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[Jazz Today] 寺尾紗穂 ロングインタビュー(聞き手:ジョー長岡)

女性シンガーソングライターの寺尾紗穂のインタビューをお届けする。
聞き手は、JJazz.Net番組ナビゲーターでシンガーソングライターのジョー長岡。

事のきっかけは、ジョーさんがシンガーソングライターとして尊敬している寺尾さんのワンマンライブを企画したことだった。
寺尾さんのソロ弾き語りを収録し、番組で紹介したいと思っていた僕にとってもまたとない機会だった。

寺尾さんとジョーさんの間には、不思議な繋がりがある。
ライブの開催日、「12月16日」をめぐる繋がりだ。
詳しくは、以下のリンクをたどって欲しい。

http://d.hatena.ne.jp/onbinpa/20121130/1354288320

紆余曲折ありながらも、事は実現する。
ライブの模様は、2013年1月9日から約1ヶ月間掲載の番組「Jazz Today」で聴ける。
幸いにも「骨壷」も紹介することができた。

色々なタイミングが咬み合って実現した公演と、番組とインタビュー。
寺尾紗穂の音楽のバックグラウンドも感じてください。


[Text:樋口亨]



寺尾紗穂 ロングインタビュー(聞き手:ジョー長岡)


寺尾紗穂1 © Fuminari Yoshitsugu


~はじめに~

[ジョー長岡(以下J)] ソノリウムでのライブは2回目になるんですね。

[寺尾紗穂(以下S)] そうです。

[J] どういう場所ですか。「拍手が大きく聞こえる」という話をライブ中にされていました。

[S] そうですね。すごく気持ちよく演奏できる場所です。

[J] リハーサルでPAがまだ入ってない時、ピアノの響きが凄かった。天井から音の粒が降ってくるような。

[S] 人が入ってないと特に。

[J] 寺尾さんのライブ前の表情を初めて見たのですが、全く緊張しないというようなお話をしていましたね。ライブにはどういう気持ちで臨んでいますか。心がけていることなどあれば。

[S] 歌詞が飛んでしまうことがあるんで、歌詞のことを考えています。頭の中で再現している。

[J] ピアノの譜面立てに置いてるノートは?

[S] あれはね、この曲はちょっと見ないと駄目だなっていうのがあれば置いておくのと、あとは曲順なんです。曲順と、ここでどんなこと話そうかっていうメモ。曲順書いとかないと、次は...といって1分くらい止まっちゃったりする。

[J] そうか。じゃあ基本は、歌詞は見ていないんですね。

[S] 見ていないです。

[J] 僕はてっきり、寺尾さんは歌詞を見ながら歌う人なんだなと、ずっと思っていました。

[S] みんなそう思っていると思います。

[J] 歌詞がどうしても出てこない時は、どうしていますか。

[S] 出てこない時、あんまり止まっちゃう時は最初からやり直したりとか。子供を産んでから練習量がどうしても減ってしまって、それをイメージトレーニングで補っています。そのやり方がよくわかんなかった頃、練習量が減って不安だけが増していった頃が、ミスが多かったですね。

[J] イメージトレーニングっていうのはどんな風に。

[S] 自転車に乗りながら、とか。

[J] 曲順はいつ決めますか。

[S] だいたい当日かな。早いときは前日。

[J] 曲順を決める上で、大事にしていることはありますか。

[S] 会場に入ってみて感じることとか、そこに来るまでにあった出来事とか、そういうことで決めることがありますね。共演者の方のお話にちなんで、自分の準備していた曲を変えることもあります。

[J] 弾き語りだと、それが可能ですよね。

[S] そうですね、一人だと。



寺尾紗穂2 © Fuminari Yoshitsugu


~子供の頃~

[J] 今回のライブでは、寺尾さんの歌や音楽のルーツの話がいくつか聞けました。それにまつわる曲の披露もあって、とてもラジオ的な時間だったと思います。更に深くお聞きしたい。寺尾さん、子供の時はどんな感じでしたか。自己分析すると。

[S] そうですね、なんだろう、周りとはズレていた気がします。幼稚園の頃かな、ジェニーちゃん人形で遊ぶことが流行ってましたけど、私は興味なくって、木登りとかのほうが、よかったです。

[J] 木登り(笑)。男の子と遊ぶ方が多い感じかな。

[S] 小学校に入るとそうでしたね、サッカーとか。でも、ドッチボールは嫌いでした。ドッチボールが流行ってた頃は、ひとり教室に残って金魚を眺めたりしていました。

[J] ドッチボール、どうして嫌いだったんですか。

[S] なんでだろう... あの、追いつめられる感じ、嫌いだった。当たると痛いし(笑)。屋上で相撲するのが流行ってた時期があって、その相撲には参加してた。

[J] 相撲ですか...(笑) そういう女の子いたなぁ。

[S] あと、理科の解剖がすごく嫌で。フナだったと思うんですけど。殺すのはいいけど、その後、それを捨てるというのがどうしても納得がいかなくて。例えば家庭科で魚料理に生かすとかしてくれればよかったのに。

[J] 給食で出す、とかね。

[S] そう。殺して捨ててしまうということが、絶対受け入れられなくて、「私はやりません」と泣いて、教室に残ってました。

[J] いつの話ですか。

[S] 小学校5年生の時かな。

[J] 他にも、許せなかったことありますか。

[S] 許せなかったこと...衝撃的だったことは、小学校4年生だったかな、母親から聞いたんですが、関東大震災の時に朝鮮人が沢山殺されたという話を聞いた。なんでそんな理不尽な、訳のわからないことが過去に起きているんだろう、とショックでした。休み時間に当時一番仲の良い友達呼び出して、こんなことが起きてるんだよと、言ったりして。それはそれで終わるんですけど、その時に抱いた違和感、何故そんなことが起きてるんだろうと、それは後になって、戦争のこととかと繋がっていくんですけど。その時が、歴史に対する興味というかその核になる部分、その種が撒かれた時だったかな。

[J] その頃の許せなかったことって、その人の他者や世界に対する認識と深く繋がっていると思う。嫌なものは嫌っていう、もう理屈ではない感覚ですよね。

[S] うん。あと、幼稚園の頃からの友達で、小学校も一緒だった子で朝鮮人の子がいたんですね。その子は結構我儘な感じの子で周りから好かれていなかったんですが、小学生になって名前のことで、クラスでからかわれていました。私すっかり忘れていたんですけど、当時許せなくて、先生に告げ口したらしいんですよ。名前のことでからかわれてるって。そういう、おかしいでしょってことに小さい頃から敏感だった気がします。後々になって、高校生の時かな、その子から急に、私と話がしたいと電話がかかってきた。小学校の途中で転校して以来会ってなかったんですけど、中学に入って名前を変えた話などを打ち明けてくれました。

[J] ピアノはいつから始めましたか。

[S] 幼稚園の時にヤマハの音楽教室に通い始めて、教室ではピアノも習ったけど、歌中心だったかな。その後、個人の先生に移りました。その先生がとてもやさしくて、それがピアノを長く続けられた理由かなと。最初厳しいと、嫌になっちゃうから。

[J] よく聞く話なんですど、個人の先生との相性ひとつで、ピアノが嫌いになったり、音楽そのものから離れてしまう人というのがいます。馬鹿みたいな話。

[S] 本当にもったいない。うちにも、好き嫌いがはっきりしている長女がいて、よさそうな先生がいるから、少し前にピアノを習わせに行ったんですけど、あの先生嫌だと言って、今は行ってないです。

[J] 僕も寺尾さんと同じ道程を辿ってて、幼稚園の時ヤマハ、その後個人のピアノの先生に付きましたけど、本当に先生に恵まれたと思っているんです。今自分が音楽を続けていることにとても大きく関係している。

[S] そうですよね。ジョーさんは全体的に、先生に恵まれましたか。

[J] 僕ですか。僕は、いいのと悪いのとありましたね(笑)。さっきの許せない話だと、小学校4年生の時の担任とは、クラスのある制度を巡って対立しました。僕は絶対におかしいと思ったので、それを先生に言ったら、逆に目を付けられた。転校してすぐのことで、校内で完全に孤立したことがあります。けど5年生になると、野生児みたいな若い男の先生が担任になって、学校行くのが俄然面白くなった。波がありましたね。

[S] 私も思い出した(笑)! 家庭科の先生でね、調理実習でサンドイッチとか作ると、ある生徒に向かって、あなたは太ってるからちょっとでいいわね、みたいな物言いをする先生がいた。その発言はおかしいでしょと、そう思った子何人かと当時の担任の先生に告げ口して、謝ってもらいました。担任の先生が間に入って、頑張ってくれた。

[J] よかったですね。僕はその小4の担任とは、結局和解しなかった。

[S] 担任の先生、重要ですよね。面白いです、先生の話(笑)。小学校の音楽の先生がとてもよくて、教科書をほとんど使わない、先生がいいと思った合唱曲を、授業でたくさん使う先生だった。合唱が好きだった私に、「杉並ぞうれっしゃ合唱団」を勧めてくれたりしました。当時歌うのが好きだった4、5人が、それに参加して公会堂で歌ったりしてました。歌うことは本当に好きだった。

[J] 話がさらに遡りますけど、幼い頃のテープが残っていると、聞きました(笑)。

[S] それは母が録音していたんですけど、3歳くらいの頃、勝手に歌を作って歌ってるんです。

[J] ひとりで?

[S] そう、ひとりで。

[J] それ保存しといてくださいね。いつか聞いてみたい。

[S] どこいったかな...(笑)

[J] ライブでは、合唱から独唱にいたるきっかけになる曲を披露しました。「Caro Mio Ben」。とても好評でした。

[S] ありがとうございます。

[J] クラッシックや合唱の世界から、ポピュラーミュージックへの道程をお聞きしたいです。お父様がSugar Babeの元ベーシスト、寺尾次郎さん。お父様の影響は何かありましたか。

[S] どうなんだろうな...。私、小学生の頃からドリカムが好きで、ワンダーランドにも何度か行ってるんですよ。そういうものも並行して聞いていたわけです、すごく狭い世界でしたけど。中学に入ってからはミュージカル部に入って、自分で作曲もしていたんで、うーん...。

[J] お父様が、SugarBabeの二代目のベーシストだと知るのは、いつでしたか。

[S] 楽器をやってたんだよって話を聞いたのは 5、6歳だったかな。家に次郎人形という、ファンの人が作った人形があったんですよ、ベースを肩から提げてる(笑)。それで、父が楽器を弾く人だということは、幼い時から知っていました。だけど実際、楽器は見たことないし、父とは小学校に入る頃には別居していました。父との一番最初の思い出は、字幕で使うタイプライターを触らせてもらったことかな(寺尾次郎さんは、フランス映画の字幕翻訳家でもある)。

[J] 所謂タイプライターですね、ワープロの前の。

[S] そうです。ただ家には、父が参加したサンプル盤がありました。竹内まりやさんとか、大貫妙子さんの作品。きっちりと揃っていたわけではなく、ぽつぽつとあって、そういうのは聞いていました、中学の頃です。竹内さんのはよく聞いてましたね、不倫の曲が多かった。

[J] 寺尾さんは、弾き語りのピアニストとして、とても個性的なピアノを弾く人だと、僕は思ってるんです。そのスタイルは独自に作っていったものですか。

[S] ジャズの要素が入ってるのは、大学に入ってジャズ研にトライしたことが関係していると思う。結局挫折したんですが。ただ、それだけかっていうとそうでもなくて。中学の時にミュージカルでの作曲をやってた時から、ジャズっぽい曲っていうのがあった。その時は、「ジャズ」という意識はないんですけど、見に来ていただいた先輩から「寺尾さんってジャズのコード鳴ってるけど、勉強してるの?」って聞かれて初めて、あっこれそうなんだって。つまり耳から入ってる映画音楽などが、自然に曲の中に出てきてる感じだと思うんです。だから、ちゃんと勉強してないんです(笑)。

[J] 挫折って...どんな風に挫折したんですか。

[S] ジャズ研ってなると、ひとりで完結することがあまりなくて、基本的に皆でセッションなんです。セッションになると、ピアニストは左手をほとんど抜かなきゃならない。それが全然できなくて。つまり、ピアノを弾くとなると、左手がベースの役割をするってのが、私の中で固定化されてました。そこのビートを自分で感じないと、弾けなかったんです、ピアノが。どうしても、ベースと重なるところを弾いてしまう。

[J] クラッシック出身の人の癖かもしれない。

[S] うん。

[J] でも弾き語りで演奏する上では、大事な部分かと。

[S] そこがないと成立しない。

[J] 寺尾さんの弾くベースラインが、とても個性的だなと思っていました、なるほど。

[S] セッションはしたいんだけど、できない... それで、ジャズは無理だなぁ、と。



寺尾紗穂3 © Fuminari Yoshitsugu


~ソングライティング~

[J] ライブ中のいろんなお話の中で僕にとって一番衝撃だったのが、一年間普通に生活していると、10曲くらいは自然に曲ができると言ってたことです(笑)。

[S] (笑)

[J] 曲作りについて聞きたいんですが、どんな風に作曲してますか。

[S] 降りてきたものを、キャッチして、まとめる。それだけです。ずっとやり方は変わってません。

[J] どんな時に降りてきますか。

[S] バラバラですけど、自転車に乗ってる時、お風呂に入ってる時、子供たちと遊んでいる時とか。あ、きたきた、みたいな。

[J] 音楽に向き合っていない時、ですよね。

[S] 詩が先にある時は、ピアノの前に座って、待つ感じになりますけど。それ以外はピアの前ではないですね。

[J] 降りてくると、どうします?

[S] とりあえずコードを書き取って、詩を書いて。忘れそうな時は、メロディの音譜を書いて。録音できそうな時はICレコーダーで。

[J] ライブでは、去年できた未発表の曲を何曲か聞けました。どれも素晴らしかった。

[S] ありがとうございます。ジョーさんは、どれが一番好きですか。

[J] 「愛よ届け」かな。歌詞が好きです。曲の一部が降りてきて、すぐにまとまりますか。

[S] 割とすぐですね。時間がかかるものは、それ以上進まないことが多い。

[J] 寺尾さんが、ソングライターとして大事にしていること、もし言葉にできるなら教えてほしい。

[S] 私の中からはどうしても、軽いものってのが出てこない。どうしても、どこか重苦しいもの、深いもの、鋭いもの、そこの世界に触れた時に、自分の創造の原動力が動き始める。だから軽い詩、楽しい詩をもらって、作れって言われれば、作れるのかもしれないけど、自分の中から自然に出てくるものとしては、軽やかなものは出てこない。

[J] 本当は、軽やかなものも作りたいという欲が、逆に寺尾さんの中にあるのかな。

[S] アルバムのバランスっていうのを、いつも気にはしているんです。最近、津守美世ちゃんが詩を書かなくなってしまったので(津守さんは彫刻家でもある。)、これからは誰か他の人の詩で、バランスを取っていくのかもしれない。

[J] 抽象的な質問かもしれませんが、あえて。寺尾さんにとって、いい曲、いい歌ってどういうものですか。

[S] ベースとメロディだけで、充分に成立するもの。それがいい曲だと思います。

[J] 去年の青山でのライブで、共演した「ふちがみとふなと」さんのことを、寺尾さんが紹介していた言葉ですね。

[S] そう。あれがすべてだと思う。つまり、それで成立するっていうのは、曲の足腰が強いってこと。

[J] 寺尾さんのピアノの、ベースの印象が強いこととも繋がる。

[S] うん。それに加えることとして、コード感はやっぱり大事かな。どれだけ綺麗な衣装を着せてあげられるか。

[J] 歌詞に関しては、どうですか。

[S] そうですね。人が共感できる歌詞というのが、一般的にはいい歌詞なのかなとは思うんです。でも。共感できなくても、そこに現れているものに大きく揺さぶられる、揺さぶることができたら、別の意味でいい歌詞と言えるのかもしれない。そこに表出してくる強さとか、怖さも含めて。

[J] 共感できるまでに、時間がかかるものってありますよ。

[S] 受け入れるまでに、ね。



寺尾紗穂4 © Fuminari Yoshitsugu


~青い夜のさよなら~

[J] 昨年 6月に「青い夜のさよなら」をリリースされました。寺尾さんにとって、いろんな意味で挑戦的な作品だったと思うのですが、リリースから半年経って、どんな反響があって、今どんなことを思っていますか。

[S] この時期なんで、Twitterなどで 2012年のベストアルバムに挙げてくださる人がいます。これまでの作品と比べて、より広く届いたんじゃないかと思います。思ってた以上にコラボが作品を面白くしてくれた感じがあります。反響という意味では、前は掲示板に長い感想を書いてくれる人がいたんですが、今は皆Twitterじゃないですか。文章が短くなってそれは寂しいかな(笑)。HPのリニューアルを予定してるんですが、掲示板は残そうかなと思ってるんです、時代遅れなのかなと思いつつ。

[J] 僕の勝手な印象ですが、「青い夜のさよなら」は、最初エキセントリックな感触がありました。半年聞いてると、これはこういう作品として、しっくり僕の中で落ち着いてます。それと、今回のライブではっきりしたんだけど、寺尾さんにとっての「弾き語り」が、あのアルバムの存在で、一段と際立った気がする。

[S] うん。

[J] ライブで、アルバムの曲「追想」「ロバと少年」「富士山」「時よ止まれ」をやりました。弾き語りで聞くと、やっぱり印象が全然違う。寺尾さん独特のタイム感、グルーヴ、淡い色合いなどが、はっきりと出てくる。リスナーとしては、そこはすごく面白いところです。

[S] なるほど、そうですね。ジョーさんが、今回はピアノオンリーで、と言わなかったら前回同様、後半はドラムを入れようかと思ってたんですよ。だからいい機会をもらったな、と。


『青い夜のさよなら』寺尾紗穂
青い夜のさよなら

■タイトル:『青い夜のさよなら』
■アーティスト:寺尾紗穂
■発売日:2012年6月6日
■レーベル:ミディ
■価格:3,150円(税込)


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寺尾紗穂5 © Fuminari Yoshitsugu


~さいごに~

[J] いつも 5~6年先のことを考えていると、ライブの中で語っていました。5~6年前を振り返って、自分が思ってたような自分になっていますか。

[S] うん、そうですね。

[J] 今から 5~6年先のことは、どんな風に思っていますか。

[S] 多分いい感じになってるんじゃないですかね(笑)。ここ 1~2年、人との出会いに本当に恵まれていて。長くタッグを組めそうな人と出会えてる。人脈ってどんどん増えるだけじゃないですか。そういうものを大切にしていくと、幸せに歌い続けていけるんじゃないかなと思います。

[J] 今回の番組を聞いてくれている方々にメッセージを。

[S] ジャズを聴いてる方にとって、私はどうなんだろう...ジャズ挫折者だし(笑)。

[J] JJazz.Net は、どんどんその枠を広げて、ジャズだけにこだわってないですし。僕は寺尾さんの歌詞を是非味わって聞いてほしいな。

[S] うん。それと、ライブになかなかな来れない、地方の方に聞いてほしい。

[J] 2013年はどんな年にしたいですか。

[S] 以前からやってはいましたが、ようやく去年あたりから、地方からライブの依頼が多数来るようになってきたので、いろんな所に行きたいです。2月は仙台に行きます。そういう意味で届き始めたのかな、と。

[J] ご活躍を心から願っています。今日はありがとうございました。

[S] ありがとうございました。

(2012年12月28日 下高井戸ポエムにて)




寺尾紗穂
寺尾紗穂
11月7日生れ 酉年 東京出身
大学時代に結成したバンドThousands Birdies' Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。
2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題 になり,坂本龍一や大貫妙子らからも賛辞が寄せられる。
大林信彦監督作品「転校生 さよならあなた」の主題歌を担当した他、 CM、エッセイの分野でも活躍中。


ジョー長岡
ジョー長岡
演劇や舞踏の活動を経て、2000年より独自の歌世界を構築。シンガーソングライター。世界中の音楽と日本語の心地よい融合、力強く可愛らしい音楽をめざす。JJazz.Netでは「温故知新」「Jazz Today」でナビゲーターを務める。

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