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bar bossa vol.62:bar bossa

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vol.62 - お客様:影山敏彦さん(tico moon)


【テーマ:迷える思春期のあなたへ送る10曲】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今月はtico moonのギタリスト、影山敏彦さんをゲストにお迎えしました。


林;こんばんは。早速ですが、お飲物はどうされますか?


影山;ギネスビールをお願いします。


林;ギネスは最近やってなくて、黒ビールでしたらコエドの漆黒というビールがありますが、どうでしょう?


影山;じゃあ、それでお願いします。


林;それでは簡単なプロフィールをお願いできますか?


影山;1966年、東京の新宿で生まれました。新宿と言っても西新宿の十二社というところで、下町情緒あふれるところでした。近所に十二社温泉という温泉と温水プールが一緒になった施設があって、夏のスイカ割り大会やドジョウすくいが毎年楽しみでした。その後7才の時に東京の世田谷区へ引っ越しました。こちらは出来たばかりのマンモス団地で、何もかもが新しく、新宿とのギャップに子供心ながら驚きました。


林;新宿ご出身! カッコいいですねえ。小さい頃の音楽的な環境はどうでしたか?


影山;僕の小さい頃父親は映画音楽やイージーリスニング的なジャズやクラシックが好きで、家にはあの頃通販で流行っていたLPの全集ボックスが沢山ありました。よくドライブに出掛ける家庭だったので、カーステレオからはいつもそんな音楽が流れてきていました。映画「世界残酷物語」の主題歌や「男と女」のサントラなど、今でも好きだなと思う曲が沢山ありました。

またちょっと年上の従姉妹が埼玉の所沢に住んでいて、毎週の様に遊びに行っていました。従姉妹はグループサウンズや当時のアイドルが好きで、よくレコードを聴かせてもらっていました。その時のお気に入りはザ・タイガースの「シー・シー・シー」と「ジンジン・バンバン」でした。


林;おお、従姉妹からグループサウンズをっていうのが時代ですねえ。初めて買ったレコードは?


影山;初めて買ったレコードはフィンガー5の「学園天国」でした。ちょっとロックンロールっぽい曲調とオープニングの掛け合い、そして晃の大きなサングラスに完全にやられていました。


林;あれ、カッコいいですよね。他にはどういうのを聞いてましたか?


影山;その後小学校高学年の時に強烈に影響を受けたテレビ番組に出会いました。「ぎんざNOW!」という番組です。月~金の夕方の帯番組なのですが、毎日日替わりで色々な企画がありました。「しろうとコメディアン道場」というコーナーを見た時は、小学生ながら本気でお笑い芸人になろうと思っていました。音楽の企画も充実していて、バンドコンテストや洋楽・邦楽チャートコーナー、デビューしたての日本のバンドなども沢山出演していました。そしてよく出演していたCharやBowWow、Lazyなど、エレキギターを持って歌う人たち、厳密に言えばエレキギターそのものにノックアウトされてしまい、とにかくエレキギターが鳴っている音楽ならなんでも聴きたいという時期が暫く続きました。寺内タケシ、野口五郎、沢田研二のバックバンド、KISS、音楽性はさておきテレビの画面からエレキギターを見つけるのに必死でした。

と言いつつ当時流行っていた歌謡曲も大好きでした。その頃母親が家で内職をしていたのですが、いつもラジオを聞きながら仕事をしていたので、ラジオから流れてくる山口百恵や石川さゆり、岩崎宏美や沢田研二など、よく一緒に聴いていました。


林;お、ギターキッズへの入り口がこの辺りにあったんですね。その後はどうでしたか?


影山;その後中学に入り自分のラジカセを手に入れた事もあり、ラジオ熱は益々高まっていきました。平日はNHK-FMの「軽音楽をあなたに」、土曜はFM東京の洋楽、邦楽のトップテン番組、そして夜はAMの深夜放送やFEN、とにかくラジオを聴くのが楽しくて仕方がありませんでした。本格的に洋楽を聴く様になるのもこの頃からでした。と言っても主な情報源はラジオのチャート番組なので、まず好きになったのはその頃人気のあったチープトリック、クイーン、アバ、ベイシティーローラーズなど。ミュージックライフを読んでいたのもこの頃でした。ただ前述の従姉妹がこの頃ロックを聴く様になっていて、その後彼女のレコード棚にあったレッド・ツェッペリンやジェフ・ベック、ロッド・スチュワートなどにどんどん興味は移っていきました。

そして遅ればせながらとうとうラジオでザ・ビートルズに出会う事が出来たのもこの頃でした。初めて聴いたのは確かFENから流れてきた「抱きしめたい」でした。とても衝撃的な出会いだったのですが、初めて手に入れたビートルズのレコードが、父親が出張のお土産で買って来てくれた「Love Songs」という甘い曲を集めたコンピレーション盤だったので、ちょっと拍子抜けした事を今でも覚えています。もちろん今では甘いビートルズの曲も大好きですが。


林;もうギターキッズ王道そのものですね。そして?


影山;そしていよいよ中学2年のお正月に念願のエレキギターを手に入れる事が出来ました。同じ学年の他のクラスに、親が純邦楽の師匠でギターがものすごく上手な男の子がいたのですが、ひょんな事から彼と仲良くなり、学校が終わると彼の家に入り浸ってはずっとギターを教えてもらっていました。そしてとうとう中学3年の夏休み、受験生にとっては最も大切な時期に、あろう事か彼と初めてのバンドを組み、毎週の様にスタジオに入ってはギターをかき鳴らしていました。ただ2学期が始まった瞬間に塾の先生にギターを取り上げられてしまい、バンド活動も暫くおあずけとなってしまいました。


林;(笑)でも、始まりました。


影山;4月には無事高校に合格。大学の付属高校だった上、何の部活にも入らなかったので、ぬるま湯の様な高校生活が始まりました。同じクラスに他の高校から編入して来た一つ年上の同級生がいたのですが、高校時代に彼から受けた影響は計り知れませんでした。映画や音楽にとても詳しく、よく一緒にレコード屋巡りや映画館に行ったりしました。ちょうど通学の経由駅が西武新宿駅だったので、学校の帰りには毎日の様に西新宿界隈のレコード屋に足を運んでいました。ウッドストック、えとせとら、シカゴ、新宿レコード、エジソン、そして東口のディスクユニオン。たくさんは買えませんが、ただレコードを眺めているだけで幸せでした。

この頃その彼から教えてもらったパンク・ニューウェーブにどんどんのめり込んで行くのですが、やはりこういう音楽は肌で地元のリアルなうねりを感じなくてはだめだ、と妙な使命感の様な物を感じ、ライブハウスやストリートライブへ通う様になりました。東京ロッカーズは終わり、ストレートなパンクロックもありませんでしたが、E.D.P.S、少年ナイフ、くじら、コンクリーツ、突然段ボール、ガーゼ、システマティック・デス、エクスキュート、キャー、G.ZETなど、もやもやした思春期の男子高校生にとって刺激的な音楽はいくらでもありました。カムズというバンドの解散ライブを屋根裏で観た後の渋谷の朝がとても眩しかったのも、今では甘酸っぱい思い出です。


林;うわー、高校生でリアルタイムでその辺りを経験されてるんですね。


影山;とは言え相変わらす洋楽も聴いていました。ベン・ワットやトレーシー・ソーン、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ウィークエンド、モノクローム・セットなど、ネオアコと呼ばれる音楽に出会ったのもこの頃でした。桑原茂一さんがやってらした原宿のピテカントロプスというクラブで初めて観たドゥルッティ・コラムには、狂気を孕んだ繊細さとはこういう事なのかと、衝撃を受けました。


林;お、イメージ通りの影山さんらしさがこの辺りから見えてきましたね。そしてその後は?


影山;大学入学後、とりあえずおそらく学校で一番大きい音楽サークルに入りました。ジャンルは何でもありで、お酒を呑みながら音楽の話をするのが大好きな人たちの集まりでした。おかげで、それまで見向きもしなかったアメリカンロックやブラックミュージック、シンガーソングライターやジャズ、フュージョンなど、たくさんの素晴らしい音楽がある事を知る事ができました。


林;大学のサークルって音楽が広がるきっかけですよね。


影山;そしてまたしても衝撃的なテレビ番組に出会いました。ピーター・バラカンさんの「ポッパーズMTV」です。その頃ようやくわが家にやってきたビデオデッキで録画しては繰り返し見ていました。音楽と映像がこんなにもクリエイティブに融合していくものなのだなと、毎週楽しみにしていました。

友人に誘われるがままに始めたコンサートの搬入・搬出・警備のアルバイトは、結局大学卒業直前まで続けていました。搬入・搬出の仕事は完全に肉体労働なのですが、コンサートに少しでも携わっているという錯覚に陥り結構楽しかったです。武道館の仕事も結構多く、エリック・クラプトン、ビリー・ジョエル、アイアン・メイデン、矢沢永吉、忌野清志郎、チェッカーズなど、興味の有る無しに関わらず色々なジャンルのいわゆる大物ミュージシャンの演奏を聴けたりして、大変ながらも楽しく働いていました。


林;「錯覚に陥り」に笑いました。僕もそのバイト、学生時代やりましたよ。


影山;この頃、スターリンを解散された遠藤ミチロウさんの新しいプロジェクトのオーディションを受けたのも良い思い出です。何の間違いかテープ審査には通ってライブ審査という事になり、初めてミチロウさんにお会いしました。極度に緊張していたのですが、ミチロウさんはとても優しい方でした。もし受かっていたら全然違う人生を歩んでいたかもしれません。


林;え! すごい! さていよいよ社会人になるわけですが。


影山;大学卒業後、暫くサラリーマンをやって、その後別の仕事にも就いたのですが、色々な事情で仕事を辞める事になりました。音楽の興味としては、POP IND'S、ニューズウェーブ、Suburbia Suite等の紙媒体を経由しつつ、ちょうどその頃ブラジルの音楽に興味を持つ様になり、ガットギターを手に入れたので、一念発起してギターをちゃんと習う事にしました。中南米系のクラシックギターを得意とされる演奏家の方に数年程師事したのですが、その頃遅ればせながらでも基礎を教わっておいて本当に良かったと、今でも思っています。


林;なるほど。


影山;平行してほんの少しずつですが、人前で演奏する様になりました。シャンソンやミュゼット、ボサノヴァなど、面白いと思ったものはどんどんやってみました。そして、とにかく一緒に音楽を奏でてみたいと思える人と出会えるという事がとても大切だと感じる様になりました。そんな中で出会ったのが、現在tico moonでハープを弾いている吉野友加さんです。


林;おお!


影山;彼女と出会ったばかりの頃は、ギターとハープでどの様な演奏をすれば良いのかさっぱり見当もつきませんでしたし、共通の音楽の趣味というものも殆どありませんでした。ただ彼女とは、良いものに対する感覚は同じではないか、そして大きな目で見ればきっと同じ方向を見ているのではないか、という事を直感しました。そして徐々にオリジナル曲を作る様になり、ぼんやりとですが二人で音楽を演奏し続けて行けば見えてくる新しい世界があるのではないかと、感じる様になって行きました。


林;素敵なお話ですね。


影山;そしてギタリスト、と言うより今では音楽家と言った方が通りが良いと思いますが、伊藤ゴローさんと出会ったのも同じ頃でした。まだmoose hill名義で活動する少し前で、naomi & goroを始め、色々なボサノヴァ的なセッションで良くお見かけしていました。その頃ブラジル的なギターを弾かれる演奏家の演奏を色々と聴きに行っていたのですが、ゴローさんの奏でる音はどんな人とも違って聴こえていて、あっという間にその音の虜になっていました。ゴローさんと知り合う事によって、tico moonのアルバムリリースでお世話になる事になるレーベル、333DISCSとも出会う事が出来ました。

このお二人との出会いは自分の音楽生活の中でもとても大きな出来事でした。そしてこの後もいくつかの大切な出会いに支えられて現在に至っています。


林;こう聞いてみると、影山さんの人生は「出会い」で大きく何度も良い方向に向かってきましたね。さて、これはみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?


影山;個人的な話ですが、今までは割と自分の好きな音楽を手許に置いておきたいという欲求が強く、レコード店でレコードやCDを集める事が何よりもの楽しみでしたが、最近ではそういう意識が段々と薄れていっている様な気がします。ふとつけたラジオから聴こえてきた音楽や、たまたま入ったカフェでかかっていた曲に心を奪われる事があっても、あえて昔の様に血眼になって探したりはせず、次の出会いを楽しみにする、そんな感じでしょうか。ただ自分のアルバムを作っている時は相変わらす血眼になっていますが。


林;なんとなくわかります。これからのご予定を教えていただけますでしょうか?


影山;とにかく続ける事、この一言に尽きます。この9月に『Arietta(アリエッタ)』というtico moonの新しいアルバムをリリースしました。tico moonの結成から15年と少し、通算8枚目のアルバムで、遊佐未森さん、ビューティフルハミングバードさんという素晴らしい2組のアーティストに作詞と歌唱・演奏で参加していただきました。tico moonを始めた頃には思ってもみなかったこんな素敵なコラボレーレションが実ったのも、ひとえに音楽を止めないで続けて来たからだと思っています。


林;このアルバム、すごく良いですねえ。二人の天国に近い音空間に遊佐未森さんの天使の声が加わるとすごい世界になりますね。さて、みんなが待っている10曲の選曲なのですが、まずテーマを教えてください。


影山;はい。「迷える思春期のあなたへ送る10曲」です。
自分の事を振り返ると、多感な思春期に見聞きしたり体験した事には今に至るまで大きな影響を受けていると感じます。そして同時に音楽には幾度となく気持ちを救われました。若い時期に音楽に触れるのは本当に素敵な事だなと思い、こんな曲を選んでみました。


林;おお、思春期で迷える方、オジサンなのに思春期みたいな方も、期待大ですね。


01. David Byrne「Once In a Lifetime」

影山;もやもやした気分になったら、まずこのビデオのダンサーの様に踊って発散してみるのはいかがでしょうか?この曲はもともとトーキングヘッズというバンドの曲ですが、2008〜9年に開催されたデヴィッド・バーンのこのツアーでの演出が素晴らしく、僕も東京公演では踊り狂いながら聴いていました。


林;もうとにかく名曲ですが、最近はこんな演出なんですね。影山さん、これで踊り狂うんですね(笑)


02. Marcus Tardelli「Baiao de Lacan」

影山;思春期の若い頃、時間だけはたくさんあり、今では考えられない程集中力と忍耐力があった様な気がします。この曲はギンガの曲をギターソロにアレンジして演奏しているのですが、こんな難しそうな曲を今ではとても弾こうとは思いません。集中力のある思春期にこそチャレンジしてみるのはいかがでしょうか?


林;うわ、すごい演奏ですね。これはすごい...


03. Cato Guitar Duo 「Jongo」 by Paulo Bellinati

影山;そして一人で演奏する事に飽きたら、是非どなたかと二人で演奏する事をお薦めいたします。この曲はもともとギターの独奏曲を作曲者自身でデュオ用に編曲したもので、ギターデュオのスタンダードとしても知られています。自身の経験上、1+1=2では無くそれ以上なのは間違いなく、試してみたらその広がりにきっと驚く事でしょう。もちろん音楽に限らず色々な事にあてはまるのではと思います。


林;自身の経験上というのが響くお言葉です!


04. Aca Seca Trio「Adolorido」

影山;そして更にもう一人誘って次はトリオです。3人というのはなかなか手強く、2対1、3対0、1対1対1など、状況がどんどん変化していきます。人間関係について学ぶにはうってつけの人数です。そして奇跡が起こった時には、この曲の様な素晴らしい瞬間が訪れるかも知れません。


林;もう奇跡ですね。3人、難しいけど、こういう瞬間もあるんですね。


05. Dr Feelgood「She does it right」

影山;4人になるともう向うところ敵無しです。メンバーの結束が最高潮に達した時には、この曲の様に一丸となってひたすら突き進み、あらゆるもやもやを吹き飛ばす事が出来るでしょう。ただ勢いがもの凄いだけに、何かにぶつかると崩壊するのも早そうです。そこさえ気をつければ4人というのはバランスのとれた人数だと思います。ちなみにギターとベースが前後するアクションもこの演奏の見所です。


林;そしてドクター・フィールグッド! カッコいいですねえ。影山さんがこういうのがお好きなのがわかったのが今回の一番の収穫かもです。


06. Frank Zappa「Inca Roads」

影山;いろいろと経験したのちは、優れたリーダーのもとで大人数で統率のとれた演奏するのはいかがでしょうか?マイルス・デイヴィス、ジェームス・ブラウン、そしてこのフランク・ザッパ、優れたリーダーがいるだけでその場が引き締まる事があります。優れたリーダーに出会う事が出来たら目の前が大きく広がるでしょう。


林;なるほど。優れたリーダーですか。でも影山さん、ザッパが好きな人だったんですね。なるほど、わかってきました。


07: Gunung Sari「Baris」

影山;若い頃はとにかく人と違う事をやってみたくなる時期があります。そんな時、たとえばガムランに打ち込む、もしくはバリ舞踊を習ってみるなどいかがでしょうか?今では日本にもたくさんのバリ舞踊団があり、その気があれば習ってみる事も出来ると思います。ちなみにこのビデオで踊っているアノムさんというダンサーの踊りを目の前で見た事がありますが、人生が変わってしまいそうになりました。


林;この間、カウンターで聞きましたが、影山さん、バリダンス踊ってたんですよね。


08: Devine & Statton「Under the weather」

影山;色々とやってみたり考え込んだりして疲れた時、こんな曲はいかがでしょうか?僕自身、この元ヤング・マーブル・ジャイアンツ、元ウィークエンドのヴォーカリスト、アリソン・スタットンの歌声に何度と無く救われました。一度で良いから生で聴いてみたい声です。


林;うわ、ここにきてデヴァイン&スタットン! 僕も大好きでした。


09: Gustave Charpentier「Depuis le Jour」

影山;この映像は1987年に公開された映画「アリア」という映画の中の一遍です。「アリア」は10曲のオペラ・アリアに、このデレク・ジャーマンをはじめとする10人の監督が映像を付けた、とても美しいオムニバス作品です。この映画を初めて観た時、雷に打たれた様に胸が熱くなったのを今でも憶えています。若い時にこんな素敵な作品に出会えた事に感謝しています。


林;へえ。こういうのがあるんですね。また影山さんの違う一面を知ることが出来ました。


10: 伊藤ゴロー「Captain Coo with a Butterfly」

影山;思春期に聴いたビートルズ、ビーチボーイズ、XTC、素晴らしい音楽に人生が多少ならずとも影響を受けていると感じます。もし思春期にこの曲に出会っていたらどんな人生が待ち受けていたでしょうか。考えただけでワクワクします。


林;ああ、確かにビートルズ、ビーチボーイズ、XTCの先にある日本の音楽ですね。今でも思春期の影山さんに刺さる曲ですね。


影山さん、お忙しいところ今回はどうもありがとうございました。みなさんも是非、tico moonの新作、聴いてみてくださいね。


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■タイトル:『Arietta』
■アーティスト:tico moon
■発売日:2016年9月14
■レーベル: 333DISCS

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試聴はこちらになります。→http://www.e-onkyo.com/sp/album/rsc333d50/


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影山敏彦 twitter


いつの間にか夏も終わり、もうしっかり秋ですね。この秋も良い音楽に出会えると良いですね。
それではまた来月もこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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【林 伸次 近著】

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■タイトル:『バーのマスターは「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由』
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「このビール、ぬるいんだけど」とお客さまに言われたら、あなたならどう対応しますか?
その都度悩んで、自ら回答を見つけてきた渋谷のバーのマスターの約20年。
楽しく経営を続けられたのには理由がある!

「バーの重たい扉の向こうには、お客さま、店主、お酒......その他たくさんの物語が詰まっています。ぜひ、あなたもその物語に参加してみてください。」
――本文より


「bar bossa」アーカイブ

vol.1 「モニカ・サウマーゾ」 ・vol.2 高木洋介 ・vol.3 「クリスマス・ソングのボサノヴァ」 ・vol.4 柳樂光隆 ・vol.5 「1960年代当時のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.6 松原繁久 ・vol.7 「1970年代から1980年代までのブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.8 中村ムネユキ ・vol.9 「現代のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.10 江利川侑介 ・vol.11 「エレンコ・レーベル」 ・vol.12 田仲昌之 ・vol.13 「ルミアール・ヂスコス」 ・vol.14 定成寛 ・vol.15 寺田俊彦 ・vol.16 白尾嘉規 ・vol.17 「畠山美由紀『rain falls』 プロデューサー中島ノブユキ インタビュー」 ・vol.18 山本勇樹 ・vol.19 「ジノンさん ルシッド・フォールについて」 ・vol.20 大場俊輔 ・vol.21 「ブラジル人と演奏しているアメリカのジャズ・ミュージシャン特集」 ・vol.22 武藤サツキ ・vol.23 「Lucid Fall (The Best of)」 ・vol.24 筒井奈々 ・vol.25 「THE PIANO ERA2013」 ・vol.26 山上周平 ・vol.27 ジノン ・vol.28 東野龍一郎 ・vol.29 林伸次 ・vol.30 中村智昭 ・vol.31 齊藤外志雄 ・vol.32 染谷大陽 ・vol.33 稲葉昌太 ・vol.34 小嶋佐和子 ・vol.35 石郷岡学 ・vol.36 原田雅之 ・vol.37 松本研二 ・vol.38 塚田耕司 ・vol.39 岩間洋介 ・vol.40 中村信彦&真理子 ・vol.41 白尾嘉規 ・vol.42 田仲昌之 ・vol.43 山本勇樹 ・vol.44 新川忠 ・vol.45 川嶋繁良 ・vol.46 田村示音 ・vol.47 山崎雄康 ・vol.48 上川大助 ・vol.49 町田和宏 ・vol.50 林下英治 ・vol.51 シュート・アロー ・vol.52 高橋悠 ・vol.53 沼田学 ・vol.54 庄野雄治 ・vol.55 山本のりこ ・vol.56 渡部徹 ・vol.57 小栗誠史 ・vol.58 相澤歩 ・vol.59 土田義周 ・vol.60 榎本善一郎 ・vol.61 町田洋子


bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら

bar bossa vol.61:bar bossa

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vol.61 - お客様:町田洋子さん(ワインバー・マチルダ)


【テーマ:20年聴き続け今でも店でかけたい曲10選】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今月のお客さまは初台のワインバー・マチルダの町田洋子さんです。


林;いらっしゃいませ。早速ですがお飲物はどうされますか?


町田;ロゼワインのペティアンをお願いします。


林;さすが、カッコいい注文ですね。それではフランツソーモンのロゼ・ペティアンをお出ししますね。


町田;お願いします。


林;さて、プロフィール的なものを教えていただけますか?


町田;町田洋子です。1975年生まれ、生まれも育ちも群馬県です。会社員の父と専業主婦の母、3つ上の兄の4人家族で外飼いの柴犬がいました。


林;お兄さんがいるんですね。なんとなくわかります。小さい頃の音楽環境とかは?


町田;両親が音楽を好んで聴いているという環境ではありませんでしたし、遊びはもっぱら野外。いわゆる おてんばな女の子です。幼少期、自宅にオルガンがあったので見よう見まねで「ねこふんじゃった」を弾くくらいでしたが、兄の影響で5才からエレクトーンを習い始めました。土曜日の午後、先生が自宅に来てレッスンしてくれるのですが、レッスンが嫌で嫌で。特にソルフェージュが苦手でした。音符をドレミに発音変換が出来なかったんです。小学校6年生まで習っていたのですが、最終的に家に帰らなくなりました(笑)携帯電話のない時代で本当に良かった。


林;この「鍵盤ものを習う」のって日本中であったようですが、それぞれのリアクションが違って面白いですね。


町田;聞く音楽はテレビから流れる邦楽が中心でした。アイドル全盛期だったのですが、男性アイドルより女性アイドルが好きだったようで、低学年の頃は松田聖子や中森明菜など「8時だョ!全員集合」に出てくるアイドルが好きでした。それが、3年生のクリスマスに父からカセットテープウォークマンをプレゼントされたのをキッカケに、私の音楽に対する執着心が芽生え始めます。当時まだ目新しかったポータブルプレイヤーで、ずーっと音楽を聴いていました。友達と遊ぶ時にも持ち歩いていたので、今思うと変な子供だったと思います。お気に入りだったのが少女隊の「Bye-Byeガール」って曲なんですけど、曲調がね、モータウンっぽいですよ。今まで聴いてた曲と全然違ってなんか新しくてねぇ、ちょっと踊りだしたくなっちゃうような。ハンドクラップとかホーンセクションとか入ってて、純粋にカッコイイ!と思ってヘビロテしてました。今でも脳内再生させてるくらいです。


林;おおっと、良いですねえ。


町田;その次に入れ込んだのはレベッカでした。1985年に4thアルバム 『MAYBE TOMORROW』が発売になって、完璧に魂まで持って行かれるくらいに夢中になりました。これが自分で初めて買ったCDです。確か最初にカセットで買って、その後CDを買い直したんじゃなかったっけな。ちなみにこの頃から音の位相を意識していたのと、CDのクレジットに興味があってレコーディングエンジニアとか、録音スタジオなどすべてチェックしていました。


林;レベッカ登場。あれ? でも小学生ですよね。マセてますねえ。中学にいくとどうなりましたか?


町田;中学生になると吹奏楽部に入部して打楽器をやっていました。小学校の時に見た「ポニーテールは振り向かない」というドラマの影響でドラムに興味を持ったんです。ドラムを叩きたいが為に入部しました。聴いていた音楽は引き続き女性J-POPで、レベッカ、PRINCESS PRINCESS、渡辺美里、Dreams come true、松任谷由実なんかを聴いていました。


林;あ、もうとにかく音楽中心なんですね。


町田;高校に入学してからはいろんなジャンルの音楽に触れるようになります。事の成り行きで、学校終わりに毎日JAZZ喫茶(夜はJAZZ BARになる)に通うようになりました。そこで初めてJAZZに触れ合う訳ですが、誰の曲かとは全然分かっていませんでした。ただ、「あ、このアルバムいつもかかってるけどマスターのお気に入りなのかな?」とか「あのお客さんが来るとトランペットの曲をかけるな?」とか、その程度の認識でした。それがジョン・コルトレーンとマイルス・デイビスだと分かったのは随分先の事でした。


林;カッコいい...


町田;部活には入らなかったのですが、ドラムは引き続き叩いていました。同級生とガールズバンドのコピーをしたり、学校の先生とブルースをやったり、あとは、ドラムは需要があるので、友達のバンドサポートとして、ライブハウスに出演していたりしました。


林;なるほど。ドラムたたける可愛い女子って重宝されそうですね。


町田;愛読書はドラムマガジン。この雑誌で楽器メーカー主催のサマー・ドラムスクールというのがあるのを知ります。4泊5日の合宿で、現役のプロドラマーが講師で教えてくれる、というとっても魅力的なものでした。両親に行きたい旨を相談したところ反対されたので、アルバイトをしてお金を貯めて高校2年生の時に参加しましたが、16歳の私には衝撃的でした。今なら分かる、凄腕ドラマーが講師に来ているというのに、当時はそんな事全然知らずに参加してしまいました。なにせリムショットもゴーストノートも知りませんでしたから。帰省し、すぐに買ったアルバムはジェームス・ブラウンと、山下達郎さんのライブアルバム『JOY』とT-SQUAREでした。


林;おお、すごく正しいですね。高校2年生ですよね。カッコいい...


町田;野外フェスといえばJAZZフェスで、駒ヶ根JAZZフェスティバルに行ったり、海外のJAZZフェスを深夜放送で熱心にリサーチしていました。当時お気に入りだったのはThe Rippingtons、パット・メセニー、マッコイ・タイナートリオ、ブレッカー・ブラザーズ、はにわオールスターズ、T-SQUARE。
チック・コリアに関しては 「トリオよりもエレクトリックバンドの方が好きなんだよね」などと吐かす生意気っぷり。誰か私を殴ってください。こうしてフュージョン女子高生に仕上がっていきました。ドラマーの青山純さんに憧れて、夢はスタジオミュージシャンでしたが「これ無理だわ~」となったのは高校3年生でした。


林;うわ、これは高校卒業後の展開が気になります。


町田;高校卒業後、東京の短大に進学して一人暮らしを始めました。東京最高でしたね。ライブもすぐに行けるしお芝居も沢山やっている。アルバイトでおこずかいを稼いでそういう娯楽を積極的に楽しんでいました。六本木PIT-INにはよく行きましたね。


林;90年代前半ですから東京が一番面白い頃ですよね。わかります。


町田;短大を卒業したら地元に戻って銀行員になる事を条件での上京でしたが、OLになるのが嫌で嫌で。第2次イヤイヤ期です。


林;(笑)


町田;就職せずに東京に居残りフリーターの時期が2年ありました。その間、ドラム合宿で知り合った人たちが続々とプロになっていきまして。友人がデビュー当初の平井堅さんのサポートミュージシャンをしていたので見に行ったり、打ち上げに参加してたりしてたんです。その延長線でレコード会社の人との接点が増えていきました。ほぼ毎晩、音楽関係者と新宿三丁目のBARに行く事になりまして、ガッツで朝まで飲んでいたら、レコード会社に拾って貰える事になりした。ちなみにこの頃BARで流れてたお気に入りは、キャロル・キング、カーラ・ボノフ、ドナルド・フェイゲン、クルセイダース、Billy mannなどです。現在MACHILDAでの選曲に大きく関わる時期です。


林;なるほど、新宿三丁目で飲んでたんですね。音楽も渋いはずです。レコード会社のことをもう少し詳しく教えてください。


町田;レコード会社での担当部署は新人発掘部で、オーディションやライブハウスで発掘した新人アーティストの育成がメインです。レコーディング音源を作ってプレゼンして、メジャーレーベルと契約をするところまでの仕事はとてもやりがいのあるものでした。大変な事も沢山ありましたが、冒険のチャンスを与えられた場所だったなと思います。その後、他のレコード会社に移ってプロモーターをやっていました。担当媒体はラジオ局で、新譜の宣伝をしていました。


林;すごくやりがいのある仕事ですね。さて、その後はもちろんお店へと向かうわけですが、そのあたりの経緯を教えてください。


町田;今はワインバーを生業としていますが、初めて独立した時は洋菓子店だったんです。レコード会社で働くうちに、私も物を作る仕事がしたいと強く思うようになって、当時個人的にケーキを作っていたのですが、それが知り合いの飲食店の人の目に止まって、その店にケーキを卸すようになりました。お酒のアテになるケーキとして評判を上げていくにつれ、洋菓子を本職にしようかという気持ちが大きくなってきました。
ただ、ひとつ問題があって、私は皮膚が弱くって手荒れトラブルが悩みの種だったんです。雇われの飲食店ではこの手じゃやっていけなそうなので、やるなら独立、という構図がすぐに思い浮かびました。


林;そこで独立を思いつく... 毎回、発想や展開がすごいんですね。


町田;いきなり独立するのも無謀なので2年後の独立を目標に掲げ、ケーキカフェでバイトを始めました。私、たぶん物件運が良いんだと思うんですけど、28歳の終わりにスルッと物件が見つかったんです。小田急線参宮橋駅徒歩2分。商店街沿い9坪10万円。


林;安い!


町田;ただし、とても古くて5年間限定の契約物件だったんです。そのかわりに家賃も破格。5年後店を続けたければ引越しをすればいい。新しい仕事をしたくなるかもしれない。という可能性もあるので契約することにしました。5年という条件も後押しさせるものでした。3年か5年続けるかで世間からの評価がかなり違います。次のステップに移る時重要になると思いました。それとどうしても20代で独立しておきたかった。当時女性での飲食店開業はまだ珍しく、しかも20代であればそれだけで何かしらの取材が来る、と踏みました。


林;すごい...


町田;おかげ様で、店の取材と個人の取材は半々くらいでありまして、この先自営業として生き延びさせるノリシロを作る事が出来たと思っています。若かったからこそ出来たこと、若いが為に足りなかったこと、どちらもありましたが、がむしゃらにしがみついてやるしかありませんでした。余裕なんて全然なかったな。経営者というものがこんなにも孤独なものなのかと愕然としました。そうこうしているうちに5年の終わりが見えてきまして、店を続けない決断をしました。経緯はいろいろあるのですが、もっといろんな人と関わりながら仕事がしたいようになったんです。


林;店って閉めた直後は「もうしたくない」って思うようですね。離婚後と似ているというか...


町田;それで、料理研究家とかフードスタイリストのような仕事をしていこうと東横線学芸大学駅に引っ越して小さな2階建の一軒家を借りました。そこの1階をアトリエとして撮影に使ったり、同時にケーキや料理の教室を始めました。ここでコケるんです。フリーランス向いてなかった!次に繋げる営業力が圧倒的に足りなかったんです。1年経って経営の見通しが立たず、精神的にも追い込まれていき、人生で一番辛い時期に陥りました。


林;フリーランスって営業努力が大きそうですね。


町田;そんな時に現在のMACHILDA物件の話が持ち掛けられます。ここから、ただただ流れに乗るだけの生き方になります。


林;(笑)


町田;一人で焼き菓子屋を営んでいた知人が妊娠しまして、産休期間の2年間、お菓子屋をやらないか?と誘われたんです。正直、お菓子からは暫く離れたかったし、お店は2度とやりたくない、という気持ちがありました。だけど、逆にお店ならできるという気持ちもあったりして。とにかく稼がないとご飯も食べられないし住まいも失う事になるので話を進める事にしました。初台駅から徒歩1分。人通りの少ない緑道沿いの3坪物件はちょっと特殊なんですが、酒場なら成り立つ物件だな。と密かに思っていました。焼菓子屋の彼女も店舗撤退する方向に話も変わったので、契約期限なく居抜き物件を借りられる事になったんです。やっぱり物件運は強いと思います(笑)


林;物件の運って本当に全てですよね。


町田;小さい物件なので、専門店が良いと選んだのがヴァンナチュールです。当時飲んでいて好きでしたし、周りの店舗と業態も被らないし、リサーチの結果、飲み屋難民の働き盛りの30代が多く存在する事が分かったので、そういう地元の人が入りやすい雰囲気の店にしようとおもいました。雑誌にも食べログにも乗らないようなお店がいいな、と。


林;良いですねえ。


町田;的が当たったのか、オープンしてすぐにお客様に恵まれました。オープン1ヶ月後には雑誌の取材依頼が来て、焦りました。「ちゃんとやらなくっちゃ」と覚悟を決めて本腰を入れたのはそこからですね。オープンして3ヶ月経つ頃に萎えていたメンタル面も健康を取り戻していました。


林;これ、お店をやりたいという方や飲食業界の人もたくさん読んでくれているのでもう少し詳しくお店の方針なんかを教えていただけますか?


町田;営業スタイルは人それぞれだとは思いますが、私はお客様とは一定の距離を保って接するように心がけています。基本的に定休日にお客さんと飲みに行ったり、お店主催の花見をやったりしないタイプですね。最近少しずつその仕切りを外してみたりもしてますが。


林;それって大切ですよね。


町田;そしてその日の出来事を翌日に引きずらないように気をつけています。あとはお客さんの秘密は守る。とか。「最近Aさん来てる?」なんて聞かれて、たとえ入れ違いだったとしても「はい、たまに」などとはぐらかしたりします。私もそうですが、バーテンと美容師さんにしか話せない事とかもあったりしますからね。仕事でも友達でもない誰かに話してガス抜きしたいとか。


林;大切ですよね。ところで女性一人でさらに町田さん可愛いし、男性のお客さまから色々と面倒くさいことってないですか? 


町田;何言ってるんですか!バーテンたるもの口説かれなくでどうするんですか(笑)お客さんはオフでお酒を飲んでいる。私はオンで仕事中。そりゃ素敵に見えてなくちゃ困ります。これがバーテンマジックです。でその代わり、外であったら2割減になってしまうんですよね。マイナス採点されがちな職種だなあ。と思ったりします。


林;(笑)


町田;オープン当初は「仕事終わりに飲みにいこうよ」なんて誘われたれしましたが「この後片付けがあるから2時に待ち合わせになっちゃうんだけどいい?」と聞くと、100%回避できましたよ。休みに飲みに行った事もあるんですが、その後店で、「俺の女節」を発揮してしまう方もいらして、二人きりの飲みは難しいな。と思いました。でもこういうの、女性に限らず男性バーテンにもあるんじゃないですか?ねぇ、林さん。


林;あの、僕は妻と娘がおりますので。エヘン(咳)。お店はずっと続けられますか?


町田;お店を続けるのは・・・、極論ですが辞めなければ続きます。辞めたらそこでお店は終了なんですよね。もう本当にいろんな都合がありますけど、辞めない。それにつきます。これが難しいんですけどね。


林;わかります。他に何かこの業界を目指している人たちにアドバイスはありますか?


町田;お酒を扱う仕事をカウンターでやるにはなんというかそれなりの覚悟がいります。目には見えませんが、酔ったお客さんのエネルギーというのはハイパワーですので、真っ向から食らっちゃうと、店主が滅びます。滅びる人を何人も見てきました。ただ、ワインを飲まれる方は温厚な方が多くて、変なトラブルが起こる事もほとんどないので、それに関してはワインを選んで本当に良かったとおもっています。


林;あ、僕も全く同じでワインを選んで良かったってよく思います。でも、町田さんいつも楽しそうですよね。


町田;お客さんに「こういうお店、楽そうでいいな。いつかお店やりたいな。」と思ってもらう事が出来たらラッキーとおもっています。そんなに楽じゃないんですけどね、楽そうに演出できてるのかなって。


林;ほんと、そんなに楽じゃないですけどね(笑)


町田;カウンターメインでの飲食店の仕事はお客さんとの心の距離が近いのが魅力的ですね。そして、毎日が違う夜なので飽きません。色んな職種の方がいらっしゃるので、困っている事も大抵は解決しますし楽しいですよ、うん。楽しい。嫌な事もあるけど、そういう事は翌日に持ち越さずに忘れましょう。


林;ほんとにそうです!(笑) さて、これみんなに聞いているのですが、これから音楽はどうなっていくと思いますか?


町田;スマホで育った世代って実は結構音楽を聴いてるんじゃないかな?って思ってるんです。MACHILDAに来店する若い世代の方は入店する瞬間までイヤホンをして何かしら聴いている人が多いんですよね。そして楽曲入手方法は配信で、オーディオ機材が自宅にないようなんです。ただ、音楽を聴いている割に、酒場で好きなアーティストについて語り合うシーンはあまり見た事がありません。


林;あ、そういえばそうですね。


町田;スマホ 対 自分、のような1対1の音楽ではなく、スピーカーから流れる音楽に関心を持って共有出来る日が来るといいな、というのは私の願いです。彼らがオーディオや真空管アンプなどの良質な音に触れる場が増えて、それをカッコイイ!と思えたら、そういう流行りがくるんじゃないかな、とも思っています。で、それを仕掛ける大人もそろそろ出てきてますよね?


林;僕もそこに可能性は感じています。さて、これからはどういう風にされるご予定でしょうか?


町田;MACHILDAはオープンして今年で7年目になりますが、今の店をでできる限り続けてみたいと思っています。長く続けるとなにが起こるのか、どんな心境の変化があるのかを知らないので経験してみたいですね。それと、目の前が青い海!なグッドロケーションでB&Bを経営するのが夢です。一階はテナントにして飲食店を入れたいですね。


林;青い海の前にビルを所有している独身男性はMACHILDAに急げ、ですね。さて、そろそろみんなが待っている選曲に移りたいのですが、テーマをまず教えていただけますか?


町田;はい。「20年聴き続け今でも店でかけたい曲10選」です。


林;おお、良いですねえ。楽しみです。


01. Brecker Brothers / Some Skunk Funk

町田;スタンダードジャズよりもこういったファンク寄りなものが好きなんです。初めて聴いた時は、まあ、ぶっ飛びましたね。スピード感とトリッキーな展開に夢中になった女子高生。1993年の来日ライブにはもちろん行きました。


林;カッコいいですねえ。町田さんそうとうヤンチャなのがお好きそうですね。え、93年のライブに行ってるんですか。すごい・・・。


02. Stevie Wonder / It's You feat. Dionne Warwick

町田;非常に申し上げにくいのですが、高校に入るまで、スティービー・ワンダーは亡くなっている方だと思っていました。だって名曲を作る人は皆、額縁に写真を入れられて音楽室に飾られているじゃないですか。こんな偉大音楽家が生きているなんて奇跡のように素晴らしい!It's Youはこの世で一番好きな曲です。二人の歌声はもちろん、ピアノから始まるイントロも、優しく響くホーンも、ハーモニカもすべてが愛おしい。「この曲が世界で一番好きなんだ」なんて言う人がいたら恋に落ちますね。


林;良い曲ですよねえ。僕はちょうど懐かしいなあって感じです。MACHILDAに行って、「この曲が世界で一番好き」という男性が続出しそうですが...


03. Crusaders / Scratch

町田;このアルバムを買った時、なんだか大人の階段を登ったような気がしました。オルガンの音色っていうのはなんでこうも隙間を魅力的に演出するんでしょう。主旋律のサックスよりも、オルガンばかり聴いてしまいます。LIVEならではのグルーヴも一流。


林;すごい渋い曲ですね。やっぱりドラムをやってたからこういう「ためとか隙間のある曲」がグッとくるのでしょうか。


04. Karla Bonoff / The Water Is Wide

町田;名曲は結婚式で流しにくい歌詞。の法則ですね。今は無き新宿3丁目のBAR MARTHAで夜明けが近くなるとよく流れていました。外の景色も明かりも届かない小さな店でこの曲が流れると、決まって「ああ。外は雪、って感じがする」と言う女性がいて、それがとても大人っぽくて憧れでした。なので、この曲を聴くとついつい、「外は雪」と思ってしまいます。


林;おお、そう言われてみれば確かに「外は雪」な感じですね。こういう音楽って「誰かとの会話やその時の状況の思い出」が心のどこかにしっかりと植えつけられますね。


05. Al Kooper / Jolie

町田;イントロのスネアの入りからして相当カッコイイ!こちらも3丁目仕入れ。血管から流れ込むような幸福な音色ですよね。無駄に酔って無駄に惚れそうです。1990年代後半の酒場では聞かない日はなかった。というほどみんな大好きJolie。


林;確かに90年代後半の酒場では定番でしたね。良い曲ですよねえ。無駄に惚れそうに乾杯です。


06. Chicago / Saturday in the Park

町田;ピアノで始まる曲がとにかく好きです。さらにホーンセクションが入っていれば大好物。MACHILDAは土曜日だけ15時オープンなので昼酒ができるのですが、この曲がかかると爽快。


林;MACHILDAさん、土曜日は15時オープンですよね。みなさん、是非! でも選曲が10歳くらい年上男性と付き合ってたとしか思えない、妙な「オジサン心」をくすぐりますね。


07: Donald Fagen / I.G.Y

町田;アルバム『The Night Fly』は、音質のバランスの良さからレコーディングやPAのエンジニアがシステムチェックに使っているというのは有名な話ですが、レコード会社時代、プレゼンライブの会場で朝イチにこの曲がかかるので、聞いたら自然と気合が入る一曲です。位相好きにはたまらないですね。


林;なるほど。これ、そういう風に使われるんですね。知りませんでした。


08: 古内東子 / Strength

町田;1995年発売。日本のアーティストでこんな豪華なスタジオミュージシャンでレコーディングできる人がいたのか、と感動を覚えたアルバム。ブレッカー・ブラザーズやデヴィット・サンボーン、ボブ・ジェームス、オマー・ハキムなど、憧れのミュージシャンが勢ぞろいで、嬉しいやら悔しいやら。コーラスアレンジも秀逸。


林;え、これってそんなすごいメンツなんですね。この時期ってそういうことが可能な頃だったんですね。すごい・・・。


09: 山下達郎 / Magic ways

町田;達郎さんは私のライフワークにすることにしました。今までもこれからもずっと聴き続けるであろうアーティスト。ここ数年、店を休んででもコンサートに行っています。基本的に音楽はレコーディング音源で聴くのが一番好きなのですが、達郎さんのコンサートは自分へのご褒美です。店で流れると私の機嫌が良くなるので、度々流れるのは気のせいではありません。


林;なるほど。この流れならもちろん山下達郎ですよね。「好き」って言い続けると、いつか誰かがMACHILDAに連れてきてくれるかもですよ。


10: Four Freshmen

町田;自分の好きな4声のコーラスの歴史を探っていったらたどり着きました。フォーフレッシュメンスタイル。と呼ばれるコーラススタイルの原型だったんですね。選曲の7,8,9のアーティスト音源でも多用されています。1950年代にこれをサラッとやってのけちゃった訳ですから、革命ですよね。最高です。


林;なるほど。このスタイルが後のコーラススタイルを作り出したわけですね。こういうの最後に持ってくるのが粋ですねえ。さすがです。


町田さん、お忙しいところどうもありがとうございました。なんだかすごい人生ですね。これを読んで女性たちが「私も町田さんみたいになろう」って思ってくれると良いですね。

みなさん、MACHILDAさんも良いお店ですので是非行ってみてくださいね。


MACHILDA HP

MACHILDA twitter


やっと9月ですね。まだまだ暑い日々が続きますが、良い音楽を聴いて乗り越えたいところですね。それではまたこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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【林 伸次 近著】

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■出版社: DU BOOKS
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「このビール、ぬるいんだけど」とお客さまに言われたら、あなたならどう対応しますか?
その都度悩んで、自ら回答を見つけてきた渋谷のバーのマスターの約20年。
楽しく経営を続けられたのには理由がある!

「バーの重たい扉の向こうには、お客さま、店主、お酒......その他たくさんの物語が詰まっています。ぜひ、あなたもその物語に参加してみてください。」
――本文より


「bar bossa」アーカイブ

vol.1 「モニカ・サウマーゾ」 ・vol.2 高木洋介 ・vol.3 「クリスマス・ソングのボサノヴァ」 ・vol.4 柳樂光隆 ・vol.5 「1960年代当時のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.6 松原繁久 ・vol.7 「1970年代から1980年代までのブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.8 中村ムネユキ ・vol.9 「現代のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.10 江利川侑介 ・vol.11 「エレンコ・レーベル」 ・vol.12 田仲昌之 ・vol.13 「ルミアール・ヂスコス」 ・vol.14 定成寛 ・vol.15 寺田俊彦 ・vol.16 白尾嘉規 ・vol.17 「畠山美由紀『rain falls』 プロデューサー中島ノブユキ インタビュー」 ・vol.18 山本勇樹 ・vol.19 「ジノンさん ルシッド・フォールについて」 ・vol.20 大場俊輔 ・vol.21 「ブラジル人と演奏しているアメリカのジャズ・ミュージシャン特集」 ・vol.22 武藤サツキ ・vol.23 「Lucid Fall (The Best of)」 ・vol.24 筒井奈々 ・vol.25 「THE PIANO ERA2013」 ・vol.26 山上周平 ・vol.27 ジノン ・vol.28 東野龍一郎 ・vol.29 林伸次 ・vol.30 中村智昭 ・vol.31 齊藤外志雄 ・vol.32 染谷大陽 ・vol.33 稲葉昌太 ・vol.34 小嶋佐和子 ・vol.35 石郷岡学 ・vol.36 原田雅之 ・vol.37 松本研二 ・vol.38 塚田耕司 ・vol.39 岩間洋介 ・vol.40 中村信彦&真理子 ・vol.41 白尾嘉規 ・vol.42 田仲昌之 ・vol.43 山本勇樹 ・vol.44 新川忠 ・vol.45 川嶋繁良 ・vol.46 田村示音 ・vol.47 山崎雄康 ・vol.48 上川大助 ・vol.49 町田和宏 ・vol.50 林下英治 ・vol.51 シュート・アロー ・vol.52 高橋悠 ・vol.53 沼田学 ・vol.54 庄野雄治 ・vol.55 山本のりこ ・vol.56 渡部徹 ・vol.57 小栗誠史 ・vol.58 相澤歩 ・vol.59 土田義周 ・vol.60 榎本善一郎


bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら

bar bossa vol.60:bar bossa

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vol.60 - お客様:榎本善一郎さん(Yama-bra東京支部)


【テーマ:山形に行き着く前の10曲】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はYama-bra東京支部の榎本善一郎さんをゲストにお迎えしました。


林;こんばんは。早速ですが、お飲物はどうされますか?


榎本;こんばんは。では、アルザスのピノ・ノワールをお願いします。


林;おっと素敵なご注文ですね。ではセピランドマンの美味しいピノ・ノワールがありますので、こちらにしますね。ではお生まれと小さい頃の音楽環境の話なんかをお願いできますか?


榎本;1967年、埼玉県の久喜市というところに生まれました。子供の頃は主要道路以外はまだ舗装されていない道も多かったことを覚えています。そんな田舎でしたが家にはアップライトでしたがピアノがあって兄弟(姉と妹がいます)みんなピアノを習っていました。でも僕は本当に練習とか訓練が苦手で、バイエルの下巻終了時点で挫折しました。バイエルまでは姉と同じで、曲を知っていたので譜面を見なくても弾けたのですが、その後教則本が変わりまして、譜面を読むところからが嫌でやめてしまいました。


林;男の子ってみんな挫折してしまいますよね。どんな音楽を聴いてましたか? 初めて買ったレコードも教えてください。


榎本;普通にテレビやラジオから流れる歌謡曲を聴いていました。初めて買ったレコードは月並みで「泳げたいやきくん」だったと思うのですが、擦り切れる程聴いたのは「宇宙戦艦ヤマト・ドラマ編」だと思います。超有名なスキャットのテーマ曲はもちろん、全てのセリフ、効果音を完コピして空で再現していました。今ならエアヤマトですね(笑)。相手は主に妹で、LP1枚なので多分約50分付き合わせてました(笑)。


林;(爆笑)


榎本;それが小学4年から5年の頃で、同時に漫画にハマり出し、愛読書は「マカロニほうれん荘」と「すすめ!! パイレーツ」でした。今から考えると1977年は自分の核というか根っこが決まった年な気がします。ヤマトは何よりもストーリーのみならずメランコリックなオーケストレーションにしびれていましたし、マカロニとパイレーツで今以って変わらない自分のナンセンステイストは全て説明つきます。


林;ああ、「マカロニほんれん荘」お好きなんですね。なるほど、なんか納得です。中学はどうでしたか?


榎本;1980年に中学に上がるのですが、その年にYMOに出会いました。3つ上の姉がすでにハマっていたので家にはLPがありましたが、マイファーストYMOは同級生の高山君が作ってくれたオリジナルテープでした。彼の家のステレオは録音ができなかったようで、ステレオの前でラジカセで録音されたものでした。YMO以外の色々な音が紛れていましたが、お母さんが高山君を呼ぶ声「たーちゃん、ごはんだよ」が微かに入っていたことを覚えています。


林;(笑)


榎本;その後効果音のない「クリアな」YMOを聴いた時には違和感があって(笑)、しばらくそのおかしなオリジナル感覚が残っていました。
中学時代はみんなAMラジオに夢中になっていて、深夜放送ではオールナイト・ニッポン派が多い中、僕はミスDJリクエストパレードで対抗していました。千倉真里さんというDJが好きで、彼女がここ、という時にかけていたのが佐野元春です。「Someday」です。あとはラジオをつけたら必ず流れていたのが大滝詠一の「A Long Vacation」で、実はこの2枚のLPを買うのは随分後になってからなんです。


林;ミスDJ派というのもらしいですね。


榎本;月並みにビートルズを聴き出したのも中学時代で、初めて付き合った女の子に作ってあげたカセットも中身はビートルズでした。中学時代はお金がなかったので音楽ソースはFMやAMで、カセットテープにエアチェックしたものを繰り返し聴いていました。


林;エアチェックでしたよね。高校時代はどうでしたでしょうか?


榎本;1983年に高校に進学してJR(当時は国鉄)での電車通学が始まりました。この定期を持つという変化とお小遣いの増額が僕をレコード探しという行動に導きました(笑)。高校は北浦和というところにあったのですが、まずは埼玉県人の東京へのゲートウェイ、池袋に到達。埼京線はまだなく、京浜東北線から赤羽線に乗り継いでました。パルコ文化が時代をリードしていた頃でもありますが、池袋パルコにあったオンステージヤマノには憧れのレコードや見たことのないインディー盤があって田舎のレコード店との違いに心ときめきました。ここではピーターバラカンさん司会でジョン・ルーリー来日時のイベントが開催されて、挙手して質問したことを覚えています。僕のしどろもどろの質問を聞いたピーターさんは僕にウインクして、上手く翻訳してくれました。格好良かったな。


林;え、ジョン・ルーリーのイベント! さらにピーターバラカン司会!


榎本;程なく山手線に乗り継いで新宿まで行くようになりました。ALTAの中にCISCOがあった時期があって、スリッティ・ポリッティの「キューピッド&サイケ85」の英国初回盤(タイトルロゴが金色)が発売時に全面ディスプレイされていた鮮明な記憶があります(壁一面全てスリッティ・ポリッティ!)。でも新宿といえば西新宿でその名も新宿レコード等の中古も取り扱う店が沢山あり、XTCやエルビス・コステロの初回盤やシングルを随分発見しました。


林;なるほど。池袋が入り口で次は新宿という感じなんですね。


榎本;そして遂に渋谷に上陸します(笑)。当時一番通ったのはタワーレコードでしたが、まだ移転前で今のbar bossaの近くにあった時代です。自分にとってはある種のアメリカ文化の入り口的な場所でした。アメリカ盤は比較的安かったし、シュリンクとかステッカーにしびれていました。もちろんCISCO本店にも通いましたが、当時ダイエー資本のCSVというやたらニューウェーブなレコード店が公園通りを登りきった辺りにありました。ここはコンパクト・オーガニゼーションのBOXセットが山積みされていたりとか、夢のようなお店でしたが、当時の自分でもこれでやっていけるのだろうかと心配していました。やり過ぎたWAVEというか(笑)。果たして?事情は不明ですが3年程で閉店してしまいました。


林;おお! 伝説のCSVも行かれたんですか。羨ましいです。


榎本;埼玉に戻ります。高校からの帰りによく寄ったのが大宮にあった新星堂でした。当時は新星堂が独自にベルギーのクレプスキュール・レーベルのレコードを輸入、帯をつけて販売していて、ミカドとかアンテナのミニアルバム、所属アーティストのオムニバスLPなんかを買いました。また、ダイエーのようなスーパーにもレコード売り場があって、何故か輸入盤があったりして。トーキング・ヘッズのスピーキング・イン・タングスの特殊ピクチャーレコードはそこで買いました。


林;新星堂がやってましたよね。僕も買いました。


榎本;大学に入る前に浪人生活がありましたが、そこで、予備校のあった御茶ノ水が行き先に加わります。この辺で購入する形態もCDに移行しだしました。まだ新興だった頃のレコファンが駅並びにあってコンパクトXTCというベストCDを発見して嬉しかったことを記憶しています。


林;僕も当時XTCには夢中になりました。


榎本;埼玉の田舎出身の子供がレコード店を探す、ために都内に進出していったプロセスが以上なのですが、そもそも嗜好の中心には引き続きYMOがあって、彼らの関連盤や好きと言っているレコードを探す、というのが当時の行動規範(笑)でした。現在においても坂本龍一さんは最も好きなアーティストの1人ですが、高2の秋にリリースされた「音楽図鑑」は今だに心のベスト1候補です。これが1984年。また、細野さんの起こしたレーベル、ノン・スタンダードからリリースされた、ピチカートファイヴの「オードリー・ヘップバーン・コンプレックス」。小西康陽さんも今に至るまでその音楽に魅了され続けている1人で、スタートは1985年でした。確か坂本さんがFM番組「サウンド・ストリート」でかけていて、翌日慌ててレコード屋に買いに行ったと思います。ピチカートはその後CBSソニーに移籍して「カップルズ」という名盤をリリースします。本気で好きになったのはここからかもしれません。ヤマトで刷り込まれたオーケストレーション・ポップス好きの根っこがひきづりだされた、というのは後から強引に結びつけた自分史ですが、このアルバムでロジャー・ニコルズを初めて知りましたから、あながち嘘とも言えない気がします。

小西さんは当時「テッチー」という月刊誌でThe Best of Greatest Hitsという連載を持っていました。そこでピチカートは小西さんと高浪さんだけになり、新ボーカルを迎えてレコーディング中であることが語られていた筈です。別でそれがオリジナルラブというインディーバンドの田島貴男という人であることを知りますが「ベリッシマ」というこのアルバムのテーマはソウル。特にフィリーソウルやマービン・ゲイ、ボビー・ウーマックなど影響されたレコードを紹介した号は衝撃的でした。1988年9月21日、僕は青山にあったパイド・パイパー・ハウスに「ベリッシマ」を買いに行きます。当時長門さんがピチカートのマネージメントしていることを知っていたので、パイドで絶対買おうと決めていました。あと、何かオマケがつくかもしれない、という期待も大きかった。残暑の日差しの残る昼過ぎに店についてドアを開けると、ムード歌謡のような音楽が流れていて、あれっと思ったのですが、すぐにこれがピチカートの新作なんだと気付きました。3曲目の「聖三角形」という曲です。ドキドキしながらCDをレジに持っていく時にはスライ・マナーの「ワールド・スタンダード」が流れている。この時の高揚感は多分一生忘れないと思います。会計を済ませると、「これ、どうぞ」と宣伝用ポスターを渡されました。「ベリッシマ」のフロント・カバーは多分自分の持っているレコードの中でも1、2を争う程好みなのですが、このポスターはフレームに入れて今だに部屋に飾っています(笑)。


林;おおお、当時の一番正しい音楽少年ですね。さて、大学に入って何か状況は変わりましたか?


榎本;高校時代もバンドをやっていたのですが、浪人したりでしばらく楽器からは離れていました。でもとにかく音楽が好きなままでしたので、自然にバンド・サークルに入りました。自分が入った「リアル・マッコイズ」は先輩に竹内まりやさん、杉真理さんなんかがいることから想像できるような、良質のポップス、Jazzフュージョンなんかを得意とするサークルでした。当時は「イカ天」全盛でしたが、そういった音楽に対するアンチな感じでポップスを演奏していました。なんか逆に屈折している感じです(笑)。


林;イカ天のあのバンドブームな感じへのアンチでポップスという雰囲気があったんですね。さすが慶応ですね。


榎本;ここでもピチカートです。大学1年の6月、ニューアルバム「女王陛下のピチカートファイヴ」のレコ発ツアーが名古屋から始まりました。僕は6月25日に、当時六本木にあったインクスティックでのライブに一番仲の良かった同級生と2人で観に行きました。田島さんのライブを観たのはこの時が初めてだったのですが、クネクネしながら歌う姿にびっくりしたものの、ボーカリスト、パフォーマーとしての圧倒的な存在感に一発でノックアウトされました。その後定番となるアンコールでの「夜をぶっとばせ」の弾き語りは、この時がベストと僕は思っています。このライブを一緒に観た友人も同様に衝撃を受けていて、当時ベースを弾いていたものの上手くもならないし辞めようかぐらい悩んでいたのが、ピチカートみたいな音楽をやりたい、自分は歌う、と決心してくれました(笑)。自分もベースだったので、これで一緒にバンドを出来るようになった訳ですが、結局卒業まで彼とは一番好きな音楽を演奏し続けたので、そのきっかけとなった一夜だったと言えます。


林;良い話ですね。


榎本;彼とのバンドではほぼコピーを演っていましたが、ピチカートは勿論、全曲小坂忠のアルバム「ほうろう」からのライブをやったり(その後渋谷系で再度脚光を浴びるアルバムですが、当時の僕らはアングラロックと笑われていました)、後半はCDリイシューにより再度流行りだしていたAOR(スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲン、ボズ・スキャッグス等)を演奏していました。このバンド以外も色々演りましたが、メンバーがオリジナルを持ち寄る企画もありました。当時好きだった女の子が作曲、ボーカルのバンドで、僕はこのためにシーケンサー付きのシンセサイザーを購入し、自作曲を作りました。「翳りの朝」という曲で、当時はまったく意識していませんでしたがイメージ的には吉田美奈子に影響を受けていると思います。因みに曲自体はその女の子のキャラと全く合っていなくて、中間部に別の先輩女子にスキャットソロを入れてもらいました。これも美奈子風。ギターはこちらもずっと一緒に演っていた同級生で、上手く曲を聴けるものに昇華させてくれましたが、今だったら大村憲司を聴かせて、こんな感じで、とダイレクションすると思います。因みにこれをきかっけに彼女が自分に振り向いてくれることはありませんでした(笑)


林;(笑)


榎本;レコード店ではこの時代は自分的にはWAVE全盛期でした。六本木店は勿論のこと、渋谷店は渋谷に行ったら必ず寄っていました。何故かは分かりませんがピチカートなんかのプロモ盤がさりげなく売られていて、当時はネットなんてなかったので足繁く通ってゲットしていました。


林;え、プロモ盤売ってたんですか... さて、榎本さんと言えば、今でもほぼ音楽漬けの日々で有名ですが、大学卒業後は音楽の道に進もうとは思わなかったのでしょうか?


榎本;サークルはコピー中心の活動で、どちらかというと好きな曲を如何に正確に再現するかをテーマにやっていたことがあります。先輩でプロのスタジオミュージシャンになった方々もいましたが、僕は本番で人前で演奏するよりバンドでの練習が好きだったりで。音楽関連の道に、ということも周りでは当然意識されていましたが、就職活動が本格化していく中で、何故か僕は業界、マスコミなんかも含めて何か違うな、と思うようになりました。大学時代に遊びすぎたので、真っ当な大人になりたい、と思ったというか、当時の現実が続くなんて信じることができませんでした。


林;ああ、なんとなくわかります。僕も当時そういう気持ちでした。


榎本;渋谷系が始まったとされる1993年に社会人になり北海道(千歳市)に赴任しました。可処分所得は段々増えますから、当然CDやレコード購入は加速しました(笑)。当時は札幌での購入が中心でしたが、ピチカートファイブのアルバムの発売日(の週末)とライブの時は有給休暇も取りながら東京に帰ってました。映画「男と女」に出会ったのもこの頃です。多分サバービアの影響で知ったのですが、本当に衝撃を受けたことを覚えています。はい、月並みですがサバービアの影響は絶大です。1998年末に東京に戻ってきてからも、その後地方に転勤になっても(笑)、渋谷には通い続けていますので、もう30年以上渋谷に行き続けていると思います。渋谷在住者、あるいは渋谷で働く人以外の日本人での渋谷来訪回数はベスト100圏内だと自負しています(笑)


林;(笑)さて、これはみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?


榎本;今だにどうも配信とか、YouTubeでさえ馴染めないのでCDやアナログでの販売はなくなって欲しくないです。ただ僕は制作者サイドの事情は正確には分からないので、林さんのレストラン話ではありませんが、とにかく買い続けることしか出来ません。
ところでライブ全盛ですよね、今。僕は「ものんくる」に出会って以来、都内を中心に若手のJazzミュージシャンのライブに行く機会が増えたのですが、やがて、センスが良く技術水準の高い20代を中心とした若手ミュージシャンの層があることに気づきました。先日音楽評論家の柳樂さんとお話した時、今の若者は過去の音楽を遡って勉強する、というか聴くことをしないのだけど、Jazzというジャンルだけはまだそういった伝統が残っていると思う、と伺いました。Jazzだから、みたいです。確かに彼らはJazzの過去を共通言語として話します。一方、今までのミュージシャンと明らかに違う育ち方(JTNC的かもです)も感じて、僕はそういった彼らを観ることによってまだまだ音楽の未来が楽しみだな、と素朴に思っています。例えば、ドラマーの石若駿さん。本当に毎日どこかで叩いているので、試しに彼を追ってみるとすぐに理解できるのではないかと思います。


林;なるほど。この質問への答え、人によってそれぞれなのですが、現場に足を運び続けている榎本さんらしい前向きなお話ですね。さて、榎本さん、これからはどうされるご予定ですか? カフェをやりたいなんて話も以前、カウンターでされていましたが。


榎本;「これからの人生。」の方が短いことを思うと何か世の中に恩返しできないかな、と考えることが多くなりました。カフェだとかbar bossaのような空間を僕が好むのは出会いとか、そこから始まる人間関係があるからです。あるいはストレートにライブハウスとか。あのアーティストのあのライブをあの時に、なんていう体験から起こる何かってロマンチックですよね。音楽を共通項に何か残せることはないか、結構真剣になってます。


林;おお、榎本さんの今後が楽しみです。では、そろそろみんなが待っている選曲に移りますが、テーマは何でしょうか?


榎本;「山形に行き着く前の10曲」です。以前このコラムにも登場された石郷岡さんのYama-braへの出会いは、僕にとってはひょっとしてここに行き着くために色々な音楽を聴いてきたのでは、と思うぐらいの出来事でした。Yama-braで紹介されるようなブラジルやアルゼンチンの音楽の中でも自分が心惹かれるのは、最近の言い方ではメランコリーといった感覚だと思っています。その源流を辿ったらこんな感じになりましたが果たして繋がっているのか・・・。


林;楽しみですね。では聴いてみましょうか。


01. 宇宙戦艦ヤマト「無限に広がる大宇宙」

榎本;いきなりアニメも何ですが、このメロディー、アレンジが自分のルーツの1つです。最近のリメイクはプロデューサーの西崎義展さん、音楽の宮川泰さんの息子さん達が手がけていて、見事なクオリティでした。必ずこのメロディーは流れますから、一瞬で心鷲掴みにされちゃいます(笑)。


林;最初にアニメ、もちろんです。ちなみに僕は銀河鉄道999でした。


02. 高橋幸宏「今日、恋が」

榎本;スネークマンショーの2nd収録曲ですが、「男と女」のサントラ以上に「男と女」ですが本物に出会う前に刷り込まれたロマンの感覚がこれです。高橋幸宏さんの初期の代表作に「サラヴァ」がありますが、それは坂本龍一さんがクラウス・オガーマン風のストリングスアレンジを付けた傑作で、60周年記念ライブでもラストに歌われていました。


林;おお、今聴くとまたすごく良いですねえ。


03. Pizzicato Five「聖三角形」

榎本;ピチカート・ファイヴの2ndフルアルバムは、冒頭から畳み込むように3曲、新加入の田島貴男さんの曲が続くのですが、いかにこの時期が作曲の部分においても伸び盛りであったか感じさせる煌めきというか奇跡感があります。1曲目「惑星」は自分的にはヤマト~マービン・ゲイ「What's going on」からつながるスキャット三部作の1曲です(笑)。


林;ピチカートはどの曲でくるのかと思ってたらこれですか。榎本さん、僕が想像してたより「男っぽい」ですね。


04. Peirre Barouh「Samba Saravah」

榎本;bar bossaの定番、そしてこのビデオも定番ですね。多くの人がそうなのかもしれませんが、サンバ、ボサノヴァの巨人達の名が語られるこの名シーン、特に「サラヴァ」の声の響きによって、一発でブラジルへの幻想が擦り込まれました。ブラジル音楽が特別なものになった瞬間です。ピエール・バルーは永遠の憧れで、時々、渋谷のサラヴァ東京でBBAサポートのライブなんかに参加する時には特別な気持ちになります。「男と女」、今年50周年だそうですね。自分はその半分ぐらいしか付き合っていませんが。


林;ほんと、名シーンですよね。そうですか、50周年なんですね。


05. Antonio Carlos Jobim「Chovendo na Roseira」

榎本;ジョビンのレコードは学生時代にJTのプレゼントで「Wave」のCDに当選したものが最初です。緑です。ジョビン、有名過ぎて手元に置きたいと思っていなかったのですが、真剣に聴いていくと自分のボサノヴァへの知識が偏狭なものだったと反省しきりでした。この曲が一番好きです。クラウス・オガーマンのストリングスが効いてますよね。


林;ジョビンはこの曲ですか。いやあ、榎本さん、ほんと嬉しいです。この曲ですよね。


06. 坂本龍一「The Last Emperor (Theme)」

榎本;あまりに有名過ぎて誰も挙げないと思うのですが(笑)。坂本龍一さんのサントラは勿論「戦メリ」を擦り切れる程聴きましたが、この曲はいつ聴いても涙がでますね。イントロからメインテーマに進むところのアレンジ(1分35秒から20秒程)は聴く度にはっとします。


林;おお、僕もその個所で今鳥肌がきました。


07: 中島ノブユキ「八重、新たなる決意~覚馬の正義」

榎本;中島さんの音楽との出会いは当時渋谷パルコのB1にあったアプレミディ・セレソンで購入した「エテパルマ」です。橋本さんPushしてました。2013年はNHK大河「八重の桜」のサントラを担当されました。坂本さんのメインテーマが号泣を誘うものであったとしたら、中島さんの楽曲達は正にメランコリーで、僕は映像を思い出しては一人じんわりと涙しています(笑)この頃は結構定期的に馬喰町のフクモリで楽曲を披露してくれていました。


林;中島さん、今、世界へとはばたいていますね。


08: Maria Schneider Jazz Orchestra「Choro Dancado」

榎本;マリア・シュナイダー、僕にとっては絶対的な存在で昨年はN.Y.までライブを観に行ってしまいました。最近のフォロアーの続出ぶりが影響の大きさを実感させます。アルゼンチンの「Nadis」とかN.Y.の「Christopher Zuar Orchestra」とか、今年も傑作が続いています。日本の挾間美帆さんなんかも最高です。


林;なるほど。榎本さん、マリア・シュナイダーお好きなんですね。なるほど、すごく納得です。ショーロですね。良いですねえ。


09: ものんくる「南へ」

榎本;明治大学のビックバンドに在籍していた角田隆太さんが吉田沙良さんというボーカリストに出会って構想した音楽がこういったジャズとポップスのハイブリッド=ラージアンサンブル的アレンジということだったようです。同世代のミュージシャンが皆シンパシーを感じ、参加することの喜びを僕に語ってくれました。これはアルバムの告知映像ですが、彼らの音楽の高揚感が良く出ていると思います。角田隆太さんは間違いなくこの世代を代表する才能であり、これからの日本の音楽の中心にいて欲しい存在です。


林;榎本さん、大プッシュのものんくる。榎本さんのツイッターを見ていると本当に惚れ込んでいるんだなって。榎本さんの常に現場主義な感じもらしいですね。


10: Tatiana Parra & Andres Beeuwsaert「Milonga Gris」

榎本;最後にYama-bra的楽曲を1曲。昨年のピアノ・エラでの奇跡の共演も記憶に新しいですが、タチアナとかアンドレスの音楽を考えると何故かいつも切なくなります。また、僕には今まで聴いてきた音楽とは別物のような新鮮な感覚と、今まで聴いてきて惹かれてきた音楽との共通性というか連続性というか、その2つが同居する不思議な感覚を覚えます。世界にはまだまだ素晴らしい音楽があるんだ、と信じさせてくれる音楽です。


林;衝撃的な楽曲ですよね。何度聞いてもハッとさせられます。


榎本善一郎twitter


榎本さん、お忙しいところどうもありがとうございました。今回は色々とお話を聞いて、音楽って本当にいろんなものや人や記憶がつながっていくものだなあと思いました。世界の音楽がこのまま美しいままでいてほしいものですね。

みなさん、夏が本格的になってきましたね。この夏も素敵な音楽に出会えると良いですね。それではまたこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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【林 伸次 近著】

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■タイトル:『ワイングラスのむこう側』
■著者:林 伸次
■発売日:2016年3月26日
■出版社: KADOKAWA
■金額:¥1,404 単行本

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東京・渋谷で20年、カウンターの向こうからバーに集う人たちの姿を見つめてきた、ワインバー「bar bossa(バールボッサ)」の店主・林伸次さん。バーを舞台に交差する人間模様。バーだから漏らしてしまう本音。ずっとカウンターに立ち続けている林さんだから知っているここだけの話。


「bar bossa」アーカイブ

vol.1 「モニカ・サウマーゾ」 ・vol.2 高木洋介 ・vol.3 「クリスマス・ソングのボサノヴァ」 ・vol.4 柳樂光隆 ・vol.5 「1960年代当時のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.6 松原繁久 ・vol.7 「1970年代から1980年代までのブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.8 中村ムネユキ ・vol.9 「現代のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.10 江利川侑介 ・vol.11 「エレンコ・レーベル」 ・vol.12 田仲昌之 ・vol.13 「ルミアール・ヂスコス」 ・vol.14 定成寛 ・vol.15 寺田俊彦 ・vol.16 白尾嘉規 ・vol.17 「畠山美由紀『rain falls』 プロデューサー中島ノブユキ インタビュー」 ・vol.18 山本勇樹 ・vol.19 「ジノンさん ルシッド・フォールについて」 ・vol.20 大場俊輔 ・vol.21 「ブラジル人と演奏しているアメリカのジャズ・ミュージシャン特集」 ・vol.22 武藤サツキ ・vol.23 「Lucid Fall (The Best of)」 ・vol.24 筒井奈々 ・vol.25 「THE PIANO ERA2013」 ・vol.26 山上周平 ・vol.27 ジノン ・vol.28 東野龍一郎 ・vol.29 林伸次 ・vol.30 中村智昭 ・vol.31 齊藤外志雄 ・vol.32 染谷大陽 ・vol.33 稲葉昌太 ・vol.34 小嶋佐和子 ・vol.35 石郷岡学 ・vol.36 原田雅之 ・vol.37 松本研二 ・vol.38 塚田耕司 ・vol.39 岩間洋介 ・vol.40 中村信彦&真理子 ・vol.41 白尾嘉規 ・vol.42 田仲昌之 ・vol.43 山本勇樹 ・vol.44 新川忠 ・vol.45 川嶋繁良 ・vol.46 田村示音 ・vol.47 山崎雄康 ・vol.48 上川大助 ・vol.49 町田和宏 ・vol.50 林下英治 ・vol.51 シュート・アロー ・vol.52 高橋悠 ・vol.53 沼田学 ・vol.54 庄野雄治 ・vol.55 山本のりこ ・vol.56 渡部徹 ・vol.57 小栗誠史 ・vol.58 相澤歩 ・vol.59 土田義周


bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら

bar bossa vol.59:bar bossa

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vol.59 - お客様:土田義周さん(ダウンタウンレコード)


【テーマ:当店のレコード在庫から選んだ10曲】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はダウンタウンレコードの土田義周さんをゲストにお迎えしました。


林;いらっしゃいませ。早速ですが、お飲物はどうされますか?


土田;辛口の白ワインをお願いします。


林;確か土田くんはシャルドネが美味しいって言ってたような気がするからブルゴーニュ・ブランにしますね。


土田;じゃあそれでお願いします。


林;お生まれは?


土田;1969年東京の下町、江東区東陽町生まれです。私が育った深川地区は江戸時代から材木の町として栄えた場所で、父方の祖父が製材業、母方の祖父の家も材木問屋を営んでいました。父はサラリーマンですが、自分を含め三代続いた深川っ子です。


林;やっぱり材木関係なんですね。小さい頃の音楽環境と最初に買ったレコードを教えてください。


土田;実家には家具調の大きなステレオセットがありましたが、幼少の僕はもっぱらてんとう虫のポータブル・プレイヤーでアニメソングのレコードを聴くのが好きでした。そのとき初めて買ったレコードは...忘れてしまいました。
当時の興味の中心は漫画やアニメで、将来は漫画家を目指し友達と二人で藤子不二雄気取りでノートにマンガを連載していました。


林;同い年としては、漫画家志望って多かったように思います。中学はどうでしたか?


土田;中学は越境して千代田区神保町の中学に通いました。本屋や編集者の子弟が多くて、地元の友達と比べると皆大人びた印象で刺激をうけました。町中がレコードと本だらけで、一気に興味が音楽や文学へ移ったのがこの時期です。


林;神保町の中学! 良いですねえ。


土田;中一で大滝詠一さんのLPレコード「ロング・バケイション」を手に入れて、それから一年くらいは毎日欠かさず聴き続けました。ロンバケがまちがいなく僕の人生で一番聴いたレコードであり、その音像はいまだ体の隅々までしみこんでいます。


林;僕も全く同じ時期に聞き込みました。


土田;飯田橋に佳作座という二本立ての名画座があって、千円で入場料とホットドッグ、コーラを買っておつりがくるお気に入りの場所でした。その佳作座である日、中二の僕は「アメリカン・グラフィティ」と出会います。劇中ノンストップでかかるロックンロール・ナンバーに強い衝撃を受けました。1983年は'70年代末に興ったロックンロール・リヴァイヴァルも終焉し、たぶん「ロックンロール」は当時一番イケてないジャンルだった。でも「これがオレの音楽だ!」という直感がした。すぐに秋葉原の石丸電機レコード館でサントラLPを購入しました。


林;なるほど。前から気になっていたのは都会っ子って、早い段階で「自分だけの聞き方」みたいなのを見つけますね。じゃあ高校はどうなんでしょうか。


土田;高校も御茶ノ水や秋葉原に近かったので、放課後はたいていレコード屋廻りをしていました。


林;あんまり今と変わらない(笑)高校卒業後は?


土田;大学在学中の'89年にはじめてニューヨークを訪れました。東京のレコード店で壁に飾ってあるレア盤が、蚤の市や中古レコード店の格安コーナーで数ドル出せば手に入るのにビックリしました。

当時はバブル最盛期で、日給一万五千円になる海賊盤CD販売のアルバイトで稼いでは外国へレコードを買いに出かけるという学生生活を過ごしました。


林;それもあんまり今と変わらない(笑)大学卒業後は?


土田;学校を卒業する際、将来は中古レコード店を開業したいと考えました。まずはノウハウを知るために、同業大手のレコードチェーン店レコファンに勤めました。
ここで林君と出会うことになります。


林;ですね。


土田;レコファンでは本部で仕入れをしながら、海外買付にも連れて行って頂きました。すごく良い経験を積ませてもらったし、楽しかった思い出しかありません。


林;うわ、レコファンの人たち、この箇所を読んだら泣きますね。


土田;当時 実家住まいだったので財形貯蓄を頑張り、10余年勤務ののち2005年、35歳でダウンタウンレコードをオープンしました。当初から店の在庫はレコードが100%、CDは取り扱わないと決めていました。


林;なるほど。


土田;2005年の時点でCDには衰退の兆しが見えていて未来がないと思ったのと、やっぱり自分はアナログレコードが好きだったので、これで勝負しようと考えた結果です。

開業から今迄、スタイルは変えていません。大量に仕入れて大量にさばくという、大手のやり方と張り合っても勝負にはならないので、ウチはどんなレコードにもコメントを書き、試聴も自由にできるスタイルで一枚一枚を丁寧に売っていこうという考えです。

あと、インターネット販売はやらないぞ、とも決めていました。もし自分がお客さんなら、HPで在庫がわかってしまう店舗に行ってみようとは思わない。ツイッターで日々オススメレコードはつぶやきますが、全体としてはブラックボックス化して、来てくださるお客さんだけにわかるようにしたいんです。


林;それは他の店とのすごい差別化ですね。


土田;お客さんと会話しながら商売ができる対面販売が好きだし、これからもこのスタイルに拘っていこうと思います。


林;これ、みんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?


土田;「これからの音楽」と聞くと、すごく壮大な感じがしてイメージがわきません。
ただ、アナログレコードのこと、中古レコード店の未来については日々考えています。

アナログレコードがブームと言われてますが、まだまだ実感として物足りません。これからも中古レコード店を続けていくには流通量が重要だと思います。過去生産されたレコードだけでなく、これから市場に出回るレコードの数が多くないとダメなんです。最近、国内に2社目のレコードプレスメーカーができて話題になりましたが、それでもほぼ寡占状態。国内新品レコード価格は高止まり、若い人たちには手が届かない状況です。参入する企業が増え競争力が働き、新しい技術が導入され低コストで作られた新品レコードの値段が三千円を切る状況になれば、恒常的にレコード業界は繁栄すると思うのですが。
僕にもし余裕があれば、絶対レコードプレス工場を作って参入したいですね。


林;え、土田くん、プレス工場、参入したいんだ。でも、それも一つの方法かもしれませんね。さて、これからはどうするご予定でしょうか?


土田;死ぬまでずっと、このままレコード店を続けていきたいと思っています。
この業界は知識と体験の蓄積がモノを言うので、歳をとればとるほど成熟して良い仕事ができるんです。
レコードを持ち運びできる体力を維持しながら頑張ります!


林;カッコいいですねえ。それではみんなが待っている選曲に移りましょうか。どんなテーマで選曲をしましたか?


土田;当店のレコード在庫から10曲選びました。


林;お、この10曲はダウンタウンレコードで買えるわけですね。レコード屋っぽくて良いですねえ。それでは1曲目は?


01. robert mitchum - jean and dinah

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US盤LP ¥5,800


土田;当店カリプソコーナーからご紹介します。米国のタフガイ俳優ロバート・ミッチャムがマイティ・スパロウ作品を歌った「ジーン・アンド・ダイナ」。トリニダード・トバゴでの撮影でカリプソに魅了された彼が直々に制作した本格カリプソ・ヴォーカル・アルバム「カリプソ・イズ・ライク・ソー...」からのゴキゲンなナンバーです。


林;おお、さすがレコード屋店主って感じのところから面白い曲でせめてきますねえ。


02. steve alaimo - i don't know

2_写真 2016-05-18 17 32 58.jpg
US盤LP レアステレオ盤 ¥5,800


土田;続いてスカコーナーから、'60年代にマルチタレントとして活躍した米国のアイドル・シンガー、スティーヴ・アライモ'65年のスカ・アルバム「スターリング・スティーヴ・アライモ」から。ジャマイカンR&Bデュオ、ブルース・バスターズ「アイ・ドント・ノウ」トースティングが楽しいポップコーン・スカ・カヴァー。


林;これ、カッコいいですね。アメリカ人アイドルがスカって、僕としては全くわからないジャンルなのですが、レコード屋店主をやってるとこういうのがいくらくらいなのか把握しておくっていうのが鍵ですよね。


03. henry mancini - free! caterina valente singers

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US盤LP ¥1,600


土田;サントラコーナーから、ヘンリー・マンシーニが音楽を担当したパティ・デューク主演'69年公開の青春映画「ナタリーの朝」OSTより挿入曲「フリー!」。清涼感溢れる男女スキャット・コーラスをフィーチャーしたマンシーニ・タッチのソフトロック・インスト。


林;実はマンシーニのアルバムを集めてたのですが、これ、意外と見つからないんですよね。¥1600! でもマンシーニってそのくらいなんですよね...。


04. caterina valente singers - moon river

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UK盤LP  ¥4,500


土田;ヴォーカルグループコーナーから、カテリーナ・ヴァレンテ率いる男女混成ヴォーカル・カルテットによるヘンリー・マンシーニ作品「ムーン・リヴァー」カヴァー。華麗なスキャット・ワーク、弦のピチカートの響きがキュートなゆるめのラウンジ・ヴォーカル曲。


林;カテリーナ・ヴァレンテのこういう可愛いムーン・リヴァーがあるんですね。うーん、これは高そうな音がします。


05. marisol - bossa nova junto a ti

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スペイン盤4曲入りEP ¥2,000 UK盤LP


土田;サントラコーナーから、'60年代に一世を風靡したスペインのアイドル、マリソルが主演したミュージカル映画「ルンボ・ア・リオ」からアウグスト・アルグエロが手掛けた軽妙洒脱なスパニッシュボサ曲。


林;へええ。マリソルのボサノヴァ。「ルンボ・ア・リオ」っていうミュージカル映画があるんですね。


06. genevieve grab - le gendarme de saint-tropez

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国内盤EP ¥1,600


土田;サントラコーナーから、'64年のフレンチ喜劇映画「大混戦」主題歌をヒロインのジュヌヴィエーヴ・グラが歌った「サントロペのお嬢さん」。弾けるリズム、溌剌とした歌声に胸躍るビッグバンドツイスト。


林;うわ、こういうの見つけるのって「レコード屋冥利」につきるというか、たまんないですね。¥1600!


07: jeanne moreau - embrasse moi

5_写真 2016-05-19 19 50 35.jpg
フランス盤5曲入りEP ¥3,000


土田;サントラコーナーから、ジャン=ポール・ベルモンドとジャンヌ・モローが主演した'63年公開の犯罪コメディ映画「バナナの皮」OST。スウィングル・シンガーズのワード・スウィングルが作編曲を担当、ジャンヌ・モローが歌うキュートな4ビート・ジャズ。


林;土田くんのコメントが「思わず買いたくなるような」もう、それが最高です!


08: everly brothers - walk right back

3_写真 2016-05-18 18 23 33.jpg
US盤LP ¥1,400


土田;ロックコーナーから、米国ナッシュビルの兄弟デュオ、エヴァリー・ブラザーズの黄金期ワーナー・レーベル音源ベスト収録曲「ウォーク・ライト・バック」。大滝詠一が松田聖子へ提供した楽曲「冬の妖精」でイントロを引用した、クロース・ハーモニーが美しい名曲。


林;うわ、本当に松田聖子の「冬の妖精」のイントロですね。エヴァリー・ブラザーズなんだ。大瀧詠一ならではですね。でも土田くん、ほんと詳しい...


09: arther alexander - where have you been

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US盤EP ¥1,000


土田;ソウルコーナーから、ビートルズがカヴァーした「アンナ」作者として知られる米国カントリーソウルSSWアーサー・アレキサンダー'62年作「ホエア・ハヴ・ユー・ビーン」。大滝詠一が「恋するカレン」でまんまサビメロを使用した、バリー・マン&シンシア・ワイル作の甘く切ないバラード。


林;あ、ほんとだ。「恋するカレン」ですね。あ、ほんとだ...


10: petula clark - downtown

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こちらは非売品です。


土田;最後はペトゥラ・クラーク'64年の代表曲「恋のダウンタウン」。"寂しかったり悩み事を抱えていたらダウンタウンに出かけなさい、街の賑わいがあなたを幸せにしてくれるはず"と歌った当店の聖歌です。開店当初売上が伸びず苦戦している時、このレコードを聴いて元気をもらいました。


林;名曲ですよね。でも、どのお店にも「売り上げが悪い時の曲」ってありますよね。ほんと、あるんですよねえ。


土田くん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。

みなさん、ダウンタウンレコード、是非、行ってみてください。現代美術館も近くにあるし、いろんな下町の美味しいお店もあるから、デートコースにぴったりですよ。


●公式HP
http://www.downtownrecords.jp/
●twitter
https://twitter.com/dtr_tokyo


やっと夏が始まりましたね。今年の夏はどんな音楽を片手に過ごす予定ですか? 
良い音楽に出会えると良いですね。
それではまたこちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【林 伸次 近著】

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■タイトル:『ワイングラスのむこう側』
■著者:林 伸次
■発売日:2016年3月26日
■出版社: KADOKAWA
■金額:¥1,404 単行本

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東京・渋谷で20年、カウンターの向こうからバーに集う人たちの姿を見つめてきた、ワインバー「bar bossa(バールボッサ)」の店主・林伸次さん。バーを舞台に交差する人間模様。バーだから漏らしてしまう本音。ずっとカウンターに立ち続けている林さんだから知っているここだけの話。


「bar bossa」アーカイブ

vol.1 「モニカ・サウマーゾ」 ・vol.2 高木洋介 ・vol.3 「クリスマス・ソングのボサノヴァ」 ・vol.4 柳樂光隆 ・vol.5 「1960年代当時のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.6 松原繁久 ・vol.7 「1970年代から1980年代までのブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.8 中村ムネユキ ・vol.9 「現代のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.10 江利川侑介 ・vol.11 「エレンコ・レーベル」 ・vol.12 田仲昌之 ・vol.13 「ルミアール・ヂスコス」 ・vol.14 定成寛 ・vol.15 寺田俊彦 ・vol.16 白尾嘉規 ・vol.17 「畠山美由紀『rain falls』 プロデューサー中島ノブユキ インタビュー」 ・vol.18 山本勇樹 ・vol.19 「ジノンさん ルシッド・フォールについて」 ・vol.20 大場俊輔 ・vol.21 「ブラジル人と演奏しているアメリカのジャズ・ミュージシャン特集」 ・vol.22 武藤サツキ ・vol.23 「Lucid Fall (The Best of)」 ・vol.24 筒井奈々 ・vol.25 「THE PIANO ERA2013」 ・vol.26 山上周平 ・vol.27 ジノン ・vol.28 東野龍一郎 ・vol.29 林伸次 ・vol.30 中村智昭 ・vol.31 齊藤外志雄 ・vol.32 染谷大陽 ・vol.33 稲葉昌太 ・vol.34 小嶋佐和子 ・vol.35 石郷岡学 ・vol.36 原田雅之 ・vol.37 松本研二 ・vol.38 塚田耕司 ・vol.39 岩間洋介 ・vol.40 中村信彦&真理子 ・vol.41 白尾嘉規 ・vol.42 田仲昌之 ・vol.43 山本勇樹 ・vol.44 新川忠 ・vol.45 川嶋繁良 ・vol.46 田村示音 ・vol.47 山崎雄康 ・vol.48 上川大助 ・vol.49 町田和宏 ・vol.50 林下英治 ・vol.51 シュート・アロー ・vol.52 高橋悠 ・vol.53 沼田学 ・vol.54 庄野雄治 ・vol.55 山本のりこ ・vol.56 渡部徹 ・vol.57 小栗誠史 ・vol.56 渡部徹 ・vol.57 小栗誠史 ・vol.58 小栗誠史


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
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選曲CD、CDライナー執筆多数。
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bar bossa vol.58:bar bossa

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vol.58 - お客様:相澤歩さん


【テーマ:うたいまわしがグっとくる10曲】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今日は最近CDを出したばかりの相澤歩さんをゲストにお迎えしました。


林;こんばんは。お飲み物はどうされますか?


相澤;あの季節の果物のお酒いただけますか。


林;今、ちょうど時期的に難しくて、ギリギリ青森のリンゴがあるのでそれにいたしますね。


相澤;はい。あと、これ、林さん、おみやげ。庭でとれたラベンダーを瓶に詰めてきました。よろしければ奥様に。


林;うわ。庭でですか。すごく濃厚な良い香りですね。さて、プロフィールと音楽環境みたいなものを教えていただけますか?


相澤;生まれたのは、1968年。場所は、山梨の山のふもとです。小学校にあがるまで、山梨の祖父母の家にいたのですが、この場所が、わたしの小さい頃の音楽環境そのものですね。というのも、その家には、かなり広い庭があって、そこには、大木の樹々や、果物の樹、花畑、野菜畑があって庭というより森みたいなところでした。夏は、家の脇の用水路から、庭中に蛇行する小川に水をひいていた。大きな樹々が風に騒ぐ音、小川の水の音、豪雨のような蝉時雨、冬の上空でうねる木枯らし、結局そういうものを再現したくて自分はうたや庭をつくってるんだな、と最近わかりました。あと、祖母がとても面白いひとでうたが大好きで、よくうたを歌っていて祖母の子守うたや、はなうたもルーツですね。


林;ああ、そうなんですね。東京育ちだと思っていたので、原体験はそこにあるんですか。初めて買ったレコードは?


相澤;初めて買った、というか、買ってもらったレコードは、ハイジの物語の朗読のレコード、昔、そういうのありましたよね。朗読とかラジオドラマとかって録音がデッドで、無音が気持ちいい。これもかなりの自分のルーツかも。


林;ありました。アニメの朗読ものありましたね。その後、音楽はどういう風に?


相澤;小学校からいまに至るまでは、湘南の海のちかくで暮らしてます。だから、今度の音楽環境は、海ですね。海鳴り、荒々しい潮風、倍音だらけの波。だけど、そういうのはとくに意識にせず身体に浴びながら、中学高校は、ひたすら洋楽邦楽問わず、むさぼるように聞いていました。高校時代は、ヘビメタやレベッカとかが全盛だったんですけど、同級生に、フリッパーズギターの小山田さんがいて、学祭で、アズテックカメラとか、キュアーとか、ペイルファウンテンズとか、やっていて、なんじゃこりゃと、思って、急いでそのあたりも聴き始めました。


林;小山田さんは高校生の頃からそのあたりを学祭でやってたんですか。やっぱり違うんですね。その後は?


相澤;大学時代は、バンドを組んで、都内のいろいろなライブハウスに出てました。このころは、聴く音楽も、ロックから、ソウル、ファンク、キューバ、ブラジル、と、どんどんひろがっていたけど、網羅的に聴くというより、ぴったりくる音楽を探していたみたいです。多分、樹のさざめきとか、木枯らしとか、海鳴りみたいな音楽を探してた。その頃、そうは気づいてなかったけど。
で、なんとなくいろいろ聴いていて、これはかなり自分に近いな、と思ったのが、ブライアン・ウイルソン、カーティス・メイフィールド、ダイナソーJr、あと、トニーニョ・オルタ。彼らの音楽に共通して感じていたのは、海のひろがりのある残響と山のひんやりとした宗教性。そういう風景をつくりたくて、オリジナルをつくりはじめました。週2でスタジオ入って、月2でライブしてたから音楽のことしか考えてなかったです。


林;週2スタジオ、月2ライブ! 音楽方面の職につこうとは思わなかったんですか?


相澤;そうやってどっぷり音楽につかっていたら、大学卒業の頃、音楽づくりやバンド内の関係に疲れてしまって、ぱたりとやめてしまった。そしたらあろうことか、ほっとしたんですよね。で、就活しました。かなりいろいろな職種の面接を受けたのですが、こちらも、ぜひとも、というほどやりたい仕事もなかったので試行錯誤しましたが、なんとかコピーライターとして雇ってくれる会社と出会って、働きはじめました。職選びって消去法ですよね。あれもできない、これもできないで、残るはこれか、と。だから続くのかも。


林;消去法ですね。わかります。


相澤;あと、コピーは、キレのある曲のタイトルをつけるようなところもあるし、デザイナーと表現を詰めてゆくところはバンドみたいだし、なにより、広告やプロモーション構築って、そのブランドや商品の世界観や、風景をつくるようなものなんですよね。バンドやってたときと、同じじゃん、と思いました。うーん、結局、職のジャンルじゃなくて、どんなことをやりたいかかもですね。「消防士」になりたい、じゃなくて、ひとを助けたい、的な。これ、リリーフランキーさんのパクリなんですけど。だから曲をつくってもつくってなくても、自分の音楽のようなものづくり、風景づくりは続いているというか。ま、きれいに言うとですけどね。(ため息)(笑)


林;(笑)


相澤;で、ある時、広告の会社で出会ったデザイナーの友人に誘われて絵本をつくったんです。友人の果敢な売り込みによって、講談社さんから出版させていただきました。友人のペンギンの絵を見て世界観や風景、ストーリーが思い浮かんだので多分、これも音楽のようなものづくりの続きなんでしょうね。講談社さんは、この本、「すましたペンギンさんきょうだい」を幼児向けに設定していましたが、作者としては、完全に大人向けで、非常にロックのスピリット濃厚な作品です。なので、これも音楽活動かもです。


林;あの絵本は確かにロックを感じますね。


相澤;それから、30代は、ばりばり仕事して、ばりばり旅行に行ってました。好きな風景を見に行きたかった。キューバ、フランス、スペイン、メキシコ、イタリア、ポルトガル、ハワイ、京都、奄美。旅行熱が高まって、海外で暮らしていたかっこいい20代の女の子とブログを通して知り合いになりました。シャルロット・ゲンズブールのコンサートに行って、終演後、あ、あの子とバンド組もう、ってひらめいて、そしたら、曲がどんどん出来るようになったんです。なにもかも遅いタイミングかもですけどね。40代だし。で、直後に3.11があって、いつ死ぬかわからない切迫感もあり、瀕死のシャケみたいに、曲をたくさん生み続けて、いまでも生み続けています。経験期を経て収穫期に入ったというか。うたをつくるのは、自分の人生の時間の庭で育った花を活けてるような感じだし、自分の損なわれた原風景や好きな風景を埋め合わせているようなものなので、これで、嫌われるならしかたないな、でも、ひとによっては気に入ってくれるかも、なにより、自分にはその埋め合わせが必要だったので自信とあきらめが良い案配でつくってます。


林;なるほど。最初にbar bossaにいらっしゃっていた頃は、僕は相澤さんは「音楽が好きな業界人」というイメージだったんですけど、曲が生まれ始めたのは、3.11以降のことなんですね。これ、みんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?


相澤;今、広告の仕事では、極端に言うとコピーライターというのは、蔑称ですね。昔はスターだったけど。いまって、コピーライターが書いた文章っていわれると、つくりものって感じでしらけません? アマゾンとかのレビューの方が面白い。忌野清志郎は、「プロってプロの音しか出せないんだよ、かわいそうにさ」って言ってたけど。あと、家の近くに信念があって、定型のお洒落じゃない、でもとんでもなくお洒落な、パン屋さんカフェが出来て、東京の有名店より全然好きなんです。人間味、独自のこだわり、土着、センス、あたりが時代のキーワードかもと思っていて音楽もそうなっていくと楽しい、と思います。個人が自分の庭みたいにつくってる音楽を目利きのひとが選んで紹介してゆく、みたいなことになって欲しい。定番の東京のレストランがあきてるように定番の音楽だけではない、生々しい音楽の評価軸がそろそろできてもよいかなと思います。


林;なるほど。


相澤;ただ、自然体の時代かというとそうでもなくて、演劇の根本宗子さんや、講談の神田松之丞さんの舞台を見ると、命がけで強いものは良いな、と思います。ジャンルで語るのではなくて人で語られてゆく時代かもしれませんね。


林;そうですね。そう思います。 これからのご予定は?


相澤;これからの予定は、庭に夏から秋にかけて茂らせる植物の種まき。5年、15年先を見据えた庭のレイアウトの考察。音楽は、遅ればせながら、やっといろいろわかってきたのでうたわせていただけるところを探してうたっていきたいです。
ものづくりに関しては、あの、先日母が商店街の仲のいい魚屋さんに庭でとったふきを煮て、差し入れしたんですね、そしたら、魚屋さんのおかみさんが、自家製のキムチをお返しにくれたんです。そういうの、最強だな、と思って、そういううたをつくりたいです。


林;最強ですね(笑)。


相澤;それから、行きつけの美容院にわたしの絵本を置いていただいていて、あるとき髪を切ってもらっていたら、後ろで、お母さんが小さな娘さんに、その絵本を読み聞かせはじめて、うわ、作者、ここでシャンプーしてもらってるんだけど、って思いつつ聞いていたら、そのお母さんの読み聞かせの抑揚がものすごくよくて、これ、娘さんにとっては究極の音楽だろうなと思って。そういううたをうたいたいですね。なにか、地に足がついたものでないと面白くないし、それから、まだまだうたにされてないものや感情はたくさんあるので、それをかたちにしたい。朝の風の湿度が違えば曲ができる。地に足がついたいろいろな風景をつくっていきたいです。
ま、でも、基本はうたが好き、でしかないので、好きなことを続けていきたいです。


林;ありがとうございます。それではみんなが待っている選曲のコーナーですが、まずテーマをお願いいたします。


相澤;うたいまわしがグっとくる10曲、うたが好きでしかない者ゆえの10曲。節回し、歌詞の乗り方、歌唱法、声質、いろいろな意味でのうたいまわしが、グっとくる曲を選びました。


林;うたいまわし、ですね。期待します。


01. César Portillo De La Luz「Contigo En La Distancia」

相澤;セサル・ ポルティージョ・デ・ラ・ルスは、カエターノヴェローゾとかもカバーしているキューバのソングライターで、69歳のときのハバナのホテルで弾き語っているCDが大好きで。南米の歌手の声には、圧倒的に海がありますよね。


林;これカエターノやってましたね。海、感じますね。波の音、聞こえてきますね。


02. 「イン・ザ・サマータイム(魅惑のチキルーム)」

相澤;ディズニーランドのアトラクションでかかっていた音楽なんですけど、「いかしたサウンドで」の「サウンド」のところのメロディーと歌詞の乗り方が最高。あと、ディズニーものは、うたを喜んでうたっているから好きです。


林;確かにすごいわかりやすい日本語がおしよせますね。


03. 萩原健一「ラストダンスは私に」

相澤;2番の「ロクロ〜〜〜〜ルは」というところ最高。ロックンロールというジャンルではない、なにか別の音楽のことをうたっているみたいで最高なんです。


林;おお、確かに。この日本語感、不思議ですねえ。カッコいいです。


04. 和田アキ子「悲しいうた」

相澤;冒頭「とても悲しい」でふりしぼるように歌って「うたができた」の「た」が弱くて最高。演技で言ったら名演技。強い人間の弱さと孤独をこの「た」の一言に感じます。


林;ああ、そう言われてみれば「た」がそうですね。僕、そういう聴き方しないんで納得です。


05. juliette greco「la javanaise」

相澤;Bメロの歌い方が、まるで、空中にあるなにか目に見えない美しいもののかたちを手のひらでたしかめているようで好きです。


林;こういう世界観、お好きそうですね。わかります。


06. 美空ひばり「港町十三番地」

相澤;出だし、「航海終えて」の「こ〜〜お〜〜かい」の「かい」に航海を終えた疲れと安堵が。その後の「船が港にとまる」の「とおまある」のところもヤバい。


林;やっぱり聴き方が全然違いますね。毎日「言葉」を職業にしているとそういう風に言葉と接してしまうのでしょうか。


07: 大森靖子「お茶碗」

相澤;現代の美空ひばり。現代のエディット・ピアフ。大森靖子。歌い出しの節回しと声のテンションも凄いし、「遠いまっちいいいの君のお部屋ダンボおおおおお~~~ルのテーブルで」のところを聞くと、大抵のことはどうでもよくなります。


林;大森靖子のこと、よくツイートされてますよね。うわ、すごいですね。


08: 榎本健一「私の青空」

相澤;池辺葵さんの傑作「どぶがわ」で効果的に使われています。このひとも喜んでうたってる。存在が節回し。


林;「喜んでうたってる」って良いコピーですね。確かにそうです。


09: ジョナサン・リッチマン「that's summer feeling」

相澤;この歌唱も、そのものが独自のうたいまわし。なさけなくて誇り高くて素晴らしいです。バックコーラスの抑揚がずっと一定でうたいまわさない、ところも素晴らしい。


林;ここでジョナサン・リッチマンで、ついに相澤さんの言うところの「うたいまわし」の意味が納得できました。なさけなくて誇り高いですね。


10: melancolia storytelling「左ききのソングライター」

相澤;「カンテラの」の「テラあ〜〜の〜〜」というところが好きでいつも、そこだけなんども歌いたくなります。左ききのソングライターというのは、ポール・マッカートニーのことですね。彼が最晩年か、来世に、犬と山奥で暮らしてる様子です。ちなみにこの映像の庭は、うちの庭です。のんびりランチ会とかしてるので、林さん遊びに来てくださいね。


林;今まで9曲聞いてきて、相澤さんのこれを聞くと不思議と響き方が違いますね。本当に誰にもない世界観です。さて、このCDのことをお話していただけますか?


相澤;CDは、『vinter』と『var』というのを部屋のとりっぱなし録音でつくりました。鎌倉にスワニーっていういかした生地屋さんがあるんですけど、そこで買った布をミシンでタタタと縫って手触りのいいCDケースをつくりました。ディスクはそれに入っています。
流通しないですよね、すみません。無人野菜売り場とかに置きたい。なぜか、聞いているととても眠くなるとよくいわれます。不眠の方などいらしたらぜひ。このサイトに書かれているメールアドレスでオーダー承ります。


http://melancolia.exblog.jp/


また、うたわせていただけるところなどございましたら、ぜひ、オーダーください。よろしくお願いします。


林;僕、個人的に、もういい年になってしまってから、ここまで自分の世界観をもって表現し始める人ってすごく好きなんです。「相澤さん、これ流通難しいです」とか「音、もっとカチッとしたのにしないんですか?」とか色々と言ってしまったのですが、こういう風に全部、手作りでやるのが相澤さんらしいんだなあと。


相澤;今日は、ありがとうございました。


林;こちらこそどうもありがとうございました。


相澤歩note
相澤歩twitter


相澤さん、詩集も出せば良いのにと思います。ご興味ある方は是非アクセスしてみてください。
そろそろ梅雨が始まりますね。雨、良いですよね。それではまたこちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【林 伸次 近著】

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■タイトル:『ワイングラスのむこう側』
■著者:林 伸次
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東京・渋谷で20年、カウンターの向こうからバーに集う人たちの姿を見つめてきた、ワインバー「bar bossa(バールボッサ)」の店主・林伸次さん。バーを舞台に交差する人間模様。バーだから漏らしてしまう本音。ずっとカウンターに立ち続けている林さんだから知っているここだけの話。


「bar bossa」アーカイブ

vol.1 「モニカ・サウマーゾ」 ・vol.2 高木洋介 ・vol.3 「クリスマス・ソングのボサノヴァ」 ・vol.4 柳樂光隆 ・vol.5 「1960年代当時のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.6 松原繁久 ・vol.7 「1970年代から1980年代までのブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.8 中村ムネユキ ・vol.9 「現代のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.10 江利川侑介 ・vol.11 「エレンコ・レーベル」 ・vol.12 田仲昌之 ・vol.13 「ルミアール・ヂスコス」 ・vol.14 定成寛 ・vol.15 寺田俊彦 ・vol.16 白尾嘉規 ・vol.17 「畠山美由紀『rain falls』 プロデューサー中島ノブユキ インタビュー」 ・vol.18 山本勇樹 ・vol.19 「ジノンさん ルシッド・フォールについて」 ・vol.20 大場俊輔 ・vol.21 「ブラジル人と演奏しているアメリカのジャズ・ミュージシャン特集」 ・vol.22 武藤サツキ ・vol.23 「Lucid Fall (The Best of)」 ・vol.24 筒井奈々 ・vol.25 「THE PIANO ERA2013」 ・vol.26 山上周平 ・vol.27 ジノン ・vol.28 東野龍一郎 ・vol.29 林伸次 ・vol.30 中村智昭 ・vol.31 齊藤外志雄 ・vol.32 染谷大陽 ・vol.33 稲葉昌太 ・vol.34 小嶋佐和子 ・vol.35 石郷岡学 ・vol.36 原田雅之 ・vol.37 松本研二 ・vol.38 塚田耕司 ・vol.39 岩間洋介 ・vol.40 中村信彦&真理子 ・vol.41 白尾嘉規 ・vol.42 田仲昌之 ・vol.43 山本勇樹 ・vol.44 新川忠 ・vol.45 川嶋繁良 ・vol.46 田村示音 ・vol.47 山崎雄康 ・vol.48 上川大助 ・vol.49 町田和宏 ・vol.50 林下英治 ・vol.51 シュート・アロー ・vol.52 高橋悠 ・vol.53 沼田学 ・vol.54 庄野雄治 ・vol.55 山本のりこ ・vol.56 渡部徹 ・vol.57 小栗誠史


bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら

bar bossa vol.57:bar bossa

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vol.57 - お客様:小栗誠史さん(ウサギノフクシュウ)


【テーマ:音楽と文学】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は鎌倉で「ウサギノフクシュウ」という古書店を経営されている小栗誠史さんをお迎えしました。


林;いらっしゃいませ。早速ですがお飲物はどういたしましょうか?


小栗;バーに来ておいてなんですが下戸なもので。ノンアルコールで何かオススメをお願いできますか?


林;それではフーゴというエルダーフラワーとミントとライムを使ったカクテルのアルコールなしにしますね。


小栗;はい。


林;小栗さん、お生まれは?


小栗;1976年、生まれも育ちも栃木県の宇都宮です。


林;宇都宮ですか、良いところですよね。小さい頃は音楽は?


小栗;小学生の頃は音楽とはまったく無縁で、ずっとサッカーに明け暮れていました。


林;え、サッカーですか。意外です。初めて買ったレコードは?


小栗;初めて買ったレコードは、というかカセットテープだったんですけど、TMネットワークです。アニメ『シティーハンター』の影響だと思います。岡村靖幸に反応できなかったのが悔やまれます。


林;なるほど。『シティハンター』からTMネットワークなんですね。中学に入ってどうでしたか?


小栗;中学に入るとやたらと海外志向の女の子がいて、そのコの影響で洋楽を聴くようになりました。言われるがままに雑誌『IN ROCK』をときどき買って読んだりしながら。だからアイドルよりというか、たとえば当時のイギリスではマンチェスター・サウンドがブームでしたが、それを尻目にEMFなんかを聴いていましたね。「テクノ+ロック+ヒップホップ!」という謳い文句に煽られて、なんのことだか訳も分からずに。不思議と今だに聴いてますね。


林;女の子の影響っていうのが小栗さんらしいですね。


小栗;今とは違って中学生の頃は地方にいると情報がとにかく極端に少なくて。ラジオを聴こうにもFMはノイズ混じり。だから情報は雑誌かテレビが頼りでした。


林;僕も地方出身者なのでわかります。


小栗;中2のときに『iD-JAPAN』が創刊されました。本屋で見つけたときはかなり興奮したのを覚えています。雑誌好きになったきっかけでもあるんですけど、音楽から映画、カルチャー、ファッションまで網羅されていて、毎月隅か ら隅まで読みました。


林;中2で『iD-JAPAN』ってマセてますね。『iD-JAPAN』は宇都宮の小栗さんをどうしましたか?


小栗;するとまたヒップホップという言葉が出てくるわけです。東京にはクラブというところがあって、そこではヒップホップで踊るのがかっこいいらしい、とか。ちなみに当時は「ダンス甲子園」の全盛期でもあったのでその波に乗ってダンスもやりました。「おお、これがヒップホップか!」と。実際にはニュージャックスウィングだったりしたんですけど(笑)。あと、後にJRのCMでブレイクするZOOが出ていた深夜番組『Club DADA』で曲を覚えてCDを買いに行ったりしていました。GUYとか。あ、やっぱりニュージャックスウィング(笑)。


林;ニュージャックスウィング、カッコ良かったですよね。


小栗;地元にはWAVEと新星堂があったんですけど、この頃の輸入盤CDはまだ縦長の紙のケースに入ってレコード棚に陳列されていて、国内版にはないその紙ケースに惹かれたのもあり、輸入盤を置いていたWAVEに通っていました。さすがにもうケースは捨ててしまいましたけれど。


林;あの紙ケースに惹かれるというのがなんか小栗さんらしいです...


小栗;『グラミー賞』や『アメリカン・ミュージック・アワード』は毎回見ていましたが、それで確かLL・クール・Jのライブパフォーマンスを観て「これがラップか!ヒップホップか!」と衝撃を受けました。ヒップホップについてもだんだんとわかってきて、ラップ、DJ、ダンス、グラフィティの4大要素からなる、音楽を含めた複合的 なカルチャーなんだということがわかり、さらにのめり込みました。参考書はもっぱら『BLACK MUSIC REVIEW』。その頃にスパイク・リーの映画『DO THE LIGHT THING』を観たこともあって、音楽だけでなくブラック・カルチャーに興味を持つようになりました。


林;あの映画、僕もハマりました。


小栗;高校に入ると周りに音楽好きが増えて、いろいろ情報交換ができるようになりました。ニューウェーブやインダストリアルなんかを聴いてるのもいて非常にショックでしたね。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンを呪文のように唱えるのが一部で流行ったりしました。未だに聴いたことはないんですけれど(笑)。


林;わかります(笑)。


小栗;その頃ヒップホップと並行してよく聴いていたのはアシッド・ジャズですね。ブラン・ニュー・ヘヴィーズや、ちょうどジャミロクワイがデビューした時期です。インコグニート、ガリアーノ、ヤング・ディサイプルズなど 、トーキン・ラウドのアーティストもよく聴きました。しかしこの時期いちばんの出会いはア・トライブ・コールド・クエストですね。3枚目がでた頃です。やっぱりヒップホップって不良の音楽じゃないですか。ところがぼく自身は不良とはほど遠いわけです。彼らはルックスも怖くはないし、ラップの内容も知的だったりコミカルだったりして「ワルくなくてもいいんだ!」と。


林;「ワルくなくてもいいんだ!」って...


小栗;高校を卒業するのと同時に東京に出てくるわけですが、最初の一年間は浪人して大学受験をするという名目だったので、親の手前大人しくしていました。それでもレコード屋にはよく行ってましたけれど。そして浪人生活を無事に1年で終えて大学に入ると、レコード屋通いに拍車がかかります。足繁く通ったのは渋谷のいわゆる「宇田川レコード村」で、シスコ、マンハッタン、DMRを回遊して、時々ZESTを覗きつつ、財布が許す限りヒップホップの12インチを買ってました。DJでもないのに2枚買いしたり(笑)。それから『ULTIMATE BREAKS & BEATS』を教科書代わりに少しずつヒップホップのサンプリングネタを買うようになり、ストーンズやモンキーズ、ルー・リードなど、黒人以外の音楽もネタに使われていることを知り、聴く音楽の幅が一気に広がりました。


林;おお、すごく正しいパターンですね。


小栗;フリー・ソウルのブームもあって、60~70年代の音楽をジャンルレスにいろいろと。その頃、カエターノ・ヴェローゾとガル・コスタの『DOMINGO』に出会い、ブラジル音楽も聴くようになりました。最初はボサノヴァから、徐々にサンバ、ソウル、ロック、と。ブラジル音楽にはそれまで聴いてきた音楽のエッセンスが、ヒップホップでさえ、すべて集約されていて「なんて貪欲な国なんだ!」とずいぶんのめり込みました。


林;小栗さんの場合、根っ子がヒップホップっていうのがすごく大きそうですね。大学の時に今の仕事に影響がある何かはありましたか?


小栗;環境的な変化としては、大学3年のときにリブロ池袋店でアルバイトを始めました。バイト仲間にはなぜかバンドマンが多かったですね。これが今に繋がるかどうかは業態が異なるので微妙なところですが、書店業界、ひいては出版業界の現状を流通面から知ることができたのは貴重だったと思います。大学卒業後は1年ほどリブロでバイトを続けた後、縁あって雑貨店をチェーン展開している会社に2001年2月に就職して、2014年3月までお世話になりました。


林;そうなんですか。伝説のリブロ池袋店でバイトされたんですね。


小栗;そして大学4年のとき、美術作家の永井宏さんと出会います。永井さんは80年代に雑誌『BRUTUS』で編集者として音楽ページを作ったり、フォークシンガーの中川五郎さんとバンド活動を行ったりしていた人で、一部のマニアの間ではNRBQを日本で初めて文章にした人としても知られています。出会った当時、永井さんは『12Wat er Stories Magazine』という雑誌の編集長をしながら文章を通して表現するワークショップを主催していました。ワークショップはその編集部で行われていたので、編集者志望でもあったぼくは下心を持ちつつ通うようになりました。その下心が叶うことはありませんでしたけれど(笑)。


林;編集者志望だったんですね。全然、今からでも「ウサギノフクシュウ出版」ありなんじゃないですか。


小栗;永井さんは基本的にはフォークの人なんですが、ギャビン・ブライアーズやペンギン・カフェ・オーケストラは永井さんから教わりましたし、スフィアン・スティーブンスなんかもかなり早くから聴いていました。60年代からずっと、リアルタイムで音楽を聴き続けている人でした。ぼくは黒人音楽を中心に聴いてきたわけですが、永井さんと出会ってからはフォークやシンガー・ソング・ライター中心の聴き方にガラっと変わるくらい 影響を受けました。


林;そういう大人に出会うのって本当に人生に良いですよね。


小栗;その永井さんが亡くなられたのが2011年4月のことでした。生前、葉山・一色海岸のアトリエを改装して本屋にするという計画があって、ぼくはその手伝いをしていました。残念ながら永井さんには本屋の完成をお見せできなかったのですが、ぼくも含めた有志で期間限定ながらオープンしようということになりました。それが『一色海岸書店』です。約2ヶ月間という短い期間でしたが、この経験を通して自分の店を持ちたいという気持ちが強くなりました。40歳 を数年後に控えて、本屋をやるなら今しかないと思い、2014年に会社を辞めました。その時点で具体的な計画はまだ白紙状態で、今思えばかなり無謀でしたね。


林;え、会社を辞めた時点は白紙状態ってすごい無謀...


小栗;物件探しから始めるわけですが、イメージしていたのは東横線沿線の、学芸大学を中心としたエリアでした。以前住んでいたこともあり愛着と土地勘もあったので。ところがいざ店舗物件を探してみると住宅地だからか思いのほか商業物件が少ないんですね。これは完全にリサーチ不足でした。出てくるのは駅から遠かったり個人では借りられないような家賃の物件ばかり。そんな中、ふとした縁でHADEN BOOKSの林下さんと出会い、2,3ヶ月の間物件探しをしながらお店のお手伝いをさせていただきました。HADEN BOOKSへ行ったことがある方はご存知かと思うんですけれど、林下さんの接客ってものすごく丁寧でお客様に寄り添っているんです。短い期間でしたがその姿勢を近くで見られたことは、接客経験がなかったぼくにはとても貴重な時間でした。


林;林下さんの接客って本当にすごいですよね。で、どうなりましたか?


小栗;結局、学芸大学周辺では物件が見つからず鎌倉に店を出すことになるんですが、これもまた縁というか。友人が鎌倉でsahanというお茶とごはんの店をやっているんですけれど、そこには飲食スペースとは別にギャラリースペースがあったんです。sahanでごはんを食べながら物件探しが難航しているという話をしていたら「じゃあ、ギャラリーで本屋やってみる?」と提案してくれたんです。鎌倉に店を出すということはまったく考えていなかったので一度は断りました。でも 後ろ髪を引かれるものがあり、友人に相談したりしているうちにだんだん鎌倉という場所が現実的に思えてきました。本屋で買った本を読みながらsahanでコーヒーを飲んで、というのもいいんじゃないかと。


林;なるほど。


小栗;結果的には鎌倉でよかったと思っています。本屋として考えると5坪という広さは物足りないんですが、その分来店してくださった方を大事にして、1冊ずつ丁寧に販売しようと。オープン当初はそのさじ加減がわからずに来店されたお客様みんなに話しかけていたので、今考えるとちょっと鬱陶しかったかなと思います。現在はもうちょっと距離を保つというか、お客様の様子を伺いつつお声がけさせていただいています。


林;距離間、難しいですよね。店名の由来は?


小栗;店名のことは今でもよく質問されます。漢字をあてると「兎の復讐」なんですけれど 、これは永井宏さんの著書のタイトルからいただきました。ブローティガンの『芝生の復讐』という詩集へのオマージュとして書いた詩のタイトルです。永井さんと一緒に店名を考えたかったのですがそれが叶わなくなってしまったので。"復讐"と聞くと物騒なイメージですが、もう1冊『優雅な生活が最高の復讐である』というタイトルの本があり、この言葉はスペインの諺でもあるんですけど、デジタル化が進む時代の中で敢えて古本を売るという行為はちょっとした復讐行為なんじゃないかと思えて。この3冊が店のアイデンティティになっています。


林;おお、『優雅な生活が最高の復讐である』もコンセプトに入ってましたか。では、これみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?


小栗;最近はまたレコードがブームなんですね。さらにカセットテープまで。ぼく自身は物質的な世代なので、音楽を手にいれる手段としてはレコードが好きです。でも聴くとなるとデータ化してiPhoneに取り込んでいるわけです。だったら最初からデータ配信で入手するのがいちばん手間もかからずにスマートなんですけれど、それにはまだ少し抵抗があります。CDですら最近やっと抵抗がなくなったばかりなので。しかしこれは慣れの問題かなとも思います。デジタル化はますますいろんな分野で進むでしょうし。でも一方でアナログなものというのは、本もそうですけれど、これからも残っていくとは思っています。相対的に価値を高めながら。また、それが自分の役割だとも思っています。レコードや本っていうのは背伸びの道具だと思うんです。学生とか若い世代の人たちにレコードで音楽を聴いたり本を読むことがかっこいいんだと思ってもらえたらと。


林;なるほど。それでは今後の計画なんかを教えていただけますか?


小栗;2014年の6月にオープンしてからそろそろ2年になります。これ までも朗読会や作家さんを招いての展示などを行っていましたが、3年目はより積極的にイベントを行っていけたらと思います。書評など原稿の依頼も承りますのでよろしくお願いします(笑)。


林;これを読んでいる編集者さん、是非! さて、みんなが待っている選曲に移りますが、テーマは?


小栗;テーマは「音楽と文学」です。読書時間を彩ってくれる音楽を外国文学の作家になぞらえてみました。強引なところは暖かい目で見ていただけるとありがたいです(笑)。


01. 月の光 - 冨田勲

小栗;シンセの鬼才がアレンジしたドビュッシーの代表曲、あまりにも心地よすぎる浮遊感はサン=テグジュペリ的スペースオペラ風味。

林;なるほど。富田勲のこれがサン=テグジュベリですか。こんな感じで続くわけですね。期待大です!


02. マ・メール・ロワ - 坂本龍一

小栗;ひばり児童合唱団のコーラスが硬質なシンセの音色に無垢な響きを添える、どこに向かっても出口の見えないブラッドベリ的迷宮世界。

林;おお、これとブラッドベリ! なるほどです。


03. Teodoro Anzellotti - Petite Ouverture A Danser

小栗;イタリア生まれのアコーディオン奏者・テオドロ・アンゼロッティが演奏するサティの佳曲は良質な、レイモンド・カーヴァーの短編小説のような味わい。

林;へえ。このアコーディオン奏者、知りませんでした。この「間」がなんとなくカーヴァー的ですね。


04. Al Cantor - Federico Arreseygor

小栗;コンテンポラリー・フォルクローレ・シーンで活躍するピアニスト、フェデリコ・アレセイゴルの演奏するたゆたうような旋律は、サリンジャーの描いた永遠の少年、ホールデン・コールフィールドのみずみずしさ。

林;あ、そういえば以前、このアーティストのCDを扱っているNRTの成田さんと来店されたことがありましたね。フェデリコ・アレセイゴル、良いですよねえ。これと、ホールデン・コールフィールド!


05. Toninho Ferragutti - Trilha feita a lápis

小栗;ドミンギーニョスの後継者と言われるブラジル人アコーディオン奏者、トニーニョ・フェハグッチ。ダンスカンパニーから依頼された楽曲を発展させて制作されたコンテンポラリー色の濃い1曲は、ヘミングウェイが描いたパリの日々に訪れる黄昏。

林;僕、この人、このアルバム大好きなんです。うーん、これとヘミングウェイのパリ! 小栗さん、素敵です。ほんと、そんな感じですね。


06. Kronos Quartet - Peace Piece

小栗;初めから弦楽四重奏のために書かれたといってもいいくらい堂に入った演奏は、例えるなら狂気をはらんだフィッツジェラルド的静謐さ。

林;うわ、確かに、「初めから弦楽四重奏のために書かれたといってもいい」って言葉、納得です。これが、フィッツジェラルド! 小栗さん、今回の選曲、個人的にツボに入りまくりです!


07: Gavin Bryars - The Sinking Of The Titanic

小栗;タイタニック号の甲板上で演奏し続けていた楽団員たち、彼らが最後に演奏していた賛美歌。深く海の底へと沈みゆく船のイメージが誘う、カフカ的物語の深部。

林;おお、ギャビン・ブライヤーズのこれがカフカ! うわああ。


08: Piano Phase - Steve Reich

小栗;2台のピアノで同時に演奏を始めた12音からなる音列。一方が速度を上げていくことで生じる、ズレがもたらす緊張感と揺らぎ。そして連想されるのはアメリカ大陸を東から西へ、西から東へとさまよった放浪の作家、ケルアック。

林;ライヒとケルアック、イメージだけで考えるとすごく遠い感じがしますが、音を聞くと確かにすごく同じ世界です。うわあ。小栗さんすごいです。


09: Lou Reed- Street Hassle

小栗;タイトルを直訳すれば『街のいざこざ』。陰翳と知性を内包した都市に生きる、人間の暗部を覗き込むような詩世界が彷彿とさせるのはピンチョン世界的物語。

林;ルーリードのこれとピンチョン! カッコいい!


10: Blue Monk - Terry Adams & Steve Ferguson

小栗;NRBQのテリー・アダムスと初代ギタリスト、スティーブ・ファーガソンによるセロニアス・モンクのカバー。ヴォネガットが綴る物語のようにシニカルとユーモアに溢れたギターとピアノの軽快なアンンサンブル。

林;NRBQは名前だけ知ってたのですが、こんな最近の演奏があるんですね。小栗さん、すごくいろんなの聞いていますね。これにヴォネガット。なるほど。


小栗さん、今回は本当にお忙しいところどうもありがとうございました。
ヒップホップの話から始まり、音楽と文学をあわせた選曲、新鮮でした! 
みなさん、鎌倉にお立ち寄りの際は是非、ウサギノフクシュウさんへ。良いお店ですよ。

ウサギノフクシュウ公式HP
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ゴールデンウイーク、真っ只中ですね。あっという間に初夏がそこまで来ている陽ざしです。
みなさん、本を片手に音楽を楽しんでみてはいかがでしょうか。
それではまたこちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【林 伸次 近著】

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■タイトル:『ワイングラスのむこう側』
■著者:林 伸次
■発売日:2016年3月26日
■出版社: KADOKAWA
■金額:¥1,404 単行本

アマゾン詳細ページへ


東京・渋谷で20年、カウンターの向こうからバーに集う人たちの姿を見つめてきた、ワインバー「bar bossa(バールボッサ)」の店主・林伸次さん。バーを舞台に交差する人間模様。バーだから漏らしてしまう本音。ずっとカウンターに立ち続けている林さんだから知っているここだけの話。


「bar bossa」アーカイブ

vol.1 「モニカ・サウマーゾ」 ・vol.2 高木洋介 ・vol.3 「クリスマス・ソングのボサノヴァ」 ・vol.4 柳樂光隆 ・vol.5 「1960年代当時のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.6 松原繁久 ・vol.7 「1970年代から1980年代までのブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.8 中村ムネユキ ・vol.9 「現代のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.10 江利川侑介 ・vol.11 「エレンコ・レーベル」 ・vol.12 田仲昌之 ・vol.13 「ルミアール・ヂスコス」 ・vol.14 定成寛 ・vol.15 寺田俊彦 ・vol.16 白尾嘉規 ・vol.17 「畠山美由紀『rain falls』 プロデューサー中島ノブユキ インタビュー」 ・vol.18 山本勇樹 ・vol.19 「ジノンさん ルシッド・フォールについて」 ・vol.20 大場俊輔 ・vol.21 「ブラジル人と演奏しているアメリカのジャズ・ミュージシャン特集」 ・vol.22 武藤サツキ ・vol.23 「Lucid Fall (The Best of)」 ・vol.24 筒井奈々 ・vol.25 「THE PIANO ERA2013」 ・vol.26 山上周平 ・vol.27 ジノン ・vol.28 東野龍一郎 ・vol.29 林伸次 ・vol.30 中村智昭 ・vol.31 齊藤外志雄 ・vol.32 染谷大陽 ・vol.33 稲葉昌太 ・vol.34 小嶋佐和子 ・vol.35 石郷岡学 ・vol.36 原田雅之 ・vol.37 松本研二 ・vol.38 塚田耕司 ・vol.39 岩間洋介 ・vol.40 中村信彦&真理子 ・vol.41 白尾嘉規 ・vol.42 田仲昌之 ・vol.43 山本勇樹 ・vol.44 新川忠 ・vol.45 川嶋繁良 ・vol.46 田村示音 ・vol.47 山崎雄康 ・vol.48 上川大助 ・vol.49 町田和宏 ・vol.50 林下英治 ・vol.51 シュート・アロー ・vol.52 高橋悠 ・vol.53 沼田学 ・vol.54 庄野雄治 ・vol.55 山本のりこ ・vol.56 渡部徹


bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら

bar bossa vol.56:bar bossa

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vol.56 - お客様:渡部徹さん


【テーマ:東アジアの音楽】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はpwmの名前で選曲家として有名な渡部徹さんをゲストに迎えました。


林;こんばんは。早速ですが、お飲物はどうされますか?


渡部;それでは、赤ワインの軽めのものをお願いします。


林;じゃあ、ブルゴーニュのピノ・ノワールにしますね。ところでお生まれは?


渡部;1969年に山陰地方・島根県で生まれました。実は林さんと同じ年なんですよね。


林;あ、そうでしたか。小さい頃の音楽環境を教えてもらえますか?


渡部;両親と姉との4人暮らしで、すごく古くて狭い家に住んでいました。両親はほとんど音楽に興味がなかったと思います。たまにテレビで音楽番組を観るくらい。自宅には小さなレコードプレイヤーがあったのですが、鳥の鳴き声のレコードとか、虫の鳴き声のレコードとか、そんなのばっかり(笑)。でも、両親は子供たちに音楽に親しんでもらいたかったのか、僕が幼稚園の頃にオルガン教室に通わせてくれました。


林;良いご両親ですね。


渡部;父親は物静かですが、ある意味職人的な人です。僕の名前は「徹」と書くのですが、「コレと決めたら徹底的に極めろ」という思いを込めて命名したようです。


林;なるほど。


渡部;小学生の頃は魚釣りと少年野球の毎日でしたね。音楽にはほとんど興味がなかったのですが、たまたま親戚のおばさんとデパートに行ったとき、「好きなシングル一枚買ってあげる」と言われて、悩みに悩んで買ったのが、当時流行っていた沢田研二さんの「勝手にしやがれ」。他に聴くレコードもなかったので、そればかり何百回も聴いていました。


林;やっぱり同世代ですね。僕も帽子、投げましたよ。


渡部;中学・高校になるとクラスメイトに音楽好きな人がいて、そういう趣味を持つことが何だかかっこよく感じたんですね。僕も少しだけ音楽を聴くようになります。佐野元春さん、RCサクセション、BOOWYとか、日本の音楽を聴くことが多かったですね。高校になると、加えてUK物、アズテック・カメラとかも聴くようになります。当時はレンタルレコード屋で毎週のように何かレンタルしてきて、家でカセットテープにダビングしてました。そして、高校一年の時にお年玉でエレキギターを買って、音楽がいちばんの趣味になりました。


林;なんか僕と全く同じです。自分の話みたいです(笑)。


渡部;将来は音楽に関係した仕事に就きたいと考えていたんですね。当時(1980年代後期)はデジタルサウンド全盛期。シンセサイザーやデジタルレコーディングのエンジニアに憧れて、大学は電子工学科に入学しました。大学時代は、レンタルCD/ビデオ屋でバイトをしながら、楽器をいろいろ買い込んで、友人と宅録をしたりしてました。当時はトッド・ラングレンが好きでしたね。楽器を何でも弾いて、全部自分でやっちゃう。泣きそうになるくらい美しいメロディの曲なのに、その裏では凄く前衛的なことをしている。そういう徹底した職人気質に惹かれたんだと思います。


林;おおお、宅録職人でしたか。なんかわかるような気がします。


渡部;僕にとって1990年は特別な年です。フリッパーズ・ギター『Camera Talk』、ピチカート・ファイヴ『月面軟着陸』を聴いたとき、すごく衝撃を受けました。さらにその後に出た橋本徹さんのレコードガイドブック『Suburbia Suite』に出会ったときも、そこで紹介されているレコードを全て集めたいと思いました。話せば長くなるのでこの辺りはざっくり割愛しますが、この時期(20代前半)に好きな音楽の幅が一気に広がりました。


林;1990年がその2枚だったんですね。サバービアも本当に当時は衝撃的でしたよね。


渡部;あと、映画・文学・デザイン・建築とか、音楽以外にも興味が広がっていきました。この頃に好きだった音楽家は、バート・バカラック、エンニオ・モリコーネ、ミシェル・ルグラン。いまとほとんど変わっていなくて、多分この辺りが自分のルーツなんだと思います。


林;わかります、わかります。今回はずっとうなずいていそうです(笑)。


渡部;大学を卒業して地元(島根県)に戻りました。このころからpwmという名義で活動を始めて、1995年頃にメーリングリスト「pwm-ml」やウェブサイト「pwmweb」、フリーペーパーやセレクトカセットテープを制作したり、あとクラブイヴェントを開催したりしました。当時のウェブサイトのキャッチコピーが「far from the madding crowd」で、映画タイトルからの引用なのですが、我ながらうまく付けたなぁと思います。


林;そこで地元で活動するのが渡部さんらしいですね。


渡部;京都でgroovisionsが主催するクラブイヴェントによく遊びにいきました。林さんの著書『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか?』のブックデザインをしている宇賀田直人さんにもそこで出会ったと思います。2001年からDJ須永辰緒さんのお誘いで、オルガンバーのウェブサイトで毎月ディスクレビューを書きました。連載は10年以上続きましたが、ここで載せたレコードは、ディスクガイド本『DOUBLE STANDARD』にも掲載されています。


林;この須永さんとのお仕事が渡部さんをすごく有名にしたんですよね。さて、これみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?


渡部;この質問は悩みますね・・・作り手と売り手に分けて答えてみます。

まず作り手側ですが、これからは良い音楽を作って発表する若者が増えるだろうと楽観しています。例えば、ぼくが凄い時間とお金をかけてやっと聴くことができたコアな音楽が、YouTubeとかで簡単に聴けるようになりましたよね。特に若くて多感な子にはメリットが大きいと思います。それから、音楽を作ったり発表するのハードルが圧倒的に下がったこと。パソコン一台あればそこそこの音楽ができて、SoundCloudやYouTubeでアップできますからね。もう、いまの若い人たちが羨ましいです(笑)。

次に売り手側ですが、いま音楽マーケティングは、大変革の真っ只中だと思っています。1967年のビートルズ『サージェント・ペパーズ』以降、アルバム単位でアートフォームを作り上げるのが至上とする風潮があったじゃないですか。それがiTunesやYouTubeの登場以降、曲単位でのリリースが主体になってきた。つまり今はある意味60年代以前のシングル盤の時代に戻っているというか、一曲でもいい曲ができれば全く無名の音楽家が脚光を浴びるようになったと。音楽ビジネスもCD販売ではない何かに変わっていくのでしょう。想像もできないフォーマットが今後生まれてくると思うと、ちょっとワクワクしますね。


林;音楽の現状や未来を楽観的に感じているのがすごく渡部さんらしくて良いですね。さて、渡部さんのこれからの活動の予定みたいなのを教えてもらえますか?


渡部;特にこれといった派手な活動もしていないので、そんなに話すこともないのですが、好きな音楽があって、それを突き詰めて、文章にしたり、選曲したり、DJをしたり・・・これからも音楽に関わっていたいという気持ちがあります。最初にお話した「コレと決めたことを徹底的に極めろ」という親の想いは、少しは実践できているのかもしれません。

オルガンバーWebのレビューでずっと一緒に活動していたデシネの丸山雅生さんとは「今度○○をしたいねえ」と話しているのでご注目ください。あと、地元では細々とクラブイヴェント的なことを企画したり、プエルトムジカ(Puerto de la Musica)というユニットでイヴェント企画やフリーペーパー発行したりしています。この活動はこれからも続けていきたいです。


林;東京じゃない場所で音楽を愛する人の理想的なスタイルですね。ではみんなが待っている選曲ですが、まずはテーマを決めていただきたいのですが。


渡部;テーマは「東アジアの音楽」です。林さんがかねてよりお話しされている「東アジアの音楽を体系的にまとめて、音楽フェスのようなことをやりたい」というのに共感しています。去年(2015年)は僕も韓国の音楽を中心にアジアの音楽をたくさん聴きましたので、今日はその辺りから僕のオススメをご紹介しますね。


林;おお、渡部さんセレクトの東アジア音楽、期待いたします!


01. Joohye / Biggest Fan

渡部;韓国の女性シンガーソングライターJoohyeは、いままでシングルを数枚出している女性歌手です。この曲はYoutubeでしか聴くことができない曲で、CDとしてリリースされていないはず。Big Earth Little Meというグループの曲のカヴァーで、ボサノヴァの爪弾きとネオアコの瑞々しさと湛えた名曲です。あと、Joohyeがかわいいですね(笑)。

林;おおお、ネオアコ直球ですね。Joohye、確かにかわいいです...(笑)


02. 旺福 / 夏夕夏景

渡部;台湾の旺福(ワンフー)というバンド。日本盤CDも発売されていて、日本でもそこそこ人気があるようです。この映像は「ワーワーちゃん!大好きだー!」という告白から始まるのですが、フリッパーズ・ギター『海へ行くつもりじゃなかった』みたいなヴィジュアルと甘酸っぱいギターポップ風味。フリッパーズ好きなら反応してしまいます。

林;まさにフリッパーズ・ギターのことがすぐに思い浮かびますね。でもどこか台湾で独特ですね。


03. La Ong Fong / It's all you

渡部;タイのラ・オン・フォンという男性2人+女性1人の3人組グループ。"タイの渋谷系"と言われてるらしく、過去に日本盤CDも発売されています。これは2011年の曲ですが、爽やかなアコースティック・ソウルで気持ちいいグルーヴ。アコースティックギターのカッティングが気持ちいいです。

林;タイはやっぱりタイ語の言葉の響きがメロディーに影響を与えて独特の雰囲気になりますね。良いですねえ。


04. Tulus / Kisah Sebentar

渡部;インドネシアの男性シンガーTulusは、いままで2枚アルバムを発表していると思うのですが、これは2011年のデビュー作に収められています。これは曲の展開がすごいです。ボサノヴァ~ジャズ~R&B~と曲調が次々と変化していくという。こういう色んなジャンルを横断する曲はすごく好みですね。

林;本当だ。すごい展開ですね。日本人にはちょっと思いつかないようなアイディアですね。


05. Joanna Wang / Vincent

渡部;台湾の女性歌手ジョアンナ・ワン(王若琳)が20歳のときに制作した2009年のアルバムより。男性シンガーソングライター、ドン・マクリーンの曲のカヴァーです。ノラ・ジョーンズやアン・サリーを連想させるジャジーで優しい音楽です。夏の終わりの切ない雰囲気がして、とても気に入っています。

林;うわあ、すごい本格的な良い声ですね。でも確かにアン・サリーや畠山美由紀のような「どこかアジア」が感じられますね。


06. Operation Bangkok

渡部;さて、ここで一息入れて、東南アジアの古いエキゾチック・ミュージックです。1967年公開のタイ映画『Operation Bangkok』の劇中シーンなのですが、このヴィブラフォンを中心にしたサウンドは、ジョージ・シアリングのクールジャズや、マーティン・デニー~アーサー・ライマンのエキゾチック・サウンドの影響直下。映像もよい雰囲気です。

林;渡部さん、ほんと、聴いている音楽の幅が広いのに、どれもがどこか「pwm色」が感じられてすごい稀有な才能ですね。東京でいたらと思うのですが、東京でいないからこういうセンスなのでしょうか。


07: What Women Want / Curious

渡部;終盤に向けてメロウ路線で行きます。これは韓国の現代メロウグルーヴ最高の一曲だと思っています。韓国では、キリンジ~冨田ラボやLampとかが人気のようで、この辺りの日本の音楽に影響を受けた音楽もたくさん存在します。このグループはこれだけしかCDリリースしていないようで、今後の活動が待たれる要注目グループです。

林;これすごく良いですね。韓国って男性ヴォーカルの本格具合が「日本にはない感じ」なんですよね。日本ロケっていうのがなんか不思議で嬉しいし。


08: Maliq & D'Essentials / Penasaran

渡部;インドネシアの7人組バンドの2010年のアルバムより。この曲もメロウグルーヴ的ですね。胸が切なくなるようなメロディと気持ちいいグルーヴ感。例えば、夜の深い時間帯にDJをしているとき、お酒もほど良く入って、「音楽って最高だよね!」と思ってるときには、大抵こういう音楽をかけてます(笑)。

林;インドネシアって「メロウ」ですね。MVがすごくハッピーで羨ましい風景です。


09: Nangman Band / Spring

渡部;韓国のナンマン・バンドというユニット。デビュー当時は男女デュオだったのですが、いつの間にか女性が脱退して男性ソロになりました。この曲はその後(2015年春)リリースされたボサノヴァ風の曲。春がやってくるワクワク感と別れの切なさみたいなものが混在していて、とにかく大好きな曲です。

林;韓国は本当に「切ない」がキーワードですね。必ず「青臭さ」みたいなものを音楽にいれてきますね。


10: Jung Jae Hyung / Pour Les Gens Qui S'Aiment

渡部;最後はピアノソロです。韓国の男性SSWチョン・ジェヒョンは才能豊かなアーティストで、ルシッド・フォールとも共演しています。パリで音楽を学んでいて、ピアノの旋律の端々にヨーロッパの香りも漂います。これは非常に美しい曲で、何度聴いても涙が溢れてきます。

林;この人はやっぱり「日本からは出てこないタイプの音楽だなあ」っていつも感じますね。でもやっぱりアジアを少し感じます。


渡部さん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
東アジア音楽フェス、是非、一緒に実現させましょう!
pwmさんのツイッターはこちらです。
フォローすると毎日、面白い音楽があなたのTLに流れてきますよ。
pwm twitter


桜の花が満開ですね。今年の春には何かが始まりそうですか?
春にぴったりの音楽を手にどこかに出かけてみてはいかがでしょうか。
それではまた来月、こちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【林 伸次 近著】

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■タイトル:『ワイングラスのむこう側』
■著者:林 伸次
■発売日:2016年3月26日
■出版社: KADOKAWA
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東京・渋谷で20年、カウンターの向こうからバーに集う人たちの姿を見つめてきた、ワインバー「bar bossa(バールボッサ)」の店主・林伸次さん。バーを舞台に交差する人間模様。バーだから漏らしてしまう本音。ずっとカウンターに立ち続けている林さんだから知っているここだけの話。


「bar bossa」アーカイブ

vol.1 「モニカ・サウマーゾ」 ・vol.2 高木洋介 ・vol.3 「クリスマス・ソングのボサノヴァ」 ・vol.4 柳樂光隆 ・vol.5 「1960年代当時のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.6 松原繁久 ・vol.7 「1970年代から1980年代までのブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.8 中村ムネユキ ・vol.9 「現代のブラジルのボサノヴァ女性シンガー特集」 ・vol.10 江利川侑介 ・vol.11 「エレンコ・レーベル」 ・vol.12 田仲昌之 ・vol.13 「ルミアール・ヂスコス」 ・vol.14 定成寛 ・vol.15 寺田俊彦 ・vol.16 白尾嘉規 ・vol.17 「畠山美由紀『rain falls』 プロデューサー中島ノブユキ インタビュー」 ・vol.18 山本勇樹 ・vol.19 「ジノンさん ルシッド・フォールについて」 ・vol.20 大場俊輔 ・vol.21 「ブラジル人と演奏しているアメリカのジャズ・ミュージシャン特集」 ・vol.22 武藤サツキ ・vol.23 「Lucid Fall (The Best of)」 ・vol.24 筒井奈々 ・vol.25 「THE PIANO ERA2013」 ・vol.26 山上周平 ・vol.27 ジノン ・vol.28 東野龍一郎 ・vol.29 林伸次 ・vol.30 中村智昭 ・vol.31 齊藤外志雄 ・vol.32 染谷大陽 ・vol.33 稲葉昌太 ・vol.34 小嶋佐和子 ・vol.35 石郷岡学 ・vol.36 原田雅之 ・vol.37 松本研二 ・vol.38 塚田耕司 ・vol.39 岩間洋介 ・vol.40 中村信彦&真理子 ・vol.41 白尾嘉規 ・vol.42 田仲昌之 ・vol.43 山本勇樹 ・vol.44 新川忠 ・vol.45 川嶋繁良 ・vol.46 田村示音 ・vol.47 山崎雄康 ・vol.48 上川大助 ・vol.49 町田和宏 ・vol.50 林下英治 ・vol.51 シュート・アロー ・vol.52 高橋悠 ・vol.53 沼田学 ・vol.54 庄野雄治 ・vol.55 山本のりこ


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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bar bossa vol.55:bar bossa

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vol.55 - お客様:山本のりこさん(ボサノヴァ・ボーカル&ギター)


【テーマ:多感な小学生時代~ブラジル音楽との出会い~刺激を受けた70年代サウンド】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今月は先日ニューアルバム『トレン・ダス・コーリス』を発表したばかりの山本のりこさんをお迎えしました。


林;こんばんは。早速ですが、お飲物はどうしましょうか?


山本;じゃあ、モヒートください。


林;かしこまりました。では小さい頃のお話を教えていただけますか。


山本;育った場所の影響が大きいです。兵庫県宝塚市の、大阪にも神戸にも1時間以上かかる山の上です。友達が近くに住んでなくて、学校から帰ると花を摘んだり塗り絵をしてました。


林;いいところですね。


山本;父方の祖父は丁稚奉公から独立して、いわゆる阪神山の手のプチブルを目指しました。芦屋には家が買えなくて、そこそこ山の手の宝塚で折り合いをつけたそうです。しばらく良い暮らしをしましたが、父がまだ学生の時に亡くなって、たちまち家計は傾いたそうです。父はそんな激動の生き方が嫌でサラリーマンになりました。家だけがやたら大きいお屋敷で、私も自分のことお嬢さんなのかなと思ったこともありましたが、立派な床の間がストーブ置き場になってたりして、いや違うな、みたいな。。


林;(笑)


山本;そんなわけで色んな価値観がない交ぜになった家庭でした。ピアノはやっぱりできなければ、みたいな感じで近所の教室に習いにいかされました。ピアノはすぐ好きになりました。


林;ピアノを習われたんですね。


山本;親は音楽に詳しくなくてレコードプレイヤーが家に無かったです。小学生の時に買ってもらったルービンシュタインのカセットテープにものすごく夢中になり、それはショパン曲集でしたが、本当にテープが伸びて切れるまで聴きました。歌謡曲はテレビで覚え、アグネス・チャンが大好きでした。歌うことには物心ついた時から異常な情熱があって、校歌斉唱であろうとキャンプファイヤーであろうと一生懸命歌ってました。


林;ショパンとアグネス・チャン。なんかのりこさんのことがわかりますね。中学はどうしましたか?


山本;中学は親の仕事の関係で熊本に引っ越して、FMで邦楽や洋楽のベストテンをいつも聴いてました。なぜだか、大ヒットの後のシングルが好きになる性質でしたね。圧倒的にわかりやすいものじゃない、中間色なやつ。アラベスクだと「ペパーミント・ジャック」とか、久保田早紀さんならセカンドシングルの「25時」とか。なんで私の好きなやつみんな知らないんだろう?って・・。


林;(笑)


山本;サザンオールスターズのファンでもありました。"5 Rock Show" と題して5か月間毎月1枚シングルを出した時期があって、それがサザンの最低業績だったみたいです。でも子供にはチャートの上下とか関係ないですからね。その5枚のシングルトラックは今でも最高峰だと思ってます。


林;なるほど。サザン好きなんですね。


山本;歌謡曲からだんだんシンガーソングライターの時代に変わる頃で、佐野元春さんの登場も衝撃でした。コンサートを親に内緒で見に行きました。あとYMO! YMOで一番好きな曲は「Nice Age」です。これも変わってるかも。


林;はずしてきますねえ。


山本;熊本でついたピアノの先生が突然亡くなってしまい、レッスンが中断したので、あとは好きな曲に勝手に伴奏をつけて家で弾語りしてました。知ってる曲はとりあえず全部歌ってみました。このときに譜面から離れて耳コピを覚えました。


林;そこで耳コピに走るかどうかで音楽人生が決まるという話、聞いたことあります。雑誌とかは?


山本;雑誌は、『平凡』、『明星』、ファッション誌の『Mc Sister』、今井美樹さんがモデルでデビューして、ダントツに可愛かったです。弟がいるのでマンガは少年誌ばかり読んでました。鴨川つばめさん、江口寿史さんのポップな雰囲気が大好きでした。


林;女性で江口寿史が好きって良いですねえ。高校はどうでしたか?


山本;高校時代はまた関西に戻り、テニス部に入りました。毎日練習でくたくたなのでラジオが聴けなくなりました。あのとき帰宅部だったらラジオで物凄くマニアックな音楽に出会って別の人生があったかも・・。その頃が80年代の始めです。テレビでMTVという番組が始まったんで、映像が楽しくて夢中になりました。Eurythmics、Joe Jackson、Thompson Twinsなど。今思うとイギリスの人が多いですね。


林;MTVですよね。そしてその後は?


山本;高校までは自分が人前で演奏することはまったく考えてませんでした。周りにそういう環境や出会いがなかったし。大学でたまたま同じ学科に私の知らない音楽ばっかりギターで弾く友人が出来て、そこで初めてユニットらしきものを組みました。


林;お、始まりましたね。


山本;その相方は英語でオリジナル曲を書いていて、初めて作ってきた歌が「BLACK CAT CUT ACROSS THE WAY(黒猫が横切った)」というリズム&ブルースっぽい曲です。ならず者の歌っていうんですかねぇ。。これはどうやって歌うんだと、R&Bの節回しみたいなものを研究しました。私が歌担当で、はじめはもっぱら4トラックのテープレコーダーに宅録してました。そのうち人にも聞いてもらいたくなって、お店を訪ねてお願いして、ライブするようになりました。


林;おお!


山本;相方だった菅原まりもはクラシックギターの出身で、ライブの最初にいつもソロギターで小品を弾いてくれるんですけど、Garoto の曲をよく取りあげてました。その辺から影響されてブラジル音楽に興味を持っていきました。他のラテン語圏の音楽も色々聴き漁って、そのうちブラジル音楽だけに絞られていきましたね。あんまり思い詰めてなくて優雅な感じがするのが好みに合いました。ポルトガル語の響きが淡い色合いでね。 Astrud Gilberto を聴いたときに、初めて自分でもポルトガル語を歌ってみたいと思いました。


林;そんな時期にGarotoってすごいですね。


山本;大学は本当はグラフィックデザインを勉強したかったんですが、うちはとにかく父の希望が強くて、工業系の手堅い仕事をしろと言われました。工業でかつデザインができる建築という分野があるよと言われて、そのとおりにすすみました。成り行き任せでしたけど、周りの子もみんなそんな感じでしたよね。。バブルの時代だったので学校から割り当てられるような形で建設会社に就職しました。


林;のりこさん、ちゃんと就職されてたんですよね。さて、いよいよプロのミュージシャンへの道が始まるわけですが。


山本;会社で数年間、建築設計の仕事をしましたが、好きな人が東京に就職したので彼を追いかけて上京しました。いろいろありまして、会社を辞めて。それが転機と言えば転機でした。すみません、こんな理由で。。


林;いえいえ。恋は大きいですよね。


山本;上京して何年かした時、その彼がどっか行っちゃいまして、このあとどうしよう?となりました。東京でも建築の図面を描く仕事などしていましたけど、がっくりしちゃって一時期何もできなくなったんですよね。会社員時代の貯金があったので、仕事をいったん休んで何か月かぶらぶらして暮らしました。気を紛らわせたいのもあって、ギターをモーレツに練習しましたね(笑)。昼間ギターを弾いて、夜はライブを見に行っていました。ミュージシャンの方々とも段々とご縁ができて、自分でもライブを頻繁にやるようになっていきました。


林;なるほど。音楽が精神安定剤のかわりでもあったんでしょうか。


山本;そのぶらぶらしてる時期は心細くもあったけど、すごく楽しかったですよ。音楽ってやっぱり、ある程度連続した時間がないと深まっていかないんですよね。仕事から帰っての数時間で出来ることもあるけど、途切れずに一日中浸ってると、お酒みたいに発酵してくるようなところがあると思います。


林;なるほど。音楽を志している人にはすごく参考になるお言葉ですね。


山本;このとき私は30才を越えたところで、はっと気が付いたら、周りで普通に仕事をしてる人とだいぶ遠いところに来ちゃったなと思いました。もちろん、また勤め人になって建築の仕事をするという道も考えたんですけど、きっとまた音楽に戻っちゃうんだろうなぁという予感がするんですね。そんなに好きなら、なんでもっと最初から仕事にしようとしなかったんだろう?と後悔も感じました。


林;はい。


山本;そこで考えたんですけど、今この思いを抑え込んだとして、また10年後や20年後に同じモヤモヤが出てきたら、これはまずいだろうと。。そしたらまた「あの時真剣にやっていれば・・」とか思うでしょ。もし70才のお婆ちゃんになって「ああ、ミュージシャンになりたかったのになぁ」なんて愚痴を言う自分を考えたら、それはもう駄目すぎます。。「やってみたけどダメだった」なら全然いいでしょ。なので出来るだけのことをやってみようかと思って。そんなで今に至ります。


林;すいません。僕ちょっと今、目がウルウルなんですけど... ではこれはみんなに聞いているんですけど、これからの音楽はどうなると思いますか? アナログとか音楽配信のこととか何でも結構です。


山本;うーん。。林さんが聞かれてるのは音楽の業界のことです?
流通や宣伝媒体はいま変化が激しいですよね。私はレーベルも自分でやってるので、一時期はまともに取り組もうとしましたが、何だか疲れて果ててしまいました。今はいい演奏ができるようにだけ考えていたいです。


林;さてさて。今回のニューアルバム、すごく良いですよね。詳しく経緯なんかを教えていただけますか。


山本;ありがとうございます。今回の特徴はエレピ(electric piano)が入ってることです。もともとエレピの音は好きでした。電気楽器なんだけどロマンティックで、にじんでいくようなサウンドですよね。ボサノヴァでは Doris Monteiro の76年のアルバム『Agora』が大のお気に入りです。これはネットじゅう探し回って岐阜のsongsさんから買いました。聴きながら、こんな感じのを作れないかな~とずっと思ってました。


林;なるほど。ドリモンですか。あれ良いんですよねえ。


山本;好きなアルバムに75年のものが多いのを最近気付いて、何かその頃耳にしてたんだろうか?と一度思い出してみました。それで一つ分かったのが、映画「タワーリング・インフェルノ」のサウンドトラックです。天気予報のBGMに使われてテレビで毎日流れてたんですよ。日本では75年公開です。毎日の天気予報はほんと侮れないですね・・身体に刷り込まれます。この時代は世界的にエレピ・サウンドが溢れてたかもしれません。


林;75年ですか。それは興味深いです。


山本;サウンドの肌触りの面では、歌の存在感をなくすことに気を付けました。『CALOR』は声がすごく前に出てて、「これ誰が歌ってるの?」とよく聴かれたそうです。それは自己紹介としては良かったんですが、今度のアルバムはもっとさりげないものにしたいと思って。何か月か経って気づいたら何度も聴いてたな、とか。洋服で言うとさっと気軽に羽織れるものみたいな・・を目指しました。あと、あまり高尚で澄み切ったテイストは私には似合わないので、ちょっと濁ってたり、いなたい雰囲気を醸し出したいな、とも考えました。


林;その「ちょっと濁ってたり、いなたい雰囲気を醸し出したい」っていうのすごく成功していますね。


山本;昔のアナログ盤の淡白な雰囲気が好きなので、トラックの長さも短くおさまるようにアレンジして、フェードアウトを短めにしました。


林;ああ、この感じは昔のアナログ盤の雰囲気を意識してるんですね。


山本;ミュージシャンの編成は、上物はフルートとエレピを核にしています。Steve Sacksさん(flute)、永見行崇さん(e.p, pf)。フルートはSteveが全てアレンジしてくれました。彼はアストラッド・ジルベルトやアナ・カランの仕事もしていて、ボサノヴァの多重アレンジが得意です。鍵盤楽器は大枠だけ私が決めて、細かいところは永見さんに自由に演奏してもらいました。彼のふわふわしたタッチが全編の雰囲気を決めることになったと思います。


林;いやあ、ホント、このフルートのアレンジがすごく僕はやられちゃいました。


山本;リズム隊は、加瀬達さん(contrabass)、服部正美さん(per)です。お二人とも長くブラジル音楽に関わってきた方々ですよね。加瀬さんはとにかく音の美しさと上品さが素晴らしくて、エレキベースじゃなくてコントラバスを入れて欲しいとお願いしました。パーカッションは、今回チャ・チャっぽいリズムのボサノヴァが多かったので、服部さんがタンボリンやギロを重ねるアイデアを出して下さいました。3曲目に軽いタッチのタンボリンとボンゴが入ってるんですが、そのコンビネーションがすごく好きです。


林;リズムのまとまりかたも良いですよね。


山本;変わり種のトラックとしては、一曲アコーディオンが入ってる曲が中盤にあったらすごくいいなと思ったので、佐藤芳明さん(acc)にお願いしました。前作にも参加して頂いてまして、特にピアニッシモでの語り口は抜群ですね。ドラマチックになりすぎないですし。それから、コーラスで1曲参加して頂いた田代つかささん(vo)は、ボサノヴァを演奏するアーチストです。彼のギター弾語りはチェット・ベイカーとジョアン・ジルベルトを足して割ったような感じですよ。彼は視覚障害者で、活動を支援する音楽事務所があるのですが、彼の移動の付き添いをしているボーカリスト橋本智保子さん(vo)が明るい声なので、華やかさを足したいと思い、彼女にもマイクから少し離れて歌っていただきました。


林;アコーディオンの抑えた感じもゲスト・ヴォーカルの浮遊感も良いですね。


山本;表題の「Trem das Cores(色彩の列車)」はカエターノ・ヴェローゾの曲で、私が彼の作品のなかで一番好きな一曲です。確か国際フォーラムの公演でも歌ってました。歌詞も素晴らしくて、走っていく列車の中から風景をみたり、物思いにふけったりする心の移り変わりが描かれています。和訳のリーフレットが付いてますので、ぜひ読んでいただきたいです。


林;みなさん、ちゃんと買って読んでくださいね! さて、ここでみんなが待っている10曲の選曲ですが、まずテーマを決めていただきたいのですが。


山本;10曲って難しいですね。
「多感な小学生時代 ~ ブラジル音楽との出会い ~ 刺激を受けた70年代サウンド」と辿って選んでみましたが、いかがでしょうか。


林;良いですねえ。楽しみです。


01. Arthur Rubinstein - Chopin Ballade No. 1 in G minor, Op. 23

山本;小学校の時に買ってもらったカセット・テープ、生まれて初めてのヘビロテ体験です。ブラジル音楽が好きになったのは、これを聴いたせいなのかもしれません。この曲を聴きすぎたため、テープが切れてお釈迦になりました。72歳の演奏ですよ!


林;これが聴き過ぎてテープが切れた録音なんですね。確かに72歳なのに瑞々しい演奏ですね。


02. John Williams - Something for Susan

山本;映画「タワーリング・インフェルノ」のサウンドトラックからです。これも小学生の時に天気予報のBGMで毎日聴いていて、セクシーな曲調とエレクトリック・ピアノの音に憧れました。74年。


林;うわー、すごく良いですね。このアルバム、早速レコード屋で探します!


03. Candy Candy

山本;バロック風のハープシコードの音が流れます。これを再現したくて、自分の新譜の1曲目にもハープシコードの音色を入れました。松山祐士さんという方のアレンジです、この方の編曲はテレビでいっぱい聴いてたみたいです。76年。


林;そう言えばハープシーコードですね。僕実はこれカラオケで十八番にしています...


04. Janis Ian - Will You Dance?

山本;これも小学生の時でしょうか。ドラマの主題歌になっていて、初めて意識して聴いた洋楽だったんじゃないかと思います。声とピアノの質感に退廃的な匂いや「死」を感じました。こういうハバネラみたいなリズムには小さい時から心惹かれていました。77年。


林;なるほど。『岸辺のアルバム』のテーマ曲だったんですか。のりこさんが好きそうな曲ですね。


05. Lamentos do Morro [Garoto] Paulo Bellinati

山本;大学生時代にブラジル音楽に出会いました。コンビを組んだ友人が弾いていた曲で、これでガロートを知ったんです。大阪にはクラシックギターの名門で大野ギターという教室があり、大野先生はブラジル音楽にも詳しいんです。そこでCDを売って頂きました。この一枚は宝物になり、ベリナチのギターのファンになりました。


林;これ本当に良いアルバムですよね。僕も大好きです。


06. Astrud Gilberto - Misty Roses

山本;同じく大学生時代、アストラッド・ジルベルトに貸しレコード屋さんで出会いました。土臭さとエレガントさ、自分の好きなものが全部入ってる!と歓喜しました。67年。
60年代はヴィブラフォンやハープが活躍してて、シンセが出た後に減っていきますね。


林;アストラッドは何が来るのかと期待していたらこの曲なんですね。本当に外してきますね...


07: O Boto - Antonio Carlos Jobim

山本;ここから3曲は、自分で音楽活動をやるようになってから刺激を受けた音源です。
ビリンバウのイントロからベースが入ってきて、乾いた歌声の出だしまで、何度聴いてもスリリングです。ジョビンのアシッドな面を感じるトラックです。75年。


林;ジョビンも外してきましたね... でもこれ本当にカッコいいんですよねえ。


08: Doris Monteiro - Dia de feira

山本;切れがあって素晴らしいエレピ・サウンドのトラックです。参加してるミュージシャンもMPBの一流どころを集めた名作ですね。ドリスは軽快で本当に歌が上手いです。このアルバム『Agora』は良い曲ぞろいで、愛らしいショリーニョやワルツも入ってます。76年。


林;このアルバムをすごく推す感覚がのりこさんらしいですよね。僕も名作だと思います。


09: Io So Che Ti Amero - Ornella Vanoni, Vinicius de Moraes e Toquinho

山本;「あなたを愛してしまう」のイタリア語版です。オルネラに出会うまでは マリア・クレウーザが好きでしたが、今はどうしてもオルネラに軍配が上がってしまいます。。ヨーロッパの音楽の奥深さを感じます。75年。


林;おお、言われてみれば「ヨーロッパ音楽の奥深さ」という言葉わかります。僕もマリア・クレウーザ・ヴァージョンが好きですが、この感じも捨てがたいですね。


10: Trem das Cores - 山本のりこ

山本;最後に、新しいアルバム『Trem das Cores - 色彩の列車』から、タイトル曲をどうぞお聞きください。他の収録曲も試聴動画をUPしていますので、どうぞよろしくお願いします。


林;やっぱりフルートとエレピの感じがたまんないですね。いやあ本気で名盤です。みなさん是非!

のりこさん、お忙しいところどうもありがとうございました。

みなさん、是非、山本のりこのニューアルバム『トレン・ダス・コーリス』、お買い求めくださいね。


もうそろそろ春ですね。春にはいろんなことが始まりますが、みなさんは何を始めますか?
それではまた来月、こちらでお待ちしております。


bar bossa 林伸次


山本のりこ 公式サイト
山本のりこ twitter


トレン・ダス・コーリス500.jpg

■タイトル:『Trem das Cores - 色彩の列車』
■アーティスト:山本のりこ
■発売日:2016年2月1日
■レーベル: office calor

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ボサノヴァ・ボーカリスト&ギタリストの山本のりこが9年ぶりに発表するソロアルバム4作目。今作はレトロで温かい70年代のブラジル・サウンドがテーマ。エレピやフルートをふんだんに起用したトラックを主軸に配した、聴きごたえのある意欲作となっている。カエターノ・ヴェローゾによる詩情あふれる表題曲「Trem das Cores」、独特の声の深みで弾語りを聴かせるドリヴァル・カイミ作「Das Rosas」、ファンには待望の新録オリジナル曲「Gira Catavento」など全10曲収録。
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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由

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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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bar bossa vol.54:bar bossa

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vol.54 - お客様:庄野雄治さん(aalto cofee)


【テーマ:14ℊをはじめようと思ったときこんな店にしようと思った曲】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は徳島のaalto cofee(アアルトコーヒー)の庄野雄治さんをお迎えしました。


林;こんばんは。早速ですが、お飲物はどうしましょうか?


庄野;日本のビールを。小瓶で。褐色のボトルがいいな。


林;なるほど。庄野さんってバーではそういう注文をするんですね。うちは日本のビールはCOEDOというものを扱ってまして、じゃあCOEDOの白にしますね。さて、庄野さんはお生まれは僕と同じなんですよね。


庄野;1969年7月7日徳島市生まれです。


林;あ、僕8月7日だから1ヶ月違いですね。小さい頃の音楽のことを教えてもらえますか。


庄野;小学1年生でオルガン教室に行って、1年でやめました。はじめて買ったシングルは「哀・戦士」アルバムは『A LONG VACATION』ですね。


林;お、ロンバケ! 他には。


庄野;叔母が音楽好きでとにかくビートルズをよく聴かされたのですが、ちっとも良さがわからず今に至ります。ビートルズとストーンズを通らないで音楽を聴いてきました。


林;また庄野さんらしいというか... 中学以降はどうでしょうか?


庄野;中学校で佐野元春と甲斐バンドに嵌りました。NHKのラジオ番組サウンドストリートの影響かしら。高校のときにバンドを。ルースターズ、エコーズ、ロケッツのカバーでボウイが全盛のときにひかれました。宝島やビックリハウスを読む田舎ではイケていると思っている自意識過剰な友人の少ない学生でした。そのわりにどうしてバンドなんてやれてたのかは謎です。


林;僕もバンドやってたんで、たぶんすれ違ってたんでしょうね。さて高校卒業後は?


庄野;名古屋の大学に行き軽音サークルに行ったのですがあまりの体育会系な感じに1日でやめ、後ろの席になった男前のサッカー少年をだましバンドを組みました。DOLLのバンドメンバー募集で知り合ったギターとドラムと4人でなぜか名古屋のクアトロでライブやってました。なぜかボーカルギター。詩と曲を作っていたという理由とまったく楽器の才能がなかったためです。


林;庄野さん、僕も全く同じです。楽器の才能がなくて詩と曲を作るとそうなりますよね。その後は?


庄野;大学を卒業後徳島の旅行会社に就職しました。小中の同級生と再会し、ふたりで宅録をはじめる。DAVID MARKというグループ、なぜか2014年に自主でCDを作りました。これは恵文社などで販売していただいています。


林;徳島で勤めながら自主制作CDですか。珍しいパターンですね。で、お店はどういうきっかけで始めたんですか?


庄野;36歳のときに妻と娘(生まれたばかり)のときに開業しました。10年以上自分には合わない会社員という組織にいたのが嫌で(子供と同じ理由です)30 歳を越えた手になんの職もない男が出来ることを考えて、なんとなくできそうだと思いはじめました。はじめた瞬間大間違いだと気付きましたが。10坪の小さな借りた店舗。日銭がほしいので11席の小さな喫茶も併設しました。

自家焙煎と言う文字はNG、なに屋かわからない変な店でした。一円でも赤字になったらやめてやろうとはじめたら10年間僅かですが右肩上がりでなんとかなってます。詳しい話は近刊「誰もいない場所を探している」で(笑)。


林;あ、庄野さんの「誰もいない場所を探している」を読めば詳しくわかるんですね。お店をやりたいという人、是非、チェックしてみて下さい。さて、これみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?


庄野;コーヒーも本も同じだと思うのですが(その3つにしか興味がないので)必要な人に届けるのではなく、必要だと気付いてない人に届けるということに重点を置けばどうにでもなると思っています。


林;え? どういうことですか?


庄野;要はマニアの話など聞かずにセブンイレブンのコーヒーを飲み始めた人、西野カナを聴いている人、ライトノベルズを読んでいる人、可能性のある人たちを否定したり馬鹿にしたりする人たちがカッコ悪いんだっていう感じになれば未来は明るいと思います。

ジャンルを殺すのはいつの時代もジャンルの信望者ですから。レコード、デジタル、ライブ。結局美しいメロディー、揺れるベースライン、痺れるギターリフ、踊るドラムは誰かの耳に心に残ると思います。残れば誰かに伝えるでしょう。音楽の未来はずっと一緒。小林秀雄のいう通り「人類のなかに進化なんてない、ただ変化しているだけだ」音楽もそうだと思っています。


林;なるほど。庄野さんの哲学がわかりました。さて、これからはどうされるご予定ですか?


庄野;とりあえず徳島っていう地方都市で革命を起こします。同志がひとりいます。3人目のメンバーにどうですか。


林;僕ですか? 何かありましたら声をかけてください。他には?


庄野;文は書きます。芥川賞とると言っちゃったので。って1編たりとも小説書いたことないですが。でもなんだかとれそうな気がしています(笑)。

コーヒーはずっと焙煎します。それが私の背骨で唯一人に認めてもらえたものなので。欲してくださる人が一人もいなくなるまでは焙煎し続けます。


林;芥川賞とる宣言の後に、焙煎は続けるって良いですねえ。期待しております。では、みんなが待っている選曲に移りますが、テーマは何でしょうか?


庄野;「14ℊをはじめようと思ったときこんな店にしようと思った曲」です。真面目な話、地方都市で足りないのは文化だと思っています。アウトバウンドの小林君に内装什器のデレクションをしてもらえる話になって、すごい店にしなければとガチガチのカッコいい店にしなければいけないと思ったのだけれど、東京のように文化があって細分化した場所でいきていくような店ではダメだなあと思い、雑多なものを受け入れた上でなにかしらわからぬ品のある店にしたいと思いました。

それを言葉にするとうまく伝わらないので施工業者さんをはじめかかわる人に音楽を聴いてもらいました。こんな感じの場所を作りたいんだって。

性急で切なくてカッコよくて揺れて美しい場所。そんな10曲です。


林;音楽を施工業者の人たちに聴かせたんですね。それは期待します。


01. Luna - California (All the Way)

庄野;私の半分はルーリードで出来ている。そしてここにも同じ人がいた。はじめてギャラクシー500を聴いたときに自分がいたと思った。そしてLUNAを聴いたときに歓喜の声を上げながら泣いた。セカンドのこの曲を聴いたとき私は救われた。


林;おお、庄野さん、こういう趣味なんですね。カッコいいですね。期待がふくらんできました!


02. ニーネ タイ料理

庄野;最初渋谷のタワーレコードでファーストアルバムを買った。ボーナストラックで入っていた小沢健二の恋しくてのカバーに震えた。そうか音楽は自由でいいんだ。って音楽以外もそうかも。好きなものを好きっていいんだって教えてもらった。タイ料理タイ料理って。


林;庄野さんの選曲、もしかして全部知らないアーティストかもって気がしてきました。曲もですが、歌詞もすごく良いですね。


03. Gil Scott Heron - Me and the Devil

庄野;元祖ラッパーでおなじみの(そうなのか)ギル。なんだかね、歳をとってもカッコいいって。しかも昔のことをやるのではなくしっかりその時代の空気を感じ、どう考えてもその時代の最先端の若者の200倍はカッコいい。カッコいいっていうのはこういうことなんだと教えてもらった。


林;ギル・スコットヘロン! 進化し続けますよね。こうありたいものです。


04. Pavement - Elevate Me Later

庄野;なんだろう言葉っていうのかな。永遠のマスターピース。ビートルズやストーンズ聴いてるヒマがあるのならペイブメント聴けよ。技術よりもセンス。センスを具現化するための技術。技術というものの多様性を知った曲。


林;なるほど、ペイブメントの「センスを具現化するための技術」。庄野さんらしい言葉です。


05. Pedro Luis e A Parede.flv - Moto Boy

庄野;林さんの店だしブラジルも1曲くらいはと思い選んだ曲。彼らのレコードを2枚持っている。ブラジル人らしい。そして彼らを聴いてヒップホップはやめようと思った。持って生まれたものが違いすぎる。だからなに?じゃない。そういうことだよ。


林;確かにブラジル人のこういうセンスを耳にすると、「持って生まれたものが違いすぎる」っていう感想を持ってしまいますね。確かに。


06. BOaT - ネガティブコンディション

庄野;ナショナリズムがないでおなじみの私があえて言う。日本のバンドで一番素晴らしい。そして一番素晴らしいアルバムに入っている曲。音楽は楽しいほうがいい。


林;庄野さん、本当にいろんな音楽をチェックしているんですね。施工業者の方たち、楽しんだろうなあって思います。


07: 前奏曲 作品28の15「雨だれ」 ショパン

庄野;どんな音楽を聴くときも歌詞カードを見ないし解説も読まない。だから何を言ってるかわからないし、例えばこの曲がどんなに優れているかなど全く知らない。クラシックなどつまらぬものだと思っている、ショパンだってフーンって思う曲が殆どだ。だけど気付くと別れの曲とこの曲を聴く自分がいる。そしてホルヘ・ボレットの演奏が好きだ。彼がどんな人かは知らないけれど。


林;また庄野さんらしいコメントを。


08: NUMBER GIRL - OMOIDE IN MY HEAD - last live

庄野;CD版ではダメだ。ライブのピッチじゃなければ。はやいJAM。でもJAMにはやい曲はない。ならばこの曲は私の理想の曲ではないか。3コードさえあれば世界を変えることが出来る。そう信じていたころに聴いていれば世界を変えることが出来たかもしれない。


林;「はやいJAM。でもJAMにはやい曲はない。ならばこの曲は私の理想の曲ではないか」に心を奪われました。


09: Belle & Sebastian Little Lou, Ugly Jack, Prophet John

庄野;美しいメロディーと美しい声。それがここにある。


林;「私の半分はルーリードでできている」という言葉がよくわかる選曲です。


10: the MODERN LOVERS "Government Center" 1972

庄野;モダーンラバーズってバンド名をつけられるジョナサン・リッチマン。これ以上かっこいいクレジットってあるのかなあ。ロックンロールはどこまでいっても彼らには敵わないよ。だってジョナサンリッチマン&モダンラバーズだもん。


林;あ、そう言われてみれば、modern loversの意味、考えたことがなかったです。そうかあ。そしてこれを最後の曲にする庄野さん。これはみんな徳島に行って、この曲たちをイメージした14ℊに行かなきゃですね。僕も行きましたが、すごく良いお店ですよ。あと、お店に出ている庄野さんの奥さまが綺麗です。

庄野さん、お忙しいところ、どうもありがとうございました。
これを読んでくれている方、是非、徳島のaalto coffeeと14ℊに行ってみて下さい。


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【誰もいない場所を探している】

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■タイトル:『誰もいない場所を探している』
■著者:庄野 雄治
■発売日:2015年10月27日
■出版社: mille books
■金額:¥972 単行本

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凡人には凡人の生き方がある。一流でも二流でも三流でもない、普通の人が地方でお店を続けていくために本当に必要なこと。コーヒー業界が冬の時代に、何の経験もないまま徳島でコーヒー屋を始めたアアルトコーヒー・庄野雄治。夢も希望もなかった男が、楽しく幸せに暮らしていくために実践した37のアイデア。地方でお店を始めたい普通の人、必読の1冊です!『飲食業の経験もなく、ましてお金も人脈も才能もない私でも、何とかフリーランスで十年生き延びることができた。もがき苦しんで、いっぱい間違い失敗してきたからこそわかったことがたくさんある。生まれてこの方、世界と折り合いをつけることができず、日々格闘している私のような人間でも何とかやっていけるんだよ、と伝えたい。
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今年は暖冬ということでしたが、やっと本格的に寒くなってきましたね。音楽を愛するお店、世界にはまだまだたくさんありますね。それではまたこちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
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vol.53 - お客様:沼田学さん(写真家)


【テーマ:体に刻み込まれてるエモい10曲!】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今月は写真家の沼田学さんをお迎えしました。


林;こんばんは。早速ですが、お飲物はどうしましょうか?


沼田;いつもはビールばっかりつい頼んじゃうんですが、林さんなにか珍しいものとかお勧めありますか?


林;最近は季節の果物を低速ジューサーで絞ってカクテルにしてるんです。今は青森のリンゴがあるので、それなんてどうでしょうか?


沼田;お願いします。


林;お生まれは?


沼田;昭和47年札幌生まれです。札幌オリンピックの年。母親が最初の子供はクリスマスを狙うと友達と賭けをしていたらしいんです。惜しいことにちょっと早く23日に生まれました。ちなみに妹はひな祭りをねらって惜しくも3/5にうまれました。と、親がこんなかんじなもので日常的にいろんなタイミングで賭けをする家庭でした。


林;お母さん、良いですねえ。小さい頃はどんな音楽を聞いてましたか?


沼田;自分では全くおぼえてないんですが小さいころは五木ひろしがすきだったみたいで、自分の歌がテープに残ってます。ベストテン全盛時代かつテレビっ子だったので歌謡曲全般やCMソングが大好きでとにかく歌詞やメロディを暗記してテレビにあわせて歌ってました。休日家族でドライブに頻繁に行っていてラジオから流れる音楽をすごい集中して聴いてた記憶あります。


林;すごく幸せそうな原風景ですね。


沼田;家が転勤族で極端に荷物の少ない家庭だったのでプレーヤーがなくてレコード買ったことないんです・・。母親はビートルズの大ファンで今でも実家帰るとよく流れてます。父はギターを持ってたけど曲を演奏してた記憶がないですね。音楽があふれた家庭環境とは程遠いですねぇ。
6年生のとき道東の釧路に引っ越し&転校。そこで同じクラスだった友達W君が音楽一家で、彼は3人兄弟の末っ子なんですが兄姉のレコードが膨大にあってなんでも聞かせてくれました。家も近所だったのですごい遊びにいってました。YMOとかプリンスとかフランキーゴーズトウハリウッドとかニューオーダーとかほんと沢山きかせてもらいました(その後Wの姉はWAVEに就職しました)。


林;洋楽を知っている友人に小学生の時に出会うというこれまた幸せな王道パターンですね。


沼田;中学では先述のW君がエアチェックを教えてくれてFMステーションって雑誌をチェックしては好きな曲を録音するためにラジカセ前に張り付くという毎日でした。ご飯の最中も番組表片手に録音してました。中ページにビルボードのチャートがあるのですが、何曲録音したかマーカーつけるのが趣味で、ジャンルや好き嫌いにこだわらずとにかく集めるぞってかんじで雑多な音楽を並列に聴いていました。


林;エアチェック! 出てきました!


沼田;中2でまた札幌に戻り、ようやくミニコンポを入手。早々にW君から「スミスの新しいアルバムがでるからお前買わないとやばいよ」という手紙が届いて(QUEEN IS DEADでした)、ためしに買ってみたら全然良くないし分かんなくて。でも中2にとっての3000円ってかなりでかいですよね。あいつがわかって俺が理解できないのは釈然としない&元を取るぞ!ってつもりで聞きまくってたらあるときいつの間にか大好きになってました。


林;ええ... 僕は同じ時期に「スミスはわからない...」ってあきらめました。違う人生ですね。


沼田;その後は、レンタルレコードショップでレコード借りまくる日々でUKロックやニューウェーブ、ブルーアイドソウルが好きな中学生。ラジオはピーターバラカン、佐野元春、坂本隆一のサウンドストリーム、その後の時間帯はクロスオーバーイレブンを必ずチェック。スタイルカウンシルのジャケを床屋に持っていって、このとおりに切ってと頼んだらスポーツ刈りにされたりしてました。札幌の同級生とは完全に音楽の話は合わなかったです。


林;僕は沼田さんの3才上なのですが、同じことを同じ時期にしていますね。


沼田;同時期にAMラジオの深夜放送にはまりエアチェック(TBSラジオ)して本当に繰り返し繰り返し聞きました。大人気な大人たちがひとつもためにならないことをずーっとやってることに畏敬の念さえおぼえてました。
高校は公立高校へ入学。同級生にスミス好きな人を発見して少し音楽友達がふえました。(15年後、東京の学園祭のライブ会場トイレでその友人とばったり。そこから連絡とりあうようになり今でも続いてます。)


林;部活とかバンドとかは?


沼田;部活には入らず、暇をもてあましていました。マウンテンバイクにはまり、意味無く遠くまで走りにいったり川沿いのBMXコースをひたすらはしってました。
真冬でもスタッドレスタイヤを入手して自転車通学していてかなり好奇な目で見られてた気がします。25分の自転車通学をアルバム片面(主にビースティー)を脳内再生しながらかっ飛ばす生活。そのときウォークマンを持っていればなあと思います。


林;ウォークマンで自転車は危ないですよ... そして高校卒業ですが。


沼田;受験に失敗して浪人して予備校生活。そのころの北海道は札幌にしか予備校がなかったので、浪人した釧路の友人たちがみんな札幌に出てきて、またつるむようになりました。授業をサボってジャズ喫茶いったりレコード屋さんや書店をはしごしたりの毎日。バブルの最盛期だったので輸入版がほんとに安かったなあ。


林;札幌ってそういう位置なんですね。


沼田;浪人の甲斐有り東京の大学に入学、したもののサブカル的な文化がすきなひとがあまりいない学部(商学部です)やクラスだった気がする・・。学校に行くまでに池袋WAVE、早稲田の古書街に寄り道、と全然教室にたどりつかない日々。学校に行ったところで図書館で映画を見るかCD聴くかで授業にはほんと出なかった。ほんとすいませんってかんじでした。夜は歌舞伎町花園神社のすぐ隣でバイト。隣のビルがクラブの入っているビルでキャッシャーが友達だったこともあり仕事後よく遊びにいってました。ある時期のロンドンナイト、フリーソウルアンダーグラウンドほぼ皆勤だったような気がします。


林;大学の時の「バイト選び」がかなりその後の人生を決定してしまうという典型的な例ですね。


沼田;ジャンルレスな曲が並列して成立するDJ文化が新鮮で毎回楽しかった!東京にでてくるまで現場には行ったことが無かったんです。
その後、自分たちで好きな音楽をかける場が欲しい!しかし箱を借りる金も機材もない!ということで自前でスピーカーをつくり「俺ロックフェスティバル」と名乗り、代々木公園など外で音を出すことをはじめました。キャンプや外遊びも大好きだったので。
秋葉原でパーツを買い、まずアンプとスピーカーを自作。気軽に稼動できるよう機材をスクーターにギリギリつめる大きさに設定して、全ての動作を乾電池でまかなえるように工夫・改造していました。CDウォークマン2台をチャンネルセレクターでつないだ形式でスタート。パーティーに来る人は単一電池をもってきてねと告知して楽しんでました。最終的には結構な音量で30~40人くらいは踊れる音量になってた気がします。毎回いろいろ場所を変えながら、最終的には家のマンションの屋上なんかでもやってました。


林;そこで「自分でやってしまおう」って発想が、すでに沼田さんしか出来ない考え方ですね。その後、カメラマンになった経緯を教えていただけますか?


沼田;母方の祖父が山専門のアマチュアカメラマンでカメラが家に普通にあるかんじでした。小さいころはなんの興味も無かったんですが、東京でてきて大学入っての生活のなかで、3年生のときに編集者になりたいと思って編集・ライタースクールに通い始めました。そのときに写真集を企画するという授業があり、とても面白かったんです。同時期にバイト先の友達がそのまた先輩の写真展に連れて行ってくれました。森山大道さんの暗室の手伝いをしているという彼の写真を見て、コンパクトカメラで撮っていることを知り、置いてあった森山さんの『光と影』という写真集をみて、「これ俺にも出来そうな気がする」と勘違いしたのがスタートです。


林;(笑)


沼田;90年代ガーリー写真ブーム直前の時期です。下手でもセンスさえ良ければいいんじゃないか?と信じてバンバン撮ってました。その後圧倒的にセンスが無いことに気づいてしまうのですが・・
その後職を転々としてアシスタントも少しだけ経験してなんとか半年暮らせるだけのお金を貯め、そこでどうにもならなかったらやめようと思って30歳でフリーになりました。今でもそうなんですがとにかく来た話は今の時点では無理かなあと思っても全部受ける、出来ないものは撮影日までにどうにかするっていうスタイルで、とにかく生き延びるぞ!と思ってたら10年あっという間に経ってました。なぜやれているのか自分でも不思議です。不思議と大事故は無い(と信じたい)です。


林;ざっくりと「いきあたりばったり」的なお話でしたが、本当はつらいことや輝いた瞬間なんかもあったんでしょうね。みんなに聞いているのですが、これからの音楽についてどうお考えですか?


沼田;データで音楽を買える時代、本物を体感できる場所が大切になってくるかなと思います。自分の例でしかないですが、ほとんどレコードやCD買わなくなった代わりに気になったライブは頻繁に行くようになりました。
現場で体験しなければわからないことや二度と再現できないことがもっと敷居低い値段設定や時間設定だったり頻度だったりしたら素敵なのになあとおもいます。


林;今後の活動はどうされるご予定ですか?


沼田;大判の写真集を作ろうと思っています。出版社で出せないなら自費でもやりたいです。


林;期待しています。さて、それではみんなが待っている選曲ですが、テーマは何でしょうか?


沼田;「体に刻み込まれてるエモい10曲!」です。


林;人によって「エモい」って色々ですからね。期待します!


01. 小泉今日子--プロセス

沼田;この曲youtubeに無かったので自分でアップしました。カメラマンになった理由の半分くらいに「いつかキョンキョンに会いたい!」というのがあるくらい好きなんです!本人のレントゲン写真を使ったツアー「テロ86」のポスターで打ちのめされて以来の大ファンです。固定しているイメージに風穴開けようと逆にこうだよねと価値観を拡張する人たちが大好きです。この曲の作詞は本人、赤裸々な失恋の話で周りの大人たちがよくGOサイン出したなとおもいます。アルバムでの次の曲は名曲「あなたにあえてよかった」。この流れは本当に最高。いつも涙しながら聞いています。ハウスのトラックとしても頻繁にDJで使う曲です。


林;沼田さんといえば「あまちゃんファン」として有名ですが、キョンキョンファンだったんですね。良い曲ですねえ。


02. いとうせいこう X dj baku--darma

沼田;今まで体験した中で一番ぶっ飛ばされたライブ。HIP HOPの体で韻を踏まず演説するというスタイルのユニットです。せいこうさんが客をあおった瞬間突風が吹いてざわざわして、それまで静かだったお客ががんがん踊り始めました。この客席のど真ん中にいて、このときこのポエトリーリーディングで泣き崩れて立てなくなったんです。日本語ラップのオリジネイターが行き着いたのは説教とか演説っていうのが興味深い&たとえは適当じゃないかもしれないけど政治家の演説に熱狂する昔の映像そのままの雰囲気をまさか自分が体験するとはと思い怖くなりました。


林;うわー、こんなのあったんですね。これは現場でいたらすごい衝撃ですね。


03. STONE ROSES--elephant STONE

沼田;新宿リキッドで毎月行っていたイベントで夜中2:30にかかる曲!「Seems like there's a hole in my dreams~」ってところでミラーボールがバシッと点いて満員の客がおのおの歌っている光景は「THE 多幸感」って感じでたまらなくて、田舎で高校時代にはじめて聴いたこの曲大好きな人がこんなにいるんだなあ、ずーっと続けばいいのにと毎度なんだか泣いてました。17歳のきゅんとした感情にいつでも戻れる曲!と同時におっさんになったなあと再確認する曲です!


林;僕もストーン・ローゼズ、大好きでした。お互いおっさんですね...


04. THE SMITH--QUEEN IS DEAD

沼田;このPV中学時代に見てものすごい衝撃的でずーっと記憶に残っていてずいぶん後になってからデレク・ジャーマンだと知りました。映像がローファイで生々しい。スミスは曲も勿論なんですがジャケット、PV含めた世界観が大好き。自分の好きな要素が全部入っています。
イギリスのブリストルに滞在中にクラブでこの曲がかかって、バラの花売りのお姉さんがふわーっと目の前をとおりがかって「なにこのPVみたいに出来すぎた瞬間!」と興奮したのを今でもはっきり思い出します。


林;ブリストル! 良い体験ですね。沼田さんらしいです。


05. Inner Life -- Make It Last Forever

沼田;昔NYのハードハウスのDJがアゲハでやったパーティーの明るくなった10時くらいにかかったのをすごく覚えています。


林;僕としては「明るくなった10時くらい」という言葉にくらくらしています。僕、クラブで10時まで残ったことないので。沼田さん、そういうクラブカルチャーを愛しているんですね。


06. 玉置浩二--MR.LONELY

沼田;好きな歌手を挙げよといわれたら玉置浩二と即答します。マーヴィンゲイ級だと思ってるんですがどうでしょか?ライブでの説得力半端なかったです。
体のいろんな箇所を楽器みたいに響かせてうたう人が好きです。同じ理由で畠山美由紀さんも大ファン!


林;玉置浩二、好きなんですね。なんかそれまた沼田さんらしいです... 確かに50年後とか100年後に再評価されそうなソウルを感じますね。


07: JOE SMOOTH--PROMISED LAND

沼田;趣味でたまにDJやるのですが、一番影響された友人のDJがピークタイムでよくかけていた曲です。ハウスミュージックが大好きになったのはこの曲のせい。シカゴハウスのクラシックです。歌詞の内容、完全にゴスペルみたいでダンスミュージックになっても脈々と続くこの黒人音楽感、すごいと思います。


林;なるほど。こういうのが沼田さんのエモい10曲に入っちゃうんですね。沼田さんの「現場感」がすごく伝わってきますね。


08: JON SPENCER BLUES EXPLOSION のライブ

沼田;大好きすぎて思い立って2005年のUSツアーに押しかけ、出待ちして交渉しツアーに同行しつつ写真を撮ってました。同行というかバンドに先回りして、彼らのライブ会場に毎晩現れるので、なんだこの日本人!?と思われてたに違いないですね。ツアーの中盤こいつは無害と思われたのか結局ツアーバスに乗せてもらって、ローディーなどの手伝いしながら各地をまわりました。日本では有名なバンドですがアメリカでは完全にアンダーグラウンドな存在でスタッフメンバー含め8人!積み込みやセッティングも自分でやるしそういうのが当然とおもってて、しかもそれで前座のバンド含めみんな食べていける状況があるとは、アメリカってすごいなあと思います。ジョン(vo.)にはほんと良くしてもらったなあ。


林;ジョンスペってそんな感じなんですね。さらにそのツアーに同行! これまた沼田さんの「現場感」が...


09: groove armada --at the river

沼田;先述の公園パーティーの最後、日が暮れていくときにいつも終わりの曲としてかけてました。沈む太陽をながめながらのこの曲、なかなか破壊力ありますのでお勧めします。自分の葬式のときにこの曲がかかったら最高。
自分にとって印象的な曲はそのとき見てた風景が浮かんできますね。


林;お! 自分の葬式の時の曲宣言! これ、沼田さんの友達がたくさん見ると思いますから、確実にかかりますね(笑)。


10: RCサクセション --I LIKE YOU

沼田;そんなに考えることはないさ 初めに感じたままでいいさ
そのままでジューブン素敵さ 本当のことだけでいいさ
さあ笑ってごらん HA・HA・HA・HA・HA
My Baby I LIKE YOU I LIKE YOU I LOVE YOU
My My My My Baby I LIKE YOU
Yes,I DO LIKE YOU
清志郎のこの歌詞に何度救われたことか。&考え無しに行動する自分へのエクスキューズ曲。清志郎がそういってるんだからしょうがないじゃないですか。


林;「考え無しに行動する自分への」って... しょうがないですね。




林;そういえば、沼田さん、個展をされるんですよね。


沼田;そうなんです。2016年1月8から二週間新宿眼科画廊という現代アートのギャラリーで展覧会をやります。近年取り組んでいる白眼のポートレートのシリーズです。「目は口ほどにものを言うのか?とか外見は内面の一番外側なのか?とか
たとえばその人の部屋とか持ち物は脳みそとか内面の延長じゃないのか?とか思いながら、内面や気持ちなんて写真には絶対写らないので、ひたすら正確に外側を撮ってみました。

写真家にとって展示はライブみたいなものです。会場でしか体感できないざわざわ感や物質感。モニターの画像では絶対わからない精度の写真たちです。
会期中豪華ゲストを交えたトークショー他いろいろなイベントを考えておりますのでぜひお越しいただけたらと思います。9日のオープニングレセプションでは餅つき大会をやりますので新年おめでたい気分を味わいたい方もぜひ!


沼田学個展「界面をなぞる4」
2016/1/8~20 新宿眼科画廊にて無料

201601numata01b.jpg

沼田学個展「界面をなぞる4」詳細

新宿眼科画廊 MAP


過去の展示や作品のリンクです
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/356086/
http://www.qetic.jp/art-culture/kaimen-150118/124350/
http://www.fractionmagazinejapan.com/jpne/cn52/pg460.html




沼田さん、お忙しいところどうもありがとうございました。
実は僕もこの沼田さんのシリーズのモデルに前回なりました。みなさんも是非、会場でしか体感できない展示、行ってみて下さい。


2016年が始まりましたね。今年はもっと良い世界になれば良いのですが。
それでは今年もよろしくお願いいたします。


bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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