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bar bossa vol.42:bar bossa

bar bossa


vol.42 - お客様:田仲昌之さん(fete musique.)


【注目の音楽】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は話題の新レーベル「fete musique.(フエト・ミュージック)」のオーナー田仲昌之さんをお迎えしました。

林(以下H):いらっしゃいませ。早速ですがお飲物をうかがいましょうか。

田仲(以下N):モヒートをお願いします。

H:かしこまりました。田仲さんといえば、RONDADEで数々の話題作を制作していますが、まずはRONDADEの話を教えていただけますか。

T:RONDADEは2006年からスタートしていままで音楽作品としては12アーティスト22タイトルをリリースしています。自分がRONDADEと関わり始めたのはARAKI Shinの1枚目のアルバム「A Song Book」の制作を始めたころ(2007年)だったと思います。 10年ほどやっていた渋谷FMの番組の制作を辞めたところでもう少し違った角度で音楽の現場と関わってみたいと言う思いもあって 友人の佐久間さんが始めたRONDADEにスタッフとして参加し始めました。 RONDADEは当初、音楽、アート、出版、広告、イベント等それぞれをフィールドにしている人間達が集まってモノ創りをする(今で言う) クリエイティブ集団を目指していました。その最初のアウトプットが音楽レーベルとしての活動でした。 パンクの持つ初期的衝動と現代アートが持つ時代に斬り込むエッジ感。それらを併せ持った音楽レーベルと言ったことがコンセプトでした。(言葉にするととってもチープに聞こえてしまいますが....笑)

H:いえいえ(笑)

T:ECMやNonesuchと言ったレーベルそのものに強烈な個性を持ったレーベルが国内には皆無だったのでそんな個性的な音楽レーベルを 運営出来ればと考えていました。普段、J-POPやROCKなどを聴いている人達に対してRONDADEの音源はどう響いていくのかと言った問い掛けの意味も強くありました。ただRONDADEからリリースされる作品はどれもジャンル分けが難しいらしく、特に大手CDショップなどではJ-POPやROCKのコーナーには置いて貰えることはあまり有りませんでした。しかしその後ポストクラシカルなどが流行ったこともあって RONDADEの作品に目を向けてくれる人達が増えました。現在では作品22タイトル全てにコンスタントにセールスが有りますし、海外からの反応もかなりあります。爆発的なヒットは無いですが(笑)スローペースながらもRONDADEと言うレーベルが世の中に浸透してきているのかな?と言った印象はあります。

H:海外からの反応、多そうですよね。さて、今回、立ち上げられたレーベルですが。

T:今回、RONDADEでは無く新たにfete musique.を立ち上げようと思った理由はやはりAOKI,hayatoとharuka nakamuraと言う2人のアーティストとの出会いが大きいです。ハルカくんと初めて出会ったのは実は音楽の現場ではなく共通の友人が開いた食事会でした。 共通の友人が偶然その場に居合わせたハルカくんを紹介してくれました。自分も彼の音楽を以前から聴いていましたし、ハルカくんもRONDADEのことは知っていてくれたのですがお互いに何かそういったタイミングで知り合ったこともあってすぐに打ち解けた関係になりました。お互いにいろいろと話しをしていくうちにハルカくんがRONDADEの作品をとてもリスペクトしてくれていることを知りました。 上手くタイミングが合えばRONDADEからも作品をリリース出来たらと2人では話したりもしてました。 青木さんの音楽を初めて聴いたのは吉祥寺にあるOUTBOUNDと言うお店の店内でBGMとしてかかっているのを耳にした時でした。すぐにお店のスタッフの方に問い合わせてその場で販売されていたCDを購入しました。それから自宅でもヘッドフォンステレオでも 青木さんの作品をヘビーローテーションで聴くようになりました。ライヴにも何度か足を運ぶようになりいちファンとして作品やライヴを楽しんでいました。

H:どちらも、いかにも街中現場主義的な田仲さんらしい出会いかたですね(笑)

T:そんな中、ハルカくんから西荻窪にある「雨と休日」さんの3周年記念のライヴで青木さんと共演することを聞きました。共通点が余りに見当たらないこの2人の組合せに驚きと同時にどんな音楽が生み出されるのか楽しみになりました。 残念ながら最初のライヴを観ることは出来なかったのですが何度目かのリハーサルに立ち会わせてもらいました。まだまだお互いに探り合ってのセッションでしたが2人が出し合う音の1音1音に2人の相性の良さを感じました。そして何より2人が奏でるサウンドに情緒を感じました。セッションを聴いてすぐにこれは音源として残すべきだと思い、2人にはすぐにCDを制作しようと提案しました。 当初は2人の作品をRONDADEからリリースすることも考えたりもしましたがRONDADEのイメージと2人が奏でるサウンドとはかなり方向性が違うなと感じていました。 青木さんもハルカくんもソロとしての作品とは差別化を計りたいと言う考えもあったし自分としても2人と同じ様にRONDADEとは違うコンセプトとやり方で活動したいとの思いが強くあってfete musique.を立ち上げることにしました。

H:先に音源ありきだったんですね。でも、よくこんな時代にレーベルを立ち上げようと思いましたね。

T:確かに音楽が売れない時代ですが決して音楽が聴かれなくなってしまった訳では無いですよね。 ただ音楽が売れなくなってしまったのはここ20年くらい僕等も含めた音楽を送り出す側が『音楽』そのものを大切に扱ってこなかったことに原因があると思っています。音楽雑誌至上主義だったり、音楽データの形式が統一出来なかったり、AKB商法だったり。 音楽の質よりも手っ取り早くどれだけ多くの消費を生みだせるか?と言ったことが最優先されてしまっている音楽業界の状況に音楽リスナーの人達はみんな疲弊しているように感じています。だから単純に自分達はもっと『音楽』そのものを大切に扱い丁寧にリスナーの人達に送り届けられるようなレーベルを目指すことが必要なんだと感じています。

H:なるほど。レーベルの名前の意味を教えていただけますか?

T:レーベル名の"fete musique(フエト・ミュージック)"の由来は村上春樹の小説「ノルウェイの森」の扉に書かれていた「多くの祭り(フエト)のために」という一文から引用しました。フランス語のfête(フェト)にはお祭りとか祝祭とか言った意味があってレーベルを立上げることを決めた直後に何気なく広げた「ノルウェイの森」のこの一文と偶然出会いその瞬間に決めました。 言葉の響きも意味もとても気に入っています。

H:多くの祭りのために、ですか。良い言葉ですね。それでは、最近はものすごく話題になって品切れにもなってましたが、第一弾のアルバムのことについて教えていただけますでしょうか。

T:fete musique.の最初の作品でもあるAOKI,hayatoとharuka nakamuraの1stアルバム『FOLKLORE』は去年の秋にリリースしました。 まるでロードムービーのように旅することで出会った人々、見えた風景、経過していった時間、溢れ出す感情を2人は旅を重ねながら奏でてきました。『FOLKLORE』はこれからも続いていく2人の旅の途中経過を記録した作品です。今回、録音は2人だけで行っています。セッションを重ねながら1曲づつ楽曲を構築していくと言った作業をライヴと並行して2年近く掛けて行ってきました。 マスタリングは2人のリクエストでWater Water Camelの田辺玄さんにお願いしました。 アルバムのデザインやアートワークは全て青木さんが手掛けました。ジャケットになっているボックスの仕様も青木さんのアイデアでYAECAやCLASKA等の商品の紙箱を制作している竹内紙器さんにお願いしました。ジャケットそのものも今回の作品の1部として感じて欲しいという思いもあってジャケット自体のサイズ感、風合い、手触り等にも拘って作りました。 ボックスを開けてCDを取り出し音楽を聴くと言った一連の所作も作品の中での重要な要素だと考えています。

H:もう本当に「採算度外視」という言葉通りの凝りに凝ったボックスジャケットですよね。これからのCDの未来を色々と考えさせられました。さて、これからはどうされるご予定でしょうか。

T:今後はまずは『FOLKLORE』をもっとたくさんの人達に聴いてもらえるようにすることが第一だと考えています。 去年までのCDの販売はライヴ会場と雨と休日さんのみで販売していましたが今年からはCDショップに限定せず自分達が『FOLKLORE』を販売してもらいたいと思うお店にアプローチをして作品を評価して貰えればその店舗さんに販売をお願いしようと考えています。 そして先ほども言ったように2人の旅はまだ今後も続く予定なのでまた旅を記録していく作業をしていきたいと思っています。次回はゲストにも加わってもらって外に向かって拡がるような内容の作品を創れればと話したりもしています。 レーベルとしてはリリース時期はまだ未定ですがThe Yong Groupの木之下渉クンのソロ作品をリリースしたいと思っています。

H:おお、木之下くんも予定してるんですね。楽しみです。それでは、選曲に移りましょうか。
テーマは「今、田仲さんが注目の音楽」ですね。


ARAKI Shin - Reflection Of Your Flowers

T:1曲目はARAKI Shinの『A Song Book』からの楽曲。やはりこのアルバムには最初に関わった作品と言うことで自分なりにとても思い入れがあります。荒木くんともとても長い付き合いになりました。いまではharuka nakamura PIANO ENSEMBLEのメンバーとしても活躍しています。また彼の新しい作品を聴いてみたいです。

H:せつない曲ですねえ。こういう曲の制作に関われるって羨ましいです。


Iwamura Ryuta - February 20/C-dur(ハ長調)

T:次もRONDADEからの作品でIwamura Ryuta「Sunday Impression」からの楽曲。このアルバムはバッハの平均律クラヴィーア曲集のように、12の鍵盤(1オクターヴ)を、半音ずつ上がっていき、毎週1つの調で1曲、12週かけて作り上げた内容になっています。 岩村クン自身が日曜日に純粋に自分とピアノと向き合う為に作った楽曲たちです。

H:テーマが先にあるのに、とても自然な美しい曲ですね。


Dakota Suite & Quentin Sirjacq - as long as forever is (part II)

T:スロウコア/サッドコアといったジャンルを確立した"静寂"を音楽で表現するバンドdakota suiteと数々の映画やドキュメンタリー番組の音楽を手掛けてきたフランス人ピアニストQuentin Sirjacqがコラボレーションした楽曲です。 実は以前dakota suiteのアルバムをRONDADEでディストリビューションする計画があって彼等とは何度か話し合いを持ったことがありました。 結局残念ながら契約することは叶いませんでしたが今でも彼等の作品を聴くとあの時彼等と一緒に作品が創れたらなと思います。

H:そんなお話があったんですね。田仲さんが扱っているジャンルは現在の日本の音楽とは違って、簡単に国境を越えてしまいますね。


The Album Leaf - Always For You

T:ポストロック/エレクトロニカ・シーンで人気を博するマルチ・インストゥルメンタリスト、Jimmy Lavalleのソロ・プロジェクト。 ヘッドフォンステレオで聴くものが無くなると必ず聴いているのが彼等のアルバムです。 なぜか不思議と彼等のアルバムは聴き飽きることがないのです。そしていつも何だかのインスピレーションを与えてくれる。自分にとってはとっても重要なバンドです。

H:サブ・ポップなんですね。僕はこの辺り、全くノーチェックで。いやあ、でもすごくカッコいいですね。


Kings of Convenience - La Blogothèque | ARTE Concert

T:フランスのWebサイトLa BlogothequeでのKings of Convenience のLiveが収録された映像です。全編で約26分あります(笑)。 本当に完成度が高いライヴなので可能であれば最初から最後までこの2人のパフォーマンスを楽しんで頂けばと思い無茶を承知で紹介させてもらいました。

H:おおお! 彼らのライブってこんな親密な感じなんですね。これは紹介したくなる気持ちわかります。


Zach Condon & Kocani Orkestar - Sunday Smile~siki siki baba

T:Beirutと言うバンドのフロントマンであるZach CondonとマケドニアのジプシーブラスバンドKocani Orkestarがパリのキャバレーでセッションを行った際の熱狂のライヴ映像です。 この映像を初めて観たとき、余りの音楽の力強さに感動し涙が出ました。

H:うわ、僕もちょっと涙腺、危ないです。これ、ほんと「音楽の力」のようなものを感じますね。素晴らしいです。


David Moore / Bing & Ruth - Take Away Show #102

T:Bing & RuthはNYのピアニストDavid Mooreが率いる11人編成のミニマル音楽集団です。 一聴すると現代音楽~アンビエント~ポストクラシカル的な世界感ですが自分にはパンク的な要素を彼等のサウンドから感じてしまいます。

H:確かに何かパンクを感じますね。田仲さん、さすがにいろんなの聴いてますね。

T:AOKI,hayatoとharuka nakamuraそれぞれの音源も1曲づつ紹介したと思います。


morning inkyo with AOKI,hayato

T:蔵前にある中川ちえさんのお店「in-kyo」さんでの映像に青木さんの音楽がBGMとして挿入されています。 青木さんのサウンドはこの映像の様に日々の暮らしの何気ない一瞬一瞬がスケッチされてるように感じます。

H:この映像も良いですねえ。確かに「日々の瞬間」を切り取っている感じがします。


haruka nakamura PIANO ENSEMBLE feat.CANTUS - 光

T:昨年末にリリースされたアルバム、haruka nakamura PIANO ENSEMBLE「音楽ある風景」から聖歌隊CANTUSをフィーチャーした楽曲。 きっと自分は10年先も20年先もこのアルバムを聴いているんだだろうなと思います。 そんな作品と出会えたことがとても嬉しいです。

H:これ、ジャーナリストの佐々木俊尚さんが突然、好きだってツイートして話題になってましたね。いやあ、本当に美しいです。

T:そして最後はAOKI, hayato と haruka nakamura の1stアルバム「FOLKLORE」からの1曲。


days / AOKI, hayato と haruka nakamura

T:例えばこの音楽を偶然耳にしてくれた人たちが『FOLKLORE』を手にしてくれて普段の生活の中で2人の音楽を聴いてる。 いろいろな人たちの生活の中にこの音楽が溶けていく瞬間を想像するとやはりグッときてしまいます。 レーベルをやることの醍醐味はやはりそういうところなのかも知れないと思いました。

H:僕は今、田仲さんのその音楽への思いにグッと来てます。たくさんの人に届くと良いですね。 田仲さん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。 みなさん、是非、フエト・ミュージック、チェックしてみてください。


●fete musique. HP→ http://fete-musique.tokyo.jp/
●fete musique. twitter→ https://twitter.com/fete_musique

●購入はこちら→ 『FOLKLORE / AOKI, hayato と haruka nakamura』(雨と休日)


2月、もうしっかりと寒いですね。みなさん風邪などひいてないでしょうか。 良い音楽に出会えると、心も温まりますよね。 それではまた来月、こちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら
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bar bossa vol.41:bar bossa

bar bossa


vol.41 - お客様:白尾嘉規さん(DJ・選曲家。現代ポーランドジャズ専門レーベルCześć ! Records監修)


【中欧音楽と触れ合うまでの「5 Steps」】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

あけましておめでとうございます。

さて今回は『中央ヨーロッパ 現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド』を出されたばかりの白尾嘉規さんをゲストに迎えました。

林(以下H):こんばんは。白尾さん、このブログ、今回で2回目の登場ですね。よろしくお願いします。早速ですがお飲物はどうしましょうか?

白尾(以下S):白ワインで、さっぱりした感じのをお願いします。マンネリですみません(笑)

H:さっぱりですか。それではドイツのリースリングをお出ししますね。普通ドイツワインは甘いというイメージがありますが、これはトロッケンという辛口ワインです。

S:いただきます。

H:さて、オラシオさん、ワルシャワに行かれてたようですが、どうでしたか?

S:ワルシャワだけではなくて、計4都市行ったんですよ。ヴロツワフ、カトヴィツェ、クラクフ、ワルシャワ。今回のポーランド行きは、ポーランド広報文化センター、アダム・ミツキェヴィチ・インスティテュート、ジャズトパド・フェスティヴァルの3つの機関にサポートを受けて行くことになりました。具体的になにか目的があったわけではなくて「往復の旅費を出すので、とりあえず一度行って来い」的な感じでした。

H:何か出会いはありましたか?

S:出会いは・・・本当にたくさんありました。たぶん40~50人くらいのミュージシャンと会ったんじゃないでしょうか。フェイスブックを通じて知り合いだった人も多いので、ハグして大歓迎してくれて嬉しかったですね。ライヴ会場や街で偶然会った人もいました。空港に車で迎えに来てくれたりね。僕がポーランドのジャズにはまるきっかけになった伝説的ミュージシャンにインタヴューもできました。

H:40~50人!

S:特に嬉しかったのが、いくつかインタヴューをすることになって、現地在住の若い女性に通訳を頼んだのですが、彼女が最後に「白尾さんとお仕事して、ポーランドのジャズをもっとたくさん真剣に聴こうという気になりました」と言ってくれたことですね。たったひとりファンが増えただけですが、とても大事なことができたと思っています。

H:ああ、それは嬉しいですね。本の評判はどうでしたか?

S:本はまさに絶賛の嵐です。本場の音楽ジャーナリストでもこれだけのものは作れないだろうと言われました。特に、川畑あずささんによるブックデザインはみんな本を手に取った瞬間ほめるくらい評判良かったです。

H:ポーランド人にデザインをほめられたんですね。これも嬉しいですね。ところで最初は「ポーランドジャズの本を作る」というようなことを伺ってたのですが、全く違うものになりましたね。

S:それは、林さんのせいですよー(笑)。いつぞやお店にうかがってポーランドジャズの本を作りたいというようなお話をした時林さんが「ポーランドだけで、ジャズだけの本だったら僕は買わないですね」と仰ったのが強烈に響きましてね。どうしたらこのマーケティングの天才・林伸次に買わせるような本を作れるだろうか、と一生懸命考えました。

H:僕、そんなこと言ったんですね...

S:本を作るにあたってインスピレーションを与えて下さった方は何人かいらっしゃるのですが、林さんと、もうひとり、ポーランド映画祭を主催しているValeriaという会社の小倉聖子さんには特に強く影響を受けました。小倉さんは「映画とか演劇とか雑貨とか、ポーランドがらみのひとつひとつのイベントが点在しているだけで、全然つながっていない。それらを全部つなげる、もっと大きな何かをやりたい」と仰ってて。
その林さんと小倉さんの言葉を聴いたのが昨年の夏くらい。ほぼ同時期でした。自分自身もこのままポーランドジャズのファンだけに向けて書いていても先が続かないような予感はしていたので、中欧4ヶ国に範囲を広げて、ジャズ以外の音楽も紹介して、さらにカルチャー面にも踏み込んだ、ファン層も書き手も一気につながれるような本を作りたいと強く思ったんです。中欧の現地では国境もジャンルの違いも超えてすごく豊かに人脈がつながっているのに、その中欧文化が好きな日本の人たちがあまりつながっていないのは、もったいないし、自分自身が他の中欧関係の書き手の方ともっとお知り合いになりたいという気持ちがありました。

H:おおお! それは壮大で良いですね。執筆陣が多岐にわたりますが、どういう風に選んだのでしょうか。

S:執筆者選びはとにかく手当たり次第という感じでした。ジャズに偏らないようにするのも注意しなくてはいけない点でした。前からチェコ音楽を推してらした吉本秀純さん、友人でプログレドクターと世界中で評価されている祖父尼淳さん、ブログで積極的にハンガリーやスロヴァキアのミュージシャンを紹介していた岡崎凛さん、大学でポーランドのヒップホップについて卒論を書いたパウラさん、は最初からお願いすると決めていました。
お願いしたい方には可能な限り直接会ってご説明するようにしました。例えばShhhhhさんはメールだと難しい系の本だと感じたみたいで気乗りしなかったようなんですが、会って話したら10分くらいで「ぜひやりたい!」という話になって(笑)。直接話すのって大事ですね。

H:そうですね。会って話すってホント重要です。

S:そうそう、林さんのフェイスブックがきっかけで知り合った方に紹介していただいたのが原宿でAZ Finomというハンガリー料理店を経営していらっしゃる東孝江さん。ちょうどハンガリーの書き手を探している時でした。東さんにはコラムを書いていただいたりハンガリー大使館とのコンタクトを手助けしていただいたりして、そういう運の良い出会いもありました。AZ Finomのハンガリー料理、絶対日本人が好きな優しい味なので、みなさんぜひ。

H:え、僕のフェイスブックがきっかけですか? そういう繋がり方もあるんですね。AZ Finom、僕もチェックしますね。何か大変なことってありましたか?

S:この本は、僕の知らないこともたくさん取り扱うので、とにかくゴーサイン出すまでが大変で。自分が全部知っていれば「これは書いてください」とかできるんですけど。僕にも、どんな盤が何枚くらい挙がってくるのか全然わからないので、とにかく全員分情報が揃わないと構成がまとまらないという状況が長く続いたのが苦労と言えば苦労でしたね。あとは、名前の読み方をカナで書くことにしたので、正確なつづりがわからないとそれができません。校正の際に調べなおしたり何重にも手間がかかって、本当に地獄でした(笑)。

H:カタカナ表記問題って難しいですよね。

S:ただ、とにかく読みやすいものを、ということでは編集の筒井さんと完全に意見が一致していましたので、無理を言って「ですます」調で書いていただいたり字数を削ったり、その辺りは徹底しています。おかげで特に音楽のファンでない僕の友達なんかにも「楽しく読める」と評判が良いです。

H:確かに文章のトーンが統一されている感じはすごくしますね。タイトルはどうやって決めたんですか?

S:「中欧エヴァーグルーヴ」などタイトルはいろいろ案もあったのですが、あまり思い入れが強い特殊な言葉遣いだとマニアックなイメージになって敬遠する方もいるかと思い、完全に筒井さんに一任しました。ただ、英題のCentral European Music Steps Ahead !!についてはいくつか案を出した中から選んでもらいました。未来につながる感じのするいいタイトルが出来たと思っています。

H:ホント直球なタイトルで、後々の人たちが必ずチェックしなければいけない本って印象がありますね。ポーランド人にほめられたデザインはどういう経緯でしたか?

S:デザインは、本当にいい仕事をしてくださったのですが、レヴュー部分の大まかな案を伝えたくらいで、あとは筒井さん川畑さん とで自由にすすめていただきました。僕からは、女性も手に取りやすいようなものにしたい、と言ったくらいですね。

H:パッと見、女性二人が作った本って感じ伝わりますね。すごく正しい選択だと思います。ずばり、この本の「売り」は?

S:まず、90年代以降の中欧の音楽をまとめて紹介したものはこれまで皆無ということは最初にアピールしたいです。それと同時にこの本はあくまで「はじめの一歩」だということも言っておきたいですね。たぶんこの本に詰まっている情報だけでも数年は楽しめるんですが、その先もちゃんと用意しています。これまですごくたくさん質問された現地のウェブショップでの買い方とか、名前の読み方とかにも触れていますし、巻末の索引は索引としてよりもネット検索のための人名事典として役に立つと思います。本で触れられているよりももう少し先に進みたくなった方のためのガイドとしても機能すると思います。

H:ウェブショップでの買い方はすごく便利ですね。

S:ディスクガイドってだいたい「これ以上進みたい人は自分で調べてくれ」という感じで、ある意味その本の中で解決してしまっているでしょう?その後の「進み方」や調べる材料までフォローしたものがあってもいいんじゃないのかなとずっと思っていました。今はネットで何でも調べられるということになってますが、調べるスキルの成熟が情報量の増加に全然追いついていないということも前から気になっていまして・・・。カルチャーに関するコラムが入っているのもディスクガイドとしては斬新だと自負しています。

H:あのコラムもすごくバランスが良いです。

S:また、この本の最大の特徴はジャンルとか国とかアルファベットとか既存の分け方で章立てしていないことです。それぞれ独特のテーマを設けてStepと名付けた章は、読み進むごとにだんだん中欧音楽への理解が深まるように工夫してあるんですよ。流れというか、ストーリーがあります。僕自身がポーランドの音楽にはまっていったこの10数年間を疑似体験できると言いますか。Step5になると、ハンガリーとインド映画がつながってる!とか、すごいところまで踏み込んじゃってますが(笑)、最初から読むと無理なくそこまで歩いてこれるんです。Step1は林さんもほめてくださいましたよね?

H:最初に各国の美女歌姫4人というビジュアルにガツンときました。

S:このアイディアは、筒井さんと打ち合わせしててひらめいたんです。彼女が、それほどディープな音楽ファンでない読者は、本屋さんで手に取ったら律儀に目次から順にめくって読んでいくんだと言ったのにはかなり驚きました。自分だと、目次で興味あるところをチェックしてそこだけ読んで終わりですから。なので、最初から最後まで流れがあればいいのか、と考えたんです。もちろんどこから読んでいただいても面白いですが、新しいジャンルや切り口との出会いを楽しみながら、中欧音楽の森の中にゆっくり歩いて入っていくようにページをめくってもらえたらと思っています。

H:この本はどういう人に読んでほしいですか?

S:中欧の音楽やカルチャーに興味を持っている人はとてもたくさんいると思います。でも、情報が足りない。ご自分である程度中欧音楽を聴いてこられた方はこの本を読んで下さると思うので、できればそれ以外の「興味ある」くらいの気持ちの人たちに読んで欲しいですね。文章もデザインも、思い入れや情熱が入りつつ読みやすさにも気を配っていますので、「音楽を読む」楽しさをそういう人たちに知って欲しいという気持ちもあります。

H:「音楽を読む」楽しさ、なるほど。

S:僕は音楽ライターのかたわら図書館員として働いています。図書館員の最も重要な役割は情報と人をコネクトすることです。この本は僕のその経験も活かされた、いろんなつながりを作ることがテーマの本だと思っています。この本を読むことで、チェコの雑貨が好きな人がハンガリーのプログレに興味を持つかも知れない。スロヴァキアのロックが好きな人がポーランドのビールが飲みたくなるかも知れない。そういう、偶然の出会いを演出するためにたくさんの工夫をしている本なので、読者のみなさんはこの本を楽しむために「まだ知らない」という最高のアドヴァンテージを持っています。たくさんたくさん新しいものと出会ってください。
今は中欧音楽はマニアックと言われていますが、この本を手始めに点と点を大きな面に変えて行って、いつかはこの地域の音楽を聴くのは当然、みたいなことになれば良いなと思っています。実際情報が少ないだけでそれだけの素晴らしさは間違いなくありますから。ポーランドのジャズにはまって人生まで変わっちゃった僕が保証します(笑)!

H:(笑)。さて、それでは選曲に移りましょうか。

S:はい。テーマは【中欧音楽と触れ合うまでの「5 Steps」】です。本で設定した各Stepのかんたんな説明を交えつつ、レヴューを書いたアルバムの中から厳選した10曲を聴いて一気に中欧音楽と仲良くなっていただきたいです。どれも最初のイメージを楽しく裏切ってくれるものばかりだと思います。(曲名のあとにアルバムを紹介したページと場所を記しています)

H:本を買った人はそのまま楽しめそうですね。

S:【Step1 中欧音楽のキーパーソンたち】
各国から美女を集めました!と言うより、音楽がすごい人を本気で挙げたら自然とこうなりました。女性が最先端にいるって、ものすごく未来が明るい感じがしますよね。ちなみに4人全員にオフィシャルウェブサイトがあります。


Cichy zapada zmrok / Anna Maria Jopek(P11-1)

S:現代ポーランド最高のヴォーカリストのひとりアンナ・マリア・ヨペクとメセニーのピカソギターのデュオで、ポーランド民謡です。前にケペル木村さんに「オラシオさんはゲッツ&ジルベルトのポーランド版みたいなアルバムを決めてどんどん推していけばいいんじゃないかな」とアドヴァイスいただきましてずっと考えていたんですよ。この曲が収録されたアルバム『Upojenie』こそがそれです。本でも一番最初に紹介した作品です。この、メロディとポーランド語の響きの美しさがポーランド音楽の魅力だと思います。

H:なるほど。『ゲッツ&ジルベルト』のポーランド版ですか。すごくわかりやすい表現ですね。


Örvendezzünk / Szalóki Ági(P26-1)

S:ハンガリーのサローキ・アーギです。これはクリスマス・キャロルなんです。中欧はカトリックが主流ですから、ものすごく大事な伝統なんですね。でもこんなさわやかなアレンジになっちゃうのが面白い。普段「子どものための音楽」を積極的にやっている彼女は、個人的にはヴァニア・バストスとアドリアーナ・カルカニョットの中間くらいのセンスを感じていて、ブラジル音楽が好きな方にもオススメです。声も胸がしめつけられるようですばらしいですよね。ハンガリー語の「おまじない」というか「魔法の言葉」みたいな感じの響きも土の薫りがしていいです。

H:確かにブラジル音楽好きの僕にすごく響きます。こういう色んな国の美女を見ると「ふーん、ハンガリーはこういうルックスなんだ」ってところも楽しみの一つですね。


S:【Step2 名盤のオモテウラ】
図書館をぶらつくと売れ行きに関係なく過去から現在までの本が混在していて、どんどん気になる本に出会ってしまう。そういうイメージで作りました。完全にランダムに並んでいますのでたくさん偶然の出会いがある楽しいチャプターだと思います!


Logan / Paweł Kaczmarczyk Audiofeeling Band(P53-2)

S:今度はリズムが立ってるグルーヴィーなジャズチューンいってみましょうか。この曲はこれまで何度もDJでかけてるんですが、必ず食いつかれますね。中欧のジャズというと美メロってイメージが強いと思うんですが、実はそれはほんの一部で、こういうハイパーモダンな感じのもあります。クラクフでポーランド人の友達と街を歩いてたら、このアルバムのリーダー、ピアニストのカチュマルチクに偶然出会ってハグしてお互い大喜び!なんてことがありました(笑)。

H:お、これはDJでかけると食いつかれそうですね。でも街を歩いてて出会うってかなり小さい街なんですね。良いですねえ。


Kołysanka Rosemary / Julia Sawicka Project(P75-2)

S:これもDJで大人気の曲ですね。ポーランドの伝説的ジャズミュージシャン、クシシュトフ・コメダの代表曲で映画『ローズマリーの赤ちゃん』のテーマにヴォイチェフ・ムウィナルスキという有名な作詞家が歌詞をつけたものです。仄暗いムードがカッコいいですよね。ギターはチェコの若き天才ダヴィト・ドルーシュカ。山中千尋さんがバークリーで同期だったらしくて「顔はオタクみたいで気持ち悪いけど、演奏は間違いなく天才」(笑)って絶賛していたらしいです。

H:山中千尋さんがバークリーで同期ですか。なんだか世界って狭いんですね。世界のみんなが想像する暗いヨーロッパですね。

S:【Step3 「ある視点」部門】
本書の核となるチャプターです。ちょっと踏み込んで聴くと見えてくる中欧音楽の特徴の一例をいくつか挙げてみました。もちろんもっといろんな切り口があります。自分なりのテーマを見つけられるとグンと楽しくなりますよ。


Miałabych jo kawalera / Adam Oleś(P110-1)

S:「民謡アップ・トゥ・デイト」から一曲。チェリストのアダム・オレシがポーランド南西部シロンスク地方の民謡をカヴァーしたものです。先日出版記念トークイベントをやった際にこの曲をかけたのですが、とても評判が良かったです。素朴なメロディと凝りに凝ったアレンジのコントラストがいいんですよ。いつ聴いても胸が熱くなります。この、伝統的なムードの中にモダンがミクスチャーされてる感じって、ポーランドの街並みにも似ている気がしますね。俗に言うアメリカの音楽とヨーロッパの音楽の違いって、街並みの違いに象徴されていると個人的には思っています。

H:おおお、これはカッコイイですね。アレンジがホント、凝りに凝ってますね。聞く喜びがあります。街並みの違いですか。なるほど。


Goń latawce / Anna Serafińska(P126-1)

S:「詩が唄になる」からの曲です。ヨーロッパって日本人には想像もできないほど詩が盛んですよね。特にポーランドは、詩人の作品に曲をつけたり、作詞家じゃなくて詩人と作曲家がコラボして曲を作ったりするというジャンルがあるんですよ。これはアグニェシュカ・オシェツカという女性の大詩人・作家と、僕がポラジャズにはまったきっかけとなったジャズ作曲家、「ナミさん」ことズビグニェフ・ナミスウォフスキがコラボした1970年代のポップスのカヴァー。日本で言うなら、谷川俊太郎と渡辺貞夫が歌謡曲作ったようなものだと思ってください(笑)

H:そういう試みがアカデミック臭くならず、こうやってポップな響きに辿り着いているのが素晴らしいですね。羨ましい文化です。


S:【Step4 クラシックは中欧グルーヴの素】
これまで雑誌とか旅行ガイドで紹介されてきた「中欧の音楽」ってクラシックばかりなんです。この本のアイディアを練っている時に同僚や友達に中欧のイメージを訊いたら、やっぱりそういう答が多かった。なら今、現地でクラシックがどんな風に受け入れられているかを、「カヴァー」という切り口で紹介しようと思いついたチャプターです。


Wiosna / Anka Kozieł Quartet(P146-1)

S:これはショパンのめずらしい「17の歌曲集」という作品集からの「春」という曲のカヴァーです。現地の人にかかればこういうアレンジになっちゃうんですね、クラシックも。中盤のスロヴァキアのピアニスト、ミハル・ヴァニョウチェクのソロも切れ味がすばらしいです。

H:おお、確かに現地の人にかかれば、ですね。メロディが一度、身体の中に沁み込んでから、外に出ているのでしょうか。ソロもカッコイイです!


Hej,od Krakowa jadę / Marcin Olak Trio(P144-1)

S:ポーランドの現代音楽作曲家ルトスワフスキの「弦楽のための5つの小品」からの1曲です。演奏しているのは、僕が勝手に「ポーランドの藤本一馬トリオ」と呼んでるマルチン・オラクのトリオ。中欧は現代音楽の先進地域ですが、土壌が豊かだとこういうオーガニックなカヴァーも生まれてきます。ブラジルのギンガとかがお好きな方にもオススメです。現代音楽についてはStep3で「ジャケ買い現代音楽」(笑)という形でとりあげたかったのですが、見送りました。

H:なるほど、ポーランドの藤本一馬トリオですか。ギターが好きでギンガが好きな人という一定のジャンルの人たちがいますが、確実に受けそうです!


S:【Step5 中欧は世界の中心?】
これは最初から決めていたチャプターで、中欧のミュージシャンって実はけっこういろんなところに顔を出していて世界とつながっているんだ、と知っていただきたくて。でも情報もない状態でそのことがわかるまでには時間がかかるので、本で先に教えちゃおう!という感じです。


Under A White Tree / Mariia Graievska & Ethno Jazz Synthesis(P161-1)

S:これはウクライナの女性ヴォーカリストのアルバムからです。バックのギタートリオが全員ポーランド人で、歌っているのはみんなウクライナ民謡です。中欧や東欧はヘヴィメタとかパンクなんかもかなり盛んで、そうしたバックグラウンドが音にもにじみ出ていますね。アジアで言ったら韓国の民謡歌手と日本のメタルグループが一緒にジャズやっているような感じですかねー。

H:韓国の民謡歌手と日本のメタルグループが一緒にジャズ、すごくわかりやすい表現です。そう考えると、あのあたりのヨーロッパの人たちは横で繋がるのがアジアより簡単なんですね。羨ましいです。スキャットが可愛い...


Dry Cleaner From Des Moines / Monika Borzym(P171-2)

S:これはポーランド人ヴォーカリストのデビュー作からジョニ・ミッチェル曲のカヴァーなんですが、プロデュースがマット・ピアソンで、アーロン・パークス、ラリー・グレナディア、エリック・ハーランド、ギル・ゴールドスタインといったアメリカのジャズの最先端のミュージシャンが全面参加しているすごい作品なんですね。音楽留学でアメリカシーンとの人脈を作るというのが最近の主流だと思うのですが、それにしてもこの豪華さは並大抵の実力ではないです。こういうつながりを見ると、結局アメリカとヨーロッパも対立軸ではなくて、世界音楽というものすごく大きな流れの一部分なんだなと強く感じます。

H:すごい。確かに豪華ですね。やっぱり世界が小さくなってきてるんですね。いやあ、でもカッコイイです!


S:いかがでしたか。自分がレヴューを担当したものに限ってもこれだけヴァラエティ豊かなものが紹介できたので、本全体ではほんとうにたくさんのつながりや出会いが生まれると思います。「音の中欧旅行」をぜひ楽しんでください。本書はあなたの旅にお供するガイドブックです。

白尾さん、お忙しいところどうもありがとうございました。
みなさまも是非、『中央ヨーロッパ 現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド (ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの新しいグルーヴを探して)』チェックしてみてくださいね。

2015年が始まりましたね。
今年も良い音楽に出会えると良いですね。今年もよろしくお願いいたします。

bar bossa 林伸次


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【オラシオ監修 中央ヨーロッパ 現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド】

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白尾嘉規(オラシオ)
1974年神戸生まれ大阪育ち。現在青森市在住。 おもにポーランドをメインフィールドとする音楽ライター。DJ・選曲家。disk union発の現代ポーランドジャズ専門レーベルCześć ! Records チェシチ!レコーズ監修。 ライナー執筆のほか、ジャズ批評、CDジャーナル、intoxicate、会員制季刊俳誌『白茅』、 ポーランド映画祭パンフレットなどさまざまな媒体に記事を寄稿。Twitterアカウント:@poljazzwriter。Facebookページ「ポーランドジャズのはじめの一歩」運営。

●BLOG→ http://ameblo.jp/joszynoriszyrao/
●twitter→ https://twitter.com/poljazzwriter
●facebook(ポーランドジャズのはじめの一歩)→ https://www.facebook.com/Polajazz


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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由

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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
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bar bossa vol.40:bar bossa

bar bossa


vol.40 - お客様:中村信彦&真理子さん(ハンモック・カフェ)
「13年間のカフェでの人と音楽の出逢いがもたらしてくれた曲」



いらっしゃいませ。

bar bossaへようこそ。

今回は姫路のハンモック・カフェの中村信彦&真理子ご夫妻をお迎えしました。

林:いらっしゃいませ。

中村信彦(以下 信彦):こんばんは。
中村真理子(以下 真理子):こんばんは。

林:さて、さっそくですがお飲物をうかがっていいでしょうか。

信彦:はじめてbar bossaさんに訪れたのは2007年でした。その時は確かアルザスの白ワインだったかと思うのですが、今日のおすすめの白ワインをお願いします。

真理子:わたしは、じんわり系の白ワインをください。

林:かしこまりました。では信彦さんにはアルザスのエデルツウィッカーにしますね。エデルツウィッカーってアルザスのいろんな品種が混じったワインで、現地ではカジュアルなデイリー・ワインってイメージもあるんですけど、このAimestentzのは高級感もあって美味しいんです。あと真理子さんにはじんわり系だとちょっと面白いのがありまして、ハンガリーのパンノンハラミというワインなんですけど。

二人:いただきます。

林:小さい頃の音楽体験なんかを教えてもらえますか?

信彦:実家が車海老の養殖場と旧車のレストア工場を営んでいて、音楽とは関係のない環境ではあったのですが、父がオーディオが好きでLAXKITの真空管アンプやオープンリールなど多くのオーディオ機材に囲まれた居間がありました。しかし興味が湧いた頃にはほとんど作動しなかったのですが、小学校から帰ると実家の手伝いをしてから夜にオーディオを分解して修理することが楽しみでした。そしてターンテーブルが動くようになって始めて聴いたのがビートルズの赤盤で、「In My Life」のメロディに胸を締め付けられことをよく覚えています。

林:なるほど。機械好きなのはお父さんの遺伝ですか。

信彦:それから音楽を選曲することにはまってしまい小学校では放送部に入って昼休みの時間に「In My Life」をよく流してました。

林:小学生の時にDJ体験! 初めて買ったCDは?

信彦:はじめて自分で買ったシングルCDは確かチャゲ&飛鳥の「Yah Yah Yah」だったかと思いますが、こっそり学校に持って行って屋上でCDの交換をするのが友人たちの間で流行っていて、その時にちょうど朝ドラの主題歌だったドリカムの「晴れたらいいね」と交換してもらいそっちをずっと聴いていました。

林:チャゲ&飛鳥、ドリカム、正しいですねえ。中学になってはどうでしょうか?

信彦:中学になってからはほとんどビートルズしか聴いていなくて、親のジャケットと革靴をはいて、エレキギターを始めるのですが指が短いことを理由にすぐにやめてしまい、実際は弾き方が悪いだけなんですが...。歌詞だけでも覚えようと友人とカラオケに行ってもビートルズを歌い、いつも盛り上がっている場面を壊してましたね(笑)

林:(笑)

信彦:高校に入ると「UKが好きなんやったら家に来いよ」と友人に薦めてもらったのがOasisでちょうどブリットポップ全盛期にあたり、その友人の家ではケーブルテレビでスペスシャワーTVが観れたので夢中になって観ていました。それからBlurやOcean Colour Scene、Suede、The Charlatansなど良く聴いていました。

林:正に王道ですね。

信彦:インスト音楽との出会いは、親のCD棚にGeorge WinstonのAutumnを見つけてピアノの聡明な美しさに胸を打たれ、George WinstonはFM局にリクエスト曲としてよくFAXしていた思い出があります。ちょうど同時期に弟がドラムを始めたので、バンドがリハーサルができる場所をと思い、実家の養殖場の小屋の一室に防音室を作りました。防音室と言えるほどでもなかったのですが、お金がないなりに材料を集めて空間を作ることは楽しかったですね。しかしながら、数年後に養殖場と併設したレストア工場が原因不明の火事に遭って、楽器も防音室も全て燃えてしまい意気消沈...、以降もっぱらライヴを観る側になりました。

林:スタジオを自作! なんでも作っちゃうんですね。そして火事ですか... 真理子さんはどうでしたか?

真理子:中学の時友達と一緒に始めて行ったライヴがTHE BLUE HEARTSでした。学校に備え付けの電話からチケット予約開始時間をねらってドキドキしながら予約したのを今思い出しました。かなり心酔して思春期真っ只中の初恋とも記憶がかぶります。失恋に終りましたけど初恋はそれでよかったんですよね、きっと。同じ部屋だった年子の姉がBOØWYの氷室京介ファンで必然的に耳にして、5歳離れた兄の部屋からは洋楽の女性ヴォーカルがよく聴こえていました。

林:初ライブがブルーハーツで、お姉さんがボウイ好きで、お兄さんが洋楽ファン。本当に正しい中学生です。そしてお二人のその後は?

信彦:空間を作ることに興味が湧き始め、少し音楽から離れてインテリアと家具を勉強し、実家の影響でカーデザイナーを目指し神戸芸術工科大学のプロダクトデザイン科に進むのですが、自分の技量の無さに挫折してしまい中退。本当の自分は何がしたいのだろうと回想していると、小さいころ寝つけなかった僕を祖父が深夜に連れ出してくれて喫茶店に連れ出してくれたことを思い出します。憧れていたのは静かにジャズが流れる空間で一杯ずつ珈琲を淹れるマスターだと自身に言い聞かせて喫茶店を巡り、飲食店を転々とアルバイトする日々でした。そしてその頃、真理子と出会います。

林:おお、運命が転がり始めましたね。真理子さんは?

真理子:短大の住環境学部に進学し、漠然とインテリアに興味があったので将来は住居系の仕事に就けたらと考えていました。学部の中で家庭科の教員免許を取るための授業がいくつかあり、いちおうと思い栄養調理系と服飾系の講義と実習もサブ的に受けていて、内向的に没頭して制作することが性に合っていると感じました。聴いていた音楽としては90年前後の癒し系へとシフトしていき、Des'ree、The Cardigans、Savage Garden、Enya、とポップスとバラード系を聴いてました。学校帰りにタワーレコードに立ち寄ってPOPを読んで試聴やジャケ買いだったり、友達やバイト先の年上の方に教えてもらったりです、いたって普通ですね...、すみません(笑)。

林:いえいえ。お店を始める上で「普通の感覚」って大切だと思います。

真理子:卒業後は、某メーカーのショールームに就職しシステムキッチンのプラン・提案から、場合によっては現場打ち合わせ、引き渡しまで関わらせてもらいました。OL生活は社交的で忙しく充実していたのですが、料理歴が少ない立場で使い勝手など提案するということに違和感を持ち始めて、面白さはこれからというのに4年ほどで退職し、調理ができる職場を探しました。飲食店への転職を親には心配されましたが、自分らしい何かを作りストレートに表現する生活がしたかったんでしょうね。

林:お二人ともインテリアや箱作りの世界から飲食業界へと入ったんですね。そしてお二人のその後が気になりますが。

真理子:同じ飲食店の職場仲間でしたが、当時一人暮らしをしていたわたしの愛車が、夜間車上荒らしに遭い修理にお願いしたのが信彦の父のレストア工場でした。そこで修理のためのやり取りで初めて姫路・的形へ訪れました。かれこれ13年半ほど前のことです。潮の香り漂う小さな港町で、小山に囲まれ空気が澄み、聞けばかつては塩田が広がる塩作りの名所だったそうです。それから何日たっても的形の青い風景とそこで生き生きと働く姿が忘れられませんでした。

信彦:そうだ、当時まだ年上の先輩のような間柄だったのですが電話がかかってきてすぐに向かいました。その時自分にできることは修理しかないと思って、それ以降メインテナンスも担当し、今でもその車は乗り続けています。その事件があってからというもの真理子とよく話をするようになり、互いにこれから先やりたい事っていうのが、「いつかは自分の店を開きたい」という事だったのです。そして一緒にカフェをしようと思い立ってからというもの、話し合う時間を多くするため、半年後に入籍しました。生まれ育った地で夫婦でカフェを営むことを理想としていたのですが、まだ当時20歳ほどの僕は貯金がなく、実家の一室を借りて二人で生活し、アルバイトを掛け持ちして、材料を購入しては約1年半かけてコンテナを改造し、家族や友人と自分たちの手で店を作り上げていきました。真理子には苦労をかけましたね。

林:車の修理からの関係ですか。「困ったときに助ける→恋愛」というこれまた王道ですね。結婚やお店の場所とかで色々と考えることはありましたか?

真理子:結婚...これまた親に反対されましたが(笑)、今の場所での季節の風景や食材からインスピレーションを受けて、食の流行や情報に流されずにやっていきたかったんですね。今では温かく見守ってくれているわけですけど、最初の5年はこの場所での営業に引け目を感じながら、ふたりでイタリアへ行き現地のカフェ巡りも経て何がいいのか模索の日々でしたね(笑)。これまで抱いていた憧れの存在の方々と出逢えた7年目あたりからでしょうか...。今のように小さいながらも自家焙煎コーヒーと料理やスイーツに、自家採取酵母パン作りと独学ですが広がっていき、自然と好きな味がつながっていく感じになっていきました。

林:なるほど。

真理子:街なかにあるカフェと違って、お客さまはハシゴしづらいのでトータルで楽しめるメニュー構成にもしたくて、わたしたちふたりが分担して作るテイストがひとつのハンモックらしさになればと、ケーキ屋、珈琲屋という専門店のイメージではなくケーキに合う珈琲であったり、ワインと料理、食後の珈琲だったりですね。BGMも含めて窓越しの風景にも季節を感じたり、モノではなくコトを提供するってことでしょうか。まだその理想を追いかけている最中ですけどね。聴く音楽に対しても感覚的に同じ延長線上にありますが、学生時代と変わったのは同じような感覚の人との出会いの数で、信頼する方の選曲や情報を教えてもらったりすることでの影響も大きいですね。

信彦:そうだね。2010年に吉本宏さんに教えてもらったアルゼンチン音楽家カルロス・アギーレをはじめとする音楽の影響でアルゼンチン料理にも興味が湧いて、現地にも二度旅し、自分たちのヴィジョンの広がりを感じました。いつも出会いから日々探求することの大切さを学んでいるような気がします。

林:東京とか大阪とかをあまり意識しないで、直接、イタリアやアルゼンチンに行ってしまう感じがお二人の感性を瑞々しくしているような気がします。ところでみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなるとお考えでしょうか。

真理子:こんな自分が言うのもおこがましい気もするんですが...、。いま音楽家もリスナーも媒体となり発信できる時代ですので音楽哲学を持った人たちとそのスピリットに共感するコミュニティが、人と音楽を繋げて動かしていくと思います。どんな職業や立場(音楽業界の方であってもそうでない方)であっても、音楽に対する個々の熱意が散らばり、小さくても誰かがその熱意を感じとって混沌とした次代だからこそ純粋な作用が起きることもあると思います。そんな中でシンパシーを感じる人と繋がっていると自分に合った音楽との関わりも出来ますよね。音楽へ求めるものや目的が多様化していますし、たとえば圧縮音源の配信やダウンロードで満足する人もいれば、きめ細かな音のハイレゾ音源を求めたり、一方でアナログ音源で新録を限定枚数リリースというのも個人的には興味あったりします。

林:アナログは今すごくのびてますよね。

真理子:CDにしてもパッケージやライナーノーツを通じて作品の理解を深める愛好家や、また別の意味で時々目と手に触れることによって、なにか音楽が、共に歩む人生の友のように心に寄り添って大切なことを諭してくれるように思うんです。たとえ聴くタイミングがなくても。たとえば、民芸や骨董のように作り手の精神や魂が表に現れている佳い作品を収集する方もいるように、音楽も少数派であるかもしれないけれどそういった作品を求めたり、そのクオリティに気付く人は気付いて裸の耳で感じて買いたくなるのは自然な欲求ですよね。ふとした瞬間に好みの音楽を買える場所や、その内容の感想を分かち合う場所が小さくとも街に残ってほしいですね。人と音楽が繋がるにはフィットした情報や体験、ライフスタイルを通してのセレクトなど、人と空間が繋がって音楽に安心感と豊かさがプラスされるという、ある意味、販売者もリスナーも共に作品を育む感覚でしょうか。そんな余地が人を動かすような気がします。

林:なるほど。

信彦:小さなカフェからの視点になるのですが、CDを店頭で販売していて感じるのは、純粋な心で聴く音楽ファンは増えていくんじゃないかなとも思っています。以前ハンモックカフェでCDコンサートを開催したことがあったのですが、その時に高校生の男の子が来てくれて、「前に買ったアルゼンチン音楽よかった!」とお薦めコンピレーションを喜んでくれたり、あるランチタイムに来て下さった母娘では、お母さんはおそらく70歳くらいだったかと思いますが、「今かかっているピアノの曲は販売していますか?」と尋ねられ娘さんからは「お母さんがCDを買いたいと言ったのは初めてなんです」とおっしゃられました。

林:良いお話ですね。

信彦:地方にいると購入するきっかけがないだけで、カフェや美容院などある程度時間を過ごせる空間で素敵な音楽がかかっていると持って帰りたくなるのだと思います。そういったCDショップに行かなくても買えるような場所が増えれば音楽ソフトの行方も変わってくるのではないでしょうか。音楽配信として高音質のハイレゾは近い将来もっと手軽に聴かれるようになりひとつの基準になるでしょうし音楽ソフトが無くなる可能性もあるかもしれませんが、求める方々がいる限り小ロットでも形として作り続けることが重要なのではないかなと思っています。
パッケージを手にした時の触感やその時の心境、記憶を手繰り寄せてくれるまさに"アルバム"なのですから。カルロス・アギーレさんの言葉なのですが「パッケージはとても大切で音楽が住む家なんだ。」とおっしゃっていたことが今も胸に残っています。それからパッケージ音楽として価値もあらためて考えるようになり、ハンモックレーベルとしての最初の作品は視点を少し変えた形で飾れるように自立するパッケージにもなっています。

林:カルロス・アギーレの「音楽が住む家」って良い言葉ですね。さて、ハンモックレーベルの話が出てきたところで、レーベルについてのお話をお願いできますか。

信彦:音楽は数を持っているよりも一つの音楽にどれだけの想いが詰まっているかが大切だと感じています。今リリースさせていただいた音楽を継続して紹介・販売し、いかに裾野を広げて行けるかを重きを置いていきたいです。レーベルのコンセプトの一つとして何かを始めようと志している方の糧になるような、クリエイティヴな気持ちになれるよう願いも込めて制作しています。聴いた人たちの心のライブラリーにアーカイヴされていくような作品をリリースできればと思っています。

真理子:カフェの営業日は、12時間ほどずっと音楽をかけて聴きながら何かしています。わたしの場合はWeb更新やメールなどもありますがほとんど厨房仕事ですので、BGM用のCD/LP選盤は信彦が大抵してくれてブラインドで音楽が耳に入ってき、仕事の手が止まるほど感動してしまったり、逆にBGMとして違和感を持つこともあったり、その都度互いの好きな音楽についてよく話します。それが飲食の目的で来られたお客さんに与える影響だったり、CDとして販売できるのならその良さをどうやったらお伝えできるかな、とか。カフェがレーベルを始める意味は、そんなリスナー感覚を持ちながら、音楽への造詣が深い方にも聴いて頂けるような制作をしていくことだと思っています。音楽家どうしがインスピレーションを受けて新しい音楽が生まれたり、そんな音楽の出逢いや誕生に関われたら、と考えています。生身の人間の生きた音楽を感じとっていただいたく機会を企画するのも意義あることですし、ライヴ会場では人や環境の相互作用によって奇跡的なエネルギーが湧き出たり、それがよきスパイラルとなっていくことがいま思う目標です。ライヴに限らず、リリースする作品に対してもそうですね。

林:お二人の気持ち、より多くの方に届くと良いですね。それでは選曲の方に移りましょうか。まずテーマですが。

お二人:はい。テーマは「13年間のカフェでの人と音楽の出逢いがもたらしてくれた曲」です。

林:出逢いですか、お二人らしいテーマですね。一曲目は?


1.Ennio Morricone - Metti Una Sera a Cena

信彦:2001年開業前にニューヨークを旅し、小さなレコードショップでCDやレコードを買ってきたのですが、その中の1枚であるエンニオ・モリコーネのイタリアン・サントラ「ある夕食のテーブル」。それからこの曲のカヴァーを数種類集めるようになって、特にNora Orlandiが歌うカヴァーが一番のお気に入り。

林:うわ、良い曲ですねえ。一曲をキーワードにしてカヴァーしているアルバムを集めるのって楽しいですよね。


2.ALDEMARO ROMERO Y SU ONDA NUEVA - ESE MAR ES MIO

信彦:2003年あたり、店での音楽イベントやクラブでラウンジDJをしていました。音楽の世界旅行をテーマにしたアナログオンリーのイベント「HUMMOCK Trip」を開催し、笑顔あふれるシーンの曲。

林:この辺りがお得意なんですね。音楽の世界旅行、信彦さんらしい世界観ですね。次が気になって来ました。


3.Armando Trovajoli - Dramma delle Gelosia

信彦:イタリア音楽繋がりで、吉本宏さんと出会い、吉本さんがDJイベントで選曲されていたこの曲。音楽の多幸感を浴びました。色褪せない名曲です。2005年のことです。

林:こういうロマンティックなアレンジってイタリア人ならではですよね。吉本さんの名前が出て来ましたね。次は誰が出てくるのでしょうか。


4. 高橋ピエール「タイトルのない曲」

信彦:2005年3周年として初めて開催したライヴのアーティスト。ギタリスト高橋ピエールさんを招待しました。当日のライヴでは、アルマンド・トロヴァヨーリの「女性上位時代」や、カエターノ・ヴェローゾの「コラソン・ヴァガボンド」など、ちょうど霧雨が降って幻想的な夜になったことを覚えています。

林:お、高橋さんですか。独特のオリジナルな世界を持った人ですよね。素敵な演奏です。さて次は?


5.Pat Metheny Group - "San Lorenzo" (1977)

信彦:音楽好きのお客さんからの「これ、好きだと思いますよ」とお薦めされた曲。これを機にインスト音楽に深く興味が湧きだし、独特の浮遊感が目の前の情景と重なり耳を傾けていました。2006年あたりのこと。

林:お客さまに音楽をすすめられて「ぴったり」だった時ってすごく嬉しいですよね。これすすめるお客さまがいるハンモックさんも素敵ですね。


6.Carlos "Negro" Aguirre, Interpreta 'Pasarero' en el acto por los 40 años de la UNER

真理子:2010年、現代アルゼンチン音楽に傾倒するきっかけになった1曲。「過ぎゆくもの」という意味のタイトルPasarero。「川は流れていくのもので、人々の苦悩も過ぎゆき、希望をのせる理想的な乗り物」という歌詞から感銘を受け、以後アルゼンチンへと足を運ぶことにもなりました。

林:お、こんな映像があるんですね。良い曲ですよねえ。次はどうでしょうか。


7.中島ノブユキ 『メランコリア』

信彦:2010年、中島ノブユキさんのピアノコンサートのお話をいただき、当時ピアノがなかったのですが物理的な理由でお断りしたくなかったので探し求めた末、ピアノを購入するというきっかけになりました。以降、国内外の素晴らしいピアニストに弾いて頂いています。

林:え、中島さんのためにピアノ買ったんですか。すごいですね... 


8.Guillermo Rizzotto / Y se escucha el rio

信彦:この映像は彼に会いに行った旅でのライヴ会場にてデジタルカメラで撮影したものです。2012年アルゼンチン・ロサリオでの感動の初対面。

林:え、これご自信が撮影したんですか。音がすごく綺麗に録れてますね。演奏も美しいです。ため息ですね。


9.Luz de Agua rosa y dorada

真理子:2012年アルゼンチンの旅にてギジェルモ・リソットと会った数日後に訪れたパラナーにて奇跡的にメンバー3人が集まった場に居合わせました。「本国内でも演奏する機会が少なく、ジャンルに属さない彼らの音楽は知る人ぞ知る存在だ。日本で演奏するべきだ。」と、その場に招待してくれたキケ・シネシとカルロス・アギーレが語ってくれました。日本での生演奏をいつか観てみたいです。

林:日本のアルゼンチン音楽ファンのテーマ曲みたいな存在の曲ですよね。映像が美しいですね。アルゼンチンってこんな感じなんですね。さて最後の曲になりましたが。


10.Kazuma Fujimoto / Shikou Ito "Wavenir"

真理子:最後に、ハンモックレーベルからの紹介をさせてくださいね。これまでの出逢いや感動から、胸が熱くなった音楽に対して出来ることは何か..。リスナー感覚でカフェを営みながら、2014年9月レーベル始動した第一弾作品。ギタリスト藤本一馬とピアニスト伊藤志宏のデュオアルバム。作曲家でもあるふたりが描く"音の対話"に心の想い重なります。

林:「ふたりが描く"音の対話"に心の想い重なります」という言葉が全てを表しているような気がします。たくさんの人に届くと良いですね。


中村ご夫妻、お忙しいところどうもありがとうございました。みなさんも姫路に行かれたときには是非お立ち寄り下さい。そしてCDも是非"買って"下さいね。


●HUMMOCK Cafe HP→ http://hummock.blogspot.jp/
●facebook→ https://www.facebook.com/HUMMOCKCafe
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さて、今年ももうあとわずかになりましたね。今年はどんな音楽に出会えましたか? 
来年も良い音楽に出会えると良いですね。良いお年をお迎え下さい。それではまたこちらのお店でお待ちしております。

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bar bossa vol.39:bar bossa

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vol.39 - お客様:岩間洋介さん(フィンランド・カフェ moi)
「真ん中よりも、ちょっと外れたところにいたいひとのための10曲」



いらっしゃいませ。

bar bossaへようこそ。

今月は吉祥寺のフィンランド・カフェ、モイのマスター、岩間洋介さんをゲストに迎えました。

林(以下H)「こんばんは。」

岩間(以下I)「こんばんは。ラムトニックを、薄めでお願いします。」

H「懐かしい注文ですね。岩間さんがお店を始める前は、仕事帰りによくbar bossaに立ち寄ってくれて、この薄めのラムトニックを作ってました。さてさて、お生まれは東京ですよね。」

I「はい。1966年東京生まれ、魚座の一人っ子です。典型的な『昭和の団地っ子』として、会社員の父親と専業主婦の母親のもとで育ちました。両親ともに音楽を楽しむ趣味は持ち合わせていなかったので、おもにテレビやラジオを介して、ひとりで、音楽と出会い、自分なりの世界を広げていったという感じです。」

H「1966年、僕の兄と同い年ですね。音楽は自分なりの世界を広げたということですが」

I「まず最初に夢中になったのはクラシックでした。きっかけは、小学生のときテレビでやっていた『オーケストラがやって来た』という音楽番組。出演していた指揮者の小澤征爾が、とにかくカッコよかった。長髪を振り乱し、変なネックレスをじゃらじゃらぶら下げて、しかも奥さんはハーフのモデルで...... これはもう、指揮者になるしかない!! とすぐさま銀座の山野楽器まで指揮棒を買いに走りました(笑)。楽器はおろか、楽譜すらまともに読めなかったのですが(笑)。」

H「指揮棒、買っちゃいましたか...」

I「当然、初めて買ったレコードもクラシック。アバド指揮ロンドン交響楽団の『ロッシーニ序曲集』でした。団地内にあった『十字屋』というレコードショップで買ったのですが、ジャケットを見るといまでもそのときの光景がよみがえります。ダウンロードだとこうはいきません。でも、じつは当時いちばん好きだったのはオーケストラのチューニングの音でした。あの混沌とした響きを聴くと、なんだか気持ちがザワザワして鳥肌が立つんです(笑)。ずいぶん馴れましたけど、いまでもそれは変わらないですね。」

H「中学生以降はどうでしょうか?」

I「中学から高校の前半までは、とにかく『佐野元春』でした。ちょうどフォークからニューミュージックへ邦楽の主流が移り変わろうという時期で、YMOの登場もその頃です。そんなとき、自動車のCMに使われていた『Catch Your Way』という曲で杉真理(すぎまさみち)を知ります。聴いた瞬間『これだ!!』と思い、すぐ『十字屋』へと走ったのですが、ぜんぜん見つからなくて...... もしやと思い覗いてみたら、案の定『女性ポップスさ行』のコーナーに紛れていました(笑)。『ナイアガラトライアングルVOL.2』の2年くらい前のことです。そうして、杉真理の周辺をいろいろ聴いてゆくなかで『発見』したのが佐野元春でした。」

H「佐野元春!」

I「人工的な光とコンクリートの建物に囲まれて育った東京の団地っ子にとって、佐野元春の音楽、とりわけ詞の世界はリアルとはいわないまでも、じゅうぶん共感できるものでした。音楽を聴いてそんなふうに感じたのは初めてのことだったので、いっぺんで引き込まれてしまったんです。友人と、都内や横浜でのライブは片っ端から行きましたし、ビートニクに興味を抱いてアレン・ギンズバーグの詩集を買ったりとライフスタイル全般に影響を受けました。それほど強い影響を受けたにもかかわらず、1983年、NYに彼が旅立つ直前におこなわれた中野サンプラザでのライブを最後に、少しずつ聴かなくなっていきました。嫌いになったわけではまったくなくて、もう十分沢山の宝物を貰ったので『卒業』したという感じなんだと思います。当時『ロックステディ』という邦楽の専門誌があって、『徹底研究』という特集企画がウリだったのですが、そのおかげでシュガーベイブやはっぴいえんどのような過去のバンドまで聴いていましたね。」

H「え、僕もその辺りが大好きだったのですが、岩間さんとそんな話、全然しませんでしたね... 他の音楽は?」

I「併行して、少しずつ洋楽も聴き始めていました。とはいえ、時代は『ベストヒットUSA』や『ビルボードTOP40』の全盛期、同時代の音楽にはまったく興味が持てなくて、NHK-FMで平日の夕方にやっていたオールディーズの番組ばかり聴いていました。当時はまだ『ソフトロック』とか『ガレージロック』といった便利な用語はなく、50年代~60年代あたりの音楽はすべてひっくるめて『オールディーズ』と呼ばれていたんです。モータウン、フィル・スペクター、A&M、フォークロック、サイケ...... いまにして思えば『闇鍋』のような番組でしたが、体系的にではなく、直観でおいしそうなものをつまみ食いするような聴き方が性に合っていた気がします。」

H「岩間さん、聴き方が本当に曲がってなくて正しいですねえ。」

I「そんなある日、突然『黒の時代』がやってきます(笑)。高3のとき、ラジオから流れるザ・スミスの『Reel Around The Fountain』を聴いて衝撃を受けました。『公共の電波にこんな覇気のない歌声を流していいのか!!すばらしい!!何者だ!!』というワケです(笑)。日本のテレビやラジオが取り上げないだけで、どうやらイギリスにはもっとすごい音楽がたくさんあるらしい。こうして、雑誌『フールズメイト』(ときには『DOLL』)を熟読し、西新宿~渋谷界隈の輸入レコードショップに足しげく通う日々が始まりました。そして、身につける洋服もどんどん黒くなっていきます(笑)。」

H「え、岩間さんってフールズメイト体験してたんですか。今からは想像できないですね。こういうのって本当に本人から聞かないとわかんないです... そして高校を卒業するわけですが。」

I「浪人~大学の半ばまでは、NW(ニューウェイブ)、まあ、いまでいうところのインディーズですが、にどっぷりはまっていました。よく行ったレコードショップは、西新宿の『UK EDISON』、それに代々木のボロい木造アパートの一室にあった『イースタンワークス』。ここは『フールズメイト』の編集部の人たちがやっていた店で、後の『CSV渋谷』の前身です。ところで、ひとつはっきりさせておきたいのですが(笑)、80年代のNWとは音楽限定のムーブメントではありませんでした。映画や美術、文学、思想、ファッションを含め、商業ベースに(あえて)のらないもの、無視されているものに対する総称としてそう呼ばれていたに過ぎません。極端な話、初対面のひとでも、そのひとのファッションを見れば、どんな音楽を聴き、どんな本や映画を好むのか瞬時に理解できました。『スタイル』というか、あの時代、NWって『意思表明』だったんです。そんなぼくがNWを『卒業』することになったきっかけは、ひとつはシスターズ・オブ・マーシーという最愛のバンドが来日を目前にして解散してしまったこと、そしてもうひとつは、87年くらいからインディーレーベルがどんどん大資本に吸収されて生気を失っていってしまったことが挙げられます。『詰んだ』という感じ。反動で、その後数年はひたすらクラシックばかり聴いていました。」

H「商業ベースにあえてのらないもの、なんですよね。わかります。」

I「教員になるような器ではなかったので、大学院を出て2年弱フリーターのようなことをやりながらオーケストラの事務局や音楽事務所で仕事をするチャンスを窺っていました。世の中には、なにか熱中できる対象をみつけたとき、趣味として一生楽しくつきあう道を選択するひとと、仕事として深く関わらずにはいられないひととがいます。どちらがよいとかわるいといった話ではないのですが、僕は常に後者なんです。そうして、渋谷にある『Bunkamura』という複合文化施設に就職し、都合8年、企画運営部というところで仕事をしていました。劇場で働いて初めてわかったことなのですが、劇場って、舞台にも客席にも誰もいないと本当につまらない、ただの『箱』でしかないんですよ。そこが、以前コンサートや芝居で自分が感激したのと同じ空間だなんてちょっと信じられないくらいに。つまり自分がずっとやりたかったことは、規模の大小ではなく、そのつまらないただの『箱』を特別な何かで満たすことなんだ、と気づきます。ちょうどそんなとき、友人から頼まれて『アメリカンブックジャム』という雑誌のイベントを手伝うようになりました。最初はポエトリーリーディングがメインだったのですが、渋谷エフエムで『Everybody Knows?』という番組をやっていた田仲君、東君と知り合ったのを機に、ひとつのキーワードを音楽・言葉・映像によって融合させるような実験的なイベント『Travelin' Word』をスタートしました。『Bunakmura』ではやらせてもらえない鬱憤を、そこで晴らしていたようなところはありますね。『bar bossa』さんや『Cafe Vivement Dimanche』さんにお邪魔するようになったのもそのころです。どこにも似ていない、世界にひとつだけの空間をこんなふうに個人でつくってしまった人たちがいる。驚きました。いつか自分もこういう場所をつくってみたい、そんなことをぼんやり考えるようになりました。」

H「『箱』を特別な何かで満たすこと! 岩間さん、すごい言葉が出て来ました。」

I「同じころ、ぼくが渋谷の『Bunkamura』で働いていた頃は、まさに『渋谷系』の全盛期でした。当時、会社の目と鼻の先にHMVがあって、その1Fの一角に面白いCDやミックステープを扱っているコーナーをみつけました。『渋谷系』発祥の地(?)とされる伝説の(?)『太田コーナー』です。邦楽も洋楽も、時代も関係なく、ただ自分の感覚という「ものさし」だけを頼りに音楽を串刺ししてゆく『渋谷系』の流儀に、ずっと無意識のうちにやってきた自分の音楽との付き合い方と共通の匂いを感じ取りました。あと、『渋谷系』にはバカラックやロジャニコ、いわゆるソフトロックの再発見、再評価という側面があると思うのですが、これは『渋谷系』の中心人物たちがぼくとほぼ同世代、つまり幼い頃、テレビやラジオを通してそうした音楽をいわば『子守唄』のようにして育った世代ということが大きいと思います。その後しばらくどっぷり浸かることになるボサノヴァをはじめとしたブラジル音楽を聴くようになったのも同時期で、エリス・レジーナの『In London』とか、やはりきっかけは『太田コーナー』でしたね。」

H「そして渋谷系。岩間さん、東京の文科系男子のまさに王道を歩いてますね。ではそろそろモイさんへのお話を教えていただけますでしょうか。」

I「北欧との出会いはやはり90年代半ば、家具や建築デザイン、そしてスウェディッシュポップスを通してでした。初めてカーディガンズやクラウドベリージャムを聴いたとき、『まだこんな(80年代のNWのような)音楽をやっている連中がいるのか!』と仰天したのを憶えています。父が何十年もデンマーク人と文通していて、幼い頃からよく話を聞かされたりしていたのでなんとなく北欧に対する親しみはありましたね。とりあえず、こんな音楽や家具をつくる人たちが暮らす国をこの目で見てみたい、そう思ってフィンランドへ行ったのが1999年のことです。フィンランドを選んだのは、建築家のアルヴァー・アールトやデザイナーのカイ・フランクの作品にもっとも惹かれていたからです。実際ににフィンランドに行ってみて、日本の古き良き喫茶店文化を、北欧、とりわけフィンランドのデザインというをフィルターを通して表現したら他にない空間ができるかもしれないと感じました。一度、そう思ってしまったが最後、もういてもたってもいられない。2001年に『Bunkamura』を退職し、2002年、荻窪に6坪弱のちいさなカフェ『moi』をオープンしました。ぼくが『Bunkamura』をやめて『moi』を始めたことは、周囲の目には奇異なことのように映ったみたいでいろいろなことを言われました。でも、ぼく自身の中では、それはどちらも『箱』をつくり、育てる仕事という点で同じだと思っていたし、実際、劇場の運営や企画に携わっていたころに学んだことはいまも役立っています。2002年というタイミングはちょうど雑誌などがこぞって『北欧』を取り上げ始めたころでしたが、まだ世間一般の認知度は低く、お客様から『なぜ北欧なの?』と怪訝な表情で尋ねられたり、『フィンランド』ではなく『フィリピン』と間違えられたり、店名を見てフランス人が入ってきたりしました(笑)。」

H「(笑)。あ、やっぱりそういうフランス人いるんですね。ちなみにどうして荻窪と吉祥寺だったんでしょうか?」

I「中央線の沿線は、当時からじつは北欧文化となじみのあるエリアでした。中野に『スオミ教会』が、高円寺にフィンランド人専用の下宿『ネコタロ』が、阿佐ヶ谷には当時『ミナ・ペルホネン』の皆川明さんのアトリエが、西荻窪にはかつてスウェーデン料理の『リラ・ダーラナ』が、そして吉祥寺にはやはりスウェーデン料理の老舗『ガムラスタン』がありました。昔からこだわりのある人が多く暮らし、北欧文化にも理解が深そうな場所ということで荻窪で5年半、その後、縁があって吉祥寺に移転します。そこそこ都会でありながら生活の匂いがあり、水と緑(井の頭公園)がある吉祥寺を、あるお客様は『海のないヘルシンキ』などと呼んでいますが(笑)、じっさい、そうしようと思えば、東京にいながらにしてフィンランドのようなペースで過ごせるのが吉祥寺という土地だと思っています。」

H「なるほどなるほど。今でこそモイさんは吉祥寺というイメージですが、そういうことなんですね。さて、これはみんなに質問していることなのですが、これから音楽はどうなっていくと思いますか?」

I「『なるようにしかならない』のではないでしょうか? 音楽をやりたいひとがいて、聴きたいひとがいる。そして、よい音楽と出会えばそれを誰かに教えたくなる。いまもむかしも、音楽を支えてきた最小単位はそこにあるのであって、それはこれからもずっと変わらないでしょう。ビジネスとしてそれでゴハンが食べられるかどうかというのはたんなる『業界』の問題でしかないので、『業界』のひとが一生懸命に考えればいいことだと思ってます。」

H「うーん、これ色んな方が色んなお答えをしてくれるのですが、『たんなる業界の問題でしかない』というのが本当に岩間さんらしいお答えですね。では最後に岩間さんのこれからのことを教えていただけますか。」

I「結局、ぼくの最大の関心事は空間、『箱』にあるみたいです。なにを、どのように満たせばその『箱』がもっと面白く、感動的な空間になるのか? たとえば、みんなが、そして自分がカフェに飽きてしまったのなら、べつにカフェという型にこだわる必要はないと考えています。なので、当初から『cafe moi』ではなく、このお店の正式名称は『moi』としています。『これ!』というものと出会ったら、不意になにかちがうことを始めるかもしれません(笑)。まあ、いまのところ『北欧』を超える関心事はないのですけどね。」

H「わわわ。最後にすごいお言葉が出ましたが、僕らはホント『箱』ですよね。身が引き締まるお話でした。さて、そろそろ選曲に移りたいのですが、まずテーマを教えていただけますでしょうか。」

I「はい。『真ん中よりも、ちょっと外れたところにいたいひとのための10曲』です。どうやらぼくは、輪の中心にはなれない人間のようです。中心になりたくないのかというと全くそういうことはなくて、むしろ色気はたっぷりあるのですが、いざなにかの加減で中心になってしまったりすると、今度はどうにもいたたまれなくなってさっさと逃げ出したい気分になってしまう。それならいっそのこと完全に外れて、アウトローになってしまえばよいのでしょうが、残念ながらそういう柄でもない。結局ぼくにとっていちばん居心地がいいのは、『中心よりもほんのちょっと外れたところ』らしいのです。とはいえ、うかつに中心に近づきすぎると、遠心力で一気に遠くまで弾き飛ばされてしまいます。飛ばされないように必死で踏ん張りながら、でもときどき飛ばされてはまた戻ってくる。そんなふうに、行きつ戻りつしながらなんとか自分の居場所を探し続けている、それがぼくの人生という気がします。ただ、先日たまたま読んだ東京出身のコラムニストが書いた本によると、それこそ筋金入りの『東京っ子』気質らしいのですが......。」

H「なるほど。僕もいつも『どうして岩間さん、中心に走らないんだろう』って思ってたのですが、そういう感覚なんですね。ますます選ぶ曲が気になりますが。」

I「はい。ここでは、そんなぼくが人生の曲がり角で出会い、強く心惹かれてきた音楽を10曲選んでみました。『〝東京っ子〟に捧げる10曲』といってもいいかもしれません。案の定というべきか、なんだか安定のよくない、晴れているのか曇っているのかよくわからないような10曲が並びました。最高(笑)。」


1.ドラマ『水もれ甲介』オープニングテーマ

I「子供のころ、テレビやラジオをつけると耳に飛び込んできたバカラック調のメロディー。そんな数多い『バカラック調』のなかでも、大野雄二の手になるこの曲は『決定版』ではないでしょうか。石立鉄男主演のドラマ同様、この主題歌も大好きでした。まさに回転木馬のような、永遠に〝閉じない〟メロディー。」

H「うわ。おもいっきりバカラック・マナーですね。大野雄二のこんなの知りませんでした。最初からすごいのを聞いてしまいましたが...」


2.Billy Joel / My Life

I「中1のとき、おじさんの家でひとりラジオの深夜放送を聴いていたらこの曲が流れてきたのですが、そのとき、生まれてはじめて音楽を聴いて〝気持ちよすぎて気持ちわるくなる〟という体験をしました。具体的には、エレピのフレーズ。波打ち際で遊んでいると、波が引くとき一緒に身体まで持ってゆかれるように錯覚することがありますけど、まさにそんな、どこに連れ去られるかわからないような不安感に『都会の孤独』のようなものを感じました。」

H「永遠の良い曲ですよねえ。次はどうでしょうか?」


3.マーラー交響曲第4番ト長調より第1楽章

I「これもたしか、中1のときに出会った音楽です。当時、マーラーの音楽はいまほどポピュラーではなく、それを聴くことにはどこか『背徳の香り』がつきまとっていました。ドキドキしながら針を落とすと、そこには見たこともない甘美でサイケデリックな景色が広がっていて言い様のない衝撃を受けたのを憶えています。作曲家としてはまともな評価をされないまま、でも『やがて私の時代がくる』という予言を残してこの世を去ったマーラー。100年後その予言は的中するわけですが、彼もまた、生涯を通して中心からちょっと外れたところでもがいていたという気がします。」

H「岩間さん、何かクラシックはくると予想していたのですが、マーラー! 中心からちょっと外れたところでもがいていた... 岩間さん... 次は?」


4. Kieth West / On A Saturday

I「どこかにまだ平日を引きずっている、そんな土曜日の中途半端な開放感が好きです。この曲の印象は薄曇りなんですが、途中一瞬だけ日が射します。高校時代の大半はほとんど同時代の洋楽は聴かず、ひたすらこういった60年代の音楽ばかりラジオで聴いてました。」

H「あ、僕、実は岩間さんってこの辺りの感じがメインの人だってずっと思ってたので、ちょっとホッとしています。次は?」


5.Naked Eyes / Always Something There To Remind Me

I「17歳のとき、ザ・スミスなどとともにぼくの耳を同時代のイギリスへと駆り立ててくれた曲のひとつです。ヒューマンリーグ、ヤズー、チャイナクライシス、デペッシュモードなどと並ぶいわゆる『エレポップ』のバンドのひとつですが、バート・バカラックの曲をこんなアレンジでカバーしてしまう才能に舌を巻きました。NWと60年代ロックの『親和性』を象徴する佳曲だと思います。」

H「今聞いたらどうだろうと思ったら、なんかいけますね。若い人の感想を聞いてみたい演奏です。次は?」


6.Alaide Costa / Catavento

I「90年代後半、『Blue Brazil』というコンピCDで知った曲です。以前このブログにも登場した友人の田仲君に連れられて、はじめてバールボッサにお邪魔したのもちょうどこの頃です。当時、この曲を収録したアルバムが見つからず、やむなく入手可能なAlaide CostaのCDを何枚か買ったのですが、情感たっぷりのサンバカンサォンばかりでがっかりしたのを憶えています。それはそれで悪くはないのですが......。きっとこの作品が、彼女のディスコグラフィーのなかでは『異色』なのでしょう。そういう『徒花』的なものにまず惹かれるというのも、いかにもボクらしいなと自分で思います。」

H「岩間さん、これお好きなんですね。知りませんでした... 確かに徒花ですよね。うーん。なんだか次が気になってきましたが。」


7.長谷川きよし / 卒業

I「女性が永遠に『女子』だというのなら、男性は永遠に『中2』なのです。移動遊園地をつくる夢を追いかけながら、実際にはおんぼろのルノー5に乗って若い娘のお尻を追っかけ回しているイヴ・モンタン主演の映画『ギャルソン』や、『花屋をさがしているうちに春はどこかに行っちゃった』と呟くこの曲の主人公に自分の姿を重ね合わせることができるのはまちがいなく男の特権。ちなみに、はじめてこの曲を聴いたのはムーンライダースによる秀逸なカヴァーでした。」

H「僕が待っていた岩間さんの世界が出て来ました! 次はどうでしょうか?」


8.一丁入り

I「すべての落語家には、その登場にあわせて演奏される『出囃子』と呼ばれる音楽があります。これは、そのなかでぼくがもっともカッコいいと思っている出囃子で、古今亭志ん生の『一丁入り』という出囃子です。台風もいちばん激しいのは『目』よりもそのちょっと外側だったりしますが、志ん生の『芸』にも、聴くものを巻き込んでゆく激烈な台風のような勢いがあります。」

H「岩間さん、今は落語なんですよね。たまにツイッターですごく情熱が伝わってきます(笑)。落語イベントが来る日も近いのでしょうか... そろそろ最後が近づいてきましたが。」


9.Dirty Projectors / About to Die

I「スタッフに教えてもらいました。2012年にリリースされたブルックリン出身のバンドの曲です。Vimpire WeekendとかDarwin Deezとか、ここ数年いいなと感じたアーティストにはブルックリン出身が多いです。マンハッタンというNYの中心ではなく、そこからわずかにずれたブルックリンのバンドに心惹かれるというのも偶然なのか必然なのか、いずれにしても僕らしいなと思います。」

H「岩間さんの80年代のインディーズ話を聞いた後ではすごく納得のPVですね。では最後になりますが?」


10.武満徹編 / The Last Waltz

I「晩年の武満には、「『うた』のひと」というイメージがあります。それをもっとも強く感じさせるのは『編曲家・武満徹』ですね。彼が編曲した作品を聴いていると、まるで彼の『うた』への愛がこぼれ落ちてくるようです。武満は世界的な作曲家であり、その意味で音楽の『よい作り手』であったわけですけど、同時に最高に『よい聴き手』でもあったのではないでしょうか。」

H「うわ、こんなのがあるんですね。最後に美しくまとまりました。」

岩間さん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。
ご存知かとは思いますが、岩間さんのツイッター、独特の東京っ子の笑いで楽しいですよ。さらに最近はフェイスブックも始めたそうです。フォローしてみてはいかがでしょうか。


●moi facebook→ https://www.facebook.com/moicafe
●moi twitter→ https://twitter.com/moikahvila


季節はあっという間に冬らしくなって来ましたね。それではまたこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら
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bar bossa vol.38:bar bossa

bar bossa


vol.38 - お客様:塚田耕司さん(PERMANENT AUDIO SERVICE)
「未来のスタンダード(になるかもしれない音楽)を知る10の動画」



いらっしゃいませ。

bar bossaへようこそ。

今日はレコーディングエンジニアの塚田耕司さんをゲストにお迎えしました。

林(以下H)「いらっしゃいませ。早速ですが、お飲物はどうしましょうか?」

塚田(以下T)「いつものスプリッツァーを。炭酸大好きなんですよね。」

H「最近はずっとスプリッツァーですよね。はい、どうぞ。では簡単にお生まれと小さい頃のお話を。」

T「1974年生まれ、埼玉県で育ちました。両親共に元々は長野なんですが。松本にスズキ・メソードという子供向けの古い音楽教育機関があるんですが、祖父がその校長の鈴木鎮一先生にとても感銘を受けていて子供は全員通っていたようなんですね。叔母はそのままピアノの先生になりましたし、父もバイオリンを弾いていたりオーディオを自作したりしていました。そんな経緯もあって一般的な家庭よりは音楽が身近にある環境だったと思います。その関係で僕もクラシックピアノは必須だったんですが・・・よくある話ですが全く馴染めませんでしたね。」

H「なんか最初からすごい話ですね。なるほど、かなり豊かな音楽環境にあったわけですね。中学生以降はどうでしたか?」

T「バンドブーム全盛期だったんですが・・・洋楽と洋楽っぽい音を出している日本のバンドが好きでした、レベッカとか。高校は公立なんですけどかなり自由な学校でバンドサークルに入るんですが、性格の問題もあって自分の納得がいくようなバンドが組めずに仕方なく音響担当になりまして・・・すでに今と同じ状況が完成してます、(笑)で、父の影響もありますし学校に機材がかなりあったので、音響機材の知識だけはありました。」

H「なるほど。もうその頃から(笑)。もしかして、その頃はやってたバンドの音楽自体に興味が持てなかったとか...」

T「バンドブームの時のビート系のバンドの音って子供ながらに音が細いって思ったりしてました。。生意気ですね~。あと歌ったり速弾きのソロ弾いたりとか・・・まったく出来なかったり。たとえばアーティストが着ている服にも全然興味なかったり・・・。そういう音楽を通してなにか自己主張するっていうモチベーションがなぜか今もですけど全然ないんですよね。」

H「わかるような気がします。」

T「やっぱり当時から裏方志向ではあったと思います。あとレコードのクレジット見るのが凄い好きでプロデューサーやエンジニア・ディレクターの名前をかなり覚えていて、これは音楽業界に入ってから役に立ちましたね。〇〇さんあの時〇〇〇担当されてましたよね?...みたいな本人も忘れているような話をして、こっちを覚えてもらうっていう。暗いな~。」

H「今のまんまですね(笑)。その頃だと雑誌とかは?」

T「雑誌はミュージック・マガジンとシティロードっていう情報誌がありまして、その二本立てですね。うわ~これも恥ずかしいな、ちょっと上の世代の人には多いと思いますけど、高校生ですから。わかったつもりになってただけですね~当時に戻ってぶん殴りたい。従姉の影響と、あとは学校の近くにスリムチャンスという個人経営の中古レコード屋さんが出来まして、その店長さんやそこに出入りしていたオトナの影響ですね。当然モテません。」

H「(爆笑)高校卒業後は?」

T「浪人したんですけど、全くヤル気が出なくて悶々としてたところで、レコード屋のバイトにたまたま受かりまして。時代はCDにシフトしていましたが、渋谷系~DJブームでレコードが売れてましたからね~、ダンスミュージック系のアナログを地方の店舗に発送するのが仕事でした、TLCとかBRANDYの12インチをひたすら数えてダンボールに詰めて。」

H「お、塚田さんももちろんレコード屋を経験してるんですね。」

T「で、そのバイトで冨田恭弘さん(現・太子堂ジャズ部)と知り合って、高井戸の親戚の家に間借りしてたんですが家が近かった事もあってかなりいろんな事を教わりましたね~。冨田さんは5つぐらい?年上なんですけど、ヒップホップトラックのサンプリングのネタにかなり詳しくて。曲として良くないと買わないみたいなポリシーも一環していましたし、僕も同じレコード追いかけて買っていましたね。その後高騰して中古バブルの時代になってしまうんですが・・・」

H「その頃のそういうちょっと上の兄貴的先輩が大きいんですよね。」

T「あと冨田さんがDJしてた当時オープンしたばかりのクラブ、三宿のWEBや渋谷のROOMに連れて行って貰った事が大きな転機になりました。なかなか1人でいくような場所でもないと思うんです、ライブハウスにチケット買って行くっていう感覚とは違いましたから、最初は。」

H「じゃあそろそろ自分の音楽が始められそうですね。」

T「ええ。バンドはムリだけどそういう中で触れたダンス・ミュージックのトラックなら1人で作れるじゃんって思ってColor Classic2という当時出たばかりのAppleで一番安いモデルを買いました。でもやっぱりDJになろうとは思わなくて、やっぱりココでも裏方志向で・・・モテませんね。」

H「なるほど。」

T「とはいえ今のように情報もなく、どうやって作ればイイのかわからないんで、どこかで修行しないとダメだな~と思って、テイ・トウワ氏のアシスタント募集に応募したら『一番若い』っていう理由で、これもまた、たまたま受かりまして。といってもなにか学ぶというよりは、ひたすら機材やレコードの買い出しや整理に明け暮れていましたね、Amazonも楽天もなかったので大変でした。」

H「でも、テイ・トウワさんのアシスタントなら色んな経験できますよね。」

T「CDバブルの最中でしたので、ニューヨークのレコーディングにも同行させてもらっていました。で、現地でも食事の買い出しや、レコードをひたすら買ってました。今思えばですけど、その時のNYで今の自分のベースとなるような経験をしていますね。世界的なトップクラスのエンジニアの現場を見たんですが、特別な機材を使っているわけではないのに日本のスタジオで鳴っている音との違いに驚きました。そしてなによりもギャラに驚きました。裏方なのにこんなに儲かるんだ~、と。ハウスミュージックがゲイカルチャーだって事も雑誌で読んだ程度の知識しかなかったんですけど、実際クラブに行ってみたら本当にマッチョの男性しかいなくてびっくりしたりとか。早い段階でそういう現場を見れた事で、幻想や憧れではない現実的なレベルの高さを思い知れた事はラッキーとしか言い様が無いですけど、良かったと思っています。」

H「他にも何か面白いことってありましたか?」

T「音楽以外でも食べ物の美味しさもにも驚きました、リトルイタリーからコリアンタウンやインド人街まで、そのエリアに行けばかなり本格的なモノが食べれます、しかも深夜まで。それからまだスターバックスの日本上陸前でしたから、カプチーノってこんなにうまいのか?と音楽関係だけでなくタイクーングラフィックスのお二人やヒロ杉山さん...アート方面の方々と一緒に過ごした時間もとても楽しかったです。いろんなアドバイスを頂きましたし、影響受けました。」

H「あの90年代の一番楽しいところを歩いてきてますね。塚田さんの今の仕事の話なんかを教えてください。」

T「Protoolsというソフトを使用した録音・編集・ミックスを中心に音楽制作の技術面をサポートするのが主な仕事です。特に学校などには通った訳ではなくて、現場の中で見聞きして覚えた感じですね。レコーディングエンジニアとしての仕事がメインでそう名乗ってはいますが、トラックの制作やマニピュレートなんかも引き受けていますし、総合的なオーダーもあります。ただプロジェクトのマーケティングや運営に関わったりすることは基本的にないのでプロデューサーとは違うと思っています。技術屋というとわかりやすいかと。」

H「ホント、裏方にずっと徹してますね。これからの音楽業界はどうなると思ってますか?」

T「堅実な業界になったと同時に堅実な人しかいなくなりました、笑。アーティストもスタッフも破天荒な人たくさんいましたから...もちろん経済的な余裕の中で許されていた部分なんですけどね。そういう業界の華やかな時代を知っているのって僕の世代が最後だと思うので、ちょっとさみしいなあとは思います。」

H「塚田さんご自身はどうされる予定ですか? 何か大きい話とかもあれば是非!」

T「目前の仕事をコツコツと。」

H「(爆笑)何ですか、それは... では、選曲に移りましょうか。まずテーマは何でしょうか?」

T「『未来のスタンダード(になるかもしれない音楽)を知る10の動画』と題しました。」

H「面白そうですね!」


1.Frank Ocean - Super Rich Kids (Ft. Earl Sweatshirt)

T「ODD FUTUREっていうLAのレーベルっていうザックリ言いますとP-FUNKみたいな集団があるんですけど、その一員のR&Bシンガーで、ゲイである事をカミングアウトして話題になりました。サビはMARY J BLIDGEの「REAL LOVE」を引用していますし、たどっていけばチャカ・カーン等のクラッシックソウルの系譜って言っても過言ではないと・・・という意味でこの場に相応しいかと思って選びました。どの曲もカリフォルニアの事歌ったりラップしてるのに暗いっていうのも好きなポイントです。ビデオも他人が勝手に作ったやつがアップされてほぼオフィシャルになっているのも今ならではですね。」

H「今回の塚田さんの選曲が一番オジサンの僕としてはわかんなかったらどうしようと心配だったのですが、良かった。ザックリP-FUNKという解説も助かります...カッコいいですねえ。これ、他人が勝手に作ったビデオなんですか。うーん、すごい...」


2.Lips - Super Rich Kids (Frank Ocean Cover)

T「で、検索するとカバーしてる人も一杯いたりして・・・(殆ど勝手にやってるモノだと思いますが)これはもう21世紀のスタンダードと言ってよいんじゃないでしょうか?初期のテクノポップっぽいシンセがツボです。」

H「うわ、このシンセの感じ、僕もたまんないんですけど。勝手にやってる感じでこのクオリティは!」


3.The Internet - Dontcha

T「もう一曲ODD FUTUREで忘れちゃいけないのがこのバンドで。SADE っぽい空気もありながら初期のジャミロクワイ感もあったりして。スタンダードっていうよりレアグルーブかもしれないですけど。」

H「もう彼女のルックスも含め、キュンキュンきてます。確かにシャーデーっぽいです。レアグルーブ感って90年代のことで、そして。うーん」


4. BadBadNotGood Boiler Room Brownswood Basement Live Show

T「この動画もかなり良いですね。Boiler Roomは世界各地で企画されてるYOUTUBE上の音楽番組なんですが、チェックするといろんなアーティストに出会えます。」

H「塚田さん、おもいっきりインターネット対応しているんですね。あたりまえなんでしょうか。今、オジサン的に色んな言葉を検索して、すごくうなずいています。」


5.Major Lazer - Get Free ft. Amber of the Dirty Projectors

T「ODD FUTUREにつづいてここ数年ずっと好きなのがDIPLOというプロデューサーですね、MAJOR LAZORは彼のレゲエ寄りのプロジェクトで。デビッド・バーンが自分の曲にも取り入れながら、各国のワールド・ミュージックを紹介していたじゃないですか?それの21世紀バージョンだと思っています。」

H「このyou tubeの視聴数がすごいんですけど... 塚田さんとは音楽好きはブラジルかジャマイカに辿り着くという話を以前しましたね。そしてなるほど、デビッド・バーンの21世紀バージョン!」


6.MAJOR LAZER ASIA 2012 TOUR

T「これも各国語で、カバーがあったりしましすね。謎の日本語バージョン」

H「うわ、ニホンゴですね。でもこれは日本人ネイティブですね。インターネットってすごい...」


7.Mount Kimbie - Carbonated

T「彼らはダブステップやジュークなどの世界各地で起きているビートムーブメントをミュージシャン的な視点で再構築したような感じの音です。先日TAICO CLUBにてライブをみましたがバンド編成でかなりインプロっぽい感じでした。」

H「再構築! なんかこのビデオも冷たいのか熱いのか、たぶんすごく熱いんでしょうね。バンド編成も聞いてみたいものです。」


8.Ryan Hemsworth - Against A Wall ft. Lofty305

T「ネット中心に聴いていると1アーティストに対して好きな曲が1曲しかないケースが殆どなんですけど、この人に関してはハズレがないというか全部好きです。クラブで聴いても気持ちいいし、家で普通に流していても気持ちいいし、使い勝手の良さって意味でスタンダード。」

H「え、このクオリティで『使い勝手の良さ』なんですか。ビデオがキティちゃんも含め、ツッコミどころ満載ですね。」


9.Rhye - The Fall

T「これは中村くんのBAR MUSICさんでもかなりかかってたみたいなので、ご存知のかたも多いと思います。メディア的には日本ではさほど露出してませんが、去年バリに旅行した時にホテルや海沿いのラウンジでかかりまくっていましたね。共通してMVのクオリティはどのアーティストもとても高いですね。」

H「これは中村さんもこちらのブログでアコースティック・ヴァージョンで紹介してくれましたね。世界のラウンジでかかるって『夢』ですね。」


10.tofubeats - No.1 feat.G.RINA

T「最後に日本から。最近一緒にお仕事する機会の多いtofubeatsさんの作品です。メジャーなKPOPなどの欧米の視点でクオリティが高い作品はいっぱいあると思うんですけど、tofubeatsさんの作品はJPOPのドメスティックな部分を個性としてポジティブに捉えているっていうか。コレ海外の人がみたらどう思うんだろう?っていう視点で制作してる感じが好きだし、一部のアイドルでも起きている海外に向けての動きには注目しています。」

H「日本、入れてくれましたか。JPOPや日本人の音楽センスが世界でどう受け止められるのか。そしてどう日本にも海外にも受け入れられる音楽を作るべきなのか、現場の塚田さんは色々と考えてしまいますよね。いやあ、いつも塚田さんとはカウンターで『モテるって何?』なんて話をしていたのに、お仕事すごいですね。塚田さん、お仕事の宣伝もしてもらって良いですか?」

T「はいはい。では、お仕事のご依頼・お問い合せはこちらです。PERMANENT AUDIO SERVICEという音楽職人集団を主宰しております。通常の音楽制作の他、自作の曲のマスタリング、カフェなどのプライベートスペースでのライブPAや録音など、かなり細かいオーダーのお仕事も承っております。お気軽にご相談下さい。

●PERMANENT AUDIO SERVICE→ http://permanentaudioservice.com


塚田さん、お忙しいところどうもありがとうございました。
もうすっかり秋が深まって来ましたね。そろそろクリスマスの予定の話も始まってそうですね。
それでは来月もこちらのお店でお待ちしております。

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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
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bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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bar bossa vol.37:bar bossa

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vol.37 - お客様:松本研二さん
「サンバ、ボサノヴァ、MPB以外のブラジル」



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今日はゲストにbar bossaの常連で、ブラジル音楽に精通している松本研二さんを迎えました。

林(以下H)「こんばんは。」

松本(以下M)「こんばんは。ええと、ピノ・ノワールでおすすめをいただけますか?」

H「ピノ・ノワール、良いですねえ。じゃあアルザスのちょっとチャーミングなのをお出ししますね。さて、早速ですが、松本さんは群馬出身でしたよね」

M「1968年に、群馬県富岡市という田舎町で生まれました。今年世界遺産に登録されて話題になった富岡製糸場のあるところです。」

H「話題のところですね。小さい頃はどんな感じでしたか?」

M「小さい頃の音楽の記憶というと、4歳の時にヒットした三善英史の『雨』という曲が好きでよく歌ってました。6つ離れた兄がいるんですが、僕の歌をこっそりラジカセで録音していて、それを聞かされて自分の声がすごく嫌だったのを覚えています。家にはフォークギターが2本あって、父が焼酎を飲みながら演歌を爪弾いたり、兄がフォークを弾いたりしてました。」

H「お父さん、渋いですねえ...」

M「6歳のときに母が他界してから、僕は同じ市内で農家をやっていた伯父と伯母の家で暮らすようになるんですが、この家には音楽を聴ける環境がなかったんですね。それで、小学校高学年になった頃に『夏休みのラジオ体操に必要だから』という理由で年寄りを騙して(笑)ラジカセを買ってもらって、それからはラジオばっかり聴いてました。」

H「僕も同じ世代なので、そのラジオの感じ、わかります。どの辺りを聞いてましたか?」

M「歌謡曲が好きで、あと、友達が貸してくれるさだまさしや横浜銀蝿のカセットテープを聞いたりしてました。
その頃、中島みゆきをラジオで聴いて大好きになったんです。曲もですけど歌詞がすごく良くて。まあ子供だからわかっちゃいないんですけど(笑)。これが僕の音楽体験におけるファーストインパクト。後にステレオを買ってもらった時、最初に買ったレコードは彼女のデビューシングルの『アザミ嬢のララバイ』でした。デビュー曲からリリース順にシングルとアルバムを買い集めようと思ったんですよ。この頃から『コンプリート気質』みたいなものがあったのかもしれません(笑)。ちなみに僕は歌詞で本当に感動したのは、中島みゆきと所ジョージと小沢健二だけです。この3人は凄い。」

H「僕も中島みゆき、すごく好きでした。僕はオールナイトニッポンの影響でしたが。さて、中学に入ると何か変わりましたか?」

M「中学に入る頃には自分でも楽器をやりたくなって、唯一音楽系の部活だった吹奏楽部に入ろうとしたら部員が全員女子で。今だったら大喜びで飛び込むんですけど(笑)、当時の群馬の田舎の学校では、女子ばかりの中に男子が交わるなんてありえない空気だったんですよ。で、吹奏楽部は諦めて、家で兄からもらったフォークギターで中島みゆきを弾き語りしてました。」

H「あらら...」

M「その頃、MTVが始まって日本でも『ベストヒットUSA』とかプロモーションビデオを流す番組が出てきて、洋楽に興味を持ち始めました。デュラン・デュランとかカルチャー・クラブとかメン・アット・ワークとかエイジアとかシカゴとかのレコードを友達から借りて喜んで聴いてましたね。」

H「お、始まりましたね。」

M「で、自分でも洋楽のレコードが欲しくなって、どうせなら友達が持ってないのを買おうと思って、雑誌のロック名盤特集を読んで紹介文が一番大げさなやつを選んで買ったのが、ピンク・フロイドの『狂気』。これにガツンと衝撃を受けてしまったのがセカンドインパクトで。しばらくは学校から帰ってくると真っ暗な部屋の中でじっとピンク・フロイドばっかり聴く生活でした。あと、友人に教えてもらったジャパンにも相当ハマって、高校受験終了と同時に髪を伸ばし始めて、デヴィッド・シルヴィアンみたいな髪型にしようとして失敗してました。」

H「当時、日本中に勘違いデヴィッド・シルヴィアンもどきがいたはずです(笑)」

M「高校に入って間もなく、クラスの合宿があって、その夜、友人からウォークマンでヤング・マーブル・ジャイアンツを聴かされたんです。まったく聴いたことのない音楽で『これは何なんだ?』って頭の中が?でいっぱいになって、そこから音楽の聴き方がまったく変わってしまったという意味で、僕にとってのパンク体験でした。これがサードインパクト。あの時に感じた、聴いたことのない音に出会う驚きを求めて、その後レコードを買い続けることになったんだと思います。」

H「高校に入ってすぐにヤング・マーブル・ジャイアンツって、その友人、お洒落ですねえ。」

M「その友人からは同時にFOOL'S MATEという雑誌も教えてもらって、これもまた『こんな世界があったのか』と驚いて、以降毎号買っては意味もわからないのに暗記するほど隅々まで読んで、ディスクレビューに載ってる気になるレコードを探して聴くのが何よりの楽しみでした。」

H「僕も高校3年生の時にFOOL'S MATE、手に取りましたよ。同じ感じですねえ。」

M「大学受験で東京に出たときも、試験が終わったらUK EDISONとかCSV渋谷とかのレコード屋に行って、地元では手に入らないニュー・ウェーブやノイズや日本のインディーズのレコードを両手いっぱい買って帰りましたね。この頃が、僕の音楽遍歴の暗黒時代です(笑)。そういう趣味だったことで一番困ったのは、ガールフレンドが家に遊びに来たときにかける音楽がないこと! とりあえず女性ボーカルなら何とかなるかとコクトー・ツインズとかかけてたんですが、ムード出なかったですね(笑)。」

H「(笑)そして大学に進むわけですが...」

M「大学はポルトガル語学科に入りました。よく『なんでポルトガル語を選んだの?』ときかれるんですが、ポルトガル語そのものが理由だったのではなくて、外国語を勉強するのが好きで、かつ、田舎が嫌いで一刻も早く脱出したかったので、外国語大学で確実に受かりそうなところを選んだらそうなったんです。でもその適当な選択のおかげでブラジルに出会ったわけですから、人生成り行き任せでもいいことありますよね(笑)。」

H「なるほど。でも、ブラジル音楽に出会えたわけですよね。」

M[ブラジル音楽との出会いは入学式の日で、式の後、教室で時間を潰していたら突然先輩達がサンバを演奏しながら入ってきたんです。それはサークルの宣伝だったんですが、サンバなんて触れたことなかったから新鮮で、その夜の新歓コンパの自己紹介で酔った勢いで『サンバやります!』って宣言してしまいまして。それから、学園祭のライブハウスとか、学内のパーティーとか、浅草サンバカーニバルとかで演奏するために、いろんなブラジル音楽を聴き始めました。

そういう目的で聴いてるんで、クラブで人気があったりDJがかけたりするようないわゆる『オシャレな』ブラジル音楽じゃないんですよ。ダサいロックとか、垢抜けないポップスとか、田舎くさいお祭り音楽とか。でもそういう音楽とボサノヴァとかの音楽も、表面的には違っていてもブラジルっていう大きな土台の上でどこか地続きで繋がっていて、両方を知ることでより楽しめるようになるんじゃないかなって僕は思ってます。それまでひねくれたロックばっかり聴いていた僕が、違和感なくブラジル音楽に入り込めたのも、ブラジル音楽の持つ多面性というか、聖と俗、陽と陰、喜びと悲しみみたいな相反する要素を同時に併せ持つ複雑さというか、そういう魅力が響いたんじゃないかと思います。」

H「うーん、確かにそうですねえ。ブラジル音楽の持つ多面性。納得です。」

M「大学3年生を終えたところで、生のブラジルに触れたいなと思って、サンパウロの日本語塾で子供達に日本語を教えながら1年間暮らしました。ありきたりの感想ですけど、ブラジル人はやっぱり音楽好きな人が多いなーと思いましたよ。ミルトン・ナシメントの無料コンサートなんてのが普通に開かれたりしてて、観に行きました。でも一番驚いたのは、一般の人はたいていすごく音痴ってこと(笑)。テレビののど自慢番組に、予選を勝ち抜いて出てきたであろう人がなんでこんなに下手なの?とか(笑)。

レコード屋に入ると店員が『何さがしてる?』って寄ってくるんですが、それに対して客が鼻歌でメロディーを聴かせてて、近くにいた僕は全然知らない曲だなと思ってたら、店員が『ああ、これでしょ』って言って出してきたレコードが超有名な曲で、『あの鼻歌でわかり合えるのか!』ってびっくりしたり(笑)。あんなに素晴らしい音楽家をたくさん生んでいる国なのに、そのギャップが面白かったですね。」

H「(笑)ええと、そんなに音楽が好きなのに仕事にしようとは思わなかったんですか?」

M「就職活動では最初レコード会社に入りたいと思って面接受けてたんです。でも話を聞いてるうちに、一番の趣味を仕事にするのはやめた方がいいように思えてきて、かといってまったく興味のない分野も嫌だったので、AV機器のメーカーに入りました。オーディオが好きだったんで。
就職してちょっとお金に余裕ができたので、レコード購入枚数が一気に増えましたね。ブラジル音楽のCDも、たくさんの新譜に加えて再発ものも数多くリリースされるようになって、レコード屋でCDを山のように抱えて歩いていたら店員と間違えられて声かけられたこともあります(笑)。

『ブラジル音楽ブーム』って今ひとつピンと来ないんですけど、僕にとってはあの頃が最大のブームだったので、レコード会社が今後も再発を続けてくれるようにと思って、既に持ってるものでも出たら買うようにしてましたよ(笑)。最近も安価で名盤が再発されたりしているのは、これから聴く人にとってはすごく良いことだと思いますけど、過去に出たものがほとんどなので、もう少し珍しいものも出してほしいなというのが本音です。」

H「バンドもやってるんですよね。」

M「はい。僕自身の音楽活動としては、フォホーというブラジルの北東部の音楽を演奏するバンドをかれこれ12年くらい細々と続けてます。ブラジルではとても人気のあるジャンルですが、日本ではまだまだ馴染みがないですね。4年前に氷川きよしが『虹色のバイヨン』というシングルをリリースしたんですが、この『バイヨン』というのもフォホーで使われる代表的なリズムの名前です。この曲で紅白歌合戦にも出場したんで、フォホーブーム来るか?と一瞬思ったんですが、やっぱり来ませんでした(笑)。」

H「フォホーブーム... うーん、日本人にはちょっと難しいリズムなのかもですね。これからの予定とかは?」

M「僕は本当に予定を立てるのが苦手でして、流れ流されて生きてきた結果が今の自分なんですけど(笑)。予定というよりは願望ですが、バンドはおじいちゃんになってもずっと続けて、いつかブラジルで演奏してみたいですね。あと、仕事はさっさとやめて隠居して、若い頃あんなに嫌だった田舎に帰って、毎日レコード聴きながら酒飲んで暮らしたいです。もはや願望を通り越して妄想ですかね(笑)。」

H「この間、松本さん、ブラジルのテレビ番組にも出演したことだし、演奏なんて簡単なんじゃないですか。それでは選曲に移りましょうか。テーマは何ですか?」

M「テーマは『サンバ、ボサノヴァ、MPB以外のブラジル』です。」

H「お、来ましたねえ。では1曲目は?」


1.Pixinguinha & Benedicto Lacerda / Um a Zero

M「サンバ、ボサノヴァ、MPB以外で有名なブラジル音楽といえばショーロだと思いますが、そのショーロを代表する偉大な音楽家ピシンギーニャとフルート奏者ベネジート・ラセルダの共演です。ウキウキするような楽しい曲ですが、よく聴くととんでもなく高度なことをやっているというさりげなさにしびれます。そういう人間になりたいものです。」

H「名曲、名演ですね。こんな音楽が普通に演奏されていたブラジルの深さを感じます。次は?」


2.Banda da Casa Edison / Ó Abre Alas

M「カーニバルといえばサンバのイメージが強いですが、マルシャという音楽も欠かせません。この曲はシキーニャ・ゴンザーガという作曲家が1899年に書いた最初のマルシャです。歌詞もあるんですが、このBanda da Casa Edisonというレコード会社の専属ブラスバンドの演奏が素晴らしいのでこちらを紹介します。アレンジが良いですね。」

H「うわ、渋いのをお選びで... シキーニャ・ゴンザーガ、最初のマルシャなんですね。切ないですねえ。次は?」


3.Orquestra Tabajara / Vassourinhas

M「ブラジル北東部のペルナンブーコ州生まれのカーニバル音楽がフレーヴォです。マルシャのシンコペーションを強調してテンポを速くしたような音楽ですが、カーニバルで人々が小さな傘を振り回しながらぴょんぴょんと飛び跳ねるように踊る姿は、まるで重力から自由になったような解放感があります。この『軽さ』というのもまたブラジル音楽の魅力です。」

H「you tubeのイラストがまたブラジルでたまんないですね。この曲、ブラジル人好きなんですよね。次が気になり始めました。」


4. Trio Elétrico Armandinho, Dodô & Osmar / É a Massa

M「バイーア州でそのフレーヴォをエレキ化してしまったのがトリオ・エレトリコ。トラックにPAを積んだ移動式ステージの上でエレキバンドがフレーヴォを演奏し、群衆が踊りながらついていきます。その創始者がこの人たちですが、ダサいですよね(笑)。でもこういう愛すべきアホらしさというのもまたひとつの魅力なんです。」

H「はい、ダサいです(笑)。でもこれがすごく高揚してくるんですよね。なんかこの混沌感がブラジル人しか思いつかないというか。さてさて次は?」


5.Os Tincoãs / Ogundê

M「このグループもバイーア出身です。アフリカの宗教を由来とするブラジルの民間信仰にカンドンブレというのがあって、バイーアを中心に広まっているんですが、この人たちの音楽はそのカンドンブレの儀式の音楽がベースにあります。素朴な演奏に重ねられた洗練されたコーラスを聴いていると、バイーアの日差しと海を思い出して、また行きたくなってしまいます。」

H「おお、良い流れですねえ。日本人女性が発音したくないグループ、オス・チンコアスですね(すいません...)。これまたバイーア人にしか出せない歌ですねえ。次はどうでしょうか?」


6.Pinduca / Dona Maria

M「ブラジル北部のパラー州生まれのダンス音楽にカリンボーというのがあって、『カリンボーの王様』と呼ばれていたのがこの人です。この曲は典型的なカリンボーとはちょっとノリが違うんですが、ファンキーなビートがかっこいいです。ぱっと聴いただけではブラジルの音楽ってわかんない感じですよね。」

H「ブラジルって広いなあって本当に感じますね。カリンボーって言葉、初めて耳にする方、多いのではないでしょか? さてさて次は?」


7.Luiz Gonzaga / Baião

M「さっき話に出たバイヨンという音楽です。これは後に『バイヨンの王様』と呼ばれるルイス・ゴンザーガが1946年に録音した曲です。大好きな曲で、僕のバンドもライブでは必ずやります。実はバイヨンと日本とのつながりは古くて、1952年に生田恵子が『バイヨン踊り』という曲をヒットさせて『バイヨンの女王』と呼ばれたんです。」

H「おお、やっと登場しましたね。ルイス・ゴンザーガ! こう順番に聞いてくるとルイス・ゴンザーガって実はかなり洗練されてますね。生田恵子... 知りませんでした... 次は?」


8.Jackson do Pandeiro / Coco de Improviso

M「ブラジル北東部の音楽コーコを広めて『コーコの王様』と呼ばれたジャクソン・ド・パンデイロです。王様だらけですね(笑)。ルイス・ゴンザーガと並ぶ北東部の偉人ですが、彼とは違った大道芸人的な風情の陽気なエンターテイナーっぷりがチャーミングです。あとリズム感がすごい。この人の曲もライブでよくやるんですが、この雰囲気はなかなか出せません。」

H「ジャクソン・ド・パンデイロも来ました! 確かに順番に聞いてくると『グルーヴ感』が飛びぬけてますね。これは演奏的には難しそうです。さあ終わりが近づいて来ましたが。」


9.Roberto Carlos / Quero Que Vá Tudo Pro Infernoe

M「60年代半ばにブラジルではビートルズ等の影響を受けてロックを演奏する若い音楽家が出てきて『ジョーヴェン・グアルダ』というムーブメントになるんですが、その代表的なヒット曲です。これを歌ったホベルト・カルロスはその後もずーっと大人気で、ブラジル音楽界の王様と呼ばれています。あ、また『王様』だ(笑)。」

H「次は何かと思ったら、ホベカル... でもブラジルの色んな意味での広さが伝わりますねえ。王様... さて最後の曲ですが。」


10.Cazuza / Faz Parte do Meu Show

M「最後は80年代ロックの名曲を。カズーザはカリスマ的人気のあったロックスターです。この曲はボサノヴァ風アレンジの美しいバラードで、いつかギターで弾き語りしたいなって思っています。まだ中島みゆきしか弾けないんですけど(笑)。」

H「おお、最後はカズーザのこれで閉めますか。美しいですねえ。女の子にモテそうです。松本さん、悪い人だなあ... それでは松本さん、今回はお忙しいところどうもありがとうござい... あれ、まだ何かあるんですか?」

M「はい。僕が歌うバンド、Banda Forró Legal(バンダ・フォホー・レガウ)が出演するライブイベントのお知らせです。9/27(土)~28(日)の2日間、『VAMOSブラジる!?』というブラジル音楽ライブイベントが開催されます。
『音楽で結ぶ中央線ブラジル化計画』と題し、中央線沿いのブラジル系ショップやライブハウスが手を組んで開催する地域密着型のイベントです。阿佐ヶ谷から吉祥寺までの7店舗で、15時から22時まで、総勢百数十名の様々なジャンルのブラジル音楽系ミュージシャンが演奏します。どのライブも投げ銭制ですので、ぜひ気軽に遊びに来てください。お店の情報やライブスケジュール等、詳しくはこちらのWebサイトでご確認ください。


●VAMOSブラジる!? web→ http://vamos-brazil.com


H「これに行くと、三角の帽子をかぶって歌っている松本さんに会えるんですね。今回の豊かなブラジル音楽にハッとした方も是非、足を運んでみてください。松本さん、今回はどうもありがとうございました!」


さて、まだ残暑は残りますが、秋の気配が街を包んでいますね。今回のブラジル音楽旅行、楽しかったでしょうか? 
音楽って本当に楽しいですね。
それではまた、こちらのお店でお待ちしております。

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bar bossa vol.36:bar bossa

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vol.36 - お客様:原田雅之さん(カフェ・バルネ)
「表バルネ 裏バルネ」(お店の5曲と僕の5曲)



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今日は代々木八幡のカフェ・バルネの原田雅之さんをゲストに迎えました。

林「いらっしゃいませ。」

原田「こんばんは。」

林「お飲物はどういたしましょうか。」

原田「何か一日の終わりに相応しい一杯をお願いします。」

林「以前、うちでグラッパを飲まれてましたよね。最近、ガイヤのダルマージのグラッパが入ったのでいかがですか?」

原田「お願いします。」

林「原田さんのお生まれのことなんかを教えていただけますか」

原田「はい。1979年、千葉県船橋市で生まれました。男3兄弟、所謂団地っ子で400棟位ある中で育ちました。」

林「典型的な東京郊外の団塊ジュニアですね。音楽環境は?」

原田「音楽環境としては、親戚の叔父とお兄さん(後に音楽レーベルを運営します)と友人の兄からの影響が強かったです。」

林「年上男性がたくさん出てきますね。」

原田「叔父は趣味でアコーディオンをレストランで演奏していたり、自宅をヨーロッパ風に改築していたりとにかくオシャレでした。家に遊びに行ってはBEATLESの「All You Need Is Love」の入ったビデオを見せてもらったり、KISSとかHEARTのポスターやジャケットがあって、『なんかすごいなー』と漠然と感心していました。自分の家とはとにかく世界が違っていて。」

林「良いですねえ。」

原田「友人の兄は、良くその友人の家に遊びに行っていて、兄の部屋にも入れてもらうのですがそこには大量のビデオテープとカセットテープがあって。窓を塞ぐ位あるものだから昼でも薄暗くて、少しだけある隙間から光が射していて埃が空気中をゆらゆら漂っているのがよく見えるんです。そこでカセットテープのYMOを何本か聴かせてもらって。『BGM』とか『TECHNODELIC』とか。暗いですよね。しかし幼心に『なんかいいぞー』て思っていました。」

林「え、その時期にYMOですか。早いですね。最初のレコードは?」

原田「初めて買ったレコードはディズニーランドの音楽集です。ジ ャケットにただ惹かれて父親におねだりしました。「カリブの海賊」とか「エレクリカルパレード」とか入っているようなアルバムです。自分で初めて買ったのは、何でしょう?長渕剛の『昭和』かな(笑)お年玉で買いました。」

林「え? 長渕...」

原田「多分兄に買わされたと思います。」

林「なるほど。思春期はどうでしょうか?」

原田「中学時代(嗚呼、一生で一番ダサイ季節)はQ.B.Bよろしく思い出すのも恥ずかしく、情けない生活でした。クラスメートが聴いているヒットソングを僕も一応一通りって感じで。だけど好きになる曲が米米クラブの『春雷』だったり、サザンも『Please!』だったり。塾帰りに本屋で『VOW』を買って読みながら相変わらずYMOのテープを家で独りで聴いていました。」

林「意外ですねえ。上の世代に教えてもらっているので、学校では優位に立つはずですが。」

原田「高校では文化的内向化が進みます。坂本龍一流れでTEI TOWAのファーストアルバムを発売日に街のローカルなCDショップで購入したのは興奮しました。まさかこんな演歌のテープとか売っているCDショップに!って。」

林「バンドとかは?」

原田「独りで聴くのが好きだったみたいです、基本的に。バンド活動にも興味があまりありませんでした。外に向けた表現よりも自分に向けた表現に興味があったのでしょうね。テレビで『ミュートマ・ジャパン』を見ていたり、ガールフレンドにフリッパーズギターのCDを借りたり。物静かな学生でした。音楽そのものはもちろんですが、その環境、例えば暗い部屋とか夕暮れの雲とか一緒にいる人とかそういう希望とか不安とか憧れを楽しんでいたと思います。」

林「内に向かってますねえ。」

原田「高校2年の時に友人の家に遊びに行った時に、隣のお兄さんの部屋からHIPHOPが爆音でかかっていて、部屋を覗かせてもらうとターンテーブルとレコードがどっさりとあって。幼心の興奮再び(笑)NASやらEPMDやらイカツイ格好した黒人がラップをしていて、レコードなんて2枚がけならぬ2枚重ねがけとかやってて、『スゲー、雑』って思って(笑)。竹村延和の1stとかもかかっていて『カッケー』って。で家に帰っては藤原ヒロシのピアノダブとかjamiroquaiの1st、2ndのCDで夜空をボケーと眺めて。レコードの興味の着火はそこでされました。」

林「おお、始まりましたね。そして高校を卒業して。」

原田「専門学校に通っていたのですが、それはただの就職したくない、東京に通いたいという親泣かせな理由でした。本当は何もしたくなかったんです。どこにもいきたくなかった。ずっと17才でいたかった。だけどしょうがない、時は止まってくれない、海は満ち引き、月は欠け、洗濯機は回る。ということでアルバイトばかりしてターンテーブルを購入しました。時の流れに対する僕なりの反抗です。」

林「来ましたねえ。」

原田「そこで自分の中での表現が外に向ての表現にシフトチェンジしていく音が聞こえた気がしました。後はもうDiskunionのレコード大海原に飛び込み溺れる日々でした。高校時代の友人にHIPHOPやネタ盤を教わったり、サザンの『kamakura』を買ったり。LPサイズって良いですよね。ジャケットも迫力があって ひとつの作品になっている。」

林「もう何にでも手を出す感じですね。」

原田「JAZZはオスカーピーターソンのMPSから出ているサイケなジャケットのLPを購入してハマりました。『ピアノ速い!』その当時は兎に角レコード屋が沢山あって、渋谷、新宿、高円寺、千葉と毎日のように通ってはスコスコと抜くことに快感を覚えてました。まだ店は試聴にも優しくなく、今みたいにヘッドフォンで聴けず店内試聴で緊張感があったり。ダサイ曲聴けないな、って。」

林「確かにそうでした。雑誌とかは?」

原田「情報はオシャレに転換した頃のマーキーやbounceでした。橋本さんが編集していた頃のbounceは本当に面白かったし勉強になりましたし、フリーソウルやサバービア物を買う事がステータスになっていました。その後本能の赴くままにDiskunionでバイトをしたり、アプレミデ ィで働くことになります。」

林「当時のレコード好きの王道コースですね。」

原田「何もしたくない、と思っている人ほど実は何かしたがっているんですよね。渋谷のカフェでラウンジDJもやっていました。表現の外出です。お店の空気を読みながらの自己表現に快感を覚えました。楽しそうに酒を飲み、語らっている人々。悪くないと思いました。うん、悪くない。」

林「お店を始めるきっかけとかは?」

原田「パートナ ーと出逢った時、彼女は飲食店で働いていて僕はそのお店でラウンジDJをしていました。彼女と交際することになって、僕はサラリーマンとして一生を終える気はサラサラ無い。そこで、彼女の長所→飲食スキル(高レヴェルだと)、僕の長所→特になし、敢えて言えば音楽好き。プラス、生活的センスの相互。で計算すると、『自営のカフェを開く』というツルリとした赤ん坊のようなシンプルな答えが産まれました。」

林「なるほど。」

原田「産まれれば後は育てるだけ。人生とは至極シンプルにできている。ゴールに向かう過程ほど解りやすいコトはない。といってもシンプルな道ほど険しいものはなし。漠然と産まれた子を育てようと決断するには幾らかの時間がかかりました。その漠然さを具体化に変えたのは『結婚』でした。その時僕は30才を目前としていて、このパートナーを活かすのはもう僕しかいないぞ、ト。このタイミングで店をやらないと一生後悔するぞ、と思い本気になりました。」

林「男の決意ですね。」

原田「そこから彼女は実技経験から知識吸収のためワインの道へ。僕は馬車馬の如く朝から深夜までの労働で資金を貯める生活になりました。仕事はできるだけやり甲斐の無い仕事を選びました。自分を追い込む程、目標が輝くのです。」

林「どうして代々木八幡だったのでしょうか。」

原田「代々木八幡はかつてアプレミディに通っていた時に自転車で毎日のように通過していました。夕方に小田急線の踏切辺りを走っていると夕日が街をオレンジに染めていて、 不思議と懐かしく穏やかな気持ちになっていました。心の逃避場、休息地だったのです。」

林「じゃあもう最初から代々木八幡で。」

原田「具体的に物件を探し始めた場所は当時住んでいた下北沢や三軒茶屋でした。何件か内見してイメージして、リサーチして。リサーチはとにかく物件周りを徘徊し、朝昼そして夜の人の動き、天気によっての雰囲気をチェックしました。後はひたすらイメージ。自分達に1mmでも違和感を感じたら何故なのかを問いてました。商売的なイメージも大事ですがまずは自分達が気持ち良い場所でなくてはいけない、それを優先しました。」

林「お店やりたい人には参考になる話ですね。」

原田「しばらくして知人から代々木八幡の不動産屋さんを教えて頂き、僕はピンときました。あ、懐かしい場所だ。早速伺ってみると丁度物件がある、ト。内見させてもらうと駅のすぐ裏、申し分ない広さ。出逢った、と思いました。イメージが滝のように溢れてくるのを感じました。探し始めて2ヶ月位でしょうか。翌日からリサーチです。ひたすらに人の動き、周りの雰囲気と更なるイメージ、イメージ。その時僕は33才で、この場所を活かすのは僕しかいないぞ、ト。このタイミングで店をやらないと一生後悔するぞ、と思い決断しました。」

林「具体的なお店の構想とかは。」

原田「バルネのスタイルは彼女の長所→飲食スキル、ワインの知識。僕の長所→僅かな飲食スキル、ただの音楽好き
。プラス、生活的センスの相互。で計算すると、『気の利いたワインとレコード、美味い食事』という輪郭のある答えが産まれました。内装はパリの路地にある喫茶店をイメージしました。かつて僕がラウンジDJをしていたお店が模範で。DJブースは自我みたいなもので、無言の自己紹介です。敬愛する様々な方にターンテーブルを触って頂けることは最大のスキンシップです。

後、彼女はとにかく料理が美味いのですよ。最初は製菓のセンスだと思っていたのですが、全て美味い。惚気ではなく、本気です。この味を伝えられる環境に本当に感謝しています。」

林「今、おもいっきり原田さんの株が上がりましたね。さて、これはみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?」

原田「音楽配信って何だか味気ないですよね。。。便利でしょうし、その環境で思春期を過ごすとそれが当たり前になってしまっているのでしょうけど。パッケージの魅力、『動画』でなく『画』そして外に出て触るという行為。CDとかレコードって買った時の環境、景色、匂いが音に染み込むのです。このレコード買った時、雨が降っていたな、とか。このジャケット彼女に汚されたんだっけ、とか。聴覚と触覚が想い出を呼び戻す。PCを捨てよ、町にでよう。なんて。」

林「どんどん名言が出てきますね。今後の予定や目標とかは?」

原田「バルネは9月1日で2周年になります。『振り返ればそこは一面の花海だった』とはかつて僕が書いた散文の一節。そんな気分です。
8月31日(日)にはイヴェント『Swingin' Village』も開催します。小西康陽さんをはじめ、素晴らしいDJが集まります。後、不定期で小柳帝さんによる『音楽夜話』も開催してます。詳しくはhttp://le-barney.com/にて。これからもお客様と刺激と発見の共有をしていき、お客様にもパートナーにも飽きられないように精進します。」

林「イベント、楽しそうですねえ。では選曲に移りましょうか。テーマは?」

原田「はい。テーマは『表バルネ 裏バルネ』お店の5曲と僕の5曲です。要するに『僕』の10曲、ということで。」


【表】
1.Les Baxter / Boca Chica

原田「お店をオープンして一番かけたのは何だろう?と、考えていた時に思いついた曲。かけるタイミングを問わない『バルネな時間』老若男女問わずご好評を頂いております。」

林「レス・バクスターのこの曲が一番かけられたんですね。バルネさんに行ったことない人にはすごくわかりやすいですね。」


2.Keely Smith / Do You Want To Know A Secret?

原田「賑わい始めた夜に相応しいアルバム『Sings The John Lennon-Paul McCartney Songbook』より。とにかく最高です。空間を温め、空間を創る。こんなアルバム聴きながら飲める、って最高!羨ましいなぁ。」

林「うわ、良いですねえ。ゆるくはずしているようなのに、品がある演奏です。」


3.Monique et Louis Alderbelt / Un Homme et Un Femme

原田「一応『フランスらしさ』を売りにしている当店。フレンチ聴きたい時。ならば。このスキャットと、人びとの話し声が混ざり合うグルーヴ。お店の空間は皆で作り上げる、ということ。」

林「バルネでいると、自分も映画の登場人物になったような気がしますね。」


4. Chet Baker / Deep Arabesques

原田「夜半の落ち着いた時間にはチェットベイカーを。大好きなんです、チェット。晩年の演奏からは『優しさ』とほのかな『怒り』を感じます。」

林「おお、チェットはこれですか。原田さんのセンスが伝わりますね。確かに晩年は優しいながらも少し苛立っているものも感じますね。


5.浜田金吾 / Jazz Singer

原田「閉店前の常連さまのみの店内では割と自由な選曲に。口下手の僕からのサーヴィスです。夜が更け、夜に耽る。」

林「わあ、こういうのもかけるんですね。これはみんな原田さんの選曲が楽しみですね。」


【裏】
6.Hans Joachim Roedelius / Life Is A Treusure Of...



7.Ry Cooder / The End Of Violence(end title)

原田「2曲セットで。ココロの鎮静剤です。心に余白を作るというか、嫌なことも良い思い出に浄化してくれる、というか。日が暮れてもまた朝が来るんだ、という安心感。夜はやさし。」

林「原田さん、音楽の趣味が本当に独特ですね。全く誰風でもないといいますか。鎮静剤良いですねえ。」


8.ORIGINAL LOVE / Sleepin' Beauty

原田「いつだって17才に戻れるし、もう17才にはなれないんだね。」

林「僕もすごく好きでした! 17才...」


9.Hugo Montenegro & His Orch / Palm Canyon Drive

原田「花ひらき、はな香る、花こぼれ、なほ薫る 妖艶な夜の匂い。僕は今日もカウンターに立させてもらっている。」

林「裏ということは個人的な趣味。家とかお店終わった後で、こんなの聞いてるんですね。カッコイイ...」


10.林光 / 心

原田「日本人であることのしあわせ、とは。温かいご飯とお味噌汁。慈悲深さ、とか。」

林「うわ、林光ですか。でも、10曲を全部まとめて聞くと不思議な統一感がありますね。原田色と言いますか。」

原田さん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。

みなさんも是非、このいままで聞いたことない印象の選曲と、奥様の美味しいお料理を食べに代々木八幡に行ってみてください。


●CAFE BARNEY(カフェ・バルネ)HP→ http://le-barney.com/


さて、もう8月ですね。この夏は新しい恋に出会えそうですか?
1回だけの2014年の夏をお楽しみ下さい。

それではまたこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
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vol.35


bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら
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bar bossa vol.35:bar bossa

bar bossa


vol.35 - お客様:石郷岡学さん(山形ブラジル音楽普及協会)
「ブラジル音楽に辿り着くまでに、私の音楽的嗜好に決定的な影響を与えた10曲」



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今回は山形ブラジル音楽普及協会の石郷岡学さんをお迎えしました。

林(以下H)「いらっしゃいませ。こんばんは。お飲物はどうしましょうか?」

石郷岡(以下I)「こんばんは。ラム酒がのみたいな。ロックでなにかオススメをお願いします。」

H「ラム酒ですか。ラムは実は宗主国によって味のコンセプトが違います。例えばイギリスではラムは海軍で飲まれていたのでパンチがあるラムが好まれます。ジャマイカはイギリスが宗主国ですので、ジャマイカ産は濃くて強い印象のラムになります。石郷岡さんにオススメしたいのはハイチ産のバルバンクールなんていかがでしょうか。」

I「ハイチはフランスが宗主国...」

H「そうですね。フランスが宗主国だとブランデーのような香りが高くて上品なラムになります。ちなみにこのバルバンクールは『世界中の良いバーに置いてなくてはならないラム』と呼ばれています。」

I「それでは、それをお願いします。」

H「さて、早速ですが、石郷岡さん、お生まれは山形じゃないんですよね。」

I「はい。1958年、青森県弘前市で生まれました。」

H「青森ですか。詩人と音楽家が多い所ですね。小さい頃の音楽の話を教えてください。」

I「親が洋楽好きで、当時何を聞いていたかはもはや定かではないのですが、少なくともセルメンの『マシュケナーダ』や、バカラックが流れていたのは覚えています。兄はピアノを習っていましたが、私はピアノなどというものは女子がやるものだと、時代錯誤的な認識をもっていたので(笑)、音楽関連の習い事はしていませんでした。」

H「あ、その瞬間に一人の天才音楽家が消えたわけですね(笑)。初めて買ったレコードは?」

I「初めて買ったレコードは由紀さおりの『夜明けのスキャット』で、兄と共同で買ったのだと思います。小学校の高学年になると、中学生になっていた兄が深夜放送などで音楽に目覚めて、ビートルズはもちろんBlood Sweat & TearsとかCCRとかCSN&Yとかが流れてくるのを聞き始めて、そういう影響は大きかったですね。当時の小学生としてはこ生意気なものを聞いていました。」

H「お兄さんがいると、音楽の目覚めも早くなりますよね。その後はどうなったのでしょうか。」

I「中学生になり深夜放送を聞くようになって、自分なりの音楽を選び始めました。まずは男の子ですからハードロックでしたね。ツェッペリン、グランドファンク、ディープ・パープル、ブラック・サバスなどを聴きだして、それと同時にクラシックギターを買ってもらって、当時の教育テレビのギター教室で練習していました。でも初めて行ったライブはキャロルでした(笑)。」

H「僕の近所にいた音楽好きのお兄さんと全く同じです。ハードロックにクラシックギター。初めてのライブはキャロルですか。良いですねえ。」

I「高校に入るとクラシックギター部に入りましたが、すぐにエレキギターを入手して、クラシックギター部には近づかない様になりました。聞く方はこの頃から滅茶苦茶で、ロックを聞きつつも、Crusaders, EW&F, Tower of Power, Kool & The Gangなどのファンクを聞き始めて、同時にStevie Wonder, Marvin Gaye, Donny Hathawayなどのソウルやブルースなんかも聞き始めました。バンドを組んで主にブルースを演奏していましたが、学園祭では荒井由美を演奏したり、もう信念など全く無くって、もてそうな曲ならなんでもいいって言う感覚ですね(笑)。」

H「すごく正しいと思います(笑)。」

I「その後は自宅の近所にジャズ喫茶ができて、毎日学生服で入り浸りでした。この店は規格外のせんべいをタダで出してくれて、放課後は常に腹が減っていましたからそれが目当てでほぼ毎日通っていました。順番として逆ですがそうしているうちにジャズが好きになって、ジャズも聴くようになりました。」

H「せんべい...」

I「そういえばその頃Mal Waldronのソロコンサートがあって、ライブ終了後にジャズ喫茶に行ったら彼がいて、Tシャツにサインをもらいました。今それがどこにあるのか、全く思い出せませんけれど(笑)。」

H「音楽雑誌はどのあたりを読まれてましたか?」

I「雑誌としてはMusic LifeとかMusic MagazineそしてSwing Journalなんか読んでいました。」

H「高校を出られてからは?」

I「高校を出てから2年も東京で浪人をしていて、その上大学に入学してからは麻雀ばかりやっていたので、すっかりギターから離れてしまいました。そのころ聞いていたのはMichael FranksやBobby CaldwellなどのAOR、Anita BakerやLuther VandrossなどのBCMなどですが、平行してジャズやブルースも聞いていました。ほんと節操ないのです。」

H「うわー、もうおもいっきりバブル前夜の東京って感じの音楽ですね。」

I「しばらくそういう音楽を聞いていたのですが、だんだん欧米の音楽を聴いてもさっぱり感激しなくなってしまい、さらに一部の保守的で偏狭なジャズファンやジャズジャーナリズムが嫌で、そのせいで全くジャズを聴かなくなっていました。」

H「なるほど。」

I「最近はまたジャズが自由になってきた感じがして、よく聞いてますけど。この音楽に行き詰まった期間がかなり長くて、音楽よりむしろ映画に熱中していました。で、アメリカに1年留学をしている時期に聴いたブラジル音楽、カエターノだったのですが、非常に新鮮に聞こえて、ブラジルの音楽に熱中する様になりました。」

H「アメリカでカエターノに出会ったんですか。」

I「アメリカのど田舎デンバーのタワーレコードで買った『Libro』がきっかけでした。なんか急に音楽的に視界が開けた感じでしたね。1997年のアルバムですから、わたしがブラジル音楽に本当に熱中する様になってからまだ16-7年しか立っていないのです。」

H「そうでしたか。すごく意外です。山ブラの経緯も教えていただけますか?」

I「山ブラ=山形ブラジル音楽普及協会という名前から何となくわかると思いますが(笑)、もの凄くやる気で、真剣に始めた会ではないのです。長くは続かないと思っていました。こんなに続くのならもっと良く考えて、もう少しお洒落な名前にしておけばよかったですね。」

H「(笑)」

I「でも良くも悪くもこの名称で定着してしまいました。もともと山形の様な田舎にはブラジル音楽は全く存在していなかったので、我々もよく上京してライブに通っていたのですが、まあ面倒くさいし、お金もかかるし、じゃあ呼んじゃえば?という、実に軽いのりで始めた会です。ライブの主催者は、いろんなマネージがあって、当日の演奏をしっかり聞くことはできないってことに気付いてなかったんです(笑)。」

H「なるほど。」

I「当初はもちろんブラジル音楽を招聘し紹介することが目的で、それを続けて来ましたが、最近は良い音楽であればブラジル音楽に限らず対象にしています。とにかく良い音楽を紹介して、そして山形にそういうアーティスト呼んで、その空間と音楽を共有しようと、それだけの会です。」

H「素敵です。」

I「まあ『良い音楽』と言ってもあくまでわたしの独断ですから、ある人には全く興味の対象にならないでしょうけれど。あと私としてはいわゆるフェスティバルという名の、寄せ集めのイベントが嫌いで、一組のアーティストの音楽をじっくり聞いてもらいたいと思っています。」

H「入会条件とかはあるんですか?」

I「我々の紹介するテイストの音楽が好きで、ライブの運営など損を承知で、いとわずに協力してくれる人であれば誰でも入会できます。ただ、アーティストとのコネクションを作るためだけに入会を希望する人もいて、そういう形で会を利用するのは止めて欲しいですね。」

山ブラWeb: http://www.catvy.ne.jp/~bossacur/
山ブラfacebookページ: https://www.facebook.com/yamabra


H「これからの音楽業界はどうなると思われますか?」

I「わたしは基本的に音楽業界の人間ではないので、何ともお答えし難しいのですけれど、消費者としての立場で言うと、我々が音楽をなんらかの形で購入する場合、音だけであれば、もはやダウンロードで良い訳です。しかし、ジャケットのアートワークやライナーノーツや、録音データなどを含めた一つのパッケージとして、まだ音楽ソフトは魅力があり、存在価値があると思うのです。ダウンロードだけでは手に入れられない、アーティストの愛情のこもった、付加価値があるものは無くならないと思いますし、無くなって欲しく無いと思いますね。逆に言えばそういう魅力の無いものは淘汰されざるを得ないのかもしれません。」

H「僕もそう思います。これからの石郷岡さんの活動はどうされるのでしょうか?」

I「そうですね、今のあり方が苦痛にならない限りはこの状態を続けます。あくまで趣味ですから別に野心はありません(笑)。もちろんブラジル音楽が中心ですが、もはや音楽自体が一つのジャンルに縛られる時代ではないですよね。国境ややジャンルという垣根はどんどん無意味になっています。ですからこれからも広く様々な音楽を、山ブラというフィルターを通して紹介していければよいと思っています。もともとわたしはこれが生業ではないので、別に『このアーティストはわたしが見つけた』的な部分を必要とされるポジションではないし、誰かの紹介したアーティストを、これは素晴らしかったよと、後押しできればよいと、そんな役割がしたいと思っています。」

H「良いですねえ。」

I「あとは、メンバーから原稿を募ってその年の音楽の総括する『山ブライヤーブック』みたいなものを作りたいですね。音楽は新しい刺激に溢れています。もちろん過去の音楽は重要です。しかし昔の音楽のことや、一つのジャンルの音楽のことばかりを言い始めたら棺桶間近ですよ。ただ、もともと山形っていうところは音楽を発信してくれる大手の輸入盤店が一軒も無いという、極めて特異なところで、音楽的には陸の孤島です。さらに異常な程アナログな人が多くて、地元の会員達はSNSで繋がることすら難しいのです。従ってこの土地で我々の紹介する音楽が認知され、受け入れられているかというか、決してそうでもありません。徒労と感じることも多いです。一切を止めて猫と静かに暮らす方が良いなと、思うこともあります(笑)。」

H「その『一切を止めて猫と静かに~』のお気持ち、すごく、すごくわかります(笑)。」

I「最後になりますが、今年の秋から山形ビエンナーレが始まります。

先の震災で、東北は現実的な目に見えるダメージばかりではなく、精神的にも計りし得ないダメージを受けました。震災から3年以上経ちましたが、まだそのダメージは厳然と残っていて、精神的に萎縮した状態をぬぐいきれていないのです。

現在も復興や再生を目指して様々な人々による様々な試みが行なわれていますが、山形には東北芸術工科大学という大学があり、震災直後から復興のための様々なプログラムを積極的に行っています。

その東北芸術工科大学が中心となって、これから2年に一度開催される山形ビエンナーレは、地元の人々と大学とがともに未来を創造していく事を目指した芸術祭です。

経済的な立場ばかりからの復興ではなく、文化や芸術の立場から、精神的な面での地域の再生を期する場として構想されたものです。

現在学長を映画監督の根岸吉太郎さんが務めておられますが、その根岸さんが中心となって企画されたのです。根岸さんは伊藤ゴローさんにボサノヴァのギターを習っていたことがあり、私たちも伊藤ゴローさんとして親しくさせて頂いているご縁もあって、しばしば我々の主催するライブに来て頂いておりました。

そこで山形ビエンナーレを開催するにあたって、音楽部門に我々も協力させていただく事になりました。

音楽部門は会期中(9/20~10/19)の日祝日を中心に行われますが、我々は9/21、9/23に、青葉市子、中島ノブユキ、畠山美由紀&ショーロクラブのライブを、ビエンナーレに協力する形で運営致します。

ただ我々が協力する部分以外にも、大友良英、テニスコーツ、高木正勝、七尾旅人、鈴木昭男、トンチなど素晴らしいアーティストの公演が企画されています。

もちろん音楽以外も非常に充実したプログラムが予定されておりますので、多くの皆さんに秋の山形を訪れて頂きたいと思っています。

ビエンナーレの具体的なスケジュールやチケットなどの情報はこれから確定しますので、どうか詳細をお待ちください。」

山形ビエンナーレ2014: http://biennale.tuad.ac.jp/about/
山ブラ関連部分: http://yamabra.wix.com/yamabra-biennale


H「山形ビエンナーレ、楽しみですね。それでは、一部の音楽マニアが楽しみにしている選曲のコーナーに移りたいのですが。テーマは何なんでしょうか?」

Ⅰ「では『ブラジル音楽に辿り着くまでに、私の音楽的嗜好に決定的な影響を与えた10曲』ということで。時間軸は滅茶苦茶です。いやしかし10曲っていうのは非常に厳しいですね。」


1.Tower of Power / What is Hip?

Ⅰ「それまで普通のロック少年だった私に、当時この演奏のかっこよさは本当に衝撃的でした。エネルギーのあり余っている少年にはこの複雑で腰に来るリズムは超刺激的だったし、ギターのフレーズなんかも新鮮でしたね。ファンク系の音楽を追いかけるきっかけになった曲です。」

H「おおお、こんなカッコいいライブ映像があるんですね。年下の僕からこういうのも失礼なのですが、僕、色んな人に『林くんと石郷岡さんって音楽の好みのラインが同じだよね』ってよく言われるんです。これは残りの9曲が楽しみです」


2.Donny Hathaway / For All We Know

Ⅰ「私にとって未だに、最高、最上の歌い手がDonny Hathawayです。もともとRoberta Flackが目当てで高校生の頃買ったアルバムの中の1曲ですが、むしろDonny Hathawayの方にやられちゃったのです。もちろんこの曲は今でも繰り返し聴いています。年の所為か、もう、すぐに涙腺に来ます。」

H「美しいですね。ため息が出ます...」


3.Phoebe Snow / No Regret

Ⅰ「Phoebe Snowの音楽って、当時としては抜群にお洒落だったんです。独特の震える様な歌い方と、泥臭さの無い幅広い音楽性と。どんどん活躍する人かと思ったら、残念ながら娘さんの養育のために一時期表舞台から消えてしまって。その薄幸なイメージとピュアな音楽性が涙腺を刺激します(またか)。」

H「良いですねえ。僕も10代後半によく聞きました。『泥臭さの無い』というのが石郷岡さんの独特のキーワードですね。ブラジルでもソウルでも洗練されてないとダメなんですよね。」


4. Earth Wind & Fire / Brazilian Rhyme

Ⅰ「EW&Fも高校〜大学と良く聴いていました。ディスコ世代(笑)ですから"Fantasy"なんか、懐かしすぎます。で、この曲は最近日系ブラジル人アイドルユニット「リンダ3世」が楽曲に使っています。EW&Fの音楽の中でもとても洗練された楽曲だと思います。この曲をリンダ3世が歌ってるのを見るとなんか感慨深いです。」

H「後になって、大好きな曲が『ちょっとしたブラジルがらみ』だったりすると嬉しいことってありますが、この曲なんか特にそうですよね。」


5.Bill Evans Trio / We will meet again

Ⅰ「この作品は妻や兄を亡くしたBill Evansが悲しみの中で録音した猛烈に美しい作品です。そして兄Harryに捧げられたこの曲"We will meet again"は、Donny Hathaway"の"For All We know"の歌詞に由来するのだそうです。音楽は繋がっていますめ。猛烈に泣けますね。」

H「苦しくなるくらい良い曲ですねえ。"For All We know"に由来するんですか...」


6.Chet Baker / But Not For Me

Ⅰ「この曲は名唱中の名唱ですよね。ベタですけど、これは外せません。Chet Bakerの歌声には、如何にもジャズ歌手然とした歌い手とは異なる唯一無二の魅力があります。ジャズ的には亜流なのでしょうけど。当時の彼の若さと色気が溢れ出ています。もちろんトランペッターとして唯一無二ですけれど。」

H「全く同感です。このアルバムの特別感や、その瞬間の輝きなんかを語りたくなるけど、『ベタ』というのが邪魔して語りにくいんですよね...」


7.Michael Franks / The Lady Wants To Know

Ⅰ「Michael Franksが登場したとき、こんなヘタな歌い手で、こんな素敵な、お洒落な音楽が成立することが驚きでした(笑)。本作"Sleeping Gypsy"にはCrusadersの面々とDavid Sanbornなど、そしてなんと言ってもJoão Donatoが参加しているんです。当時は全く意識していませんでしたが。」

H「石郷岡さん、登場したときって、やっぱりリアルタイムなんですね... 僕は未だにお店で2日に1回はかけてます。」


8.Bobby Caldwell / What you won't do for love

Ⅰ「AORの中でも最も良く聞いたアルバムの一つです。このアルバムでmellowというものを知りました(笑)。当時本人の姿が公表されず、ソウルフルな歌声だけど、黒人か白人かもわからず、ミステリアスな存在だったのですが、その後公表された彼の姿はとても普通で、ちょっと垢抜けない感じで、音楽とミスマッチでした(笑)。」

H「え、ボビー・コールドウエルって最初、本人の姿が公表されてなかったんですか。それはすごいカッコいい売り方ですね。」


9.Steve Kuhn / Trance

Ⅰ「Bill Evansの流れを汲む白人知性派ピアニスト達のなかで、本作でのSteve Kuhnの音楽は知性的であるとともにと浮遊感と官能性、そして爆発的な狂気があるんです。ECMでのデビュー作でもある本作ではエレピも弾いていて、ジャズと言う枠に囚われない表現が非常に印象的でした。」

H「スティーブ・キューン、お好きなんですね。本当に統一性のある趣味と言いますか、石郷岡色していますね。わかります!」


10.Caetano Veloso / Os Passistas

Ⅰ「そして漸く辿り着いたのがカエターノのこれです。それまでボサノヴァくらいしかブラジルの音楽を知らなかったので、知性的で洗練されていて、南国の夜の風に当たっている様な、熱い空気感に完全にやられました。これ以降はブラジル音楽を中心に聞いてますから、この曲にここ10数年が凝縮されています。」

H「うわー、前の9曲を聴いた後に、この曲に辿り着くと感慨深いですね。また新しい旅が始まる感覚と言いますか。」


石郷岡さん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。

山ブラのこれからの活躍と山形ビエンナーレの成功を心よりお祈りします。

もうすっかり夏ですね。みなさん、今年の夏休みの予定は決まりましたか? 
東北を旅するなんていうのも良いかもしれませんね。

それではまたこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次



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bar bossa vol.34:bar bossa

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vol.34 - お客様:小嶋佐和子さん
「リピートして聴かずにはいられない10曲」



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は先日4月16日にソロアルバムを発表したばかりの小嶋佐和子さんをゲストに迎えました。

林(以下H)「こんばんは。お飲み物はどういたしましょうか?」

小嶋(以下K)「赤ワインをお願いします。何がありますか?軽めのがいいです。」

H「軽めですか。でしたらムーラン・ナヴァンというガメイのチャーミングな赤がありますから、それにしますね。」

K「はい。いただきます。」

H「さて、早速ですが小さい頃の音楽のお話などを聞かせてください。」

K「父がギターの弾き語りをする人で、ピーター・ポール&マリーとか、かぐや姫とか、フォークソングをクラシックギターでジャカジャカやってました。私もいっしょに歌っていたみたいです。3歳の頃には小椋佳の『シクラメンのかほり』が歌えたので、幼稚園の先生に面白がられ、『おかえりのかい』でみんなの前で歌わされていたと、私は覚えてないんですが両親から聞きました。」

H「3歳でデビューですか。早いですね(笑)」

K「毎週日曜日の朝は教会に通う家庭で、最初のピアノの先生はシスターです。6歳でした。中学生になると教会のオルガニストもやりました。結婚式で弾くと、千円札が何枚か入った封筒をもらえたりして、喜んだり。」

H「最初のギャラが中学生(笑)。最初のレコードは?」

K「記憶の中の最初のレコードは、フィンガー5の『恋のダイヤル6700』です。2歳か3歳ですね。自分で何回も何回もかけていた記憶があります。自分で買った最初のは、田原俊彦『ハッとして!Good』だったと思います。たのきんトリオはトシちゃん派でした。どっぷりベストテン世代です。『月刊歌謡曲』の愛読者で、松田聖子とか薬師丸ひろ子とか、ピアノで歌っていました。」

H「突然、普通の女の子で、ホッとしてます。」

K「クラシックのピアノは高校2年まで続けました。バッハとドビュッシーが好きでした。中学生になるともっぱら、ラジオっ子です。年の離れたお姉さんがいる友達の影響で、小学校6年生のときに佐野元春ファンになり、『ブルーマンデーをぶっとばせ』のNHKFMの番組を毎週楽しみにしていました。坂本龍一さんのサウンドストリートのデモテープ特集は、録音したのを繰り返し聴きましたし、サエキけんぞうさん、PSY・Sの松浦雅也さんの番組も熱心に聴いていました。PSY・Sはファンクラブに入っていて、広島までライブを観に行きました。(私の生まれ育ったのは山口県の萩市というところで、広島へは新幹線です。)あとそれから、なんといってもピーター・バラカンさんには本当にたくさんの音楽を教わりました。」

H「完全に同世代です...ということはバンドブームですが。」

K「バンドは、憧れはあったけど、やろうという発想に至りませんでした。趣味が合う音楽仲間がいなかったんですね。幼稚園から高校までカトリックの小さな学校に通ったのですが、中学から女子高で、高校の文化祭ではプリンセスプリンセスのコピーが人気でした。音楽の話ができる友達はいたのですが、学校の帰りにひとりのうちに集まってFairground AttractionのMPVを見ながら踊ったりとか。なんとまあ、慎ましい思春期時代ですね。あと、その友人二人を相手に、音楽室で矢野顕子のものまねを披露したりとか。もうほんとうに、地味ですね。矢野顕子さんはしばらくの間、特にJapanese Girlを、寝食を共にするほどたくさん聴きました。」

H「矢野顕子! 正しいですね。そして大学で東京に来たんですよね。」

K「大学時代は、吉祥寺のジャズクラブSOMETIMEでのアルバイト中心の生活でした。現高橋ピエールさん、そして現夫のトガゼンと出会ったのもここです。堀江真美さんのピアノ弾き語りのステージを見て感動して弟子入りし、発声と理論の基礎をしばらく習いました。結局私は、ジャズのスタイルのピアノを弾けるようになりませんでしたが、今でもジャズには強い憧れがあります。そして、この頃から作詞作曲のオリジナル曲を作るようになり、やがて、ボッサ51へと続きます。」

H「なるほど、ジャズクラブで最初にジャズの洗礼を受けているんです。小嶋さんの中でジャズは大きそうですね」

K「大学4年になって、企業に電話をかけるのがどうしてもできなくて、就職活動はほとんどせず、もちろん就職できませんでした。私の半生のもっともアンニュイな時代です(笑)。国立駅北口のピアノパブ『アポスポット51』の入口にピアニスト募集の張り紙を見つけて応募し、大学卒業と同時に働き始めました。自分の演奏以外にお客さんの伴奏と、カウンターの仕事もありました。お客さんにいびられて泣きながら大学通りを自転車で帰ったこともありましたが、良い出会いもありました。営業時間外、お店のピアノをいつでも使っていいことになっていて、勝手に鍵を開けて入り、バンドの練習をさせてもらっていました。マスターには本当にお世話になりました。
就職はできなかったのですが、後に自力で勉強して翻訳者の道が開け、命拾いしました。もう10年以上、バランスを取りながら、幸か不幸か、音楽はずっと続いています。」

H「簡単にさらっとお話いただきましたが、大変なこともあったんでしょうね。これからの音楽業界はどうなるとお考えですか?」

K「電車にはあまり乗らないのですが、たまに乗ると、ほぼ全員がスマートフォンをいじっていたりします。少し前は、音楽を聴いている人がもっと多かったような気がするのですが。SNSもいいけど音楽もね、って思います。音楽の需要がなくなるとはとても思えず、今は過渡期なのだろうと思っています。CDって、メディアとしてちょっと切ないですよね。データをやり取りした後は使い捨てられやすい運命を負っているというか。魂を削って作った作品なので、やはり捨てないで手元に置いておいてほしいなあと思います。ジャケットなどのパッケージで思いを伝えるのが、今のところできるベストだと思っています。セレクトショップや雑貨屋さんは、作り手の思いと連動してくれる場所として、可能性を感じています。Youtubeの恩恵は私も大いに受けて楽しく使っていますし、昔はレコード屋さんの視聴機でしか視聴できなかったけど、今は誰でもどこでもYoutubeで視聴ができます。私のように小さめの規模で音楽を販売する者にとっては、心強い宣伝ツールでもあります。」

H「なるほど。すごく積極的で小嶋さんらしいご意見ですね。さて、小嶋さんの音楽活動のお話をお願いします。」

K「4/16(水)に新作を発売しました。ボッサ51の3枚目以来12年ぶりの、そして初めてのソロアルバムです。元Motel Bleu、現Rondadeの佐久間さんがディレクションを全面的に手伝ってくださいました。気がつけばいつの間にかけっこうたまっていた頂き物の曲たちが背中を押してくれたような感じで(3/8が他の方の曲です)、優れた才能たちに助けてもらって、作ることができました。このCDが売れない時代に、自費で、しかもソロのアルバム制作。林さんにも『すごいですね』と呆れられましたけど(笑)、『私だけの美しいもの』にあきらめないで向き合えばちゃんと形になることがわかって、うれしく、すっきりした気持ちです。『美を追い求める者は、必ず美を見出す』。去年映画館で見てすごくおもしろかった映画『ビル・カニンガム&ニューヨーク』の中で、ビルさんが受賞のときのスピーチの締めくくりに言うセリフですけれど(言った後感極まって泣く)、アルバム制作中、よくこの言葉が頭に浮かんで、そして勝手に励まされました(笑)。歌を作って歌うこと、よりも自分がおもしろがれることは、やっぱりなかなかないみたい、だからもうしょうがないなー、みたいなことも思いました。」

H「アルバム、小嶋さんの日本語へのこだわりと、覚えやすくて一緒に歌いたくなるメロディ。そしてシンプルなアレンジの中に小嶋さんの豊かな音楽知識が凝縮されていてとても素敵ですね。『シャボン』は本当にCM曲にそのまま使われても良いんじゃないかってくらいの耳心地のよさです。さて、10曲の選曲に移りたいと思うのですが、テーマは何でしょうか?」

K「はい。テーマは、『リピートして聴かずにはいられない曲』です。気に入った音楽に出会うとリピートが止まらなくなるタイプの音楽愛好家です。アルバム1枚のリピートもですけど、1曲だけ何時間も繰り返して聴くこともあります。子供のころから今に至るまで、もうこの曲はほんとうによく繰り返したよなー、という曲を集めてみました。」

H「それでは、聞いてみましょうか。一曲目は?」


1.フィンガー5 / 恋のダイヤル6700

K「さっき話に出たので懐かしくなって。子供の頃のリピートは、数にするときっとすごいことになりますよね。小さいお子さんのいる友達の家に遊びにいったりすると、リピートっぷりに圧倒され、感心します。」

H「僕も今久しぶりに聞いてみたら、イントロのベースとかすごくカッコいいですね。うーん...」


2.ラムのラブソング(from うる☆やつら)

K「私のラテン風味嗜好の原点であることは間違いないと思います(笑)。もう、とにかく、ひとりで一日中歌ってました。学校の行きも帰りも、好きよ好きよ好きよ、って(笑)。」

H「え、この曲ってこんなアレンジだったんですね。これまたカッコ良過ぎですね。歌詞もすごく良いし。うーん...」


3.Debussy / arabesque no.1 (Walter Wilhelm Gieseking)

K「ラジオから流れてきて、わー、きれいだなあって、夢中でピアノでなぞろうとしました。ぜんぜん無理なんですけど。小学校4年か5年。クラシックって、モーツァルトとかベートーベンとかのことだと思っていたから、これもクラシックなんだって後でわかってへーと思いました。ピアノの先生がサンソン・フランソワのレコードを貸してくれて、ヘヴィリピ。サンソン・フランソワの演奏をYoutubeで探したんですがなかったので、他の方のを。」

H「ドビュッシーお好きなんですね。小嶋さんのロマンティックな部分が伝わります。」


4. Bonnie Raitt / Since I Fell You

K「高校の頃、ラジカセで流しながら歌詞カード見ながら歌うのが、ほんとうに止まらなかった。風呂入ってるときもやってました。リッキー・リー・ジョーンズ、フェアグランド・アトラクションのいくつかの曲も、そんな感じでした。」

H「小嶋さんは海外の女性SSWをかなり聞いてるんだろうなとは思ってたのですが、ボニー・レイットですか。リッキー・リー・ジョーンズといい、意外と力強い感じなんですね。」


5.Robert Wyatt / Sea Song

K「ボニー・レイトと同じく、高校の頃ピーター・バラカンさんに教えてもらった音楽家。はい、ラジオで。『Rock Bottom』は一曲目のこの『Sea Song』が好き過ぎて、なかなか2曲目にたどりつけません(笑)。」

H「ロバート・ワイアット! 小嶋さんの音がシンプルなんだけどハーモニーを大切にしている感じとかはこの辺りがルーツですか。」


6.Lambert, Hendricks & Ross / Twisted

K「Lambert, Hendricks & Rossの曲は、さっきお話しした、私がしばらく教わっていた堀江真美さんのバンドのレパートリーで、当時、ミュージシャンの衣装としてはケミカルウォッシュジーンズが主流のSOMETIMEにあって、50年代60年代風の仕立ての良いスーツをきりっと着こなしておられ、すごくかっこよかったんです。憧れました。」

H「おおお、カッコイイですね。小嶋さんのジャズ経歴がわかった今ではなるほどな1曲です。」


7.Elis Regina / Águas de Março

K「これ、林さんに教えてもらったヴィデオです!集中したエリス・レジーナがとてもかっこいいですが、何といってもピアノの方が素晴らしすぎます。エンディングに向かう掛け合いの緊張感、何回見てもドキドキします。そして最後にエリスが笑うところでは、ついつられていっしょに笑い、またポチッとしてしまいます。」

H「あ、ちなみに僕はこれは雨と休日の寺田さんに教えてもらいました。ピアノはセザル・カマルゴ・マリアーノだと思います。」


8.Figure Eight / Schoolhouse Rock

K「私の永遠のアイドル、ブロッサム・ディアリー。レーベルDaffodil Recordsのメーリングリストにも入っていたのですが、ブロッサムが亡くなりましたの知らせといっしょに届いたのがこの動画へのリンク。なんと豊かな世界。70年代のアメリカの子供になれなかったことを残念に思いました。」

H「これは、教育ビデオのアニメをブロッサム・ディアリーが歌ってるのでしょうか。すごく贅沢で、切ない良い曲ですねえ。」

K「Bob Doroughが音楽をやっていたテレビ番組のようです。この曲は1973年。私たちにとっての、でっきるっかな、はてはてふふん~みたいな感じなんでしょうかねえ。」


9.Juana Molina / Quien

K「新作『貝のふた』をケペル木村さんにも聴いていただきたくて送ったところ、素敵なコメントとともに『途中でフアナ・モリーナみたいなメロディ展開もあって興味深かったです。佐和子さんの音楽にはアルゼンチンの最近のアーチストたちの音楽に共通する音楽性がありますね。』とのお言葉。フアナ・モリーナってよく知らないんですとお返事したところ、送ってくださったのがこの動画。ぎゃふん、て感じでした。繰り返しの音楽。ひとりであんなに自由になれて、かっこいい。私もやってみたい。機材運ぶのに車がいりますね。免許、取ろうかなあ。」

H「今回、一番意外だったのはこういう感覚の音楽がお好きなんだなあってことです。僕はもっともっとオリーブ女子的な人だと思ってました。」


10.みしなる / Sawako Kojima

K「ひろたえみさん作詞、久米 貴さん作曲のカヴァー曲です。去年、この曲を歌うのがどうにも止まらなかったので、録音させてもらいました。アルバム『貝のふた』にはフルート(&おもちゃ)吉田一夫氏が参加した別ヴァージョンが収録されています。」

H「ひろたえみさんの詩の世界、すごいですね。音楽って色んなことが可能なんですね。小嶋さんのアレンジも斬新です。」

小嶋佐和子さん、お忙しいところ、どうもありがとうございました。是非、これからも素敵な音楽をみんなに届けてください。

あらためて、小嶋佐和子さんのアルバムを紹介します。
小嶋佐和子ファーストソロアルバム「貝のふた」4月16日(水)発売

【「シャボン」 - 新作『貝のふた』より】

●小嶋佐和子 Official Site→ http://www.sawakokojima.com



さて、もう6月ですね。日本は雨の季節になりますが、憂鬱な時も素敵な音楽を聞いて、元気に乗り越えましょう。

それでは、また来月、こちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次



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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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bar bossa vol.33:bar bossa

bar bossa


vol.33 - お客様:稲葉昌太さん(インパートメント)
「節目の10曲」



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今回は今の東京を代表するレコード会社インパートメントの有名ディレクター稲葉昌太さんをゲストに迎えました。

林(以下H)「こんばんは。お飲物はどういたしましょうか」

稲葉(以下I)「では最初は軽めの赤で、オススメがあればそれをください。」


H「稲葉さんは確かピノ・ノワールがお好きですよね。では、ブルゴーニュ・ルージュにしますね。」

I「いただきます。」

H「さてさて、早速ですが、小さい頃のお話を教えていただけますか?」

I「はい。僕は東京の西端、青梅というところで育ちました。両親はどちらも教師でしたが、何かを押しつけられたり、教育熱が高いわけではなかったので、塾や習い事に通うということもなかったですね。となると下校後は時間がたくさんあるので、自然と本や音楽に興味が向いていったような気がします。初めて買ったレコードは、当時ヒットしていたアルフィーの『星空のディスタンス』のシングル盤だったと思います。」

H「え?! アルフィー?!」

I「ええ。それをきっかけにアルフィーのファンになり、小5から中1くらいまでの間に彼らのアルバムを全て買い揃えたり、夏の野外コンサートに行ったりしてました。ステレオセットが居間に置いてありましたので、買ってきたレコードをステレオの前に座って聴くのは楽しかったですね。」

H「アルフィーですか。意外ですね...」

I「小5の時に、父親が同僚の引っ越しを手伝うというのでついて行った時に、捨てようとしていたアコギを貰いました。そこから一気にギターにはまりまして、アルフィーのソングブックや『明星』という雑誌についていた『ヤンソン』を教科書に、見よう見まねで演奏を覚えていきました。アルフィーの高見沢が僕の最初のギター・ヒーローです(笑)。」

H「明星とかヤンソンって僕より上の世代が中高生の時にはまるものですが、そういう意味ではマセてますね。」

I「気づいたら、中学入学時で立派な文系男子になっていました(笑)。音楽系の部活はブラスバンドしかなく、仕方なく入部しましたが部室代わりの音楽室ではギターばかり弾いてました。念願のエレキギターを買ってもらって、初めてバンドらしきものを結成したのは中3だったかな。その頃には完全に洋楽志向になっていて、英米のハードロックを中心にコピーしてましたね。練習すればするほどギターが上達するのが楽しくて、時間のある限り、それこそトイレでもギターを弾いてました。」

H「うわー、典型的なギター・キッズですね。高校生になってからはどうなんでしょうか」

I「明治学院東村山高校という私大付属の男子校に進学し、軽音楽部に入りました。エレキギターを学校に持って行って、昼休みに自分の席で弾いていると、他のクラスの『ギターの巧いヤツ』が順番に教室にやってきて僕のテクニックをチェックして、『うわ、やるな...』みたいな表情をして帰って行くわけですよ。それで調子に乗りまして(笑)、大学受験の心配がないのをいいことに、ギター道を邁進することになりました。『こういうプレイがしたい』『こういう音が出したい』と思ったら自分の部屋で練習したり機材を試したりするような、完全なオタクでした。」

H「その頃から今の性格がかいま見えますね(笑)。」

I「同じ軽音楽部の連中はボウイのコピーバンドをやったりして、ライブで女の子にキャーキャー言われていましたが、僕にとっては女の子と会話をすることすらまるで別世界の話で。バンドを組んでも、同級生の演奏がヘタに感じて、ちょっとでもミスをするとすぐに演奏を止めてやり直しさせたりする、本当に暗くて嫌なヤツでしたね(笑)。」

H「音楽雑誌はチェックしましたか?」

I「好きな雑誌は、『ミュージック・ライフ』に始まり、その後『BURRN!』になり、内向的な文系男子度が頂点に達した高3の頃には『ロッキン・オン』に。ギター・ヒーローはジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)やスラッシュ(ガンス・アンド・ローゼズ)からジョニー・マー(ザ・スミス)やジョン・スクワイア(ストーン・ローゼス)になりました。」

H「これを読んでる人で『俺と同じだ!』って手を挙げている人、たくさんいそうですね(笑)」

I「大学に入ると、初めて彼女ができ、同じ音楽が好きな友達ができ、色んな遊びを覚えて...と、だんだんと明るい性格になっていきました。完全に"大学デビュー"です(笑)。『ロッキン・オン』経由でマンチェスター・ムーヴメントに心酔しクラブ・ミュージックを意識し始めて、93年、青山の骨董通りにオープンしたクラブ『マニアック・ラブ』に衝撃を受け、テクノ~ハウスの12インチを買い漁るようになり、愛読紙は『ロッキン・オン』から『リミックス』になりました。」

H「なるほど。」

I「その後、同じ骨董通りにあった『ブルー』にも通いましたね。特に月曜日だったかな、当時U.F.O.の松浦俊夫さんがラテン~ブラジルものを回す日があったのですが、よく行ってました。僕のブラジル音楽との出会いは松浦さんやジャイルス・ピーターソンなどDJ経由で、当時の王道パターンでした。」

H「確かにあの頃の東京のど真ん中にいますね。」

I「自分でもDJの真似事を始めまして、友達のパーティーで回したり、シンセやサンプラーでトラックを作ったりしているうちに大学卒業となり、当時バイトしていた楽器屋でそのまま契約社員として働き始めました。たぶん、この頃がもっとも親に心配をかけた時期だったと思います...。」

H「音楽活動は続けられたんですか?」

I「音楽活動としては、楽器屋時代からインパートメントに入って2~3年目あたりまでにいつくかの作品/バンドに関わりました。360°レコーズという日本のレーベルがあったのですが、そこからリリースされたアルゼンチンのギタリスト、フェルナンド・カブサッキへのトリビュート・アルバムに、現在も活躍するミュージシャンである杉本佳一君とのコンビで1曲参加しました。」

H「おお!」

I「あと、当時人気のあったトータス/ジョン・マッケンタイアなどシカゴ音響派に影響を受けたとあるバンドのギタリストでして、あるレコード会社からアルバムのリリースが決まり、その制作費としてけっこうな金額を貰いました。結局、お金は使い果たしたけどアルバムは完成せず、あげくバンドも解散という、担当さんには本当に申し訳ないことをしました。同じことを今の自分がやられたらと思うと寒気がします。」

H「(笑)音楽業界で働きたい人も読んでいるので、インパートメントに入ったきっかけも教えていただけますか?」

I「音楽業界で働くためのハウツーとしては役立たないと思うのですが...、大卒後、バイトのまま居残ったように働き始めた楽器屋では、高校生に説教しながら高価なギターを買わせたり、新しい機材が出るとすぐに仕入れてチェックしたりと、まあまあ楽しく働いていまして、特に不満もなかったんです。27歳の時に、大学時代からの音楽仲間が働いていたインディーズのレコード会社が募集をかけるので応募してみないかと誘われたのが、インパートメントとの出会いでした。応募条件が、『ブラジル音楽に詳しい』と『英語ができる』というもので、『お前に合ってるじゃないか』ということでやけに強く入社試験を受けるように説得されまして。」

H「そんな理由で...」

I「レコード会社で働きたいという強い思いもありませんでしたが、その頃、『将来性がない』という理由で付き合っていた彼女に2人連続で振られていて、何かを変えたいという思いで採用試験を受けたような(笑)。結果、その友人の根回しもあったのかもしれませんが(笑)、インパートメントで働くことになり今年で15年目を迎えます。」

H「あ、女性問題、意外と大きいですよね。」

I「僕は運転免許をとった動機も女性ですし(笑)、大きいですよね。で、インパートメント入社当初はレーベルのディレクター業務のアシスタントと営業をしていたのですが、いつのまにかCD制作そのものを振られるようになり、レーベルを1つ任されていました。ウチは、アーティスト/作品を見つけ、契約交渉をし、契約がまとまればジャケットデザインなどパッケージ全てをディレクションし、プロモーション資料を作成し、店舗からオーダーを取り、発売日にはCDを梱包して全店に出荷する...と全てを自分達の手で行います。なので数字が悪いと誰のせいにもできません(笑)。ただ、リリース作品のセレクトやレーベルのコンセプトなどは担当に任されているので、自由度は高いです。」

H「やりがいがありそうですね。」

I「毎回胃が痛いです(笑)。僕が今の仕事を続けられているのは、とにかく出会いに恵まれたということに尽きます。僕のレーベルからCDを出したいと言ってくれるアーティストや、『こういうことを一緒にやろう』とか『こういうことをやりたいので手伝ってくれませんか?』と誘って下さった方々がいなかったら、僕はどうなっていたか...。そもそもインパートメント入社のきっかけからして能動的なものではありませんしね(笑)。」

H「出会いを中心に仕事を進めるって稲葉さんならではのスタイルですよね。」

I「いわゆる業界人の仕事のやり方には馴染めず、僕はこのスタイルしかないんですよね。例えば、ここ数年の僕の仕事の出発点であるカルロス・アギーレとの出会いも、サバービア/カフェ・アプレミディの橋本徹さんが僕に『アプレミディ・レコーズ』というレーベルをやりませんか、と声をかけて下さったことがきっかけなんです。アプレミディ・レコーズから、橋本さんが選曲した『素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』というコンピをリリースし、橋本さんの盟友・吉本宏さんと知り合い、吉本さんが中心となってbar buenos airesという選曲会が始まり、遂にはアギーレさんの来日の実現に至る中で『クワイエット』『静かなる音楽』というムーヴメントが生まれました。あの一連の出来事の当事者になれたことが、今の自分にとって本当に大きな財産ですね。アギーレさんの『音楽は人と人とをつなげるものだ』という言葉は僕の座右の銘です。そういえば、アギーレさんの初来日ツアーの打ち上げはボッサさんでやらせて頂きましたね。あの夜は夢のように楽しかったです。」

H「こちらこそ、歴史的瞬間に立ち会えて光栄でした。さて、これからの音楽業界はどうなるとお考えでしょうか。」

I「これから音楽業界がどうなるか、正直言ってよくわかりません。ただ、いわゆる音楽業界というのは、レコードやCDなど『音楽を録音した媒体』を売り、購入した人がそれを再生して楽しむという技術が広まり、音楽が大きなお金を産むようになって以降の存在です。それは、音楽を娯楽として人々が楽しんできた長い歴史の中の、ほんの一時期に大きく発展したものの、あっけなく消えてゆく存在のような気がします。...などと遠い目をして話してますが、僕はこれで家族を養っているわけで(笑)、えーと、それなりに収入があるうちは自分のやり方で続けて行きたい、と願っています。すみません...、参考になるようなことが言えなくて...。」

H「いえいえ。今日のインタビューを聞く限り、その瞬間の出会いで全て人生を決めてきた、ある意味、稲葉さんらしいご意見です。これからの目標なんかを教えて下さい。」

I「僕にはプロデューサー的な才能はないと思っています。お互いに通じ合うものを感じたりして一緒に仕事をやらせて貰うことになったら、それが形になるように、よりよい物になるように、丁寧に実務を進めることが僕の仕事だと思っています。その結果、我々が紹介する音楽に共感して下さる人が少しづつ増えて、また新たな仕事や出会いへと続いていけば嬉しいです。個人的には、またギターをちゃんと弾き直して、ギターの美しい音色を幾重にもレイヤーした物凄く内省的な多重録音アルバムを1枚作ってみたいなあ、とぼんやり思ってますが、子育てが一段落ついてからになりそうです。」

H「演奏も考えてるんですね。期待しています! それでは選曲に移りましょうか。テーマは何でしょうか?」

I「はい。『節目の10曲』です。音楽を聴き始めて30年余、音楽が仕事になって15年、今回このインタビューで初めて自分の聴いてきた音楽を年代順に振り返りました。」

H「稲葉さんの節目の10曲、楽しみですね。では1曲目は?」


1.Judas Priest / The Sentinel

I「冒頭でいきなり関係各位を困惑させていないか不安です。ギター少年期はハードロックやメタルをたくさん聴いてました。UKメタルはリアルタイムではありませんが、このアルバムにはハマりました。この曲はイントロ、リフ、メロ、アレンジの細部まで練られ、とにかく全てがカッコいい。15歳の僕は、このツイン・ギターによるソロの応酬に鳥肌を立てていました。」

H「稲葉さん、『とにかく全てがカッコいい』ですか。もちろん、このギター・ソロも完コピしてそうですね。もう次が気になってしょうがないです」


2.The Smiths / There Is A Light That Never Goes Out

I「高2あたりで自分を嫌いになる時期が来まして、それまで聴いていた音楽とは違うものを求めていたところに『ロッキン・オン』とザ・スミスが待っていました(笑)。ある時期の僕はモリッシーの歌詞のおかげで自己を肯定できていました。もちろんジョニー・マーのギターは演奏からサウンドまで熱心にコピーしていましたね。」

H「僕ももちろんロッキン・オンには人生を変えられました。そして僕の周りにもジョニー・マーもどきがたくさんいます。次はどうでしょうか?」


3.My Bloddy Valentine / Glider (Andrew Weatherall Mix)

I「内向的なギター少年が、マンチェスター・ムーヴメントをきっかけにダンスの快楽を知った、というところでしょうか。プライマル・スクリームの『スクリーマデリカ』など、アンディ・ウェザオールのこの時期の仕事はどれも本当に刺激的でした。」

H「マイブラは僕も聞きました。稲葉さん、僕よりもすごくお若いのに、やっぱりませてますね。こうなってくると次は?」


4. Frankie Knuckles / The Whistle Song

I「大学に入って間もない頃、下北沢のクラブ『ZOO』で初めてこの曲を聴いた時の幸福感を覚えています。初めて彼女に作ってあげた選曲テープの1曲目は、確かこの曲でした。僕の『大学デビュー』の幕開けを飾る曲ですね。」

H「この曲はホント、流行りましたよね。僕ももちろん大好きでした。次はどうでしょうか?」
※このインタビューはフランキー・ナックルズが亡くなる以前に行われました。ご冥福をお祈りいたします。


5.maurizio / Domina (Carl Craig's Mind Mix)

I「大学3年からキャンパスが品川になり、講義が終わると週2ペースくらいで渋谷に行き、シスコなどでハウス/テクノの12インチを買い込んでいました。このトラックは本当に大好きで、個人的にはカール・クレイグのベスト・ワークだと思っています。」

H「やっとイメージ通りの稲葉さんに近づいてきた感じがします(笑)。稲葉さん、基本的に『抑制された美』を音楽に求めるんですね。さて、次は?」


6.Cinema Novo / Caetano Veloso & Gilberto Gil

I「ジャイルス・ピーターソンとジョー・デイヴィスが選曲しトーキン・ラウドから発売された『BRAZILICA!』というコンピをきっかけに、青山のクラブ『ブルー』に通いだしたのが僕の南米、特にブラジル音楽愛の始まりです。最初はリズムの心地よさから入りましたが、カエターノ・ヴェローゾを聴いてポルトガル語の響きの美しさにも魅了されました。(YouTubeではフル・アルバムのリンクしかありませんでした。この2曲目です)」

H「稲葉さんの年齢ですとあのコンピからなんですね。もう本当に東京音楽街道ど真ん中を歩いていますね。さてこうなると次は?」


7.Tortoise / Djed

I「インパートメントに入社する前後の時期は、サンプラーやシーケンサーでトラックを作ってMo Waxにデモを送ったりしてました。返事は来ませんでしたが(笑)。当時渋谷ロフトの最上階がWAVE渋谷店で、塩尻さんというバイヤーさんが担当の音響系コーナーがあり、ミル・プラトーやメゴといった先鋭的なレーベルや、トータスを始めとしたシカゴ音響派に出会いました。これをきっかけに再びギターを弾くようになったのですが、前述したようにあまりうまく行かず、レコード会社のディレクターの仕事が忙しくなったせいもあり、自分の音楽活動は止めました。」

H「あ、そうか。順番としてはクラブでブラジルの後に音響系ですよね。確かにそうでした。稲葉さん、何度も言いますが東京音楽シーンの生き証人ですね。さて次は?」


8.Beto Caletti / Chegaste

I「僕が本当に今の仕事を続けていきたいと思うようになったのは、ベト・カレッティと仕事をするようになってからです。彼の作品の日本盤をリリースし、初めて自分で来日ツアーを企画し一緒に日本全国を回りました。彼との付き合いの中から、ミュージシャンとのパートナーシップの築き方を学んだと思います。紹介するのは彼の代表曲「シェガスチ(君は来た)」のライブ・バージョンで、これは初来日ツアーで鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュさんで収録したもの。素晴らしいハーモニカを吹いているのはマツモニカさんです。」

H「うわ。ちょっと今、僕、目が潤んでます。なるほど。稲葉さんの人生、音楽と共にありますね。では次は?」


9.Carlos Aguirre / Los Tres Deseos De Siemple

I「カルロス・アギーレを音楽家として、人間として本当に尊敬しています。彼との友情がある限り、僕はこの仕事をやめないと思います。子供達が大きくなったら、いつか家族で彼の住むエントレ・リオス州のパラナーを訪れるのが夢です。その前に一人で行ってしまうかもしれませんが...。このライブは昨年、エントレ・リオス州が主催したイベントで収録されたようですが、キケ・シネシやアカ・セカ・トリオのフアン・キンテーロも参加してますね。」

H「是非、お子さま達と家族で行って下さい。南米の人たちって家族で行くとすごく歓迎してくれますよ。お子さま達にも、お金で買えないすごく良い経験になると思います。ちょっと関係ない話ですが、カルロス・アギーレの観客ってそうとう上流なんですね。では最後の曲ですが」


10.Tiganá Santana / Elizabeth Noon

I「最後は少し宣伝っぽくなってしまいますが...、ご勘弁下さい。チガナ・サンタナというブラジルのバイーア出身のシンガー・ソングライターで、現在は北欧でも活動しています。『アフロ・ブラジルの血が流れたニック・ドレイク』とでも表現したくなる、まるで祈りのような内省的な響きに、アフロ・ブラジル的な滋味深さが宿った希有な音楽で、ご覧の通り、普通のガット・ギターから一番高音のE弦を外した5弦で演奏しています。彼のアルバム『ジ・インヴェンション・オブ・カラー』を4月27日にアプレミディ・レコーズからリリースします。こういった地味な音楽は売れない世の中ですが、ひとりでも多くの方に届けたい作品です。」

H「もちろん宣伝、大歓迎です。ああ、でもこういう音楽はとりあえず聞いてもらって存在を知ってもらってという地道な宣伝が必要なんですよね。素敵な音楽ですね。」

稲葉さん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。稲葉さんの音楽人生が知れて素敵な時間でした。

みなさんも稲葉さんが携わっている音楽、是非、チェックしてみてください。

●インパートメント HP→ http://www.inpartmaint.com/

●稲葉昌太さんtwitter→ https://twitter.com/ShotaInaba



GWですね。この記事をご実家や旅行先で見ている方も多いのではないでしょうか。
また久しぶりにCDを買ってみて下さい。稲葉さんのような人たちが情熱をこめて、みなさんに届けようと日々、努力しています。

それではまた、こちらのお店でお待ちしております。

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