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bar bossa vol.38

bar bossa


vol.38 - お客様:塚田耕司さん(PERMANENT AUDIO SERVICE)
「未来のスタンダード(になるかもしれない音楽)を知る10の動画」



いらっしゃいませ。

bar bossaへようこそ。

今日はレコーディングエンジニアの塚田耕司さんをゲストにお迎えしました。

林(以下H)「いらっしゃいませ。早速ですが、お飲物はどうしましょうか?」

塚田(以下T)「いつものスプリッツァーを。炭酸大好きなんですよね。」

H「最近はずっとスプリッツァーですよね。はい、どうぞ。では簡単にお生まれと小さい頃のお話を。」

T「1974年生まれ、埼玉県で育ちました。両親共に元々は長野なんですが。松本にスズキ・メソードという子供向けの古い音楽教育機関があるんですが、祖父がその校長の鈴木鎮一先生にとても感銘を受けていて子供は全員通っていたようなんですね。叔母はそのままピアノの先生になりましたし、父もバイオリンを弾いていたりオーディオを自作したりしていました。そんな経緯もあって一般的な家庭よりは音楽が身近にある環境だったと思います。その関係で僕もクラシックピアノは必須だったんですが・・・よくある話ですが全く馴染めませんでしたね。」

H「なんか最初からすごい話ですね。なるほど、かなり豊かな音楽環境にあったわけですね。中学生以降はどうでしたか?」

T「バンドブーム全盛期だったんですが・・・洋楽と洋楽っぽい音を出している日本のバンドが好きでした、レベッカとか。高校は公立なんですけどかなり自由な学校でバンドサークルに入るんですが、性格の問題もあって自分の納得がいくようなバンドが組めずに仕方なく音響担当になりまして・・・すでに今と同じ状況が完成してます、(笑)で、父の影響もありますし学校に機材がかなりあったので、音響機材の知識だけはありました。」

H「なるほど。もうその頃から(笑)。もしかして、その頃はやってたバンドの音楽自体に興味が持てなかったとか...」

T「バンドブームの時のビート系のバンドの音って子供ながらに音が細いって思ったりしてました。。生意気ですね~。あと歌ったり速弾きのソロ弾いたりとか・・・まったく出来なかったり。たとえばアーティストが着ている服にも全然興味なかったり・・・。そういう音楽を通してなにか自己主張するっていうモチベーションがなぜか今もですけど全然ないんですよね。」

H「わかるような気がします。」

T「やっぱり当時から裏方志向ではあったと思います。あとレコードのクレジット見るのが凄い好きでプロデューサーやエンジニア・ディレクターの名前をかなり覚えていて、これは音楽業界に入ってから役に立ちましたね。〇〇さんあの時〇〇〇担当されてましたよね?...みたいな本人も忘れているような話をして、こっちを覚えてもらうっていう。暗いな~。」

H「今のまんまですね(笑)。その頃だと雑誌とかは?」

T「雑誌はミュージック・マガジンとシティロードっていう情報誌がありまして、その二本立てですね。うわ~これも恥ずかしいな、ちょっと上の世代の人には多いと思いますけど、高校生ですから。わかったつもりになってただけですね~当時に戻ってぶん殴りたい。従姉の影響と、あとは学校の近くにスリムチャンスという個人経営の中古レコード屋さんが出来まして、その店長さんやそこに出入りしていたオトナの影響ですね。当然モテません。」

H「(爆笑)高校卒業後は?」

T「浪人したんですけど、全くヤル気が出なくて悶々としてたところで、レコード屋のバイトにたまたま受かりまして。時代はCDにシフトしていましたが、渋谷系~DJブームでレコードが売れてましたからね~、ダンスミュージック系のアナログを地方の店舗に発送するのが仕事でした、TLCとかBRANDYの12インチをひたすら数えてダンボールに詰めて。」

H「お、塚田さんももちろんレコード屋を経験してるんですね。」

T「で、そのバイトで冨田恭弘さん(現・太子堂ジャズ部)と知り合って、高井戸の親戚の家に間借りしてたんですが家が近かった事もあってかなりいろんな事を教わりましたね~。冨田さんは5つぐらい?年上なんですけど、ヒップホップトラックのサンプリングのネタにかなり詳しくて。曲として良くないと買わないみたいなポリシーも一環していましたし、僕も同じレコード追いかけて買っていましたね。その後高騰して中古バブルの時代になってしまうんですが・・・」

H「その頃のそういうちょっと上の兄貴的先輩が大きいんですよね。」

T「あと冨田さんがDJしてた当時オープンしたばかりのクラブ、三宿のWEBや渋谷のROOMに連れて行って貰った事が大きな転機になりました。なかなか1人でいくような場所でもないと思うんです、ライブハウスにチケット買って行くっていう感覚とは違いましたから、最初は。」

H「じゃあそろそろ自分の音楽が始められそうですね。」

T「ええ。バンドはムリだけどそういう中で触れたダンス・ミュージックのトラックなら1人で作れるじゃんって思ってColor Classic2という当時出たばかりのAppleで一番安いモデルを買いました。でもやっぱりDJになろうとは思わなくて、やっぱりココでも裏方志向で・・・モテませんね。」

H「なるほど。」

T「とはいえ今のように情報もなく、どうやって作ればイイのかわからないんで、どこかで修行しないとダメだな~と思って、テイ・トウワ氏のアシスタント募集に応募したら『一番若い』っていう理由で、これもまた、たまたま受かりまして。といってもなにか学ぶというよりは、ひたすら機材やレコードの買い出しや整理に明け暮れていましたね、Amazonも楽天もなかったので大変でした。」

H「でも、テイ・トウワさんのアシスタントなら色んな経験できますよね。」

T「CDバブルの最中でしたので、ニューヨークのレコーディングにも同行させてもらっていました。で、現地でも食事の買い出しや、レコードをひたすら買ってました。今思えばですけど、その時のNYで今の自分のベースとなるような経験をしていますね。世界的なトップクラスのエンジニアの現場を見たんですが、特別な機材を使っているわけではないのに日本のスタジオで鳴っている音との違いに驚きました。そしてなによりもギャラに驚きました。裏方なのにこんなに儲かるんだ~、と。ハウスミュージックがゲイカルチャーだって事も雑誌で読んだ程度の知識しかなかったんですけど、実際クラブに行ってみたら本当にマッチョの男性しかいなくてびっくりしたりとか。早い段階でそういう現場を見れた事で、幻想や憧れではない現実的なレベルの高さを思い知れた事はラッキーとしか言い様が無いですけど、良かったと思っています。」

H「他にも何か面白いことってありましたか?」

T「音楽以外でも食べ物の美味しさもにも驚きました、リトルイタリーからコリアンタウンやインド人街まで、そのエリアに行けばかなり本格的なモノが食べれます、しかも深夜まで。それからまだスターバックスの日本上陸前でしたから、カプチーノってこんなにうまいのか?と音楽関係だけでなくタイクーングラフィックスのお二人やヒロ杉山さん...アート方面の方々と一緒に過ごした時間もとても楽しかったです。いろんなアドバイスを頂きましたし、影響受けました。」

H「あの90年代の一番楽しいところを歩いてきてますね。塚田さんの今の仕事の話なんかを教えてください。」

T「Protoolsというソフトを使用した録音・編集・ミックスを中心に音楽制作の技術面をサポートするのが主な仕事です。特に学校などには通った訳ではなくて、現場の中で見聞きして覚えた感じですね。レコーディングエンジニアとしての仕事がメインでそう名乗ってはいますが、トラックの制作やマニピュレートなんかも引き受けていますし、総合的なオーダーもあります。ただプロジェクトのマーケティングや運営に関わったりすることは基本的にないのでプロデューサーとは違うと思っています。技術屋というとわかりやすいかと。」

H「ホント、裏方にずっと徹してますね。これからの音楽業界はどうなると思ってますか?」

T「堅実な業界になったと同時に堅実な人しかいなくなりました、笑。アーティストもスタッフも破天荒な人たくさんいましたから...もちろん経済的な余裕の中で許されていた部分なんですけどね。そういう業界の華やかな時代を知っているのって僕の世代が最後だと思うので、ちょっとさみしいなあとは思います。」

H「塚田さんご自身はどうされる予定ですか? 何か大きい話とかもあれば是非!」

T「目前の仕事をコツコツと。」

H「(爆笑)何ですか、それは... では、選曲に移りましょうか。まずテーマは何でしょうか?」

T「『未来のスタンダード(になるかもしれない音楽)を知る10の動画』と題しました。」

H「面白そうですね!」


1.Frank Ocean - Super Rich Kids (Ft. Earl Sweatshirt)

T「ODD FUTUREっていうLAのレーベルっていうザックリ言いますとP-FUNKみたいな集団があるんですけど、その一員のR&Bシンガーで、ゲイである事をカミングアウトして話題になりました。サビはMARY J BLIDGEの「REAL LOVE」を引用していますし、たどっていけばチャカ・カーン等のクラッシックソウルの系譜って言っても過言ではないと・・・という意味でこの場に相応しいかと思って選びました。どの曲もカリフォルニアの事歌ったりラップしてるのに暗いっていうのも好きなポイントです。ビデオも他人が勝手に作ったやつがアップされてほぼオフィシャルになっているのも今ならではですね。」

H「今回の塚田さんの選曲が一番オジサンの僕としてはわかんなかったらどうしようと心配だったのですが、良かった。ザックリP-FUNKという解説も助かります...カッコいいですねえ。これ、他人が勝手に作ったビデオなんですか。うーん、すごい...」


2.Lips - Super Rich Kids (Frank Ocean Cover)

T「で、検索するとカバーしてる人も一杯いたりして・・・(殆ど勝手にやってるモノだと思いますが)これはもう21世紀のスタンダードと言ってよいんじゃないでしょうか?初期のテクノポップっぽいシンセがツボです。」

H「うわ、このシンセの感じ、僕もたまんないんですけど。勝手にやってる感じでこのクオリティは!」


3.The Internet - Dontcha

T「もう一曲ODD FUTUREで忘れちゃいけないのがこのバンドで。SADE っぽい空気もありながら初期のジャミロクワイ感もあったりして。スタンダードっていうよりレアグルーブかもしれないですけど。」

H「もう彼女のルックスも含め、キュンキュンきてます。確かにシャーデーっぽいです。レアグルーブ感って90年代のことで、そして。うーん」


4. BadBadNotGood Boiler Room Brownswood Basement Live Show

T「この動画もかなり良いですね。Boiler Roomは世界各地で企画されてるYOUTUBE上の音楽番組なんですが、チェックするといろんなアーティストに出会えます。」

H「塚田さん、おもいっきりインターネット対応しているんですね。あたりまえなんでしょうか。今、オジサン的に色んな言葉を検索して、すごくうなずいています。」


5.Major Lazer - Get Free ft. Amber of the Dirty Projectors

T「ODD FUTUREにつづいてここ数年ずっと好きなのがDIPLOというプロデューサーですね、MAJOR LAZORは彼のレゲエ寄りのプロジェクトで。デビッド・バーンが自分の曲にも取り入れながら、各国のワールド・ミュージックを紹介していたじゃないですか?それの21世紀バージョンだと思っています。」

H「このyou tubeの視聴数がすごいんですけど... 塚田さんとは音楽好きはブラジルかジャマイカに辿り着くという話を以前しましたね。そしてなるほど、デビッド・バーンの21世紀バージョン!」


6.MAJOR LAZER ASIA 2012 TOUR

T「これも各国語で、カバーがあったりしましすね。謎の日本語バージョン」

H「うわ、ニホンゴですね。でもこれは日本人ネイティブですね。インターネットってすごい...」


7.Mount Kimbie - Carbonated

T「彼らはダブステップやジュークなどの世界各地で起きているビートムーブメントをミュージシャン的な視点で再構築したような感じの音です。先日TAICO CLUBにてライブをみましたがバンド編成でかなりインプロっぽい感じでした。」

H「再構築! なんかこのビデオも冷たいのか熱いのか、たぶんすごく熱いんでしょうね。バンド編成も聞いてみたいものです。」


8.Ryan Hemsworth - Against A Wall ft. Lofty305

T「ネット中心に聴いていると1アーティストに対して好きな曲が1曲しかないケースが殆どなんですけど、この人に関してはハズレがないというか全部好きです。クラブで聴いても気持ちいいし、家で普通に流していても気持ちいいし、使い勝手の良さって意味でスタンダード。」

H「え、このクオリティで『使い勝手の良さ』なんですか。ビデオがキティちゃんも含め、ツッコミどころ満載ですね。」


9.Rhye - The Fall

T「これは中村くんのBAR MUSICさんでもかなりかかってたみたいなので、ご存知のかたも多いと思います。メディア的には日本ではさほど露出してませんが、去年バリに旅行した時にホテルや海沿いのラウンジでかかりまくっていましたね。共通してMVのクオリティはどのアーティストもとても高いですね。」

H「これは中村さんもこちらのブログでアコースティック・ヴァージョンで紹介してくれましたね。世界のラウンジでかかるって『夢』ですね。」


10.tofubeats - No.1 feat.G.RINA

T「最後に日本から。最近一緒にお仕事する機会の多いtofubeatsさんの作品です。メジャーなKPOPなどの欧米の視点でクオリティが高い作品はいっぱいあると思うんですけど、tofubeatsさんの作品はJPOPのドメスティックな部分を個性としてポジティブに捉えているっていうか。コレ海外の人がみたらどう思うんだろう?っていう視点で制作してる感じが好きだし、一部のアイドルでも起きている海外に向けての動きには注目しています。」

H「日本、入れてくれましたか。JPOPや日本人の音楽センスが世界でどう受け止められるのか。そしてどう日本にも海外にも受け入れられる音楽を作るべきなのか、現場の塚田さんは色々と考えてしまいますよね。いやあ、いつも塚田さんとはカウンターで『モテるって何?』なんて話をしていたのに、お仕事すごいですね。塚田さん、お仕事の宣伝もしてもらって良いですか?」

T「はいはい。では、お仕事のご依頼・お問い合せはこちらです。PERMANENT AUDIO SERVICEという音楽職人集団を主宰しております。通常の音楽制作の他、自作の曲のマスタリング、カフェなどのプライベートスペースでのライブPAや録音など、かなり細かいオーダーのお仕事も承っております。お気軽にご相談下さい。

●PERMANENT AUDIO SERVICE→ http://permanentaudioservice.com


塚田さん、お忙しいところどうもありがとうございました。
もうすっかり秋が深まって来ましたね。そろそろクリスマスの予定の話も始まってそうですね。
それでは来月もこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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