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bar bossa vol.37

bar bossa


vol.37 - お客様:松本研二さん
「サンバ、ボサノヴァ、MPB以外のブラジル」



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今日はゲストにbar bossaの常連で、ブラジル音楽に精通している松本研二さんを迎えました。

林(以下H)「こんばんは。」

松本(以下M)「こんばんは。ええと、ピノ・ノワールでおすすめをいただけますか?」

H「ピノ・ノワール、良いですねえ。じゃあアルザスのちょっとチャーミングなのをお出ししますね。さて、早速ですが、松本さんは群馬出身でしたよね」

M「1968年に、群馬県富岡市という田舎町で生まれました。今年世界遺産に登録されて話題になった富岡製糸場のあるところです。」

H「話題のところですね。小さい頃はどんな感じでしたか?」

M「小さい頃の音楽の記憶というと、4歳の時にヒットした三善英史の『雨』という曲が好きでよく歌ってました。6つ離れた兄がいるんですが、僕の歌をこっそりラジカセで録音していて、それを聞かされて自分の声がすごく嫌だったのを覚えています。家にはフォークギターが2本あって、父が焼酎を飲みながら演歌を爪弾いたり、兄がフォークを弾いたりしてました。」

H「お父さん、渋いですねえ...」

M「6歳のときに母が他界してから、僕は同じ市内で農家をやっていた伯父と伯母の家で暮らすようになるんですが、この家には音楽を聴ける環境がなかったんですね。それで、小学校高学年になった頃に『夏休みのラジオ体操に必要だから』という理由で年寄りを騙して(笑)ラジカセを買ってもらって、それからはラジオばっかり聴いてました。」

H「僕も同じ世代なので、そのラジオの感じ、わかります。どの辺りを聞いてましたか?」

M「歌謡曲が好きで、あと、友達が貸してくれるさだまさしや横浜銀蝿のカセットテープを聞いたりしてました。
その頃、中島みゆきをラジオで聴いて大好きになったんです。曲もですけど歌詞がすごく良くて。まあ子供だからわかっちゃいないんですけど(笑)。これが僕の音楽体験におけるファーストインパクト。後にステレオを買ってもらった時、最初に買ったレコードは彼女のデビューシングルの『アザミ嬢のララバイ』でした。デビュー曲からリリース順にシングルとアルバムを買い集めようと思ったんですよ。この頃から『コンプリート気質』みたいなものがあったのかもしれません(笑)。ちなみに僕は歌詞で本当に感動したのは、中島みゆきと所ジョージと小沢健二だけです。この3人は凄い。」

H「僕も中島みゆき、すごく好きでした。僕はオールナイトニッポンの影響でしたが。さて、中学に入ると何か変わりましたか?」

M「中学に入る頃には自分でも楽器をやりたくなって、唯一音楽系の部活だった吹奏楽部に入ろうとしたら部員が全員女子で。今だったら大喜びで飛び込むんですけど(笑)、当時の群馬の田舎の学校では、女子ばかりの中に男子が交わるなんてありえない空気だったんですよ。で、吹奏楽部は諦めて、家で兄からもらったフォークギターで中島みゆきを弾き語りしてました。」

H「あらら...」

M「その頃、MTVが始まって日本でも『ベストヒットUSA』とかプロモーションビデオを流す番組が出てきて、洋楽に興味を持ち始めました。デュラン・デュランとかカルチャー・クラブとかメン・アット・ワークとかエイジアとかシカゴとかのレコードを友達から借りて喜んで聴いてましたね。」

H「お、始まりましたね。」

M「で、自分でも洋楽のレコードが欲しくなって、どうせなら友達が持ってないのを買おうと思って、雑誌のロック名盤特集を読んで紹介文が一番大げさなやつを選んで買ったのが、ピンク・フロイドの『狂気』。これにガツンと衝撃を受けてしまったのがセカンドインパクトで。しばらくは学校から帰ってくると真っ暗な部屋の中でじっとピンク・フロイドばっかり聴く生活でした。あと、友人に教えてもらったジャパンにも相当ハマって、高校受験終了と同時に髪を伸ばし始めて、デヴィッド・シルヴィアンみたいな髪型にしようとして失敗してました。」

H「当時、日本中に勘違いデヴィッド・シルヴィアンもどきがいたはずです(笑)」

M「高校に入って間もなく、クラスの合宿があって、その夜、友人からウォークマンでヤング・マーブル・ジャイアンツを聴かされたんです。まったく聴いたことのない音楽で『これは何なんだ?』って頭の中が?でいっぱいになって、そこから音楽の聴き方がまったく変わってしまったという意味で、僕にとってのパンク体験でした。これがサードインパクト。あの時に感じた、聴いたことのない音に出会う驚きを求めて、その後レコードを買い続けることになったんだと思います。」

H「高校に入ってすぐにヤング・マーブル・ジャイアンツって、その友人、お洒落ですねえ。」

M「その友人からは同時にFOOL'S MATEという雑誌も教えてもらって、これもまた『こんな世界があったのか』と驚いて、以降毎号買っては意味もわからないのに暗記するほど隅々まで読んで、ディスクレビューに載ってる気になるレコードを探して聴くのが何よりの楽しみでした。」

H「僕も高校3年生の時にFOOL'S MATE、手に取りましたよ。同じ感じですねえ。」

M「大学受験で東京に出たときも、試験が終わったらUK EDISONとかCSV渋谷とかのレコード屋に行って、地元では手に入らないニュー・ウェーブやノイズや日本のインディーズのレコードを両手いっぱい買って帰りましたね。この頃が、僕の音楽遍歴の暗黒時代です(笑)。そういう趣味だったことで一番困ったのは、ガールフレンドが家に遊びに来たときにかける音楽がないこと! とりあえず女性ボーカルなら何とかなるかとコクトー・ツインズとかかけてたんですが、ムード出なかったですね(笑)。」

H「(笑)そして大学に進むわけですが...」

M「大学はポルトガル語学科に入りました。よく『なんでポルトガル語を選んだの?』ときかれるんですが、ポルトガル語そのものが理由だったのではなくて、外国語を勉強するのが好きで、かつ、田舎が嫌いで一刻も早く脱出したかったので、外国語大学で確実に受かりそうなところを選んだらそうなったんです。でもその適当な選択のおかげでブラジルに出会ったわけですから、人生成り行き任せでもいいことありますよね(笑)。」

H「なるほど。でも、ブラジル音楽に出会えたわけですよね。」

M[ブラジル音楽との出会いは入学式の日で、式の後、教室で時間を潰していたら突然先輩達がサンバを演奏しながら入ってきたんです。それはサークルの宣伝だったんですが、サンバなんて触れたことなかったから新鮮で、その夜の新歓コンパの自己紹介で酔った勢いで『サンバやります!』って宣言してしまいまして。それから、学園祭のライブハウスとか、学内のパーティーとか、浅草サンバカーニバルとかで演奏するために、いろんなブラジル音楽を聴き始めました。

そういう目的で聴いてるんで、クラブで人気があったりDJがかけたりするようないわゆる『オシャレな』ブラジル音楽じゃないんですよ。ダサいロックとか、垢抜けないポップスとか、田舎くさいお祭り音楽とか。でもそういう音楽とボサノヴァとかの音楽も、表面的には違っていてもブラジルっていう大きな土台の上でどこか地続きで繋がっていて、両方を知ることでより楽しめるようになるんじゃないかなって僕は思ってます。それまでひねくれたロックばっかり聴いていた僕が、違和感なくブラジル音楽に入り込めたのも、ブラジル音楽の持つ多面性というか、聖と俗、陽と陰、喜びと悲しみみたいな相反する要素を同時に併せ持つ複雑さというか、そういう魅力が響いたんじゃないかと思います。」

H「うーん、確かにそうですねえ。ブラジル音楽の持つ多面性。納得です。」

M「大学3年生を終えたところで、生のブラジルに触れたいなと思って、サンパウロの日本語塾で子供達に日本語を教えながら1年間暮らしました。ありきたりの感想ですけど、ブラジル人はやっぱり音楽好きな人が多いなーと思いましたよ。ミルトン・ナシメントの無料コンサートなんてのが普通に開かれたりしてて、観に行きました。でも一番驚いたのは、一般の人はたいていすごく音痴ってこと(笑)。テレビののど自慢番組に、予選を勝ち抜いて出てきたであろう人がなんでこんなに下手なの?とか(笑)。

レコード屋に入ると店員が『何さがしてる?』って寄ってくるんですが、それに対して客が鼻歌でメロディーを聴かせてて、近くにいた僕は全然知らない曲だなと思ってたら、店員が『ああ、これでしょ』って言って出してきたレコードが超有名な曲で、『あの鼻歌でわかり合えるのか!』ってびっくりしたり(笑)。あんなに素晴らしい音楽家をたくさん生んでいる国なのに、そのギャップが面白かったですね。」

H「(笑)ええと、そんなに音楽が好きなのに仕事にしようとは思わなかったんですか?」

M「就職活動では最初レコード会社に入りたいと思って面接受けてたんです。でも話を聞いてるうちに、一番の趣味を仕事にするのはやめた方がいいように思えてきて、かといってまったく興味のない分野も嫌だったので、AV機器のメーカーに入りました。オーディオが好きだったんで。
就職してちょっとお金に余裕ができたので、レコード購入枚数が一気に増えましたね。ブラジル音楽のCDも、たくさんの新譜に加えて再発ものも数多くリリースされるようになって、レコード屋でCDを山のように抱えて歩いていたら店員と間違えられて声かけられたこともあります(笑)。

『ブラジル音楽ブーム』って今ひとつピンと来ないんですけど、僕にとってはあの頃が最大のブームだったので、レコード会社が今後も再発を続けてくれるようにと思って、既に持ってるものでも出たら買うようにしてましたよ(笑)。最近も安価で名盤が再発されたりしているのは、これから聴く人にとってはすごく良いことだと思いますけど、過去に出たものがほとんどなので、もう少し珍しいものも出してほしいなというのが本音です。」

H「バンドもやってるんですよね。」

M「はい。僕自身の音楽活動としては、フォホーというブラジルの北東部の音楽を演奏するバンドをかれこれ12年くらい細々と続けてます。ブラジルではとても人気のあるジャンルですが、日本ではまだまだ馴染みがないですね。4年前に氷川きよしが『虹色のバイヨン』というシングルをリリースしたんですが、この『バイヨン』というのもフォホーで使われる代表的なリズムの名前です。この曲で紅白歌合戦にも出場したんで、フォホーブーム来るか?と一瞬思ったんですが、やっぱり来ませんでした(笑)。」

H「フォホーブーム... うーん、日本人にはちょっと難しいリズムなのかもですね。これからの予定とかは?」

M「僕は本当に予定を立てるのが苦手でして、流れ流されて生きてきた結果が今の自分なんですけど(笑)。予定というよりは願望ですが、バンドはおじいちゃんになってもずっと続けて、いつかブラジルで演奏してみたいですね。あと、仕事はさっさとやめて隠居して、若い頃あんなに嫌だった田舎に帰って、毎日レコード聴きながら酒飲んで暮らしたいです。もはや願望を通り越して妄想ですかね(笑)。」

H「この間、松本さん、ブラジルのテレビ番組にも出演したことだし、演奏なんて簡単なんじゃないですか。それでは選曲に移りましょうか。テーマは何ですか?」

M「テーマは『サンバ、ボサノヴァ、MPB以外のブラジル』です。」

H「お、来ましたねえ。では1曲目は?」


1.Pixinguinha & Benedicto Lacerda / Um a Zero

M「サンバ、ボサノヴァ、MPB以外で有名なブラジル音楽といえばショーロだと思いますが、そのショーロを代表する偉大な音楽家ピシンギーニャとフルート奏者ベネジート・ラセルダの共演です。ウキウキするような楽しい曲ですが、よく聴くととんでもなく高度なことをやっているというさりげなさにしびれます。そういう人間になりたいものです。」

H「名曲、名演ですね。こんな音楽が普通に演奏されていたブラジルの深さを感じます。次は?」


2.Banda da Casa Edison / Ó Abre Alas

M「カーニバルといえばサンバのイメージが強いですが、マルシャという音楽も欠かせません。この曲はシキーニャ・ゴンザーガという作曲家が1899年に書いた最初のマルシャです。歌詞もあるんですが、このBanda da Casa Edisonというレコード会社の専属ブラスバンドの演奏が素晴らしいのでこちらを紹介します。アレンジが良いですね。」

H「うわ、渋いのをお選びで... シキーニャ・ゴンザーガ、最初のマルシャなんですね。切ないですねえ。次は?」


3.Orquestra Tabajara / Vassourinhas

M「ブラジル北東部のペルナンブーコ州生まれのカーニバル音楽がフレーヴォです。マルシャのシンコペーションを強調してテンポを速くしたような音楽ですが、カーニバルで人々が小さな傘を振り回しながらぴょんぴょんと飛び跳ねるように踊る姿は、まるで重力から自由になったような解放感があります。この『軽さ』というのもまたブラジル音楽の魅力です。」

H「you tubeのイラストがまたブラジルでたまんないですね。この曲、ブラジル人好きなんですよね。次が気になり始めました。」


4. Trio Elétrico Armandinho, Dodô & Osmar / É a Massa

M「バイーア州でそのフレーヴォをエレキ化してしまったのがトリオ・エレトリコ。トラックにPAを積んだ移動式ステージの上でエレキバンドがフレーヴォを演奏し、群衆が踊りながらついていきます。その創始者がこの人たちですが、ダサいですよね(笑)。でもこういう愛すべきアホらしさというのもまたひとつの魅力なんです。」

H「はい、ダサいです(笑)。でもこれがすごく高揚してくるんですよね。なんかこの混沌感がブラジル人しか思いつかないというか。さてさて次は?」


5.Os Tincoãs / Ogundê

M「このグループもバイーア出身です。アフリカの宗教を由来とするブラジルの民間信仰にカンドンブレというのがあって、バイーアを中心に広まっているんですが、この人たちの音楽はそのカンドンブレの儀式の音楽がベースにあります。素朴な演奏に重ねられた洗練されたコーラスを聴いていると、バイーアの日差しと海を思い出して、また行きたくなってしまいます。」

H「おお、良い流れですねえ。日本人女性が発音したくないグループ、オス・チンコアスですね(すいません...)。これまたバイーア人にしか出せない歌ですねえ。次はどうでしょうか?」


6.Pinduca / Dona Maria

M「ブラジル北部のパラー州生まれのダンス音楽にカリンボーというのがあって、『カリンボーの王様』と呼ばれていたのがこの人です。この曲は典型的なカリンボーとはちょっとノリが違うんですが、ファンキーなビートがかっこいいです。ぱっと聴いただけではブラジルの音楽ってわかんない感じですよね。」

H「ブラジルって広いなあって本当に感じますね。カリンボーって言葉、初めて耳にする方、多いのではないでしょか? さてさて次は?」


7.Luiz Gonzaga / Baião

M「さっき話に出たバイヨンという音楽です。これは後に『バイヨンの王様』と呼ばれるルイス・ゴンザーガが1946年に録音した曲です。大好きな曲で、僕のバンドもライブでは必ずやります。実はバイヨンと日本とのつながりは古くて、1952年に生田恵子が『バイヨン踊り』という曲をヒットさせて『バイヨンの女王』と呼ばれたんです。」

H「おお、やっと登場しましたね。ルイス・ゴンザーガ! こう順番に聞いてくるとルイス・ゴンザーガって実はかなり洗練されてますね。生田恵子... 知りませんでした... 次は?」


8.Jackson do Pandeiro / Coco de Improviso

M「ブラジル北東部の音楽コーコを広めて『コーコの王様』と呼ばれたジャクソン・ド・パンデイロです。王様だらけですね(笑)。ルイス・ゴンザーガと並ぶ北東部の偉人ですが、彼とは違った大道芸人的な風情の陽気なエンターテイナーっぷりがチャーミングです。あとリズム感がすごい。この人の曲もライブでよくやるんですが、この雰囲気はなかなか出せません。」

H「ジャクソン・ド・パンデイロも来ました! 確かに順番に聞いてくると『グルーヴ感』が飛びぬけてますね。これは演奏的には難しそうです。さあ終わりが近づいて来ましたが。」


9.Roberto Carlos / Quero Que Vá Tudo Pro Infernoe

M「60年代半ばにブラジルではビートルズ等の影響を受けてロックを演奏する若い音楽家が出てきて『ジョーヴェン・グアルダ』というムーブメントになるんですが、その代表的なヒット曲です。これを歌ったホベルト・カルロスはその後もずーっと大人気で、ブラジル音楽界の王様と呼ばれています。あ、また『王様』だ(笑)。」

H「次は何かと思ったら、ホベカル... でもブラジルの色んな意味での広さが伝わりますねえ。王様... さて最後の曲ですが。」


10.Cazuza / Faz Parte do Meu Show

M「最後は80年代ロックの名曲を。カズーザはカリスマ的人気のあったロックスターです。この曲はボサノヴァ風アレンジの美しいバラードで、いつかギターで弾き語りしたいなって思っています。まだ中島みゆきしか弾けないんですけど(笑)。」

H「おお、最後はカズーザのこれで閉めますか。美しいですねえ。女の子にモテそうです。松本さん、悪い人だなあ... それでは松本さん、今回はお忙しいところどうもありがとうござい... あれ、まだ何かあるんですか?」

M「はい。僕が歌うバンド、Banda Forró Legal(バンダ・フォホー・レガウ)が出演するライブイベントのお知らせです。9/27(土)~28(日)の2日間、『VAMOSブラジる!?』というブラジル音楽ライブイベントが開催されます。
『音楽で結ぶ中央線ブラジル化計画』と題し、中央線沿いのブラジル系ショップやライブハウスが手を組んで開催する地域密着型のイベントです。阿佐ヶ谷から吉祥寺までの7店舗で、15時から22時まで、総勢百数十名の様々なジャンルのブラジル音楽系ミュージシャンが演奏します。どのライブも投げ銭制ですので、ぜひ気軽に遊びに来てください。お店の情報やライブスケジュール等、詳しくはこちらのWebサイトでご確認ください。


●VAMOSブラジる!? web→ http://vamos-brazil.com


H「これに行くと、三角の帽子をかぶって歌っている松本さんに会えるんですね。今回の豊かなブラジル音楽にハッとした方も是非、足を運んでみてください。松本さん、今回はどうもありがとうございました!」


さて、まだ残暑は残りますが、秋の気配が街を包んでいますね。今回のブラジル音楽旅行、楽しかったでしょうか? 
音楽って本当に楽しいですね。
それではまた、こちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
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12:00~15:00 lunch time
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