リリースのデビュー作『THINKKAISM』との一番の違い、また今作の制作にあたり意識されたこととは?

[松丸契 Kei Matsumaru]
一番の違いはまず作品の構想が作る前から明確にあって、そのために曲を作ったことです。作曲と即興の様々なアプローチで、とても良い形でコンセプトを表現することができました。





■メンバーはおなじみのレギュラートリオ「BOYS」。いずれも素晴らしいミュージシャンですがこのメンバーの特徴、そして松丸さんが思うこのバンドの魅力を教えてください。

[松丸契 Kei Matsumaru]
「それぞれのメンバーの特徴が〜」という以上に、この4人で演奏したときにしか冒険できない世界が存在するということが最大の魅力だと思います。松丸契がフロントでBoysがリズムセクション、という表現は構成的には正しいのですが、音楽を聴けば単純にそういう形でバンドが機能しているわけではないという事が分かるはずです。ただ、これが実現できているのは、それぞれ音楽にもお互いに対しても最大のリスペクトがあるからだと思います。


■ジャズにしては全体的に曲の尺がかなりコンパクトに感じました。意識されてのことだと思いますが理由があれば教えてください。

[松丸契 Kei Matsumaru]
年代によっておそらく平均的な尺の違いはあるのでしょうが、僕は特に短いとは思ってません。今年リリースされたジャズのプレイリストなどをざっと見ても4-6分のトラックが平均的かな、という印象です。ただ、(当たり前のことですが...)録音物は録音物として出せる強みがあり、当然ライブとは聴いた時の印象が違います。表現したかったこと、記録したかったことが収録されている作品ですので、何かと比較せずにまずはオープンマインドに聴いていただきたいです。


■想像もしなかった2020年のコロナウイルスの影響。ジャズシーンも一時ライブ演奏がストップしましたが、コロナ禍どう過ごされていましたか?またこの状況になり音楽家、ジャズミュージシャンとして思うこととは?

[松丸契 Kei Matsumaru]
ジャズシーンは他の音楽シーンより早めに活動が再開した印象ですが、僕は家で練習、勉強、作曲をしていました。基礎を復習したり、時間をかけて新しいことを学んだり。配信ライブは何本もやりました。
音楽家として思うことは、健康であれば、ともかく丁寧に、大切に、自分が自信を持って発表できる作品を作り続けるということ。そのためにはどういう準備をしなければいけないのかを考えつつ、環境が変わっても焦らずにしっかりと前を向いて進むしかないと思います。


■最近気になっているミュージシャンやプライベートで聴いている音楽を教えてください。

[松丸契 Kei Matsumaru]
常に聴くものは変わっていってるのであまり参考にならないと思いますが、他のミュージシャンや音楽関係者が作るプレイリストとかよく漁ってたりします。


■今後の予定。またチャレンジしたいことあれば教えてください。

[松丸契 Kei Matsumaru]
来年も色んなプロジェクトで作品を出していくと思います。できる限りのライブはやりつつ、制作と練習と勉強を続けていきます。


アルバム情報

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Title : 『Nothing Unspoken Under the Sun』
Artist : 松丸契 Kei Matsumaru
LABEL : SOMETHIN'COOL
NO : SCOL1045
RELEASE : 2020.12.9



アマゾン詳細ページへ


【SONG LIST】
01. harim tok (for West Papua)
02. ignorance is bliss
03. 虫籠と少年
04. interlude | ˈkænsl̩?
05. it say, no sé
06. 霖雨
07. 夏は短い
08. interlude | kji̥ɕikã̠ɴ
09. 暮色の宴
10. when we meet again




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松丸契 Kei Matsumaru

サックス奏者。1995年千葉生まれ。パプアニューギニア出身。2014年に全額奨学金でバークリー音楽大学に入学、2018年に首席で卒業。2017年度ヤマハ音楽奨学生に選ばれ、2018年に第47回Downbeat Competitionで自身のトリオ・オリジナル曲で全米1位を獲得するなど権威ある賞を多数受賞。2019年にデビューアルバム「THINKKAISM」をリリース。ドラマー石若駿率いるバンド「SMTK」では2019年に東京ジャズフェスティバルやTOKYO LAB等の企画に参加し、2020年の春に1st EPと1stアルバムを続けて発表。2020年11月に自身のカルテットでの新作「Nothing Unspoken Under the Sun」をリリース。現在都内を中心に様々な場で活動中。

松丸契Official
https://www.keimatsumaru.com

松丸契Instagram
https://www.instagram.com/kmatsumaru/

アラン・ブロードベント INTERVIEW [インタビュアー:メイ・オキタ]:インタビュー / INTERVIEW

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チャーリー・ヘイデン率いるグループ、"クァルテット・ウエスト"のメンバーとしても活躍し、ナタリー・コールやダイアナ・クラール、ポール・マッカートニー等、数多くのシンガーの作曲や編曲でも知られる人気ジャズ・ピアニスト、アラン・ブロードベント。

そんな彼のことを敬愛するジャズ・シンガー/精神科医のメイ・オキタさんとのインタビュー。
アラン・ブロードベントさんのジャズに対する姿勢から学べることがたくさんあります。
ジャズを愛するすべてのひとへ。

[Interview:メイ・オキタ]


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【アラン・ブロードベント インタビュー】


May OKita(以下M):こんな風に直接あなたとお話できるなんて思ってもいませんでした。素晴らしい機会を有難うございます。来日をワクワクしながらお待ちしていました!久しぶりの日本ですが今どんなお気持ちですか?


Alan Broadbent(以下AB):そうだね、いつだって日本は大好きだよ。ホスピタリティー、人々の優しさ、そして音楽に対する関心、僕の音楽に興味を持ってくれていることもね。ここで耳の肥えたリスナーの皆さんのために演奏すると、とてもインスパイアされるよ。これまでにもたくさんのシチュエーションで来たことがあるんだ。カルテット・ウエストや、何年も前に、アイリーン・クラールとも一度来日しているね。


M:アランさんは私たちジャズミュージシャンにとってヒーローです。素晴らしいジャズピアニストとしてだけでなく、伴奏者、アレンジャー、指揮者としてもよく知られ、チャーリー・ヘイデン、チェット・ベイカー、アイリーン・クラール、シャーリー・ホーン、シーラ・ジョーダン、ナタリー・コール、ダイアナ・クラールなど多くの世界的な音楽家と活動を共にされて来ましたね。アランさんの過去の作品を通じてジャズミュージシャンとして育って来たと言っても過言ではないと思っています。本当にたくさんのことを学びました。


AB:それはとても嬉しいことだね。僕たちのようなミュージシャンはね、家にこもって、練習しているでしょう?だから自分の仕事は本当に皆さんに楽しんでもらえているのだろうかって、ふと思ってしまうことがあるんだ。だからあなたのように音楽を知っていて楽しんでくれている人を見つけると報われる。仕事に没頭しているとね、そういうことが時々わからなくなるんだよ。でもそういう認識でいてくれる人がいるというのは本当に嬉しい。


M:ウェブサイトを見たら、本当にたくさんの作品が掲載されていて。私のお気に入りもたくさんありました。


AB:そう?それは良かった!たくさんあるように見えるでしょう。でも僕のキャリアは約50年にもなるからね。実際のところは1年に1枚といったところだよ。いっぱいあるように見えてもね、ほとんど1年に1枚みたいな感じ。でも自分の取り組んで来たことが人生やジャズにおいてなんらかの意味を成しているとしたら喜ばしいことだし、いつだって自分たちの奏でる音楽は愛を伝えるために重要だと感じているよ。
この商業ベースの世の中では、全てが何かを売るためだったり、お金だったり、"ミリオンセール"を狙ったようなものばかり。でも、我々にとって音楽は、もっと心に近いものなんだ。


M:その想いはあなたの音楽から確かに伝わっていると思います。


AB:有難う。それが、僕が音楽をやっている理由だからね。


May OKita(以下M):そして私たちがあなたを大好きな理由でもあります。


AB:(笑) そうだね...


M:私はアランさんのトリオのようなインストゥルメンタルの音楽も大好きですし、最新作も大好きです。それからカルテット・ウェストはただただ素晴らしいですね。現代のジャズミュージシャンにとってはバイブルのような作品だと思います。


AB:『Sophisticated Ladies』というアルバムは持ってる? あれは素晴らしいアルバムだよ。


【If I'm Lucky / Charlie Haden Quartet West - 1 - Sophisticated Ladies / 2010】

【Charlie Haden Quartet West feat. Norah Jones - Ill Wind】



M:はい、私のお気に入りの1枚です!シンガーとしてはアイリーン・クラールとのことについてもっとお伺いしたいです。言うまでもなく『Where is Love?』 は大好きな作品ですが、あれはシンプルにスタジオに行き彼女とともに奏でたというタイプの録音なのですか?それとも事前にある程度内容を計画していましたか?


AB:あれはまさに、その通り。君の言う通りだよ。何の計画もしていなかったね。僕たちは約1年くらい一緒に仕事をしていたんだけどね。彼女の依頼していたピアニストがギグに来られなくなって、それで呼ばれたのが出会いだったんだ。僕のことは噂に聞いていたらしい。それ以来リハーサルをするようになって、翌年にはロサンゼルス近辺でライブをするようになって、その中で演奏した曲をいくつか録音することにしたんだ。だからスタジオに行って「アイリーン、何やりたい?」「うーん、わかんない、どれがいい?」というような感じだったね。そう、計画的なものではなかったんだ。自然発生的な感じだったね。ジャズってそういうものであってほしいと思うのだけど。


【Irene Kral - Where Is Love? (1974)】



M:すごい作品ですよね!ジャズシンガーはみんな『Where is Love?』 と『Gentle Rain』の2枚は聴いていますね。他にも『Kral Space』という作品がありますね?


【Irene Kral - Ev'rytime we say goodbye (1977)】



AB: うん、僕にとってはあれがベスト作だね。でも入手するのがとても難しくなってしまっている。


M:そうなんですよね。私はジャズの先生にこれらのアルバムを徹底的に聴き、あなた方の奏でたものを感じ、真似することでそこから学ぶということを教えていただきました。なので本当に繰り返しこのアルバムは聴いてきました。


AB:でもそうやって名人の演奏を聴くというのが、我々みんながジャズを学方法だと思うんだよね。コピーをするけれど、スタイルを真似るのではなくて、ミュージシャンシップを模倣するんだ。それがフレージングや、イントネーションを教えてくれる。本当に重要な学び方だと思うよ。アイリーンのようなミュージシャンが他のシンガー達のためにこういう遺産を残してくれているからね。


M:アランさんの音楽を聴いているといつも感じるのですが、コンピングをされるときに、ヴォーカリストやソロイストが一番輝くよう最善のハーモニーを奏でていらっしゃいますね。そしてご自身がソロを弾かれるときは、心の通った美しいストーリーがそこにある。どのようにしてそのような、ジャズに対する美しい哲学、フィロソフィーをご自身のものにしてこられたのですか?


AB: そうだね、説明するのが難しいな。僕はオーケストラも好きでね、オーケストラも書くんだよ。なのでそれは自分のピアノの演奏にも現れていると思うんだ。それに、オーケストラを考えるとき、例えばシンガーがその曲を歌う時のように、僕はピアノを弦楽器かなにかのように奏でているのかな、と。もちろん弾いているのはピアノなんだけど、オーケストラのように聴いているんだよ。
インプロヴィゼーションをするときは、ただ直感的に弾いていると言っていいかな。それと自分のハーモニーの知識、リズムの知識、チェット・ベイカーたちみたいに美しいフレーズを創るということも大事。でもその時、自分はピアノ奏者というよりは、管楽器奏者やシンガーであるかのように自分のことを思っているんだ。その結果、僕のラインは声を連想させるようなシンギング・クオリティーになっているというわけ。


M:アメリカのAll About Jazzというサイトに8ページにわたるインタビューがありましたね。その中にあなたが学生の頃、レニー・トリスターノのレッスンを受けるために飛行機でニューヨークに通ったというお話がありました。レニーさんがレスター・ヤングのフレーズを彼の前で歌うように言って、OKをもらえるまでピアノを弾かせてもらえなかったというお話です。とても興味深いストーリーで、あのインタビューを読んで多くのことを知りました。


AB:僕もそこからたくさんのことを学んだよ!最近のジャズピアノは、声と繋がりを感じられないことが多くてね。ピアノのテクニックを連想させられてしまうんだ。それは素晴らしいことだし、印象的だとも思う、でも自分は同じようにはできない。感動できないんだ。僕は、ピアノの音楽だけを求めているんじゃなくて、管楽器奏者のように自分に歌を歌ってくれているようなピアニストを聴きたいと思っている。ピアノの音楽を聴きたいなら、ショパンを聴けばいいでしょう。


M:おっしゃる通りですね。


AB: ショパンの音楽には素晴らしいテクニック歌心のコンビネーションがあるんだ。ショパンは彼の生徒にいつも"歌いなさい""歌わなくちゃ!"と言っていた。それがショパンだった。知っていたかい?


M:いいえ、そこまでとは。


AB: 素晴らしいピアニストっていうのは、シンギング・クオリティーを持っている。ただテクニックが優れているだけではなくてね。特に僕はシンガー達と共演するから、そういう視点で理解する必要があったんだ。


M:それぞれのシンガーごとに、このような美しいアレンジを思いつくための方法はあるのですか?


AB:そうだね、即興で浮かんでくることもあるんだよ。ジャズシンガーっていうのは、君もわかっていると思うけど、フレキシブルなんだ。毎回全く同じことをしたいというわけじゃない。もしそうなら、つまり何も変えずに演奏するのなら、それはクラシックやポップスってことになる。でもジャズでは、毎回変化が欲しいでしょ。その方が面白いし、チャレンジングだし、楽しいから!ルールは曲げたって構わないし、リスクをとって冒険をする。それがジャズってもんでしょ。リスクをとること、そして愛を持って演奏すること。


M:そうですね。アランさんが演奏でリスナーの心に何かを伝えようとするとき、どんなことがもっとも大切だと思いますか?先ほど仰ったように、愛、ですか?


AB:そうだね、当然だけど、愛だけ考えていればいいってものじゃないよね。正しいコードを弾くこと、リラックスすること、音で会話をすることなんかもしたいと思っている。本物のジャズミュージシャンだったら、ヴォーカリストでも管楽器奏者でもピアニストでも、本当に何が起きるかわからないでしょう?だから人生も、ちょっと危険だけどそういう風に生きていくわけ。例えば"今日はどの曲をやるかわかっている、何千回と演ってきた曲だ。でも次に弾く時は二度と今日と同じようにはならない"という感じにね。だって違うものなんだから。そのことを考えると時々怖くなるよ。"どうしよう、どうしていつも同じことを同じようにやるという風にはできないんだろう、そうしたら心配しなくていいのに!"ってね(笑)

でもジャズはそうじゃないんだから仕方ない。それが自分たちの選んだ生き方だしね。だから、僕にはコードを変えて弾く自由があるんだ。"ここでこのコードは弾いたことがないな"って。でもそれは曲の前後関係を壊さない範囲でだけどね。もしそれをポップスでやってしまったら、というよりも、ポップスではできないよね。もしポップスやラップの曲、その他の商業的な音楽でコードを変えたりしたら意味が変わってしまうから。


M:過去のインタビューではリズムについても語っておられましたね。ジャズのリズムについては、どのように身につけられたのですか?


AB:ええと、リズムは、とても若い頃に理解したんだ。感覚がわかったというか。そして、ジャズのフィーリングというのはとても奥が深く、とても特別だということも。それはモダン・ピアニストのバド・パウエルやナット・キング・コールらによって変化していったんだよ。ピアノで"歌う"という力だね。それまでのテディー・ウィルソンやアート・テイタムといった素晴らしいプレイヤーたちの時代、ピアノはもっときらびやかな、飾りのようなものだったんだ。素晴らしいプレイだったけれど、ソロイストとリズムセクションの間に張力があるような、左手と右手の間の緊張した関係というものがなかった。そういうわけで、タイムはまっすぐ真ん中というわけじゃないんだよ。ソロイストはタイムを曲げられるということだね。

そして、君たちはそれを感じることができる。バド・パウエルが教えてくれたのは、リズムというのは僕が創っているインプロヴィゼーションのラインだということ。それは、リック(譜面に書き起こされたジャズの常套フレーズ)にはないんだよ。"boom chik boom chik boom chik"っていうポップスのリズムにはないんだ。"Do ba da ba da ba du ba pa da da"って僕がやったら、そのリズムが何だかわかると思うよ。1つ1つ細かく説明しなくてもわかるはず。"pa pa da da ba do du da"ってね。でももし僕がストレートに演奏したら(8ビートのように)、スウィングしていないよね。どうやって"pa pa pa du ba da ba du da" とやるのか、学ばなくちゃならないんだ。ピアノ奏者にとって、それを自然にクォンタイズするのは難しいことなんだ。管楽器奏者は自然にできるけどね。でもピアニストは正しい運指でそれをする方法を学ばなくちゃならない。テクニックの話はあまりしたくないんだけど、でも、僕にとって、リズムは曲や自分の弾いているラインになくてはならないものなんだよ。


M:奏でるメロディーということですか?


AB: うん、そして、即興の時に弾くメロディーもね。


M:そうですよね。


AB: だから、全部同じ感じで"da-da-da-da"ってするんじゃなくて、"da-DA-da-DA" という風にアクセントがつく。そういうフレージングが弾けるようになるには、ピアニストは学ばないといけないんだ。


M: ヴォーカリストもです。


AB: そうだね、シンガーは自然にやっていると思うよ。自分の生徒を教えていた時に、ピアノでそれをやろうとすると固くなってしまってね。でも僕が"メトロノームを止めて、歌おう"って言ったら全てが変わったんだ。リズムがちゃんとそこにあった。僕らは自然にそういう風に歌っているんだね。それをどうやって楽器で弾くかは身につけなくちゃいけないんだ。だからシンガーは有利だと思うよ。素晴らしいシンガーはビリー・ホリデイのように、タイミングを押したり引いたりすることを知っているよね。アニタ・オデイも天才だね。彼女が日本のビッグバンドと共演しているビデオがYouTubeにあるよ。恐ろしいくらいすごい!観たことある?本当にすごいんだ!彼女がレイドバックするところも、流動的に歌っているところも。彼女はさほど気にしている様子もなく、トップで漂うように歌っていて、しかもスゥイングしている!!


【Anita O'Day. Love For Sale】



それがジャズの好きなところなんだ。あの感じ。それから僕の先生、レニー・トリスターノが言っていたことの1つにね、"ジャズはスタイルではない"という言葉がある。ジャズにはたくさんのスタイルがあるでしょう。でも、ジャズは"フィーリング"だって言うんだ。そしてまともなジャズミュージシャンになりたかったら、その"フィーリング"は欠かせない、と。そうでなければポップスやその他の音楽でもやるんだね、と。


M:そんな貴重なお話をシェアしてくださって有難うございます。私たちみんな、心に留めておくべき大切なお話ですね。


AB:そうだね。メトロノームのようにタイムがしっかりしている、ということは大事だよ。でも僕はメトロノームじゃないから。メトロノームは放っておいてもストレートに行くでしょ。でも僕はその周りを曲がりくねって進んで行く。僕のプレイを聴いた時に、その感覚を掴んでもらえると良いのだけど。そう、メトロノーム は大事だけど、ね。だって、あんまりにも遠くに僕が行ってしまったら、タイムを引きずってしまったり、走ってしまったりするからね。でもそんな中にも道は用意されていて、少し急いだり、後ろに寄りかかったり、という風にやるんだよ。ゴムのバンドのような感じで・・・常に変化するんだ!シンガーがどんな風に感じているかによってね。同じ曲でも、ビリー・ホリデイが明日歌うのは、以前歌った時とは違うはずだから。彼女は自分が感じた通りに、おそらく、違うフレージングをするでしょう。そして、それこそが僕たちが求めているものなんだ。


M:シンガーと演奏することのどんなところがお好きですか?


AB:オーケストレーションすること。ピアノでオーケストラのように奏でることかな。オーケストラが大好きだから、ね。アイリーンが長生きしてくれなかったことが残念だよ。やっと僕らしいオーケストラのアレンジの書き方をマスターできたのに、彼女のために書くことができないなんて。機会を逸してしまったよ。


M:そうでしたか・・・。オーケストラのように弾くことが大好きとのことですが、そのほかにもシンガーとの共演でお好きな部分はありますか?


AB:そうだね、そこに声がある、というのは全体でどうかという体験でもあるからね。僕にはお気に入りの作曲家がいるんだ。彼の音楽なしでは生きていられないくらいの。グスタフ・マーラーだよ。どうやって彼が声に伴奏をつけるか、それは・・・説明が難しいのだけれど。"ギブ&テイク"っていう表現があるけれど、歌い手が少し何かをくれて、僕がそれを受け取る。そして僕が少し手渡す。そうやって互いに影響し合いながら曲を進めていくんだ。それがベストな方法。


【The Best of Mahler】



M:まったくその通りですね。アランさんのピアニスト、アレンジャー、作曲家、指揮者としての今後の目標は?


AB: うーん、同じだね。僕の目標は常にトライし、良くなること。この歳になってもね!未だに僕はオーケストラを、グスタフ・マーラーを、チャーリー・パーカーを理解したくて、骨を折っているよ。目標は決して終わることはないね!なぜなら、一旦とある部分に達したら、まだその先があるから。だから、僕らは決して終わらない目標を求めて、生きているというわけ。君達も、ある程度達成して、さらにその先へ、と歩んで欲しいな。


M:ご自身をクリエイティブに保つ、その情熱の源は?


AB:間違いなく、グスタフ・マーラーへの愛だね。こう思っているのは世界中で僕だけじゃないと思うよ。たくさんの人がそう感じているはず。彼の音楽は僕たちに、少なくとも僕に、他の音楽とは違う方法で影響を与えているんだ。110年、120年も昔の音楽だよ?マーラーは時を超えて僕の心を動かし、こう言うんだ。" アラン、僕は君に聴かせたいものがあるんだ"と。
それからショパンも同じことを僕にしてくれる。8歳の頃にショパンを聴いてね。僕の中の何かが語りかけたんだ。友達には言えなかったよ。8歳の友達に"ショパンが僕に語りかける"だなんて言えるはずもないよ。言ったらクレイジーだって思うだろうからね!でも僕は、それを自分自身の中で留めておいた。そこには常に音楽の力があるということがわかっていたんだ。そうして僕はジャズと出会ったんだ。ジャズにはすぐに夢中になったよ。今、目の前に存在しているということ。全ての音にね。素晴らしい即興演奏ができるミュージシャンは、いつも、今目の前で起きていることを大切にしている。それは禅にも通じるものがあると思う。方向性はとてもクリアなんだ。
そう、グスタフ・マーラーや僕の好きなミュージシャンの力こそが、僕のクリエイティビティの源だよ。


M:最後の質問になりますが、ジャズのどんなところを愛していますか?日本のシンガーやその他のミュージシャン、ジャズを愛する方々へのメッセージは?


AB: 僕が近いと感じているミュージシャンはビル・エヴァンス、特に病んでしまう前の若い頃の録音。そしてバド・パウエルはとてもとても重要。もちろんチャーリー・パーカーも。チャーリー・パーカーを挙げないわけにはいかないね。それから僕らが大好きな他のミュージシャンみんなも。 でも僕にとって一番重要なミュージシャンはマーラー、ショパン、バド・パウエルとチャーリー・パーカーだね。一生学んでいくものだからね。ジャズプレイヤーになりたいと思っていて音楽を愛しているシンガーやピアニスト、その他どんな楽器奏者にも言えることは、自分が好きだと思うものを見つけたら、そこから学ぶこと。その全てについて学ぶことだよ。

ビリー・ホリデイのビブラートが好きだったら、その全てを。彼女が小節線を超えてフレーズを歌うことが好きだったら、それをできるだけ詳しく学ぶんだ。街を歩いている時にも思い出せるように。その演奏のどこをとっても頭の中で止めることができ、ビリー・ホリデイが頭の中にいるかのようになるまで。もしそれができていたら、自然とそれらが君に教えてくれるようになる。コピーするのではなくて、君らしくなると言うことを、どうやってそうなれるのかということを教えてくれるんだ。 それがジャズを学ぶ方法だと思うよ。クラシックを学ぶ方法はもっと決められているよね、スケールを身につけて、ショパンの曲やエチュードを知っていなくちゃならないし、考え始める前になんでも知っている必要がある。でもジャズは、もう少しゆるりとしている部分があって。バド・パウエルは決してユジャ・ワンのようには弾かないからね。

ところで、余談だけど、ユジャ・ワンを知っているかい?クラシックのピアニスト。僕の意見だけど、彼女はこの世で一番素晴らしいピアニストだと思っているんだ。ホロヴィッツやルービンシュタイン、ホフマン、ミケランジェリやそれ以外の素晴らしいピアニストたちも含めて、だよ。ラン・ランもいるけどね、でも、ユジャは楽曲をあたかも彼女が作曲したかのように弾く力を持っているんだ。昨夜観たインタビューでもそう話していたよ。演奏している時に、時々その曲を作曲しているかのように感じるんだって。そして、まったく違うジャンルを弾いているけれども、僕には彼女がジャズミュージシャンのようだということがわかるんだ。
彼女がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾くビデオを観てごらん。聴きやすいと思うよ。彼女は他の誰とも違う弾き方をするんだ。クライマックスのシーンがすごいから。彼女は僕をがっかりさせないんだ。 彼女は僕に言われなくたって素晴らしいんだよ。いつかあなたは素晴らしいって、本人に言ってみたいけどね!(笑)


【Yuja Wang: Rachmaninov Piano Concerto No.2 - 3rd Movement】



さて、僕が言いたかったのは、僕らが好きなこの音楽は皆に何かを売り込むようなものじゃないということなんだ。ギフトとして僕らのところにやってきたんだ。それからユジャは天賦の才能を持っているね。彼女はアートを愛する人の人生を意味あるものにするんだ。日本の人々はアートへの意識が最も高いということを僕は理解しているよ。本当にそう思う。日本人の素晴らしいアーティストがたくさんいるよね。千年も前の伝統的な日本のアーティストは言うまでもないけれど。そういうわけで、アートへの高い感度というものが文化の中に備わっているんだよ。僕たちミュージシャンは日本のその点を最も高く評価していると思うよ。


M:貴重なお話ありがとうございました。


[Interview:メイ・オキタ]


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【Alan Broadbent - new solo piano album "To the Evening Star" - Sept 8, 2019】



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Alan Broadbent [アラン・ブロードベント] プロフィール
ピアニスト・作曲家・アレンジャー・指揮者 
http://www.alanbroadbent.com/

1966年ニュージーランド、オークランド生まれ。19歳にしてダウンビート・マガジンの奨学金を取得し、ボストンのバークリー音楽大学に進学。1969年にウディー・ハーマンのバンドに抜擢され、3年間ピアニスト、アレンジャーとして活動を共にした。1972年、ロサンゼルスに拠点を移し、伝説的なシンガーであるアイリーン・クラールとの活動を開始。スタジオミュージシャンとしてもネルソン・リドル、デイヴィット・ローズ、ジョニー・マンデルらに招かれ多くの録音に参加。90年代初期にナタリー・コールの名高い"Unforgettable" に参加し、ナタリー・コールのバンドのピアニストとして、その後には指揮者としてもツアーに参加した。ナタリーの父、ナット・キング・コールに捧げた"When I Fall In Love"のDVDに参加し、"best orchestral arrangement accompanying a vocal"でグラミーを受賞。
その後、チャーリー・ヘイデンのカルテット・ウエストのメンバーとなり、ヨーロッパ、イギリス、アメリカでのツアーに参加。シャーリー・ホーンのアルバムに収められた、レナード・バーンスタイン作曲の"Lonely Town"で2つ目のグラミーを受賞した直後であった。.
自身のバンドのソロイストとしても"best instrumental performance"としてハービー・ハンコックやソニー・ロリンズ、キース・ジャレットと並んで2度、グラミーノミネートされた。2007年にはニュージーランドで栄誉ある"the New Zealand Order of Merit"を受賞。
現在は、ダイアナ・クラールがオーケストラとのコンサートをする際に指揮者を務める。"Live in Paris"のDVDにも指揮者として参加。グレン・フライの "After Hours"で弦楽器のアレンジを担当。ポール・マッカートニーの"Kisses On The Bottom"では6曲、ロンドン交響楽団のためのアレンジを手がけ、ソロとしてはイギリス、ポーランド、フランスでのコンサートを成功させたばかりである。
生涯の目標をオーケストラのアレンジとジャズの即興を通じ、ポップスやスタンダードの楽曲により深いコミュニケーションと愛を見いだすこととしている。




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May Okita [メイ・オキタ] プロフィール
ジャズシンガー・精神科医
https://mayokita.net/

2019年シアトルのオリジンレコードと契約し1stアルバム「Art of Life」にてデビュー。全米を中心にフランス、イタリアなどヨーロッパを含む100以上のラジオ局で収録曲がオンエアされ、ダウンビート・マガジン(米)、ジャズ・ジャーナル(英)を含む国内外の音楽雑誌で「心洗われる歌声」「高い感受性による歌唱にいつわりのない心を見ることができる」と高評を得た。同年7月にはロサンゼルスの人気ジャズクラブFeinsteins' at Vitello'sに出演。4年間のLA留学中にSara Gazarek, Michele Weir, Cathy Segal Garcia, Cheryl Bentyne, Tierney Suttonらに師事。世界中のジャズミュージシャンとの交流を深め、Jazz Vocal Alliance Japan代表として情報交換や教育の場を創る活動を継続的に行う。
K-mix(FM静岡)毎週土曜5時「メイ・オキタのArt of Life」を担当。ジャズとマインドフルネスを紹介し、音楽とメンタルケア両方に通じる「枠にとらわれない自分らしい生き方」と「Being in the Moment」を実践する。優しく語りかけ心を癒すその歌声は、アルバム発売以来、徐々に支持を広げている。

カミラ・メサインタビュー[インタビュアー黒沢綾]:インタビュー / INTERVIEW

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チリ出身、現在はNYを拠点に活躍するシンガー/ギタリストのカミラ・メサ。

2016年の前作『Traces』ではシャイ・マエストロやケンドリック・スコットらが参加、近年は彼女の溢れる才能に世界中が熱い視線を送っています。

今年5月には弦楽四重奏からなるアンサンブル、The NECTAR ORCHESTRAとの最新アルバム『Ambar』をリリース。そして、その作品をたずさえて先日来日、完成度の高いアンサンブルを披露し観客を魅了しました。

今月10月の番組「PICK UP」では、そんなカミラ・メサとのインタビューを紹介しています。

https://www.jjazz.net/programs/pick-up/
(配信期間:2019年10月2日~2019年11月6日)

そして番組で紹介しきれなかったインタビューをこちらにまとめました。
番組と共にお楽しみ下さい!

[Interview:黒沢綾]


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カミラ・メサ インタビュー


■5⽉リリースのニューアルバム『Ambar(アンバー)』 は弦楽四重奏を含むオーケストラ編成での作品。今までの作品とは違う新たな⼀⾯を見せていただきました。弦楽を取り⼊れたアンサンブル作品に行き着いた理由を教えて下さい。

[カミラ・メサ]
そもそもの始まりは6年ほど前。つまり前作『Traces』と並行して企画は進んでいたことになるわね。あのアルバムのサウンドは今回のサウンドとは随分違うものだけど、あの時点で今回のベースプレイヤーでもありストリングスアレンジを手掛けてくれたノーム・ウィーゼンバーグの共同作業が始まっていました。かねてから弦楽四重奏の音に惹かれていたという事もあって、今回のアルバムの方向性が見えてきた感じ。弦楽四重奏のサウンドはとてもリリカルで、シンガーとしてインスパイアされるものがあるサウンドなの。


■The NECTAR ORCHESTRAのレコーディングメンバーについて教えてください。

[カミラ・メサ]
まずはピアノとキーボードのエデン・ラディン。彼とは学生時代の友人だけど卒業してからの音楽活動が多いわね。そしてご存じ、ケイタ・オガワ。日本のドラマー、パーカッショニスト。それから先程紹介した、ベースのノーム・ウィーゼンバーグ。で、ニューヨークのオリジナルメンバーの中には日本人バイオリニスト大村朋子さんがいます。そしてフォン・チェム・ホェイ(バイオリン)、ベンヤミン・フォン・グートツァイト(ヴィオラ)、ブライアン・サンダース(チェロ)というメンバーです。


■オーガニックでありながら現代的なサウンド。作曲やサウンド⾯で今回特に意識されたことは?

[カミラ・メサ]
重要視したことのひとつとして、曲の持つストーリーを伝えるということ。そして音の重なり。例えるなら絵画のような。見るたびに違うディテールに見えてくるような感じ。その時の自分の感情によって、異なる部分に惹かれることがあるでしょ。The NECTAR ORCHESTRAはそういった体験をしてもらおうと意図しているの。アルバムを聴く度、以前は聴こえなかった音が聴こえるという新たな発見があればと。それは、作る側としても聴き手としても好きなアプローチなの。


■アルバムを通して生命力のある一枚だと感じました。タイトル『Ambar』にこめた意味を教えてください。

[カミラ・メサ]
生命力、それがこのタイトルにこめた想いと繋がります。感じてもらえて嬉しいわ。
『Ambar』(=琥珀)という言葉には様々なメタファー(隠喩)が含まれている。木々が排出した樹液が時間をかけて化石化し、のちに琥珀となる。樹木に傷がついた時、自らの樹液で補修、癒してゆくというプロセスがあるの。だから自らが秘めているパワーをこの言葉は表しています。
同時に、石になった琥珀そのものが「ネガティブなものをポジティブにエネルギー変換する」という意味合いを持つ石だということも後から知ったわ。曲を創作する、音楽を表現する過程とはそういうものよね。自分から発するものが琥珀という結晶となって皆さんのもとに届く。癒し、とは美しい概念だと思います。


■サウンド面に注目されることが多いと思いますが、私はシンガーソングライターとして作詞のプロセスにも興味があります。どういったヒントやアイデアから言葉を生むのでしょう。

[カミラ・メサ]
ここ6年くらいを振り返って思うのは、歌は「祈り」に近いものだということ。自分が書いたものをパフォーマンスするたび、歌詞を反芻しているわけよね。繰りかえし繰りかえし。だから言葉は大切だし尊重しないとね。だって、言葉の積み重ねで自分の現実は出来上がっていくものでしょう?だから慎重に注意を払っているわ。特に、悲しみや葛藤の感情。どうやっても自分の中では解決し難い、どちらかというと居心地の良くない感情を歌詞にする時ね。そういう時は、自分自身を友人と見立てて語り合っている事にするの。「大丈夫だよ」「うまくいくから」と言ってあげて安心を得ていくの。すると歌うたびにその居心地の悪かった感情が良いものに変わってゆく。それが歌詞を書くことの醍醐味だと思ってるわ。
分かりやすい題材としては、自然、人間関係、色彩、人生そのものがインスピレーションになっているわね。


■あなたの作品は現代ジャズシーンからも注⽬されています。 NYに渡って10年ほど経ちますが、NYジャズシーンがあなたに与えた影響は?

[カミラ・メサ]
やはりとても刺激的ね。現地の人々、特に音楽に関わっている人たちって、常に一番いい自分でいるよう努めている。最高の音楽が作れるようにと。そういった一人一人のエネルギーが伝染するのね、私も最善を尽くしたいと常に思っているわ。そういう環境にいることが一番の刺激ね。


■旅やコンサート続きだと思いますが喉のケアや普段気遣っていることを教えてください。

[カミラ・メサ]
とにかくたくさん水を飲む。あとヨガ。朝、習慣的にやりたいと思っているけど時差ボケが酷い事もあってなかなか難しいけど。あとは睡眠が大事!って分かっているけど、コンサートが終わったら皆で盛り上がっちゃう時もあるし。(笑)、でもやっぱりショーの直前にはウォームアップが欠かせない。いきなり筋肉を使うことがないように心掛けているわ。


■気が早いですが、次回作の構想などあれば教えてください。

[カミラ・メサ]
実はつい最近NYでパフォーマンスをした「PORTAL」というタイトルの1時間分の音源はあるの。それとは別として、やりたいと思っていることは沢山ある。いつかやりたいのはソロアルバムを作ること。その時はエレクトリック要素も入れたいわ。そしてラテン系、具体的に言うと故郷チリのミュージシャンに捧げるテーマで作品作りがしてみたい。ほかにも色々と考えてるので楽しみにしていて!


[Interview:黒沢綾]


【Camila Meza - All Your Colors (Official Video)】



【Camila Meza & The Nectar Orchestra (Live) | JAZZ NIGHT IN AMERICA】




ALBUM情報

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タイトル:『Ambar』
アーティスト:Camila Meza
発売日:2019年5月29日
レーベル: CORE PORT
製品番号:RPOZ-10047



アマゾン詳細ページへ


【SONG LIST】
01.カルフ
02.ワルツNo.1
03.アウェイクン
04.ディス・イズ・ノット・アメリカ
05.オーリャ・マリア
06.夕暮れ
07.オール・ユア・カラーズ
08.ミラグリ・ドス・ペイシェス(魚たちの奇跡)
09.インタールード
10.アンバー
11.フォール
12.ククルクク・パロマ

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CAMILA MEZA [カミラ・メサ] プロフィール

チリ出身のシンガー/ギタリスト/作曲家。16才から活動を開始して2枚のアルバムをリリース後、NYニュースクールに入学してからはNYを拠点として活動。ファビアン・アルマザン、ライアン・ケバリー他多くの話題作に参加しつつ2016年作『Traces』で本格的にシーンの重要人物として脚光をあび、2年連続でダウンビート誌クリティック・ポール「Rising Star」に名を連ねる。2016年シャイ・マエストロとのデュオで日本ツアー、2017年はヨーロッパ・ツアー、ライアン・ケバリー・カタルシスのメンバーとして来日、さらにシャイ・マエストロ・トリオのフィーチャリングとして東京JAZZに出演。近年はストリングス・カルテットを擁したThe Nectar Orchestraを率いて活動中。そのグループと共に2019年に待望のメジャー・デビュー・アルバム『Ámbar』を発表。

https://camilameza.com/


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黒沢綾 (Singer,Piano) プロフィール

幼少よりクラシックピアノ、作曲、クラシック声楽を学ぶ。尚美学園大学JAZZ&POPSコースに入学後、自然な流れでジャズに傾倒。在学中よりプロとして活動をスタート。同コースを首席で卒業。以降、都内近郊でジャズシンガーとして着実にキャリアを重ねながらオリジナル曲を制作。2009年アルバム『うららか』、2013年『Twill』をリリース。ソングライターとして確かな実績を持つ。また上田力率いる【Jobim my Love】プロジェクトに10年以上ヴォイスアーティストとして参加。南米音楽への造詣を深める。ジャズの形式を用いた自由な音楽性、歓びに満ちたサウンドスケープをモットーとする。透明感あるクリスタルヴォイス、また楽器としての声による即興的なアプローチを得意とすることからヴォイス・プレイヤーとしてジャズ・コンテンポラリー作品に参加。参加作品は、栗林すみれ『Pieces of Color』、千葉史絵『Beautiful Days』、岸淑香『feat.手』等。またparis matchのコーラスを2011年から務め、Billboard Live TOKYOをはじめコンサートやツアーに参加。相撲と着物とジャズをこよなく愛す和洋折衷シンガー。
現在、インターネットラジオ・ステーションJJazz.Netの番組ナビゲーターをつとめる。

オフィシャルブログ

坪口昌恭(Ortance)メールインタビュー:インタビュー / INTERVIEW

拡張し、混在するジャズのイメージをとらえるライブシリーズ「Jazz Today」。
今回はエレクトロ・ジャズユニット"東京ザヴィヌルバッハ"を主宰する鍵盤奏者、
坪口昌恭が2018年春に結成した新バンド、"Ortance(オルタンス)"のLIVEをご紹介しています。

【JazzToday - Ortance(坪口昌恭/ 西田修大/大井一彌)LIVE】
放送期間:2018年9月12日(17:00)-2018年10月10日(17:00)
https://www.jjazz.net/programs/toshiba-jazztoday/

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フィールドの異なる2人の気鋭ミュージシャン、ギタリスト、西田修大(中村佳穂Band/石若駿SongBookバンド)とドラマー、大井一彌(yahyel /DATS)を迎え、この春始動したOrtance。

まだ作品のリリースはないものの、非常に興味深いこのバンドについて、坪口昌恭さんにメールインタビューしました。


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【坪口昌恭(Ortance) メールインタビュー】


■バンド名"Ortance(オルタンス)"とは?

[坪口昌恭]
画家ポール・セザンヌが大好きで、その奥さんの名前でもあります。フランス語の表記は本来「Hortense」なのですが、発音しやすい造語にしました。もちろんアジサイのことでもあり、花びらかと思いきやガク(萼)であるという特異性を含んだ、女性的で華のあるネーミングにしたかったのです。


■この3人が出会ったきっかけ?バンドを組むことになったいきさつについて教えてください。

[坪口昌恭]
私が全面的に参加してきたRM jazz legacyのリーダー、ベーシスト/プロデューサー守家巧の別セッションで、西田修大、大井一彌と同時に出逢いました。その後大井とは守家巧ソロのレコーディングでも共演。
私をはじめ、西田と大井もそれ以外での共演歴はなく、つまり三人とも微妙に異なるフィールドで活動してきたことが、むしろチャンスだと思いました。異なるルーツを持ちながらも音楽や表現に対するストイックな共通の美意識を確信できたため、結成に至りました。


■(今回番組でお送りしているライブでは)John Coltraneを叔父に持ち、ポストJ Dillaと言わしめるビートセンスを持つLAのミュージシャン、Flying Lotusの名盤『Los Angels』を曲順通りに全曲演奏されています。Flying Lotusの魅力、またカバーされた理由を教えてください。

[坪口昌恭]
Flying Lotusの魅力をいくつか挙げるなら、

・一曲が短く曲間がない。アルバム一枚で一大音絵巻のようになっている。
・様々な音素材(サンプル)が使われており、常にノイズ(サイケ)感がありざらついている。
・ドラムのビートがよれたままGrooveを構築しており、整合性の希薄なポリリズムもある。

そして、カバーする動機としては、エレクトロニカな作風でありながら楽音としてのコード感、メロディにも魅力があること。特に『LA』では驚いたことに12音全てのトーナルが登場し、それも曲が変わる時にはほとんど別のキーに入れ替わるということが起こっていました。
しかも聞き慣れたジャズやポップスのコードではなく、音を間引いたりズラしてあえて調性感をはっきりさせないような工夫が随所にされている。つまりジャズのノウハウでは演奏できそうにないところにこそ可能性を感じたのです。
そして、このカヴァーを経たセンスでオリジナルを作ることによって、今までの自分の作曲癖や習慣にとらわれない新しい作風を生み出すことができると確信したのです。


■今回番組「Jazz Today」でお送りしているライブの聴きどころ、こだわった点などあれば教えてください。

[坪口昌恭]
まずはアルバム『LA』をくそまじめに曲順通り全曲演奏していること。スタジオワーク作品をライブ再現するということで、全く同じ質感にはならないけれど、その分、シンセベースと上物を坪口一人で演奏することのシンクロ性と有機的なディレクション、西田のロックフィールに基づいた楽音とノイズの中間的アプローチ、大井の抜き差しセンス抜群でゴーストノートを廃したストイックなドラミングが、この三人以外では起こりえないであろうサウンドスケープを描くことに成功していると思います。

いわゆるジャズ的な醍醐味とは異なるかもしれませんが、訪れたことのない景色や抽象画を見る、もしくは自ら自由に思い描くような感覚でお楽しみ頂ければ幸いです。


ありがとうございました。


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【Ortance ▶︎ Black Morpho (comp. Masayasu Tzboguchi)】



【Ortance Live 情報】
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【イベントタイトル】
『Harvest Parade〜初日』 ULTIMATE MUZIK?!~for instance×Ortance

【日時】
2018年10月1日(月)
OPEN19:00 /START19:30

【場所】
三軒茶屋GRAPEFRUIT MOON
http://grapefruit-moon.com/

【出演】
for instance
<Gt.白井良明/Dr.オータコージ/Dr.柏倉隆史/Ba.雲丹亀卓人/Key.コイチ> 
・Ortance
<坪口昌恭(Syn / P) 西田修大(G) 大井一彌(Ds)>
DJ 生活と欲望(KAMINARI WORKS)

【MUSIC CHARGE】
前売3,500 当日4,000 (共にDRINK別)

予約(三軒茶屋GRAPEFRUIT MOON)



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▶"Ortance" Profile
多彩なキーボードプレイを持ち味としオルタネイティブな現代ジャズを実践してきた坪口、ギターのかっこよさとハイセンスなロックフィールをアピールする西田、ダブ・ステップ以降の音色にこだわったハイパーなドラミングでクラブを沸かせる大井という、フィールドの異なる3人が共通の美意識の元にタッグを組み、テクノをあえて人の手を介しミクスチャーミュージックとして表現することにこだわったユニット「Ortance」、2018年春始動。

Flying Lotusの「LA」全曲カバー以外は全て坪口の作曲であり、シンセサイザーに彩られたアンサンブルの中に、コアな要素としてアコースティック・ピアノのクラシカルな音構造が息づいている。

坪口が自ら担当するシンセベース、楽音だけでなくノイズエフェクトの要素が色濃い西田のギター、マシーナリーだからこその色気を醸し出す大井のドラムなど聴き所満載だが、何より、これまで坪口を印象づけていたジャズ・アブストラクト、ポリリズムといったトリッキーな要素は影を潜め、リスナーが思い思いの映像やストーリーを心に描けるような、深層心理に迫るサウンドスケープを持ち味としている。


▶「Ortance」Member
坪口昌恭(Masayasu Tzboguchi):Synthsizer, Synth.Bass, Piano
http://tzboguchi.com/

西田修大(Shuta Nishida):Guitar, Effect(from 中村佳穂Band, 石若駿SongBook)
https://shuta-nishida.tumblr.com/

大井一彌(Kazuya Oi):Drums with Trigger System(from Yahyel, DATS)
https://twitter.com/oioiiioiooi/



Akira Nakamuraメールインタビュー:インタビュー / INTERVIEW

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現在ベルリンを拠点に活動する日本人ドラマー、Akira Nakamura。
バークリー音楽大学を2001年に卒業後、フリーランスのドラマーとしてアメリカで活動をスタート。上原ひろみ、Big Yuki、ハナレグミ、Monday満ちる、Marterとの共演、そして自身のバンドでは独自の世界観で表現する異色のドラマーです。

そんな彼が率いる"東京"をテーマにしたバンドTrickstwart Bandのリリース記念ライブが6月に決定。

今後、ますます注目されるであろうAkira Nakamuraとはどういう人物なのか?
来日を前にメールインタビューでお答えいただきました。


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【Akira Nakamura メールインタビュー】


■いわゆるジャズのメインストリームというよりは独自の活動をされている印象があります。ご自身が目指している音楽スタイルを教えてください。

[Akira Nakamura]
サウンド面のスタイルは、僕は自分の楽曲を演奏するバンドを3つ持ってるのですが、バンド別ではっきり分けています。Trickstewartでは、ロック、ファンク、エレクトロ寄りのサウンド。今回のアルバム"櫂"のミックスでは、生音中心かつそれプラスαを目指してたので、お願いする時はリファレンスとしてRadioheadの"the King of Limb"、Me'shell Ndgeochelloの"Comet ,Come to me"、 D'angeloの"Voodoo" などを持って行きました。

作曲のスタイルとしてはthough composed (繰り返しが出てこない)が好きで、そういう曲が多いです。そこに即興の要素も組み込みます。ジャズスタンダード的な方法(ヘッドー即興ーヘッド)の曲も書きますが、感じたことを曲にしようとすると(生活の中から感じたことを曲にすることが多い)繰り返しがない流れになることが多いです。


■NY時代はBig YukiさんやTakさん(田中拓也)とのJP3としても活動。このバンドについて教えてください。またその当時について振り返ってもらえますか?

[Akira Nakamura]
JP3はまだボストンに住んでた時です。YukiもTakくんも仕事、私生活共に仲良くしてて、常に近くにいて"何がかっこいいか"を話しあったり演奏しあったりしてました。なのでバンドやろうぜ!ってよりかはお互いに試したいことを試す仲間だったかなと。オリジナル曲をつくる作業はもちろんの事、フレディー・ハバードのskydiveとかハービー・ハンコックのButterflyなどのスタンダードな曲のアレンジ作業もとても楽しかったですね。誰かが一本線を描いたらそこから繋げていく絵の描きあいというか。当時からエレクトロが好きな3人だったのでJungle, House, 2 step など生演奏で曲に盛り込んでいました。

あと当時デビット・フュージンスキーと演奏してた時期で、彼は新しいビートないか??とよく聞いてくる探究心旺盛な方で、その影響もあって聞いたことのないビートをつくる、という発想からできた曲もありました。ライブも楽しかったですね、アレンジの時と同じように、絵の描きあいから常にお互いへのサプライズもあって。最近でもYukiと会うと、そのうちまたやろうね、なんて話しています。


■東京をテーマにしたバンドTrickstwart Bandを結成。
このバンドを結成した理由。そして体現している"東京"の音とは?

[Akira Nakamura]
Trickstewart Band は2009年に僕が東京に引っ越してから始めたもので、バンドというより僕個人のプロジェクトです。メンバーは1枚目のアルバムと2枚目ではほぼ違います。Bandとつけているのは、例え短い時間の付き合いだとしても、さも長年一緒にやっているバンド仲間の様に心をオープンに向き合いたいという僕の思いからです。

このプロジェクトをやり始めた理由は大きく2つあります。1つは、単純に東京での経験を元に書いた曲たちをここに暮らしている大好きなミュージシャンと演奏したいという思い。もう1つは、東京で暮らしているミュージシャンたちの音楽との向き合い方を感じたいということ。自分の曲を一緒に演奏してもらうと、言葉のコミュニケーション以上にその人たちを感じられることがありまして。

"東京の音"の体現ですが、あるサウンドを目指すという行動ではなくて、東京に住んでいる人たちで一つの表現をすること自体が体現している状態なのかなと思ってます。生活と音楽はごまかせないくらい直結していると思ってるもので。そういう意味で"東京の音"はメンバー、組み合わせ次第で限りなくあると。ちなみに僕の中では東京のミュージシャンたちに共通する"東京の音"があると感じてます。言葉では説明できないんですけどね。今度それを題材に作曲して音楽で表現してみようかな。


■2018.2月にTrickstwart Bandのセカンドアルバム『櫂』をリリース。
全曲オリジナルの今作のテーマは?象徴的な一曲がありましたら理由も含めて教えてください。

[Akira Nakamura]
テーマは、100%の個性に乗っかる100%の協調性。
今回のアルバムは音楽だけがテーマの矛先になってなくて、アルバムをリリースするという行為全体を一つのプロジェクトとして捉えています。録音時のそれぞれの演奏だけでなくミックスエンジニア、マスタリングエンジニア、アルバムジャケットの画家、ミュージックビデオの監督まで関わる人たちみんなを含めたプロジェクト。

それぞれが100%自分の表現をしながら他の創造心もしっかり思いやる。今回それをジャンルを超えて試しました。メンバーの演奏、アルバムの音の出来はもちろんのこと、ジャケットの絵(小西博子/画家)、MVの映像(高山耕平/映画監督)まではるかに自分の想像を超えたアンサンブルが生まれたと自負してます。


【AKIRA NAKAMURA Trickstewart Band feat. 高山康平(映画監督)/Kohei Takayama 】



象徴的な1曲はアルバム1曲目の「7/23/08 19:20-7/24/08 Morning」です。高山耕平さんにも、小西博子さんにも、音楽に寄らずに100%あなたの創造をしてほしいとお願いしました。音楽を聴きながら両方眺めてみてほしいです。また、新たな芸術の楽しみ方に出会うかもしれません。


■現在ベルリンを拠点に活動されていますが、ベルリンをベースにするようになった経緯、
また現地のジャズシーンはどんな感じでしょうか?

[Akira Nakamura]
僕は音楽に携わりながらいろんなところに住む理由の1つに、将来ふるさとの沖縄で音楽学校をはじめるためというのがあります。常々音楽は文化の一部だなと思うことがありまして、西洋の音楽をもっと知りたいならまずはその文化に身を置くことから始めよう、というのがキッカケです。

なぜベルリンかというと、もともとヨーロッパのどこかの国に住む計画は立てていて、2013年に下調べに来たときにこの街のあり方がとても刺激的だったんですね。新しさもあり、古さもあり。その両方が自由に共存しているというか。全く新しい感覚でした。それとその滞在時に見た二つのクラシックのコンサートもここへ住むと決めた大きな理由になっています。サイモンラトル指揮のベルリンフィルとダニエルバレンボイムのピアノのコンサート。その感動を細かく書きたいのですが長くなるので(笑)、とりあえず、自分の経験を完璧に超越した創造、とでも言っておきます。「聞いてる時、幽体離脱した!」とまわりによく話してます。そんな音楽を当たり前のように生活の一部にしてみたいと強く思いました。

ここのジャズシーンですが、びっくりするくらい活気があります。実験的ジャズからスタンダードなものまで。ジャズのジャムセッションも毎日どこかでやっていて、ドアチャージとかないってのもあると思いますが大体どこも満杯です。ジャムセッションによっては楽しそうに踊ってるお客さんも度々みかけます。


■6/12にMotion Blue YOKOHAMAで開催されるリリース記念ライブについて教えてください。どんな内容になりますか?

[Akira Nakamura]
6月12日の内容はアルバム収録曲全曲と1枚目のアルバムから数曲、そして未収録の曲もやる予定です。録音が1年以上前のことなので、あの時の演奏をおっかけるのではなく、いまの僕らをジャムり合いましょう、とメンバーで話しています。


■最後に今年夏以降の予定について教えてください。

[Akira Nakamura]
Trickstewartの予定はまだ未定ですが、僕個人としては今年の夏から秋にかけてはベルリンローカルの仕事から、ドイツの他の都市、ウクライナやベルギーなどへも演奏に行く予定です。ユーロ圏内だとローカルギグかのようなノリで違う国での仕事がくるのが刺激的です。あと、冬にはぼくのジャズ・アコースティック寄りの楽曲を演奏しているバンド、Element of the Momentのツアーを日本でやりたいなと思ってます。あとは沖縄ではじめる学校のカリキュラム作りも始めていこうと思っています。


【Official Teaser Long- AKIRA NAKAMURA Trickstewart Band 2nd album「櫂(kai)」】



【AKIRA NAKAMURA Trickstewart Band『Kai』 Release Live】


【DATE & SHOWTIME】
2018.6.12.tue.
open_6:00pm / showtime_7:30pm
※ステージの長さは約100分を予定しております。
※ステージの間に30分程度の休憩を挟みます。


【PLACE】
MOTION BLUE YOKOHAMA
〒231-0001
横浜市中区新港一丁目1番2号 横浜赤レンガ倉庫2号館3F
045-226-1919 (11:00am~9:00pm)
http://www.motionblue.co.jp/about/access/


【MEMBER】
中村 亮(ds)、Fasun(vo,g)、柴山哲郎(g)、浦 宏徳(as)、元晴(ss,ts)、高橋佳輝(b)


【MUSIC CHARGE】
自由席 ¥4,000(税込)
BOX席 ¥16,000+シート・チャージ ¥4,000 (4名様までご利用可能)
※BOX席はインターネットからのみご予約いただけます


公演詳細(Motion Blue YOKOHAMA)



アルバム情報

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Title : 『櫂 (kai)』
Artist : Akira Nakamura Trickstwart Band
LABEL : Bagus Records
NO : DQC1598
RELEASE : 2018.2.7



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【SONG LIST】
01. 7/23/08 19:20-7/24/08 Morning
02. From Dusk till Dawn
03. Home to You
04. Rise
05. From the Red Point
06. Be Here
07. 75 Burger
08. A Guy in Grey





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中村 亮 Akira Nakamura

バークリー音楽大学を2001年に卒業後、フリーランスのドラマーとしてアメリカで活動をスタート。古典ブルースから、変拍子やドラムン・ベースまで柔軟な音楽性と様々なリズムアプローチを武器にジャズ、ロック、ポップスからワールドミュージックまで様々なミュージシャンのドラマーとして活躍中。

在米時はデビッド・フュージンスキーのトリオやスクリーミングヘッドレストーソス、サム キニンジャー (ソウライブ、レタス)、上原ひろみのトリオやKokolo afrobeat orchestraなどにメンバーとして参加。またBigyuki、田中拓也とのトリオでjp3を結成し日本でのツアーも行なった。その後、沖縄、中国などでも演奏家として活動。

2009年に東京に拠点を移してからはドラムのみならず作編曲なども手がけ、自身のバンドでの活動も開始。メンバーとして参加した沖縄とジャズを融合したElement of the Momentや、自らがリーダーを務めるTrickstewart Bandなどではドラムに限らず視野の広いコンポーザーとしての側面を見せる。またハナレグミ、Monday満ちる、Marterなど、多方面に渡るアーティストのライヴでサポートドラマーとして活躍。他にもフィッシュボーンのアンジェロ・ムーアの来日公演時にサポートドラマーとしてステージを共にし、現在も様々なアーティストから信頼されるドラマー。並行して幅広い年齢層に向けてリズムやアンサンブルワークショップを行なうなど音楽の普及にも携わっている。

現在はベルリン在住。

Akira Nakamura オフィシャルサイト

【SARAVAHレーベル50周年特別企画】大塚広子(DJ)×高木洋司(COREPORT)対談:インタビュー / INTERVIEW

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ピエール・バルーが設立した音楽レーベル、SARAVAH。
今年はレーベル設立50周年ということで今改めて注目を集めています。

6月22日には、サラヴァの膨大なカタログの中からジャズ的感性溢れるスピリットや
エキスが感じられる音源をDJの大塚広子がコンパイル。

そこでJJazz.Netでは"SARAVAHレーベル50周年特別企画"として、
DJ大塚広子さんと日本でのサラヴァ音源の発売元であるCOREPORTレーベル代表、
高木洋司さんとの対談を行いました。

サラヴァの魅力やサラヴァから感じるジャズのエッセンスなど、非常に興味深い内容です。

7月のJJazz.Net「PICK UP」ではこの模様を少しご紹介。
そちらも是非お聴き下さい。


JJazz.Net「PICK UP」 (配信期間:2016年7月6日~2016年8月3日)
//www.jjazz.net/programs/pick-up/




【大塚広子(DJ)×高木洋司(COREPORT)対談】


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高木:大塚さん、まずは『JAZZ EXTRACT OF SARAVAH』の選曲、ありがとうございました。これ、すごく良いですよね。


大塚:ありがとうございます。よかったです。


高木:僕も今まで色々な方にサラヴァ音源をコンピ編集していただいて、それぞれが魅力あるものでしたが、今回独特なオリジナリティのあるカラーというものを感じることが出来ました。今年3月にサラヴァの1972年作『ミシェル・ロック/コーラス』をコアポートで世界初CD化する際、大塚さんにライナーを書いていただいたのがサラヴァに関する最初の接点でしたが、そもそも大塚さんご自身、このサラヴァというレーベルとはどういった出会いだったのでしょうか。


大塚:最初の出会いは、「サラヴァ・レーベル」というものを意識して"レーベル買い"をしていたというよりは、ひとつひとつ気になる個々のアルバムとの出会いが繋がってきたという感じです。例えばトリオ・カマラとか、バルネ・ウィランの『MOSHI』とかそのあたりのアルバムとの出会いが強烈でした。印象としてはちょっと妖しげな感じというか。それからどんどんコレクションが増えていく中で、やっぱりサラヴァって変なレーベルだな(笑)と。それを魅力に感じてしまったんですね。


高木:トリオ・カマラやバルネ・ウィランはどうやって知ったんですか。


大塚:トリオ・カマラは大学生ぐらいの時だったかな? いろいろなジャンルを聴いていた時期でしたが、実はジャズを買うというハードルは当時の私にとって高かったんです。だから"いわゆるジャズ"じゃないけど"少しジャズっぽい"ところが聴きやすかったんです。また、ブラジル音楽の要素もあるアルバムなので、異なるジャンルの端と端が繋がっているようなところが出会いやすかったんでしょうね。


高木:それはわりとサラヴァ・レーベルの本質のひとつかもしれませんね。


大塚:そうですね。私もどっぷりという程ジャズを聴いていた時期ではなかったので、こういった作品との出会いは貴重でした。


高木:今やどっぷりどころではないですからね(笑)


大塚:いえいえ、予期せぬ方向にという感じです(笑)


高木:『ミシェル・ロック/コーラス』で書いていただいたライナー原稿内容もそうでしたが、大塚さんのDJ活動やご自身が手掛けているレーベルのプロデュース活動とかから、非常に全方位的な動きを感じていました。全方位と言いつつそれは脈絡がしっかりあって、何かあるひとつのことにフォーカスしているような印象でした。そんな大塚さんがどういったサラヴァ観、ひいてはジャズ観があるのかにとても興味があったんですよ。このコンピはそれが出ていると思います。もともと大塚さんへの選曲オーダーはサラヴァ音源から感じるジャズのエキスのようなものをセレクトして下さい、というものでしたが選曲過程でレーベルの印象は変わってきましたか?


大塚:そうですね。個人的なコレクションですと好きなアーティストなどのピンポイントの聴き方メインでしたね。アート・アンサンブル・オブ・シカゴがプリジット・フォンテーヌとアルバムを作った頃の年代や、『ミシェル・ロック/コーラス』が作られた頃、そのあたりの1971年前後の前衛的な作品が続出していた時代の音が好みだったんです。それ以降、ちょうどLPからCDへ変わっていった頃の作品はなかなか耳にすることが無かったんです。ただ今回聴いてみると幅広いサウンドがあるのはもちろんですが、その中から人間的な部分というものを非常に強く感じました。喜怒哀楽を感じる音楽がたくさんあるなと。最初にもちろん「JAZZ」というコンセプトで選曲するつもりが、もっと人間味のあるテイストに魅かれてきたんです。「JAZZ」というキーワードはありつつ、それを演奏している人間が見えてくるような。そういったところを表現できれば良いなとシフトしていきました。


高木:なるほど。僕もフォーマットや演奏スタイルとしてのJAZZをセレクトしてほしいというよりも、大塚さんがどういったところにJAZZを感じるのかに興味があったので、そこはすごく出ていますよね。実際にDJでかける曲もあるんですか?


大塚:いえ、正直に言うとこの中では1曲ぐらいですね(笑)。今回収録曲以外で他にはナナ・ヴァスコンセロスの『ナナ=ネルソン・アンジェロ=ノヴェリ』とか、バルネ・ウィランとか自分でこのコンピからかけたい曲もありましたが、あえて外しました。今回初めて知った曲、私自身にとっても新たな発見、そんな曲を多く収録しました。


高木:そうだったんですか。それでは選曲スタートの際、ご自身の中でメインとなる曲は何でしたか? 選曲をお願いした当初は何か浮かびましたか?


大塚:いえ、初めはなかったです。自分の持っているサラヴァ・レーベルの好きな作品はありますが、一回まっさらにして、隅から隅まで聴いた上で取り掛かろうと思いました。


高木:ということは、選んでいくなかで、いくつかの方向が出たと思います。まずこれはJAZZだな、というものから、通常捉えられているJAZZではないもの、大枠この二つだと思いますが、選曲を終えてそれぞれを象徴する曲はどれでしょうか。


大塚:前者ではジョルジュ・アルバニタ、ミシェル・グレイエ、ルネ・ユルトルジェ、モーリス・ヴァンデによるアルバム『ピアノ・パズル』からの「Philly」です。後者だと今回たくさんあって選ぶのは難しいですが(笑)、フィリップ・マテ&ダニエル・ヴァランシアンの「Sanza sallée」ですかね。


高木:出た(笑)。非常に象徴的ですね。
このアルバム『ピアノ・パズル』、当時から有名なピアニスト4人が共演した内容です。オリジナルLPは4人の共演盤1枚と、それぞれの演奏盤が4枚からなる5枚組で変形ジャケというブツですが、大塚さんが選んだ「Philly」は4人の共演盤からで、なかなか凄いところを選びますね。


大塚:そうですか(笑)。このアルバムからは他にも入れたい曲があって迷いました。


高木:もう1曲のフィリップ・マテ&ダニエル・ヴァランシアン、これはよく入れましたね(笑)。サラヴァのコンピでこれを入れた方は初めてです。でも今聴くと「この曲やばいぞ」というほうがフィットしますし、そのあたりの選曲眼はさすがですね。


大塚:いえいえ、でもこれは凄いですよ!是非聴いていただきたいです。初CD化を願ってます!


高木:どうしよう(笑)。ちなみにこのコンピは全21曲ですが、これは3曲目に入っていますね。まず冒頭1曲目は典型的なJAZZですが、2曲目からはかなり様々なタイプのサウンド、これもJAZZ ?というナンバーが色々な方向から迫ってきます。それがいつの間にか中盤からこの12曲目「Philly」のようなサウンドに収斂していく。このあたりは凄いです。僕は個人的に前半部がかなり好きなんです。このストレンジな感じの3曲目からジャック・イジュランに続くという、これは一体どういう頭の構造なんだろうと(笑)。これはわりとスッと決まったんですか?


大塚:いえ、前半の作り方は最後まで迷ったんです。どんどん代案がでてきて、そこから絞る作業が大変でした。特に前半の多彩なヴァリエーションをどこまでまとめていくかを迷いました。ここの3曲目マテ&ヴァランシアンからの繋ぎは特に迷ったんです。


高木:ということは当初から、前半部のほうをいかにもJAZZ的にするという構想はなかったんですね。


大塚:いや......あったかな(笑)。まあ後半部のほうは、自分がいつもDJする時もそうですが、後半のほうの流れというものを最初に思いつくんです。その上で最初どこまでかき乱すかということは自分の選曲の中でのやりがいでもありますし(笑)。もちろんやり過ぎるのも注意しながらですが。そのあたりが今回は迷ったところですね。


高木:ここからさらに5曲目のマジュン。これはフレンチ・プログレ・バンドですが、そのバンドが昔からある「Le dénicheur」というミュゼットをやってます。そこからフラメンコに繋がったり、いろいろと展開しますが(笑)、逆にクッキリひとつのものが見えてくる感じが不思議とありますね。


大塚:私もこの前半部が、見知らぬ土地の場所で誰かわからないミュージシャンたちが、いろいろと演奏しているという想定で選びました。その選曲作業が結構楽しかったんですね。


高木:なんだか夏フェスみたいですね(笑)。色々なステージで色々なタイプの音楽があるという。


大塚:あー、そうかもしれません(笑)。


高木:後付けかもしれませんが、そういった「在り方」に大塚さんはJAZZを感じるんですかね。


大塚:そう言われてみると、そうかもしれないです。


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高木:あとは曲つなぎのテクニックもあるかもしれませんが、そういった夏フェス的な感じが混然一体となってだんだんとコンピが進んでいく。そうした中で「これを入れたのか!」と思ったのが9曲目のモーリス・ルメートルとアレスキのトラック、そしてこれがミシェル・ロックに繋がるというこのあたりは最高ですね。ルメートルはレトリスム運動を象徴する人で、まあ今聴くと歌い方はラップのようですが、これも日本初というか世界初CD化曲です。でも普通入れないですけど(笑)、すごくかっこいいですよね。


大塚:いや(笑)、これはもう絶対「何これ!」と聞かれることは間違いないですね。


高木:ブリジット・フォンテーヌのパートナーであるアレスキが、パーカッションを叩いていて、これがまた良いですよね。


大塚:邦題が「ダンスのためのレトリスト即興」ですが、まさに象徴していると思います。


高木:これなんかMIXしたくないですか?


大塚:したいです!これはJAZZファン以外の方や、コレクターやDJの方にもヒットする曲だと思いますよ。


高木:そのあとに10曲目でミシェル・ロックが続いて、このあたり大塚さんが腕まくりしている絵が浮かびます(笑)。ここまでの様々なタイプの曲を全て引き連れて、ミシェル・ロックが突き進むような。


大塚:はい、ここはかなり自分でもテンション高い感じで(笑)。


高木:ここから高カロリーが続きますね(笑)。でもさすが女性で高カロリーのままでは終わらせず(笑)、そこからの転換がまたいいですね。巧いですよ本当に。特にピエール・バルーの15曲目前後とか。このあたりは狙った感じですか?


大塚:はい、このあたり雰囲気作りというところでは狙いましたね。すごく気持ちが穏やかになるというか、解放されるような空気感があるトラックで、素晴らしいと思います。


高木:最後のほうはだんだんとフランス度が高まっていくように感じました。ピエール・バルーによるコラージュともいえる15曲目。そこからピエールとダニエル・ミルのデュオ。これはバッハの曲にピエールがフランス語歌詞をアダプトしているんですが、ここはたまらないです。さっきまでものすごく盛り上がっていたのが、気が付くと落ち着いた流れになっています。


大塚:私もこのあたりで何度か目頭が熱くなりましたよ(笑)。入りすぎちゃって。ダニエル・ミルは他にもいろいろ良い曲があってかなり迷いました。


高木:このコンピを発売する2ケ月前ですが、Bar Musicの中村智昭さんにもサラヴァの音源をまとめていただいたんですが(『Bar Music×SARAVAH -Precious Time for 22:00 Later 』)、確か中村さんもダニエル・ミルは好きだと言ってました。DJの方に何か共通するものがあるのかな? その中村さんも選んでいた次のル・コック、さらにポエトリー・リーディングのジェラール・アンサロニへ。ピエールとダニエル・ミルのデュオが静謐な感じなので、ここで終わりそうなところから行き着いた展開ですが、ここは流れですか?


大塚:そうです。最後の方をどう終わらせるか。これは出来るだけハッピーに終わらせるというか、しんみりと終わらせないというのが私のタイプなんです。一回落ち着くけど、でも最後は「次につなげていきたい」というような雰囲気を持った曲を選んでいます。


高木:主だった曲について話し合ってきましたが、この全21曲全体については、やはり当初から決めていたというよりも、むしろLIVEのような感じで決まっていったようですね。


大塚:はい、やはり先ほど話しましたが「人間性」というところをうまく浮き彫りにしたいと。色々なタイプの人間がいて、それぞれの人間が出す音楽、それぞれが考えるJAZZのような、そんな選曲になりましたね。あとはそれをどのような物語にしていくかというところで決まっていきました。


高木:確かにどこか温かみのある1枚ですね。そこには大塚さんのパーソナリティーも出ていると思いますが、確かに音の背後から何か伝わってくるようで、サラヴァのレーベル・カラーとも見事に一致していると思います。


高木:そのサラヴァですが、今年はレーベル設立50周年で、予定も盛りだくさんなんです。9月には現地フランスの新録コンピが出ます。これはサラヴァの代表曲を1曲ずつ、複数のアーティストがカヴァーしていく企画です。10月には渋谷O-Eastでレーベル設立50周年コンサートが行われます。ピエール・バルーはもちろん来ますし、その他日本人アーティストも多数参加予定です。そんな長い歴史を持つレーベルの概略を、あるひとつの方向からしっかりと提示していただいて感謝です。僕も新たにこのレーベルの魅力が発見できました。そして大塚さんの個性というものもです。この二つを同時に聴ける楽しさがあると思います。ありがとうございました。最後にこのコンピCD、選曲を終えてどのような感想を持たれましたか?


大塚:サラヴァ・レーベルは、いろいろなジャンルの要素が発見できる素晴らしいレーベルでした。ぜひこのコンピレーションCDを聴きながら、好みの音を発見していただける機会になれば良いなと思っています。


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『JAZZ EXTRACT of SARAVAH SELECTED BY HIROKO OTSUKA』

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Title : 『JAZZ EXTRACT of SARAVAH SELECTED BY HIROKO OTSUKA』
Artist : V.A.
LABEL : コアポート
NO : RPOZ10024
RELEASE : 2016.6.22

アマゾン詳細ページへ


【SONG LIST】
01. ラ・パルク/トリオ・ミシェル・ロック
02. むこう岸/ピエール・バルー
03. サンザ・サレ/フィリップ・マテ&ダニエル・ヴァランシアン
04. ほらって言ったよね、ほら/ジャック・イジュラン
05. ル・デニシュール/マジュン
06. ブレリアス・エルマノス/アルマディージョ
07. お前の船は出ていった/ミシェル・ビュラー
08. 俺の勝手だろ/チック・ストリートマン
09. ダンスのためのレトリスト即興/モーリス・ルメートル&アレスキ
10. ムッシュー・チンパンジー/ミシェル・ロック
11. レ・ロジュ・デュ・T.P.F./トリオ・ミシェル・ロック
12. フィリー/ジョルジュ・アルバニタ、ミシェル・グレイエ、ルネ・ユルトルジェ、モーリス・ヴァンデ
13. バイ・バイ・ベルヴィル/カルテット・エラン
14. グアンタナメラ/レオ・ブローウェル
15. 宴の終わり/ピエール・バルー
16. アコーディオン/ダニエル・ミル & ピエール・バルー
17. バッサンの馬鹿ども/ダニエル・ミル
18. マリア・カンディダ/マス・トリオ
19. 自分でイライラしている/ル・コック
20. 精神的な面接/ジェラール・アンサロニ
21. ビフ/アレスキ

世界初CD化 M-3, 7, 9
日本初CD化 M-1, 5, 13, 19, 20


サラヴァの膨大なカタログの中から、ジャズ的感性溢れるスピリットやエキス(JAZZ EXTRACT)が感じられる音源をDJ大塚広子がセレクト。サラヴァ特有のディープネスとモダンな感覚を手作りコラージュのようにシャッフルし、新しいサラヴァ・ジャズ観を提示した必聴コンピ。世界初CD化3曲、日本初CD化5曲収録。




■サラヴァ・レーベルCD INFORMATION
http://www.coreport.jp/saravah/index.html

NOW ON SALE
『ピエール・バルー&フランシス・レイ/VIVRE』 RPOP-10017
『ピエール・バルー&/サ・ヴァ、サ・ヴィアン』 RPOP-10018
『ブリジット・フォンテーヌ/ラジオのように』 RPOP-10013
『ナナ・ヴァスコンセロス/ナナ=ネルソン・アンジェロ=ノヴェリ / アフリカデウス』 RPOP-10014
『ミシェル・ロック/コーラス』 RPOZ-10022

COMPILATION CD
『サラヴァ・ジャズ』 RPOZ-10019/20
『パリ18区、サラヴァの女たち』 RPOP-10012
『Bar Music×SARAVAH -Precious Time for 22:00 Later 』 RPOP-10015
『JAZZ EXTRACT OF SARAVAH SELECTED BY HIROKO OTSUKA 』 RPOZ-10024

COMING SOON
『ピエール・バルーwith清水靖晃&ムーンライダーズ/カルダン劇場ライヴ1983』 RPOP-10019 (2016.7.27 ON SALE)
※ピエール・バルーが名作『ル・ポレン』でコラボレイトした清水靖晃、ムーンライダーズをパリのカルダン劇場に迎えて行われた貴重なライヴ・アルバム。

『サラヴァの50年』 RPOP-10020 (2016.9.28 ON SALE)
※サラヴァ・レーベル50周年記念作は、サラヴァの名曲を現代のフランス&日本人アーティストたちが新録カヴァーした超話題作。




■映画「男と女」製作50周年記念デジタル・リマスター版

10月YEBISU GARDEN CINEMA他全国で順次公開(配給:ドマ、ハピネット)
(同時「ランデブー」デジタル・リマスター版)
otokotoonna2016.com






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大塚広子 (DJ/音楽ライター/プロデューサー)

2004年以降、ワン&オンリーな"JAZZのグルーヴ"を起こすDJとして年間160回以上のDJ経験を積んできた。徹底したアナログ・レコードの音源追求から生まれる説得力、繊細かつ大胆なプレイで多くの音楽好きを唸らせている。渋谷の老舗クラブTheRoomにて14年目に突入した人気イベント「CHAMP」など日本中のパーティーに出演。また老舗ライヴハウス新宿PIT INNのDJ導入を提案するなど、音楽評論家やミュージシャンを巻き込んだライブハウスやジャズ喫茶でのイベント・プロデュースを手がける。ジャズ・レーベルのオフィシャルMIX CD/コンパイル(「TRIO」(ART UNION)、「somethin'else」(EMI MusicJapan)、「DIW」(DISK UNION)、「VENUS」(Venus Record)、american clave (East Works Entertainment inc))を手がけ、2014年より、新世代ミュージシャンを取り上げる自身のレーベル、Key of Life+を主催、プロデューサーとしても活動。スペイン、ニューヨークでのDJ招聘、「FUJI ROCK FESTIVAL」2度の出場、菊地成孔との共演及びTBSラジオ出演、BLUE NOTE TOKYOにて日野皓正らとの共演。総動員数3万人に及ぶアジア最大級のジャズ・フェスティバル「東京ジャズ2012」にDJとして初の出演。メディアでのレビュー執筆の他、オーディオ評論、ディスク・ガイドブックやCDライナー執筆など音楽ライターしても活躍中。

大塚広子 Official Site

CRCK/LCKSインタビュー:インタビュー / INTERVIEW





CRCK/LCKSインタビュー


ポップスシーンに突如現れた異能の集団"CRCK/LCKS"(クラックラックス)。結成から1年も経たずにその噂は拡散し、今年4月にはついにアルバムをリリースした。それぞれのルーツミュージックが濃厚に詰め込まれたハイブリッドなサウンドは、明らかにポップの様式美からはハミ出ているが、彼らはそれをとてもナチュラルに鳴らす。そんな彼らの音楽性は、彼らがみな何処か一側面ではジャズ・ミュージシャンであることと切り離せない。

今回は小西遼(Sax, Vocoder, etc,)、小田朋美(Vo, Key)、角田隆太(B)、井上銘(Gt)、石若駿(Ds)というメンバー全員と本作のプロデューサーである阿部氏を迎えて、それぞれのルーツやレコーディングについて、そして彼らが肌で感じるシーンの現状について話を聞いた。

インタビュアー:花木洸 HANAKI hikaru(音楽ライター)






ライブをするまでは誰も長続きすると思ってなくて。


――まずはメンバーそれぞれの経歴について聞きたいな。まず角田くんからお願いします。

[角田]
「僕は高校の時にバンドをやりはじめて、渋谷界隈でライブをやっていたんです。その後に明治大学でビッグバンドをやりはじめてそこからジャズに入っていきました。ジャズと今までやっていた音楽とのハイブリッドなものをやりたいな、と思って ものんくる をやり始めたのが大学を卒業してから。で、そこから5年間ぐらいやって、今はこのバンドもやっています。」


――最初は普通にロックバンドをやっていたんですか?

[角田]
「ロックバンドでしたね。それもメロコア(メロディック・ハードコア)。もう無くなっちゃったんだけど渋谷のGIG-ANTICっていうメロコア界の新宿ピットインみたいなところでよくやっていました。今はいわゆるジャズはほとんどやっていなくて、サポート的に色んな所で弾いていますね。」


――なるほど。じゃあ、銘くん。

[井上]
「俺は15歳でギターをはじめて、18歳でOMA(鈴木勲)さんのバンドに入って、気付いたらこの世界から出れなくなった、みたいな(笑)それだけ。"That's It!"ですね。」

[小西]
「ジャズ以外でプロになろうとかも思ってたの?」

[井上]
「全然全然。ジャズしかやる気なかった。これって決めたら一個のことしかできないタイプなんですよね。」


――「ジャズだ!」って決めたきっかけは何だったんですか?

[井上]
「最初は単純にギターが好きで。クリームとかジミ・ヘンドリックスとかレッド・ツェッペリンとかが好きだったんだけど、ある時親父にマイク・スターンのライブに連れて行ってもらって。それがロック少年にも響く音楽だったから「これもジャズっていうんだ」ってなったのがきっかけだね。」


――なるほどね。じゃあ石若くん。

[石若]
「僕は小学校4年生の時に札幌のビッグバンドに入って、中学2年までそれをやっていて。高校から東京出てきてようやくジャズのイロハがわかり、、、今に至る(笑)」

[小西]
「札幌に居た時は誰かと共演したりしてたの?」

[石若]
「大体今お世話になってる人たちは札幌で出会ってそれからの付き合いだから。「東京に出たい!」ってなったのもその人達に会ったからなんだよね。」

[一同]
「へぇー!」

[小西]
「札幌ではセッションとかしてたの?」

[石若]
「全くしてない。ジャムセッションとかスタンダードとかそういう概念に出会ったのは東京来てからなんだよね。それまではただのドラム小僧でしたね。」


――じゃあ次はリーダーの小西さん。

[小西]
「小学生からピアノを始めたのが一番最初の音楽との出会いかな。きっかけは小学校の発表会でアコーディオンを譜面と鍵盤見てって頑張ってたら、友達が鍵盤見ないでスラスラ弾いてて「かっこいい!」と思って。でもピアノは3年くらいで先生と喧嘩して辞めた(笑)。クラシックの超厳しい先生で。しっかり練習して暗譜して来ないと怒られた。でもその代わりに3年でショパンをガンガン弾けるようになった。」

[小田]
「それはすごいね!」

[小西]
「それ以来ピアノは人に一切習ってない。サックスを始めたのは小学校の時に体育館に隣のクラスの担当の旦那さん、なんと平原まことさんが演奏会を開いてくれた。それを見て「サックスいいじゃん!」ってなって中学校の吹奏楽部でサックスを始めたんだ。親父からはずっと「コルトレーン聴け」とか「キャノンボール聴け」とか言われてたんだけど天邪鬼だったからジャズを毛嫌いしてた。でもルパン三世の吹奏楽バージョンみたいなのを吹奏楽部でやって「カッコいい!」ってなって。で、アニメオタクだったから『カウボーイ・ビバップ』とかからジャズに興味を持っていきました。」


――菅野よう子だ。

[小西]
「そう。菅野よう子ぐらいから入っていって、中3の時にはコルトレーンとか聴き始めてたかな。で、高校入ってからは池袋のマイルス・カフェ(現:SOMETHIN' JAZZ)のセッションに行き始めて、それからは都内でジャムセッションをしたりレストランの仕事とかをぼちぼちやり始めたんだよね。で、洗足学園音楽大学に行って、バークリーに行った。大学の時に藤原清登さんにお世話になった。バンドに入ってアルバムにも参加させて頂いて(『JUMP MONK』)。大学三年の時に明治大学のビッグバンドに一緒にいて、そこで角田と一緒だったんだよね。その前にセッションで出会ってたんだけど。」

[角田]
「高田馬場のコットンクラブね。あの日しか行ったこと無いけど(笑)その日は当時習ってた安ヵ川大樹さんがホストだったからね。」

[井上]
「え、そうなの?」

[小西]
「その繋がりも明治大学のビッグバンドだよね。その後は初期のものんくるに参加してからバークリーに行って、、、その前後でテンテンカルテットってバンドでサッポロ・シティ・ジャズのコンテストの第一回で優勝したり色々してた。 それは柵木雄斗(ds)、吹谷禎一郎(b)に白井アキト(p)って今はもうフュージョンの人になった人で組んでて。」

[石若]
「えーテンテンカルテットだったんだ!俺、あの時会場で見てたよ。応援してました(笑)優勝したならカナダも行ったんでしょ?」

[小西]
「行った行った。トロント・ジャズ・フェスティバル出た。それが大学一年だから18とか19歳の時。で、バークリーでラージアンサンブルを始めて。作曲とか編曲が好きになったのもビッグバンドに居たからだと思うな。銘とはバークリーで一緒だったから当時から知っていたし、角田はメンバーだったし、今回プロデューサーをやってくれた阿部さんもよくラージアンサンブルを見に来てくれていて、そこに朋美も来てくれてって感じで全員飲み友達になったって感じです。」


――じゃあ今やってるのはこのバンドとラージアンサンブル?

[小西]
「そうですね。あと6月に挟間美帆と一緒にユニットを組んでライブをします。第一回はビッグバンドで。挟間さんも結局飲み仲間なんだよね。ニューヨークに居た時に仲良くなって。」


――なるほどね。じゃあ最後に小田さん。

[小田]
「私は母親がピアノの先生だったので小さい頃からピアノをやっていました。母親はクラシックの先生なんだけど、すごくジャズが好きで。母親は割りと厳しい先生だったんだけど、私は練習が嫌いで。勝手に譜面と違うことを弾いたりしてよく怒られてましたね。それで「だったら自分で曲を書いた方がいいな」と思って小さい時から作曲をしていました。歌うのが好きだったんだけど小さい頃は本当に音痴で(笑)」

[井上]
「えー?!」

[小田]
「歌に向いてると思えなかったから、作曲を勉強しようと思って高校から国立音大の附属に行って。あ、その作曲科の同級生には挟間美帆がいたんですよ。」


――へぇー。

[小田]
「で、大学も作曲に行ったんですけど、大学の作曲科の人たちって楽譜が大好きなんですよね。でも、私はそんなに楽譜だけに入れ込めないなと思って。楽譜に託せるものと託せないものがあって、楽譜に託せないものの方に興味があるし、何よりやっぱり歌いたいなと思ったので大学にいる時にライブハウスとかで歌うようになって。その時に阿部さんが聴きに来てくれて。」


――うわぁ、暗躍してますね(笑)

[阿部]
「暗躍してるよ(笑)これは本当に無名の頃で、知り合いに「小田朋美って子がいて可愛いし才能があるし最高なんだよ!」って話を聴いてね。調べたらライブをやってたから観に行って。」

[小西]
「それすごい(笑)」

[阿部]
「それでライブが凄かったから「アルバム出そうよ!」って声かけて一年くらい企画を通すべくいろいろ動いてやっと『シャーマン狩り』が出来てね。」

[小田]
「自分ではアコースティックな編成でライブをやっていて、作曲するときも弦楽器とかを好んでつかっていたんだけど、所謂バンドとかは全然やったことがなくて。今回も阿部さんがきっかけを作ってくれて、ずっと憧れていた「バンド」が出来てすごく嬉しいです。」


――バンド結成の話を教えてください。

[小西]
「それが本当に無いんですよ。飲んでて決まった、っていうだけ(笑)」

[阿部]
「まあそうですね。去年の6月にあって菊地成孔さんのイベントに向けてバンドをブッキングしていた時に、ちょうど小西と小田と飲むなと思って。小西くんが帰国してラージアンサンブルのライブが終わって落ち着いたタイミングだったんだよね。小田と小西が決まって、まず角田くんにファーストコールしたんだよね。で、小西が銘くんに連絡して、俺が駿に連絡してって。」


――じゃあ結成しようってなって、とりあえずスタジオに入って、みたいな?

[小田]
「結成っていうかイベントに向けたリハーサルだったね。」

[小西]
「"よし!これで結成!"っていう瞬間は無いんですよ。なんとなくイベントに出ることが決まって、バンド名をつけたってだけであって。ライブをするまでは誰も長続きすると思ってなかった。一回目のライブがすごい良かったから、アルバムを作ろうってなったけど最初はあんまりバンド感は無くて。」

[角田]
「半年ごとにライブするくらいのペースかなって気持ちだったよね。」

[井上]
「だから全然入ったつもり無かったもん(笑)やっと「バンドだな」と思ったのはレコーディングをした1月くらい。あれで一丸となれた気がする。最初は普通のセッションライブ感覚で行っていて、気付いたら小西くんがFacebookで「CRCK/LCKS始動します!」みたいな事を書いてて俺はそこでバンド名知ったからね(笑)」

[一同]
(笑)

[小西]
「すいません(笑)でもそれくらい誰も執着してなかったんだよね。歌ものをやるっていう事はみんなに電話をかけた時点で決まってたけど。ジャズの面子でジャズじゃないものをやるっていうコンセプトは頭の中にずっとあったね。」


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一番最初にみんなで音を出して感じたのはブラック・ミュージック的な要素だった


――この5人で集まった時に、音楽的な共通項って何だったんですか?

[小西]
「ポップスを好きっていうのは共通項だったね。」

[石若]
「俺が一番最初にみんなで音を出して感じたのはブラック・ミュージック的な要素だったな。」

[小西]
「俺は駿が入るって決まった時点で一曲ゴリゴリのブラック・ミュージックっぽいのを作ろうと思って。それで作ったのが「いらない」。最初はそっちの雰囲気のほうが強かったよね。」

[石若]
「そうそう。でも段々みんなの好きな感じが分かってきてポップになっていった。」


――今回のアルバムは曲をみんなで持ち寄ったってことなんだけど、スタジオでの曲作りはどういう風にして進んでいったんですか?

[小西]
「今回のアルバムに入っている曲は、基本的にはガッツリ決めてスタジオに持って来てますね。というのも、一番最初のイベントの時点で、リハが2,3回しかなくて70分のステージをやらなきゃいけなかったから「ジャムって曲を作っている時間は無いな」ってみんな分かっていたから。譜面を書いたりデモを送り合ったりして作っていきました。今でもだけど、作曲者がイニシアチブをとって曲を作ってますね。一回ベーシックを作って、その中で音色とかアレンジの話をリハーサルで詰めていくという流れです。今回一番リハーサルで変わったのは俺の曲で「いらない」と「坂道と電線」かな。テンポも全然変わったし。」


――なるほどね。僕は音源を聴いてセッションぽくやってるのかな?って思ったんです。とくにドラムとかベースの、良い意味でラフな感じ。

[石若]
「それは俺のせいかも(笑)」

[一同]
(笑)

[小西]
「細かいところを決めるというよりも、フィールを決めたんだよね。」

[石若]
「そう。テイクによって全然違ったんだよね。」

[角田]
「それで成立するのがすごいんだよ。そこを決めちゃうと、駿じゃなくても良くなるというか。」

[小西]
「ベーシックだけ作曲者がガツッと作ってるけど、そこからジャムが始まるみたいな。」

[石若]
「沢山アイディアが出てきて、ボツになるアイディアも沢山あるしね。フィール一つにしてもパターンが沢山あって、それが個々の楽器であるから。で、ライブの為のアレンジとレコーディングでもまた全然違って。アイディアが出すぎて(笑)」


――レコーディングされたものはソロがコンパクトになったり色々ライブとは変わっていたよね。

[小西]
「それはメンバーみんなの中でアルバムを一つの作品として聴かせたいっていうのを考えていたから。俺達の中でもライブする時にアルバムに囚われたくないっていうのはあるんです。メンバーで「ライブはライブで有機的なものにしたい」って話をしていて。今回のアルバムはミックスに時間を掛けたから、俺とかはレコーディングが終わってすぐのリハでレコーディングをめちゃくちゃ追ってしまっていて「カラオケみたいな雰囲気になってる」って言われたりとか。」


――レコーディングはどれくらい時間かけたんですか?

[小西]
「録音が2日でミックスが3日ですね。」


――6曲で録音2日?!かなり素早くやらないとですね。

[小西]
「今回は結構みんな一緒に録ったよね。あとから鍵盤とかは重ねたりはしたけど、リズムはほぼ一緒。」

[小田]
「私の鍵盤も一緒に録ってたよね。」


――へぇー。

[小西]
「だからそこまでにアレンジとかをキッチリ詰めて。ドラム、ベース、ギター、鍵盤、、、「スカル」はサックスも一緒に録ったね。スタジオの部屋の使い方は角田とか銘が慣れてたから「ここにアンプを置こう」とか部屋割りとか色々考えてくれて。」

[井上]
「いい感じにコンパクトなスタジオだったからね。良い意味で豪華すぎないというか。そういうほうが一発録りはしやすいんですよね。」

[小西]
「「スカル」だけサックスの僕が別のブースでみんなが見えないところで音だけ聴いて演奏するっていう録り方だったけど、それ以外はみんな目が合うところに全員いたから。」

[小田]
「歌もほとんど一緒に入れて。でも結局、後日歌とサックスの録り直しを色々したりして。だから録音が全部で3日。」


――今回はミックスもこだわっていたみたいだけど、ミックスする時にどんな音像を目指してたとかあります?

[小西]
「曲ごとにイメージはあったけど、具体的な音像っていうのは無かったかな。あとは僕の中の流行りかな(笑)」

[角田]
「バンドとしては無かったよね。でも小西がリーダーシップをとってくれて「こういう音像にしよう」ってディレクションしてくれた。」


――「いらない」でパーカッションが重なったりしてるのも....。

[小西]
「あれはかなり偶発的なものだったんです。ASA-CHANGがいきなり焼き芋を持ってスタジオに来て(笑)」

[小田]
「だから当日まではあそこまで重ねる予定は無かったんだよね。」

[小西]
「トライアングルを重ねたいとかは思っていて、みんな小物の打楽器をそれぞれ持って来てたんだけど、やってみたら結構色々なアイディアがその日に出てきて。」


――「クラックラックスのテーマ」では電子レンジまで入ってましたもんね。

[石若]
「最初はタイプライターを入れて、ガシャ、ガシャガシャって始まったらいいな思ったんだけど。」

[小西]
「でも良いサンプルが無くて、レコーディングスタジオにあったレンジがめっちゃ良い音してたからそれを使った(笑)」

[角田]
「あれ良かったよね。」


【CRCK/LCKS 1st EP予告編】



[小西]
「アルバムを作る時に銘が言ってたのは、「ラジオとかで掛ける事も考えたら、頭から始まる曲も作ったほうが良いよ」って話をしたんだよね。それもあって銘の曲(「簡単な気持ち」)はど頭から歌が入っていて。」

[井上]
「俺は割りとバッと始まるのが好きだから。」

[小西]
「それぞれが良いところでアイディアをくれたんだよね。躊躇せずに意見を言ってくれる。特に銘は曲が出来上がるところまで待ってくれて、最後に「ここはこうしよう」みたいなのをいいタイミングで言ってくれる。今回は曲が並んだ時に「曲調が似通ってるのが多いから違うテイストの曲も作ったほうがいい」とか、曲の頭の事もそうだし。一歩引いて客観的に見てくれてる。バンドの雰囲気に良い意味で飲まれないで、「いや、もっと良くなるでしょ」って提案してくれてたね。」

[井上]
「面白いですよね。クラックラックスはアイディアマンが多いんだけど、僕自身はまた違ったタイプの人間だと思っていて。だから多分そうやって違う視点で聴こえたり見えるものが結構あるんだと思う。」

[小西]
「クラックラックスはみんなどこか冷静というか、冷めてる部分があるんだよね。それが上手く作用してる。」


――僕はレコーディング前とレコーディング後両方ライブを観てるんだけど、やっぱり後のほうが面白かったんだよね。

[一同]
「へぇー!」


――え、本人たちはあんまり実感無いですか?(笑)

[井上]
「いや、個人的な感覚では1月と3月の自分の状態は違っていて。一回レコーディングをして、2ヶ月経って。ミックスでめちゃくちゃ聴くから、大体僕は自分の音源を聴かなくなるんですよ(笑)聴かなくなって、ライブがあるぞってなると練習する為に聴くんだけど、そうするとまた違った景色からその曲が聴こえるから。それが一周二周って回って、三周くらいしたところでライブを迎えられると体に入っているパーセンテージが違うというか。」


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ソロが長くなってもそれは曲に必要な要素なだけであって、僕達がジャズ・ミュージシャンだからってわけではない。


――クラックラックスとしての「ポップの条件」って何かあります?このバンドは普段ジャズを演奏しているメンバーが所謂バンドのサウンドを作ってるわけじゃないですか。その中で何か意識の違いだとか。

[井上]
「クラックスラックスに関してはジャズとかポップスとか対比するレベルではなく、完全にポップスだと思ってるな。」

[小西]
「そうだね。俺たち的には完全にそういうスタンスでやっている。聞く人によってはジャズテイストってなるかもしれないけど。」

[井上]
「要素としては聞こえるかもしれないけどね。」

[小西]
「作り方としてはジャズの意識はほとんどないね。特に朋美はメンバーの中でもジャズのイディオムを知らない人だから。それも良いバランスというか。ボーカル以外の4人はボーカルに歌ってもらっているというか、歌を支えているっていうスタンスだから。ソロをとりたいとかハプニングする要素を用意したいっていうんじゃない。一番届けたいのは歌だから。歌をメインにして作って、その中で必要だったらソロを入れて。楽器のソロっていうのは所謂ポップスでもよくあるじゃないですか?ギターのソロとかサックスのソロとか。ソロが長くなってもそれは曲に必要な要素なだけであって、僕達がジャズ・ミュージシャンだからってわけではないんです。」

[角田]
「ジャズっぽくないものだから「ポップス」っていう風には言いたくないな。特にジャズの人は、いわゆる「ジャズ」っていうものから離れるほど「ポップスだ」みたいな言い方をしがちだけど。ポップスと一言で言っても広いし、その大きな流れのなかでどういう風に定義するかって事がすごい大事で。ジャズじゃないからポップス、っていう風にはなりたくないと思うし。今はそういう中で個人個人でやっているようなバンドだったりとか企画っていうのがいい感じにまとまってきているような気がしていて。世代的にというか。」

[井上]
「たぶん誰も「ポップスだ」とか「ジャズだ」っていう風に思って演奏してない。曲に対してアプローチしているのが、結果としてどういう風にカテゴライズされるか分からないけれど、みんなが曲に対してそれぞれ自然な形でアプローチしているって感じ。」


――じゃあ意識的にはジャズをやる時と一緒って感じですか?

[石若]
「スタンス的には変わってない気がするね。」

[井上]
「まぁストラト持ったら気分変わるけどね(笑)」

[石若]
「それは俺もバスドラが大きくなったら気分変わる(笑)」

[小西]
「俺は一切変わって無いかな。ジャズの作編曲してる時と、クラクラのスタジオに入った時と。対する意識としてはその時の音楽を良くするってことしか考えてないから。」

[小田]
「私はちょっと変わるかも。バンドの名義になることによってね。音楽よりも歌詞が変わるな。私は自分の名前を出して歌詞を書くっていうことが苦手で。ただ小田朋美っていう名前から逃れてクラックラックスっていう主体が出来た時にそこで書けるものっていうのは意識が違うかもなとは思う。」


――その作詞に関してもうちょっとききたいんだけど、「スカル」だけ園子温さんの詩なんですよね。違う人が書いた詞を持ってくる感じは、僕としてはクラシックっぽい発想だなって思ったんです。違うモチーフを持って来てその上で創作をするっていう。

[角田]
「確かにそうだよね。」

[小田]
「私は詩というものにずっと憧れていて、すごく可能性を感じているんです。だから詩に連れて行って貰いたいという気持ちがどこかにあって。純粋に音楽の為に書かれた歌詞ってだいたい音数や語数が歌いやすい範囲内に収まっているし、形式も一番、二番がだいたい揃っていて、サビも分かりやすくなっているじゃないですか。そういうのは音楽を付けやすいんだけど、読むものとして書かれた詩ってフォーマットがすごく自由なんですよね。そういう自由な詩には音楽を付けにくいし、形式的にも聴きやすい型にはハマらなかったりするんだけど、それがすごく面白いと思っていて。その詩特有の展開や改行の位置、段の分け方など色んな要素がそのまま音楽に変換された時に、音楽からの発想だけでは生まれないフォーマットが生まれると思っていて。だから人の書いた詩に音楽をつけるってことは元々すごく好きですね。」


――ライブではマザーグースの詩(Little Bo Peep)の寺山修司訳に音楽をつけたりもしていましたよね。

[小西]
「それは俺の持って来た曲だね。俺は自分のバンドでも詩をつけるって事はしているし、詩とか読み物は昔から好きなんです。人の詩に曲をつけるって経験としては多くないんだけど、このバンドを組み始めた頃に寺山修司の詩をよく読んでいて、雰囲気がいいなぁと思って。それとマザーグースの世界観がすごい好きだったんですよ。実は他にも寺山の詩に音楽をつけた曲を作っています。マザーグースはもっと定型詩って感じで、Little Bo Peepも元々童謡みたいに作られているものだから曲は付けやすかったですね。」


【そして彼女達は前を向く - 象眠舎 (旧:小西遼ラージアンサンブル)】 





シーンが変わったというか、角田がシーンを作った


――角田さんは、ものんくるでも詞を書いているんですよね。

[角田]
「そうです。ほとんど俺が書いてるね。」

[小西]
「角田の作詞は本当に天才的。」

[井上]
「日本のジャズシーンでも一番早くからそういう事やってたよね。」

[小西]
「ものんくるになる前に、角田隆太カルテットみたいな感じでボーカルの吉田沙良が入ってっていうのを見て「すげぇ!」って思っていて。その後ものんくるが出来て、俺もメンバーとして中にいたんだけど、当時はどちらかというと曲の方に意識がいっていたんです。でもその後ものんくるとして活動して色んな曲が出来てきた時に、すごい歌詞がまぁ出てくる出てくる(笑)それがすごい好きになって、俺がアメリカに行った頃にはただのファンみたいになってたね。」

[角田]
「あの時にそういう事やってる人は居なかったから、あれ成功しなかったら相当痛い人としてカテゴライズされてただろうなって気はするよ(笑)」

[井上]
「俺から見るとここ2、3年くらいで、角田くんを取り巻く環境というか理解してくれる人がすごい増えたなと思っていて。」

[角田]
「増えたね。ありがたいことに。」


――ジャズのシーンにいてもやっぱり変化があったんですか?

[小西]
「シーンが変わったというか、角田がシーンを作ったからね。」

[角田]
「おっ!すごい話になってきたね(笑) 」

[井上]
「最初にやるっていうことが一番難しいからね。後に続くことは簡単かもしれないけど。」

[小西]
「明らかに切り込み隊長だったから。でも角田的には結構自然なものだったよね。」

[角田]
「そうだね。やっぱりバンドやってたからね。」

[石若]
「今、ジャズ・ミュージシャンが歌の入った「バンド」をやるって事がすごい増えてるような気がするな。」

[小西]
「増えてるよね。それは世代的なものが絶対ある。角田がその先駆けで。俺がまだアメリカに住んでた頃にものんくるのツアーで一時帰国した時、角田と「日本面白くなりそうだよね」みたいな話をしたんだよね。ポテンシャルとしてはまわりにそんなのはゴロゴロしてるって。その頃確かに俺の中にもあったし、みんなの中にあったと思うんだけど、「ジャズ・ミュージシャンでもポップスをやりたい」っていう気持ちが。エスペランサ・スポルディングとかロバート・グラスパーとか形は違うけど、ああいう人たちも自分達が聴いてきたポップネスが色濃く出ている音楽、ポップって言っていいのか分からないけれど、歌に関する物をやりたいっていうところから発生している音楽がかなり増えていた。アラン・ハンプトンとか、グレッチェン・パーラトとかベッカ・スティーブンスとか。カテゴライズとしてはジャズの方面だけど、聴く人が聴いたらハイブリッドな歌ものっていう。それはアメリカにいる間もすごく感じていたし。」

[小田]
「ベッカもジャズなんだ?」

[小西]
「まぁジャズだよね。」

[石若]
「最初は超ジャズシンガーだったよね。」

[小西]
「プロデュースとかまわりにいるミュージシャンがジャズで、レコーディングもジャズっぽい雰囲気になっていって、っていう文脈としてジャズの方になってるよね。彼女自身もニュースクール出身だし。でも、今の朋美の発言が代表するように「あれジャズなの?」ってなる人がいてもおかしくない。」


――クラックラックスも「ハイブリッドな歌もの」としても聞けそうですよね。

[小西]
「それは是非お客さんに訊いてみて欲しいな。」

[井上]
「クラックラックスは、それぞれが曲を書いてきてみんなで演奏しますが、自分達の音楽がどのジャンルに当てはまるのかは誰も意識していないと思います。なので、ハイブリッドな歌モノという言葉も、それは聴いてくれた人達がどう感じるか判断するものだと思います。 」

[小西]
「昔の人たちがジャズとかフュージョンとかしっかりカテゴライズされていたのは多分時代の流れがあって。有名な話だけど、チャーリー・パーカーだって現代音楽の勉強をすごいしてたけど、最後までビ・バップのプレイヤーだった。早くに死んじゃったけど、表現する可能性が広かったらパーカーは絶対ジャズじゃない作曲もやっていたと思うし。そうやって間口が広がっていった結果、俺たちはもうジャズっていうフォーマットでやらなくて良いし。もう全部あるから。聴いてきた音楽の中にそれが散らばっていて。」

[角田]
「今はもうパンクの代名詞になってるイギー・ポップがニューヨークに出始めた頃にライブを観に行った人に聞いたんだけど、「誰もその場でパンクっていう言葉を使っていた記憶が無い」って言ってた。パンクっていうのは後から付けられた名称なんだよねって話をしていて。僕達が今やってる音楽にも後々何か名前が付いたらいいよね。」


【「Goodbye Girl」PV CRCK/LCKS】





CRCK/LCKS 1st EP「CRCK/LCKS」Release Live

【東京】
出演:CRCK/LCKS
GUEST ACT : WONK
日時:2016年6月16日(木) 開場19:00 開演19:30
会場:月見ル君想フ(青山)
料金:予約2,500円/当日3,000円(いずれも+1ドリンク500円)
ご予約・お問い合わせ:http://www.moonromantic.com/?p=30067


【名古屋】
出演:CRCK/LCKS、THE PYRAMID
日時:2016年6月20日(月) 開場18:00 開演19:00
会場:TOKUZO(名古屋・今池)
料金:予約2,500円/当日3,000円(いずれも+1ドリンク)
ご予約・お問い合わせ:http://www.tokuzo.com/schedule/2016/06/620crcklcksthe-pyramid.php


【大阪】
出演:CRCK/LCKS andmore!!!
日時:2016年6月21日(火) 開場18:00 開演18:30
会場:LIVE SQUARE 2nd line(大阪)
料金:予約2,300円/当日2,800円(いずれも+1ドリンク600円)
ご予約・お問い合わせ:http://www.arm-live.com/2nd/index.html#ticket



New Album

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Title : 『CRCK/LCKS』
Artist : CRCK/LCKS
LABEL : Apollo Sounds
NO : APLS1605
RELEASE : 2016.4.20

アマゾン詳細ページへ


【MEMBER】
小西遼(sax,etc)
小田朋美(vocal­,keyboard)
角田隆太(e.bass)
井上銘(guitar­)
石若駿(drums)



【SONG LIST】
1 Goodbye Girl
2 いらない
3 簡単な気持ち
4 スカル
5 坂道と電線
6 クラックラックスのテーマ







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【CRCK/LCKS】

2015年4月に結成。
同年6月、菊地成孔が新宿ピットインで開催するイベント"モダンジャズディスコティー­ク"に出演し大きな反響を受ける。メンバーは2015年よりアメリカでの音楽留学を終え日本での活動を本格化し注目を集­めるリーダーの小西遼(sax,etc)/ 2013年にアルバム『シャーマン狩り』でデビューした作曲家の小田朋美(vocal­,keyboard)/ 2015年にフジロック出演を果たし今後の活動が注目されるバンド"ものんくる"のリ­ーダー角田隆太(e.bass)/ リーダーアルバムを既に2作リリースしている人気若手ギタリスト井上銘(guitar­)/ メンバー最年少ながら数多くのレコーディングやライブに出演、天才ドラマーとも呼び声­の高い石若駿(drums)

5人の若き才能が結集して作られるハイクオリティなポップミュージックは耳の早い音楽­ファンの間では既に話題となっている。2016年4月、パーカッショニストのASA-CHANGをゲストに招き、待望の1s­tミニアルバム『CRCK/LCKS』をリリース。


CRCK/LCKS BLOG

類家心平インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

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類家心平インタビュー


類家心平というトランペッターは僕の中では不思議な存在だった。日本のジャズの中心にいるようで、その演奏の場はポップスやバンドなど様々な音楽を渡り歩いている。しかし「ロックなサウンド」という謳い文句の新作を引っさげた彼にインタビューしてみると、その立ち位置が明らかなジャズ・ミュージシャンであることを痛感した。今回は新譜についてはもちろんバンドメンバーについて、スタジオワークについて、そして新譜でも取り上げたマイルス・デイビスまで盛りだくさんに語ってくれた。

2016/2/22 @JJazz.Net
インタビュアー:花木洸 HANAKI hikaru(音楽ライター)





――まずバンドのメンバーを類家さんから紹介していただけますか。

[類家心平]
「僕のバンドは元々4人でやっていたんですよ。ドラムとベースは今と一緒なんですけどピアノがハクエイ・キムさんとやっていてギターはいないっていうカルテットでずっとやっていて。ドラムと鉄井(孝司)さんとハクエイ・キムは最初池袋のマイルス・カフェ(現SOMETHIN' Jazz Club)がジャム・セッションをやっていて、そこに行ったんです。その時はハクエイ・キムと鉄井孝司と今はJazztronikでドラムを叩いている天倉正敬っていう人がホストバンドに入っていて。その2人が良かったのでその2人とバンドをやろうと思って。

ドラムはもうその前から決めていたんですよ。吉岡大輔っていう人は、彼のバンドはファンクをやるバンドだったんですけど、彼は若い時から僕なんかよりキャリアの長いドラマーで。彼はスウィングのビートがカッコ良くて、尚且つファンクみたいなグルーヴのビートも出せるって人で。もうドラマーはこの人にしようって決めていました。それで4人集めてバンドが始まりました。その後サックスを入れたりしてた時期もあったんだけど、最終的には4人でやりましょうって事になり、1枚目の『Distorted Grace』と2枚目『Sector b』はカルテットで作りました。

 そしたら今度はハクエイ・キムがユニバーサルに入ってすごい売れちゃったのでスケジュールがあわなくて。どうしようかなと思って、ハクエイくんは自分のやりたい事を思うようにやった方がいいと思ったので、ピアノを替えようかなと。それでちょうど地元のジャズ・フェスティバルに出るタイミングで中嶋錠二に替わって。錠二は青森の八戸市出身で地元が一緒なんですけど、そこにいる時から知っているわけではなくて。三輪裕也君がやっていたInformel 8(アンフォルメル ユイット)ってバンドがあったんですよ。dCprGってバンドでサックスを吹いている高井(汐人)君とか、僕が入った時はドラムの田中教順君がいたりして結構メンバーは替わってるんですね。今は休止状態なんですけどそのバンドは作曲家がいるバンドなんですよ。三輪くんっていう演奏はしないんだけど曲を提供するっていう人がリーダーで。そのバンドに錠二がいてそこで出会って。すごくいいなぁと思ってデュオとかはよくやっていて、じゃあバンドでも弾いてもらおうと思って入ってもらったっていう感じです。

 その当時ちょっとエレクトリックな事をやりたいなと思っていたんで、アコースティックなものとエレクトリックなものを繋いでくれる要素がもうちょっと必要だなと思っていたんです。なのでそこを上手く繋いでくれるギターを入れようと思って。ギターを入れるなら田中"tak"拓也にしようと思っていたので声を掛けました。田中拓也はボストンのバークリーに行った後ロサンゼルスに渡ってロスでずっと仕事をしていたんですが、彼が向こうに住んでいる頃日本に帰ってくるとJP3っていうバンドをやっていたんです。それは田中拓也と中村亮っていうドラムに、今は"Big Yuki"として活動してる鍵盤の平野雅之の3人でやっていたバンドで、そのバンドと対バンしたんです。もう10年以上前ですね。その時にすごく良いなと思って、そこからちょこちょこ観たり聴いたり一緒に演奏したりしていました。彼は結構ポップスとかもやってたりもするんですよ。替わりになる人がいないサウンドというか、ちょっと変わってますよね。」


――このバンドでは、曲は最初に何かビジョンがあってそこに近づけていく感じなんですか?それともセッション的に?

[類家心平]
「それはどっちとも言えないというか、どっちもありますね。特に最近はよりバンドっぽい感じになって来たから。結構ジャズのバンドってセッションっぽい感じのバンドが多いじゃないですか。あんまりそうもなりたくないんですよね。コンポーズ自体は僕がほとんどやっているので、DTMでデモとか作っていって「こういう感じで」みたいなやりかたもするし。それを持って行ってリハーサルをして、みんなから色々アイディアが出てきてデモとは違う方向に行くっていうこともあるし。

サウンド自体は自分の頭の中に最初にあるものがあるんだけど、それをこのメンバーでやるとこのメンバーのサウンドになるっていう。だからどっちが先っていう意識は無いですね。ただ音楽的に一緒にやっていくっていう上で好きなメンバーを集めたっていう所はあります。やっぱり僕はジャズのインプロビゼーションが根底にある人、そしてその中で出てくる音楽っていうものに魅力を感じるので。だからこのバンドの曲はリズムがちょっとロックなビートだったり、コード感っていうものがビ・バップに比べたら細かく割り振りされているわけではないんだけど、やっぱりロックの人がやるインプロビゼーションとはまた違うサウンドになるんです。僕はそっちの方が好きだから、やっぱりジャズをやっている人たちでバンドを作りたかったんですよね。」


――このバンドは結構サウンドが「ロック寄り」って言われることが多いじゃないですか?今のジャズって「ヒップホップ寄り」とか「R&B寄り」が増えてる気がするんですけど、このバンドのサウンドが「ロック寄り」になっていったきっかけっていうのはどこにあると思いますか?

[類家心平]
「確かに世の流れとしては全体的にレイドバック感がありますよね(笑)でも僕たちは自分の中にあるものを表現したいわけじゃないですか。それは絵を描く人でも写真を撮る人でも。その媒体が何であるかっていうことの違いであるわけなんですよ。アウトプットするときにR&Bとかヒップホップとかそういうものが自分のフィルターの中にある人はそれが自ずと出てくると思うんです。僕もそれが無いわけじゃないんだけど、そこを使った自分の表現っていうのが上手く出来ないんじゃないかなと思ってるんですよ。割りと破壊的な物を作りたいので(笑)それはヒップホップでもやりようはあると思うんだけど、どっちかというとロックっぽいサウンドの方が自分の表現したいものに合ってるっていうだけのことだと思うんですね。」


――たしかに類家さんって、実は自分のリーダー作ではクラブに近いようなサウンドってやってないんですよね。僕の中では類家さんの世代って、クラブとジャズがすごい近い世代っていうイメージなんですよ。類家さんの中では「クラブ」の影響ってありますか?

[類家心平]
「それはありますね。クラブのフロアでお客さんが立っている感じとか、逆にピットインみたいなジャズのライブハウスでみんな座っている感じとか僕はどっちもやっているから、どっちもやっていて良かったなっていうのはすごくあるんですよ。座っていても聴けるし立っていても聴けるっていうそこのギリギリのところの音楽。そのギリギリのところを常に演奏で出せるようになるっていうか。よくクラブで夜中のギグとかやってましたけど、ああいうのが無いと出せないものっていうのもあるんですよ。

だから僕からすると今の若い人のほうがちゃんと「ジャズ」をやっているような気はすごいしますね。やっぱり当時もガチガチのジャズのセッションに行く人とクラブに行く人っていうのは別れてはいたんですけど、TOKUさんみたいにたまにクラブの方にアプローチしてくれる人達がいたのが大きかったですね。

当時僕が行っていたのはマイルス・カフェもそうだし、渋谷のTHE ROOMってところでそういうセッションがあって。曲をやるわけじゃなくてファンクとかソウルとかでセッションをして、ラップをする人もいるし、歌を歌う人もいるし、ボイス・パーカッションをする人もって、本当に色んな人が来ていたんです。ジャム・セッションっていうよりは所謂オープン・マイクですよね。そういう中でトランペットを吹くとなると、場を力ずくで持って行かなきゃいけないわけじゃないですか(笑)そういうスキルはやっぱり付くんじゃないですかね。お客さんの反応もそういう事に対してシビアだし、ジャズとは違う緊張感があって。ジャズのセッションだとキーがどうとか、曲を知っているとか、ツー・ファイブのフレーズが吹けるとかそういう所に重きを置くんですけど、それが良かったりも悪かったりもするので。そういうところを引っぺがえしちゃって、取っちゃっていわゆるシンプルなフォームの中でどれだけ自分を出せるかっていう事だけになってしまうので。聴いている方もそういう熱量を求めて来る部分もあるから。」


――類家さんが書く曲はいわゆるビ・バップ的なコーダルな曲というよりは、コード一発のものであったりモーダルな雰囲気の曲が多いですよね。

[類家心平]
「そうですね。自分はその方がより自由になれるというか、やりやすい。結局音楽はコミュニケーションをとらなきゃいけないじゃないですか。それは演奏しているメンバーともだし、聴いているお客さんともだし。そのコミュニケーションを音楽の上でとっていく時に、やっぱりビ・バップは正直言って僕には難しいんですよね。その中でコール&レスポンスというかメンバーと会話をしながら音楽を構築していければいいんだけど、やっぱりそれはすごく難しいし。あんまりゲームっぽかったりスポーツっぽくなるよりは、お互いが聴き合っていけた方が良いなって思った時に、フォーマットとしてこういう形になるんですよね。」


――さっきも出たんですけど、曲はどうやって書いてバンドに持って行くんですか。

[類家心平]
「色々ですね。メロディを先に作ることもあるし、コードを先に作る事もあるし。それを一回Logic(DTMソフト)に打ち込んでみて、「こんな感じか」って譜面を書いてデモを作って持って行ってという感じです。DTMを使っているのは僕の場合はそんなに器用じゃないんで、例えばテンポが早い曲だとコードを押さえていくのが大変だけど打ち込みならいける、とかただ単にそういう理由です。打ち込みだとテンポも自由に変えられるし、デモとしての機能が優秀なので打ち込んでしまうっていう感じですね。でもドラムの打ち込みは難しくてやっぱり(仮)になっちゃいますね。リズムだけどっかからサンプリングしてデモを作ることもあります。」


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――このアルバムや楽曲のタイトルはどうやって決めているんですか?

[類家心平]
「僕の場合は意外と何でも良いというかニュートラルな状態にしておきたいんですよね。せっかくインストゥルメンタルの音楽なので、歌詞が無いわけじゃないですか。せっかく自由な感じでみんな聴けるのに、そこにラブソングみたいなタイトルが付いちゃうとその曲はもうラブソングとしてしか聴けないじゃないですか。そういう所はニュートラルにしたいな、という部分があるので変な言葉を。適当かもしれないですね(笑)前作の「Guru」とかはちょっとヒップホップぽい曲でちょうどGuruが亡くなった時期だったからとか、そういうところからタイトルを付けることもあります。」


――今回のアルバムでマイルス・デイヴィスの「Maiysha」を取り上げた理由を教えて下さい。

[類家心平]
「単純に好きだった曲なんですよね。それとこのバンドに合うかなと思って。マイルスも何回か録音が残っているんですけど、マイルスがやるとグダグダだけどカッコ良いんですよね。ライブでカバーしている人は結構いるんだけど、やっぱり比べるとカッコ悪いんですよ。普通にファンクっぽい感じになっちゃうと、みんな上手いから。この曲はすごい単純な曲だから、あんまりちゃんとやっちゃうとすごいカッコ悪くなっちゃうんです。マイルスって全般的にそうですけど、とくにキャリアの後半の方は本当に呪術的というか呪いのような不思議な感じがどうしても解明できなくて。だからそれを自分たちなりにやれれば良いなって感じで。」


――類家さんがマイルスで聴くのは割りとエレクトリックのところが多いんですか?

[類家心平]
「いや、実はエレクトリックになる寸前というか70年代の休止する前とか60年代後半とかが一番好きですね。エレクトリック・マイルスを取り上げてる人って、今はそんなにいないけど多分昔はいっぱいいたと思うんです。ウィントン・マルサリスみたいな事ってやろうとしても出来ないんですけど、マイルスっぽい事って出来ちゃうんですよ。そこに落とし穴があって。なんとなく出来てる感じになるんだけど、やっぱりああはならないという。だから自分もワウを使ったりするんですけど、なるべく遠ざかるようにしたいなとは思っていて。」


――類家さんはマイルス・デイビスからジャズに入ったんですよね。

[類家心平]
「最初はやっぱりマイルスから入りましたね。でもそれはエレクトリックなものではなくて50年代の所謂「マラソンセッション」です。トランペット自体を始めたきっかけは、最初兄がブラスバンドでトランペットを吹いていて。そこが結構力を入れている学校で、小学校のブラスバンドなのに70人くらいいたんです。先生がいろいろ研究しているような人で、もの凄く生徒を勧誘してくるんです。で、僕も兄がやってたらその先生に勧誘されて入って。ドラムがやりたかったんですけどね、ドラムが出来なくて。でもトランペットは最初から音が出たんですよ。トランペットは歯並びとかにもの凄い影響される楽器だから、最初に出ないとみんなやめちゃうんです。僕はたまたまトランペットが自分に合ったのでずっと続けることになってしまいましたね(笑)」


――類家さんがトランペットまわりで使っている機材の事を聴いてみたいなと思っているんですけど、録音の時はエフェクトは足元で作っているんですか?

[類家心平]
「そうですね。踏み忘れたやつとかは後から掛けたりもしたんですけど、ほとんど足元です。今はBOSSのME-80っていうギター用のマルチ・エフェクターでほとんど作ってますね。前は普通にVOXのワウとBOSSのRE-20っていうテープエコーを再現したディレイペダルと、って組み合わせて使っていたんですけど。管楽器でマイクで使うとギターに比べて入力のゲインの差がもの凄いあるんですよ。そうするとワウを踏んだ瞬間にゲインが跳ね上がってしまうのでミキサーを挟んでワウを踏む時は入力を絞ってとかやってたんですけど、マルチを使ってみたら楽だなと。おかげでフィルター系のエフェクトも使うようになったし。今はマイクから足元のミキサーに入れて、そこからエフェクターにいれて、ダイレクト・ボックスで卓にっていうシステムになっています。」


――エフェクターはどこからアイディアを得るんですか?

[類家心平]
「ミュージシャン同士でもタブゾンビ君は結構エフェクターを使うから情報交換をしたりしてます。僕が好きな近藤等則さんもエフェクトを沢山使っているのでライブを観に行って見せてもらったりとか。ニルス・ペッター・モルヴェルが来日した時も足元のエフェクトを見せてもらったりしました。彼はGUITAR RIGっていうパソコン上で使うギターアンプ・エフェクトのシミュレーターで音を作っていて足元もそれのコントローラーだけでしたね。あの人はエフェクトが掛かっているマイクと普通のマイクの2本を使っているんですよ。たぶんエフェクターを通すと生の音が痩せるっていうことだと思うんですけど。ツアーだからかもしれないですけど「これだけあれば良いんだ」って言っていて。まぁパソコンとコントローラーだけ持って来るだけでいいですしね。」


――今回のアルバムはほとんど一発で録ってるんですか?

[類家心平]
「そうですね。ほとんど1テイク目が使われてますね。録音は1日半くらいでやっていて、あと4曲位録ったので全部で14、5曲録っていて。」


――今回は全体的に音がクリアなんだけど、歪んだ感触が足されているのが面白いなと思って。いわゆるジャズのアルバムの音っていう感じでは無いじゃないですか。

[類家心平]
「そうですね。このバンドはライブの時からそういうちょっと歪んだ様な音像なので。特にギターが入ってからは、スウィングの曲をやっていても変なギターが裏に入ってるみたいな。そういうところもバンドのサウンドになって来ているので。単純にそのまま録ったっていう感じですね。」


――前回がライブ録音で今回がスタジオ録音じゃないですか。その違いっていうのは意識したりしますか?

[類家心平]
「そうですね。曲によってはスタジオじゃなきゃ出来ないような部分もあるので。インタールード的な立ち位置の曲とかはあんまりライブでは出来ないものだったりするので。3曲目の「Polyhedron Girl」みたいにトランペットを重ねている曲もあるんです。ミックスもマスタリングも立ち会いましたね。そこで音がだいぶ変わりますから。」


――具体的に何かリクエストした事はありますか?

[類家心平]
「さっきも話したけど、あんまりジャズっぽい感じにならないようにっていう事は意識しましたね。今ってヒップホップを生でやっているバンドとかあるわけじゃないですか。そういう物を聴いてきているから、サウンド的な面ではそういう今っぽい部分を意識しました。良い音の基準って時代によって変わって来ているから。で、今はみんなコンピューターに入れて聴くから、他のポップスとかと並べて聴いた時に差が出ないようにガッツリいけたらいいなって。」


――今回はPVも作ったんですね。

[類家心平]
「そうですね。6曲目の「Danu」って曲を池袋のKAKULULUっていうお店で撮りました。ジャズはアドリブだからPVを作るのは難しいんですが、最近はジャズのミュージシャンでも作る人が増えている印象です。今はみんなYouTubeしか観ないですからね。でも今のジャズ・ミュージシャンってなんだかんだ言ってみんなジャズだけじゃなくて色んな物を観たり聴いたりしてるじゃないですか。だから割りと感覚がフラットになって来てるのかなっていう。その方が健全というか健康的だと思いますね。なるべくジャズっていう囲いを取り払った方が良いと思います。」


Shinpei Ruike (RS5pb) / DANU (Official Music Video)



――類家さんは普段どんな音楽を聴きますか?

[類家心平]
「トランペットの物はやっぱり気になりますね。最近だとアンブローズ・アキンムサリとかクリスチャン・スコットとか聴きますし。昔のものも聴くし。」


――クリスチャン・スコットもレイドバックしている音楽というかは...

[類家心平]
「そうなんですよね!あの人も意外とロックが好きなんだと思います。」


――じゃあ今気になるトランペッターと言ったらやっぱりそのあたりの人ですか?

[類家心平]
「いや、広瀬未来じゃないですか。すごいですよ彼は。今日本のトランペットの若い人で上手い人がどんどん出てきていて、石川広行君とか市原ひかりちゃんとか。今の若い人ってなんか世代的な意識が強いですよね。ジャズの行く末を危惧してるのかみんな意識が高くて礼儀正しくていい人が多い。でもみんなで集まって何かやろうっていうアクションはすごく良いと思います。昔はもっといい加減だった気がするんですけど(笑)

世代で分けるのもどうかと思うけど、やっぱり同じ物を観て同じものを聴いてっていう経験は大きいですからね。僕のバンドもだいたい同じ世代の人で組んでいるから「言わずもがな」で伝わる共通の認識があったりしてやりやすい部分はもちろんあります。でも僕が板橋文夫さんのバンドでやってもすごく面白いし、そういう世代を超えてっていう事もあるから。一概には言えないですね。」


――最後にどうしても訊きたいことがあるんですけど...類家さんってトランペットを吹く時に、結構ほっぺたが膨れるじゃないですか。あれは訓練によるものなんですか?

[類家心平]
「あれは勝手に膨らんできちゃったんですよ(笑)僕は自衛隊の音楽隊でずっと吹いてたんですけど、その時は膨らませて無かったんですよ。その頃はマーチとかクラシックとか色んな曲を吹かなきゃいけないから、セオリー的には膨らませちゃいけないんです。でも自衛隊を辞めてジャズだけやろうと思って、出したい音のイメージに近づけて行こう行こうとしてたら段々膨らんできちゃったんです。でもまぁ普通に吹けてるからいいやと思ってそのままにしてたらどんどん膨らんできて(笑)でも日野さんとかも膨らませますよね。結局口の中の容積、息の入る量が変わるから出てくる音もちょっと変わるはずなんですよ。意外とトランペットって唇で音を出すからイメージが大事で。そうなりたいって思っていると勝手に変わってくるんですよ。」


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New Album

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Title : 『UNDA』
Artist : 類家心平 RS5pb (Ruike Shinpei 5 piece band)
LABEL : T5Jazz Records
NO : T5J-1012
RELEASE : 2016.3.23

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【MEMBER】
類家心平 - trumpet
田中 "tak" 拓也 - guitar
中嶋 錠二 - piano, keyboards
鉄井 孝司 - bass
吉岡 大輔 - drums

2015年録音


【SONG LIST】
1 Unda
2 Haoma
3 Polyhedron Girl
4 Invisible
5 Es
6 Danu
7 Maiysha
8 Tupamaros
9 Kyphi
10 Pirarucu

All songs written by Shinpei Ruike except "Maiysha" written by Miles Davis.







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【類家心平】(トランペット)

1976年4月27日、青森県八戸市生まれ。10歳の頃にブラスバンドでトランペットに出会う。高校生の時にマイルスデイヴィスの音楽に触れジャズに開眼する。高校卒業後海上自衛隊の音楽隊で6年間トランペットを担当。自衛隊退官後、2004年Sony Jazzからジャム・バンド・グループ「urb」のメンバーとしてメジャー・デビュー。タイ国際ジャズフェスティバルに出演するなど注目を集める。 「urb」の活動休止後に自身のユニット「類家心平 4 piece band」を主宰。ファースト・アルバム「DISTORTED GRACE」を2009年にリリース。2作目「Sector b」を菊地成孔氏のプロデュースで2011年にリリース。その後メンバーチェンジを経て「類家心平 5 piece band」(RS5pb)となり2013年にT5Jazz Recordsよりライヴ盤「4 AM」をリリース。ド迫力の演奏内容に加え、Pure DSDによる高音質録音の話題も加わり、CDのみならずハイレゾ配信で大きな話題を呼ぶ。

その他「菊地成孔ダブセクテット」、「dCprG」、元「ビート・クルセイダース」のケイタイモ率いる「WUJA BIN BIN」や「LUNA SEA」のギタリストSUGIZOが率いるユニットにも参加。板橋文夫や山下洋輔、森山威男などベテランジャズミュージシャンとの共演も多数。またジャズを題材としたアニメ「坂道のアポロン」の劇中のトランペットを担当するなど、活躍の幅を広げている。


類家心平 Official Site

T5Jazz Records

石若駿インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

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石若駿インタビュー


ジャズ・ドラマー石若駿。1992年生まれのこのドラマーは10代で日野皓正、石井彰、金澤英明、TOKUなどベテランに見出されて活動を共にしてきた紛うことなき逸材だ。ジャズ・ドラマーとして活動しつつも高校から日本のクラシックのメッカとも言える東京藝術大学で学び、近年はテイラー・マクファーリン等ビートシーンからの注目も集めるというまさにジャンルを軽々とまたぐ彼がいったい何を考え、彼には何が見えているのか。同世代ながら僕はかなり遠い存在のように思っていたのだけれど、インタビューが始まると「僕と同い年なんですよね?やったぁ!」と生い立ちから、初のリーダーアルバム、さらには石若が今"面白い"と思っている音楽までたっぷりと語ってくれた。

2015/11/30 @JJazz.Net
インタビュアー:花木洸 HANAKI hikaru(音楽ライター)





――まず石若くんがドラムを一番最初にはじめたきっかけは?

[石若駿]
「まず両親が結構音楽に絡んだ仕事をしていて。父親が高校で音楽を教えていてブラスバンドとかをやっていたんですよ。母親は小さい子たちにピアノを教えていて。だから家の中ではクラシックとかジャズとか70年代~80年代のポップスみたいな音楽がずっと流れていて。それである日父親に「ライブ観に行くぞ」って言われて観に行ったのが、森山威男さんと松風紘一さんのデュオだったんですね。それが4歳くらいの時です。ドラムセットとサックスだけ置いてあるステージで、1時間半とか2時間とかぶわーってずっとフリージャズをやっているのを一番前の席で観て。そのステージでの森山さんに圧倒されて一番最初にドラムに興味を持ちました。」


――へぇー。最初がフリージャズなんですね。

[石若駿]
「それでおもちゃのドラムセットを買ってもらって遊んで叩いているうちに、1997年にX JAPANが解散するんですね。そのX JAPANが解散したっていうニュースでYOSHIKIがドラムをぶっ壊したり叩いている映像にまた衝撃を受けて。そこで本格的にやりたくなってエレキドラムを買ってもらいました。

それからしばらく家で一人で叩いてたんですけど、小学校4年生の時に新聞で「札幌・ジュニア・ジャズスクール」っていう小学生の為のジャズのビッグバンドのメンバーを募集している記事を見つけたんですね。「これに入ったら人と一緒に出来るな。しかも音楽やってる同世代とかと一緒に出来るな。」と思って応募してオーディションを受けて。それまではX JAPANとかhide(X JAPANのギタリスト)の音楽とかばっかり聴いていたんですが、ジャズのビッグバンドに入ってからだんだんジャズを聴くようになっていったっていう。」


――じゃあジャズを知るのとドラムをはじめるのと、どっちが先かというと...

[石若駿]
「ドラムが先ですね。いわゆるドラム少年だったと思います。小学校の低学年の頃はずっとロックばっかり聴いてました。X JAPANのアルバムを全部聴いて全部叩けるようになったらhideのソロ・プロジェクトにまたどっぷりハマって、そこからX JAPANやhideが影響を受けたミュージシャンを掘り下げていって。KISSの来日コンサートの映像を借りてきて観たりとか、hideがライバルとか言ってたマリリン・マンソンの音楽も気になって聴いたり、マンソンからスリップノットを聴いたり...」


――へぇー!すごい意外です。石若くんはずっとジャズをやってるのかと思ってたから。

[石若駿]
「まぁそれは小学校の3年生までで、4年生でビッグバンド入ってからまた大きく変わりました。ビッグバンドは道内から本当に音楽がやりたい子達が集まっている所だから、ほんとにみんな音楽が好きで嫌々やってる子は一人もいない、みたいなところだったんです。結構演奏の機会もあって、「サッポロ・シティジャズ」の前身になった「サッポロ・ジャズ・フォレスト」っていうフェスに出たりとか。その頃は北海道に倶知安ジャズ・フェスティバルとか、室蘭ジャズ・クルーズとか、いわみざわキタオン・ジャズ・フェスティバルとかジャズ・フェスティバルがいっぱいあって。それのオープニング・アクトに必ず僕らが呼ばれて行って演奏して、プロのジャズ・ミュージシャンとも交流があってっていう夏を毎年過ごしていたんですね。

そんな中で小学校5年生の時にハービー・ハンコックのトリオが来て、そのトリオのオープニング・アクトを僕らがやって。その前日にハービー達がバンドクリニックをしてくれた時にハービーが目をつけてくれて、「なんでお前はそんなドラムソロが出来るんだい?」って話しかけてくれた体験とかから段々と「ジャズで頑張ろう」っていうパワーをもらいました。それが夏で、冬にも同じようなコンサートがあって。その冬は日野皓正さんのクインテットが来て、その時も同じようにバンドクリニックがあって日野さん達と出会って。そこの出会いが今にも続いているような感じですね。」


――じゃあやっぱりジャズドラマーになっていったのはビッグバンドに入ったのが一番大きいきっかけというか。

[石若駿]
「そうですね。やっぱりプロのミュージシャンとの交流が沢山あったっていうのは大きかったです。マーカス・ミラーも来てオープニング・アクトをやらせてもらったし、僕らのビッグバンドは熱帯ジャズ楽団とも交流があったりして。そういう色んなタイプのミュージシャンと交流があって。」


――ちなみにジャズを始めてからは、やっぱりジャズを聴いていた?

[石若駿]
「そうですね。小学校の高学年の頃はバディ・リッチ・ビッグバンドとかいわゆるビッグバンド・サウンドの音楽を沢山聴いていたんですけど、だんだんラテンにハマっていって。よく『モダン・ドラマー・フェスティバル』っていう色んなドラマーが集まったDVDを買っていたからそれでアントニオ・サンチェスとかオラシオ・エルナンデスを観たりして彼らの演奏にハマって。

今現在ニューヨークというかアメリカでどういうジャズが流行っているのかっていうのに興味を持ち始めて見事にハマったのが中学校1,2年の頃ですね。ちょうどその頃東京JAZZでハービー・ハンコックのバンドでブライアン・ブレイドが来てたり、ダイアン・リーブスのバンドでグレッグ・ハッチンソンが来てたりっていう、いわゆる現代のアメリカのジャズ・ミュージシャンをテレビで観るわけです。それにまたハマっちゃって。タワーレコードに行ってブライアン・ブレイドの参加しているCDをひたすら買ったりっていう時期もありました(笑)だから中学時代にジョシュア・レッドマンのカルテットのCDも全部買ったし。僕、ちょうどロイ・ハーグローヴのRHファクターの1枚目が出た時に<なんだこれは!って買っていたんですよ。でも日本の同世代でリアルタイムでずっと聴いてる人ってなかなかいなくて、音楽の話があうミュージシャンって大抵年上なんですよね(笑)」


――それで、中学校を出て東京藝大の附属高校に入るわけですね。僕はそこが結構気になるんです。決して簡単に入れる学校では無いし、ここまでの流れがあってどうしてクラシックの勉強をしようと思ったんですか?

[石若駿]
「やっぱり家庭が音楽一家だったことが原点にあって。クラシックも身の回りに溢れていたし、母親がピアノの先生で僕も4歳くらいから母親にピアノを習っていたからクラシックにもずっと繋がっていて。
小学校6年生の時に日野さんに「お前は中学校卒業したら俺のバンド入れよ」って言われて、その時はポカーンと「は、はい」みたいな感じだったんですけど、自分で色々考えて「高校には行った方が良いよな」って(笑)でもこれからも日野さん達とずっと一緒にやりたいからその為にどうしようって考えたのが東京に行くことだったんですね。わざわざ東京に行くんだったら普通の勉強じゃなくて音楽をちゃんと勉強したいな、と思っていたら藝高を見つけて、「あ、ここに入ったらオーケストラも授業にあるし、藝大の先生が来て専門実技のレッスンも毎週受けられるし最高じゃん!」と思って。そのために中学校の3年間はクラシックのレッスンを受けたり、時にはジャズとかドラムを封印してクラシックの奏法とかソルフェージュの勉強をしたりしてすごい頑張りました。とにかく東京に出たいっていうのと、音楽の根本的な理論とかクラシックを学んでる同世代達と一緒に勉強したいなって思って。それで東京に行けたら好きなミュージシャンとも一緒にジャズが出来るじゃないかっていう。今思えばすごいポジティブな考えですね(笑)」


――だって定員が40人とかですよね?

[石若駿]
「そうです。しかも楽器ごとの定員ではないから、僕が5年ぶりの打楽器での入学者でした。」


――やっぱり東京に出てきたら全然違いました?

[石若駿]
「そうですね。まず一人暮らしがはじまってそれがもう最高で(笑)学校の授業終わったら高田馬場のイントロに行ってジャムセッションをしたりとか。あと当時はTOKUさんにお世話になっていて。TOKUさんは日野さんとはじめて出会った時にゲストで一緒に出ていて、上京してからもお世話になっていました。「今日ブルーノートに出てたロバート・グラスパーのカルテットがセッションに来るからお前も来いよ」って言われて夜中にセッションに行ったりとかして。そのTOKUさんに連れられて行った秘密のセッションみたいなのはすごい僕にとって良かったですね。(グラスパーのバンドの)ケーシー・ベンジャミンとかとも一緒に出来たし。」


――へぇー!それはいわゆるジャズのセッションに普通に入ってるんですか?

[石若駿]
「そう。普通にサックス持ってきてスタンダードの"Body & Soul"を一緒にやったりして。ロイ・ハーグローヴとも一緒に出来たし、ジャリール・ショウとかも一緒にやったし。面白かったですよ。」


――その一方、学校ではどんな事を勉強していたんですか?

[石若駿]
「学校ではオーケストラを勉強したり、マリンバを4マレットで現代曲を練習したりとか。まぁ卒業したいし藝大行きたいから学校も頑張ってました。高校は同級生みんなとにかく音楽を頑張っていて、授業が終わったらみんな練習に没頭するみたいな。ヘタしたらもう色んな仕事をしてる人もいたし、ヨーロッパのコンクールを目指してる人もいたし。今はもうみんなそれぞれが第一線のプレイヤーになっていて、たまに会って「最近どうよ?」って話をすると「N響でさ~」とかそういうビッグな話が飛び交ってます(笑)

そのかたわらで面白いやつらも沢山いて、文化祭になったら東京事変とか椎名林檎のコピーバンドやろうぜ、みたいな。そういうのもやりましたね。「青二祭」とか「閃光ライオット」みたいなバンドコンテストにも出たりとか。あと高校生ってみんなよくカラオケ行くじゃないですか?僕らのクラスもカラオケにめちゃくちゃ行ってたんですよ。だからポップスとかロックとかで良い曲ないかな?って探してたんです。自分で歌いたいから。その中で、くるりとかに出会ったりするわけですよ。」


――ちなみにその頃に今回のアルバムに参加メンバーにはもう出会ったりしてるんですか?

[石若駿]
「そうですね、金澤さんは小学校の時からなので。あとのメンバーもみんな僕が高校生の時からの付き合いです。吉本(章絋)さんのバンドで初めて演奏したのも高校2年生の春とかで、その頃にアーロン(・チューライ)も一緒に出会って。(中島)朱葉もその頃はまだ和歌山にいたから、僕が金澤さんと石井さんのトリオで夏休みとか冬休みを使ってツアーに行っていて、その時によく飛び入りしたり終わった後のセッションにいたりって感じでしたね。その時は朱葉もいたし、アルトサックスの早川惟雅くんとか、ドラムの中道みさきちゃんとかもいたし。井上銘くんとは鈴木勲さんのトリオとかOMA SOUNDでよく横浜で演奏してたし。(高橋)佑成はその頃まだ中学校1年生で。日野さんがやってる世田谷ドリームジャズバンドに僕がよく遊びに行っていて、彼は石井彰さんの弟子なんですけど<生徒に中学校1年生の男の子がいて、なかなかやるんだよ。>とか言われて紹介されたのが最初です。彼もすごい面白いピアニストになったからちょくちょく一緒にやっていて。」


――井上銘くんとか中島朱葉ちゃんはその後アメリカ、バークリー音楽院に行っちゃうんですよね。石若くんはアメリカに行こうとは考えなかったんですか?

[石若駿]
「僕は高校2年生の夏にバークリーのサマーセミナーに5週間行ってるんです。その時に寺久保エレナとか馬場智章とか曽根麻央とかみんな一緒で。バークリーに行こうっていう考えも少しはあったんですけど、藝高入ったし藝大行きたいなって。3年間でクラシックの勉強を終わりにするよりはもっと色んなことやりたいと思っていたからあんまり考えなかったですね。まぁ大学卒業しても本当にアメリカに行きたかったら色々考えるだろうな、と思ってたんですけど。」


――卒業した今はどうですか?

[石若駿]
「今はやっと<ジャズドラマー>になったわけですから、卒業を待っていてくれた人達のところに行って自分も頑張ろうと思ってます。でも、ここ最近はニューヨークから来ているミュージシャンとの交流がすごくあるから、もしかしたらこれから行くことになるんじゃないかな?とは思っています。例えば黒田卓也さんと交流があったりとか、大林武司くんも僕が中学生で彼が19歳の頃から一緒にやっているから。

大学を卒業した今は、大学の夏休みが続いてるみたいな感覚ですね(笑)「もう学生じゃないんだ」っていう「一社会人として、一アーティストとして」っていう自覚は徐々に芽生えて来てますけど。大学卒業したてって言ってもキャリア的に見たら結構年数重ねて来たから、下手なことは出来ないなっていうプレッシャーもあったりしますけど、より音楽に熱中出来ている感じです。例えば今回のアルバムのために考える時間とか、研究する時間とかが増えて。」


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――じゃあそろそろアルバムの話を。まずメンバーの事を聞いていきたいんですけど、今回のアルバムのメンバーは結構いつも一緒にやってるメンバーですよね?

[石若駿]
「その通りです。僕のバンドで誘う人っていうだけじゃなく、それぞれが色んな所で繋がっている人達っていう感じです。僕がメンバーを選ぶ時に考えることは、それぞれが持っている音楽性はもちろんだけど人間として好きな人達っていうのもあって。例えば演奏するだけじゃなくて何でも無い日にご飯を食べに行ったり、何でも無い日に飲みに行ったりっていう。仲間ですから。そういうのも僕は結構大事にしていて。演奏終わってすぐ<お疲れ様でした>っていうのは僕はあんまり好きじゃなくて。だからこのメンバーは結構強い絆で結ばれてる人達だと思ってます。」


――じゃあ今回のアルバムはこのバンドのイメージがあって、それから曲を書いたんですか?

[石若駿]
「僕のバンドって決まった編成っていうよりはコロコロ替わることが多くて。サックスが一本のカルテットの時もあれば、サックスとギターが入ったカルテットだったりとか。

だからまず曲を書いて、「この人のサウンドでこの曲やったら面白いんじゃないかな?」っていう風にして今回は振り分けたんです。あと「このメンバーだから」ってイメージして書いた曲もあって、それが「The Way To Nikolaschka」っていう曲でアルバムの一曲目です。「ニコラシカ」はお酒の名前なんですけど、このメンバーでよくお酒を飲みに行くお店の名前でもあって。そういうのも良い思い出だなって思ってつけたタイトルです。」


――なるほどね。僕はこのアルバムの曲はサックスがメロディをとるっていうのをイメージして書かれた曲が多い気がしたんですけど。

[石若駿]
「それはイメージしましたね。僕も色々考えたんですけど。朱葉とか吉本さんが持っているトラディショナルでバップなサウンドで僕の曲をやってくれたらいいなって。」


――今回はこの選曲とか曲順は全部自分で決めたんですか?

[石若駿]
「曲順は自分で結構悩んでわかんなくなっちゃったところで「こうじゃない?」って提案してもらったのがしっくり来たっていう。その中でも多少の前後はありましたけど。やっぱり客観的にみてもらったおかげで、聴いた人が気持ちいい並びになったと思います。」


――間に短い即興の曲が入っているのがいいですよね。

[石若駿]
「僕はもともとこの3人で即興をやりたくて。金澤さんと須川さんが一緒にいるのってレアじゃないですか。すごい高級な感じがするから。僕とベーシスト2人で面白い曲を作ろうかとも思ったんですけど、それよりも絶対この場で一発で即興をやるほうがいいなと思って。全部で3回録ったのをそのまま入れてるって感じです。これは全部一発録りで編集はして無いんですよ。」


――今回のアルバムタイトル『Cleanup』はどういう風に決まったんですか?

[石若駿]
「アルバムのジャケットを作ろうってなった時に、僕が参加しているJAZZ SUMMIT TOKYOのメンバーでもあるSrv.Vinciってバンドの常田大希くんがアートディレクションをしてくれて。録音をしたスタジオで撮ろうってスタジオに行ってケーブルを巻いて写真を撮ってその写真をまた加工して...って出来たのがあのジャケットなんです。あのジャケットと曲名を並べて見た時に「Cleanup」っていうのがイメージに合うなと思って。この言葉には「4番打者」って意味もあるしこれは良いなと。それにこの曲が一番4ビートを叩いているし、ジャズのアルバムって事で象徴的にも。」


――あのジャケット、James Blakeみたいでカッコいいですよね。

[石若駿]
「そうそう!僕、結構テクノとかエレクトロとかインディー・ロックみたいなアルバムジャケットがすごい好きで。そういう風にしたいなと思って常田くんにアートディレクションを頼んだんです。ちょっと攻めてみようかなと思って。レコードショップとかに行ってLPのジャケットを観ているとカッコいいじゃないですか。で、バンドTシャツだとジャケットがプリントされてるだけでカッコ良いやつってあるじゃないですか。だから今回はを目指して作りましたね。」


――曲名がなんだかユニークなんですけど、それについて教えて下さい。例えば「A View From Dan Dan」とか。

[石若駿]
「実はこの曲はこのタイトルになる前に<日暮里>ってタイトルがついていて。僕は日暮里のそばに住んでるんですけど、そこから谷中とか根津とか...いわゆる谷根千のちょっと下町な感じの景色とか雰囲気とかが好きで。「日暮里」ってタイトルにしようかと思ったんですけど、もっと具体的にしようと思って。日暮里から谷中銀座に行く手前に<夕焼けだんだん>っていう階段があるんです。そこから見える夕焼けが本当にきれいで。」


――へぇー。じゃあ「Professor F」は実在するんですか?(笑)

[石若駿]
「実在しますね(笑)藝大の人がみたらみんな分かっちゃう。僕が尊敬している先生で、ジャズドラマーとしてCDを出したけど、<藝大で学んだことを忘れるな>っていう自戒の意味も含めたタイトルですね。だからこの曲は藝大でも4年間副科で専攻したピアノを弾いています。」


――こうやって見ていくと曲のタイトルはみんな身近なところから来てるんですね。

[石若駿]
「そうなんです。僕が今までの人生で見てきたものとか。「Darkness Burger」も某ハンバーガーショップで曲を書いていて、それがロックなサウンドのために書いたっていうそれだけなんですけど(笑)「Into The Sea Urchin」もツアー中の出来事からついたタイトルだったりとか。」


――石若くんは曲は基本的に何から作りますか?

[石若駿]
「僕はコードというかハーモニーから作ることが多いですね。でも基本的にピアノで作るので、メロディとハーモニーを一緒に組み立てていってっていう感じです。

でも今回レコーディングして気づいたのが、ドラムのイメージが全く無いなって事で。このアルバムの曲は昔作った曲も多いし、あんまりバンドで演奏されなくて自分の構想だけのものが多かったので。例えばアルバムのコンセプトが「ビート物のアルバムを作る」とかだったら「ドラムがこういうビートでそれに合うハーモニーを」って考えたり、人のバンドで演奏する時は「この人はこういうサウンドだから、こういうのが合うな」とかイメージが湧くんですよ。だけど自分のこういうサウンドに対してどうしようっていう。そうやって悩んだ結果こういう風な演奏になったから、自分の曲に対して新しい感覚がつかめたのは今回の収穫ですね。」


――「Big Sac」も「A View From Dan Dan」も、曲の途中で色んなリズムが入ってきたりフィールが変わったりっていうのがあるからそこはバッチリ決まってるのかと思ってました。

[石若駿]
「曲に対して大まかなフィールは決まってたりするんですけど、具体的な部分は決まってなかったりというか。例えば4ビートとは決まっていても、どういう感じのスウィングで行くのかは決まってなかったり。「Big Sac」とかも何のビートかわかんないし(笑)まぁやっぱり自分が後回しになるからだろうな。バンドメンバーに「ここはこうやって」、「ここのハーモニーはこうやって積んで」、「ベースはこっちの音域でやって」ってディレクションをしていって一番最後に最後に「自分はどうするの?」ってなってるから。だから難しかったのかも知れない。」


――その割にアーロン・チューライとか井上銘くんとかコード楽器陣がすごい自由に演奏している感じなのはライブ感があって良いなと思いました。

[石若駿]
「そうなんです。指定するところは指定してあとは自由にやってって感じで。でもやっぱり銘くんやアーロンは摩訶不思議で予想不可能だから。銘くんなんかいきなりリングモジュレーターで<ボコボコボコッ>とか、ずっとハウリングしてたりとか。そういうのも楽しみましたね。僕がメンバーを選ぶ時に考えるのは、知らない景色を見せてくれる人が好きで。例えばスタンダードでも<こんなコードやったらこんな響きになるのか!>ってなるような人が好きで。ベースの金澤さんとか須川さんもそういう人だし。それで全然違う景色になって面白かったり。」


――石若くんはこれまでにも色んなバンドで沢山レコーディングをしてますけど、やっぱりライブとレコーディングでは全然違いますか?

[石若駿]
「今回はレコーディングも2日で終わってコンパクトでしたし、ほぼ一発だったので「面白―い」ってみんなで面白がってる間に終わったって感じですね。気分的にはやっぱり構えますけど。「間違っちゃいけない」とか「何か起こしてやろう」とかそういう邪念みたい出てきたりしますけど(笑)でもそういうのって一番ダメなんですよね。やっぱり自然体でハプニングした時に一番良いテイクが録れるんです。」


――今回はまさにそんなハプニングが詰まったサウンドですよね。めちゃくちゃストレートで。

[石若駿]
「そうなんですよね!かなりライブ感のある仕上がりになってると思います。でも自分では完成するまでどんなサウンドになるのか全く想像出来てなくて。で、いざ完成して並べて聴いてみたら<おぉ、ジャズじゃん(笑)みたいな。僕としてはこのアルバムは自分の曲の作品集的な、自分の書いてきた曲を録音して収めてっていうイメージでもあったんだけど、一貫してジャズのサウンドになったんです。ジャズのアルバムを作ろうって意識したわけではなくて、「何も気にしなくていいよ」って好きにやらせてくれたんですけど、いざ曲が出てきたら自然とそういう感じになりました。」


――石若くんは録音作品を作るっていう事に対してモチベーションはありますか?

[石若駿]
「ありますね。僕はレコーディング自体もすごい好きで、曲を書くこともすごい好きだから。あと自分の音楽を世の中に確立したいっていうのはやっぱり夢なので。ドラマーなんだけど、自分の音楽っていうのを1アーティストとして確立させたいっていうのがあるから、これからも色んなことをやって作品として世に出せたらいいなと思ってます。そうしないとあんまり意味が無い気がしていて。やっぱり憧れがあって。例えば森山さんも日野さんもマイルスも、作品を追っていくと<こういう音楽を聴いてきたんだな>とか<この時はこういう音楽を目指してたんだな>とか、その人の歴史がわかるじゃないですか。そういう一生を通して作品があることで、その人の音楽が見えるっていうのを自分もやりたいなと思って。」


――自分名義でフルサイズのアルバムっていうのは今回が初めてだけど、石若くんは参加作品の数がすごいですよね。

[石若駿]
「もう30枚くらいになってますね。実はこのアルバムが発売日にも僕の参加してるアルバムが合わせて3枚くらい出ると思うんですよね(笑)ジャズDJの大塚広子さんがプロデュースしている「RM JAZZ REGACY」っていうユニットと、「PANDA WIND ORCHESTRA」っていう藝大の吹奏楽のバンドのアルバムで。(インタビューの)2日後には北園みなみさんのアルバムが出ますし。」


――石若くんはそういう風にジャズでも、ジャズじゃない音楽でも演奏してたりするわけだけど、やっぱり自分のなかでプレイは別物になるんですか?

[石若駿]
「最終的に音をだすのは僕なので、そんなに別物感は無いですね。クラシックでもジャズでもポップスでも僕のサウンドっていうのがあるので。」


――石若くんが最近<面白いな>って思うのはどんな音楽なんですか?

[石若駿]
「最近はジャズはもちろん聴くんですけど、「世界を揺るがす音楽」みたいなものに敏感にアンテナを張って聴くようにしています。いわゆるレコードショップで推されているものとかを全然知らないアーティストでもとりあえず聴いてみてカッコ良かったら買う、みたいな。最近買ったのは天才バンドの『アリスとテレス』ですね。YouTubeでトラベルスイング楽団とやってるのを観てから奇妙礼太郎が結構好きで。あと最近好きなのはポートランドのアンノウン・モータル・オーケストラとかオーストラリアのテーム・インパラとか好きだし、スウェーデンのオキシゲンとか、あとタイ・セガールとかも好きだし。ちょっとサイケな歌もの、みたいなのはすごい好きですね。サウンド的には昔のサウンドを今のフィルターを通してやってる人が好きです。アラバマ・シェイクスとかはまさにそういう感じですぐ買いましたね。あと星野源もすごい好きで武道館公演も見に行きました。僕はよくラジオを聴いていて、大体それで出会ってますね。」


――日本のバンドとかだとミュージシャン同士で交流があったりするんですか?

[石若駿]
「最近あったのは、サカナクションのドラムの江島啓一さんですね。僕がテイラー・マクファーリンと一緒にやった時に観に来てくれていて出会ったんですけど、それからJAZZ SUMMIT TOKYOにもクラウドファンディングに参加してくれてライブも観に来てくれて。こないだはスガダイローさんのバンドで世武裕子さんとケイタイモさんと一緒に出来たりっていうのがありました。今年はポップスにも結構参加することが出来て、原田知世さんのバンドでもやらせてもらったし、MONDAY満ちるさんとも出来たし。そうやって色んな人と交流したいんですけど、やっぱりなかなか機会が無いですね。」


――ドラマーだと最近はヒップホップのトラック用のレコーディングとかもありますよね。フライング・ロータスとかケンドリック・ラマーのアルバムにジャズ・マンが入っていたりとか。

[石若駿]
「最近はそういうビート系のもので呼ばれる事も多いですね。「Stones Throw」ってヒップホップのレーベルがあるじゃないですか?こないだそこのダドリー・パーキンスってラッパーが日本にちょうど来ていて、「トラック作りたいから」って呼ばれて。宮川純くんとDJ YUZEさんと一緒に行ってレコーディングしました。そこではいわゆるJディラ的なヒップホップのビートを叩いて。リリースされるのかはわからないですけど、レーベルの人もたくさん来てたから形にはなるんだろうなって。あと去年は黒田卓也さんに「ホセ・ジェイムスのロンドンチームのキーボードが来てるから一緒にレコーディングしよう」って誘われて3人でレコーディングしたりとか。」


――石若くんも今後まだまだ色んな方面からオファーありそうですよね。

[石若駿]
「あったらすごく嬉しいです。偉そうな感じかもしれないけど、本当に僕がやってる音楽が好きでオファーされたら最高だなって思います。」


――石若くんが今注目している自分より若手のミュージシャンって誰かいますか?

[石若駿]
「僕より若い人ですか?アルバムに入ってる侑成はもちろんですけど、高橋陸ってベーシストがいて、彼は共演するたびに良くなってるなって思います。初めて会った時彼が高校1年生で、今19歳とか。彼はバークリー行くかもしれないんですけど着実に良くなっているので楽しみです。あと最近直接観れてないんですが、ちびっこドラマーで有名だった鬼束大我くんが今高校生になっていて、すごいって噂を色んな所から聞きますね。」


――最後に石若くんが最近やってるプロジェクトを教えて下さい。

[石若駿]
「実は去年からスタジオに篭って一人でピアノを弾いてドラムも叩いてゲストのボーカルを入れて僕の曲に歌詞を書いてもらって歌ってもらうっていう作品をこっそり作ってます。こないだは<けもの>の青羊さんに歌ってもらったし、サラ・レクターさんにも歌ってもらったし。角銅真実さんに歌ってもらったりとか。ゆくゆくは配信にするか自分でプレスして手売りで売ってみようかとも思うし、どこかがリリースしてくれたらなとも思うし。今のところ5曲たまっていて。

あとは「Ki-Do-Ai-Raku」っていうパーカッション・カルテットを藝大の同期4人で組んでいて、3月にそれのファースト・リサイタルがあるのでそれの為に動いていたりとか。これは今年の2月にその4人でルクセンブルクにコンペティションを受けに行って、セミファイナルまで行けたから<これで終わるのはもったいないから日本でもリサイタルをしよう>って。」


――へぇー。じゃあこれからやることもジャズに限らずって感じで。

[石若駿]
「そうですね。とにかく自分がやりたい事とか興味がある事は全部やりたいって感じですね。このバンドでも1月にリリースライブをするので是非見に来てほしいです。」


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Recommend Disc

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Title : 『CLEANUP』
Artist : SHUN ISHIWAKA 石若駿
LABEL : SOMETHIN'COOL
NO : SCOL1011
RELEASE : 2015.12.16

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【MEMBER】
石若駿 Shun Ishiwaka (ds)
吉本章紘 Akihiro Yoshimoto (ts, ss)
中島朱葉 Akiha Nakashima (as)
井上銘 May Inoue (g)
アーロン・チューライ Aaron Choulai (p)
高橋佑成 Yusei Takahashi (p)
須川崇志 Takashi Sugawa (b)
金澤英明 Hideaki Kanazawa (b)


【SONG LIST】
1. The Way To Nikolaschka
2. Dejavu #1
3. Darkness Burger
4. A View From Dan Dan
5. Cleanup
6. Professor F
7. Ano Ba
8. Dejavu #2
9. Into The Sea Urchin
10. Big Sac
11. Siren
12. Wake Mo Wakarazu Aruku Toki
13. Tanabata #1







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【石若駿】(ドラム)

1992年生まれ、札幌出身。10歳のときに来日中のハービー・ハンコックに見出され、その後15歳にして日野皓正(tp)バンドに抜擢。東京藝術大学付属高校を経て同大学打楽器科へ進学。在学中よりファーストコール・ドラマーとして数々のバンドのレコーディング、ライブに参加。またアニメ「坂道のアポロン」では主人公・千太郎のドラムモーションと演奏を担当。2015年東京ジャズにおいては、沖野修也率いるKyoto Jazz Sextetにて出演し、リチャード・スペイヴン(ds)と披露したツイン・ドラム・ソロがテレビでもOAされ話題となっている。ジャズ演奏の傍ら今年藝大打楽器科を首席で卒業。ジャズ界、クラシック打楽器界、そしてポップス界、誰しもがその後の動向に注目する中、初のフル・リーダー作発表となる。


石若駿 Official Site

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