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vol.50 - お客様:林下英治さん(HADEN BOOKS)


【テーマ:僕の人生を変えた女の人の歌】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はヘイデンブックスの林下英治さんをお迎えしました。


林;こんばんは。お飲物はどうしましょうか?


林下;まずは、リースリング(白ワイン)をお願いします。


林;品種指定ですね(笑)。


林下;僕にとってリースリングは飲みはじめの潤滑油のような、辛口なのに甘さ、優しさを感じる、スタートするのにはうってつけのアルコールなのです。


林;なるほど。それでは、ジュリアン・メイエのリースリングをどうぞ。では、林下さんの簡単なプロフィールを教えていただけますか。


林下;1977年9月20日、青森県三沢市という、太平洋沿いにある小さなところです。人口4万人ちょっとなのですが、MISAWA AIR BASE(三沢空軍基地)という基地があって、今思えば、青森県の中でもちょっと異質な市ではなかったのかな、と思います。


林;三沢なんですね。音楽は小さい頃はどういうものを聞いていましたか?


林下;畑に囲まれた街中から外れたところに実家はあったので、街に出る時や塾に通う時にはいつも、母親が運転する車中で、母が好きだったと思われる、井上陽水、小椋佳さん、来生たかお、安全地帯、が流れていたことを覚えています。僕自身がはじめて買ったのはカセットで小泉今日子さんの「Celebration」で、幼稚園6歳か、小学校1年生の時だと、記憶しています。今、調べてみてビックリしたのですが、アルバムタイトルにもなっている「Celebration」が 作詞:田代 マサシ / 作曲:鈴木 雅之 でした!この曲に関しては、まったく覚えていないのですが、、、カセットのジャケットと貼っていたポスターが全体的に真っ赤で「まっ赤な女の子」の「まっ赤な、まっ赤な女の子↑」と"子"の部分が声を高く上げるのが、とてもかわいらしく、楽しくして、真似をしていたことも、良く覚えています。


林;子! ですよね。


林下;小学6年生の時に、両親が新築の家を建てたのをきっかけに?!貯金していたお年玉で、パイオニアのステレオセットを買ったことを覚えています。当時、中森明菜さんがCMをしていたコンポだったと思います。たぶん、16万円くらの高価なヤツです。それで聴いていたのは、何と!ビートルズでした。当時、仲良くしていた恵美子ちゃんのお兄さんが、東京の大学を卒業して、地元の市役所に就職したらしく、お兄さんが家にいない間に、こっそりと色々とレコードを見せてくれて。でも、お兄さんには内緒でこっそりと部屋に入り込んでいるので、バレたらまずい、ということで、レコードは見せてくれるだけで、聴かせてはくれなかったんですね。でも、本当に色々とレコードを見せてくれて、、、。そして、中学生になってから、いろいろと見せてもらっていたレコードのジャケットを頼りに、CDを買い始めるようになりました。合わせて、父親がレコードをそこまで多くはなかったのですが、持っていたので、こっそり聴かせてもらっていたのが、森山良子さんやベッツイ&クリスや、サウンド・オブ・ミュージックなど、でした。


林;ご両親の趣味が、意外と林下さんに影響を与えていそうな気がしてきました。良いですねえ...


林下;ですが、高校生の頃に、クラブに行き始めるようになって、ヒップホップやR&Bを聴くようになりました。さっき話したように、人口4万人の小さな青森県三沢市でしたが、MISAWA AIR BASE(三沢空軍基地)という基地があったので、街にはクラブが3,4件あって、街から外れたところに住んでいた僕は下宿している友人のところでテスト勉強をする、という名目で外泊をして、週末はクラブに行っていました。その時、聴いていたのは、女性だと、アリーヤやブランディー、メアリーJブライジ、TLC、男性だとクリスクロスやウォーレンG、ノートリアスBIGやスヌープドギードック、ブラックシープ、アトライブコールドクエスト、ファーサイド、だったと思います。


林;おお、突然! さすが三沢!


林下;高校生の頃は、実際に接したことがあって、かっこいいと思える職業が「美容師」だったんですね。だから、僕は好きでよく通っていた美容室に就職して、シャンプーボーイや受付の仕事をしながら、通信教育を受けながら美容師になりたいと思って、僕自身はそう決めていたのですが、高校の三者面談でそのことを伝えると両親と担任の先生に猛反対を受けてしまい。。。両親は車を買ってあげるから、当時開校したばかりの公立の大学に進むか、手に職でも、美容師ではなく、寿司職人になりなさい、といわれ、両親の知り合いの寿司割烹の店でアルバイトをさせられ、伯父さんが教官として働く自動車学校に通わされ、免許をとりました。それに対して、担任の先生からは「この子は一度。東京に行って来たほうがいいですよ。私が責任をとって、大学に入れてみせますから」と、両親に言い放ってくれて、大して成績も良くなかったのですが、僕一人に対して、指定校推薦を二校も出してくれて、、、結果、東京に行くことになりまして、東京での遊楽生活がスタートしました。


林;担任の先生って意外と生徒の人生を左右させるものなんですね。


林下;大学に行くために東京に行く、という意識ではなく、東京に行くために大学に入学した、という意識が強かったので、自動的に大学には通わずに(4年間で100日も行っていなかったような気がします)、大学1年生の時の成績が本当に酷かったみたいで、僕。翌年の指定校推薦の枠が僕のせいで無くなった、という後輩たちには申し訳ないことをしてしまいました。

で、大学に行かずに何をしていたのかというと、焼肉屋でアルバイトなどをしていました。生まれ育った場所が太平洋沿いだったということ、高校3年生の頃のアルバイトが寿司割烹の店、ということもあり、日々の主食が魚貝、水産物中心だったので、肉に飢えていたのでしょうね。上京してすぐにオープニングスタッフとして入った焼肉屋の店長が本当にいい加減な人で、、、アルバイトのスタッフはどんどん辞めていくし、店長は休憩中にパチンコ屋に行って戻ってこなくなるし、、、そこで真面目に?!働いていた僕はオーナーに気に入られたのか、はたまた使われていただけなのか、気がついたら副店長みたいになっていて、鍵を開けるところから、レジ閉め、入金までするようになっていて、ランチから夜まで、正社員のようでした。しまいには、オーナーが新しく始めたスナックの金庫番として。。。焼肉屋の仕事の後は、深夜にスナックで、ボーイとして店長が店の売り上げをポケットに入れないように、金庫番をしていました。スナックの営業は2時か3時まで、その後は始発まで、店のカラオケで歌いながら、毎日違うお客さんのボトルから少しづつ、ウィスキーやブランデー、焼酎を飲みながら過ごす、という生活を。はたちの頃までしていました。


林;その頃の経験がかなり林下さんを作り上げていると僕はみました(笑)。


林下;今思えば、その頃が一番収入があったと思います。そのお金で、洋服や本、CDやレコードを思う存分、買いあさっていたと思います。そうした時に、自分の進路を、好きなモノや事を考えた時に、ふっと「雑誌の編集者」だと思いついたんです。振り返れば、多感な中学生・高校生の頃に実家が本屋ということもあって、本が雑誌がすぐ近くにあったんですね、特に雑誌は僕にとってテレビよりもラジオよりも信頼出来る、細やかな情報源でした。当時、読んでいたのは男性誌だと「メンズノンノ」「チェックメイト」「ポパイ」「アサヤン」、女性誌だと「キューティー」「オリーブ」「ゾラ」などでした。


林;そこでまた突然、雑誌ですか!


林下;大学2年生の頃に【 パレットクラブ・PALETTE CLUB 】というスクールにも通いはじめていました。イラストレーターの故ペーター佐藤さん、原田治さん、安西水丸さん、当時マガジンハウスのアートディレクターをしていた新谷雅弘さんの4人により発足したスクールで僕は1期生か2期生として通っていたのですが、当時、開設したばかりのそのスクールには編集者養成コースもあって(現在はイラストレーター養成コースのみ)、僕にとって勉強にはなりませんでしたが、とても刺激的な場所でしたね。通い始めたのと同時期に「メンズノンノ」の読者モニターというのに応募したら、運良く受かって、それがきっかけで、当時の副編集長だった古林さんに見込まれたのか、ライター見習いとして「メンズノンノ」のカルチャーページで、取材や記事を書かせてもらうことが出来ました。そのまま集英社の社員になったら、という言葉を真に受け、就職試験を受けたのですが、学力のなかった僕は見事に大敗。じゃあ、そのままフリーランスにライターになったら、と勧められたものの、本当にライター業だけで生活していくことが出来るのだろうか、と考えあぐねているときに、結果、14年間勤めることとなる「SWITCH」や「COYOTE」などを発行する出版社スイッチ・パブリッシングに、大学4年生の秋に、アルバイト入社することが出来たのです。
 大学4年生の秋にアルバイト入社した出版社に、そのまま35歳まで14年間勤めることになるのですが、そこでは1冊の本が、雑誌が出来るまでの全ての過程を見て、経験して、仕事をさせてもらったと感謝しています。特に、後半7年間はその出版社が直営の本屋とカフェを立ち上げるタイミングで、本屋とカフェの店長を7年間勤めました。出版社に入ったのに、なんで僕はコーヒーを淹れたり、カレーを仕込んだりしているんだろう、とアレッと思うこともあったのですが、雑誌の編集長をする感覚で、その場所のプロデューサー・オーガナイザーとして、通常の本屋とカフェ営業に加え、トークイベントやライブ、個展などを企画出来たり、あと、雑誌や本を編集し販売している時には見えていなかった実際の読者の方の存在を意識出来たり、知る事が出来たのは、とても勉強になりました。


林;なるほど。そういう経緯だったんですね。ヘイデンブックスのこともお話いただけますか。


林下;現在は、東京・南青山に 音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land という場所を営みはじめて、この9月で2年になります。本屋にカフェスペースを併設していることもあり、ブックカフェという敬称で紹介されることも多いのですが、僕自身、飲食店としてのカフェを運営しているという意識はないかもしれません。長年、書籍や雑誌を作っている現場にいた経験を生かして、空間という媒体を作った意識で、音=音楽、言葉=本という表現を中心に、作家やミュージシャン、アーティストと称される人たちと、それを求めたり、そうなりたいと目指す人たちが、同じ場所で、話したり、交流したりする空間=サロンとして、おもしろがってもらえたらいいな、と思っています。なので、積極的に個展を開催したり、展示会を開いたり、ライブを企画したり。広くはない店に、アップライトのピアノを置いたのも、僕自身は全くピアノは弾けませんが、普段からピアノを弾いたり、楽器を持っている人などが、突発的に演奏を始めたり、などと。面白い光景を目の当たりすることも多くありますね。


林;良いですねえ。


林下;場所を作る、開く、ということは、自分自身の美意識を見せつける、ということではなく、醸す程度にとどめておいて、それに欲発された、おもしろがってくれる方々に、いかにおもしろがってもらえるのか。もてなすことが出来るのか。ギャラリーとしての機能も果たしていますが、僕の場所は正式な正当なギャラリーではないので、あくまで、展示をされている作家の方や、その展示を観に来ていただいている方々に、どう気持ちよくなってもらえるのか。おもてなしの心で、サービス業として、日々営んでいるような気がします。店を作る、につづいて、続ける、ことの大切さとしては、自分自身の美意識(好き嫌い)をはっきりと持ちつつ、これらは見せずに醸す程度にする。そして、時代や面白がって来てくださるお客さんを店や自分自身の映し鏡として柔軟に、姿というか、店の雰囲気を、変えていく。今という時代とうまく共鳴していうことが、続ける、ということにおいて大切ではないかな、と思っています。


林;みんなにこれからの音楽のことを質問しているのですが、どうお考えですか?


林下;僕は本屋でもあるので、お店では、新刊や古書を仕入れ、販売しています。店の名前を 音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land  としたのは、音楽も販売したかったからです。
アーティスト本人からCDやレコードを預かって販売したり、ライブを企画して開催したりしているのですが、本と同じく、音楽も、どんどんデジタル化してきて、プロダクトとしてのアナログ(CDやレコード)は売れにくくなっていることも日々、目の当たりにしています。写真に関しても、アナログからデジタルに移行して、デジタル写真がこれほどまで主流になるなんて、思ってもいませんでした。ただ、実際にデジタルの気軽さ、速さ、便利さ、などは普段の生活の中で、とても役に立っていると思います。

僕自身が出来る、提案出来る役目として、アナログとデジタルの両方の良さを知っている中間の世代として、アナログとデジタルの使い分け方、みたいなものを音楽に関しても、本に関しても、伝えることなのかな、と思っています。ノスタルジックな音楽や文学に関しては、耳ざわりや手触りの良さを実感できる、アナログや単行本が良いし、普段の生活の中で持ち歩くのに便利な、移動中や旅先などでは、ダウンロードで音楽をその場やシチュエーションに応じて、編集するようにダウンロードすればよいし、文庫本を買う代わりに、電子書籍で、今読みたい、今勧められたものを、その場で購読するのも良いし。

ただ、僕個人としては、作り手の顔と実際の作品(商品)を知ったうえで、より深い愛着が生まれると思っているので、ライブ会場でCDを買ったり、本屋さんで、たまたま手に取ろうとした本の横にあった、初めて目にするタイトルや作家名に興味を持って買ってみる、など、人の温もりや偶然性を楽しむ、みたいな。そんなゆとりを増やしたり、提案出来るような人や場所を続けていきたいと思っていますし、そんな音楽や本の在り方を望む人たちは、これからものすごく増えることもないと思いますが、急激に減り続けることもないと思うので、これからの音楽の在り方を理解しつつ、これまでに感じてきたアナログな音楽や本の良さを、じわじわとじりじりと伝え続けていきたいと思います。


林;これからのことなんかも教えていただけますか。


林下;音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land をオープンして2年になります。36歳でオープンして、38歳で軌道にのせる。というライフプランはなんとか達成出来ました。あわせて、オープンする時に思い描いていたのが、40歳になったら個人から企業にする、ということ。青森出身の田舎者が東京・青山に個人で場所を開く、というストーリーは僕自身も、まわりにいる方々も面白がってもらえて「本当に出来るんだ!」ということがわかったので、次は僕自身が店の外に出て行くという環境を整えたい。僕がいなくても、店の営業が出来たり、僕目当てで来ていただいてるお客さまにとって、もっと魅力的なスタッフを何人か雇えたり。
元々、編集者なので、一つの場所に留まって、送っていただいたり、紹介していただく表現や情報の中から選び取る、というだけではなく、自分自身がロケハンに行ったり、取材をしに行くような感覚で、東京だけでなく日本各地に点在する魅力的な人たちに会いに行きたい。そして、もし共感出来たら、その表現を広げる、繋げる、橋渡しのような役目を、今いる場所、音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land から発信していきたいと思っています。そして、旅する " 音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land " として、日本各地を巡業していけたら、と願っています。


林;素敵ですね。林下さんの「旅」期待しております。それでは、みんなが待っている10曲ですが、テーマは何でしょうか?


林下;「僕の人生を変えた女の人の歌」です。

前職の出版社勤務時代に「この仕事に就けて、よかったなぁ〜」と思う瞬間がいくつもあったのですが、その極みが「好きになった人や興味を持った人に、自分から声を掛けたり会いに行ったり、紹介してもらえる!」ことだったんですね。もともと、そもそも、ファンのひとりにすぎないのですが。好きになった人(表現者)を自分が世に伝えていく、というのが編集者・出版社の務めだと思っていたので、ラブレターを書くように連絡を取って会いにいったり、時には押し掛けたり(楽屋に挨拶、という程度ですが)、、、。積極的に動いて、ご本人やマネジャーを通じて、自分の想いを伝えてきました。今もそれは続けて、続いているのですが、これは恋愛感情にとても近いような気がするんですね。「好きだ!好きだ~!」と言い続けていると、、、。今では、友人知人がその方をお店に連れて来てくださったり。そうやって出会った、僕の人生を変えてくれた、豊かにしてくれたといっても過言ではない。そんな女性シンガーを10人紹介しますね。


01. いきのこり●ぼくら / 青葉市子

林下;初めて会った当時、青葉市子さんはまだ、たしか21歳でした。初めて会った日がそのまま前職の場所でのライブ開催日だったのですが、生で聴いて「二十代のシンガーソングライターでここまでの世界観を確立出来るんだ!」と衝撃を覚えた唯一無二の存在です。圧倒的なギターのテクニック。包み込まれたかと思うと、ギュっと突き放したりする歌詞とメロディ、その多様性。その後、公私ともに仲良くなって、しばらく会えない期間にリリースされたこの曲を聴いた時は「市子さんはやっぱり宇宙まで創ってしまった!」と感激した。20代の表現者ではダントツ!安心と信頼の出来るアーティストです。


林;PVがこれまた良いですねえ。


02. ワルツ〜他人の顔 / CHORO CLUB with 松田美緒

林下;松田美緒さんは日本だけでなく、中南米でも勢力的にライブやコンサートを行っているワールドクラスの女性シンガー。ネイティブなポルトガル語やギリシャ語で歌う彼女の歌もとてもすばらしいのですが、ここ数年は日本語の歌も歌っていて。のびやかに、ていねいに、美しく日本語を歌で伝えてくれる。僕は彼女が歌う、この「他人の顔」を聴いて、もっともっと日本語の歌を、日本の古い、美しい歌を歌って欲しいと思っていて、


林;彼女が歌うと日本語がもう一度洗い直された感覚がしますね。不思議です。


03. 夜と雨のワルツ / 畠山美由紀

林下;畠山美由紀さんの歌は僕にとって、もしかして畠山さんのファンの皆さんにとっても「僕ら世代の演歌」ではないのかな、と確信しているんですね。歌謡曲でなくて演歌。しみじみと聴き入って、ずっしり響いてきて、口ずさみたくなる、まさに演歌。中島ノブユキさんによるこの曲は特にモダンでインテリジェンスな演歌だと僕は思っていて、ライヴでこの曲を聴いた時も、まさに「畠山美由紀劇場」を観ているようで、メロメロに狂わされてしまいました。同じ東北の血が過多にそう思わせているのかもしれませんが。


林;この感覚は「東北の血」なんですね。


04. ドント・ノー・ホワイ / 原田知世 feat ジェシー・ハリス

林下;原田知世さんとは同郷青森県出身の友人でもある伊藤ゴローさんなどを通じて出会いました。もともと、ずっとファンで追いかけてきた知世さんですが、女優としての知世さんとシンガーとしての知世さんが伊藤ゴローさんと一緒に音楽をすることによって、どんどん馴染み合っているのでは、と思っていて。このカヴァー曲はその幸せな感じが溢れている、今の知世さんを象徴するようで、幸せに溢れた最高の一曲です。そして、大好きです。


林;原田知世さんってずっと「原田知世」で、彼女以外に原田知世はありえない、希有な存在です。


05. 「エーデルワイス / yuri-koda(甲田益也子(dip in the pool)x宮内優里)

林下;2010年から3年間、Ed TSUWAKI さんと一緒にクリスマスイヴにイべントを企画開催していたのですが。その企画では、Edさんがキュレーションしたアーティストを迎えてのクリスマスコンサートも開催していたんですね。これは、2011年12月24日にご一緒した甲田益也子さんと宮内優里さんの一晩限りのユニット " yuri-koda " の貴重なコンサート映像です。甲田さんが「エーデルワイス」を小西康陽さんのアルバムの中で歌われていて、とても素晴らしかったので「ぜひ!聴きたいです。リクエストします!」と言ったら叶えてくださった、僕にとっては思い出深い一曲です。いつか、また、再結成コンサートをクリスマスイヴに開催出来たら、と願っています。


林;それはすごいですね。また是非、開催してください!


06. Yakiimo / Simone White

林下;シモーヌ・ホワイトさんは " ヘイデンブックス " としては初の海外アーティストのライブを開催していただいた、記念すべき人でもあるんですね。とてもセンシティブな方だと聴いていたので、お会いする前はかなりドキドキしていたのですが、実際にお会いして、ご一緒してみると、この曲「やきいも」のように、とてもチャームングでユーモアがあって、好奇心旺盛な、優しい人で、やっぱり惚れちゃいましたね。今でも交流は続いていて、ぜひ次回も!来日公演の場所としてヘイデンブックスを指名してくださって、ギター弾き語りのコンサートをみなさんに観て聴いていただけたらと願っています。


林;林下さんにはそういうセンシティブなアーティストの何かをとらえる何かがあるんだと思いますよ!


07: A Case of You / 寺尾紗穂

林下;寺尾紗穂さんが歌う、ジョニ・ミッチェルの「A Case of You」。さすがだなぁ〜、と思ったのは、寺尾さん自身が訳して日本語で歌っているんですね。これまでにもたくさんのアーティストがカヴァーしてきたと思うのですが、プリンスより、ジェイムス・ブレイクよりも、寺尾紗穂さんが歌う「A Case of You」が僕は大好きです。自身で訳して、弾いて、歌っている時点で、もうそれは寺尾紗穂さんのオリジナル曲になっているんですよね。とにかく美しい、みずみずしい時間です。


林;なんかすごいカヴァーですね。寺尾紗穂さん、実はご実家が僕の自宅のすぐ近所で、たまに子供と一緒の姿を見かけます。


08: 胸の小箱 / 浜田真理子

林下;浜田真理子さんの歌を教えてくれたのが、僕にとっては最初で最後の信頼出来るバーテンダーでありシニアソムリエの鬼塚さんという方だったんです。彼との出会いがなかったら、僕は「毎晩お酒を愉しむことも、浜田真理子さんという日本のブルースシンガーの存在も知らないままだったかもしれない。」そのことを先日、浜田真理子さんご本人に直接話す機会がありました。「ご縁ですね」と喜んでくれて、前売り券がソールドアウトだったライブに席を用意してくれて、お会い出来た翌日に、生で歌まで聴かせていただけた。今一番、ヘイデンブックスでライヴをご一緒したい、僕にとっては日本のブルース・シンガーのレジェンドです。


林;そういう人との出会いで、アーティストを知っていくというのが、本当に林下さんらしいエピソードです。


09: ヘブン / ふちがみとふなと

林下;ふちがみとふなと。熊本で本屋とカフェ " 橙書店/Orange " を女ひとりで営む、友人でもある田尻久子さんから「林下さん、一緒に見ましょう」と見せられたのがこの ふちがみとふなと のライヴ映像だったんですね。旅先の本屋で「そんな〜、まさか〜」という衝撃を覚えたことを今でもクッキリ・ハッキリと覚えています。人生の酸いと甘さを、儚さと憂いを、庶民的に、ア−ティステックに歌う ふちがみさん と奏でる ふなとさん。知らないと人生損します!と言い伝えたくなるような、僕にとってはそんな偉大な存在です。


林;すいません。僕も知りませんでした。すごく迫ってくるものがありますね。うわー、すごいです。


10: 100% / 小泉今日子

林下;幼稚園生の頃から38歳になる今まで。そこまで長く、同じままの気持ちで好きな女の人は小泉今日子さん、しかいない僕です。アイドルを経て、歌手として、女優として、文筆家として、常に第一線で活躍しつづける小泉今日子さんが今なおアイドルでもある、というのがこの曲を聴いていると、とてもよくわかるんです。ワクワクしてきて、どうにもならない気持ちになる。100%を満たしてくれる、永遠のアイドル=理想の恋人、小泉今日子さんです。


林;理想の恋人なんですね。そうでしたか。林下さんと何度も話し込んだ気がするのですが、知りませんでした。聞いてみるものですね。


林下さん、お忙しいところ、どうもありがとうございました。
ヘイデンブックスさん、すごく素敵なお店ですよ。みなさん是非、行ってみて下さい。


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もうすっかり秋ですね。
最近はハロウィンがすっかり日本に定着しましたが、そんな予定もありそうですね。
それでは、また来月、こちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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