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bar bossa vol.51

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vol.51 - お客様:シュート・アローさん
(「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」著者)



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は先日「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」を出されたばかりの
シュート・アローさんをゲストに迎えました。


林;こんばんは。早速ですがお飲物はどういたしましょうか?


シュート;バール・ボッサさんはワインバーなのに、僕はワインを飲めないのでビールをお願いします。冷えていれば銘柄は何でも結構です。


林;そう言えばいつもビールですね。それでは今日はコエドという日本のブランドの白ビールをお出ししますね。それでは自己紹介のようなものをお願いできますか。


シュート;シュート・アローと申します。シュート・アローはペンネームですが、もちろん見ての通り、バリバリの日本人ですよ。


林;(笑)


シュート;僕は東京都目黒区出身で、50歳代前半の某楽器メーカーに勤務するサラリーマンです。学生時代はジャズ研に所属していてピアノを弾いていました。


林;ジャズ研ネタが文章にも多いですね。好きなアーティストとか、あと演奏は今でもされるんですか?


シュート;好きなピアニストはトミー・フラナガン、レッド・ガーランドなどオーソドックスなタイプですかね。ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコックなどにも憧れます。昔はよくライヴでピアノ演奏をしていたのですが、ここ数年はすっかりご無沙汰で、もう指が動きそうにありません。でもまた復活したいですね。

また、ジャズ・スポット・ウォッチャー・ソサエティ代表と勝手に名乗り、日本全国のジャズスポット巡りをしつつ、ジャズ喫茶関連のエッセイ本を刊行したり、ジャズ専門誌等に寄稿したりしています。あと、ジャズ喫茶のマッチ箱を40年近く集めているコレクターなんです。コレクションはざっと300種類以上ありますかね。


林;ジャズ喫茶のマッチのコレクションがすごいですよね。新刊にも村上春樹のピーターキャットのマッチが紹介されてますね。小さい頃の音楽体験を教えていただけますか?


シュート;両親が特に音楽好きということもなく、ごく普通の家庭に生まれました。最初に買ったレコードは、小学校1年生の時のソルティシュガ―の「走れコータロー」です。別に競馬が好きというわけではなく、その軽快なノリ、わかりやすいメロディと歌詞、そして途中の語りがおもしろかったからです。


林;あ、その曲、昔はよく流れてましたよね。


シュート;僕が最初に影響を受けた音楽はビートルズですね。小学校2年生の時だと思うのですが、街中で「イエスタデイ」を初めて聞いたのですが、その美しいメロディにやられました。ずっと口ずさみながら帰り、親にそのことを話すと「イエスタデイ」のレコードはなかったのですが、父親がロンドン出張の時におみやげとして買ってきたオリジナル盤の「ラバーソウル」が家にあったのです。


林;シュートさんのお父さんの世代で「ラバーソウル」をロンドンで買ったってすごいですね。


シュート;父親はプレスリーをちょっと聞くくらいで、特に洋楽に関心があったわけではないので、単に現地で流行っていたからとりあえず買ったのではないかと思います。早速それをプレイヤーで聴いたのですが、「ドライヴ・マイ・カ―」から始まるアルバムは衝撃的でした。その後、何百回も、それこそ擦り切れるほどレコードを聞きましたね。特に「ノルウエイの森」がお気に入りです。この曲を聞くと心の奥の扉を開かれ、森のさわやかな風が吹きこまれるというか、そんな不思議な気持ちになるんです。
ラバーソウルは、今でもビートルズのアルバム中で最も好きな一枚です。


林;羨ましいすべりだしです。


シュート;その後、聞くのは洋楽中心になりました。といっても、ロックというより、カーペンターズとか、サイモン&ガーファンクルなどのポップな曲が好きでした。ロックファンになったのは中学に入学してからです。


林;さて今回はシュート・アローさんの実際に体験したレアなコンサートを紹介してくれるというお話ですが。


シュート;はい。もちろんシュート・アローの著作同様に?どうでもよい情報満載、脱線しまくりです。


林;(笑)


シュート;林さんはバール・ボッサを経営されているので、まずはボサノヴァのレアで、しかも有名なコンサートからでいかがでしょうか?
そうなると、もうこれしかないでしょう。1986年8月3日、日比谷野外音楽堂のアントニオ・カルロス・ジョビンです。ジョビンの最初で最後の日本ツアーでのコンサートですね。会場となった野音の客席は放射状となっていて、キャパは3千人程度。サイドの方には若干空席もありましたがほぼ満席でした。


林;伝説のライブですね。僕より少し上の方は行ってるんですよね。


シュート;僕はこのコンサートの前年に大学を卒業したのですが、卒業旅行でブラジルへ5週間、ひとりで放浪してきました。行き先にブラジルを選んだ理由は、就職したら長期の休みは取れないだろうから行きにくい遠い場所をということ。そしてリオのカーニバル、サッカー観戦、アマゾン川クルーズ、イグアスの滝観光といった具合に、旅の目的の多くが若さと体力を必要とすると思われたからです。年取ってから行ってはダメとは言わないまでも、存分に楽しめないということですね。なんたって、成田からリオへのフライトがL.A.経由で24時間もかかり、その上、日本の真冬からいきなり真夏ですから体力が必要です。

当時為替は1ドルが260円という今から思えばとんでもない時代で。往復の航空券が約40万円、ブラジル国内線フライト乗り放題チケットが約8万円と結構高かったのですが、学生時代にパブとかでピアノを弾いてバイトをした貯えがあったので、親からの援助もなく無借金で行きました。


林;まだ日本人の個人旅行なんて少なかった時代ですよね。どうでしたか?


シュート;結果は大正解!初めての海外旅行、少ない現地情報、しゃべれるはずもないポルトガル語、しかも、ひとりきりなので誰にも頼れない。本当にわからないことだらけでした。街中で英語が全くといっていいほど通じなかったのにはびっくりです。リオでは少年窃盗団に腕時計を強奪されるなど危険な目にも幾度となく遭遇しましたが、何とか無事に帰ってきたらすっかりブラジルファンになってたんです。
帰国後1年くらいの間に来日したジルベルト・ジル、シモ―ネなどのブラジル人アーティストのコンサートにはほとんど行ったんじゃないかな。あと青山のサンバクラブ「プラッサ・オンゼ」にも何回か行きました。


林;ブラジルってそういう人を夢中にさせる何かがありますよね。


シュート;ジョビンのコンサートは8月でしたが、5時の開演時には気温もそこそこ下がり、さほど暑くなく絶好の野外コンサート日和。風が吹くと心地よく、まさにボサノヴァを楽しむためのような空間でしたよ。

ちなみに、僕にとって日比谷野音のコンサートは高校1年時に行った日本のロックバンド・四人囃子以来。
ジョビンのバンドには、ご家族もメンバーとして参加しており、盛り上がるというより、いい意味でリラックスして楽しむと言った感じかな。すごくアットホームなコンサートだったですね。そうそう、コーラスで参加していた娘さんが凄く美人だったのを覚えています。


林;そこですか!


シュート;この時のコンサートの模様はNHKでも何回か放送され、僕も家庭用ビデオに録画したのですが、実家を探してもそれが見つからないんですよ。とても残念です。

僕の一番好きなジョビンの曲は「ジェット機のサンバ」かな。ヴァリグブラジル航空のCMソングとして作られたそうですが、この曲を聞くたびに飛行機から眺めた美しいリオの海岸線と街並みを思い出します。
野音のコンサートでは歌の最後にジョビンが「タクシー!」と呼ぶのですが、ナイスですね。それだけで、初めて真夏のガレオン空港(現在はアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港)に降り立った時のことが思い出されて涙が出てきそうです。

僕は、タクシーではなく「オニブス パラ セントロ!」でしたが...。ちなみに「オニブス」はポルトガル語でバスのことで、リオ中心部行きのバスという意味です。「鬼ブス」ではありません。また、余計なことを言ってしまった。語り出すと止まらないので、ここいらでやめておきます。最近知ったのですが、日比谷野音のライヴでの「ジェット機のサンバ」がYou Tubeにアップされているので聞いてみましょう。 


Show Hibiya - Samba do Avião

林;良いですねえ。こんな動画なのに空気が伝わってきますね。


シュート;このYou Tubeを見ると本当にリオへ行きたくなります。

次は僕が初めて観たジャズミュージシャンのコンサートです。さらに月日を遡って1978年11月30日のジェフ・ベックのコンサート、僕が高校一年生の時です。僕が通っていた高校は大学の付属だったので大学受験がなく、しかもかなり自由な校風でした。そんなわけで高校時代はバイトをしては資金調達し、バンド活動をすると共にコンサートへ行きまくっていたんです。特に1978年の秋から1979年の冬というのは短期間に、大物ロックアーティストが大挙して来日したんですよ。


林;日本人が本当に豊かになった頃と重なる時期なのでしょうか。


シュート;その時、僕が実際に行ったコンサートを列挙してみますね。まずはジェネシス。フィル・コリンズ在籍時でドラマーはチェスター・トンプソンでしたが、ステージにはドラムが2セット準備され、一曲、フィルも叩きました。若い方にとっては、フィル・コリンズといえば「イ―ジ―・ラヴァ―」などの大ヒット曲で知られるヴォーカリストでしょうが、それよりずっと以前、ジェネシスには最初ドラマーとして加入していたんです。

それから、ロッド・スチュアート。「アイム・セクシー」が大ヒットした頃ですね。この曲は僕もバンドで演奏したことがあります。ロッドが客席に向けてサッカーボールを蹴り込んだのが印象的でした。アース・ウインド&ファイアーは、銀色のピラミッドの中にモーリス・ホワイトが乗り込むと空中に吊り上げられ、開くと誰もいないといったマジックや、ヴァ―ディン・ホワイトが宙づりでベースを演奏したりするといったエンターテイメントも充実していた全盛期。デビッド・ボウイは「レッツダンス」がヒットする前で、「ジギースターダスト」や「ステーション・トゥ・ステーション」を歌いました。


林;それ全部行かれたんですね。当時でも音楽関係者以外はそこまで行ってないのではないように思います。


シュート;そして今回紹介するジェフ・ベックグループです。この時のジェフ・ベックグループのメンバーは、ジェフの他にベースがスタンリー・クラーク、そしてドラムがサイモン・フィリップスのトリオです。サイモン・フィリップスは当時若干21歳で無名のドラマーだったためか、チケットやプログラムに一切写真が載っていませんでした。いまや大御所ですがね。

高校入学したての僕はロック一筋でしたので、恥ずかしながらスタンリー・クラークを知りませんでした。とにかく、ベックの演奏が観たかったんです。その頃のベックは自己のグループで「ベック・ボガード&アピス」、「ブロー・バイ・ブロー」、「ワイアード」などのアルバムをリリースし、ギターキッズを熱狂させていた頃です。ちなみにベック・ボガード&アピスのカ―マイン・アピスはロッド・スチュアートのバックバンドでドラムを叩いていたのを観ました。これぞロックドラムといった感じで滅茶苦茶格好良かったです。

僕の観たベックのコンサート会場は日本武道館で、チケットはもちろんソールドアウト。この頃の僕はバイトをしていたとはいえ、所詮高校生なのでお金がなく一番安い2,500円のB席です。ベックを斜め後ろから見下ろすような感じでしたね。とにかくたくさんコンサートを観たい、聴きたい、体験したいだったんです。コンサートが始まると、スタンリー・クラークのベースに圧倒されました。「Blue Wind」ではギターとベースが掛け合いをするのですが、ギターの100倍くらいのパワーでベースが鳴っているんです。とにかくベースの重低音が強力なリズムに乗り、お腹の底から突き上げてくる。僕はいまだにそれを越えるベースサウンドを体験したことがありません。絶対に家では再生不能。コンサートならでは。ベックのギタープレイも素晴らしかったのですが、その後一週間くらいスタンリー・クラークのベースの方が僕の身体全体に覆いかぶさっている感じでした。

それがきっかけで、僕はチック・コリアの「リターン・トゥー・フォーエヴァー」を聞くようになり、ジャズの道へ入っていったのです。


林;なるほど。スタンリー・クラーク繋がりでリターン・トゥ・フォーエヴァーですか。それは意外ですが、もしかして当時の東京の空気を象徴しているようなエピソードですね。


シュート;ジェフ・ベックがスタンリー・クラークと演奏している「Blue Wind」の動画が見つからなかったので、2006年の富士スピードウエイでのライヴから。このライヴではヴィニ―・カリウタのドラムが熱いなあ!


Jeff Beck - Blue Wind

林;うひゃー、すごいですね。


シュート;次は丁度ジェフ・ベックのコンサートと同じ時期のライヴイベントの話です。1978年の秋、FM東京で水曜日の深夜1時から30分間、ヤマハの提供で「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」という番組が放送されていました。

その時間帯はそれ以前、深夜1時から3時まで「VANロックオン」という番組が放送されていたのですが、1978年4月にスポンサーであるVANジャケットが倒産したため番組が終了し、その後、「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」の放送が始まったのだと記憶しています。ちなみに、番組内で「ヴァ―ン、ロックオ―ン!」とタイトルコールをしていたのは郷ひろみです。僕は中学時代、勉強しているふりをして、この「VANロックオン」を夜更かししてよく聞いてました。もちろんエアチェックも。

「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」は、当時世間一般ではあまり認知されていなかったシンセサイザーにスポットをあてた音楽番組で、シンセサイザーの仕組みや多重録音の方法、シンセサイザーを効果的に使用したアルバム紹介などをしていました。


林;なるほど。シンセサイザーという新しい楽器を認知させるというコンセプトなんですね。歴史ですねえ。


シュート;僕は中学時代からプログレッシブロックバンドであるELP(エマーソン・レイク&パーマー)の大ファンだったので、深夜にもかかわらずこの番組を毎週欠かさず聞いていたんです。内容はかなりマニアックで、しかも時間帯も時間帯なので聴取者はかなり少なかったのでは。このブログを読んでいる方でこの番組を聞いていたという方いるかなあ。


林;大丈夫です。10人くらいはうなずいていると思いますよ(笑)。


シュート;その「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」の公開イベント開催のアナウンスが番組内でされたのです。出演はシンセサイザー界の大御所である富田勲氏と、謎のバンド・イエローマジックオーケストラ。早速往復ハガキで申し込んだところ、無事当選の通知が自宅に届きました。


林;!!


シュート;イベント開催日は1978年10月18日、場所は芝郵便貯金ホールです。僕はコンサートや、ライヴ、イベントのチケットをなるべく保管するようにしているのですが、この非常に貴重なチケットが見つかりません。よーく記憶をたどってみたところ、イベント内でヤマハシンセサイザーCS10(定価8万2千円)があたる抽選会があり、入場時、その抽選用にハガキを提出してしまったのではないかと思います。YMOデビューコンサートのチケットでもあるのに、手元になくとても残念です。動員はあまり芳しくなく2階席は閉鎖し空席、一階席も半分程度しか埋まってなかったので、1000人いなかったような。

第1部は富田勲氏のコンサートで、前後左右の4本のスピーカーに加え、天井にもスピーカーを設置し5チャンネルサウンドとし、さらに緑色のレーザー光線が音声に合せて飛び交うという当時としては画期的な演出でした。
第2部がYMOのコンサートなのですが、そのコンサートの貴重な音源がYou Tubeに上がっています。映像はありませんが是非聞いてみてください。演奏は、キーボード・坂本龍一氏、ベース・細野晴臣氏、ドラム・高橋幸宏氏のお馴染みのメンバーに加え、ギター・渡辺香津美氏、マニュピレ―タ―・松武秀樹氏、パーカッション・林立夫氏、そしてセカンドキーボードが矢野誠氏です。
途中、細野氏がメンバー紹介をしているのですが、ちょっとぎこちなくておかしいです。「ビハインド・ザ・マスク」、「東風」といったお馴染みの名曲の初期ヴァージョンがたっぷり楽しめますよ。あと、ファンの間では伝説となっているピンクレディ―の「ウォンテッド」を演奏しているのも聞きどころのひとつ。


YMO「サウンド・カーニバル~シンセサイザー・ランド」1978年10月18日

シュート;この音源を聴く度に、このコンサートに自分が聴衆の一人として会場にいたということは、新たな音楽ジャンルが誕生した瞬間に立ち会ったのだと、ちょっと誇らしげな気持ちになります。


林;これはもう歴史的な瞬間ですね。すごいです。


シュート;次は1988年10月の楽器メーカーY社の新商品発表会でのB'zのライヴです。B'zは言うまでもなく松本孝弘氏、稲葉浩志氏の2人で構成されるユニットですが、松本氏はB'zの結成前にTM Networkのサポートギタリストとしても活動していました。
TM Networkは楽器メーカーY社と関係が深いこともあり、B'zデビューに合せてY社は松本孝弘モデルのエレキギターを企画し定価6万5千円で発売したのです。この時発表した松本孝弘モデルは、MG-Mという品番で、ボディカラーを鮮やかなブルーに軽めのサンバーストをほどこし、ナチュラルカラーのバナナ風ヘッドにメイプル指板。2ハムバッカー1シングルコイルのピックアップマイク、ストップテールピースのブリッジといった仕様です。わからない方は深く考えずにスル―してください。

そのエレキギターも含めたY社のバンド関連楽器の新商品発表会が渋谷のイベントスペースで開催されたのですが、その時、デビュー直後であったB'zが約200人の楽器店担当者を前に2曲ほどライヴ演奏をしたのです。まだデビュー直後で売れていなかったため、ほとんど誰もB'zのことは知りません。


林;なるほど。


シュート;ライヴの評判は...、はっきりいって最悪でした。ファーストアルバム、そして発表会のライヴでもB'zはギターとヴォーカル以外全て打ち込みでした。この頃の楽器店のギター担当者はほぼ100%アナログ人間。ツェッペリン、ベック、クラプトン最高!、さらにロックバンド愛といった人ばかりです。
「デジタルミュージックは認めない!」といった担当者さえいました。そこへダンサブルなデジタルビートのユニットが出てきたので、演奏が始まった瞬間に新商品のギターがどうのこうのというより、音楽そのものへの拒絶反応が起きてしまったのです。こればかりはどうしようもありません。

とはいうもののクリスマス・お年玉商戦に向けた新商品なので、みな渋々オ―ダ―をしていったようです。そして年末には、B'zによる松本孝弘モデルギターのプロモーションイベント、ミニ・コンサートが全国の楽器店の小ホールやスタジオで開催されたのです。都内ですと北千住の楽器店でB'zがミニ・コンサートが開催されました。確か会場キャパは50名くらいだったですね。


林;そういうこともされてるんですね。みんなそういう時代ってあるんですね。


シュート;それから半年後に中野サンプラザでのB'zのコンサートに招待券で行ったのですが、満席ですごい盛り上がり。あっという間のブレイクでした。その後は、もう説明はいりませんね。B'zは日本を代表するバンドとして、大ヒット曲を連発するスーパーバンドとなり現在に至ります。B'zがメジャーになると松本孝弘モデルのエレキギターも大ヒット。生産が販売に追いつかない状況になりました。また、初代モデルに加え、スペックや塗装仕様を変更したバリエーションモデルが3機種発売されたのです。

あまりにも短期間でB'zがビッグになったので、発表会で散々文句をいっていた楽器店担当者は、その後ちょっとバツが悪かったようです。よくマーケティングの基本は現場の意見を聞けと言われますが、このように当たらないこともあるんだということを学んだ体験でしたね。


林;なるほど。いろんな意味で貴重な体験をされましたね。


シュート;それでは、B'zのデビューシングル「だからその手を離して」を聞いてみましょう。


B'z / だからその手を離して

シュート;なお、このMVは後日作成されたモノで、松本氏が演奏しているのは、3代目の松本孝弘モデルですので、1988年の新商品発表会でお披露目したモデルとは異なります。


林;シュートさんのお話を聞いた後だとこのデビューシングルも感慨深く聞けますね。


シュート;最後は、ごく最近のライヴ体験から。ごく最近といっても2011年7月24日の六本木・Beehiveというライヴハウスにおける川口千里さん(以下、千里さんとする)のライヴです。彼女はドラム専門誌等に何度も登場しているので、ドラムを演奏する方はたぶんご存知でしょう。2011年のライヴ当時も彼女は、すでに知る人ぞ知る天才女子ドラマーでしたが、まだ14歳の中学3年生。会ってみると小柄なこともあり、本当に少女でした。

僕はこのライヴの半年ほど前に、手数王と呼ばれるドラマー・菅沼孝三氏の弟子にすごい女の子のドラマーがいると会社の同僚から聞き、彼女が演奏するYou Tubeを見たのですが、リズムの軸がものすごくしっかりしているのと、切れがあるのに本当に驚きました。これは練習して身に付くモノではありません。
そんな彼女の噂を聞いた中国の現地法人から、神保彰氏による中国でのドラムクリニックに千里さんも参加させて欲しいという要望があり、まずは本人の生演奏を確認するために僕はBeehiveを訪れたのでした。


林;なるほど。展開が気になります。


シュート;バンドメンバーはギターが矢堀孝一氏、ベースが水野正敏氏、そしてドラムが千里さんです。このメンバーでピンときた方はかなりのフュージョンミュージック通。そう、変拍子の曲を縦横無尽に演奏する超絶技巧ハードプログレッシヴフュージョンバンドであるフラジャイルのドラムを菅沼孝三氏の代わりに千里さんが叩くのです。

ライヴが始まると千里さんは、お父さん世代ともいえる矢堀氏、水野氏と共に複雑な変拍子の曲を軽々とこなしていきました。この軽々というのがとても重要で、力が抜けていて頑張っている感がないから、彼女のドラムがとても自然に、複雑な音楽に溶け込んでいるのです。さらにMCでは水野氏とかけ合い、客席の笑いをとるなど舞台度胸もあり、とても中学生とは思えませんでした。

その後、僕は毎年少なくとも一度は彼女のライヴに足を運んでいるのですがすが、その度に演奏技術はもちろん、音楽性も高くなっているのを感じます。

2015年8月28日にもカシオペア 3rdのキーボーディストである大高清美氏とのユニットであるKIYO*SENのライヴを観に行ったのですが、その時はドラムを "歌わせる"のが1年半前に観た同じKIYO*SENのライヴに比べ上達していました。変拍子の曲を演奏する千里さんはもちろんすばらしいのですが、個人的には山本恭司氏と演奏した、いわゆるロックドラムが実に気持よかったです。

千里さんも今年大学に入学し、だいぶ大人びてきて、もう少女ドラマーとは言えなくなりましたが、この先彼女のドラム演奏がどのように変わって行くのか楽しみです。今後も彼女のライヴを観続けていきたいですね。それでは、KIYO*SENの1stアルバム「Chocolate Booster」から「K.S. Pro」の動画を観てみましょう。


大高清美 x 川口千里 - Kiyo*Sen 'K.S.Pro"

林;うわ、ホントまだ女の子って感じなのに...素晴らしいです! ところでシュートさん、ジャズ喫茶本の3冊目を刊行されたんですよね。


シュート;そうなんです。お陰さまで「東京ジャズメモリー」、「昭和・東京・ジャズ喫茶」に続く、ジャズ喫茶関連本の第3弾「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」を8月にDU Booksから 刊行しました。今回は大阪、京都、名古屋など東京以外も含めた現存する10店のジャズ喫茶に関し、カルチャーや街との関係、個人的体験、マッチ箱のうんちく、さらには本筋とは関係なさそうな小ネタを多数交えて紹介しています。ジャズファン以外も楽しめる、そして読後はジャズ喫茶やジャズバーなどのジャズスポットに行きたくなるような1冊に仕上げました。一読いただければ幸いです。


シュート・アローさん、お忙しいところどうもありがとうございました。

みなさん、シュートさんの本は今回のインタビューと同じように、音楽への愛がいっぱいで、話はいろんな方向に脱線しながら、まるで私小説のようにたっぷりと楽しめる内容です。

普通の「店舗紹介本」ではなく、日本のある時代をシュートさん独自の視点で切り取った「ノンフィクション本」とも言えます。是非、手にとってみてください。

あ、今回3冊目「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」はなんとこのJJazzブログの紹介もありますよ。その辺りの「ネットと本とリアル店舗を自由に行き来するシュートさんの自由な文章の醍醐味」もお楽しみください。


ハロウィンが終わってもうすっかり年末の気配が始まりましたね。
それではまた来月もこちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【ジャズ喫茶が僕を歩かせる 現役ジャズスポットをめぐる旅】

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■タイトル:『ジャズ喫茶が僕を歩かせる 現役ジャズスポットをめぐる旅』
■著者:シュート・アロー
■発売日:2015年8月6日
■出版社: DU BOOKS
■金額:¥2,160 単行本

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ジャズ喫茶は昭和の遺産、と思っていませんか?日本全国、今でも新規オープンしているんです!ジャズ喫茶さえあればどこにでも駆けつけるサラリーマン、シュート・アローが、新旧いろいろなタイプのジャズ喫茶をとことん味わう人気シリーズ!解説:林家正蔵


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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