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bar bossa vol.49

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vol.49 - お客様:町田和宏さん(DJ)


【テーマ:バールボッサの晩夏】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はDJの町田和宏さんをお迎えしました。


林;こんばんは。お飲物はどうしましょうか?


町田;こんばんは。では、モヒートをください。お家で作ってみようかと思いつつ、ひと手間かかる飲み物なのでやっぱりバーでお願いするのがいいですね。おいしいモヒートを作ってくださるお店が好きです。もちろんバールボッサも好き!


林;自慢ですがうちのモヒート、キップ・ハンラハンのメンバーのキューバ人たちに誉められました! では町田さんの簡単なプロフィールをお願いできますか。


町田;町田和宏と申します。生まれは1981年です、東京の世田谷区の生まれでした。でも、私は全然世田谷にいた記憶がないです。父親の勤め先の社宅に家族4人で住んでいたようなのですが、私が2~3歳くらいの時に茨城の田舎に引っ越していたようで、記憶は茨城からですので茨城育ちですね。引っ越し初日に「ここはぼくのいえじゃない」と私が言ったのをよく覚えてるみたいなことを母親が言ってたのですが、やっぱり私自身はそんなことも全然覚えてないです。とにかく長閑な田舎ですね、本当に家の周りは田んぼ以外何にもないところ。


林;なるほど世田谷→茨城なんですね。では小さい頃の音楽環境を教えてください。


町田;いきなり身も蓋もないのですが、全然よい環境じゃありませんでした。母親が車でかける映画音楽のコンピレーションとか歌謡曲くらいしかなかった気がします。姉は都内で私立の幼稚園行ったり音楽教室とかに行ってたみたいなんですが、私は全然そういった経験もないんです、家計が苦しい時期だったみたいで、ひたすら朝から夕方まで保育園に預けられてました。楽器は当然できなくて、でも保育園で役は指定されて小太鼓叩いてた気がします。「弾いたりするのは無理だけど、叩くだけならなんとかいけるだろう」と先生が判断してくれたんですかね、ちゃんとリズムを叩いていたのか怪しいですが(笑)。


林;お姉さんとの差が... 初めて買ったCDは?


町田;姉の影響で TM NETWORKのアルバムの「Carol」というCDアルバムだと思います。当時は少年少女向け文学を読むのが好きでジュール・ヴェルヌの「海底二万哩」とかアレクサンドル・デュマの「巌窟王」とか、そんなのをたくさん読んでたのですが、そのBGMとして、ヘッドフォンしながら今では考えられないくらいの回数でこのCDを鬼再生しまくってた気がします。普通の小学生の読書ですがストーリーに変な色づけがされてるかもしれないですね...。あとは友達の影響でB'zのアルバムなんかを借りたりしてよく聴いてました。


林;そうですか。やっぱり普通にTM NETWORKやB'zなんですね。中学以降は?


町田;小学生がこんな状態ですから、中学生も似たようなものでした。小室サウンド全盛期で友達が「trfの東京ドームコンサートのチケットとった」って言うので一緒に行かせてもらったりしてました。うわー、大丈夫ですかね、こんなお話の流れで...。せっかくお声がけいただいたのにジャズ全然出てこない...。ネットにアップされた時にこの先読んでいただけるか心配になってきました。でも、そういえば林さんによるBar Musicの中村智昭さんへのインタビューでもTM NETWORKを挙げられたりしてましたね。あとはスピッツ、ミスチルとか流行ってたものは一通り、そしてFMラジオの邦楽チャート番組を毎日のようにチェックしてました。


林;いえいえ。大丈夫ですよ(笑)。


町田;思い出してきたのですが、この頃、住んでる町で費用を半分負担してくれる短期海外派遣制度みたいなのがあって、希望を出したらたまたま通ってしまってイギリスとフランスに行けることになったのですが、フランスで全然知らないくせにhiphopとかclubとかって書いてあるCDをとりあえず何枚か買ったのを覚えています。買ったCDはフランス語のラップだったはずですが、残念ながら手元にCDがなくてアーティスト名はわかりません。たぶん、そういった音楽に憧れが強くあったんだと思います、日本でも「今夜はブギーバック」とか「DA.YO.NE」なんかの日本語のラップがヒットしてメジャーな方にも出始めた時期でしたので。

あとは、話が戻ってしまうのですが、私にとって意外と重要なtrfのラジオ番組という存在がありまして(笑)、番組では当たり前のようにtrfの曲なんかがかかるのですが、Earth Wind & Fireの「Let's groove」とかCheryl Lynnの「Got to be real」とかのわりとベタなダンスクラシックも紹介されていて、「こういう曲が聴きたかった!」みたいな衝撃を受けてました。一方で小沢健二にとてもはまったりもしていました。この頃のオザケンはBetty WrightをネタにしたラブリーとかDJのサンプリング感覚で作った良曲が多くて、大学生になって元ネタに出会ったりして、なぜ自分がオザケンの曲に反応したのかを後から納得したりしました、でもこの頃はテレビを観たりする中でなんとなくいいなーという入り方でした。雑誌はファッション誌を少し読んだりして、そうするとちょこーっとヒップホップのレコードとか紹介されているんですよね、当時はThe RootsとかDE LA SOULとか、あとDJ HONDAとかブッダ・ブランドとかの名前だけをなんとなく見ていた気がします。で、「どっから聴いたらいいかわからないけど、こういうCDが欲しい」なんて思って町で一軒だけのCD屋さんに自転車で行ったりするんですけど、演歌のテープとかがずらーっと並んでる店で、これはダメだなと子供心に思いました。海外の輸入レコードが欲しいと思ってるのに「なんで演歌のテープなんだよ...」と田舎の環境に対してかなり当時怒りを燃やしていました、そんなの勝手に燃やされても困るって話ですけど。しょうがないから都内に遊びに行った時に雑誌で紹介されていたよくわからないレコード屋に行って、これまたよくわからないまま何枚かレコードを買い、「レコードをどうしても再生してみたいので押し入れに眠っているあのレコードプレイヤーを復活させて欲しい」と父親に一日3回くらい毎日頼み込み、針を買ってもらって、それでようやくレコードを初めて再生しました。針をレコードの上に載せるっていう行為と聴くっていう行為がすごく新鮮でした。レコードを買うという流れがここから始まりました。


林;なるほど~。近所には演歌のテープが並んでいて、都内に行ってよくわからないままレコードを買うっていうのが北関東育ちって感じですね。なるほど。そんな感じなんですか。高校は?


町田;高校に関しては私の中で茨城がもう田舎の悪いイメージしかなくて、本当は千葉県の高校を受けたかったのですが、「地元の高校に行け!」というジャイアンのような母親の強権に抗えず、結局、地元の高校に行きました。とはいえ、ここまでとても真面目に親の方針に逆らわずにいたので、割と自由な生活になってきました、父親がバイク好きだったのもあって、ホンダのCL50というクラシカルな原付バイクを買ってもらい、免許もすぐとれたので、そこから一気に行動範囲が広がりましたね。リサイクルショップに中古レコードがあることを知っていたので、雑誌の名盤特集みたいなページで紹介されていたレコードの情報を頼りに、ひたすら田舎のリサイクルショップに原付で通いました。今でも手元にあるレコードだと、Michael Jackson、Earth Wind & FireとかBobby Caldwell、Grover Washington, Jr、KraftwerkとかYMO、ユーミンなんかをリサイクルショップで発掘しました。あとは千葉に遠征して柏のディスクユニオンにかなり行きました。当時は高島屋の中に小さい店舗があり、さらに商店街のほうの小さいビルに別店舗があって、必ず全店舗回るようにしていて行くだけですごく幸せな気分でした。その他はもともと本好きで地元の図書館によく行ってたので、図書館のCDもよく借りていて、Run-D.M.C.とかDE LA SOULなんかがあった気がします。


林;おおお、何か始まってきましたね。


町田;そうなんです。高校でのトピックとしては、隣のクラスにDJをやっているひとがいたことです。平田くんという友達で、高校生ながらクラブでDJやってるすごいひとでした。USヒップホップやR&Bをスクラッチと2枚使いを織り交ぜつつきれいにつないだミックステープを作ったりしててよくテープを聴かせてもらったりして、とても刺激を受けました。まだアンダーグラウンドだった日本語ラップのレコードもかなり持っていて、日本語ラップだけのミックステープとかもらったのもよき想い出です、あとラップやバックDJもやったりしていて僕の中では自分とは全く違うスーパー高校生的な存在(笑)。

そのひとに教わってラジオはJ-WAVEでやってた「Hip Hop Journey Da Cypher」を深夜に聴いてみたり、テープに録音してパナソニックのSHOCKWAVEっていうポータブルプレーヤーで聴くみたいな調子でB-BOY度数があがってました。CypherはMUROさんや著名DJのミックスが聴けて新譜の情報が入るのでとてもよい番組でした、RIKOさんのMCがかっこよくて英語だけはちゃんと勉強しておくかなんて思ってましたね、あと当時はMISIAが番組に出て生歌やったりもして、「つつみ込むように...」の12インチが異常なプレミアついたのもこの頃ですね。平田くんがクラブでDJやる時は遊び行ったりして、いい想い出です。


林;自分の周りの憧れ友達、重要ですよね。


町田;雑誌はremixを読んだりするようになってました、ブラック専門の雑誌でなくてremixだったのは幅を広げたいって気持ちがあったのかもしれないですね。


あとこの頃サンプリングの面白さに気づきハマりました。例えば、もらったミックステープに入ってた2pacの「Do For Love」って曲がリサイクルショップで買ったBobby Caldwellの「What You Won't Do for Love」が元ネタだっていう風につながったりして、ネット上にもまだこういう情報がほとんどない中だったので手探りでしたが、逆に手探りしててパッと元ネタとつながったりするとちょっとした感動がありました。

そんな流れの中で、インドアな趣向になっていったのか、テニス部辞めて写真部入ったり、無理矢理文芸部に入れられたり、バイトしてバイクの免許とってみたり、さらにレコード買ってみたりと全然焦点の定まってない好き勝手な生活をしておりました。


林;さて高校を卒業して大学に進みますが。


町田;大学は当時、コピーライターになりたいと思っていて、文学部に進みました。後から知りましたが林さんは実は学部の先輩です。バイトしてターンテーブルとミキサー、ヘッドフォンと針なんかの機材一式を買ってDJをやり始めました。写真や絵や服飾、ファッションショーやDJイベントなんかをやってるサークルに恐る恐る入れていただき、サークルのイベントなんかでDJやらせてもらったりしながら、高校時代の友達やそういう活動から広がったつながりの中で「DJやらない?」なんて声かけてもらったりしてDJを続けてました。ブラックミュージック専門のサークルなんかもあったのですが、写真撮ったりするのも好きだったりして、まだ、なんとなく自分の趣向を絞り切れず広い領域に触れていたかったのかもしれません、ぼんやりしてますよねー。

あとは、これもJ-WAVEですが「Soul Train」を毎日聴いてましたね、よい番組だったなぁ。そんな経験を繰り返す中で自分の好きな音楽がブラックミュージックやクラブでいい鳴りをする音楽なんだなぁと気づくと共にヒップホップの元ネタを意識的に追うようになって幅も広がってきました。ヒップホップのいいところはロックもジャズもボサノヴァもソウルもファンクもジャンル関係なく取り込んでいくところで、好きなヒップホップの曲の元ネタを聴いてもやっぱり好きな曲なんですね。古いものも含めてヒップホップとか好きな音楽を深く掘ろうとすると堅い岩盤に当たって、そういう時は穴の径を広くとる、つまりネタを含めた広いジャンルで楽しんでみる、そうするとさらに深く掘れるみたいな感じで掘り下げてました。でも実際のところ自分の掘ってる穴はなんなんでしょうね、ヒップホップはたしかに好きですけど、どちらかというと「自分の好きな音楽」という意識でハウスやテクノなんかも含めて、とにかく自分の好きな音楽に出会って感動したいっていうモチベーションなのかもしれません、広い世界だから尽きることがなくて楽しいですよね。

あと、大学生の頃は、レコード屋でも働いてみたいと思ってたので、ここで林さんと再びつながるのですが、レコファン池袋店でバイトしたりもしました。面白かったのはすぐ近くにディスクユニオンがあって、ユニオンの店員さんが時々買いに来てたことですね、「こないだレジ打ってたあのひと、うち(レコファン)のPenguin Cafe Orchestraのレコード買ったぞ」なんて感じでレジ担当してるとわかっちゃうんです(笑)。僕も休憩の時とかバイト終わりにユニオンに行ってましたから向こうも「また、レコファンのバイト店員が来たよ」みたいにバレてたかもしれません。塾講師のバイトを掛け持ちして月10万円くらいレコード買うこともありました、今より買ってますね...。並行してヒップホップ関連の書籍とか好きなアーティストのインタビューが出てる雑誌も集め出すという感じで、さらにフリーソウルやレアグルーヴって概念を知ったりして、自分の好きな音楽に次々と気づきさらにハマっていきました。


林;そうなんですよね。学部も同じ、レコファンも同じなんですよね。でもレコード月に10万円使ってしまう時期ありますよね。あの経験すごく大切です(笑)。さて、大学卒業後は?


町田;実は高校生の時のコピーライターになりたいという夢は大学生になって広告に嫌悪感を抱くようになってしまい、仕事で何をしたいのか完全にわからなくなってしまいました。純粋だったんですかねー今は広告のお仕事いいなぁと思うんですけど(笑)。家が裕福だったらバイトしたりしてDJ続けるみたいな生活がしたかったのですが、そういう訳にもいかず、でも就職に関しては行き詰ってしまって迷走してました。学校が高田馬場で通学途中にタイムという古きよき雰囲気のレコード屋さんがあって、店主に「就職したいです」って相談したりもしたんですが「まだ若いしもっとチャレンジするべきことがあるはずだから別の道を目指しなさい」みたいな感じで断られたりもしていました。デザインの世界に憧れがあったりしましたが、どうやって業界に入ったらよいかわからなかったですね。あとはDJの延長でテレビの音響効果の仕事も面白そうだなと思って、名古屋の会社を受けたりしてもいたんですが、当時好きだった女の子が東京にいたりして、東京にいたい気持ちが強くて最終的には3D CADのエンジニアになってました、何かモノ作りに関われたらいいなと思ったんですね。そのあと、結局デザインやWEBの仕事にシフトして今なんとか生きてるという感じですね。チャンスがあれば音楽を仕事にしたいですけど、現状は分かれてます。音楽のメディアサイトを作るみたいな形で関わったりするチャンスが今後あったりするといいなと思います。あるいはトラックメイカーやDJとして売れちゃうみたいな夢。仕事は漠然とみんなに喜ばれて感謝されるようなことができて、すっごい儲かることがしたいなと妄想はしてるんですけど形にできていないですね、やる気と妄想力はあります、って無邪気な子供みたいなこと言ってる(笑)。


林;タイム良いお店ですよね。でも就職は苦労して正解だったかもです... これからの音楽のことをみんなに聞いているのですが。


町田;レコード、CDすら過去のものになってきていますね...、やっぱり形のないデータでの流通が主流になっていくのでしょうか。アナログ熱にかかってしまって今でもレコードを買ってる身としては、アナログレコードの面白さの再発見や再評価を大歓迎しつつ、モノとして所有したいひとやジャケットを楽しむこと、アナログレコードでのDJの面白さとか、サンプリングなんかがもっと多くの方に広がってくれたらいいなと思います。バーでもちょっと特別な時間を過ごすという意味ではバールボッサみたいにレコードで音楽を聴きたい!


林;DJのこと、宣伝したいことがありましたら。


町田;DJについては続けられる限り続けたいと思っています。DJ KRUSHが「杖ついてでもやる」みたいなこと言ってたので密かにそこが目標です。そして、クラブだけじゃなくてバーだったりラウンジだったりいろんな場所で選曲できる機会があるとよいなと思います。あと、ラップやってる友達から声かけてもらって the Deepkicks っていうラップグループのバックDJをやらせてもらうことになり、ライブをし始めました。トラックもちょっとずつですが作っているので、世にだせるチャンスがあればって感じです。がんばります。

DJ名はヒップホップとかのイベントだと町田のまちをあて字にした魔治(まち)って名前でやっています、そのほうがぽいかなと思って(笑)。でも某有名DJの方にネーミングをダメだしされたんですよー、で「その方のアーティスト名に影響をうけて大学生の時に決めたkazuhiromanceってもうひとつの名前があります」って言ったら「大文字いれてKazuhiRomanceがいいんじゃない」ってアドバイスいただいたので両方使っていこうかと思っています。facebookなんかでDJやる時告知してますのでよろしければご覧になってください。

●町田和宏facebook→ https://www.facebook.com/kazuhiromance


林;色々とやられてるんですね。これからが楽しみです。それではみんなが待っている10曲に移りましょうか。まずテーマを教えて下さい。


町田;テーマは「バールボッサの晩夏」です!バールボッサでDJやらせていただく時にこんな曲かけたいなという想いで選んでみました。ただ林さんといろいろお話しちゃった余韻もあるので、対話の内容も絡めた選曲にしたいと思います。あと、カイピリーニャをください!


林;カイピリーニャ、かしこまりました!


01. Acalanto / Antonio Adolfo

町田;さっきお話した私がDJ始めるきっかけをもらった高校の同級生と最近facebookでつながって、AIRでDJするっていうので先週仕事帰りに遊び行って10年ぶりくらいに再会しました。今はDJ SB10という名前でミニマルハウス・テクノをいい感じにプレイしていてその進化にびっくりしつつ、「そういえば町田くん、サンプリングネタ好きだったよね」という話の中で彼が教えてくれた1曲です。DJ HASEBEの「ADORE」という曲の元ネタですね。DJ続けていてよかったなぁと思った夜でした。僕も同じDJ HASEBEの別の曲のネタを教えてみたりして、そういう音の対話みたいのができるのも熱いなぁと(笑)。

林;僕もAntonio Adolfoがすごく好きで、このアルバムたまにお店でかけてるのですが、これかけるとDJくん達が「あ!」って言いますね。


02. Hideaway / Voices In Latin

町田;これまたネタつながりなのですが、You The Rockの「FUKUROU」という曲の元ネタです。原曲の良さに感動した曲です。こういうのが面白くてネタを追いかけるの辞められないですね。こういうところからブラジル系の音に触れて興味を持つきっかけになりますし。

林;なるほど。町田さんの世代はそういう順番で聴くんですね。


03. Blaze It Up (Brooklyn Inst.) / DJ HONDA

町田;「バールボッサでヒップホップかけるなんて...」と思いつつ、ビート強めの曲もいれたいなと思ってこれを。私が初めて買ったヒップホップのレコードはこれです。 茨城の洋服屋さんで買った気がする。DJAVANの「SAMURAI」をサンプリングしてるので、バールボッサのお客さんからかけた時に何か反応あるといいななんて思います。

林;あ、ホントだ。サムライがサンプリングされてますね。うわー、カッコいいですねえ。


04. Montara (The Roots remix) / Bobby Hutcherson

町田;Bobby Hutchersonの「Montara」は数多くサンプリングされてますが、スチャダラパーの「サマージャム'95」が有名ですかね。バールボッサで聴くならこちらかなと思って選びました。あと今はネットで調べるとかなり元ネタもヒットするので嬉しいような楽しみが減ったような。と言いつつ、気になると大抵調べちゃうんですけど。

林;もうさっきからずっと「あ、そういうことなんだ」って頭の中で呟きっぱなしです... おじさんですいません...


05. Saudade vem Correndo / Bebel Gilberto

町田;Stan Getzの「Jazz Samba Encore」に収録されている曲のBebel Gilbertoによるカバーです。「想い出は駆け足で」という邦題も好きです。Stan GetzバージョンはThe Pharcydeの「Runnin'」でサンプリングされててどれも好きです。

林;この方、何度も来店されてます。面白いエピソードがあるのですが、ここでは言えない...(笑)


06. September/土岐麻子

町田;もう9月になるのでこの曲を。大学生の終わりくらいの時だったか、この曲収録のアルバムが出たのですが、友達3人くらいにアルバムプレゼントして、自分でもCDとアナログの両方を買うというすごいハマり方をしていました。原曲はみなさんご存知のEarth Wind & Fireですが、こういうカバーもいいですよね。

林;町田さんくらいのお年頃の音楽好き男子って「土岐麻子みたいな人と結婚したい」って人、多いですよね。


07: 夏の終わり / MOOMIN

町田;先日、亡くなられたDev Largeさんのトラックです。歌もいいんですが、ここはあえて歌なしで。渋谷VISIONの追悼イベントは道玄坂に長蛇の列ができてましたね。Minnie Ripertonの「Memory Band」のサンプリング素敵です。D.Lさん R.I.P

林;道玄坂に長蛇の列でしたか。僕のツイッターのTLも普段はそんなツイートしない人がたくさん追悼していました。


08: Big Yellow Taxi (Radio Version) / Joni Mitchell

町田;季節の変わり目にふと聴きたくなる曲です。Janet Jacksonの「Got Til It's Gone」でサンプリングされてました。Joni Mitchellは絵も描いたりしていて、いつかまとめてJoni Mitchellの絵をみてみたいなぁ。

林;Joni Mitchellお身体大丈夫なのでしょうか。ちなみにJanet Jacksonでサンプリングされてたんですか...


09: Jamaica Song / BOOKER T

町田;かつてJ-WAVEでUAの「カピバラレストラン」という番組が放送されてまして、最後にこの曲がかかってました。番組が終わる時に曲名が公表されて、そこから血眼になってレコードを探しました。高田馬場のタイムで800円で見つかってすごい感動しました。それで就職しようとしたのかなー。後にハナレグミなんかもカバーしてますよね。

林;800円は嬉しいですね。あ、ハナレグミがやってますね。僕の妻が好きなので自宅のリビングでよくかかってます。


10: Suzuki-Sensei-Sansei / SEIGEN ONO

町田;ラストはこれ!大学生の時サークル同期の中里くんが紹介してくれた曲でした。ずーっと好きで聴いてきましたが、オノさんもバールボッサにもいらっしゃるそうですね。という訳でバールボッサにつなげたところでマイクを林さんに譲ります。

林;「マイクを僕に譲る」っていう感覚がやっぱりDJしている感じですね。町田さん、そんなに年下だとは思っていなかったのですが、12歳離れるとこんなに「聞き方」が違うんだなあとびっくりしました。僕の趣味にあわせてくれたのかもですが、基本的な「音の趣味の方向性」が同じような気がしました。

町田さん、本当にお忙しいところありがとうございました。深夜にメールが届いたときは、やっぱりIT系の最前線で働かれている人はお忙しいんだなあと痛感しました。DJもお仕事も頑張って下さいね。




みなさん、すっかり秋ですね。世界中には本当にたくさんの美しい音楽があって、それをこんな風に掘り下げて聞くのって楽しいですね。それではまたこちらで来月お待ちしております。


bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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