vol.19 - お客様:ジノンさん ルシッド・フォール(Lucid Fall)について
いらっしゃいませ。
今年の夏は猛暑が続いたり、大雨が降ったりと不安定な日が続いていますね。
みなさん、夏バテしたりせずにお元気にお過ごしでしょうか。
今日は韓国のSSW(シンガー・ソング・ライター)で、その音楽にブラジルからの影響も感じられる、ルシッド・フォールを紹介したいと思います。
ルシッド・フォールを僕に教えてくれた友人のジノンさんをゲストに迎えました。
林(以下H)「ジノンさん、こんばんは。」
ジノン(以下J)「こんばんは。」
H「早速ですが、お飲み物はどうしましょうか?」
J「僕はあまりお酒は強くないので、何か軽いカクテルをお願いします。」
H「でしたら、僕がソウルで料理研究家の車さんにもらったジンジャー・シロップにミルクと少しだけラムをいれたカクテルにしますね。」
J「それでお願いします。」
H「さて、ルシッド・フォールのプロフィールを教えてもらえますか?」
J「はい。本名はチョ・ユンソク。1975年生まれでスイスローザンヌ連邦工科大学大学院生命工学博士です。ソウル大学校に在学していたときの1993年に※『ユ・ジェハ音楽競演大会』で銅賞を受賞します。その後、1997年に「ミソニ」を結成し、翌年、ミソニ1集アルバム『Drifting』でデビューします。その後、1年半くらいの作業期間を経て完成したのが、2001年に発売されたルシッド・フォール名義のファーストアルバム『Lucid Fall』です。彼の詩歌集『魚の心』を見ると、当時、周りの友人たちからは「ミソニ」のままでの活動を希望されたようですが、"ミソニの元メンバーでいつかまた活動できればという思いも強かったので、全く新しい名前でプロジェクトを作りたい"という気持ちがあったようです。ルシッド・フォール(Lucid Fall)という名前は、アルバム製作中に出演した某ラジオ番組の控え室で急に作ったそうです。ルシッドって『輝く、きれいな、透明』のような意味ですよね。なので、『輝く秋、綺麗な秋』のような感じでしょうか。」
※ユ・ジェハは80年代の代表的なSSWですが、1987年に発売したたった1枚のアルバムを残して、同年交通事故で亡くなります。その後、彼の死を追悼すると同時に、実力あるSSWを発掘するために、1989年から開催されているのが「ユ・ジェハ音楽競演大会」です。この大会での受賞者の多くが、90年代から今に至るまでの韓国音楽シーンで活躍しています。それほど彼の音楽は、韓国のミュージシャンに大きな影響を与えています。特に90年代の韓国のSSWに対しての影響力はすごいです。
H「ルシッド・フォールという名前はそういう由来なんですね。ルシッド・フォールはすぐに人気は出たのでしょうか?」
J「ルシッド・フォールが大衆に幅広く知られたきっかけは2002年に発売された映画『バス、停留場(L'Abri)』のサウンドトラックからでした。僕の記憶でもこの時期から急速に知られたような気がします。このサウンドトラックはある意味でルシッド・フォールのコンセプトアルバムのような感じがあったんです。音楽的にも優れた感覚で仕上げられていて、高い作品性も話題になりました。」
H「彼独特のコーラスワークやボサノヴァが魅力の素敵なサントラですよね。」
J「2005年にセカンドアルバム『Oh, Love』を、2007年にサードアルバム『国境の夜 (Night At The Border)』を発表します。この『国境の夜』は、ルシッド・フォールがブラジル音楽、サンバに興味を持った後に製作したアルバムです。2009年には4作目のアルバム『レ・ミゼラブル(Les Miserables)』が発売されます。特にそこに収録されている『그대는 나즈막히(あなたは静かに)』は日本で正式に発売されなかったにもかかわらず、多くの日本の音楽ファンから好評でした。アルバムタイトルがヴィクトル・ユーゴーの作品から引用されているのは、たぶんお分かりだと思いますが、ルシッド・フォールの話によると、収録曲の内容は小説と関連性はなく、小説に登場する数多くの不幸な生涯の人たちを、現在を生きる我々の物語に投影するような感覚で仕上げたアルバムだそうです。」
H「彼がブラジル音楽に傾倒しているというのは音を聴いてて強く感じますね。そして『그대는 나즈막히(あなたは静かに)』は本当に名曲です。僕は今までこんなタイプの音楽は聞いたことがありません。」
J「『国境の夜』と『レ・ミゼラブル』の間に、ルシッド・フォールはスイスのローザンヌ連邦工科大学大学院に留学しています。その時期に、スイス化学会高分子科学部門最優秀論文発表賞(2007年)を受賞します。その他、『一酸化窒素配送用ミセル (Micelles for Delivery of Nitric Oxide)』という彼の研究を米国で特許出願したり(2008年)、その研究の論文がNATURE誌の化学専門誌『Nature Chemistry』に掲載されたりしています(2009年)。音楽とは関係のない話になっていますが、この『一酸化窒素配送用ミセル』というのは、いままで人体に投薬することができなかった生体伝達物質の一酸化窒素を、細胞や膜組織を通過できるようにし、治療薬として使えるようにした方法だそうです。」
H「ルシッド・フォールのプロフィールを見ると、必ず博士号とありますが、そんな研究をした人だったんですね。」
J「このような留学の成果の後に、帰国して発売したのが『レ・ミゼラブル』です。あ、そうだ。たまに放送などで見れる彼の『スイスギャグ(日本でいうオヤジギャグ)』もその留学の時期の成果かもしれません(笑)。そして2011年、5作目のオリジナルアルバム『美しき日々』が発売されます。セカンドアルバムからこの5作目まで「2年に1枚」というペースでアルバムを発売しています。このアルバムでも、マンゲイラ(Mangueira)のようなサンバサウンドとかオマーラ・ポルトゥオンド(Omara Portuondo)のようなキューバ音楽の要素を意識したスタイルを発見できます。」
H「お! マンゲイラだ! というサンバ好きには嬉しいフレーズが挿入されますね。」
J「あと、ルシッド・フォールは歌詞集『魚の心』(2008年)、詩人マ・ゾンギとの往復メール集『すごく私的な長い出会い』(2009年)、初の短篇小説集『無国籍料理』(2013年)といった書籍も本も出版しています。また、翻訳家としてシコ・ブアルキ(Chico Buarque)の『ブダペスト(Budapeste)』の韓国語訳をしているそうです。ルシッド・フォールはシコ・ブアルキの大ファンだそうです。」
H「小説も書かれているし、なんとシコ・ブアルキの翻訳も作業中なんですね。うわー、色々と読みたいです。ところで、ルシッド・フォールは韓国ではどのくらい人気があるのですか?」
J「アルバムは、セカンドからは2~3万枚を売り上げているので、いわゆるアイドル音楽を除けば、韓国では最上位クラスだと思います。ライブは主に2,000~4,000席規模の会場をまわる短期か長期のツアーで、毎回売り切れになります。僕の感覚では、日本のアーティストだとキリンジ、曽我部恵一のような感じではないかと思います。」
H「さっきからお話に出てますが、ワールドミュージックに詳しくて、そういうラジオ番組を担当していたと聞きましたが。」
J「そうですね。※EBS FMのラジオ番組『世界音楽紀行』というワールドミュージック専門番組を約2年間(2009~2011年)担当しました。ルシッド・フォールがブラジル音楽、サンバが好きなことは有名な話で、韓国のメディアとのインタビューでは、特に好きなブラジルアーティストとして、ジョビン、カルトーラ、シコ・ブアルキを挙げていました。もちろん、マンゲイラも好きで、韓国で生活が始まったときに家の天井や壁を『ピンクと緑色』というマンゲイラを象徴する色で塗ったことも有名な話です。」
※EBSという放送局は日本で例えるとNHK教育のような感じです。元々は韓国の公営放送局、KBSの傘下にあったのですが、以降、KBSから分離、独立しました。
H「ピンクと緑色! ではルシッド・フォールを好きな人はどういう人たちですか?」
J「20~40代までの女性が圧倒的に多いですね。お洒落で、文化的に恵まれた環境の人が多い感じです。実際に、その分野の現場で働いてる人から『ルシッド・フォール好き』とよく聞きますので。」
H「こういうインディーズのシーンは韓国にはあるのでしょうか?」
J「そうですね。例えば、ルシッド・フォールのような音楽だとインディーズのシーンをチェックしても良いと思いますが、90年代後半から現在までの他の韓国のSSW系をチェックするのも良いのではないかと思います。例えば、最初に登場したユ・ジェハとか、『어떤날 (ある日)』のような現在のシーンの原形を作った先駆的なミュージシャンから始めて、映画『建築学概論』で日本でもおなじみだと思う90年代の『展覧会』、同じく90年代を代表するSSWのユ・ヒヨルのプロジェクトの『TOY』、2000年代初期の『才洲少年』、そして現在の『No Reply』へと辿り着く感じです。「韓国のSSW系」の歴史に沿って、シーンをチェックしたら素敵な韓国のポップ音楽にたくさん出会えると思います。」
H「僕はとにかく『그대는 나즈막히 (あなたは静かに)』という曲が好きなのですが、どういうことを歌っているのか教えてもらえますか?」
J「でしたら、僕が日本語に訳してみましたので、それを読みながら聴いてみますか。」
그대는 나즈막히 (あなたは静かに)
그대는 나즈막히 (あなたは静かに)
あなたは静かに
「あなたはいつでも あたしから去れるわ」
と言うんだね
僕は何も言えず、
黙って厚いマフラーを
脱いで手渡したまま
背を向けたけど
世の中のどんな因縁も
変わらないかもしれない
だから人々は
抱きしめて用心しながら
歩いて行くのだろう
すれ違う言葉だけでも
そんなに言わないで
僕にとってあなたはいつも
言えないくらい
ありがたい人
愛してる僕には
ひどく言わないで
いつか気が変わるって
言わなくても良いよ
H「ふーん、そういう歌詞だったんですね。切ないですね。では、この曲も好きなのでこれも訳してもらえますか?」
J「わかりました。じゃあこれも読みながら聴いてください。」
보이나요? (見えますか?)
보이나요? (見えますか?)
僕の心が見えますか?
こんなに秘めているのに
僕の心が見えたら
あなたも心に秘めるのでしょうか。
僕の心が見えますか?
いつ頃わかるようになったのですか。
あなたもそうでしたら
僕に言ってください。
控え目だけど
深刻に言ったらどうだろう。
違うことを話しながら
そっと言ったらどうかな。
いまは見えますか?
もう全て言ったのに
それでも、わからなければ
僕も忘れますか?
H「うわー、これも切ない歌詞ですね。」
J「これを聴いている日本の方にも伝われば良いのですが。」
H「ジノンさん、まだまだ質問がありますので、もう一回来てくださいね。」
J「わかりました!」
ジノン(Jinon)
1979年ソウル生まれ。レコード会社で2年、東京で1年間生活した後、美術関連会社の企画アシスタントとして活動。
the boy from Seoul and Tokyo http://theboyfromseoulandtokyo.blogspot.jp/
Twitter https://twitter.com/JinonKim
ジノンさん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
ルシッド・フォール、今、個人的に一番大好きなアーティストです。是非、みなさんもチェックしてみて下さい。
それでは、またこちらのお店でお待ちしております。
bar bossa 林 伸次
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林 伸次 1969年徳島生まれ。 レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、 フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。 2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。 著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。 選曲CD、CDライナー執筆多数。 連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。 bar bossa ●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F ●TEL/03-5458-4185 ●営業時間/月~土 12:00~15:00 lunch time 18:00~24:00 bar time ●定休日/日、祝 ●お店の情報はこちら |