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bar bossa vol.36

bar bossa


vol.36 - お客様:原田雅之さん(カフェ・バルネ)
「表バルネ 裏バルネ」(お店の5曲と僕の5曲)



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今日は代々木八幡のカフェ・バルネの原田雅之さんをゲストに迎えました。

林「いらっしゃいませ。」

原田「こんばんは。」

林「お飲物はどういたしましょうか。」

原田「何か一日の終わりに相応しい一杯をお願いします。」

林「以前、うちでグラッパを飲まれてましたよね。最近、ガイヤのダルマージのグラッパが入ったのでいかがですか?」

原田「お願いします。」

林「原田さんのお生まれのことなんかを教えていただけますか」

原田「はい。1979年、千葉県船橋市で生まれました。男3兄弟、所謂団地っ子で400棟位ある中で育ちました。」

林「典型的な東京郊外の団塊ジュニアですね。音楽環境は?」

原田「音楽環境としては、親戚の叔父とお兄さん(後に音楽レーベルを運営します)と友人の兄からの影響が強かったです。」

林「年上男性がたくさん出てきますね。」

原田「叔父は趣味でアコーディオンをレストランで演奏していたり、自宅をヨーロッパ風に改築していたりとにかくオシャレでした。家に遊びに行ってはBEATLESの「All You Need Is Love」の入ったビデオを見せてもらったり、KISSとかHEARTのポスターやジャケットがあって、『なんかすごいなー』と漠然と感心していました。自分の家とはとにかく世界が違っていて。」

林「良いですねえ。」

原田「友人の兄は、良くその友人の家に遊びに行っていて、兄の部屋にも入れてもらうのですがそこには大量のビデオテープとカセットテープがあって。窓を塞ぐ位あるものだから昼でも薄暗くて、少しだけある隙間から光が射していて埃が空気中をゆらゆら漂っているのがよく見えるんです。そこでカセットテープのYMOを何本か聴かせてもらって。『BGM』とか『TECHNODELIC』とか。暗いですよね。しかし幼心に『なんかいいぞー』て思っていました。」

林「え、その時期にYMOですか。早いですね。最初のレコードは?」

原田「初めて買ったレコードはディズニーランドの音楽集です。ジ ャケットにただ惹かれて父親におねだりしました。「カリブの海賊」とか「エレクリカルパレード」とか入っているようなアルバムです。自分で初めて買ったのは、何でしょう?長渕剛の『昭和』かな(笑)お年玉で買いました。」

林「え? 長渕...」

原田「多分兄に買わされたと思います。」

林「なるほど。思春期はどうでしょうか?」

原田「中学時代(嗚呼、一生で一番ダサイ季節)はQ.B.Bよろしく思い出すのも恥ずかしく、情けない生活でした。クラスメートが聴いているヒットソングを僕も一応一通りって感じで。だけど好きになる曲が米米クラブの『春雷』だったり、サザンも『Please!』だったり。塾帰りに本屋で『VOW』を買って読みながら相変わらずYMOのテープを家で独りで聴いていました。」

林「意外ですねえ。上の世代に教えてもらっているので、学校では優位に立つはずですが。」

原田「高校では文化的内向化が進みます。坂本龍一流れでTEI TOWAのファーストアルバムを発売日に街のローカルなCDショップで購入したのは興奮しました。まさかこんな演歌のテープとか売っているCDショップに!って。」

林「バンドとかは?」

原田「独りで聴くのが好きだったみたいです、基本的に。バンド活動にも興味があまりありませんでした。外に向けた表現よりも自分に向けた表現に興味があったのでしょうね。テレビで『ミュートマ・ジャパン』を見ていたり、ガールフレンドにフリッパーズギターのCDを借りたり。物静かな学生でした。音楽そのものはもちろんですが、その環境、例えば暗い部屋とか夕暮れの雲とか一緒にいる人とかそういう希望とか不安とか憧れを楽しんでいたと思います。」

林「内に向かってますねえ。」

原田「高校2年の時に友人の家に遊びに行った時に、隣のお兄さんの部屋からHIPHOPが爆音でかかっていて、部屋を覗かせてもらうとターンテーブルとレコードがどっさりとあって。幼心の興奮再び(笑)NASやらEPMDやらイカツイ格好した黒人がラップをしていて、レコードなんて2枚がけならぬ2枚重ねがけとかやってて、『スゲー、雑』って思って(笑)。竹村延和の1stとかもかかっていて『カッケー』って。で家に帰っては藤原ヒロシのピアノダブとかjamiroquaiの1st、2ndのCDで夜空をボケーと眺めて。レコードの興味の着火はそこでされました。」

林「おお、始まりましたね。そして高校を卒業して。」

原田「専門学校に通っていたのですが、それはただの就職したくない、東京に通いたいという親泣かせな理由でした。本当は何もしたくなかったんです。どこにもいきたくなかった。ずっと17才でいたかった。だけどしょうがない、時は止まってくれない、海は満ち引き、月は欠け、洗濯機は回る。ということでアルバイトばかりしてターンテーブルを購入しました。時の流れに対する僕なりの反抗です。」

林「来ましたねえ。」

原田「そこで自分の中での表現が外に向ての表現にシフトチェンジしていく音が聞こえた気がしました。後はもうDiskunionのレコード大海原に飛び込み溺れる日々でした。高校時代の友人にHIPHOPやネタ盤を教わったり、サザンの『kamakura』を買ったり。LPサイズって良いですよね。ジャケットも迫力があって ひとつの作品になっている。」

林「もう何にでも手を出す感じですね。」

原田「JAZZはオスカーピーターソンのMPSから出ているサイケなジャケットのLPを購入してハマりました。『ピアノ速い!』その当時は兎に角レコード屋が沢山あって、渋谷、新宿、高円寺、千葉と毎日のように通ってはスコスコと抜くことに快感を覚えてました。まだ店は試聴にも優しくなく、今みたいにヘッドフォンで聴けず店内試聴で緊張感があったり。ダサイ曲聴けないな、って。」

林「確かにそうでした。雑誌とかは?」

原田「情報はオシャレに転換した頃のマーキーやbounceでした。橋本さんが編集していた頃のbounceは本当に面白かったし勉強になりましたし、フリーソウルやサバービア物を買う事がステータスになっていました。その後本能の赴くままにDiskunionでバイトをしたり、アプレミデ ィで働くことになります。」

林「当時のレコード好きの王道コースですね。」

原田「何もしたくない、と思っている人ほど実は何かしたがっているんですよね。渋谷のカフェでラウンジDJもやっていました。表現の外出です。お店の空気を読みながらの自己表現に快感を覚えました。楽しそうに酒を飲み、語らっている人々。悪くないと思いました。うん、悪くない。」

林「お店を始めるきっかけとかは?」

原田「パートナ ーと出逢った時、彼女は飲食店で働いていて僕はそのお店でラウンジDJをしていました。彼女と交際することになって、僕はサラリーマンとして一生を終える気はサラサラ無い。そこで、彼女の長所→飲食スキル(高レヴェルだと)、僕の長所→特になし、敢えて言えば音楽好き。プラス、生活的センスの相互。で計算すると、『自営のカフェを開く』というツルリとした赤ん坊のようなシンプルな答えが産まれました。」

林「なるほど。」

原田「産まれれば後は育てるだけ。人生とは至極シンプルにできている。ゴールに向かう過程ほど解りやすいコトはない。といってもシンプルな道ほど険しいものはなし。漠然と産まれた子を育てようと決断するには幾らかの時間がかかりました。その漠然さを具体化に変えたのは『結婚』でした。その時僕は30才を目前としていて、このパートナーを活かすのはもう僕しかいないぞ、ト。このタイミングで店をやらないと一生後悔するぞ、と思い本気になりました。」

林「男の決意ですね。」

原田「そこから彼女は実技経験から知識吸収のためワインの道へ。僕は馬車馬の如く朝から深夜までの労働で資金を貯める生活になりました。仕事はできるだけやり甲斐の無い仕事を選びました。自分を追い込む程、目標が輝くのです。」

林「どうして代々木八幡だったのでしょうか。」

原田「代々木八幡はかつてアプレミディに通っていた時に自転車で毎日のように通過していました。夕方に小田急線の踏切辺りを走っていると夕日が街をオレンジに染めていて、 不思議と懐かしく穏やかな気持ちになっていました。心の逃避場、休息地だったのです。」

林「じゃあもう最初から代々木八幡で。」

原田「具体的に物件を探し始めた場所は当時住んでいた下北沢や三軒茶屋でした。何件か内見してイメージして、リサーチして。リサーチはとにかく物件周りを徘徊し、朝昼そして夜の人の動き、天気によっての雰囲気をチェックしました。後はひたすらイメージ。自分達に1mmでも違和感を感じたら何故なのかを問いてました。商売的なイメージも大事ですがまずは自分達が気持ち良い場所でなくてはいけない、それを優先しました。」

林「お店やりたい人には参考になる話ですね。」

原田「しばらくして知人から代々木八幡の不動産屋さんを教えて頂き、僕はピンときました。あ、懐かしい場所だ。早速伺ってみると丁度物件がある、ト。内見させてもらうと駅のすぐ裏、申し分ない広さ。出逢った、と思いました。イメージが滝のように溢れてくるのを感じました。探し始めて2ヶ月位でしょうか。翌日からリサーチです。ひたすらに人の動き、周りの雰囲気と更なるイメージ、イメージ。その時僕は33才で、この場所を活かすのは僕しかいないぞ、ト。このタイミングで店をやらないと一生後悔するぞ、と思い決断しました。」

林「具体的なお店の構想とかは。」

原田「バルネのスタイルは彼女の長所→飲食スキル、ワインの知識。僕の長所→僅かな飲食スキル、ただの音楽好き
。プラス、生活的センスの相互。で計算すると、『気の利いたワインとレコード、美味い食事』という輪郭のある答えが産まれました。内装はパリの路地にある喫茶店をイメージしました。かつて僕がラウンジDJをしていたお店が模範で。DJブースは自我みたいなもので、無言の自己紹介です。敬愛する様々な方にターンテーブルを触って頂けることは最大のスキンシップです。

後、彼女はとにかく料理が美味いのですよ。最初は製菓のセンスだと思っていたのですが、全て美味い。惚気ではなく、本気です。この味を伝えられる環境に本当に感謝しています。」

林「今、おもいっきり原田さんの株が上がりましたね。さて、これはみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?」

原田「音楽配信って何だか味気ないですよね。。。便利でしょうし、その環境で思春期を過ごすとそれが当たり前になってしまっているのでしょうけど。パッケージの魅力、『動画』でなく『画』そして外に出て触るという行為。CDとかレコードって買った時の環境、景色、匂いが音に染み込むのです。このレコード買った時、雨が降っていたな、とか。このジャケット彼女に汚されたんだっけ、とか。聴覚と触覚が想い出を呼び戻す。PCを捨てよ、町にでよう。なんて。」

林「どんどん名言が出てきますね。今後の予定や目標とかは?」

原田「バルネは9月1日で2周年になります。『振り返ればそこは一面の花海だった』とはかつて僕が書いた散文の一節。そんな気分です。
8月31日(日)にはイヴェント『Swingin' Village』も開催します。小西康陽さんをはじめ、素晴らしいDJが集まります。後、不定期で小柳帝さんによる『音楽夜話』も開催してます。詳しくはhttp://le-barney.com/にて。これからもお客様と刺激と発見の共有をしていき、お客様にもパートナーにも飽きられないように精進します。」

林「イベント、楽しそうですねえ。では選曲に移りましょうか。テーマは?」

原田「はい。テーマは『表バルネ 裏バルネ』お店の5曲と僕の5曲です。要するに『僕』の10曲、ということで。」


【表】
1.Les Baxter / Boca Chica

原田「お店をオープンして一番かけたのは何だろう?と、考えていた時に思いついた曲。かけるタイミングを問わない『バルネな時間』老若男女問わずご好評を頂いております。」

林「レス・バクスターのこの曲が一番かけられたんですね。バルネさんに行ったことない人にはすごくわかりやすいですね。」


2.Keely Smith / Do You Want To Know A Secret?

原田「賑わい始めた夜に相応しいアルバム『Sings The John Lennon-Paul McCartney Songbook』より。とにかく最高です。空間を温め、空間を創る。こんなアルバム聴きながら飲める、って最高!羨ましいなぁ。」

林「うわ、良いですねえ。ゆるくはずしているようなのに、品がある演奏です。」


3.Monique et Louis Alderbelt / Un Homme et Un Femme

原田「一応『フランスらしさ』を売りにしている当店。フレンチ聴きたい時。ならば。このスキャットと、人びとの話し声が混ざり合うグルーヴ。お店の空間は皆で作り上げる、ということ。」

林「バルネでいると、自分も映画の登場人物になったような気がしますね。」


4. Chet Baker / Deep Arabesques

原田「夜半の落ち着いた時間にはチェットベイカーを。大好きなんです、チェット。晩年の演奏からは『優しさ』とほのかな『怒り』を感じます。」

林「おお、チェットはこれですか。原田さんのセンスが伝わりますね。確かに晩年は優しいながらも少し苛立っているものも感じますね。


5.浜田金吾 / Jazz Singer

原田「閉店前の常連さまのみの店内では割と自由な選曲に。口下手の僕からのサーヴィスです。夜が更け、夜に耽る。」

林「わあ、こういうのもかけるんですね。これはみんな原田さんの選曲が楽しみですね。」


【裏】
6.Hans Joachim Roedelius / Life Is A Treusure Of...



7.Ry Cooder / The End Of Violence(end title)

原田「2曲セットで。ココロの鎮静剤です。心に余白を作るというか、嫌なことも良い思い出に浄化してくれる、というか。日が暮れてもまた朝が来るんだ、という安心感。夜はやさし。」

林「原田さん、音楽の趣味が本当に独特ですね。全く誰風でもないといいますか。鎮静剤良いですねえ。」


8.ORIGINAL LOVE / Sleepin' Beauty

原田「いつだって17才に戻れるし、もう17才にはなれないんだね。」

林「僕もすごく好きでした! 17才...」


9.Hugo Montenegro & His Orch / Palm Canyon Drive

原田「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る 妖艶な夜の匂い。僕は今日もカウンターに立させてもらっている。」

林「裏ということは個人的な趣味。家とかお店終わった後で、こんなの聞いてるんですね。カッコイイ...」


10.林光 / 心

原田「日本人であることのしあわせ、とは。温かいご飯とお味噌汁。慈悲深さ、とか。」

林「うわ、林光ですか。でも、10曲を全部まとめて聞くと不思議な統一感がありますね。原田色と言いますか。」

原田さん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。

みなさんも是非、このいままで聞いたことない印象の選曲と、奥様の美味しいお料理を食べに代々木八幡に行ってみてください。


●CAFE BARNEY(カフェ・バルネ)HP→ http://le-barney.com/


さて、もう8月ですね。この夏は新しい恋に出会えそうですか?
1回だけの2014年の夏をお楽しみ下さい。

それではまたこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
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