vol.24 - お客様:筒井奈々さん(DU BOOKS)
「10代の自分に聴かせたい音楽」
いらっしゃいませ。bar bossaへようこそ。
月の後半はお客様をお迎えして「俺がコンピCDを作るんだったらこうするね」という趣旨で選曲していただいてますが、今回も女性で、「私がコンピCDを作るんだったらこうするかな」です。ゲストはディスクユニオンの出版部門「DU BOOKS」の編集者であり、DJとしても活躍中の筒井奈々さんです。
林(以下H)「いらっしゃいませ。お飲み物は?」
筒井(以下T)「モヒートをお願いします。」
H「小さい頃の音楽体験のようなものを教えてください。」
T「祖母が日本民謡の師範で、教室を開いていた影響もあって、3歳から日本民謡を祖母に習い始めました。初舞台も3歳です。なので、物心つく前から歌を歌っていまして、特に好きとか嫌いとか感じる前からやらされていた、といいますか。祖母が亡くなるまで、15年間ほど民謡は続けていました。」
H「え。早速すごい話ですね。おばあちゃんはどんな人だったのでしょうか。」
T「祖母は気難しいところもありましたが、基本的におもしろいこと・みんなで楽しく騒ぐことが好きな豪放磊落な性格で、且つ酒豪でした。お酒の飲み過ぎで肝臓を壊して亡くなった祖母を反面教師にしつつ、よくぞそこまでと、とても尊敬しています。ちなみに、私と祖母は、顔も性格もお酒の飲み方もそっくりで、隔世遺伝と言われています。一家でお酒をたしなむのは、その亡くなった祖母と私のみです。」
H「おばあちゃん、かっこいい・・・」
T「また、祖父は、戦争中、部隊に従軍して兵隊さん達を慰問する楽団に所属していたようで、家には古いサックスがあります。どうもジャズが好きだったようですが、祖父自らその話をしてくれたことはないので、特に無理矢理尋ねたことはありません。父母は特に目立った音楽好きというわけではないので、そこも隔世遺伝なのかもしれません。」
H「筒井さんにとっての生まれて初めてのCD、レコードは?」
T「松田聖子の『ピンクのモーツァルト』と堀ちえみのなにがしかのEPでした。母方の親戚が、高知県でレコード店を営んでいて、高知県を訪れた時にいただいたものだったと思います。」
H「なるほど。」
T「小学校低学年くらいまでは、テレビに登場するアイドル歌手(当時も今も、男性よりも女性のアイドル歌手が大好きです)の名前を片っ端からノートに記録しておいたり、この頃からアーカイヴづくりが好きだったみたいです。小学3~4年生の時にCD付きWラジカセを買ってもらいました。小学校高学年は歌謡曲やJ-POP(の走り)みたいなものを熱心に聴いていました。あとは、おニャン子クラブの次世代アイドル集団・乙女塾が輩出したCOCOというアイドルグループが好きでした。名曲ばかりだったなあと今でもYoutubeでよく振り返ります。」
H「民謡からアイドル・・・そして?」
T「中高一貫の女子校に入学しました。中学入学と同時に、ハードなB'zファンになりました・・・。女子中学生たるもの、やはりアイドルや俳優など、なにかにどっぷりハマりたがるもの・・・。ファンクラブにも入り、闇グッズなども買い集め、完全にB'zクレイジーになっても、男性の目がないのでへっちゃらでした。そして周りの同級生たちも、ほとんど全員が誰かのファンで、そんな盲目状態に陥っていました。そんな中1のある時、民謡をやっているという噂を聞きつけたある同級生に、バンドに勧誘されました。うちの学校は、中高生は一緒に部活を行なうのですが、ロックバンド部だけは(不良とみなされていたのか)、中学3年までは入れなかったのです。そこでこのバンドは、中1~2は独自でバンドを組んで練習を積み、中3で部活に正式加入という方法をとりました。」
H「中1でバンドを始めるんですね。すごい・・・」
T「バンドでは、メンバーの意向で、ビートルズ、ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、スージー・クアトロ、ジャニス・ジョプリンのカバーなどばかりやっていて、中1のわりに激シブでした・・・。中3になり、『中1からバンドをやっている!』という鳴り物入りでバンド部に入ったのですが、やはり校内の人気を得るには日本のバンドをカバーせねばならない、と急遽、ユニコーンやJUDY AND MARY、THE YELLOW MOKEY、TOKIOまでもレパートリーに入れました。メンバー5人の趣味が新旧洋邦バラバラで、でもお互いの音楽性を尊重するという、校風がにじみ出た結果かもしれません・・・。」
H「東京の女子校ってそんな感じの子がいるんですね。」
T「私個人としては、中1から中3の途中まで、B'zが好きすぎて、B'zのメンバーが過去に聴いていたアーティスト(主に70~80年代のHR/HM)をも追いかけて聴いていたのですが、バンドのメンバーが、当時流行していたブリットポップのバンド、blurとoasisを貸してくれて、中学3年でブリットポップやオルタナティブ・ロック方面に開眼しました。当時、彼女が手を差し伸べてくれなければ、今でもB'zを狂ったように聴いていたかもしれません。また、彼女の影響で、中学3年から高校卒業までずっと「rockin' on」を読み続けました。今みたいな性格になったのは、当時のrockin' onの影響もあると思います。西原理恵子さんの四コマ漫画には、価値観の形成という意味でとても影響を受けました。」
H「そしてrockin' onですか。あの雑誌は日本中の若者の人生を狂わせてますね。ライヴは行ってましたか?」
T「中学1年の時に、GET A GRIPツアーで来日したエアロスミスのコンサートに行きました。コンサート初体験です。その後はB'zやドリカムといったコンサートに行っていました。高校1年で初めてオールスタンディングのライヴに行きました。FOO FIGHTERSの初来日公演です。その後、大学受験の勉強に専念するまでにたくさんのライヴに行きたくて、ash、ルシャス・ジャクソン、cibo matto、WEEZER、John Spencer Blues Explosion、BOSS HOG、Sugar Ray、・・・と来日するめぼしいバンドにはほぼ、また、当時は日本のハードコアパンクバンドが盛り上がっていたので、Hi-Standard、ヌンチャク、BACK DROP BOMB、Coke Head Hipstars、RUDEBONES、SCAFULL KING、SUPER JUNKY MONKEYなどなど、洋楽邦楽問わず、CDを買ってはライヴに行っていました。その一方で、2ndアルバムから、遅ればせながら小沢健二の文学性にハマり、小沢健二のコンサートにも激しく通っていました。思春期の倦怠感(ただし、恋愛沙汰は皆無)を小沢健二の1stの虚無感とすり替え、浸って聴いていました。」
H「すごい・・・」
T「当時は、学校帰りに、タワーレコードやデパートなどでセーラー服から私服に着替え、ローファーからスニーカーに履き替えて、ライヴハウスに行くのが、本当に楽しかったです!おそらくライヴハウスでは最年少でしたが、お酒やたばこなんかにまったく興味がなく、試したことすらありませんでした。ライヴ帰りにハンバーガーを食べながら、女子校の同級生たちと感想を言いあい、0時頃に家について母に怒られる、その繰り返しでした。健全なものです。校内に一緒にライヴに行ける仲間がたくさんいたのは本当に幸せでした。毎日のようにコンセプト立てたオリジナルカセットテープをつくっては交換し合い、一緒にユニオンやレコファンで中古を探し、タワーで新譜の予約をして特典のポスターやステッカーを自慢し合ったのは、涙が出るくらいいい思い出です。ただし、中高を通じて一般男性としゃべった時間は、父や弟、先生をのぞいたら、6年で2時間以内程度だったと断言できます。我が青春、音楽と友情のみと共に有りです。」
H「あの、僕、ライヴばっかり行ってる娘がいまして、今、ちょっと目頭が熱くなってます。」
T「大学に入学するにあたって、当時は日本のハードコアパンクにはまっていたので、高3で志望校の文化祭に足を運んだ際、『この学校でもこんな音楽をやる人がいるんだ』と思った激しいライヴをしていたサークルの門を叩きました。その文化祭でライヴを観た後、そのメンバーの人たちに『このサークル入りますんで』と宣言しに行って、4月には『入りました~』と部室に飛び込んだら、『文化祭で入部する気満々で話しかけてきたから、受験生じゃなくて付属校あがりの子かと思ったよ』と言われました。」
H「ふーん。東京の音楽好きの女の子ってそんな感じなんですね。勉強になります。」
T「そのサークルは、実は、そのようなハードコアパンクも演奏するし、もっと古いロックも演奏するし、HIPHOPが好きな人もいればFUNKが好きな人もいる、音楽的に寛容なサークルでした。私が聴く音楽の幅も、ここでグッと広がりました。女だらけの女子校生活を経て久々の共学でしたが、選んだサークルに誤りがなかったのか、非常にスムースな人間関係および大学生活を送ることができました。ここで選択ミスを犯していたら、どんなに孤独だったことでしょう!女子アナになるような生徒が沢山いる学校・学部だったので、趣味の合う音楽サークル仲間以外にほとんど友人はいませんでした。このサークルで初めて黒人音楽というものを意識し、さらにはハウスミュージックに出会いました。DJをやっている先輩のプレイを聴きに、初めてYELLOWに行ったのも懐かしい思い出です。その後自分がハウスミュージックのDJを始めることになるとは・・・・・・。ワールドミュージックやジャズのおもしろさも徐々に知り、大学卒業時には現行のロックにほとんど興味が無くなってしまいました。」
H「ええと、わかりにくいと思うので読者の方にお伝えしますと筒井さんは雙葉と慶応に通いました。」
T「大学のサークルの先輩で、54-71というスカム・ジャンクバンドがいて、ある一部の界隈では有名だったのですが、54-71のライヴには4~5年ほど皆勤で、ずっと通っていました。リズムや音の構成は今聴いても痺れます。メロディの美しさなどとの対極にある、構成の美学を感じます。ライヴをやったり、ライヴに行ったり、クラブに行ったり、レコード屋に通ったり、とほんとうに自由に楽しくやっていました。ハードな受験勉強の反動もあってか、ストイックに音楽を求道するのではなくひたすら好きな方へ、楽しい方へ、という感じでふわふわしていただけでした。意識の低いただの音楽好きです。新宿のクラブOTOで友人のDJを聴いた後、早朝に先輩たちの車でお台場までひとっ走り、一限に間に合うよう、港区の校舎まで戻ってもらったり、遊びでクラブイベントをはじめたり、中高時代とは違う音楽の楽しみ方を学んだのもこの頃です。大学卒業後は、青山ファイのディープファンクのイベントの後にMIX、というコースでよく遊んでいました。また、菊地成孔さんにハマッたのもこの頃です。菊地さんのコンサートや大学の講義にもよくもぐりこみに行きました。」
H「筒井さんの音楽体験は東京の音楽文化を考える時の貴重な資料になりそうですね(笑)。音楽の仕事をしようとは思わなかったのでしょうか?」
T「高校時代に音楽に関して多大なる影響を受けた、当時blurやoasisを貸してくれた女子校の同級生は、大学は別でしたが、より自由に活動を続け、着実にその音楽力を蓄積していました。また、私の大学のサークルにも、バンドサークルなのに『リスナー』と称してジャンルを無視して、有名無名問わずフラットに聴ける耳と膨大な知識を持つ先輩がいて、その2人には相変わらず影響を受けまくりました。こんな2人がいるのに、私が音楽を仕事にできるわけがない、と音楽を仕事にすることは早々にあきらめていました。また、本当に好きなものは仕事にしない方がいい、と感じていたのかもしれません。私は、音楽もひとつの『文化』として扱える、文化を担える仕事がしたいと、出版業界に足を踏み入れたのです(ただ、その同級生の女の子とは今ではまさかの同僚です。縁だなあと感じます)。」
H「その後、DJを始めたんですよね?」
T「社会人になっても相変わらずサークル仲間とはつるんでいたので、ごく最近まで一緒にライヴやクラブに出かけていました。最近は、それぞれ仕事や家庭で忙しくなり、頻繁に会いますが、もう音楽という媒介は必要としていません。私自身は、社会人になってアイデンティティーが揺らぎ、自分は音楽が好きなのだ、と改めて感じたこともあって、30歳を過ぎて遅ればせながら、DJ活動に熱心になりました。今まで聴いてきたいろいろなジャンルの音楽をアウトプットできるDJはとても楽しいです。またダンスミュージックのDJとなると、テクニックやグルーヴなどのフィジカルな部分のスキルも必要で、まさに『考えるな、感じろ』です。どうすれば体が動くか、という部分で音楽を聴いたり踊ったりするのは、今まで知識を蓄えたり、その音楽のバックグラウンドを考えたりして、頭でしか音楽を聴いてこなかった身としては新鮮で、魅了されています(もちろん知識がある前提で、それを瞬時に体感的に音で表現できるのが最強のDJだと思います!)。」
H「今後の世界の音楽について思うことなどを。」
T「20代の若い人がYouTubeで気軽に音楽を聴けるようになったのは、うらやましい限りです。でも、YouTubeやネット情報だけだと、50年代から連綿と続く大衆音楽の歴史が断片的にしか切り取られていないので、若い人が系統だてて音楽を聴く手段がなくなっているなあと思います。例えば70年代はロックが全盛で、一方で黒人音楽が開花し、80年代はMTVの影響とニューウェイヴ、90年代にはオルタナロックが流行って・・・みたいな説明の仕方って、今後は共通言語として有効じゃなくなるし、今後の年代はこういう説明は大まかにしかできなくなりますよね。音楽をつくる人は、断片的にでもいいものを嗅ぎ取るセンスがあれば、年代なんて関係なく影響を受けてアウトプットができると思うのですが、ジャーナリズムとして音楽を捉えようとする若い人は、今後、自己学習が大変になるんじゃないかな、と思います。出版人としては、そのアーカイヴを少しでもまとまった書物として残せたら、という気持ちがあります。」
H「筒井さんらしいお言葉です。筒井さんの今後は?」
T「DJ体験がまだまだ新鮮で楽しく感じているのと同様、本づくりが楽しい毎日です。できれば、DJと編集者の活動を両方続けて、どちらにもいい影響を与えていくような関係を築いていきたいです。どちらの活動も、『たくさんの人と会って、初対面でもいろいろな話ができる』という特徴があるのですが、それは私の性格にとても合っているようです。音楽を通じたコミュニケーション力は、大人になっても活かされています。」
H「ありがとうございます。それでは、選曲に行きましょうか。テーマは?」
T「はい。テーマは『10代の自分に聴かせたい音楽』です。≪≫の中は、10代の自分の声です。」
H「≪≫の中は、10代の自分の声・・・ それでは1曲目は?」
山下達郎 / SPARKLE
T「普遍的で良質なポップスの意味や良さは、10代の自分は理解できませんでした。当時は、マイナーなものこそ最高!誰もが知っている音楽なんて死ね!くらい思っていました。そんな私が山下達郎の1曲1曲に鳥肌を立て、コンサートに行くまでになるとは。10代の自分の偏狭な視野を呪います。『LOVE TALKIN'』のeditはDJでよくかけます。≪売れてる音楽聴いてるのってかっこ悪い!≫」
H「筒井さんの音楽体験を教えてもらった後なので、すごく感動的に響きますね。次は?」
NU SHOOZ / I Can't Wait
T「ディスコ音楽が好きでDJでもよくかけるのですが、80年代のダサくていなたくて軽薄な感じとシンセが新鮮で、大大好きです。なんでカウベル叩きながら歌ってるの・・・?なんでライヴなのにフェイドアウトなの・・・?こんな音楽が好きって言ったら10代の私に軽蔑されます。大好きです。好きすぎてレコード2枚持ってます。≪(ダサすぎて呆気にとられて無言)≫」
H「10代の私にというコンセプトがわかってきました(笑)。次は?」
Kate Bush / Running Up That Hill (Ashley Beedle Edit)
T「アラサーでDJを始めた時、すごく影響を受けた現場の先輩がいるのですが、彼らのMIXに入っていて知った曲です。「恋のから騒ぎ」だけじゃないケイト・ブッシュ。アシュリー・ビードルのeditで、完全にダンスミュージックになっています。展開もメロもエモすぎて、かけてて興奮します。好きすぎてレコード2枚持ってます。≪理解できない≫」
H「人との出会いと音楽との出会いが筒井さんを形成しているんですね。素敵な人生ですね。次は?」
ポピーズ / 恋は気分
T「10代の私にバンドでこの曲でもやったら?とアドバイスしたいです。なんかモテそうだし・・・・・・。ベースもドラムもかっこいいし、つい口ずさんでしまう歌謡ロック!昭和49年生まれの名曲!先輩の54-71のメンバーがドラムを叩いていたローリー寺西さんのライヴでカヴァーされていて『何このかっこいい曲!』と衝撃を受け、知りました。≪これならやってもいいかも♪≫」
H「これ、かっこいいですね。歌詞もかっこいいし。10代の筒井さんもこれは好きになりそうですね。次は?」
南部俵積み歌
T「青森県の民謡で、この曲も祖母に習っていました。今でもほとんどの民謡の歌詞を暗記していて唄えます。最近懐かしくてYouTubeで検索しては一緒に唄っています。これは香西かおりさんと長山洋子さんが唄うオーケストラの豪華なバージョンです。藤あや子さんが唄う秋田民謡もすごくイイです。民謡は農民や漁師のブルースなんだなと大人になってから思いました。やっと良さがわかりました。≪民謡のせいでこぶしが効いちゃうのが嫌≫」
H「おばあちゃんに小さい頃こういう音楽を教えてもらってたのは筒井さんにとってすごい強みですね。羨ましいです。次は?」
JONI MICHELLE / BLUE
T「大人になれば、いくつかの失恋も経験しました。10代の私にはちっともその気持ちがわからないでしょうけど。このアルバムがどん底の気持ちを救ってくれました。聴くだけで、『この人、孤独をわかってる』って思いました。≪今一番つらいのは早起き。学校が遠いから毎日6時前に起きてます≫」
H「うわ。僕、そういう女性の言葉に弱いんです。うわ、ちょっとこれ聴けないかも・・・ えと、次は?」
STEVE REICH / MUSIC FOR 18 MUSICIANS
T「生命とは、命とは、私っていったいどこから来たの?・・・と頭のなかが混乱してしまう、こんな音楽をつくり出せることに感動。さらにこの動画で観るライヴ感が最高!生演奏でこのミニマルミュージックを1時間!会場で宇宙に思いをはせながら舟を漕ぎたい。≪眠すぎ。つまんない。zzzzzz≫」
H「ライヒも聴くんですね。確かにそうですね。宇宙に向かって舟を漕ぎ出したくなりますね。次は?」
ALICE COLTRANE / JOURNEY IN SATCHIDANANDA
T「こういったスピリチュアルな音楽は、10代のロック少女には到底聴けるものではありません。即物的な8ビートこそが若い体を動かすのです。しかし、大人になったらこういう精神世界を照らす音楽こそが心が解放されてリラックスを得たり、インスピレーションが働いたりとうんぬんかんぬん・・・≪眠すぎ。超つまんない。zzzzzzZZZZZZ≫」
H「10代の筒井さんの突っ込みが、筒井さん独特の『シャイさの表現』だということが理解でき始めました(笑)。次は?」
THEO PARRISHのDJプレイ
T「10代の自分は自意識が肥大していて、音楽も頭でしか聴けなかったため、音楽を聴いて我を忘れて踊る行為というのが理解できなかったのです。大好きなこのDJのプレイは音はもちろん、プレイ中の動きだけでもテンションが上がります!画質は悪いですが、聴いてる人たちも幸せそうで、素晴らしい動画。≪DJってなにやってるのかわからないし、一心不乱に踊ってる人、気持ち悪いんだけど...≫」
H「あ、お昼で外なんですね。ふむふむ。確かにみんながすごく音楽で幸せそうですね。素敵ですね。さて次は最後の曲ですが。」
luscious jackson / water your garden
T「高校時代に大好きだった(けどちっとも売れなかった)渋グルーヴィなグランドロイヤルレーベルの女性バンドですが、未だに好きです。人前でDJをして、さらに、この曲をいまだプレイしていると当時の自分に教えたら、仰天すると思います。≪30過ぎて、いったい何やってるの!?≫」
H「筒井さんの音楽の趣味のテーマで、『女性性』っていうキーワードがあるんですね。『こういう女性になりたい!』って気持ちなのでしょうか。今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。あれ、もう10曲終わりましたよ。何を鞄から出してるんですか?」
T「あの、私が編集した本を宣伝しても良いですか?」
H「ええと、ここはそういう場所ではないのですが、じゃあ一冊だけですよ。」
T「はい。あの、渋谷のbar bossaの店主、林伸次さんが本を出します。『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由』というタイトルです。林さんがレコード屋の店員だった頃からどんな風にしてバーを始めたのか。どうやって17年続けてきたのか。そんなことが書いてある本です。いつかお店をやりたいなあなんて人にはもちろん、人生これからどうしようなんて行き詰っている人にも読んで欲しいです。」
H「あ、僕の本だったんですね・・・ あの、ありがとうございます。」
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筒井さん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。これからも良い本と良いDJ、そして音楽のある素敵な人生を楽しんでくださいね。
そろそろ冬が近づいて来ましたね。クリスマスはどうしようかなあ、なんて考え始めている頃ではないでしょうか。
それでは、またこちらのお店でお待ちしております。
bar bossa 林 伸次
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林 伸次 1969年徳島生まれ。 レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、 フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。 2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。 著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。 選曲CD、CDライナー執筆多数。 連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。 bar bossa ●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F ●TEL/03-5458-4185 ●営業時間/月~土 12:00~15:00 lunch time 18:00~24:00 bar time ●定休日/日、祝 ●お店の情報はこちら |