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bar bossa vol.33

bar bossa


vol.33 - お客様:稲葉昌太さん(インパートメント)
「節目の10曲」



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今回は今の東京を代表するレコード会社インパートメントの有名ディレクター稲葉昌太さんをゲストに迎えました。

林(以下H)「こんばんは。お飲物はどういたしましょうか」

稲葉(以下I)「では最初は軽めの赤で、オススメがあればそれをください。」


H「稲葉さんは確かピノ・ノワールがお好きですよね。では、ブルゴーニュ・ルージュにしますね。」

I「いただきます。」

H「さてさて、早速ですが、小さい頃のお話を教えていただけますか?」

I「はい。僕は東京の西端、青梅というところで育ちました。両親はどちらも教師でしたが、何かを押しつけられたり、教育熱が高いわけではなかったので、塾や習い事に通うということもなかったですね。となると下校後は時間がたくさんあるので、自然と本や音楽に興味が向いていったような気がします。初めて買ったレコードは、当時ヒットしていたアルフィーの『星空のディスタンス』のシングル盤だったと思います。」

H「え?! アルフィー?!」

I「ええ。それをきっかけにアルフィーのファンになり、小5から中1くらいまでの間に彼らのアルバムを全て買い揃えたり、夏の野外コンサートに行ったりしてました。ステレオセットが居間に置いてありましたので、買ってきたレコードをステレオの前に座って聴くのは楽しかったですね。」

H「アルフィーですか。意外ですね...」

I「小5の時に、父親が同僚の引っ越しを手伝うというのでついて行った時に、捨てようとしていたアコギを貰いました。そこから一気にギターにはまりまして、アルフィーのソングブックや『明星』という雑誌についていた『ヤンソン』を教科書に、見よう見まねで演奏を覚えていきました。アルフィーの高見沢が僕の最初のギター・ヒーローです(笑)。」

H「明星とかヤンソンって僕より上の世代が中高生の時にはまるものですが、そういう意味ではマセてますね。」

I「気づいたら、中学入学時で立派な文系男子になっていました(笑)。音楽系の部活はブラスバンドしかなく、仕方なく入部しましたが部室代わりの音楽室ではギターばかり弾いてました。念願のエレキギターを買ってもらって、初めてバンドらしきものを結成したのは中3だったかな。その頃には完全に洋楽志向になっていて、英米のハードロックを中心にコピーしてましたね。練習すればするほどギターが上達するのが楽しくて、時間のある限り、それこそトイレでもギターを弾いてました。」

H「うわー、典型的なギター・キッズですね。高校生になってからはどうなんでしょうか」

I「明治学院東村山高校という私大付属の男子校に進学し、軽音楽部に入りました。エレキギターを学校に持って行って、昼休みに自分の席で弾いていると、他のクラスの『ギターの巧いヤツ』が順番に教室にやってきて僕のテクニックをチェックして、『うわ、やるな...』みたいな表情をして帰って行くわけですよ。それで調子に乗りまして(笑)、大学受験の心配がないのをいいことに、ギター道を邁進することになりました。『こういうプレイがしたい』『こういう音が出したい』と思ったら自分の部屋で練習したり機材を試したりするような、完全なオタクでした。」

H「その頃から今の性格がかいま見えますね(笑)。」

I「同じ軽音楽部の連中はボウイのコピーバンドをやったりして、ライブで女の子にキャーキャー言われていましたが、僕にとっては女の子と会話をすることすらまるで別世界の話で。バンドを組んでも、同級生の演奏がヘタに感じて、ちょっとでもミスをするとすぐに演奏を止めてやり直しさせたりする、本当に暗くて嫌なヤツでしたね(笑)。」

H「音楽雑誌はチェックしましたか?」

I「好きな雑誌は、『ミュージック・ライフ』に始まり、その後『BURRN!』になり、内向的な文系男子度が頂点に達した高3の頃には『ロッキン・オン』に。ギター・ヒーローはジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)やスラッシュ(ガンス・アンド・ローゼズ)からジョニー・マー(ザ・スミス)やジョン・スクワイア(ストーン・ローゼス)になりました。」

H「これを読んでる人で『俺と同じだ!』って手を挙げている人、たくさんいそうですね(笑)」

I「大学に入ると、初めて彼女ができ、同じ音楽が好きな友達ができ、色んな遊びを覚えて...と、だんだんと明るい性格になっていきました。完全に"大学デビュー"です(笑)。『ロッキン・オン』経由でマンチェスター・ムーヴメントに心酔しクラブ・ミュージックを意識し始めて、93年、青山の骨董通りにオープンしたクラブ『マニアック・ラブ』に衝撃を受け、テクノ~ハウスの12インチを買い漁るようになり、愛読紙は『ロッキン・オン』から『リミックス』になりました。」

H「なるほど。」

I「その後、同じ骨董通りにあった『ブルー』にも通いましたね。特に月曜日だったかな、当時U.F.O.の松浦俊夫さんがラテン~ブラジルものを回す日があったのですが、よく行ってました。僕のブラジル音楽との出会いは松浦さんやジャイルス・ピーターソンなどDJ経由で、当時の王道パターンでした。」

H「確かにあの頃の東京のど真ん中にいますね。」

I「自分でもDJの真似事を始めまして、友達のパーティーで回したり、シンセやサンプラーでトラックを作ったりしているうちに大学卒業となり、当時バイトしていた楽器屋でそのまま契約社員として働き始めました。たぶん、この頃がもっとも親に心配をかけた時期だったと思います...。」

H「音楽活動は続けられたんですか?」

I「音楽活動としては、楽器屋時代からインパートメントに入って2~3年目あたりまでにいつくかの作品/バンドに関わりました。360°レコーズという日本のレーベルがあったのですが、そこからリリースされたアルゼンチンのギタリスト、フェルナンド・カブサッキへのトリビュート・アルバムに、現在も活躍するミュージシャンである杉本佳一君とのコンビで1曲参加しました。」

H「おお!」

I「あと、当時人気のあったトータス/ジョン・マッケンタイアなどシカゴ音響派に影響を受けたとあるバンドのギタリストでして、あるレコード会社からアルバムのリリースが決まり、その制作費としてけっこうな金額を貰いました。結局、お金は使い果たしたけどアルバムは完成せず、あげくバンドも解散という、担当さんには本当に申し訳ないことをしました。同じことを今の自分がやられたらと思うと寒気がします。」

H「(笑)音楽業界で働きたい人も読んでいるので、インパートメントに入ったきっかけも教えていただけますか?」

I「音楽業界で働くためのハウツーとしては役立たないと思うのですが...、大卒後、バイトのまま居残ったように働き始めた楽器屋では、高校生に説教しながら高価なギターを買わせたり、新しい機材が出るとすぐに仕入れてチェックしたりと、まあまあ楽しく働いていまして、特に不満もなかったんです。27歳の時に、大学時代からの音楽仲間が働いていたインディーズのレコード会社が募集をかけるので応募してみないかと誘われたのが、インパートメントとの出会いでした。応募条件が、『ブラジル音楽に詳しい』と『英語ができる』というもので、『お前に合ってるじゃないか』ということでやけに強く入社試験を受けるように説得されまして。」

H「そんな理由で...」

I「レコード会社で働きたいという強い思いもありませんでしたが、その頃、『将来性がない』という理由で付き合っていた彼女に2人連続で振られていて、何かを変えたいという思いで採用試験を受けたような(笑)。結果、その友人の根回しもあったのかもしれませんが(笑)、インパートメントで働くことになり今年で15年目を迎えます。」

H「あ、女性問題、意外と大きいですよね。」

I「僕は運転免許をとった動機も女性ですし(笑)、大きいですよね。で、インパートメント入社当初はレーベルのディレクター業務のアシスタントと営業をしていたのですが、いつのまにかCD制作そのものを振られるようになり、レーベルを1つ任されていました。ウチは、アーティスト/作品を見つけ、契約交渉をし、契約がまとまればジャケットデザインなどパッケージ全てをディレクションし、プロモーション資料を作成し、店舗からオーダーを取り、発売日にはCDを梱包して全店に出荷する...と全てを自分達の手で行います。なので数字が悪いと誰のせいにもできません(笑)。ただ、リリース作品のセレクトやレーベルのコンセプトなどは担当に任されているので、自由度は高いです。」

H「やりがいがありそうですね。」

I「毎回胃が痛いです(笑)。僕が今の仕事を続けられているのは、とにかく出会いに恵まれたということに尽きます。僕のレーベルからCDを出したいと言ってくれるアーティストや、『こういうことを一緒にやろう』とか『こういうことをやりたいので手伝ってくれませんか?』と誘って下さった方々がいなかったら、僕はどうなっていたか...。そもそもインパートメント入社のきっかけからして能動的なものではありませんしね(笑)。」

H「出会いを中心に仕事を進めるって稲葉さんならではのスタイルですよね。」

I「いわゆる業界人の仕事のやり方には馴染めず、僕はこのスタイルしかないんですよね。例えば、ここ数年の僕の仕事の出発点であるカルロス・アギーレとの出会いも、サバービア/カフェ・アプレミディの橋本徹さんが僕に『アプレミディ・レコーズ』というレーベルをやりませんか、と声をかけて下さったことがきっかけなんです。アプレミディ・レコーズから、橋本さんが選曲した『素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』というコンピをリリースし、橋本さんの盟友・吉本宏さんと知り合い、吉本さんが中心となってbar buenos airesという選曲会が始まり、遂にはアギーレさんの来日の実現に至る中で『クワイエット』『静かなる音楽』というムーヴメントが生まれました。あの一連の出来事の当事者になれたことが、今の自分にとって本当に大きな財産ですね。アギーレさんの『音楽は人と人とをつなげるものだ』という言葉は僕の座右の銘です。そういえば、アギーレさんの初来日ツアーの打ち上げはボッサさんでやらせて頂きましたね。あの夜は夢のように楽しかったです。」

H「こちらこそ、歴史的瞬間に立ち会えて光栄でした。さて、これからの音楽業界はどうなるとお考えでしょうか。」

I「これから音楽業界がどうなるか、正直言ってよくわかりません。ただ、いわゆる音楽業界というのは、レコードやCDなど『音楽を録音した媒体』を売り、購入した人がそれを再生して楽しむという技術が広まり、音楽が大きなお金を産むようになって以降の存在です。それは、音楽を娯楽として人々が楽しんできた長い歴史の中の、ほんの一時期に大きく発展したものの、あっけなく消えてゆく存在のような気がします。...などと遠い目をして話してますが、僕はこれで家族を養っているわけで(笑)、えーと、それなりに収入があるうちは自分のやり方で続けて行きたい、と願っています。すみません...、参考になるようなことが言えなくて...。」

H「いえいえ。今日のインタビューを聞く限り、その瞬間の出会いで全て人生を決めてきた、ある意味、稲葉さんらしいご意見です。これからの目標なんかを教えて下さい。」

I「僕にはプロデューサー的な才能はないと思っています。お互いに通じ合うものを感じたりして一緒に仕事をやらせて貰うことになったら、それが形になるように、よりよい物になるように、丁寧に実務を進めることが僕の仕事だと思っています。その結果、我々が紹介する音楽に共感して下さる人が少しづつ増えて、また新たな仕事や出会いへと続いていけば嬉しいです。個人的には、またギターをちゃんと弾き直して、ギターの美しい音色を幾重にもレイヤーした物凄く内省的な多重録音アルバムを1枚作ってみたいなあ、とぼんやり思ってますが、子育てが一段落ついてからになりそうです。」

H「演奏も考えてるんですね。期待しています! それでは選曲に移りましょうか。テーマは何でしょうか?」

I「はい。『節目の10曲』です。音楽を聴き始めて30年余、音楽が仕事になって15年、今回このインタビューで初めて自分の聴いてきた音楽を年代順に振り返りました。」

H「稲葉さんの節目の10曲、楽しみですね。では1曲目は?」


1.Judas Priest / The Sentinel

I「冒頭でいきなり関係各位を困惑させていないか不安です。ギター少年期はハードロックやメタルをたくさん聴いてました。UKメタルはリアルタイムではありませんが、このアルバムにはハマりました。この曲はイントロ、リフ、メロ、アレンジの細部まで練られ、とにかく全てがカッコいい。15歳の僕は、このツイン・ギターによるソロの応酬に鳥肌を立てていました。」

H「稲葉さん、『とにかく全てがカッコいい』ですか。もちろん、このギター・ソロも完コピしてそうですね。もう次が気になってしょうがないです」


2.The Smiths / There Is A Light That Never Goes Out

I「高2あたりで自分を嫌いになる時期が来まして、それまで聴いていた音楽とは違うものを求めていたところに『ロッキン・オン』とザ・スミスが待っていました(笑)。ある時期の僕はモリッシーの歌詞のおかげで自己を肯定できていました。もちろんジョニー・マーのギターは演奏からサウンドまで熱心にコピーしていましたね。」

H「僕ももちろんロッキン・オンには人生を変えられました。そして僕の周りにもジョニー・マーもどきがたくさんいます。次はどうでしょうか?」


3.My Bloddy Valentine / Glider (Andrew Weatherall Mix)

I「内向的なギター少年が、マンチェスター・ムーヴメントをきっかけにダンスの快楽を知った、というところでしょうか。プライマル・スクリームの『スクリーマデリカ』など、アンディ・ウェザオールのこの時期の仕事はどれも本当に刺激的でした。」

H「マイブラは僕も聞きました。稲葉さん、僕よりもすごくお若いのに、やっぱりませてますね。こうなってくると次は?」


4. Frankie Knuckles / The Whistle Song

I「大学に入って間もない頃、下北沢のクラブ『ZOO』で初めてこの曲を聴いた時の幸福感を覚えています。初めて彼女に作ってあげた選曲テープの1曲目は、確かこの曲でした。僕の『大学デビュー』の幕開けを飾る曲ですね。」

H「この曲はホント、流行りましたよね。僕ももちろん大好きでした。次はどうでしょうか?」
※このインタビューはフランキー・ナックルズが亡くなる以前に行われました。ご冥福をお祈りいたします。


5.maurizio / Domina (Carl Craig's Mind Mix)

I「大学3年からキャンパスが品川になり、講義が終わると週2ペースくらいで渋谷に行き、シスコなどでハウス/テクノの12インチを買い込んでいました。このトラックは本当に大好きで、個人的にはカール・クレイグのベスト・ワークだと思っています。」

H「やっとイメージ通りの稲葉さんに近づいてきた感じがします(笑)。稲葉さん、基本的に『抑制された美』を音楽に求めるんですね。さて、次は?」


6.Cinema Novo / Caetano Veloso & Gilberto Gil

I「ジャイルス・ピーターソンとジョー・デイヴィスが選曲しトーキン・ラウドから発売された『BRAZILICA!』というコンピをきっかけに、青山のクラブ『ブルー』に通いだしたのが僕の南米、特にブラジル音楽愛の始まりです。最初はリズムの心地よさから入りましたが、カエターノ・ヴェローゾを聴いてポルトガル語の響きの美しさにも魅了されました。(YouTubeではフル・アルバムのリンクしかありませんでした。この2曲目です)」

H「稲葉さんの年齢ですとあのコンピからなんですね。もう本当に東京音楽街道ど真ん中を歩いていますね。さてこうなると次は?」


7.Tortoise / Djed

I「インパートメントに入社する前後の時期は、サンプラーやシーケンサーでトラックを作ってMo Waxにデモを送ったりしてました。返事は来ませんでしたが(笑)。当時渋谷ロフトの最上階がWAVE渋谷店で、塩尻さんというバイヤーさんが担当の音響系コーナーがあり、ミル・プラトーやメゴといった先鋭的なレーベルや、トータスを始めとしたシカゴ音響派に出会いました。これをきっかけに再びギターを弾くようになったのですが、前述したようにあまりうまく行かず、レコード会社のディレクターの仕事が忙しくなったせいもあり、自分の音楽活動は止めました。」

H「あ、そうか。順番としてはクラブでブラジルの後に音響系ですよね。確かにそうでした。稲葉さん、何度も言いますが東京音楽シーンの生き証人ですね。さて次は?」


8.Beto Caletti / Chegaste

I「僕が本当に今の仕事を続けていきたいと思うようになったのは、ベト・カレッティと仕事をするようになってからです。彼の作品の日本盤をリリースし、初めて自分で来日ツアーを企画し一緒に日本全国を回りました。彼との付き合いの中から、ミュージシャンとのパートナーシップの築き方を学んだと思います。紹介するのは彼の代表曲「シェガスチ(君は来た)」のライブ・バージョンで、これは初来日ツアーで鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュさんで収録したもの。素晴らしいハーモニカを吹いているのはマツモニカさんです。」

H「うわ。ちょっと今、僕、目が潤んでます。なるほど。稲葉さんの人生、音楽と共にありますね。では次は?」


9.Carlos Aguirre / Los Tres Deseos De Siemple

I「カルロス・アギーレを音楽家として、人間として本当に尊敬しています。彼との友情がある限り、僕はこの仕事をやめないと思います。子供達が大きくなったら、いつか家族で彼の住むエントレ・リオス州のパラナーを訪れるのが夢です。その前に一人で行ってしまうかもしれませんが...。このライブは昨年、エントレ・リオス州が主催したイベントで収録されたようですが、キケ・シネシやアカ・セカ・トリオのフアン・キンテーロも参加してますね。」

H「是非、お子さま達と家族で行って下さい。南米の人たちって家族で行くとすごく歓迎してくれますよ。お子さま達にも、お金で買えないすごく良い経験になると思います。ちょっと関係ない話ですが、カルロス・アギーレの観客ってそうとう上流なんですね。では最後の曲ですが」


10.Tiganá Santana / Elizabeth Noon

I「最後は少し宣伝っぽくなってしまいますが...、ご勘弁下さい。チガナ・サンタナというブラジルのバイーア出身のシンガー・ソングライターで、現在は北欧でも活動しています。『アフロ・ブラジルの血が流れたニック・ドレイク』とでも表現したくなる、まるで祈りのような内省的な響きに、アフロ・ブラジル的な滋味深さが宿った希有な音楽で、ご覧の通り、普通のガット・ギターから一番高音のE弦を外した5弦で演奏しています。彼のアルバム『ジ・インヴェンション・オブ・カラー』を4月27日にアプレミディ・レコーズからリリースします。こういった地味な音楽は売れない世の中ですが、ひとりでも多くの方に届けたい作品です。」

H「もちろん宣伝、大歓迎です。ああ、でもこういう音楽はとりあえず聞いてもらって存在を知ってもらってという地道な宣伝が必要なんですよね。素敵な音楽ですね。」

稲葉さん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。稲葉さんの音楽人生が知れて素敵な時間でした。

みなさんも稲葉さんが携わっている音楽、是非、チェックしてみてください。

●インパートメント HP→ http://www.inpartmaint.com/

●稲葉昌太さんtwitter→ https://twitter.com/ShotaInaba



GWですね。この記事をご実家や旅行先で見ている方も多いのではないでしょうか。
また久しぶりにCDを買ってみて下さい。稲葉さんのような人たちが情熱をこめて、みなさんに届けようと日々、努力しています。

それではまた、こちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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