vol.47 - お客様:山崎雄康さん(チッポグラフィア)
【片思い音楽】
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今回は大阪でチッポグラフィアというカフェを経営されている山崎雄康さんをゲストにお迎えいたしました。
林;こんばんは。お飲み物はどうしましょうか?
山崎;ほぼ下戸なので、何かアルコール度数の低い果汁たっぷりのものをお願いします。
林;最近、季節のフルーツのカクテルというのをやってまして、今、大阪のデラウェアがあるのですが、そのカクテルでどうでしょうか?
山崎;お願いします。
林;早速ですが、お生まれと小さい頃のお話を教えていただけますでしょうか。
山崎;1966年大阪府茨木市生まれです。小学校に入るとき枚方市に引っ越しましたが、どちらも土着的なにおいの薄い郊外です。両親を含め、身の回りに音楽の好きな人は希薄でした。いちおうビートルズ来日の年なんですが、勿論まだ0歳ですから。沢田研二もキャンディーズもリアルタイムでラジオやテレビから流れていたはずですが、それほど夢中になった記憶はありません。
林;なんかどんどん意外な告白が始まっていますが...
山崎;そういえば、これまで両親が歌を歌う姿って一度も体験したことがないかもしれません。身の回りに音楽はなかったですね。そして小学校の音楽の授業は苦痛以外の何物でもありませんでした。教室内には足踏みオルガンがあり、縦笛とピアニカの世代のはずですが、既にこの頃から楽器が弾けないことへのコンプレックス、致命的な音痴に拍手が人とずれるというリズム感の欠如といった絶対「非」音階ともいうべき音感のなささが芽生え始めています。いまだにトラウマ的に覚えているのが、楽譜のテストの前日。記号化された音符が全く理解できず悶絶していました。これは今も変わりませんね。決して自分には振り向いてくれない音楽という存在。思えば音楽への一方的な片思いはここから始まったのです。
林;あの、僕も楽器は出来ませんが、そんなに片思いなんですね。中学に入って変わりましたか?
山崎;幼少期にこっぴどく振られて、それ以来避けていた音楽への片思いの始まりです。最初は音楽よりも映画へ興味が早かったですね。郊外でしたので、映画館へ通うというより、もっぱらテレビの洋画劇場。今も通じる「洋モノ」嗜好はこの頃からです。家にあった数少ないレコードはもっぱら映画の主題歌を集めたムード音楽のような編集盤でした。オリジナルではなく、****楽団とかが、編曲、演奏したものですね。何故か父親のレコードにいつもは入っていたのが、「慕情」と「男と女」です。その刷り込みなのか、どちらも今も大好きな曲です。最初に自分で買ったレコードははっきりしないのですが、多分ポール・モーリアあたりですかね。
林;ポール・モーリア! 僕は親が聞いてましたが。最初が映画だとそうなるんですね。
山崎;中学生から高校生になって映画から音楽への興味が広がり、洋楽ポップスを聴くようになりました。不思議と歌謡曲時代はありません。いきなり洋楽でした。ABBAやオリビア・ニュートンジョンなんかを覚えています。同時に好きな音楽がジャンルをまたぎ、変化し続ける遍歴の始まりです。この頃、赤盤、青盤でビートルズにも出会ったはず、流行りの洋楽やロックの古典を遡って聴いていました。映画絡みで記憶されているのが、ブロンディの「コール・ミー(『アメリカンジゴロ』の主題歌)」をウォークマンで心斎橋の名画座への途中、繰り返し聴いていました。高校生の時に突然爆発したのがハードロック、へヴィメタルです。今も続く雑誌「BURRN!」を創刊からしばらく購読していました。ちょうどアイアンメイデンなどイギリスではNWOBHMという動きがあり、どっぷりはまってしまいました。並行してディープパープルやレッドツェッペリンなど王道のハードロック。大学になって一気にパンク、ニューウェーブ化するまでこれは続きました。
林;高校の時は「BURRN!」ですか。これまた意外です。さて、大学に入るとどうでしょうか?
山崎;自分の音楽遍歴は焼畑農業なんですね。いったんのめり込むとルーツを辿って深く掘り下げるけど、段々土地がやせてくると、飽きてくるということなんですけどね、次の土地を探して、いつの間にか移り変わっているのです。
林;焼畑農業(爆笑)
山崎;"ヘビメタ"はある日憑き物が落ちたように去り、今度はイギリスのパンク、ニューウェーブと60年代のサイケデリックロックという双頭政権でした。ザ・ドアーズのジム・モリソンを崇め、その流れを汲む英国音楽に夢中でした。そして何といっても"スタカン"です。自分の音楽遍歴でスタイルカウンシル以前と、以後では大きく嗜好が異なります。これはビッグバン級の衝撃でした。このバンドと出逢ったから、現在へと四半世紀以上続く流れがあります。ジャズやボサノヴァ、ソウルミュージックなどポール・ウェラーのルーツを遡っていき、その先々の土地でどっぷりとその音楽へのめり込みむという、焼き畑農業の拡大化が一気に開花しました。またシングルB面収録されていたミック・タルボットのオルガンのインストからハモンドオルガンへの偏愛がスタートしました。
林;山崎さんの世代ってみなさん必ずスタカンにやられてますね。さて、その後は?
山崎;ここで再び絡んでくるのが映画なんですね。19歳頃から、8ミリフィルムで自主製作の映画を撮り始めました。自分作品の好きな曲の無許可サウンドトラック化が課題となりました。映画に使えそうな音楽を探すという、まるでラッパーのサンプルネタ探しみたいなものでしょうか?ちょうどその頃、アナログ盤からCDへの転換期でしたのでアナログとCDが入り混じったコレクションが肥大しながら興味対象のジャンルが拡散していきました。
林;映画も撮ってたんですね。なるほど、それであんなに映画ツイートが多いんですね。そして大学を卒業しますが。
山崎;大学を卒業してからも音楽遍歴は止まりません。多少余裕もあったのか、さらに音楽へ費やす手間と資本が増大しました。ある時ふと気が付きました。自分がこれほど音楽を愛して、貢いでいるのにどうして一向に自分の方へ振り向いてくれないのか?常に片思いだったんですね。どんなに音楽が好きでも、自分で歌ったり、楽器を弾いたり、さらには言葉でその素晴らしさを語ることすらできないのですから。永遠に一方通行な思いです。そして自分がこれまでやってきたことと言えば、決して振り向いてくれない相手にひたすら貢ぎ続けることだったんですね。これはお布施です。現世のご利益といえば、次の瞬間には消えゆく音と共に過ごすだけという過酷な信仰です。これは現在に至る悲しい物語です。音楽はいつも片思いでした。
林;あの、そういうスタイルで音楽に接している方、すごくたくさんいらっしゃいますよ。たぶん、PC画面の向こう側でみんなうなずいています。お店を始めるきっかけのようなものを教えて下さい。
山崎;音楽は映画と同様、どんな時にも日々の傍にありました。転職することなく、サラリーマンを10年以上(結局15年で退職)続けてきましたが、何となく先が見えなくなってきて、将来への閉塞感が積もり積もり、いつしか自分で店を持つことを考え始めました。ちょうどその頃、いわゆるカフェブームと出逢います。先ほどの音楽遍歴の果てがちょうどジャズやソウル、ブラジル音楽といったカフェミュージック・ブームと重なっています。
林;なるほどなるほど。
山崎;音楽と珈琲が楽しめる場所を提供できないかと思い始め、開店準備をスタートしました。結局2年位開業スクールに通い、いろいろと勉強しましたね。常に頭にあったのは音楽と珈琲でした。なんちゃってオシャレカフェではなく、ちゃんと珈琲が美味しい、アク抜きされた現代的なジャズ喫茶というのが当初のコンセプトでした。勿論ジャズ喫茶全盛の世代ではなく、カフェブームの影響下の後発組で、サードウェーブとの間の世代となります。珈琲が美味しいとうのがこだわっていたポイントでした。
林;珈琲はどうやって勉強されたんですか?
山崎;師匠(珈琲サイフォン 河野雅信氏)の珈琲に出逢い、結局豆を煎ることに興味を抱き、自家焙煎となりました。焙煎修行の為に1年間東京で不法就労(?)しました。そこでズブズブとのめり込んだのがブラジル音楽です。珈琲豆の輸入商社主催の農園見学でブラジルへと渡りました。一度あの国を訪れると病みつきになるというのは本当です。内陸ミナスの農園の梯子ばかりでしたがブラジルの持つ魅力にとりつかれ、関西と比べ圧倒的に情報が溢れる東京での生活が一気にブラジル化しましたね。何でもそうでしょうが、生産者の生の顔を一度でも体験すれば、加工者としては心意気に感化され、その生産物を最良の形で提供できたらと思うはずです。だから店のコンセプトはブラジルを音楽と珈琲で楽しむ店となりました。渡伯時は殆ど植物(コーヒーの樹)ばかりでしたので、円盤探しに再訪問を夢見ました。未だに達成できていませんが。予定通り1年の修業を終え、大阪へ戻り、そして開業。あっという間に10年が経過しています。日々の珈琲と音楽の積み重ねが今日に至ります。
林;そうなんですか。ブラジルはまず最初に珈琲農園なんですね。ほんと、あの国の人たちに触れると世界観が変わりますよね。さて、みんなに聞いているのですが、これから音楽はどうなるとお考えでしょうか?
山崎;難しい質問です。「最近の若者は.........」という枕詞で対象の否定語が続きます。映画だって、音楽だって、活字だってなんでもそうです。自分より下の世代は、かつて自分が狂おしいほど夢中になったものに、それほど執着がないのは事実かも知れません。これからどうなるかなんて全く分からないのですが、自分はデータ配信には興味が薄く、アナログであれ、CDであれ、実物を探し続けて、やはり手に入れたときの快感はかえがたいものです。片思いは変わらないのですが、時間と手間、資本の許す限り、音楽へのお布施は続けていきたいと思います。しかし時々自分の増大する蓄積音盤が果たしてどうなるのか不安になります。興味の薄い家族にとっては単なる燃えないゴミでしょう。年々記憶が怪しくなり、把握できる許容を越えた情報量が脅威となるかもしれません。「何枚持っているか?」とは絶対聞かないでください(笑)。
林;お布施っていうのがやっぱり(笑)。奥様は理解がないんですね。僕の場合は妻も元レコード屋なんですごく楽ですが。それではみんなが待っている「選曲」に移りましょうか。まずテーマは何でしょうか?
山崎;テーマは「片思い音楽」。所謂失恋ソングというより、私的な音楽への片思いの遍歴です。決して実らない一方的な思いですが、同時にそれは今の自分を形作っています。恥ずかしい過去の遍歴を紐解いていきます。
林;(笑)
01. Carmen Cavallaro 愛情物語(The Eddy Duchin Story)より「BRAZIL」
山崎;実際に映画を観たのはずっと後ですが、数少ない父の持っていたLP。自伝映画のサウンドトラックですが、劇中のピアノ演奏はCarmen Cavallaro。ムーディーなカクテテルピアノ的な演奏は何か訴えるものがあったのでしょう。今でもCDを持っています。後付け理論ですが、今に至るアリ・バホーゾ「BRAZIL(Aquarela do Brasil ブラジルの水彩画)」への偏愛、そして同名のテリー・ギリアムの映画のタイトル曲への最初の刷り込みも全てここから始まったのです。余談ですが店のメニューにも「水彩画のミルクコーヒー」ってのがあります。
林;僕もあの映画も含めこの世界、大好きなのですが、あの映画、こういう演奏ってブラジル人はどういう風に感じているんでしょうかね。
02. Francis Lai「男と女(Un Homme Et Une Femme)」
山崎;ダバダバと映画絡みをもう1曲。自分が生まれた年に制作、公開された作品。当時大ヒットしたのでしょうね。ゆりかごの中でダバっていたのかもしれません。複数のバージョンでの演奏が父のレコードにあり、いまだに自分でもこの曲のカバーはついつい手に取ってしまいます。アヌク・エーメのアンニュイな色香、全てのショットが奇跡的にフォトジェニックな映画は時折無性に観たくなり、サントラもまた店内で繰り返して聴いています。
林;僕も何回観たかわかりません。映画って「世界観」をフィルムの中に閉じ込めることなんだなあとこの映画で知りました。
03. The Style Council「Blue café 」
山崎;そろそろビッグバンの登場です。アルバム通して諳んじているくらい繰り返して聴いた盤です。全て捨て曲なしの名盤ですが、短いインストのこの曲は自分の映画に不許可使用したひときわ思い出の曲です。けだるいギターとストリングスが劇中の回想シーンで夏の終わりの海辺(琵琶湖ですけど)をけだるく歩く白いドレスの女性の姿を脳裏に蘇えらせます。今聴いても何とも切ない曲です。
林;どの曲を選ぶのかすごく悩まれたのではないでしょうか。これを選ぶというのが山崎さんらしいですね。
04. Sly & The Family Stone「Que Sera Sera」
山崎;スライ一番の偏愛盤『Fresh』からの1曲で「In Time」と並んで好きな曲です。
新京極の映画館でのオールナイトで「ウッドストック」を観て以来、衝撃的にはまったバンドですが、今も変わらぬ偏愛を続けています。ヨレヨレでダウナーなスライの声とスカスカのリズムが聴くたびに、人生なるようになるさという勇気を与えてくれます。
林;スライは山崎さんは『Fresh』を選ばれるの、すごくわかります。人の内側に向かっていく感じがたまんないアルバムですよね。
05. David T Walker「What's going on」
山崎;Marvin GayeやDonny Hathawayなどニューソウルへの憧憬は現在も進行中です。90年初頭のアシッドジャズから始まったレアグルーヴやジャズファンクのブームはどんぴしゃりの渦中でした。これもスタカン、ポール・ウェラーから繋がる余波なのですけど。特にこの曲が好きで、Bernard Purdieなど豪華メンバーでのライブはこの渋谷ではなく、心斎橋で体験しました。演奏されたこの曲で、何故か涙がボロボロと流れて、ギターという楽器の持つ感情を揺さぶる魔力に参ってしまいました。
林;メロウですねえ。山崎さん、こういうので涙がボロボロな方なんですね。良いですねえ。
06. Joe Henderson「Blue Bossa」
山崎;そろそろジャズを1枚。ブルーノートに始まったジャズ遍歴です。演奏うんぬん以前にジャケットの格好良さが先行しました。フランシス・ウルフとリード・マイルスによるあのレイアウトと写真のトリミングはいつまでも眺めていたくなり、文字デザインに目覚め、開業時の店名が「タイポグラフィ」となるに至ります。この曲だけは何故か実際に失恋時に繰り返して聴いていた記憶があり、本物の片思いソングです。
林;あ、店名はそういう流れがあったんですね。失恋曲、誰にでもありますね。その曲を聴くとあの女の子のことを思い出す曲。
07: Caetano Veloso「Cucurrucucu Paloma」
山崎;カエターノ・ヴェローゾにはまるきっかけの1曲は2本の映画です。ペドロ・アルドモバル「トーク・トゥ・ハー」、そしてもう1本ウォン・カーワイ「ブエノスアイレス」で使用されていました。前者は劇中の演奏シーンがあり、その怪しさはまさに「なんじゃこれはっ!」的に衝撃でした。既に「ドミンゴ」とかは聴いていたはずですけど、強烈だったのは映画のシーンの方でした。後者もいろいろと思い出深く、妻が偶然店に飛び込み営業に来て、初対面なのに何故か好きな映画の話で盛り上がり、店内でこのサントラ盤を聴いたものです。本人は覚えていないそうですが。余談ですがこの二人の監督は自作での音楽チョイスには唸ります。偏愛ポイントがはっきりしており、実は結構ベタでミーハーな王道なのですが、似た趣味なら、絶対たまりませんよ。
林;奥さまとそんな出会いが。さらに本人が覚えていないってまた素敵です(笑)。
08: Glenn Gould「Bach The Goldberg Variations」
山崎;クラシックは門外漢ですが、唯一の例外がグレン・グールド。冒頭の「Aria」を聴くたびに胸を掻き毟られる衝動が止まりません。どちらかといえば81年再演版の方が好みです。今は曲買いで、色々な演奏を見つけるたびに買ってしまいます。
林;意外なグールドが登場ですね。一度グールドにはまると全部聴きたくなりますよね。
09: Gretchen Parlato「Flor De Lis」
山崎;元々のジャヴァンも好きなのですが、これは完全に原曲越えの偏愛曲。ブラジル音楽をまぶした女性ジャズボーカルというツボがあります。愛情をこめて非ブラジルによるブラジル音楽をインチキブラジルと呼んでいました。一時期この盤は本当にしばしば店内で流れていました。間奏前の男声コーラス(多分ギターのLionel Loueke)が、さりげなく寄り添う瞬間、まるで神が舞い下りたかのような鳥肌が伴います。どうしようもなく好きすぎる曲です。
林;非ブラジルによるブラジル音楽にはまるあたり、山崎さんのチョイスのテイストがすごくわかってきました。確かに男性コーラスが寄り添う瞬間、鳥肌ですね。
10: 探偵物語オープニング「Bad City」
山崎;片思いの時期は前後するのですが、最後に珈琲屋の原点の1曲。珈琲を辿っていくとその源流となるのが松田優作演ずる工藤俊作の1杯です。劇中で依頼者へ珈琲をブラックで提供していました。サイフォンに憧れ、自分でも一時期ずっとサイフォンで珈琲を点てていて、挙句の果てはサイフォンメーカーに修行の為に就職したのですから。ちなみに工藤ちゃんのブレンドはキリマンジャロ2、モカ1、ブルーマウンテン3らしい。いまだに自分で試したことはありませんけどね。
林;工藤ちゃんの飲食シーン、後の日本人に大きく影響を与えましたよね。僕としてはティオペペをボトルで飲みながら食事をするというのがカッコいいなあ、いつか真似してみたいなあと思いました。
さて、山崎さん、最後に何か宣伝みたいなものはありますか?
山崎;この年末で開店10年を迎えます。早いものです。これまでのご贔屓本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
林;ありがとうございます。みなさんも是非、チッポグラフィアさんへ行ってみて下さいね。山崎さん、お忙しいところどうもありがとうございました。
●TIPOGRAFIA HP→ http://www.tipografia.sakura.ne.jp/about.html
●山崎雄康さん twitter→ https://twitter.com/tipografia_
そろそろ夏が近づいてきましたね。また新しい恋が始まるのでしょうか。
それではまた来月もこちらのお店でお待ちしております。
bar bossa 林伸次
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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
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林 伸次 1969年徳島生まれ。 レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、 フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。 2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。 著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。 選曲CD、CDライナー執筆多数。 連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。 bar bossa ●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F ●TEL/03-5458-4185 ●営業時間/月~土 12:00~15:00 lunch time 18:00~24:00 bar time ●定休日/日、祝 ●お店の情報はこちら |