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bar bossa vol.51:bar bossa

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vol.51 - お客様:シュート・アローさん
(「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」著者)



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は先日「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」を出されたばかりの
シュート・アローさんをゲストに迎えました。


林;こんばんは。早速ですがお飲物はどういたしましょうか?


シュート;バール・ボッサさんはワインバーなのに、僕はワインを飲めないのでビールをお願いします。冷えていれば銘柄は何でも結構です。


林;そう言えばいつもビールですね。それでは今日はコエドという日本のブランドの白ビールをお出ししますね。それでは自己紹介のようなものをお願いできますか。


シュート;シュート・アローと申します。シュート・アローはペンネームですが、もちろん見ての通り、バリバリの日本人ですよ。


林;(笑)


シュート;僕は東京都目黒区出身で、50歳代前半の某楽器メーカーに勤務するサラリーマンです。学生時代はジャズ研に所属していてピアノを弾いていました。


林;ジャズ研ネタが文章にも多いですね。好きなアーティストとか、あと演奏は今でもされるんですか?


シュート;好きなピアニストはトミー・フラナガン、レッド・ガーランドなどオーソドックスなタイプですかね。ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコックなどにも憧れます。昔はよくライヴでピアノ演奏をしていたのですが、ここ数年はすっかりご無沙汰で、もう指が動きそうにありません。でもまた復活したいですね。

また、ジャズ・スポット・ウォッチャー・ソサエティ代表と勝手に名乗り、日本全国のジャズスポット巡りをしつつ、ジャズ喫茶関連のエッセイ本を刊行したり、ジャズ専門誌等に寄稿したりしています。あと、ジャズ喫茶のマッチ箱を40年近く集めているコレクターなんです。コレクションはざっと300種類以上ありますかね。


林;ジャズ喫茶のマッチのコレクションがすごいですよね。新刊にも村上春樹のピーターキャットのマッチが紹介されてますね。小さい頃の音楽体験を教えていただけますか?


シュート;両親が特に音楽好きということもなく、ごく普通の家庭に生まれました。最初に買ったレコードは、小学校1年生の時のソルティシュガ―の「走れコータロー」です。別に競馬が好きというわけではなく、その軽快なノリ、わかりやすいメロディと歌詞、そして途中の語りがおもしろかったからです。


林;あ、その曲、昔はよく流れてましたよね。


シュート;僕が最初に影響を受けた音楽はビートルズですね。小学校2年生の時だと思うのですが、街中で「イエスタデイ」を初めて聞いたのですが、その美しいメロディにやられました。ずっと口ずさみながら帰り、親にそのことを話すと「イエスタデイ」のレコードはなかったのですが、父親がロンドン出張の時におみやげとして買ってきたオリジナル盤の「ラバーソウル」が家にあったのです。


林;シュートさんのお父さんの世代で「ラバーソウル」をロンドンで買ったってすごいですね。


シュート;父親はプレスリーをちょっと聞くくらいで、特に洋楽に関心があったわけではないので、単に現地で流行っていたからとりあえず買ったのではないかと思います。早速それをプレイヤーで聴いたのですが、「ドライヴ・マイ・カ―」から始まるアルバムは衝撃的でした。その後、何百回も、それこそ擦り切れるほどレコードを聞きましたね。特に「ノルウエイの森」がお気に入りです。この曲を聞くと心の奥の扉を開かれ、森のさわやかな風が吹きこまれるというか、そんな不思議な気持ちになるんです。
ラバーソウルは、今でもビートルズのアルバム中で最も好きな一枚です。


林;羨ましいすべりだしです。


シュート;その後、聞くのは洋楽中心になりました。といっても、ロックというより、カーペンターズとか、サイモン&ガーファンクルなどのポップな曲が好きでした。ロックファンになったのは中学に入学してからです。


林;さて今回はシュート・アローさんの実際に体験したレアなコンサートを紹介してくれるというお話ですが。


シュート;はい。もちろんシュート・アローの著作同様に?どうでもよい情報満載、脱線しまくりです。


林;(笑)


シュート;林さんはバール・ボッサを経営されているので、まずはボサノヴァのレアで、しかも有名なコンサートからでいかがでしょうか?
そうなると、もうこれしかないでしょう。1986年8月3日、日比谷野外音楽堂のアントニオ・カルロス・ジョビンです。ジョビンの最初で最後の日本ツアーでのコンサートですね。会場となった野音の客席は放射状となっていて、キャパは3千人程度。サイドの方には若干空席もありましたがほぼ満席でした。


林;伝説のライブですね。僕より少し上の方は行ってるんですよね。


シュート;僕はこのコンサートの前年に大学を卒業したのですが、卒業旅行でブラジルへ5週間、ひとりで放浪してきました。行き先にブラジルを選んだ理由は、就職したら長期の休みは取れないだろうから行きにくい遠い場所をということ。そしてリオのカーニバル、サッカー観戦、アマゾン川クルーズ、イグアスの滝観光といった具合に、旅の目的の多くが若さと体力を必要とすると思われたからです。年取ってから行ってはダメとは言わないまでも、存分に楽しめないということですね。なんたって、成田からリオへのフライトがL.A.経由で24時間もかかり、その上、日本の真冬からいきなり真夏ですから体力が必要です。

当時為替は1ドルが260円という今から思えばとんでもない時代で。往復の航空券が約40万円、ブラジル国内線フライト乗り放題チケットが約8万円と結構高かったのですが、学生時代にパブとかでピアノを弾いてバイトをした貯えがあったので、親からの援助もなく無借金で行きました。


林;まだ日本人の個人旅行なんて少なかった時代ですよね。どうでしたか?


シュート;結果は大正解!初めての海外旅行、少ない現地情報、しゃべれるはずもないポルトガル語、しかも、ひとりきりなので誰にも頼れない。本当にわからないことだらけでした。街中で英語が全くといっていいほど通じなかったのにはびっくりです。リオでは少年窃盗団に腕時計を強奪されるなど危険な目にも幾度となく遭遇しましたが、何とか無事に帰ってきたらすっかりブラジルファンになってたんです。
帰国後1年くらいの間に来日したジルベルト・ジル、シモ―ネなどのブラジル人アーティストのコンサートにはほとんど行ったんじゃないかな。あと青山のサンバクラブ「プラッサ・オンゼ」にも何回か行きました。


林;ブラジルってそういう人を夢中にさせる何かがありますよね。


シュート;ジョビンのコンサートは8月でしたが、5時の開演時には気温もそこそこ下がり、さほど暑くなく絶好の野外コンサート日和。風が吹くと心地よく、まさにボサノヴァを楽しむためのような空間でしたよ。

ちなみに、僕にとって日比谷野音のコンサートは高校1年時に行った日本のロックバンド・四人囃子以来。
ジョビンのバンドには、ご家族もメンバーとして参加しており、盛り上がるというより、いい意味でリラックスして楽しむと言った感じかな。すごくアットホームなコンサートだったですね。そうそう、コーラスで参加していた娘さんが凄く美人だったのを覚えています。


林;そこですか!


シュート;この時のコンサートの模様はNHKでも何回か放送され、僕も家庭用ビデオに録画したのですが、実家を探してもそれが見つからないんですよ。とても残念です。

僕の一番好きなジョビンの曲は「ジェット機のサンバ」かな。ヴァリグブラジル航空のCMソングとして作られたそうですが、この曲を聞くたびに飛行機から眺めた美しいリオの海岸線と街並みを思い出します。
野音のコンサートでは歌の最後にジョビンが「タクシー!」と呼ぶのですが、ナイスですね。それだけで、初めて真夏のガレオン空港(現在はアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港)に降り立った時のことが思い出されて涙が出てきそうです。

僕は、タクシーではなく「オニブス パラ セントロ!」でしたが...。ちなみに「オニブス」はポルトガル語でバスのことで、リオ中心部行きのバスという意味です。「鬼ブス」ではありません。また、余計なことを言ってしまった。語り出すと止まらないので、ここいらでやめておきます。最近知ったのですが、日比谷野音のライヴでの「ジェット機のサンバ」がYou Tubeにアップされているので聞いてみましょう。 


Show Hibiya - Samba do Avião

林;良いですねえ。こんな動画なのに空気が伝わってきますね。


シュート;このYou Tubeを見ると本当にリオへ行きたくなります。

次は僕が初めて観たジャズミュージシャンのコンサートです。さらに月日を遡って1978年11月30日のジェフ・ベックのコンサート、僕が高校一年生の時です。僕が通っていた高校は大学の付属だったので大学受験がなく、しかもかなり自由な校風でした。そんなわけで高校時代はバイトをしては資金調達し、バンド活動をすると共にコンサートへ行きまくっていたんです。特に1978年の秋から1979年の冬というのは短期間に、大物ロックアーティストが大挙して来日したんですよ。


林;日本人が本当に豊かになった頃と重なる時期なのでしょうか。


シュート;その時、僕が実際に行ったコンサートを列挙してみますね。まずはジェネシス。フィル・コリンズ在籍時でドラマーはチェスター・トンプソンでしたが、ステージにはドラムが2セット準備され、一曲、フィルも叩きました。若い方にとっては、フィル・コリンズといえば「イ―ジ―・ラヴァ―」などの大ヒット曲で知られるヴォーカリストでしょうが、それよりずっと以前、ジェネシスには最初ドラマーとして加入していたんです。

それから、ロッド・スチュアート。「アイム・セクシー」が大ヒットした頃ですね。この曲は僕もバンドで演奏したことがあります。ロッドが客席に向けてサッカーボールを蹴り込んだのが印象的でした。アース・ウインド&ファイアーは、銀色のピラミッドの中にモーリス・ホワイトが乗り込むと空中に吊り上げられ、開くと誰もいないといったマジックや、ヴァ―ディン・ホワイトが宙づりでベースを演奏したりするといったエンターテイメントも充実していた全盛期。デビッド・ボウイは「レッツダンス」がヒットする前で、「ジギースターダスト」や「ステーション・トゥ・ステーション」を歌いました。


林;それ全部行かれたんですね。当時でも音楽関係者以外はそこまで行ってないのではないように思います。


シュート;そして今回紹介するジェフ・ベックグループです。この時のジェフ・ベックグループのメンバーは、ジェフの他にベースがスタンリー・クラーク、そしてドラムがサイモン・フィリップスのトリオです。サイモン・フィリップスは当時若干21歳で無名のドラマーだったためか、チケットやプログラムに一切写真が載っていませんでした。いまや大御所ですがね。

高校入学したての僕はロック一筋でしたので、恥ずかしながらスタンリー・クラークを知りませんでした。とにかく、ベックの演奏が観たかったんです。その頃のベックは自己のグループで「ベック・ボガード&アピス」、「ブロー・バイ・ブロー」、「ワイアード」などのアルバムをリリースし、ギターキッズを熱狂させていた頃です。ちなみにベック・ボガード&アピスのカ―マイン・アピスはロッド・スチュアートのバックバンドでドラムを叩いていたのを観ました。これぞロックドラムといった感じで滅茶苦茶格好良かったです。

僕の観たベックのコンサート会場は日本武道館で、チケットはもちろんソールドアウト。この頃の僕はバイトをしていたとはいえ、所詮高校生なのでお金がなく一番安い2,500円のB席です。ベックを斜め後ろから見下ろすような感じでしたね。とにかくたくさんコンサートを観たい、聴きたい、体験したいだったんです。コンサートが始まると、スタンリー・クラークのベースに圧倒されました。「Blue Wind」ではギターとベースが掛け合いをするのですが、ギターの100倍くらいのパワーでベースが鳴っているんです。とにかくベースの重低音が強力なリズムに乗り、お腹の底から突き上げてくる。僕はいまだにそれを越えるベースサウンドを体験したことがありません。絶対に家では再生不能。コンサートならでは。ベックのギタープレイも素晴らしかったのですが、その後一週間くらいスタンリー・クラークのベースの方が僕の身体全体に覆いかぶさっている感じでした。

それがきっかけで、僕はチック・コリアの「リターン・トゥー・フォーエヴァー」を聞くようになり、ジャズの道へ入っていったのです。


林;なるほど。スタンリー・クラーク繋がりでリターン・トゥ・フォーエヴァーですか。それは意外ですが、もしかして当時の東京の空気を象徴しているようなエピソードですね。


シュート;ジェフ・ベックがスタンリー・クラークと演奏している「Blue Wind」の動画が見つからなかったので、2006年の富士スピードウエイでのライヴから。このライヴではヴィニ―・カリウタのドラムが熱いなあ!


Jeff Beck - Blue Wind

林;うひゃー、すごいですね。


シュート;次は丁度ジェフ・ベックのコンサートと同じ時期のライヴイベントの話です。1978年の秋、FM東京で水曜日の深夜1時から30分間、ヤマハの提供で「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」という番組が放送されていました。

その時間帯はそれ以前、深夜1時から3時まで「VANロックオン」という番組が放送されていたのですが、1978年4月にスポンサーであるVANジャケットが倒産したため番組が終了し、その後、「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」の放送が始まったのだと記憶しています。ちなみに、番組内で「ヴァ―ン、ロックオ―ン!」とタイトルコールをしていたのは郷ひろみです。僕は中学時代、勉強しているふりをして、この「VANロックオン」を夜更かししてよく聞いてました。もちろんエアチェックも。

「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」は、当時世間一般ではあまり認知されていなかったシンセサイザーにスポットをあてた音楽番組で、シンセサイザーの仕組みや多重録音の方法、シンセサイザーを効果的に使用したアルバム紹介などをしていました。


林;なるほど。シンセサイザーという新しい楽器を認知させるというコンセプトなんですね。歴史ですねえ。


シュート;僕は中学時代からプログレッシブロックバンドであるELP(エマーソン・レイク&パーマー)の大ファンだったので、深夜にもかかわらずこの番組を毎週欠かさず聞いていたんです。内容はかなりマニアックで、しかも時間帯も時間帯なので聴取者はかなり少なかったのでは。このブログを読んでいる方でこの番組を聞いていたという方いるかなあ。


林;大丈夫です。10人くらいはうなずいていると思いますよ(笑)。


シュート;その「サウンド・カーニヴァル・シンセサイザーランド」の公開イベント開催のアナウンスが番組内でされたのです。出演はシンセサイザー界の大御所である富田勲氏と、謎のバンド・イエローマジックオーケストラ。早速往復ハガキで申し込んだところ、無事当選の通知が自宅に届きました。


林;!!


シュート;イベント開催日は1978年10月18日、場所は芝郵便貯金ホールです。僕はコンサートや、ライヴ、イベントのチケットをなるべく保管するようにしているのですが、この非常に貴重なチケットが見つかりません。よーく記憶をたどってみたところ、イベント内でヤマハシンセサイザーCS10(定価8万2千円)があたる抽選会があり、入場時、その抽選用にハガキを提出してしまったのではないかと思います。YMOデビューコンサートのチケットでもあるのに、手元になくとても残念です。動員はあまり芳しくなく2階席は閉鎖し空席、一階席も半分程度しか埋まってなかったので、1000人いなかったような。

第1部は富田勲氏のコンサートで、前後左右の4本のスピーカーに加え、天井にもスピーカーを設置し5チャンネルサウンドとし、さらに緑色のレーザー光線が音声に合せて飛び交うという当時としては画期的な演出でした。
第2部がYMOのコンサートなのですが、そのコンサートの貴重な音源がYou Tubeに上がっています。映像はありませんが是非聞いてみてください。演奏は、キーボード・坂本龍一氏、ベース・細野晴臣氏、ドラム・高橋幸宏氏のお馴染みのメンバーに加え、ギター・渡辺香津美氏、マニュピレ―タ―・松武秀樹氏、パーカッション・林立夫氏、そしてセカンドキーボードが矢野誠氏です。
途中、細野氏がメンバー紹介をしているのですが、ちょっとぎこちなくておかしいです。「ビハインド・ザ・マスク」、「東風」といったお馴染みの名曲の初期ヴァージョンがたっぷり楽しめますよ。あと、ファンの間では伝説となっているピンクレディ―の「ウォンテッド」を演奏しているのも聞きどころのひとつ。


YMO「サウンド・カーニバル~シンセサイザー・ランド」1978年10月18日

シュート;この音源を聴く度に、このコンサートに自分が聴衆の一人として会場にいたということは、新たな音楽ジャンルが誕生した瞬間に立ち会ったのだと、ちょっと誇らしげな気持ちになります。


林;これはもう歴史的な瞬間ですね。すごいです。


シュート;次は1988年10月の楽器メーカーY社の新商品発表会でのB'zのライヴです。B'zは言うまでもなく松本孝弘氏、稲葉浩志氏の2人で構成されるユニットですが、松本氏はB'zの結成前にTM Networkのサポートギタリストとしても活動していました。
TM Networkは楽器メーカーY社と関係が深いこともあり、B'zデビューに合せてY社は松本孝弘モデルのエレキギターを企画し定価6万5千円で発売したのです。この時発表した松本孝弘モデルは、MG-Mという品番で、ボディカラーを鮮やかなブルーに軽めのサンバーストをほどこし、ナチュラルカラーのバナナ風ヘッドにメイプル指板。2ハムバッカー1シングルコイルのピックアップマイク、ストップテールピースのブリッジといった仕様です。わからない方は深く考えずにスル―してください。

そのエレキギターも含めたY社のバンド関連楽器の新商品発表会が渋谷のイベントスペースで開催されたのですが、その時、デビュー直後であったB'zが約200人の楽器店担当者を前に2曲ほどライヴ演奏をしたのです。まだデビュー直後で売れていなかったため、ほとんど誰もB'zのことは知りません。


林;なるほど。


シュート;ライヴの評判は...、はっきりいって最悪でした。ファーストアルバム、そして発表会のライヴでもB'zはギターとヴォーカル以外全て打ち込みでした。この頃の楽器店のギター担当者はほぼ100%アナログ人間。ツェッペリン、ベック、クラプトン最高!、さらにロックバンド愛といった人ばかりです。
「デジタルミュージックは認めない!」といった担当者さえいました。そこへダンサブルなデジタルビートのユニットが出てきたので、演奏が始まった瞬間に新商品のギターがどうのこうのというより、音楽そのものへの拒絶反応が起きてしまったのです。こればかりはどうしようもありません。

とはいうもののクリスマス・お年玉商戦に向けた新商品なので、みな渋々オ―ダ―をしていったようです。そして年末には、B'zによる松本孝弘モデルギターのプロモーションイベント、ミニ・コンサートが全国の楽器店の小ホールやスタジオで開催されたのです。都内ですと北千住の楽器店でB'zがミニ・コンサートが開催されました。確か会場キャパは50名くらいだったですね。


林;そういうこともされてるんですね。みんなそういう時代ってあるんですね。


シュート;それから半年後に中野サンプラザでのB'zのコンサートに招待券で行ったのですが、満席ですごい盛り上がり。あっという間のブレイクでした。その後は、もう説明はいりませんね。B'zは日本を代表するバンドとして、大ヒット曲を連発するスーパーバンドとなり現在に至ります。B'zがメジャーになると松本孝弘モデルのエレキギターも大ヒット。生産が販売に追いつかない状況になりました。また、初代モデルに加え、スペックや塗装仕様を変更したバリエーションモデルが3機種発売されたのです。

あまりにも短期間でB'zがビッグになったので、発表会で散々文句をいっていた楽器店担当者は、その後ちょっとバツが悪かったようです。よくマーケティングの基本は現場の意見を聞けと言われますが、このように当たらないこともあるんだということを学んだ体験でしたね。


林;なるほど。いろんな意味で貴重な体験をされましたね。


シュート;それでは、B'zのデビューシングル「だからその手を離して」を聞いてみましょう。


B'z / だからその手を離して

シュート;なお、このMVは後日作成されたモノで、松本氏が演奏しているのは、3代目の松本孝弘モデルですので、1988年の新商品発表会でお披露目したモデルとは異なります。


林;シュートさんのお話を聞いた後だとこのデビューシングルも感慨深く聞けますね。


シュート;最後は、ごく最近のライヴ体験から。ごく最近といっても2011年7月24日の六本木・Beehiveというライヴハウスにおける川口千里さん(以下、千里さんとする)のライヴです。彼女はドラム専門誌等に何度も登場しているので、ドラムを演奏する方はたぶんご存知でしょう。2011年のライヴ当時も彼女は、すでに知る人ぞ知る天才女子ドラマーでしたが、まだ14歳の中学3年生。会ってみると小柄なこともあり、本当に少女でした。

僕はこのライヴの半年ほど前に、手数王と呼ばれるドラマー・菅沼孝三氏の弟子にすごい女の子のドラマーがいると会社の同僚から聞き、彼女が演奏するYou Tubeを見たのですが、リズムの軸がものすごくしっかりしているのと、切れがあるのに本当に驚きました。これは練習して身に付くモノではありません。
そんな彼女の噂を聞いた中国の現地法人から、神保彰氏による中国でのドラムクリニックに千里さんも参加させて欲しいという要望があり、まずは本人の生演奏を確認するために僕はBeehiveを訪れたのでした。


林;なるほど。展開が気になります。


シュート;バンドメンバーはギターが矢堀孝一氏、ベースが水野正敏氏、そしてドラムが千里さんです。このメンバーでピンときた方はかなりのフュージョンミュージック通。そう、変拍子の曲を縦横無尽に演奏する超絶技巧ハードプログレッシヴフュージョンバンドであるフラジャイルのドラムを菅沼孝三氏の代わりに千里さんが叩くのです。

ライヴが始まると千里さんは、お父さん世代ともいえる矢堀氏、水野氏と共に複雑な変拍子の曲を軽々とこなしていきました。この軽々というのがとても重要で、力が抜けていて頑張っている感がないから、彼女のドラムがとても自然に、複雑な音楽に溶け込んでいるのです。さらにMCでは水野氏とかけ合い、客席の笑いをとるなど舞台度胸もあり、とても中学生とは思えませんでした。

その後、僕は毎年少なくとも一度は彼女のライヴに足を運んでいるのですがすが、その度に演奏技術はもちろん、音楽性も高くなっているのを感じます。

2015年8月28日にもカシオペア 3rdのキーボーディストである大高清美氏とのユニットであるKIYO*SENのライヴを観に行ったのですが、その時はドラムを "歌わせる"のが1年半前に観た同じKIYO*SENのライヴに比べ上達していました。変拍子の曲を演奏する千里さんはもちろんすばらしいのですが、個人的には山本恭司氏と演奏した、いわゆるロックドラムが実に気持よかったです。

千里さんも今年大学に入学し、だいぶ大人びてきて、もう少女ドラマーとは言えなくなりましたが、この先彼女のドラム演奏がどのように変わって行くのか楽しみです。今後も彼女のライヴを観続けていきたいですね。それでは、KIYO*SENの1stアルバム「Chocolate Booster」から「K.S. Pro」の動画を観てみましょう。


大高清美 x 川口千里 - Kiyo*Sen 'K.S.Pro"

林;うわ、ホントまだ女の子って感じなのに...素晴らしいです! ところでシュートさん、ジャズ喫茶本の3冊目を刊行されたんですよね。


シュート;そうなんです。お陰さまで「東京ジャズメモリー」、「昭和・東京・ジャズ喫茶」に続く、ジャズ喫茶関連本の第3弾「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」を8月にDU Booksから 刊行しました。今回は大阪、京都、名古屋など東京以外も含めた現存する10店のジャズ喫茶に関し、カルチャーや街との関係、個人的体験、マッチ箱のうんちく、さらには本筋とは関係なさそうな小ネタを多数交えて紹介しています。ジャズファン以外も楽しめる、そして読後はジャズ喫茶やジャズバーなどのジャズスポットに行きたくなるような1冊に仕上げました。一読いただければ幸いです。


シュート・アローさん、お忙しいところどうもありがとうございました。

みなさん、シュートさんの本は今回のインタビューと同じように、音楽への愛がいっぱいで、話はいろんな方向に脱線しながら、まるで私小説のようにたっぷりと楽しめる内容です。

普通の「店舗紹介本」ではなく、日本のある時代をシュートさん独自の視点で切り取った「ノンフィクション本」とも言えます。是非、手にとってみてください。

あ、今回3冊目「ジャズ喫茶が僕を歩かせる」はなんとこのJJazzブログの紹介もありますよ。その辺りの「ネットと本とリアル店舗を自由に行き来するシュートさんの自由な文章の醍醐味」もお楽しみください。


ハロウィンが終わってもうすっかり年末の気配が始まりましたね。
それではまた来月もこちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【ジャズ喫茶が僕を歩かせる 現役ジャズスポットをめぐる旅】

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■タイトル:『ジャズ喫茶が僕を歩かせる 現役ジャズスポットをめぐる旅』
■著者:シュート・アロー
■発売日:2015年8月6日
■出版社: DU BOOKS
■金額:¥2,160 単行本

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ジャズ喫茶は昭和の遺産、と思っていませんか?日本全国、今でも新規オープンしているんです!ジャズ喫茶さえあればどこにでも駆けつけるサラリーマン、シュート・アローが、新旧いろいろなタイプのジャズ喫茶をとことん味わう人気シリーズ!解説:林家正蔵


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら

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vol.50 - お客様:林下英治さん(HADEN BOOKS)


【テーマ:僕の人生を変えた女の人の歌】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はヘイデンブックスの林下英治さんをお迎えしました。


林;こんばんは。お飲物はどうしましょうか?


林下;まずは、リースリング(白ワイン)をお願いします。


林;品種指定ですね(笑)。


林下;僕にとってリースリングは飲みはじめの潤滑油のような、辛口なのに甘さ、優しさを感じる、スタートするのにはうってつけのアルコールなのです。


林;なるほど。それでは、ジュリアン・メイエのリースリングをどうぞ。では、林下さんの簡単なプロフィールを教えていただけますか。


林下;1977年9月20日、青森県三沢市という、太平洋沿いにある小さなところです。人口4万人ちょっとなのですが、MISAWA AIR BASE(三沢空軍基地)という基地があって、今思えば、青森県の中でもちょっと異質な市ではなかったのかな、と思います。


林;三沢なんですね。音楽は小さい頃はどういうものを聞いていましたか?


林下;畑に囲まれた街中から外れたところに実家はあったので、街に出る時や塾に通う時にはいつも、母親が運転する車中で、母が好きだったと思われる、井上陽水、小椋佳さん、来生たかお、安全地帯、が流れていたことを覚えています。僕自身がはじめて買ったのはカセットで小泉今日子さんの「Celebration」で、幼稚園6歳か、小学校1年生の時だと、記憶しています。今、調べてみてビックリしたのですが、アルバムタイトルにもなっている「Celebration」が 作詞:田代 マサシ / 作曲:鈴木 雅之 でした!この曲に関しては、まったく覚えていないのですが、、、カセットのジャケットと貼っていたポスターが全体的に真っ赤で「まっ赤な女の子」の「まっ赤な、まっ赤な女の子↑」と"子"の部分が声を高く上げるのが、とてもかわいらしく、楽しくして、真似をしていたことも、良く覚えています。


林;子! ですよね。


林下;小学6年生の時に、両親が新築の家を建てたのをきっかけに?!貯金していたお年玉で、パイオニアのステレオセットを買ったことを覚えています。当時、中森明菜さんがCMをしていたコンポだったと思います。たぶん、16万円くらの高価なヤツです。それで聴いていたのは、何と!ビートルズでした。当時、仲良くしていた恵美子ちゃんのお兄さんが、東京の大学を卒業して、地元の市役所に就職したらしく、お兄さんが家にいない間に、こっそりと色々とレコードを見せてくれて。でも、お兄さんには内緒でこっそりと部屋に入り込んでいるので、バレたらまずい、ということで、レコードは見せてくれるだけで、聴かせてはくれなかったんですね。でも、本当に色々とレコードを見せてくれて、、、。そして、中学生になってから、いろいろと見せてもらっていたレコードのジャケットを頼りに、CDを買い始めるようになりました。合わせて、父親がレコードをそこまで多くはなかったのですが、持っていたので、こっそり聴かせてもらっていたのが、森山良子さんやベッツイ&クリスや、サウンド・オブ・ミュージックなど、でした。


林;ご両親の趣味が、意外と林下さんに影響を与えていそうな気がしてきました。良いですねえ...


林下;ですが、高校生の頃に、クラブに行き始めるようになって、ヒップホップやR&Bを聴くようになりました。さっき話したように、人口4万人の小さな青森県三沢市でしたが、MISAWA AIR BASE(三沢空軍基地)という基地があったので、街にはクラブが3,4件あって、街から外れたところに住んでいた僕は下宿している友人のところでテスト勉強をする、という名目で外泊をして、週末はクラブに行っていました。その時、聴いていたのは、女性だと、アリーヤやブランディー、メアリーJブライジ、TLC、男性だとクリスクロスやウォーレンG、ノートリアスBIGやスヌープドギードック、ブラックシープ、アトライブコールドクエスト、ファーサイド、だったと思います。


林;おお、突然! さすが三沢!


林下;高校生の頃は、実際に接したことがあって、かっこいいと思える職業が「美容師」だったんですね。だから、僕は好きでよく通っていた美容室に就職して、シャンプーボーイや受付の仕事をしながら、通信教育を受けながら美容師になりたいと思って、僕自身はそう決めていたのですが、高校の三者面談でそのことを伝えると両親と担任の先生に猛反対を受けてしまい。。。両親は車を買ってあげるから、当時開校したばかりの公立の大学に進むか、手に職でも、美容師ではなく、寿司職人になりなさい、といわれ、両親の知り合いの寿司割烹の店でアルバイトをさせられ、伯父さんが教官として働く自動車学校に通わされ、免許をとりました。それに対して、担任の先生からは「この子は一度。東京に行って来たほうがいいですよ。私が責任をとって、大学に入れてみせますから」と、両親に言い放ってくれて、大して成績も良くなかったのですが、僕一人に対して、指定校推薦を二校も出してくれて、、、結果、東京に行くことになりまして、東京での遊楽生活がスタートしました。


林;担任の先生って意外と生徒の人生を左右させるものなんですね。


林下;大学に行くために東京に行く、という意識ではなく、東京に行くために大学に入学した、という意識が強かったので、自動的に大学には通わずに(4年間で100日も行っていなかったような気がします)、大学1年生の時の成績が本当に酷かったみたいで、僕。翌年の指定校推薦の枠が僕のせいで無くなった、という後輩たちには申し訳ないことをしてしまいました。

で、大学に行かずに何をしていたのかというと、焼肉屋でアルバイトなどをしていました。生まれ育った場所が太平洋沿いだったということ、高校3年生の頃のアルバイトが寿司割烹の店、ということもあり、日々の主食が魚貝、水産物中心だったので、肉に飢えていたのでしょうね。上京してすぐにオープニングスタッフとして入った焼肉屋の店長が本当にいい加減な人で、、、アルバイトのスタッフはどんどん辞めていくし、店長は休憩中にパチンコ屋に行って戻ってこなくなるし、、、そこで真面目に?!働いていた僕はオーナーに気に入られたのか、はたまた使われていただけなのか、気がついたら副店長みたいになっていて、鍵を開けるところから、レジ閉め、入金までするようになっていて、ランチから夜まで、正社員のようでした。しまいには、オーナーが新しく始めたスナックの金庫番として。。。焼肉屋の仕事の後は、深夜にスナックで、ボーイとして店長が店の売り上げをポケットに入れないように、金庫番をしていました。スナックの営業は2時か3時まで、その後は始発まで、店のカラオケで歌いながら、毎日違うお客さんのボトルから少しづつ、ウィスキーやブランデー、焼酎を飲みながら過ごす、という生活を。はたちの頃までしていました。


林;その頃の経験がかなり林下さんを作り上げていると僕はみました(笑)。


林下;今思えば、その頃が一番収入があったと思います。そのお金で、洋服や本、CDやレコードを思う存分、買いあさっていたと思います。そうした時に、自分の進路を、好きなモノや事を考えた時に、ふっと「雑誌の編集者」だと思いついたんです。振り返れば、多感な中学生・高校生の頃に実家が本屋ということもあって、本が雑誌がすぐ近くにあったんですね、特に雑誌は僕にとってテレビよりもラジオよりも信頼出来る、細やかな情報源でした。当時、読んでいたのは男性誌だと「メンズノンノ」「チェックメイト」「ポパイ」「アサヤン」、女性誌だと「キューティー」「オリーブ」「ゾラ」などでした。


林;そこでまた突然、雑誌ですか!


林下;大学2年生の頃に【 パレットクラブ・PALETTE CLUB 】というスクールにも通いはじめていました。イラストレーターの故ペーター佐藤さん、原田治さん、安西水丸さん、当時マガジンハウスのアートディレクターをしていた新谷雅弘さんの4人により発足したスクールで僕は1期生か2期生として通っていたのですが、当時、開設したばかりのそのスクールには編集者養成コースもあって(現在はイラストレーター養成コースのみ)、僕にとって勉強にはなりませんでしたが、とても刺激的な場所でしたね。通い始めたのと同時期に「メンズノンノ」の読者モニターというのに応募したら、運良く受かって、それがきっかけで、当時の副編集長だった古林さんに見込まれたのか、ライター見習いとして「メンズノンノ」のカルチャーページで、取材や記事を書かせてもらうことが出来ました。そのまま集英社の社員になったら、という言葉を真に受け、就職試験を受けたのですが、学力のなかった僕は見事に大敗。じゃあ、そのままフリーランスにライターになったら、と勧められたものの、本当にライター業だけで生活していくことが出来るのだろうか、と考えあぐねているときに、結果、14年間勤めることとなる「SWITCH」や「COYOTE」などを発行する出版社スイッチ・パブリッシングに、大学4年生の秋に、アルバイト入社することが出来たのです。
 大学4年生の秋にアルバイト入社した出版社に、そのまま35歳まで14年間勤めることになるのですが、そこでは1冊の本が、雑誌が出来るまでの全ての過程を見て、経験して、仕事をさせてもらったと感謝しています。特に、後半7年間はその出版社が直営の本屋とカフェを立ち上げるタイミングで、本屋とカフェの店長を7年間勤めました。出版社に入ったのに、なんで僕はコーヒーを淹れたり、カレーを仕込んだりしているんだろう、とアレッと思うこともあったのですが、雑誌の編集長をする感覚で、その場所のプロデューサー・オーガナイザーとして、通常の本屋とカフェ営業に加え、トークイベントやライブ、個展などを企画出来たり、あと、雑誌や本を編集し販売している時には見えていなかった実際の読者の方の存在を意識出来たり、知る事が出来たのは、とても勉強になりました。


林;なるほど。そういう経緯だったんですね。ヘイデンブックスのこともお話いただけますか。


林下;現在は、東京・南青山に 音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land という場所を営みはじめて、この9月で2年になります。本屋にカフェスペースを併設していることもあり、ブックカフェという敬称で紹介されることも多いのですが、僕自身、飲食店としてのカフェを運営しているという意識はないかもしれません。長年、書籍や雑誌を作っている現場にいた経験を生かして、空間という媒体を作った意識で、音=音楽、言葉=本という表現を中心に、作家やミュージシャン、アーティストと称される人たちと、それを求めたり、そうなりたいと目指す人たちが、同じ場所で、話したり、交流したりする空間=サロンとして、おもしろがってもらえたらいいな、と思っています。なので、積極的に個展を開催したり、展示会を開いたり、ライブを企画したり。広くはない店に、アップライトのピアノを置いたのも、僕自身は全くピアノは弾けませんが、普段からピアノを弾いたり、楽器を持っている人などが、突発的に演奏を始めたり、などと。面白い光景を目の当たりすることも多くありますね。


林;良いですねえ。


林下;場所を作る、開く、ということは、自分自身の美意識を見せつける、ということではなく、醸す程度にとどめておいて、それに欲発された、おもしろがってくれる方々に、いかにおもしろがってもらえるのか。もてなすことが出来るのか。ギャラリーとしての機能も果たしていますが、僕の場所は正式な正当なギャラリーではないので、あくまで、展示をされている作家の方や、その展示を観に来ていただいている方々に、どう気持ちよくなってもらえるのか。おもてなしの心で、サービス業として、日々営んでいるような気がします。店を作る、につづいて、続ける、ことの大切さとしては、自分自身の美意識(好き嫌い)をはっきりと持ちつつ、これらは見せずに醸す程度にする。そして、時代や面白がって来てくださるお客さんを店や自分自身の映し鏡として柔軟に、姿というか、店の雰囲気を、変えていく。今という時代とうまく共鳴していうことが、続ける、ということにおいて大切ではないかな、と思っています。


林;みんなにこれからの音楽のことを質問しているのですが、どうお考えですか?


林下;僕は本屋でもあるので、お店では、新刊や古書を仕入れ、販売しています。店の名前を 音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land  としたのは、音楽も販売したかったからです。
アーティスト本人からCDやレコードを預かって販売したり、ライブを企画して開催したりしているのですが、本と同じく、音楽も、どんどんデジタル化してきて、プロダクトとしてのアナログ(CDやレコード)は売れにくくなっていることも日々、目の当たりにしています。写真に関しても、アナログからデジタルに移行して、デジタル写真がこれほどまで主流になるなんて、思ってもいませんでした。ただ、実際にデジタルの気軽さ、速さ、便利さ、などは普段の生活の中で、とても役に立っていると思います。

僕自身が出来る、提案出来る役目として、アナログとデジタルの両方の良さを知っている中間の世代として、アナログとデジタルの使い分け方、みたいなものを音楽に関しても、本に関しても、伝えることなのかな、と思っています。ノスタルジックな音楽や文学に関しては、耳ざわりや手触りの良さを実感できる、アナログや単行本が良いし、普段の生活の中で持ち歩くのに便利な、移動中や旅先などでは、ダウンロードで音楽をその場やシチュエーションに応じて、編集するようにダウンロードすればよいし、文庫本を買う代わりに、電子書籍で、今読みたい、今勧められたものを、その場で購読するのも良いし。

ただ、僕個人としては、作り手の顔と実際の作品(商品)を知ったうえで、より深い愛着が生まれると思っているので、ライブ会場でCDを買ったり、本屋さんで、たまたま手に取ろうとした本の横にあった、初めて目にするタイトルや作家名に興味を持って買ってみる、など、人の温もりや偶然性を楽しむ、みたいな。そんなゆとりを増やしたり、提案出来るような人や場所を続けていきたいと思っていますし、そんな音楽や本の在り方を望む人たちは、これからものすごく増えることもないと思いますが、急激に減り続けることもないと思うので、これからの音楽の在り方を理解しつつ、これまでに感じてきたアナログな音楽や本の良さを、じわじわとじりじりと伝え続けていきたいと思います。


林;これからのことなんかも教えていただけますか。


林下;音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land をオープンして2年になります。36歳でオープンして、38歳で軌道にのせる。というライフプランはなんとか達成出来ました。あわせて、オープンする時に思い描いていたのが、40歳になったら個人から企業にする、ということ。青森出身の田舎者が東京・青山に個人で場所を開く、というストーリーは僕自身も、まわりにいる方々も面白がってもらえて「本当に出来るんだ!」ということがわかったので、次は僕自身が店の外に出て行くという環境を整えたい。僕がいなくても、店の営業が出来たり、僕目当てで来ていただいてるお客さまにとって、もっと魅力的なスタッフを何人か雇えたり。
元々、編集者なので、一つの場所に留まって、送っていただいたり、紹介していただく表現や情報の中から選び取る、というだけではなく、自分自身がロケハンに行ったり、取材をしに行くような感覚で、東京だけでなく日本各地に点在する魅力的な人たちに会いに行きたい。そして、もし共感出来たら、その表現を広げる、繋げる、橋渡しのような役目を、今いる場所、音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land から発信していきたいと思っています。そして、旅する " 音と言葉 " ヘイデンブックス " HADEN BOOKS:by Green Land " として、日本各地を巡業していけたら、と願っています。


林;素敵ですね。林下さんの「旅」期待しております。それでは、みんなが待っている10曲ですが、テーマは何でしょうか?


林下;「僕の人生を変えた女の人の歌」です。

前職の出版社勤務時代に「この仕事に就けて、よかったなぁ〜」と思う瞬間がいくつもあったのですが、その極みが「好きになった人や興味を持った人に、自分から声を掛けたり会いに行ったり、紹介してもらえる!」ことだったんですね。もともと、そもそも、ファンのひとりにすぎないのですが。好きになった人(表現者)を自分が世に伝えていく、というのが編集者・出版社の務めだと思っていたので、ラブレターを書くように連絡を取って会いにいったり、時には押し掛けたり(楽屋に挨拶、という程度ですが)、、、。積極的に動いて、ご本人やマネジャーを通じて、自分の想いを伝えてきました。今もそれは続けて、続いているのですが、これは恋愛感情にとても近いような気がするんですね。「好きだ!好きだ~!」と言い続けていると、、、。今では、友人知人がその方をお店に連れて来てくださったり。そうやって出会った、僕の人生を変えてくれた、豊かにしてくれたといっても過言ではない。そんな女性シンガーを10人紹介しますね。


01. いきのこり●ぼくら / 青葉市子

林下;初めて会った当時、青葉市子さんはまだ、たしか21歳でした。初めて会った日がそのまま前職の場所でのライブ開催日だったのですが、生で聴いて「二十代のシンガーソングライターでここまでの世界観を確立出来るんだ!」と衝撃を覚えた唯一無二の存在です。圧倒的なギターのテクニック。包み込まれたかと思うと、ギュっと突き放したりする歌詞とメロディ、その多様性。その後、公私ともに仲良くなって、しばらく会えない期間にリリースされたこの曲を聴いた時は「市子さんはやっぱり宇宙まで創ってしまった!」と感激した。20代の表現者ではダントツ!安心と信頼の出来るアーティストです。


林;PVがこれまた良いですねえ。


02. ワルツ〜他人の顔 / CHORO CLUB with 松田美緒

林下;松田美緒さんは日本だけでなく、中南米でも勢力的にライブやコンサートを行っているワールドクラスの女性シンガー。ネイティブなポルトガル語やギリシャ語で歌う彼女の歌もとてもすばらしいのですが、ここ数年は日本語の歌も歌っていて。のびやかに、ていねいに、美しく日本語を歌で伝えてくれる。僕は彼女が歌う、この「他人の顔」を聴いて、もっともっと日本語の歌を、日本の古い、美しい歌を歌って欲しいと思っていて、


林;彼女が歌うと日本語がもう一度洗い直された感覚がしますね。不思議です。


03. 夜と雨のワルツ / 畠山美由紀

林下;畠山美由紀さんの歌は僕にとって、もしかして畠山さんのファンの皆さんにとっても「僕ら世代の演歌」ではないのかな、と確信しているんですね。歌謡曲でなくて演歌。しみじみと聴き入って、ずっしり響いてきて、口ずさみたくなる、まさに演歌。中島ノブユキさんによるこの曲は特にモダンでインテリジェンスな演歌だと僕は思っていて、ライヴでこの曲を聴いた時も、まさに「畠山美由紀劇場」を観ているようで、メロメロに狂わされてしまいました。同じ東北の血が過多にそう思わせているのかもしれませんが。


林;この感覚は「東北の血」なんですね。


04. ドント・ノー・ホワイ / 原田知世 feat ジェシー・ハリス

林下;原田知世さんとは同郷青森県出身の友人でもある伊藤ゴローさんなどを通じて出会いました。もともと、ずっとファンで追いかけてきた知世さんですが、女優としての知世さんとシンガーとしての知世さんが伊藤ゴローさんと一緒に音楽をすることによって、どんどん馴染み合っているのでは、と思っていて。このカヴァー曲はその幸せな感じが溢れている、今の知世さんを象徴するようで、幸せに溢れた最高の一曲です。そして、大好きです。


林;原田知世さんってずっと「原田知世」で、彼女以外に原田知世はありえない、希有な存在です。


05. 「エーデルワイス / yuri-koda(甲田益也子(dip in the pool)x宮内優里)

林下;2010年から3年間、Ed TSUWAKI さんと一緒にクリスマスイヴにイべントを企画開催していたのですが。その企画では、Edさんがキュレーションしたアーティストを迎えてのクリスマスコンサートも開催していたんですね。これは、2011年12月24日にご一緒した甲田益也子さんと宮内優里さんの一晩限りのユニット " yuri-koda " の貴重なコンサート映像です。甲田さんが「エーデルワイス」を小西康陽さんのアルバムの中で歌われていて、とても素晴らしかったので「ぜひ!聴きたいです。リクエストします!」と言ったら叶えてくださった、僕にとっては思い出深い一曲です。いつか、また、再結成コンサートをクリスマスイヴに開催出来たら、と願っています。


林;それはすごいですね。また是非、開催してください!


06. Yakiimo / Simone White

林下;シモーヌ・ホワイトさんは " ヘイデンブックス " としては初の海外アーティストのライブを開催していただいた、記念すべき人でもあるんですね。とてもセンシティブな方だと聴いていたので、お会いする前はかなりドキドキしていたのですが、実際にお会いして、ご一緒してみると、この曲「やきいも」のように、とてもチャームングでユーモアがあって、好奇心旺盛な、優しい人で、やっぱり惚れちゃいましたね。今でも交流は続いていて、ぜひ次回も!来日公演の場所としてヘイデンブックスを指名してくださって、ギター弾き語りのコンサートをみなさんに観て聴いていただけたらと願っています。


林;林下さんにはそういうセンシティブなアーティストの何かをとらえる何かがあるんだと思いますよ!


07: A Case of You / 寺尾紗穂

林下;寺尾紗穂さんが歌う、ジョニ・ミッチェルの「A Case of You」。さすがだなぁ〜、と思ったのは、寺尾さん自身が訳して日本語で歌っているんですね。これまでにもたくさんのアーティストがカヴァーしてきたと思うのですが、プリンスより、ジェイムス・ブレイクよりも、寺尾紗穂さんが歌う「A Case of You」が僕は大好きです。自身で訳して、弾いて、歌っている時点で、もうそれは寺尾紗穂さんのオリジナル曲になっているんですよね。とにかく美しい、みずみずしい時間です。


林;なんかすごいカヴァーですね。寺尾紗穂さん、実はご実家が僕の自宅のすぐ近所で、たまに子供と一緒の姿を見かけます。


08: 胸の小箱 / 浜田真理子

林下;浜田真理子さんの歌を教えてくれたのが、僕にとっては最初で最後の信頼出来るバーテンダーでありシニアソムリエの鬼塚さんという方だったんです。彼との出会いがなかったら、僕は「毎晩お酒を愉しむことも、浜田真理子さんという日本のブルースシンガーの存在も知らないままだったかもしれない。」そのことを先日、浜田真理子さんご本人に直接話す機会がありました。「ご縁ですね」と喜んでくれて、前売り券がソールドアウトだったライブに席を用意してくれて、お会い出来た翌日に、生で歌まで聴かせていただけた。今一番、ヘイデンブックスでライヴをご一緒したい、僕にとっては日本のブルース・シンガーのレジェンドです。


林;そういう人との出会いで、アーティストを知っていくというのが、本当に林下さんらしいエピソードです。


09: ヘブン / ふちがみとふなと

林下;ふちがみとふなと。熊本で本屋とカフェ " 橙書店/Orange " を女ひとりで営む、友人でもある田尻久子さんから「林下さん、一緒に見ましょう」と見せられたのがこの ふちがみとふなと のライヴ映像だったんですね。旅先の本屋で「そんな〜、まさか〜」という衝撃を覚えたことを今でもクッキリ・ハッキリと覚えています。人生の酸いと甘さを、儚さと憂いを、庶民的に、ア−ティステックに歌う ふちがみさん と奏でる ふなとさん。知らないと人生損します!と言い伝えたくなるような、僕にとってはそんな偉大な存在です。


林;すいません。僕も知りませんでした。すごく迫ってくるものがありますね。うわー、すごいです。


10: 100% / 小泉今日子

林下;幼稚園生の頃から38歳になる今まで。そこまで長く、同じままの気持ちで好きな女の人は小泉今日子さん、しかいない僕です。アイドルを経て、歌手として、女優として、文筆家として、常に第一線で活躍しつづける小泉今日子さんが今なおアイドルでもある、というのがこの曲を聴いていると、とてもよくわかるんです。ワクワクしてきて、どうにもならない気持ちになる。100%を満たしてくれる、永遠のアイドル=理想の恋人、小泉今日子さんです。


林;理想の恋人なんですね。そうでしたか。林下さんと何度も話し込んだ気がするのですが、知りませんでした。聞いてみるものですね。


林下さん、お忙しいところ、どうもありがとうございました。
ヘイデンブックスさん、すごく素敵なお店ですよ。みなさん是非、行ってみて下さい。


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もうすっかり秋ですね。
最近はハロウィンがすっかり日本に定着しましたが、そんな予定もありそうですね。
それでは、また来月、こちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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bar bossa vol.49:bar bossa

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vol.49 - お客様:町田和宏さん(DJ)


【テーマ:バールボッサの晩夏】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はDJの町田和宏さんをお迎えしました。


林;こんばんは。お飲物はどうしましょうか?


町田;こんばんは。では、モヒートをください。お家で作ってみようかと思いつつ、ひと手間かかる飲み物なのでやっぱりバーでお願いするのがいいですね。おいしいモヒートを作ってくださるお店が好きです。もちろんバールボッサも好き!


林;自慢ですがうちのモヒート、キップ・ハンラハンのメンバーのキューバ人たちに誉められました! では町田さんの簡単なプロフィールをお願いできますか。


町田;町田和宏と申します。生まれは1981年です、東京の世田谷区の生まれでした。でも、私は全然世田谷にいた記憶がないです。父親の勤め先の社宅に家族4人で住んでいたようなのですが、私が2~3歳くらいの時に茨城の田舎に引っ越していたようで、記憶は茨城からですので茨城育ちですね。引っ越し初日に「ここはぼくのいえじゃない」と私が言ったのをよく覚えてるみたいなことを母親が言ってたのですが、やっぱり私自身はそんなことも全然覚えてないです。とにかく長閑な田舎ですね、本当に家の周りは田んぼ以外何にもないところ。


林;なるほど世田谷→茨城なんですね。では小さい頃の音楽環境を教えてください。


町田;いきなり身も蓋もないのですが、全然よい環境じゃありませんでした。母親が車でかける映画音楽のコンピレーションとか歌謡曲くらいしかなかった気がします。姉は都内で私立の幼稚園行ったり音楽教室とかに行ってたみたいなんですが、私は全然そういった経験もないんです、家計が苦しい時期だったみたいで、ひたすら朝から夕方まで保育園に預けられてました。楽器は当然できなくて、でも保育園で役は指定されて小太鼓叩いてた気がします。「弾いたりするのは無理だけど、叩くだけならなんとかいけるだろう」と先生が判断してくれたんですかね、ちゃんとリズムを叩いていたのか怪しいですが(笑)。


林;お姉さんとの差が... 初めて買ったCDは?


町田;姉の影響で TM NETWORKのアルバムの「Carol」というCDアルバムだと思います。当時は少年少女向け文学を読むのが好きでジュール・ヴェルヌの「海底二万哩」とかアレクサンドル・デュマの「巌窟王」とか、そんなのをたくさん読んでたのですが、そのBGMとして、ヘッドフォンしながら今では考えられないくらいの回数でこのCDを鬼再生しまくってた気がします。普通の小学生の読書ですがストーリーに変な色づけがされてるかもしれないですね...。あとは友達の影響でB'zのアルバムなんかを借りたりしてよく聴いてました。


林;そうですか。やっぱり普通にTM NETWORKやB'zなんですね。中学以降は?


町田;小学生がこんな状態ですから、中学生も似たようなものでした。小室サウンド全盛期で友達が「trfの東京ドームコンサートのチケットとった」って言うので一緒に行かせてもらったりしてました。うわー、大丈夫ですかね、こんなお話の流れで...。せっかくお声がけいただいたのにジャズ全然出てこない...。ネットにアップされた時にこの先読んでいただけるか心配になってきました。でも、そういえば林さんによるBar Musicの中村智昭さんへのインタビューでもTM NETWORKを挙げられたりしてましたね。あとはスピッツ、ミスチルとか流行ってたものは一通り、そしてFMラジオの邦楽チャート番組を毎日のようにチェックしてました。


林;いえいえ。大丈夫ですよ(笑)。


町田;思い出してきたのですが、この頃、住んでる町で費用を半分負担してくれる短期海外派遣制度みたいなのがあって、希望を出したらたまたま通ってしまってイギリスとフランスに行けることになったのですが、フランスで全然知らないくせにhiphopとかclubとかって書いてあるCDをとりあえず何枚か買ったのを覚えています。買ったCDはフランス語のラップだったはずですが、残念ながら手元にCDがなくてアーティスト名はわかりません。たぶん、そういった音楽に憧れが強くあったんだと思います、日本でも「今夜はブギーバック」とか「DA.YO.NE」なんかの日本語のラップがヒットしてメジャーな方にも出始めた時期でしたので。

あとは、話が戻ってしまうのですが、私にとって意外と重要なtrfのラジオ番組という存在がありまして(笑)、番組では当たり前のようにtrfの曲なんかがかかるのですが、Earth Wind & Fireの「Let's groove」とかCheryl Lynnの「Got to be real」とかのわりとベタなダンスクラシックも紹介されていて、「こういう曲が聴きたかった!」みたいな衝撃を受けてました。一方で小沢健二にとてもはまったりもしていました。この頃のオザケンはBetty WrightをネタにしたラブリーとかDJのサンプリング感覚で作った良曲が多くて、大学生になって元ネタに出会ったりして、なぜ自分がオザケンの曲に反応したのかを後から納得したりしました、でもこの頃はテレビを観たりする中でなんとなくいいなーという入り方でした。雑誌はファッション誌を少し読んだりして、そうするとちょこーっとヒップホップのレコードとか紹介されているんですよね、当時はThe RootsとかDE LA SOULとか、あとDJ HONDAとかブッダ・ブランドとかの名前だけをなんとなく見ていた気がします。で、「どっから聴いたらいいかわからないけど、こういうCDが欲しい」なんて思って町で一軒だけのCD屋さんに自転車で行ったりするんですけど、演歌のテープとかがずらーっと並んでる店で、これはダメだなと子供心に思いました。海外の輸入レコードが欲しいと思ってるのに「なんで演歌のテープなんだよ...」と田舎の環境に対してかなり当時怒りを燃やしていました、そんなの勝手に燃やされても困るって話ですけど。しょうがないから都内に遊びに行った時に雑誌で紹介されていたよくわからないレコード屋に行って、これまたよくわからないまま何枚かレコードを買い、「レコードをどうしても再生してみたいので押し入れに眠っているあのレコードプレイヤーを復活させて欲しい」と父親に一日3回くらい毎日頼み込み、針を買ってもらって、それでようやくレコードを初めて再生しました。針をレコードの上に載せるっていう行為と聴くっていう行為がすごく新鮮でした。レコードを買うという流れがここから始まりました。


林;なるほど~。近所には演歌のテープが並んでいて、都内に行ってよくわからないままレコードを買うっていうのが北関東育ちって感じですね。なるほど。そんな感じなんですか。高校は?


町田;高校に関しては私の中で茨城がもう田舎の悪いイメージしかなくて、本当は千葉県の高校を受けたかったのですが、「地元の高校に行け!」というジャイアンのような母親の強権に抗えず、結局、地元の高校に行きました。とはいえ、ここまでとても真面目に親の方針に逆らわずにいたので、割と自由な生活になってきました、父親がバイク好きだったのもあって、ホンダのCL50というクラシカルな原付バイクを買ってもらい、免許もすぐとれたので、そこから一気に行動範囲が広がりましたね。リサイクルショップに中古レコードがあることを知っていたので、雑誌の名盤特集みたいなページで紹介されていたレコードの情報を頼りに、ひたすら田舎のリサイクルショップに原付で通いました。今でも手元にあるレコードだと、Michael Jackson、Earth Wind & FireとかBobby Caldwell、Grover Washington, Jr、KraftwerkとかYMO、ユーミンなんかをリサイクルショップで発掘しました。あとは千葉に遠征して柏のディスクユニオンにかなり行きました。当時は高島屋の中に小さい店舗があり、さらに商店街のほうの小さいビルに別店舗があって、必ず全店舗回るようにしていて行くだけですごく幸せな気分でした。その他はもともと本好きで地元の図書館によく行ってたので、図書館のCDもよく借りていて、Run-D.M.C.とかDE LA SOULなんかがあった気がします。


林;おおお、何か始まってきましたね。


町田;そうなんです。高校でのトピックとしては、隣のクラスにDJをやっているひとがいたことです。平田くんという友達で、高校生ながらクラブでDJやってるすごいひとでした。USヒップホップやR&Bをスクラッチと2枚使いを織り交ぜつつきれいにつないだミックステープを作ったりしててよくテープを聴かせてもらったりして、とても刺激を受けました。まだアンダーグラウンドだった日本語ラップのレコードもかなり持っていて、日本語ラップだけのミックステープとかもらったのもよき想い出です、あとラップやバックDJもやったりしていて僕の中では自分とは全く違うスーパー高校生的な存在(笑)。

そのひとに教わってラジオはJ-WAVEでやってた「Hip Hop Journey Da Cypher」を深夜に聴いてみたり、テープに録音してパナソニックのSHOCKWAVEっていうポータブルプレーヤーで聴くみたいな調子でB-BOY度数があがってました。CypherはMUROさんや著名DJのミックスが聴けて新譜の情報が入るのでとてもよい番組でした、RIKOさんのMCがかっこよくて英語だけはちゃんと勉強しておくかなんて思ってましたね、あと当時はMISIAが番組に出て生歌やったりもして、「つつみ込むように...」の12インチが異常なプレミアついたのもこの頃ですね。平田くんがクラブでDJやる時は遊び行ったりして、いい想い出です。


林;自分の周りの憧れ友達、重要ですよね。


町田;雑誌はremixを読んだりするようになってました、ブラック専門の雑誌でなくてremixだったのは幅を広げたいって気持ちがあったのかもしれないですね。


あとこの頃サンプリングの面白さに気づきハマりました。例えば、もらったミックステープに入ってた2pacの「Do For Love」って曲がリサイクルショップで買ったBobby Caldwellの「What You Won't Do for Love」が元ネタだっていう風につながったりして、ネット上にもまだこういう情報がほとんどない中だったので手探りでしたが、逆に手探りしててパッと元ネタとつながったりするとちょっとした感動がありました。

そんな流れの中で、インドアな趣向になっていったのか、テニス部辞めて写真部入ったり、無理矢理文芸部に入れられたり、バイトしてバイクの免許とってみたり、さらにレコード買ってみたりと全然焦点の定まってない好き勝手な生活をしておりました。


林;さて高校を卒業して大学に進みますが。


町田;大学は当時、コピーライターになりたいと思っていて、文学部に進みました。後から知りましたが林さんは実は学部の先輩です。バイトしてターンテーブルとミキサー、ヘッドフォンと針なんかの機材一式を買ってDJをやり始めました。写真や絵や服飾、ファッションショーやDJイベントなんかをやってるサークルに恐る恐る入れていただき、サークルのイベントなんかでDJやらせてもらったりしながら、高校時代の友達やそういう活動から広がったつながりの中で「DJやらない?」なんて声かけてもらったりしてDJを続けてました。ブラックミュージック専門のサークルなんかもあったのですが、写真撮ったりするのも好きだったりして、まだ、なんとなく自分の趣向を絞り切れず広い領域に触れていたかったのかもしれません、ぼんやりしてますよねー。

あとは、これもJ-WAVEですが「Soul Train」を毎日聴いてましたね、よい番組だったなぁ。そんな経験を繰り返す中で自分の好きな音楽がブラックミュージックやクラブでいい鳴りをする音楽なんだなぁと気づくと共にヒップホップの元ネタを意識的に追うようになって幅も広がってきました。ヒップホップのいいところはロックもジャズもボサノヴァもソウルもファンクもジャンル関係なく取り込んでいくところで、好きなヒップホップの曲の元ネタを聴いてもやっぱり好きな曲なんですね。古いものも含めてヒップホップとか好きな音楽を深く掘ろうとすると堅い岩盤に当たって、そういう時は穴の径を広くとる、つまりネタを含めた広いジャンルで楽しんでみる、そうするとさらに深く掘れるみたいな感じで掘り下げてました。でも実際のところ自分の掘ってる穴はなんなんでしょうね、ヒップホップはたしかに好きですけど、どちらかというと「自分の好きな音楽」という意識でハウスやテクノなんかも含めて、とにかく自分の好きな音楽に出会って感動したいっていうモチベーションなのかもしれません、広い世界だから尽きることがなくて楽しいですよね。

あと、大学生の頃は、レコード屋でも働いてみたいと思ってたので、ここで林さんと再びつながるのですが、レコファン池袋店でバイトしたりもしました。面白かったのはすぐ近くにディスクユニオンがあって、ユニオンの店員さんが時々買いに来てたことですね、「こないだレジ打ってたあのひと、うち(レコファン)のPenguin Cafe Orchestraのレコード買ったぞ」なんて感じでレジ担当してるとわかっちゃうんです(笑)。僕も休憩の時とかバイト終わりにユニオンに行ってましたから向こうも「また、レコファンのバイト店員が来たよ」みたいにバレてたかもしれません。塾講師のバイトを掛け持ちして月10万円くらいレコード買うこともありました、今より買ってますね...。並行してヒップホップ関連の書籍とか好きなアーティストのインタビューが出てる雑誌も集め出すという感じで、さらにフリーソウルやレアグルーヴって概念を知ったりして、自分の好きな音楽に次々と気づきさらにハマっていきました。


林;そうなんですよね。学部も同じ、レコファンも同じなんですよね。でもレコード月に10万円使ってしまう時期ありますよね。あの経験すごく大切です(笑)。さて、大学卒業後は?


町田;実は高校生の時のコピーライターになりたいという夢は大学生になって広告に嫌悪感を抱くようになってしまい、仕事で何をしたいのか完全にわからなくなってしまいました。純粋だったんですかねー今は広告のお仕事いいなぁと思うんですけど(笑)。家が裕福だったらバイトしたりしてDJ続けるみたいな生活がしたかったのですが、そういう訳にもいかず、でも就職に関しては行き詰ってしまって迷走してました。学校が高田馬場で通学途中にタイムという古きよき雰囲気のレコード屋さんがあって、店主に「就職したいです」って相談したりもしたんですが「まだ若いしもっとチャレンジするべきことがあるはずだから別の道を目指しなさい」みたいな感じで断られたりもしていました。デザインの世界に憧れがあったりしましたが、どうやって業界に入ったらよいかわからなかったですね。あとはDJの延長でテレビの音響効果の仕事も面白そうだなと思って、名古屋の会社を受けたりしてもいたんですが、当時好きだった女の子が東京にいたりして、東京にいたい気持ちが強くて最終的には3D CADのエンジニアになってました、何かモノ作りに関われたらいいなと思ったんですね。そのあと、結局デザインやWEBの仕事にシフトして今なんとか生きてるという感じですね。チャンスがあれば音楽を仕事にしたいですけど、現状は分かれてます。音楽のメディアサイトを作るみたいな形で関わったりするチャンスが今後あったりするといいなと思います。あるいはトラックメイカーやDJとして売れちゃうみたいな夢。仕事は漠然とみんなに喜ばれて感謝されるようなことができて、すっごい儲かることがしたいなと妄想はしてるんですけど形にできていないですね、やる気と妄想力はあります、って無邪気な子供みたいなこと言ってる(笑)。


林;タイム良いお店ですよね。でも就職は苦労して正解だったかもです... これからの音楽のことをみんなに聞いているのですが。


町田;レコード、CDすら過去のものになってきていますね...、やっぱり形のないデータでの流通が主流になっていくのでしょうか。アナログ熱にかかってしまって今でもレコードを買ってる身としては、アナログレコードの面白さの再発見や再評価を大歓迎しつつ、モノとして所有したいひとやジャケットを楽しむこと、アナログレコードでのDJの面白さとか、サンプリングなんかがもっと多くの方に広がってくれたらいいなと思います。バーでもちょっと特別な時間を過ごすという意味ではバールボッサみたいにレコードで音楽を聴きたい!


林;DJのこと、宣伝したいことがありましたら。


町田;DJについては続けられる限り続けたいと思っています。DJ KRUSHが「杖ついてでもやる」みたいなこと言ってたので密かにそこが目標です。そして、クラブだけじゃなくてバーだったりラウンジだったりいろんな場所で選曲できる機会があるとよいなと思います。あと、ラップやってる友達から声かけてもらって the Deepkicks っていうラップグループのバックDJをやらせてもらうことになり、ライブをし始めました。トラックもちょっとずつですが作っているので、世にだせるチャンスがあればって感じです。がんばります。

DJ名はヒップホップとかのイベントだと町田のまちをあて字にした魔治(まち)って名前でやっています、そのほうがぽいかなと思って(笑)。でも某有名DJの方にネーミングをダメだしされたんですよー、で「その方のアーティスト名に影響をうけて大学生の時に決めたkazuhiromanceってもうひとつの名前があります」って言ったら「大文字いれてKazuhiRomanceがいいんじゃない」ってアドバイスいただいたので両方使っていこうかと思っています。facebookなんかでDJやる時告知してますのでよろしければご覧になってください。

●町田和宏facebook→ https://www.facebook.com/kazuhiromance


林;色々とやられてるんですね。これからが楽しみです。それではみんなが待っている10曲に移りましょうか。まずテーマを教えて下さい。


町田;テーマは「バールボッサの晩夏」です!バールボッサでDJやらせていただく時にこんな曲かけたいなという想いで選んでみました。ただ林さんといろいろお話しちゃった余韻もあるので、対話の内容も絡めた選曲にしたいと思います。あと、カイピリーニャをください!


林;カイピリーニャ、かしこまりました!


01. Acalanto / Antonio Adolfo

町田;さっきお話した私がDJ始めるきっかけをもらった高校の同級生と最近facebookでつながって、AIRでDJするっていうので先週仕事帰りに遊び行って10年ぶりくらいに再会しました。今はDJ SB10という名前でミニマルハウス・テクノをいい感じにプレイしていてその進化にびっくりしつつ、「そういえば町田くん、サンプリングネタ好きだったよね」という話の中で彼が教えてくれた1曲です。DJ HASEBEの「ADORE」という曲の元ネタですね。DJ続けていてよかったなぁと思った夜でした。僕も同じDJ HASEBEの別の曲のネタを教えてみたりして、そういう音の対話みたいのができるのも熱いなぁと(笑)。

林;僕もAntonio Adolfoがすごく好きで、このアルバムたまにお店でかけてるのですが、これかけるとDJくん達が「あ!」って言いますね。


02. Hideaway / Voices In Latin

町田;これまたネタつながりなのですが、You The Rockの「FUKUROU」という曲の元ネタです。原曲の良さに感動した曲です。こういうのが面白くてネタを追いかけるの辞められないですね。こういうところからブラジル系の音に触れて興味を持つきっかけになりますし。

林;なるほど。町田さんの世代はそういう順番で聴くんですね。


03. Blaze It Up (Brooklyn Inst.) / DJ HONDA

町田;「バールボッサでヒップホップかけるなんて...」と思いつつ、ビート強めの曲もいれたいなと思ってこれを。私が初めて買ったヒップホップのレコードはこれです。 茨城の洋服屋さんで買った気がする。DJAVANの「SAMURAI」をサンプリングしてるので、バールボッサのお客さんからかけた時に何か反応あるといいななんて思います。

林;あ、ホントだ。サムライがサンプリングされてますね。うわー、カッコいいですねえ。


04. Montara (The Roots remix) / Bobby Hutcherson

町田;Bobby Hutchersonの「Montara」は数多くサンプリングされてますが、スチャダラパーの「サマージャム'95」が有名ですかね。バールボッサで聴くならこちらかなと思って選びました。あと今はネットで調べるとかなり元ネタもヒットするので嬉しいような楽しみが減ったような。と言いつつ、気になると大抵調べちゃうんですけど。

林;もうさっきからずっと「あ、そういうことなんだ」って頭の中で呟きっぱなしです... おじさんですいません...


05. Saudade vem Correndo / Bebel Gilberto

町田;Stan Getzの「Jazz Samba Encore」に収録されている曲のBebel Gilbertoによるカバーです。「想い出は駆け足で」という邦題も好きです。Stan GetzバージョンはThe Pharcydeの「Runnin'」でサンプリングされててどれも好きです。

林;この方、何度も来店されてます。面白いエピソードがあるのですが、ここでは言えない...(笑)


06. September/土岐麻子

町田;もう9月になるのでこの曲を。大学生の終わりくらいの時だったか、この曲収録のアルバムが出たのですが、友達3人くらいにアルバムプレゼントして、自分でもCDとアナログの両方を買うというすごいハマり方をしていました。原曲はみなさんご存知のEarth Wind & Fireですが、こういうカバーもいいですよね。

林;町田さんくらいのお年頃の音楽好き男子って「土岐麻子みたいな人と結婚したい」って人、多いですよね。


07: 夏の終わり / MOOMIN

町田;先日、亡くなられたDev Largeさんのトラックです。歌もいいんですが、ここはあえて歌なしで。渋谷VISIONの追悼イベントは道玄坂に長蛇の列ができてましたね。Minnie Ripertonの「Memory Band」のサンプリング素敵です。D.Lさん R.I.P

林;道玄坂に長蛇の列でしたか。僕のツイッターのTLも普段はそんなツイートしない人がたくさん追悼していました。


08: Big Yellow Taxi (Radio Version) / Joni Mitchell

町田;季節の変わり目にふと聴きたくなる曲です。Janet Jacksonの「Got Til It's Gone」でサンプリングされてました。Joni Mitchellは絵も描いたりしていて、いつかまとめてJoni Mitchellの絵をみてみたいなぁ。

林;Joni Mitchellお身体大丈夫なのでしょうか。ちなみにJanet Jacksonでサンプリングされてたんですか...


09: Jamaica Song / BOOKER T

町田;かつてJ-WAVEでUAの「カピバラレストラン」という番組が放送されてまして、最後にこの曲がかかってました。番組が終わる時に曲名が公表されて、そこから血眼になってレコードを探しました。高田馬場のタイムで800円で見つかってすごい感動しました。それで就職しようとしたのかなー。後にハナレグミなんかもカバーしてますよね。

林;800円は嬉しいですね。あ、ハナレグミがやってますね。僕の妻が好きなので自宅のリビングでよくかかってます。


10: Suzuki-Sensei-Sansei / SEIGEN ONO

町田;ラストはこれ!大学生の時サークル同期の中里くんが紹介してくれた曲でした。ずーっと好きで聴いてきましたが、オノさんもバールボッサにもいらっしゃるそうですね。という訳でバールボッサにつなげたところでマイクを林さんに譲ります。

林;「マイクを僕に譲る」っていう感覚がやっぱりDJしている感じですね。町田さん、そんなに年下だとは思っていなかったのですが、12歳離れるとこんなに「聞き方」が違うんだなあとびっくりしました。僕の趣味にあわせてくれたのかもですが、基本的な「音の趣味の方向性」が同じような気がしました。

町田さん、本当にお忙しいところありがとうございました。深夜にメールが届いたときは、やっぱりIT系の最前線で働かれている人はお忙しいんだなあと痛感しました。DJもお仕事も頑張って下さいね。




みなさん、すっかり秋ですね。世界中には本当にたくさんの美しい音楽があって、それをこんな風に掘り下げて聞くのって楽しいですね。それではまたこちらで来月お待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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bar bossa vol.48:bar bossa

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vol.48 - お客様:上川大助さん(ロス・バルバドス)


【テーマ:俺のキンシャサ】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は、渋谷のロス・バルバドスの上川大助さんをゲストにお迎えしました。


林;こんばんは。お飲物はどうしましょうか?


上川;ノン・アルコールの、エルダーフラワーのやつ、お願いします。


林;フーゴのアルコールなしですね。かしこまりました。さて、早速ですが、お生まれと小さい頃の音楽体験を教えてください。


上川;1960年、目黒区の大岡山で生まれました。小学校入る頃、やっと家にテレビが来て、シャボン玉ホリデイっていう番組でクレイジーキャッツ見たり、当時流行ってたGSが最初に触れた音楽かな。初めて買ったレコードは、よく覚えていないけれど、確かスパイダース。


林;うわ、最初のレコードがスパイダース!


上川;そう。で、いつだったか、おふくろがどこからか蓄音機もらって来たんだよ。それにソノシートが何枚か付いてて、映画音楽のコンピみたいなやつだったんだよね。ビートルズの「涙の乗車券」のインストが入ってて、好きでそればっかり繰り返し聞いてたのを覚えてる。おふくろは若い頃歌舞伎座で働いてたんで、周りに音楽好きも多かったみたいで、デューク・エリントンやベニー・グッドマンなんかのスイングジャズが好きだった。俺が小さい頃死んじゃったオヤジは、洗足池で喫茶店やってて、ジャズかけてたんだって。わりと周りにそんな音楽はあったんだよね。


林;なるほど。それは羨ましい音楽環境です。


上川;小学校高学年になると、日曜日の朝ラジオでやってた、ニッポン放送だったかな・・・「アメリカ20」っていう番組があってさ、それよく聞いてた。カーペンターズや、ミッシェル・ポルナレフ、エルトン・ジョンなんかがかかってた。


林;アメリカが輝いていた時代ですよね。中学のときはどうでしたか?


上川;中学二年の時仲良くなった、同じクラスのタケウチくん。二コ上の姉さんがいて、それが美人なんだけどズベ公でさ、その姉さんがロック好きだったんだよ。頭脳警察のファンだった。タケウチくんもその影響でいろいろ知ってて、教えてくれた。「ラジオ関東で面白い番組やってるぜ」って、「オー・シンディ」教えてもらって。加藤和彦とミカがパーソナリティー。毎日やってたんだよね。当時ボブ・ディランがちょうど8年振りの復活コンサートを全米でやっていて、一か月ずうっとディランばっかりかけてた。そこでディラン初めて聞いて、いいなぁって思って。


林;加藤和彦とミカのラジオ番組があったんですか。ディランがいいなぁと思ったというのも意外ですね。


上川;そう? で日曜の夜は、ジャズピアニストの三保敬太郎とフォークロックシンガーの生田敬太郎の二人がやっていた番組。そこで村八分とか知って、日本にもこんなバンドがあるんだーとガツンときたのを覚えている。そこからフォークやロックをよく聞くようになったかな。


林;そういうラジオ番組で村八分とかはみんな知ったんですね。


上川;うん、そう。それでしばらくしてまたタケウチくんが「夜逃げジャンボリー」って番組面白いぜ、って。なぎら健一がパーソナリティー。深夜3時からだったから、水曜の晩は早く寝て、3時に起きて聴いてた。そこでカントリーやフォーク、ブルーグラスなどアメリカのルーツミュージックを知ったんだよね。ウディ・ガスリーやミシシッピー・ジョンハートなんか知ったのもこの番組。エア・チェックして、何度も聞いたよ。


林;渋い中学生ですねえ。


上川;4時半まであって、その後5時まで30分間は関西の番組を買い取ってオンエアしてたみたい。アメリカのSSW系をよく流す金森幸介から京都のフォークシンガー東野ひとしにパーソナリティーが変わったら、ジョルジュ・ブラッサンスばっかりかけてさ。シャンソンってそれまで、エディット・ピアフや、日本なら有名なのってアダモだったじゃない? 変な音楽だなーって思ってたけど、ブラッサンスはかっこいい! と思っちゃってさ。イヤなガキだよね。


林;ダイスケさんらしいです。


上川;当時ラジオの公開録音とかあってさ、日大両国講堂で、チャーが入った古井戸のライヴとか見たよ。俺の影響で音楽好きになったサッカー部のイシカワくんと、遠藤賢司が渋谷でやってたカレー屋「ワルツ」でなぎらさんの番組の公開録音見に行ったりもしたな。


林;うわー、遠藤賢司って、カレー屋やってたんですね。そして公開録音も!


上川;そうなんだよ。で高校入ったら、仲の良かったヒラタとオザワと一緒によくギター弾いてた。
ある時オザワが乱童夢(ランドーム)っていうガリ版刷りのミニコミどっかからもらって来てさ、中身はマリファナとかグレートフル・デッドの話。地元のヒッピー崩れの、俺たちより少し上の連中が作ってたんだよね。そこに夏、市営グラウンドでフリー・ライヴをやりたいからボランティア・スタッフ募集ってあって、三人で行ったんだ。そこで、今でも時々店に来てくれるくらい長い仲になった、二つ上の奴ら何人かと知り合った。そいつらはブルースやソウル、ブリティッシュロック、サザンロックなんかバンドでやってて、リハ見に行ってその辺りの音楽を知った。


林;70年代半ばですね。雰囲気伝わりますねえ。


上川;うん、その頃かなぁ、立ち読みした宝島にボブ・マーリーが襲撃されたニュースが載ってたんだけど、まだレゲエに興味無かったし、このヒトなんなんだ? と思ったけどスルーしちゃった。ブルース・スプリングスティーンのボーン・トゥ・ラン聴きまくってた頃だから。


林;あ、ダイスケさん、その頃はブルース・スプリングスティーンでしたか。わかってきました。


上川;わかってきた? そうこうするうちにヒラタが「おじさんからもらった面白いレコードあるから聴きに来いよ」って誘われて。ジーン・ビンセントの7インチ。ロカビリーだよね。ヒラタんちは公団の5階でさ、なぜかTVKが普通に見れたんだよ。電波の弱いローカル局の番組が、なんかの拍子に見れちゃう、とかあったんだよね。

TVKってもともと音楽番組が多かったんだよ。おじさんの7インチ聞いて、テレビ点けたらTVKでなんたることか「パンク特集」やっててさ。クラッシュの「白い暴動」、JAM の「イン・ザ・シティ」、ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」だよ! 大ショックよ、もう。そこからパンクまっしぐら!


林;待ってました! さて、その後、高校を卒業しますが。


上川;卒業したら調理師学校を中野に選んだのも、高円寺に鳥井ガクのやってたブラックプールっていうパンク飲み屋があったから。そこにもよく通ったし、吉祥寺にDOLL主催のフィルムコンサート、皆でPV見るって感じなんだけど、そんなイヴェントがあって、そこでロンドンのパンクをいろいろ聴いたな。

そのうち「東京にもすごいのあるらしいぜ」って、東京ロッカーズの存在を知ったんだ。「パンク仕掛け99%」っていうライヴ・イヴェントのフライヤー見て、碑文谷にある目黒福祉会館のホールに行ったよ。リザード、ミラーズ、Sケンなど6バンド出た。リザードもかっこよかったけど、代わりにトリのフリクションがステージに立った時の衝撃ったら無かった。今でもよく覚えてる。ステージの空気がガラっと変わったんだ。MC無し、30分ぱーっとやっておしまい。すげぇ、なんだこれ!! ってそれからはフリクション。新宿のロフトや屋根裏、いろいろ見に行った。ラピスさん(ギタリスト)の真似して、トレーナーの肩のあたり破いたり、Tシャツに血糊塗ったり、安全ピン刺したりさ。銀座のソニープラザにデップっていう髪立たせるジェルが売ってるって聞いて、わざわざ買いに行ったりもした。


林;フリクションでしたか。あ、僕も高校の時、デップ買いましたよ!


上川;買った? そうだよな。で当時住まいの近くの津田沼にソングバードっていうアメリカン・ロックかける店があった。時々顔出してたんだけど、ある時店主に「お前、パンク好きなら市川にできたロッキンっていう店行ってみろよ」って教えられてさ。行ったら「パンクは無いけどレゲエはあります」って。そこで初めてボブ・マーリーを聴いたんだよね。

ロッキンの向かいの酒屋で働いている神宮さんっていうのがいて、俺のこと聞いたのかふらっと入ってきて「こういう音楽に興味あるの?」「パンクが好きなンすけど、レゲエにも興味あります」そしたら「実は世界は今すごいことになってるんだよ」って話始めて。ジャマイカのレゲエ、中南米のサルサ、ハイチの音楽、ブラジルのジョルジュ・ベン、アフリカのフェラ・クティ・・・。毎週水曜の夜にその辺の音楽かける「サードワールド・ティーパーティー」やってるから来い、って言われて。それに顔出すうちに、またいろんなやつらと知り合った。


林;おお、良い感じですねえ。


上川;でも根がパンクだったからいまいちはまらなかった。そんな時、千葉パルコにあった山野楽器が「レゲエを推す」ってことになり、東芝EMIの当時ボブ・マーリー担当ディレクターの三好さんと神宮さんのトークショーっていうのがあったんだよね。そこでボブ・マーリーのロンドンのライヴ映像見たんだよ。それでガツンときちゃってさ。ソニー・ビルや緑屋のオーディオルームで、山名昇、藤川Q、例の三好さんなんかがやっていた「レゲエシンジケート」っていうレコードコンサートに通うようになったんだ。通ううちに「ロッカーズ」っていう映画がもうすぐ日本でも見られるぞって話を聞いて、80年の夏だったかな、原宿のラフォーレであった上映会に行ったんだ。もう、冒頭のシーン、ラスタがナイヤビンギやってる、あれにやられちゃったね。レゲエバンドやりてーなー、って思い出して、昔池袋西武の端っこにあったホールでのロッカーズ上映イヴェントに友達誘ってまた見に行ったんだよ。上映の前に、ナーキのバンドとミュート・ビート、クールラニングスが出た。ミュートは最高にかっこよかった。


林;ダイスケさん、伝説の場所には全部、参加してますね。


上川;あはは。で、その一緒に行った友達と「ソルジャーズ・トーク」っていうレゲエバンドを結成したんだ。メイヨ・トンプソンがやってたサイケデリック・バンド「レッド・クレヨーラ」のアルバムタイトルから取ったんだよ。かっこよかったから。このバンドは2年余り活動した。当時原宿にあったサンビスタや、クロコダイルの深夜の部、デビューは椿ハウスの「レゲエ・ナイト」だった。


林;デビューが椿ハウス!


上川;そうなんだよ。でトロンボーン吹いてた増井が、掛け持ちしてたミュート(ビート)やメロンの仕事が忙しくなって抜けることになって、レゲエ・バンド、これからどうしようか、なんて考えてた時に神宮さんがキンシャサ旅行から戻ってきた。「ダイスケ、キンシャサすげぇよ、行こうぜ」って誘われて。当時乗ってたワーゲン売ったのと、バイトで貯めた金で行くことにした。本当はジャマイカ行こうと思ってたんだけど、ジャマイカにはその頃もう日本人が結構行ってて。じゃあ、未踏の地もいいかな、って。


林;ダイスケさんの人生が動いた瞬間ですね。


上川;そうだね。で生まれて初めての海外旅行が84年12月のザイール(現在コンゴ民主共和国)のキンシャサ行き。まずアフリカ大陸にはケニアから入った。一緒に行った仲間にジャンキーのタロウくんっていうのがいて、ナイロビ着いたらすぐ消えちゃった。あれ、どこ行ったの? なんて話してたらコーディネーターの相楽さんが「あぁ、なんかブラウンシュガー買えるところあるって聞いて行っちゃったよ」って。

今はナイロビも治安が悪いらしいけど、当時はもっとのんびりしてたんだよね。空港もきれいで、入国審査も「普通」な感じで、アフリカって言ったって、そんなに変わんないじゃん、ってその時はたかくくってたんだ。ところがザイール入ったら大変。空港はボロイわ、わけわかんない人が大勢いるわ、なんだかんだ言ってくるわで、とにかくパワーがもの凄い。もう、空港からしてカオスなの。キンシャサ入って最初の一週間は調子出なかったねー。やられっぱなしよ。


林;ダイスケさんもやられるんですね(笑)。


上川;もちろんだよ。で一週間たった頃、神宮さんから「ライヴチェックしがてら散歩行こうぜ」って誘われて、歩いてった。いつどこそこでライヴやります、っていう告知のヴァン・カルテ(看板)が街中のいたる所にあった。お店に入って神宮さんにオーティスが、昔どうしてパパ・ウェンバがイシフィっていうバンドから追放されたか、なんて話してんの聞いてて。
そしたら、えらくクールな男が入ってきた。素肌にスーツ、素足に革靴、身長も190cmくらいあって、すごくかっこいいの。わぁ~と思って、いきなり抱きついちゃったんだ、俺。彼はヴィヴァの取り巻きのコロネール・ジャガーだったんだけど、いきなり初対面の、それもぶっ飛んだジャポネが抱きついてきてびっくりしてたよ。でも、その後いろいろ話してくれた。もう、完璧ヤクザなんだけど、優しいんだよ。で、ちょっと落ち着いてきたから神宮さんとそのお店をあとにした。帰り道添いにブロック塀があってさ、ほら、昔日本にもよくあった、松の形にくり抜いてあるタイプのやつ。あれ見てたら「なーんだ、日本と大して変わらないじゃん」って思った。一気にキンシャサが親しくなったよ。それからは、もう絶好調!


林;それで絶好調ですか。


上川;そう! あ、ここでちょっと自慢話してもいい?この頃、フランコに会ったんだ。ライヴではもちろん見ていたけど、フランコの家に行って会ったの。ある時ホテルに、ヴィヴァのセキュリティーやってた空手家のデカいドナってのが迎えに来てさ「今日これから、ヴィヴァがフランコの家でパーティーやるから来いよ」「えー、そんなパーティーに俺たち行っちゃっていいの?」って感じだったんだけど、得意のノー・プロブレム! で、ついてった。

高級住宅街であるリメテっていう所にフランコの豪邸があった。いわゆる、コロニアル建築。その広い中庭で、お金持ちっぽい人がたくさん集まって飲み食いしてた。バンドは、ヴィヴァとフォルクローレがいくつか出てたかな。途中でドナに肩叩かれて「上見てみろよ」って。見上げたら3階のバルコニーから見下ろすフランコがいたんだ。わー、伝説の人を近くで見ちゃったーって思ってたら、じきに下りてきて。今度はドナが「挨拶して来いよ」って言うもんだから恐る恐る近づいたよ。まだリンガラ語もそんなにできなかったから「ンボテ(こんにちは)」みたいな挨拶くらいで。フランコ機嫌が良かったのかニコニコして、握手してくれたんだ。いやー、感激した。


林;すごい経験ですね。


上川;うん。その時の旅行中、キンシャサで俺たちのめんどう焼いてくれたのが、アシンバ・バッシーていうジャーナリストだった。まじめで、本当にいいやつで、音楽誌に書いてたんだけど、今は社会派ジャーナリストになって活躍しているよ。

アシンバにある時「グラン・ザイコの周年パーティーがあるから、お前ら一緒に演奏してみないか」って言われた。えー、できんのかな?って思ったけど、リハに参加したらメンバーが皆いい人ばかりで。まぁ、大人のベテラン・バンドだからね、余裕があるんだよ。「そうか、そうか、それならこの曲一緒にやろう」って練習してくれてさ。コズミークっていうライヴハウスで、一曲演奏させてもらえたんだ。


林;そんなにあっさりと...


上川;そうだね。で一回目のキンシャサから戻った時、レゲエ・バンドよりアフリカに特化したバンドやりたいなーって思って、友人数人と、小編成でコンゴ音楽やる「モロカイ・スターズ」っていうバンドを始めたんだ。ヴォーカルのアラタはスワヒリ語勉強してて、ケニア、タンザニアを周ってた。でもコンゴは行ってないって言うから、じゃぁ、行ってみっか、と。二度目のキンシャサは、86年から87年にかけて半年滞在した。


林;日本ではバブル絶好調ですね。


上川;はは。で、ヴィクトリア・エレイソンっていうバンドに入りたくて、空港からのタクシーの運ちゃんに「ヴィクトリア、今キンシャサにいるの?」って聞いたら「ヨーロッパ行ってて2月になんなきゃ戻んないぜ」って。だけど、一回目のキンシャサで仲良くなってたアリっていうヴィクトリアのバンドボーイは残っていたから、真っ先に顔出した。すごくいいやつで、顔も広かったからね。ヴィクトリアがいなかったのは残念だったけど、ヴィヴァ(・ラ・ムジカ)の連中と一緒にやることができた。パパ・ウェンバは単身パリに渡っちゃってたんだけど、他のメンバーは残ってたんだ。

ある日リジョ・クェンパ(ヴィヴァのヴォーカルのひとり)の家に遊びに行ったら「行きつけのバーに行こうぜ」。そのバーでプレイバック(レコードの音源に合わせて歌ったり踊ったりすること)やらされた。リジョが勝手に画策してたんだ。ジャポネが踊るぞーって皆に声かけちゃってて、すごい人集まってたから。しょがないからアラタと二人で踊ったら大ウケ! 娯楽が少ないからさ、街中に広まっちゃった。おかしなジャポネがいるぞ、ってね。


林;お、始まりましたね。


上川;うん。で、そしたら次は「TVに出て踊れ」って。口パクで踊ったよ、何曲か。その頃TVが家にある所なんてそうそう無かったし、出たからって影響無いよな、と思ってたら皆見てた。TVのある家に集まって見てんだよ。昔の日本と一緒。ホテルに戻ったら周りにいたガキどもがばーっと集まってきて「TV見たよ~」って大騒ぎ。キンシャサで有名人になちゃったから、今度はバンドに入って演奏しろ、って。それでヴィヴァに入れてもらったんだ。


林;なるほど。そういう経緯があったんですね。


上川;そう。三か月もすると、他のバンドのメンバーやら取り巻きやら、音楽関係者の友達がたくさんできた。帰国間際に「タバコの新商品のプロモでツアー周るから、一緒に来い」って声かけられた。あと一週間もしないで帰国予定だって言ったら「大丈夫、2~3日だから」って。それが結局二週間だよ。


林;(笑)


上川;ツアーは今でいうバコンゴ州、キンシャサから西の方。マタディに二日、ボマに一週間、そこからムワンダっていう街に移動。その移動が夜間だったんだけど、途中誰かが「おい、電気消せ、電気消せ!」って。「空見てみろ」窓から見た夜空に、ものすごくきれいな天の川が見えたんだ。あんなの一生に一度だろうな。回りがぶっとんだ黒人の兄ちゃんばっかりっていうのが全くロマンチックじゃなかったけどね。ツアー中は結構ハードで、メンバー間に喧嘩が起きたりしたんだけど、あれ見て皆心が洗われる感じがしたな。


林;良い話ですねえ。


上川;うん。ツアーは良い経験になったけど、途中でビザ切れちゃうし、不法滞在、参ったよ。飛行機はオープン・チケットだったから問題なかったけど、金も無くなってくるしさ。ツアー中は顎足付きだけど、ギャラなんて出なかったよ。ビザ再発行には在キンシャサのコンゴ人でも日本人でも、誰かの推薦状と、健康診断書と、お金が必要で。始めヴィヴァのメンバーが「よし、推薦状書いてやる」って張り切って作ってくれたんだけど「レコーディング、及びツアーの為に延長お願いいたします」って書いちゃった。観光ビザで入ってんだから、何事か! って突っ返されちゃった。結局日本大使館にいたFさんていう人が推薦状作ってくれた。とても良い人で、いろいろアドバイスもしてくれた。延長の理由は「帰国前に、どうしてもキブ(コンゴ東部)の美しい景色が見たかった」にしろ、一旦受理したら再発行しないわけにはいかないから、受け取るまで粘れ。一度受け取ったら逃げて来い、って。

再発行手続きには役所に何回もジェンスっていうヴィヴァのマネージャーが付き合ってくれた。どこのお役所仕事も一緒で待ち時間が長いから、その間にジェンスからバンドの歴史やミュージシャンのことを聞けて、それはそれで楽しかったな。何度目かでやっと受け取ったから、Fさんに言われた通り逃げ帰ったよ。


林;普通に話してますけど、大変な経験ですね。


上川;はは。そうそう、その頃かな、俺大統領の前でも演奏してんの。当時の、独裁者として悪名高きモブツ大統領。週末のヴィヴァのライヴが終わって、大体朝の4時とか5時なんだけど、出ようとしたらモブツの使いの者っていうのが来て「本日昼過ぎからンセレ(郊外の会議場)でセレモニーがあるから、出演してほしい」って。ホテルで数時間仮眠取って、皆でバスで向かったよ。キンシャサ中心部から小一時間かかったかな。中国庭園みたいな場違いな建物(実際中国人が建てたものらしい)。パラグアイの使節団がきていたらしく、そのためのパーティーか何かだったんだよね。楽屋なんて無いから、幕の下りたステージで皆で待機してた。そのうち、聞きなれたモブツの声がした。当時はラジオ聞いてると、日に何回か「大統領のお言葉」みたいなコーナーがあったから、すぐにわかったんだ。メンバーに「覗くな!」って叱られながらも、幕の間からこっそり見ちゃった。レオパードのあだ名よろしく、トレードマークのヒョウ柄の帽子被ったモブツが見えた。しばらくして、演奏開始。幕が開いたら皆4~50m先の会食場みたいな所に移動していて、ちょっと離れたステージで演奏するって感じだったな。一番手前にこちらに背を向けて立つモブツ見ながら演奏したよ。時々ちらっと横向くんだよね、演奏は気になるみたいで。独裁者の前で演奏した日本人なんて、そうそういないと思うよ、北朝鮮以外ではさ。


林;(笑)


上川;そんな外交に関わるセレモニーなら、O.Kジャズやザイコが呼ばれるのが妥当なんだよ。ヴィヴァなんて当時は町のチンピラ・バンドだったんだから。でも、TVやなんかに出て「ジャポネも入ってるバンド」って話題になってたから、モブツも見てみたかったんじゃないかな。まさか、ヴィヴァが演るような町場のライヴハウスなんか物騒で来れないものね。下手したら暗殺されちゃうから。その日アラタが体調悪くて、それでも頑張って歌ったんだけど。アリ(前出のヴィクトリアのバンドボーイ)が何かあったらいけないから、って付き添って来てくれてたんだ。本当にアリにはいろいろ世話になって、気持ちも通じ合ってた。その後アンゴラで行方不明になったって聞いて、残念だよ。また会いたかった。


林;行方不明って...


上川;そうなんだよ。で、やっと帰国、といった時にまたひと騒動あったんだ。韓国人経営のカフェがあった。行くと「あ、同じアジア人」って嬉しそうな顔してくれるんだけど、俺はハングルも仏語もダメ、彼は日本語もリンガラ語もダメ、で会話はできないわけ。「こんにちは」って挨拶だけ。でも、なんとなく居心地の良い店で気に入ってたんだ。そこでお茶してたら、手に石やこん棒持った男たちがどどどどーって走ってくる。カフェの中見て「ここは違う」ってスルーして、どこか行っちゃって。

そのうちに戻ってきて、近くの店に投石したりガラス叩き割ったりし始めた。なんだなんだって、店にいたコンゴ人のお姉ちゃんに聞いたら「ブラザビルでコンゴ(共和国)とザイール(現コンゴ民主共和国)のサッカーの試合があった。審判の判定に抗議したザイールの選手を、コンゴの警官がこん棒で殴って殺しちゃった。報復として、コンゴ人や審判やってたマリ、エチオピア人の店を襲撃してる」って。選手が亡くなったとか、真偽のほどはわからないんだけど、暴動が起きたのは確か。

次の日、ホテルからも見えるヴィクトワールの交差点の辺りはもの凄い人で、これに乗じて、地方で民主化の学生運動やってたやつらもバスで乗り付けたり、至る所で強奪は起こるは、大変だった。少ししたら落ち着いたんで帰ってこれたけど、最後に凄いもん見ちゃったなーって感じだった。


林;うわー、やっぱりいろんな意味で治安は不安定なんですね。


上川;うん。で、この時の滞在で、ヴィヴァの連中と今でも会えばお互い嬉しい関係が築けたし、若いバンドもいっぱい見れて楽しかった。それが自分の人生の核になっているのは確かだね。


林;ちょっと普通じゃ出来ない体験ですね。


上川;そうだね。で、帰国したらA型肝炎やっちゃって。マラリアの予防薬の副作用もあったんだよね。一か月くらい入院してガリガリに痩せちゃった。体調も戻った頃、神宮さんに「オルケストル・ヨカ・ショック」っていうコンゴ音楽のバンドに誘われた。87年の夏頃だったかな。


林;お、ついに!


上川;うん。ヨカ・ショックはシャンテール(ヴォーカル)が3~4人フロントにいて歌って踊る、っていう向こうのスタイルそのままでやった。90年頃から活動が本格化してきて、91年にメンバーで一人キンシャサ未体験のイシを連れて、俺にとっては三回目のキンシャサ。この時は初めてパリ経由で行って、ヴィクトリア(エレイソン)に入って、パリとキンシャサで演奏した。その後バンド作った神宮さんは抜けちゃったんだけど、活動はかなり真剣にやったな。原宿のクロコダイルや、恵比寿にあったピガ・ピガ、ビア・ホールで演奏したこともある。メンバー全員キンシャサ行ってて、向こうの雰囲気わかるし、やりやすかった。そのうちオリジナル曲も作り出して、全部リンガラ語で歌詞をつけた。ソニーからも声かかったよ。バブルの頃だから、話聞くだけで寿司屋にフグだよ。でも結局「日本語でやってもらわないと困る」って条件のみたくなくてさ、断っちゃった。


林;どうしようもないですね。


上川;そうだね。で、96年に知り合いの横浜のガンボ・スタジオでレコーディングした。スタジオの川瀬 さんが、コンゴ音楽もよくわかってる人で、スムーズにいけたよ。97年にインディーでCD出したんだよね。「BANA KINSHASA BANA JAPON」ってタイトルで。メンバーの中川がそれ持ってパリに売り込みに行った。ザイールはベルギー領だったけど、パリにもたくさんザイール人が住んでいて、バンドも活動の拠点をキンシャサから移したり、盛り上がっていたんだよね。リロ・ミヤンゴっていうパリ在住のジャーナリストが興味持って、彼の尽力でヨーロッパのいろんな所のアフリカン・コミュニティーでヨカ・ショックのCDが売れたよ。パリでライヴをやれる、っていう話も出た。


林;パリってそういう自由さが良いですね。


上川;うん。で、97年の夏、お盆の時期にメンバー全員とその奥さんとか友人とか、10人余りでパリに行った。でも、観光ビザだったからおおっぴらにできなくて、結局パリ郊外サンドニにあったバチカンっていうライヴハウスで演奏した。治安の悪そうな、凄い所でさ、ボロボロのライヴハウスで、でもそこに200人くらいギュウギュウで(もちろん皆ザイール人)、外にも入りきれない人が溢れてた。ザイール人にとっては大スターのエメネヤ・ケステール(ヴィクトリア・エレイソンのリーダー)も飛び入りしてくれて、盛り上がったよ。終わって外出たら若いザイール人が寄って来て「ベース弾いてただろ? すごく良かったぜ!」って声かけてくれた。嬉しかったな。


林;ダイスケさんの伝記映画作ったら、ハイライト・シーンですね。


上川;はは。で、ヨカ・ショックは2000年まで活動してて、2002年に日比谷公園であったアフリカ・フェスに出るために再結成して、また休止。2011年にベルギー人の現代美術のアーチスト、カールステン・ヘラーから、彼の企画する「コンゴ・ジャポン展」に出てくれってオファーが来たけれど、もうしばらくやってなかったし断ったんだよね。でも、ならばヴィデオだけ流したいって。それで一回市川のスタジオで演奏して、その演奏送ったんだ。フランスのどこだっけな・・・美術館で期間中は流れていたんだって。ヨカ・ショック、またやってください、ってよく言われる。でも、まぁ、もうやらないだろうな。皆歳取っちゃったしさ、やり切った感もあるのよ。


林;真弓さんとの出会いも教えてもらえますか。


上川;ああ、真弓と出会ったのは88年。原宿のキャットストリートの裏にトレンチタウンっていうレゲエ雑貨屋があってさ、そこにライヴのフライヤー持って行ったら、遊びに来てた彼女と会ったの。で、ライヴとか見に来てくれるようになって、って感じかな。知り合って5年して、93年に結婚したんだよね。パーティーを恵比寿のピガピガでやっただけ。


林;さらっと説明していただけましたが、真弓さんが「ダイスケ、ほんと、カッコ良かったのよ」っていつも言ってますね。


上川;そう? で、いつかお店をやりたいねーなんて話してたから、俺は実入りの良い現場仕事してた。空調ダクトの設備屋。つくりものも多くて、結構楽しかったな。マレーシア人の同僚とかもいて皆日本名つけられちゃって、タナカくん、とかコバヤシくんとかさ、やつらとの付き合いも面白かった。妙に懐かれちゃって「ダイスケさんと同じ現場がいいです」なんて言い出すやつまでいたよ。昔から、非白人系外国人と、犬猫にはすぐ懐かれんのよ、俺。


林;(笑)


上川;で金も少しずつ貯まった頃、アパートの更新にかみさんが行った時「将来飲食店やりたいから10坪くらいの店出たら教えてください」って頼んだら「あるよ」って。市川駅から徒歩2分、スナック居抜き。居抜き譲渡料含んだ保証金ってのがちょっと高かったんだけど、場所も良かったから国民金融公庫に借金して始めちゃった。オープンは95年の4月。レゲエって言っても、ロック・ステディとかSKAをかけるバー。店名の VIS-A-VIS (ヴィザヴィ)は、キンシャサのライヴハウスから取ったんだ。バンドメンバーもほとんど市川に住んでたし、初心者が始めた店にしては、良い滑り出しだったと思う。そのうち、商大(千葉商科大学)の美術部の学生たちや、英語の先生やってるイギリス人なんかも来だして。当時は店も多く無かったからさ。


林;市川の面白い人が集まるお店だったんですね。


上川;まあそうかな。で、週末は若いのにDJやらせたり、隣の寿司屋が休みの水曜日にライヴ入れたり、いろいろやった。開店の年の秋にブルーノート7周年でパパ・ウェンバも来日した時、わざわざ市川まで来てくれたよ。


林;それは嬉しいですね。


上川;うん。で、2001年に駅の逆側、南口に ZAZOU っていう、もう少し明るめの、ラウンジっぽい店を出した。イームスの椅子置いたり、ソファがあったり、音楽もレゲエにこだわらないで。でも二店舗経営って結構しんどくて、しばらくして、ZAZOU の方は店長やってた西本に完全に渡しちゃった。嬉しいことに西本、まだ市川で続けてくれてるよ。


林;飲食店って「二軒が一番大変」って言いますよね。


上川;そうかもなあ。で、市川駅周辺にもチェーン居酒屋が増えだして、学生も酒飲まなくなって、なんとなく勢い無くなっちゃったな、煮詰まっちゃったな、と思って2004年の9月にヴィザヴィは閉めちゃった。でも、閉店近くにお客さんがサプライズでパーティーしてくれたり、その時知り合った人たちと今も付き合いがあったり、大して儲からなかったけど、それが財産だと思うよ。


林;本当にあっさりとやめちゃいましたよね。


上川;うん。かみさんもう別の仕事してたし、気分転換に引っ越すか、って渋谷に来たんだ。


林;渋谷でお店を始めた経緯を教えてください。


上川;渋谷で店また始めたきっかけ? そりゃ、林くんだよ!!

俺こっち(渋谷)に来て、生協のドライバーや飲食店の雇われ料理人したりだったんだけど、林くんが「ダイスケさん、また店やってくださいよー」「渋谷で店始めてくださいよー」って会う度言うんだもん。ある時かみさんと bossa に飲み行ったらまたその話になって「不動産屋、紹介します!! うちもお世話になってるS って、この辺りの物件たくさん持ってるんです!」って言ったの、覚えてる?


林;言ったような覚えがなんとなく...(笑)


上川;言ったよ。で、そこまで言われちゃったらなぁ、って一応不動産屋さんに挨拶行ったんだ。「小さくていいんですけど、飲食店できる場所出たら教えてください」って。したら「あるよ」って。ヴィザヴィの時もそうだけど、物件探しにはあまり苦労しなかった。考えてみたら住まいもそうだけど、なんとなくちょうど良いのが転がって来て、そこにすぐ決めちゃう。


林;物件は本当に出会いですよね。


上川;そうだね。今の店、Los Barbados は、以前の1/3の規模、4坪欠ける小さな店。坪単価で考えると決して安くないけれど、何せ小さいから毎月の家賃も高くない。保証金も大して高くなかった。
一人で始められるにはいいかな、と思った。ここ借りてやろう、と決めた時にタワーレコードで知り合いのミュージシャンに偶然会って。昔カセットコンロスでドラム叩いてた福家くん。また店やろうと思ってさー、物件スケルトンなんだよね、なんて立ち話してたら「あ、俺木工できますよ。店舗もやりたい」って言ってくれて。カウンターや棚は福家くんが作って、俺が壁塗って、って感じで造った。アールのついたカウンターや、厨房内の動きやすさなど、福家くんのおかげで良い感じにできて、2010年1月の末にオープンした。


林;なんかちょっとした出会いでダイスケさん、人生が全部決まっていくんですね。


上川;そうかもね。で、来てもらった方はわかると思うけど、路面店じゃなくて、ビルの通路入った奥なんだよ。目立たなくて、初めは苦労したなぁ。昼、夜開けてお客さん全然来ない日なんてのもあった。市川時代は12年近く店やって、売上0の日なんて一日も無かったからこたえたね。


林;そうだったんですか。


上川;そう。で、かみさんはまだサラリーマンやってて、妙に楽観的でさ「大丈夫、大丈夫、その内大化けすっから」なんてなんの根拠もないこと言うわけ。後から聞いたら「覚えてない」って。出張続きで忙しかったからわかるけどさ。で、そのかみさんも仕事辞めて5月から一緒に店やることになった。まだまだ大変だったけど、少しずつお客さんが来だした。楽では無かったけれど、いざとなったらかみさんに任してここの家賃分くらい俺がビル清掃の仕事でもして稼ぎゃいいか、なんてことも考えてた。一年余りたった2011年の4月のブルータスの酒場特集だかに、小さく載ったんだ。その影響は結構あったかな。


林;ブルータスって本当、大きいんですよね。


上川;うん。で、雑誌で取り上げてもらうことも増えて、ラジオも一回だけ出た。TVは取材依頼はたまに来るけど全て断っている。TV嫌いだし、狭い店だから一気に来られても困るし。気に入ってリピートしてくださるお客様が入りづらくなったらイヤだからね。あ、コンゴのTVは別だよ。こないだも取材受けて出たばかり。市川では夜開けて深夜過ぎまでやるバー営業だったから、今度は飯中心の店にしたかったんだよね。ランチからやって、夜はあまり遅くない時間に閉める店。最初はバー使いの方も多くて1時2時までやっていたけれど、アフリカ料理って知られてきたり、ヴェジタリアン・メニュー増やしたりしたら、徐々に食事メインのお客様が増えてきた。今は完全飯屋だね。売上の半分以上FOODだよ。

夜も早く閉められるようになった。22時半にはクローズ札出して、カーテン下ろして掃除しているのに「二名ですけど」ってお客様が入って来る。この状況、どっから見ても閉店後だろ、オヤジがしゃがんで床掃いてんだから、って思うけど、ありがたいよね。集客に苦労した初期に比べたら、予約の電話断らなきゃいけない日もあるから。わざわざ予約して来るような店では無いんだけど、狭いから仕方ないのかな。ただどっかの店みたいに「数か月先まで予約でいっぱい」なんてこと無いよ。ガラ~ンとした日だってある。まぁ、おかげ様で、夫婦食っていけてるからありがたいよ。

奥渋谷なんて言われて、今この辺りで物件探している人多いらしいね。何にも無かった頃からずっとやってきた bar bossa はすごいし、いいタイミングで声かけてくれた林くんには、本当に感謝してます!!


林;いえいえ。ほんと、僕も外国人の友人が渋谷に来たら、必ずバルバドスさんって決めてます。みんな絶対に気に入るんで。さて、みんなに聞いているのですが、これから音楽はどうなると思いますか?


上川;荻原和也さんのアフリカ音楽本に「アフリカ音楽の黄金期時代は過ぎ去っている」ってあるんだよ。悲観的な言い方しちゃうと、アフリカだけでなく、世界中の音楽の黄金期は過ぎてるし、ひいて言えば人間の文化の黄金期が過ぎているのだと思う。これから若い世代には、その世代の考え方があるんだろうから世代なりの何かが出てくるかもしれない。それでいいんじゃないのかな。正直、これからの音楽には悲観も期待もしてない。ただ、好きなことを好きなようにやれた世代として、今の若い世代やその子供たちにも、好きなことを好きなようにやれる時代、社会であってほしいと思います。


林;それではみんなが待ってる選曲に移りましょうか。テーマは?


上川;「俺のキンシャサ」です。星の数ほどある好きな曲の中で、ライヴ映像のあるもの、現地の雰囲気が感じられる10曲を選びました。


01. ZAIKO LANGA LANGA / ELIMA NGANDO
ザイコ・ランガランガ / エリマ ンガンド

上川;ZAIKO LANGA LANGAは、コンゴ音楽史上第三世代と言われる新しいスタイルを作り出したバンド。メンバーが固定し、安定期に入った頃の映像。'70年代からオータンテシティ(オーセンティック)、つまり伝統回帰が興る。ここに見られる大ヒットしたダンス「ゼケテ・ゼケテ」は、フォルクローレが強く打ち出されたもの。


02. Victoria Principal / Deux Temps
ヴィクトリア・プリンシパル / ドゥ タン

上川;二つの時。人生には、過去と未来しか無いのだ、という歌。現在は一瞬にして過去になってしまうからなのか。バンド名は、当時流行ったアメリカのTVドラマ「ダラス」に出てきた女優から。ヴィクトリア・エレイソンから一時枝分かれしてできたバンドだったが、短命(2年くらい)に終わり、8枚のシングルしか出していない。


03. Choc Stars / Male
ショック・スターズ / マレ

上川;LANGA LANGA STARS から枝分かれしたバンド。'83年~'80年代後半にかけて黄金期を築く。後半は円熟味を増し、特にお金持ちに受けていた。この映像はわりと初期なので結構とんがっている。子供たちのダンスが上手! 「ロボティ・ロボタ」という名のダンスは多分キコンゴ(コンゴ語)。当時人気を博した。


04. VIVA LA MUSICA / Etat Civil
ヴィヴァ・ラ・ムジカ / エタ シビル

上川;'83~'84年「ルンバ・ロック・フレンチェン」というダンスが流行った頃のヴィヴァ。ちょうど日本でリンガラが聞かれ始め、このダンス名からコンゴ音楽を「ルンバ・ロック」と呼ぶ日本人もいる。メール・フレンチェン(本名アドロ)という、ヴィヴァのパトロンだった女性のためのダンスである。パトロン文化が根付くコンゴ音楽業界では、パトロン個人のために歌やダンスを作ったり、演奏中名前を呼ぶことも珍しく無い。


05. VIVA LA MUSICA / Mea Culpa
ヴィヴァ・ラ・ムジカ / ミア クルパ

上川;パパ・ウェンバの作った中でもかなり、ベストでマストな一曲。まだエメネヤ・ケステールも在籍していた、'80年頃の最強のヴィヴァ。当時の独特の疾走感がある。この辺りの音源を、経済学者の岡崎彰氏がアフリカから持ち帰り、親交のあった高円寺のレコ屋「アミナタブ」へ。そこから俺たちが耳にしてぶっ飛んだ、というわけ。


06. Rumba Ray / Mj Ngoy
ルンバ・ライ / メイジェイ ンゴイ

上川;ヴィヴァの初来日に連れて行ってもらえなかった若きシャンテール(Vo.)スティノが、マライ・マライ率いるルンバ・ライに入れてもらって歌ったもの。スティノは、ヴィヴァがコンゴに帰国すると、すぐに出戻った。'89~'90年、キンシャサとパリで大ヒットし、スティノはスターになる。Mj Ngoy は、スティノの奥さんの名前。


07: LANGA LANGA STARS / BAKUTU
ランガ・ランガ・スターズ / バクトゥ

上川;ザイコとヴィヴァからミュージシャンをごっそり引き抜いて、エボロコが'81年にバンドを作った直後の映像。行った人にはわかるが、キンシャサ臭ぷんぷん。行かなくてもわかるのは、メタ・カンパニーの海老原氏くらいか。フロントの向かって左端のジャナナは、話がとて面白く、巧妙なMCで観客を盛り上げたらしい。


08: KING KESTER EMENEYA & VICTORIA ELEISON / ATAMPIAKA
キング・ケステール・エメネヤ&ヴィクトリア・エレイソン / アタンピアカ

上川;ヴィクトリア最高傑作のひとつ。アルバム「マンハッタン」に収録。'87年当時キンシャサにいた頃、耳にしない日はなかったくらい大ヒットした。2014年2月のエメネヤ没後も、実弟であるジョリー・ムビアラ、エル・シャント、カルトゥーシェ、ルトゥラ(G)、を中心に「ヴィクトリア・エレイソン・グラン・コンプレ」というバンド名でパリで活動中。


09: Anti Choc / SISI
アンチ・ショック / シシ

上川;ZAIKO→LANGA LANGA STARS→Choc Stars と渡り歩いたシャンテール、ボジ・ボジアナが'86年頃に結成したバンド。後に「ニーズに合わせて」女性シャンテールを入れて丸くなったが、これは尖がってた頃の映像。フロントの向かって右から二番目のアドリは、無口だがとても良い人で、よく葉っぱ屋に誘ってくれた。


10: TP OK Jazz / Mario
TP OK Jazz / マリオ

上川;言わずと知れたコンゴ音楽の王、フランコ率いる OK Jazzの、'85年最晩年の映像。マディル・システムの歌から始まるこの曲は大ヒットになった。年上の女性のヒモになっているマリオに、そんなことは早くやめ、家に戻って仕事をしろ、という内容。フランコ曰くマリオはコンゴ人ではなく、ポルトガル人だそうである。




林;ダイスケさん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。みなさんも是非、ロス・バルバドス、行ってみて下さい。すごく良いお店ですよ。では最後にダイスケさんが在籍したヨカ・ショックの映像をご覧ください。

Orchestre Yoka Choc du Japon - Bana Kinshasa



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夏ですね。熱い音楽を聞いて乗り越えましょう。
それではまた来月、こちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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bar bossa vol.47:bar bossa

barbossabanner201507.jpg


vol.47 - お客様:山崎雄康さん(チッポグラフィア)


【片思い音楽】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は大阪でチッポグラフィアというカフェを経営されている山崎雄康さんをゲストにお迎えいたしました。


林;こんばんは。お飲み物はどうしましょうか?


山崎;ほぼ下戸なので、何かアルコール度数の低い果汁たっぷりのものをお願いします。


林;最近、季節のフルーツのカクテルというのをやってまして、今、大阪のデラウェアがあるのですが、そのカクテルでどうでしょうか?


山崎;お願いします。


林;早速ですが、お生まれと小さい頃のお話を教えていただけますでしょうか。


山崎;1966年大阪府茨木市生まれです。小学校に入るとき枚方市に引っ越しましたが、どちらも土着的なにおいの薄い郊外です。両親を含め、身の回りに音楽の好きな人は希薄でした。いちおうビートルズ来日の年なんですが、勿論まだ0歳ですから。沢田研二もキャンディーズもリアルタイムでラジオやテレビから流れていたはずですが、それほど夢中になった記憶はありません。


林;なんかどんどん意外な告白が始まっていますが...


山崎;そういえば、これまで両親が歌を歌う姿って一度も体験したことがないかもしれません。身の回りに音楽はなかったですね。そして小学校の音楽の授業は苦痛以外の何物でもありませんでした。教室内には足踏みオルガンがあり、縦笛とピアニカの世代のはずですが、既にこの頃から楽器が弾けないことへのコンプレックス、致命的な音痴に拍手が人とずれるというリズム感の欠如といった絶対「非」音階ともいうべき音感のなささが芽生え始めています。いまだにトラウマ的に覚えているのが、楽譜のテストの前日。記号化された音符が全く理解できず悶絶していました。これは今も変わりませんね。決して自分には振り向いてくれない音楽という存在。思えば音楽への一方的な片思いはここから始まったのです。


林;あの、僕も楽器は出来ませんが、そんなに片思いなんですね。中学に入って変わりましたか?


山崎;幼少期にこっぴどく振られて、それ以来避けていた音楽への片思いの始まりです。最初は音楽よりも映画へ興味が早かったですね。郊外でしたので、映画館へ通うというより、もっぱらテレビの洋画劇場。今も通じる「洋モノ」嗜好はこの頃からです。家にあった数少ないレコードはもっぱら映画の主題歌を集めたムード音楽のような編集盤でした。オリジナルではなく、****楽団とかが、編曲、演奏したものですね。何故か父親のレコードにいつもは入っていたのが、「慕情」と「男と女」です。その刷り込みなのか、どちらも今も大好きな曲です。最初に自分で買ったレコードははっきりしないのですが、多分ポール・モーリアあたりですかね。


林;ポール・モーリア! 僕は親が聞いてましたが。最初が映画だとそうなるんですね。


山崎;中学生から高校生になって映画から音楽への興味が広がり、洋楽ポップスを聴くようになりました。不思議と歌謡曲時代はありません。いきなり洋楽でした。ABBAやオリビア・ニュートンジョンなんかを覚えています。同時に好きな音楽がジャンルをまたぎ、変化し続ける遍歴の始まりです。この頃、赤盤、青盤でビートルズにも出会ったはず、流行りの洋楽やロックの古典を遡って聴いていました。映画絡みで記憶されているのが、ブロンディの「コール・ミー(『アメリカンジゴロ』の主題歌)」をウォークマンで心斎橋の名画座への途中、繰り返し聴いていました。高校生の時に突然爆発したのがハードロック、へヴィメタルです。今も続く雑誌「BURRN!」を創刊からしばらく購読していました。ちょうどアイアンメイデンなどイギリスではNWOBHMという動きがあり、どっぷりはまってしまいました。並行してディープパープルやレッドツェッペリンなど王道のハードロック。大学になって一気にパンク、ニューウェーブ化するまでこれは続きました。


林;高校の時は「BURRN!」ですか。これまた意外です。さて、大学に入るとどうでしょうか?


山崎;自分の音楽遍歴は焼畑農業なんですね。いったんのめり込むとルーツを辿って深く掘り下げるけど、段々土地がやせてくると、飽きてくるということなんですけどね、次の土地を探して、いつの間にか移り変わっているのです。


林;焼畑農業(爆笑)


山崎;"ヘビメタ"はある日憑き物が落ちたように去り、今度はイギリスのパンク、ニューウェーブと60年代のサイケデリックロックという双頭政権でした。ザ・ドアーズのジム・モリソンを崇め、その流れを汲む英国音楽に夢中でした。そして何といっても"スタカン"です。自分の音楽遍歴でスタイルカウンシル以前と、以後では大きく嗜好が異なります。これはビッグバン級の衝撃でした。このバンドと出逢ったから、現在へと四半世紀以上続く流れがあります。ジャズやボサノヴァ、ソウルミュージックなどポール・ウェラーのルーツを遡っていき、その先々の土地でどっぷりとその音楽へのめり込みむという、焼き畑農業の拡大化が一気に開花しました。またシングルB面収録されていたミック・タルボットのオルガンのインストからハモンドオルガンへの偏愛がスタートしました。


林;山崎さんの世代ってみなさん必ずスタカンにやられてますね。さて、その後は?


山崎;ここで再び絡んでくるのが映画なんですね。19歳頃から、8ミリフィルムで自主製作の映画を撮り始めました。自分作品の好きな曲の無許可サウンドトラック化が課題となりました。映画に使えそうな音楽を探すという、まるでラッパーのサンプルネタ探しみたいなものでしょうか?ちょうどその頃、アナログ盤からCDへの転換期でしたのでアナログとCDが入り混じったコレクションが肥大しながら興味対象のジャンルが拡散していきました。


林;映画も撮ってたんですね。なるほど、それであんなに映画ツイートが多いんですね。そして大学を卒業しますが。


山崎;大学を卒業してからも音楽遍歴は止まりません。多少余裕もあったのか、さらに音楽へ費やす手間と資本が増大しました。ある時ふと気が付きました。自分がこれほど音楽を愛して、貢いでいるのにどうして一向に自分の方へ振り向いてくれないのか?常に片思いだったんですね。どんなに音楽が好きでも、自分で歌ったり、楽器を弾いたり、さらには言葉でその素晴らしさを語ることすらできないのですから。永遠に一方通行な思いです。そして自分がこれまでやってきたことと言えば、決して振り向いてくれない相手にひたすら貢ぎ続けることだったんですね。これはお布施です。現世のご利益といえば、次の瞬間には消えゆく音と共に過ごすだけという過酷な信仰です。これは現在に至る悲しい物語です。音楽はいつも片思いでした。


林;あの、そういうスタイルで音楽に接している方、すごくたくさんいらっしゃいますよ。たぶん、PC画面の向こう側でみんなうなずいています。お店を始めるきっかけのようなものを教えて下さい。


山崎;音楽は映画と同様、どんな時にも日々の傍にありました。転職することなく、サラリーマンを10年以上(結局15年で退職)続けてきましたが、何となく先が見えなくなってきて、将来への閉塞感が積もり積もり、いつしか自分で店を持つことを考え始めました。ちょうどその頃、いわゆるカフェブームと出逢います。先ほどの音楽遍歴の果てがちょうどジャズやソウル、ブラジル音楽といったカフェミュージック・ブームと重なっています。


林;なるほどなるほど。


山崎;音楽と珈琲が楽しめる場所を提供できないかと思い始め、開店準備をスタートしました。結局2年位開業スクールに通い、いろいろと勉強しましたね。常に頭にあったのは音楽と珈琲でした。なんちゃってオシャレカフェではなく、ちゃんと珈琲が美味しい、アク抜きされた現代的なジャズ喫茶というのが当初のコンセプトでした。勿論ジャズ喫茶全盛の世代ではなく、カフェブームの影響下の後発組で、サードウェーブとの間の世代となります。珈琲が美味しいとうのがこだわっていたポイントでした。


林;珈琲はどうやって勉強されたんですか?


山崎;師匠(珈琲サイフォン 河野雅信氏)の珈琲に出逢い、結局豆を煎ることに興味を抱き、自家焙煎となりました。焙煎修行の為に1年間東京で不法就労(?)しました。そこでズブズブとのめり込んだのがブラジル音楽です。珈琲豆の輸入商社主催の農園見学でブラジルへと渡りました。一度あの国を訪れると病みつきになるというのは本当です。内陸ミナスの農園の梯子ばかりでしたがブラジルの持つ魅力にとりつかれ、関西と比べ圧倒的に情報が溢れる東京での生活が一気にブラジル化しましたね。何でもそうでしょうが、生産者の生の顔を一度でも体験すれば、加工者としては心意気に感化され、その生産物を最良の形で提供できたらと思うはずです。だから店のコンセプトはブラジルを音楽と珈琲で楽しむ店となりました。渡伯時は殆ど植物(コーヒーの樹)ばかりでしたので、円盤探しに再訪問を夢見ました。未だに達成できていませんが。予定通り1年の修業を終え、大阪へ戻り、そして開業。あっという間に10年が経過しています。日々の珈琲と音楽の積み重ねが今日に至ります。


林;そうなんですか。ブラジルはまず最初に珈琲農園なんですね。ほんと、あの国の人たちに触れると世界観が変わりますよね。さて、みんなに聞いているのですが、これから音楽はどうなるとお考えでしょうか?


山崎;難しい質問です。「最近の若者は.........」という枕詞で対象の否定語が続きます。映画だって、音楽だって、活字だってなんでもそうです。自分より下の世代は、かつて自分が狂おしいほど夢中になったものに、それほど執着がないのは事実かも知れません。これからどうなるかなんて全く分からないのですが、自分はデータ配信には興味が薄く、アナログであれ、CDであれ、実物を探し続けて、やはり手に入れたときの快感はかえがたいものです。片思いは変わらないのですが、時間と手間、資本の許す限り、音楽へのお布施は続けていきたいと思います。しかし時々自分の増大する蓄積音盤が果たしてどうなるのか不安になります。興味の薄い家族にとっては単なる燃えないゴミでしょう。年々記憶が怪しくなり、把握できる許容を越えた情報量が脅威となるかもしれません。「何枚持っているか?」とは絶対聞かないでください(笑)。


林;お布施っていうのがやっぱり(笑)。奥様は理解がないんですね。僕の場合は妻も元レコード屋なんですごく楽ですが。それではみんなが待っている「選曲」に移りましょうか。まずテーマは何でしょうか?


山崎;テーマは「片思い音楽」。所謂失恋ソングというより、私的な音楽への片思いの遍歴です。決して実らない一方的な思いですが、同時にそれは今の自分を形作っています。恥ずかしい過去の遍歴を紐解いていきます。


林;(笑)


01. Carmen Cavallaro 愛情物語(The Eddy Duchin Story)より「BRAZIL」

山崎;実際に映画を観たのはずっと後ですが、数少ない父の持っていたLP。自伝映画のサウンドトラックですが、劇中のピアノ演奏はCarmen Cavallaro。ムーディーなカクテテルピアノ的な演奏は何か訴えるものがあったのでしょう。今でもCDを持っています。後付け理論ですが、今に至るアリ・バホーゾ「BRAZIL(Aquarela do Brasil ブラジルの水彩画)」への偏愛、そして同名のテリー・ギリアムの映画のタイトル曲への最初の刷り込みも全てここから始まったのです。余談ですが店のメニューにも「水彩画のミルクコーヒー」ってのがあります。


林;僕もあの映画も含めこの世界、大好きなのですが、あの映画、こういう演奏ってブラジル人はどういう風に感じているんでしょうかね。


02. Francis Lai「男と女(Un Homme Et Une Femme)」

山崎;ダバダバと映画絡みをもう1曲。自分が生まれた年に制作、公開された作品。当時大ヒットしたのでしょうね。ゆりかごの中でダバっていたのかもしれません。複数のバージョンでの演奏が父のレコードにあり、いまだに自分でもこの曲のカバーはついつい手に取ってしまいます。アヌク・エーメのアンニュイな色香、全てのショットが奇跡的にフォトジェニックな映画は時折無性に観たくなり、サントラもまた店内で繰り返して聴いています。

林;僕も何回観たかわかりません。映画って「世界観」をフィルムの中に閉じ込めることなんだなあとこの映画で知りました。


03. The Style Council「Blue café 」

山崎;そろそろビッグバンの登場です。アルバム通して諳んじているくらい繰り返して聴いた盤です。全て捨て曲なしの名盤ですが、短いインストのこの曲は自分の映画に不許可使用したひときわ思い出の曲です。けだるいギターとストリングスが劇中の回想シーンで夏の終わりの海辺(琵琶湖ですけど)をけだるく歩く白いドレスの女性の姿を脳裏に蘇えらせます。今聴いても何とも切ない曲です。


林;どの曲を選ぶのかすごく悩まれたのではないでしょうか。これを選ぶというのが山崎さんらしいですね。


04. Sly & The Family Stone「Que Sera Sera」

山崎;スライ一番の偏愛盤『Fresh』からの1曲で「In Time」と並んで好きな曲です。
新京極の映画館でのオールナイトで「ウッドストック」を観て以来、衝撃的にはまったバンドですが、今も変わらぬ偏愛を続けています。ヨレヨレでダウナーなスライの声とスカスカのリズムが聴くたびに、人生なるようになるさという勇気を与えてくれます。


林;スライは山崎さんは『Fresh』を選ばれるの、すごくわかります。人の内側に向かっていく感じがたまんないアルバムですよね。


05. David T Walker「What's going on」

山崎;Marvin GayeやDonny Hathawayなどニューソウルへの憧憬は現在も進行中です。90年初頭のアシッドジャズから始まったレアグルーヴやジャズファンクのブームはどんぴしゃりの渦中でした。これもスタカン、ポール・ウェラーから繋がる余波なのですけど。特にこの曲が好きで、Bernard Purdieなど豪華メンバーでのライブはこの渋谷ではなく、心斎橋で体験しました。演奏されたこの曲で、何故か涙がボロボロと流れて、ギターという楽器の持つ感情を揺さぶる魔力に参ってしまいました。


林;メロウですねえ。山崎さん、こういうので涙がボロボロな方なんですね。良いですねえ。


06. Joe Henderson「Blue Bossa」

山崎;そろそろジャズを1枚。ブルーノートに始まったジャズ遍歴です。演奏うんぬん以前にジャケットの格好良さが先行しました。フランシス・ウルフとリード・マイルスによるあのレイアウトと写真のトリミングはいつまでも眺めていたくなり、文字デザインに目覚め、開業時の店名が「タイポグラフィ」となるに至ります。この曲だけは何故か実際に失恋時に繰り返して聴いていた記憶があり、本物の片思いソングです。


林;あ、店名はそういう流れがあったんですね。失恋曲、誰にでもありますね。その曲を聴くとあの女の子のことを思い出す曲。


07: Caetano Veloso「Cucurrucucu Paloma」

山崎;カエターノ・ヴェローゾにはまるきっかけの1曲は2本の映画です。ペドロ・アルドモバル「トーク・トゥ・ハー」、そしてもう1本ウォン・カーワイ「ブエノスアイレス」で使用されていました。前者は劇中の演奏シーンがあり、その怪しさはまさに「なんじゃこれはっ!」的に衝撃でした。既に「ドミンゴ」とかは聴いていたはずですけど、強烈だったのは映画のシーンの方でした。後者もいろいろと思い出深く、妻が偶然店に飛び込み営業に来て、初対面なのに何故か好きな映画の話で盛り上がり、店内でこのサントラ盤を聴いたものです。本人は覚えていないそうですが。余談ですがこの二人の監督は自作での音楽チョイスには唸ります。偏愛ポイントがはっきりしており、実は結構ベタでミーハーな王道なのですが、似た趣味なら、絶対たまりませんよ。


林;奥さまとそんな出会いが。さらに本人が覚えていないってまた素敵です(笑)。


08: Glenn Gould「Bach The Goldberg Variations」

山崎;クラシックは門外漢ですが、唯一の例外がグレン・グールド。冒頭の「Aria」を聴くたびに胸を掻き毟られる衝動が止まりません。どちらかといえば81年再演版の方が好みです。今は曲買いで、色々な演奏を見つけるたびに買ってしまいます。


林;意外なグールドが登場ですね。一度グールドにはまると全部聴きたくなりますよね。


09: Gretchen Parlato「Flor De Lis」

山崎;元々のジャヴァンも好きなのですが、これは完全に原曲越えの偏愛曲。ブラジル音楽をまぶした女性ジャズボーカルというツボがあります。愛情をこめて非ブラジルによるブラジル音楽をインチキブラジルと呼んでいました。一時期この盤は本当にしばしば店内で流れていました。間奏前の男声コーラス(多分ギターのLionel Loueke)が、さりげなく寄り添う瞬間、まるで神が舞い下りたかのような鳥肌が伴います。どうしようもなく好きすぎる曲です。


林;非ブラジルによるブラジル音楽にはまるあたり、山崎さんのチョイスのテイストがすごくわかってきました。確かに男性コーラスが寄り添う瞬間、鳥肌ですね。


10: 探偵物語オープニング「Bad City」

山崎;片思いの時期は前後するのですが、最後に珈琲屋の原点の1曲。珈琲を辿っていくとその源流となるのが松田優作演ずる工藤俊作の1杯です。劇中で依頼者へ珈琲をブラックで提供していました。サイフォンに憧れ、自分でも一時期ずっとサイフォンで珈琲を点てていて、挙句の果てはサイフォンメーカーに修行の為に就職したのですから。ちなみに工藤ちゃんのブレンドはキリマンジャロ2、モカ1、ブルーマウンテン3らしい。いまだに自分で試したことはありませんけどね。


林;工藤ちゃんの飲食シーン、後の日本人に大きく影響を与えましたよね。僕としてはティオペペをボトルで飲みながら食事をするというのがカッコいいなあ、いつか真似してみたいなあと思いました。


さて、山崎さん、最後に何か宣伝みたいなものはありますか?


山崎;この年末で開店10年を迎えます。早いものです。これまでのご贔屓本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。


林;ありがとうございます。みなさんも是非、チッポグラフィアさんへ行ってみて下さいね。山崎さん、お忙しいところどうもありがとうございました。


●TIPOGRAFIA HP→ http://www.tipografia.sakura.ne.jp/about.html

●山崎雄康さん twitter→ https://twitter.com/tipografia_




そろそろ夏が近づいてきましたね。また新しい恋が始まるのでしょうか。
それではまた来月もこちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
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12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
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vol.46 - お客様:田村示音さん(the sleeping beauty)


【非音大出身者のためのクラシック】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はthe sleeping beautyの田村示音さんをゲストに迎えました。


林;こんばんは。お飲み物はどうしましょうか?

田村;赤ワインをグラスでお願いします。初夏の夜にお勧めなものはありますか?

林;初夏にあう赤ワインですか。でしたらアルザスのピノ・ノワールなんてどうでしょうか? チャーミングで良いですよ。

田村;お願いします。

林;早速ですが、お生まれは?

田村;生まれたのは1965年、場所は四国の松山です。といっても、2才の時に千葉に引っ越したので、残念ながら松山の記憶は思い出せません。でも母がよく「千葉は田舎だ。文化が無い。松山では...」とぼやいていたので、いつか再訪してみたいと思ってます。

林;四国だったんですね。小さい頃の音楽のことを教えていただけますか?

田村;小学4年までは親の務める会社の社宅に住んでいました。いわゆる団地街で、あるブロックは三井化学、あるブロックは住友化学の社宅と、住んでいる場所で会社がわかるという、いま考えると不思議な環境ですね。小学1年の時、階段を挟んだ隣に住んでいるお姉さんがエレクトーンを習っていて、親に自分も習いたいと言い張ったそうです。エレクトーンには地区大会などもあり、しばらくは熱心に弾いていた記憶がありますが、小学4年の時に引っ越すことになったのと、級を上げるために高い機種への買い換えを薦める様子に違和感をおぼえて、止めてしまいました。

林;なるほど。

田村;小学生時代の音楽環境といえば、家がキリスト教だったので、日曜日に賛美歌を歌う経験は大きかったですね。賛美歌って、事前に習ってから歌うのではなく、その場で周りに合わせて歌わなければならないことが多いので、初めての曲の場合は「タラララ・ラララー」と歌ったら、次は「タラ・ラーララー」かな?などと、次のフレーズを予想しながら歌う癖がついてきて、自然と即興でメロディや曲の構成を思い浮かべる訓練になっていた気がします。もちろん、予想が外れて見当違いなメロディーで声をあげて恥ずかしい思いをすることも、しょっちゅうでしたが(笑)

林;讃美歌体験って大きいという話は色んな人からよく伺います。中学になるとどうでしたか?

田村;中学進級時、家族で秋葉原に行ってターンテーブル、チューナー、カセット・デッキが揃ったシステムを買ってもらったのですが、はじめて自分のお金で買ったレコードは「STAR WARS」のサウンド・トラック盤という、普通の中学男子でしたね。当時は、中1の間は月1,000円、中2で2,000円とお小遣いも少なく、アルバムはなかなか買えなかったので、ラジオや、それを録音したカセット・テープが音楽生活の中心でした。

林;エアー・チェックですよね。

田村;特によく覚えているのが、小林克也さんがDJをしていた「ライブ・フロム・ザ・ボトムライン」という番組で、ホール・アンド・オーツの「サラ・スマイル」に痺れた記憶があります。そのサウンドは今でも頭に浮かぶくらい最高な演奏で、ライブ音源があったら手に入れたいくらいですね。

林;お持ちの方、いらっしゃいましたら、JJazzさんの方にご連絡を!

田村;同じくFM東京に、1日2、3曲、1週間でアルバム全曲がかかるという番組もあったのですが、そこで録音してはまったのが大貫妙子さんの「Cliché」でした。高校時代になると、少しは小遣いも増えてアルバムも買えるようになったので、「SIGNIFIE」以降はリアルタイム、それ以前のアルバムは遡って購入していきました。

林;大貫妙子って示音さんの世代にはすごく大きい存在みたいですね。

田村;小学4年の時にエレクトーンを止めてから、音楽の授業以外に楽器を演奏することは無くなったのですが、大学に入って突然にクラシック・ピアノの愛好会に入りました。そこには親切な先輩がいて、初歩から指導してくれたんですね。サークルでは年2回の演奏会があって、そこで弾く曲を決めて練習していくのだけど、さすがに「エリーゼのために」を大学生の演奏会で弾くのもちょっとなぁ、ということで、エリック・サティの「ジムノペティ」、「グノシエンヌ」、「彼の鼻眼鏡」、ドビュッシーの「小さな羊飼い」、「雪の上の足跡」など、「音数が少なくて、弾けそうな曲」を探して弾くようになりました。そうした演奏会で自作の曲も混ぜて弾くようになったのが、いまの the sleeping beauty の萌芽になっています。

林;「音数が少なくて、弾けそうな曲」ですか...。なるほど。

田村;クラシック以外では「イギリス音楽の時代」がしばらく続きました。ケイト・ブッシュ、XTCといったメジャー・レーベルのアーティストだけでなく、 シェリアン・オルファン、ペイル・セインツ、コクトー・ツインズなどの4AD、ドゥルッティ・コラムのファクトリー、チェリー・レッド、エルなどインディペンデント・レーベルから面白い音楽がいっぱい出てきて、飽きませんでした。ベルギーのクレプスキュール、フランスのサラヴァなどもあったから、イギリスの時代というよりインディ・レーベルの時代だったと言った方がいいかな?

林;ああ、懐かしいです...。さて、みんなに聞いているのですが、これから音楽業界はどうなると思いますか?

田村;レコードやCDを作って食べていく、という産業が縮小しているのは事実でしょう。ただ、飲食業界でも、景気が良く地価が高騰している時代は大資本やチェーン店でなければ出店できない場所で、家賃が下がってくると個人経営で面白いお店がぽつぽつと増えてくる、ということがありますよね。音楽業界も、録音、プロモーションに大金が必要な時代は大手のレコード会社に圧えられていたところ、独立系レーベルや自主制作でもおなじ土俵に立って作品を発表できるようになったというのは、悪いことではないと思います。

林;ポジティブで良いですねえ。

田村;最近の若者はYouTubeを観るばかりでアルバムを買わないと言われますが、僕も学生時代はラジオ、貸レコードやカセット・テープ中心の生活だったので、彼らを非難する気にはなれません。いいものにお金を払うというのは、大人の責任ですよね。きちんと音響設計された空間やスタジオで、経験豊かな匠によって録音、ミックス、マスタリングされた作品を買って、じっくりと聴く。ライブに出かけて、言葉にならない感動を覚える。そんな「時間」、「体験」の素晴らしさを伝える努力をしていけば、「もの」を買うことへの興味が薄いといわれる世代にも、「かけがえのない体験には対価を払っても良い」という気持ちを育てていくことができるのではないでしょうか?

林;「いいものにお金を払うというのは、大人の責任」これは、もう本当にその通りです! 今後のご予定は?

田村;具体的な予定はないけれど、生きている限り「この感じを記録しておきたい」、「形にして共有すれば、何か感じてもらえるかもしれない」という瞬間はなくならないと思います。それが音楽作品という形になるのか、ライブ演奏という形になるのかは不明ですが、どこかで出会ったら、聴く時間を持っていただけるとうれしいです。

林;みなさん、the sleeping beautyに、出会ってくださいね。それでは、みんなが待っているらしい選曲に移りましょうか。テーマを教えて下さい。

田村;「非音大出身者のためのクラシック」というテーマはいかがでしょうか? 僕自身が「非音大出身」なので、正規の教育を受けてきた方には「何を言ってるんだか」と呆れられる内容だと思いますが、「ジャズやボサノバはよく聴くけれど、クラシックはあんまり」という方には楽しんでもらえるかもしれません。

林;面白いテーマです。では1曲目は?


01. Arthur Honegger: Romance

田村;オネゲルは、エリック・サティに続く「フランス6人組」の一人です。『パシフィック231』という蒸気機関車の動きを思わせる曲など、迫力のある作品も多い作曲家ですが、このフルートのための「ロマンス」という3分足らずの小曲は本当に愛らしくて、大好きです。旋律の動き、転調の仕方が、ちょっと大貫妙子っぽいですよね?

林;オネゲル、僕は『パシフィック231』のイメージしかなくて、こんなロマンティックな曲があるんですね。確かに大貫妙子的です。


02. Darius Milhaud: La Cheminée du Roi René, Op.205

田村;同じくフランス6人組を代表する作曲家、ダリウス・ミヨーの木管5重奏作品です。ジャン・コクトーがサティ、6人組を擁護したアフォリズム集『雄鶏とアルルカン』の中に書いた「その中で泳げる音楽でも、その上で踊れる音楽でもない。その上を歩ける音楽を」(佐藤朔訳)という言葉の通り、簡素で明晰ながら、はぐらかし、ひねりといったユーモアに溢れていて、聴いている間ずっとニヤニヤしてしまいます。その点では、ジョアン・ドナートの「かえるの歌(O sapo)」みたいですね。『雄鶏とアルルカン』が収められたジャン・コクトー『エリック・サティ』(深夜叢書)は、小さいけれど装幀、用紙の選択など細部まで気が配られていて、手にするたびに「紙の本って、いいなぁ」と思わせてくれる一冊なので、古本屋などで見かけたら手にとってみることをお勧めします。

ジャン・コクトー『エリック・サティ』(深夜叢書)(BOOKS+kotobanoie)

林;示音さんの博識さがたまんないです。今、これを見た文科系女子がキューンと来てますよ(笑)。

田村;いやいや、博識なのではなくて、偶然に良い本や音源に出会う運に恵まれているだけだと思います。


03. Claud Debussy: Sonate en fa majeur pour flûte, alto et harpe

田村;コクトーの『雄鶏とアルルカン』では、「ペダルがリトムを溶かし、近視眼的な耳にお誂え向きの、ぼうっとした一種の気候を作り出している」などと批判されているドビュッシーですが、晩年に作曲された「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」は、少しも「ぼうっと」していません。この作品が到達した自由さ、純粋さは、後にも先にも他に類を見ないレベルだと思います。各楽器のフレーズが別のフレーズを触発する感じは、ビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンのトリオなど、最上級のジャズ・ミュージシャンによるインタープレイを思わせます。ドビュッシーは、耳を澄まして、遠くに聴こえる旋律を手繰り寄せる天才ですね。

林;「ドビュッシーは、耳を澄まして、遠くに聴こえる旋律を手繰り寄せる天才」という言葉にくらくら来てます。


04. Gabriel Faure: Piano Quintet No.1

田村;作曲されたのは1903年から1906年と、先ほどのドビュッシーのソナタより約10年前の作品です。ベルトラン・タヴェルニエ監督の映画『田舎の日曜日』に使われた「ピアノ五重奏曲第2番」もいいですが、この「第1番」の2楽章は、「美しい音楽の定義は?」と問われたら「これです」と差し出したい作品です。旋律、和声ともとても美しいのだけど、その美しさに酔わず、ためらいや儚さを感じさせるからでしょうか。このビデオ、ノイズ混じりで、画像も乱れる所もあるけれど、いい演奏なので我慢してみて下さい。

林;フォーレ、僕そんなには聞いていないのですが、ピアノ五重奏曲良いですよね。「その美しさに酔わず」という個所、本当にわかります。


05. J.S. Bach - Canons

田村;時代がフォーレから飛びますが、バッハです。このカノン、追っかけ合うフレーズの単位がとても短く、ほとんどミニマル・ミュージックみたいに聴こえますよね。作品のBWVを見ると1072から1078と、BWV1079の「音楽の捧げもの」の直前にあたります。「音楽の捧げもの」も実はアバンギャルドな曲ですが、ここに並んだカノンには遊びが感じられ、音の重なりによるモワレ効果といった音響的な実験も楽しんでいたのでは?とさえ思わされます。

林;ほんとミニマル・ミュージックそのものですね。「バッハが全部やりつくしてた」とよく言われますが、ほんと、そうなんですね。


06. Terry Riley: In C Mali by Africa Express

田村;ミニマル・ミュージックといえば、フィリップ・グラス、テリー・ライリー、スティーブ・ライヒが有名ですね。個人的に一番良く聴くのはスティーブ・ライヒなのですが、このアフリカの音楽家によるテリー・ライリー「In C」は、映像、音ともに最高で、40分間、どっぷりと楽しめます。昔、トーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」、ローリー・アンダーソンの「0 & 1(Home of the Brave)」など、ライブ映像を収めた映画を映画館で観る、ということがありましたが、これは、そうやって映画館の大画面、音響設備で観てみたい作品です。

林;うわ、こんな映像があるんですね。めちゃくちゃカッコいいです。確かにこれは映画館の大画面で観ると、みんなでトリップ出来ますね。


07: Kate Moore: Dances & Canons by Saskia Lankhoorn

田村;映画といえば、これはたった3分半の「アルバム宣伝ビデオ」なのだろうけど、初めて観た時に映画を1本観たような感触が残りました。ケイト・ムーアは1979年生まれのオーストラリア人作曲家です。アルバムのライナーノートでは、「自分はミニマリストだと考えていますか?」という問いに対して、「ミニマリズムって、私にとっては、特定の時代と場所で特定のグループに属した人たちを指し示す言葉だわ。私は数世代後の人間なので。調性があり、繰り返しパターンを使っているという意味で共通点はあるかもしれないけれど、その点にこだわっている訳ではないの。ミニマリストが、時間経過によるプロセスを構築するためにパターンを使うのに対し、私は求める色、形、場を生み出すために使っているだけ」と語っています。

林;アルバムの宣伝ビデオなのに、このテンション。ECMってやっぱりすごいですね。


08: Laura Mvula: NPR Music Tiny Desk Concert

田村;これはいわゆる「クラシック」ではありませんが、紹介させてください。ローラ・マヴーラ本人はバーミンガム音楽院卒、妹さんがヴァイオリン、弟さんがチェロを弾いているので、音楽一家ですね。もう、和音の選び方、その流れと歌を聴いているだけで泣けてくるほど、素晴らしいです。

林;うわ、ほんとすごく泣けますね。なんでこんなに涙腺に訴えかけるんでしょう。


09: Sufjan Stevens: Holland

田村;2012年には現代音楽、ポピュラー音楽の垣根を超えて活躍する作曲家ニコ・ミューリー、ブルース・デスナーと「プラネタリウム」というコンサートを開いていたスフィアン・スティーヴンス。最新作の「Carrie & Lowell」も素晴らしいアルバムですが、僕が最も好きなのは、この曲と、クリスマス関連の曲を集めたボックス・セットに収録された「The Worst Christmas Ever!」の2曲です。世の中には、とても良く出来ているけれど聴く気がおきない曲と、拙さが残っていても聴かずにおれない曲があるのですが、その違いは「切実さ」の有無だと思っています。スフィアン・スティーヴンスに惹かれるのは、いつもヒリヒリするほどの切実さを感じるからかもしれません。

林;示音さんの「その違いは切実さの有無だと思っています」に1票を投じます! あらゆる表現行為についての完璧な言葉だと思います。


10: the sleeping beauty: prairie home suite part 1

田村;最後に、私達のアルバム『auguries』から。発売時に林さん達からいただいたコメント、雨と休日さんなどのお力添えもあり、多くの方に聴いていただくことができました。ありがとうございます。

http://www.madeleinerecords.com/artists/the-sleeping-beauty/auguries/(madeleine records)

林;示音さんの選曲を聴いた後にこれを聴くと心に沁みますね。

それでは示音さん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。the sleeping beautyの今後の活動、期待しております。


そろそろ日本は梅雨の時期ですね。鬱陶しい季節ですが、この雨をこの列島の緑は待ちわびているんですよね。雨の季節にあわせて、示音さんの音楽、聞いてみて下さい。

それではまた来月、こちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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thesleepingbeauty500.jpg

■タイトル:『auguries』
■アーティスト:the sleeping beauty
■発売日:2008年11月17日
■レーベル: Madeleine Records
■製品番号:MARE-008

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[収録曲]

1. prairie home suite - part 1
2. prairie home suite - part 2
3. prairie home suite - part 3
4. prairie home suite - part 4
5. clock
6. á la musique
7. till it comes
8. in the park


ピアノの響きが空気に漂い、声、アコーディオンとサックスが流れを起こす。春や秋の訪れを知らせる、柔らかい空気。霧雨の向こうから聴こえてくる鳥や虫たちの声。遠くで遊んでいる子どもたち。そんな、日常のささやかな存在に気付かせてくれる音楽。「エコール・ド・坂本龍一」入賞後、カフェ、ギャラリー、美術館等で演奏を続けてきたthe sleeping beauty。2008年春、森岡書店にて行われた高木やよいの個展で限定発売され好評を博したCDを、susanna 等の仕事で知られるボブ・カッツがリマスタリング。NHK「世界美術館紀行」、NHK Hi Vision「岡本太郎~全身で過去と未来を表現した男~」などで使用され、ミュージアム・ショップを中心にロングセラーになった前作『liv』同様、日常生活の様々な場面で繊細な感覚を呼び覚ますBGM としてだけでなく、ソファに沈み込んで聴く喜びも味わえるアルバムに仕上がっている。

●madeleine records web
http://www.madeleinerecords.com/

●the sleeping beauty facebook
https://www.facebook.com/pages/the-sleeping-beauty/230264537768


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●TEL/03-5458-4185
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vol.45 - お客様:川嶋繁良さん


【定年退職の日に聴いたら泣いちゃうカモ♪、な10曲】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回はジャズ・レコードのコレクターとして有名な川嶋繁良さんをゲストに迎えました。

林(以下H);こんばんは。早速ですが、お飲物はどうしましょうか。

川嶋(以下K);え~と、素っ気ない感じの白ワインをグラスでお願いします。それと青魚のコンフィを。

H;素っ気ないですか(笑)。ではミュスカデ・セーヴル・エ・メーヌにしますね。魚は今日はイワシですよ。さてさて、小さい頃の音楽の話をお聞かせいただけますでしょうか。

K;"ス~ダラ節"を歌う供だったみたいです。母は「わが子ながらあなたがス~ダラ節を歌う姿が嫌いだった」と言っていました。そこは"シャボン玉ホリデーが好き"と理解して欲しかったところなのですケドね(笑)。

H;あの、読んでいる人、僕も含めてほとんど意味が分からないかもしれません...(笑)

K;幼稚園時代には、音楽教室に通っていました。オルガン主体のグループレッスンで、この教室は本当に楽しくて一生懸命練習していたように思います。当時の譜面を見返すと「お~、こんな難しいの弾いてたんだ!」と思ったりします(笑)。

H;さすが東京っ子ですね。そういう雰囲気あったんですね。

K;そして、小学校に上がるときになって両親が「まあ、飽きずに弾いているから....」とアップライトのピアノを購入してくれて、個人レッスンに通うようになりました。ところがこれが結構つらくて....。そのうち練習をさぼるようになりました(笑)。

H;男の子はそんな感じですよね。

K;そして高学年になって衝撃的な、吉田拓郎の出現です。もちろんフォークギターをねだりました。平凡/明星の歌本の時代です(笑)。小学校卒業時の謝恩会でのクラス合唱(余興)ではギター4本くらいで伴奏しました。中学校にあがるころにはお約束の「ビートル・シャワー」です。

H;初めて買ったレコードは?

K;シングルは『結婚しようよ/吉田拓郎』、アルバムは『ミート・ザ・ビートルズ(日本編集盤)/ビートルズ』
です。

H;吉田拓朗とビートルズが並列してるんですね。こういう感覚って聞いてみないとわからないものです。さて、中学になりますが。

K;バイブルはミュージック・ライフですよね。周囲の仲間も電装化が加速していきます。"スモーク・オン・ザ・ウォーター"が踏み絵の時代です。私は当時から"ロック魂"が薄く、ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、CSN&Y等々、歌のバックのギターをまねするようなタイプでした。

H;なるほど。ディープ・パープルの方か、サイモン&ガーファンクルの方かという住み分けがあったんですね。日本人はチェックしてましたか?

K;このころ荒井由美、ミカバンド、キャラメルママなんかの実演を観ています。ユーミンはバックバンド"パパレモン"を従えて、靴から帽子からスーツから真っ白な衣装で足で鍵盤叩いたりしていました(ピアノも白かったカナ?)。あと細野晴臣の"火星歩き"とか(笑)。

H;うわ、そういうの体験されてるんですね。演奏は?

K;ギター2本で、オリジナル曲を作って歌ってました。"歌声喫茶"のフォークソング・ナイトや公会堂クラスのイベントに出たりしました。

H;高校はどうでしょうか?

K;高校生になって変化があったのは、聴くのがジャズ一辺倒になっていった事ですね。高校を中退して音楽(jazz)の専門学校に通いだした友人からジム・ホールの「コンチェルト」とウエス・モンゴメリの「ロード・ソング」を借りて、もう本当に引き込まれてしまいました。幸せなことに、最初からジム・ホール、チェット・ベイカー、ロン・カーター、スティーブ・ガッドらの演奏に触れていたのです。その後、徐々に収集癖が表出して、お定まりの中古レコード屋さんめぐりの開始です(笑)。(それと、ジャズ喫茶でスイング・ジャーナルのバックナンバーを読むふける、とか:笑)

H;転んでしまいましたね(笑)

K;ECMとかジャズのソロピアノを聴いて、逆にクラシックのピアノ曲(特に印象派)への興味が湧いたりしているうちに、自分から望んでピアノのレッスンを再開することになりました。

H;高校生の頃にECMと向かい合ってるんですね。

K;映画を撮るっていう同級生から「音楽もすべてオリジナルにしたい、やってくれる?」と打診を受け、2人でいろんな楽器を持ち替えながら演奏してBGM素材集を作ったこともありました。

H;なんか東京の高校生って感じ羨ましいです。

K;その後、大学に入るまではしばらくはプータロー生活で喫茶店のホール係とかレコード店とかでのアルバイトに勤しんだり。お酒を覚えたりして楽しい時期ですよね。このころもジャズのレコードを集め続けています。クロスオーバー全盛時代ですね。

H;大学時代はどうでしょうか?

K;アルバイトとジャズ喫茶(と学校:笑)だけに時間を費やしていた様な気がします。ジャズ喫茶はあちこち訪ねるのではなく、ほぼ決まったところに入り浸っていました。楽器は部屋でたまに触るくらいです。もちろんレコードは一生懸命集めていました(笑)。

H;音楽を仕事にしようとは思わなかったんですか?

K;思いませんでした。そんな器量はないし(泣)。マスコミ関連などは高嶺の花ですし(笑)。まあ、誰でもそうかもしれませんが、楽器を持てばミュージシャンを夢み、小説を読めば小説家を夢見る時期を過ごしてはきたのですが、なんとか自分の生業とできそうな仕事をと思い、IT(ソフトウェア)業界にもぐりこみました。そして、水があったのかこれまで楽しく過ごしてこれました。

H;なるほど。

K;私が就職した頃は、"玉椿"、"レッドシューズ"、"ミント"、"霞町"、"島崎夏美"といったところがキーワードでしょうか?チェット・ベイカーを観れたことは幸運だったと思います。とはいえ私は"ライブよりレコード"というタイプでしたのですケド(笑)。

H;演奏はやめてしまったんですか?

K;30歳手前くらいのころBAR:Newburyで親しくなった人たちと「楽器できるの?。俺もやってたよ」という様な会話になり、「それじゃ一度集まって何かやってみようか」と...。で、そのまま今日(27年目)に至るまで一緒にバンド活動を続けています。月に一度は練習に集まって飲んで(笑)、年2~3回ほどライブに参加しているような感じです。バンドを続けていたらいつのまにか「おじさん(&おばさん)バンド」なっていました(笑)。途中で派生したユニットもいくつかあって、私はボサノバ・チームでギターを弾いたりもしています。いろいろ続けてこれたのは、ライブを行う機会に恵まれている、ということも大きいのかもしれません。

H;みんなに聞いているのですが、音楽ソフトはこれからどうなると思いますか?

K;「音楽ソフトがなくなる」と云う話は、長いスパンで考えれば間違いないのかな、と思います。ネットワークがさらに成長していけば、かなり高音質の音楽ファイルを転送することも容易でしょうし、オーディオ機器もネットワークに接続されて、現在の映画コンテンツの配信がそうなりつつあるように、自宅で数多のタイトルのなかから悠々と聴きたいソースを選ぶようになる、と。まあ、無くなると云うよりも変質するのでしょう。ネット配信になると「1曲主義」が進行するのかもしれません。気に入らないアルバム曲に付き合う必要はない、と。もともとヒットチャート的潔さはあるはずなのですけど。「アルバムという言葉を覚えている?」というプリンスの発言はポップスの世界でアルバムと云う概念が崩壊しつつあって、そのことにプリンス自身は好意的ではないことから発せられたのだと思います。グラミーの"アルバム賞"が無くなる日がいつか来るのでしょうか?

H;なるほど。本当にそうだと思います。

H;東京都内のオススメ音楽が聴ける飲食店を、いくつか教えてください。


K;まず「ナルシス」です。
新宿歌舞伎町にあるJazz喫茶/BARです。大学生時代からずっとお世話になっています。 20代のころは夜のBARタイムには恐れ多くて伺えませんでした(笑)。

次は「JUHA」「rompercicci」
林さんファンの方々はお馴染みだと思われる Jazz Cafe 2店。 両ご夫妻ともとても深くジャズを聴いていらして頭が下がります。それぞれのお店の個性が感じられるサウンドが素晴らしいです。

そして「North Marine Drive」
説明不要ですね、渋谷宇田川町辺りの素敵なバー。音楽好きにはたまらないお店です。

「SHIGET'S」
新宿三丁目にある Rock/Jazz/Soul BAR 。ご主人のお人柄も大きな魅力の音楽酒場。70年代のロックを中心にいろんなジャンルの音楽が流れます。こちらに集うお客さまにはなぜが楽器を嗜まれる方が多いのです♪。

「Newbury」
西新宿にあるPUB/BARです。音楽はBGM的ですが、とても居心地の良い空間です。時折ライブ・イベントも開催されます。

H;それではみんなが待っている選曲にうつりましょうか。まずテーマですが。

K;「定年退職の日に聴いたら泣いちゃうカモ♪、な10曲」でいきます。

H;そんなテーマですか... では1曲目は?


Hey Bulldog / The BEATLES

Beatles - Hey Bulldog [99 Remix] 投稿者 hushhush112

K;真似したくなるギター・リフとサビでのジョン節全開が魅力のこの曲。ビデオクリップも最高です。スタジオセッションながら素晴らしいバンドの一体感と推進力。1本のマイクで楽しそうに肩を寄せて歌入れするジョンとポール。ちょとおどけるジョージとリンゴ。あちこち溢れる笑顔。観ていると本当に幸せな気持ちになるのです。

H;ビートルズはこれですか。「バンド感」がやっぱりお好きなんですね。


瞑想 / 尾崎亜美

瞑想 ‐ 尾崎亜美 《歌詞付き》 ☆彡 投稿者 green7coralreef1dm

K;天才的メロディーメーカー尾崎亜美。その若くて儚げで生意気でキラキラと輝く才能を大事に大事に世に出そうとする周囲の大人達の 気持が伝わってくる様なデビュー作。少し後年のアケッピロゲな感じも魅力的ですが、この瑞々しさには得がたいものが有るように思います。バックはキャラメルママxα。エレピも美しいのです♪。

H;尾崎亜美、兄が好きだったのですが、この曲は知りませんでした。すごく良い曲ですね。ほんと、エレピがたまりません。


At Seventeen / Janis Ian

K;耳にする度に「やっぱり好きだな~」と思ってしまいます。心地良いリズムに乗るつぶやく様でいて起伏のあるメロディー、見事なギターワーク、渋く雄弁なベース、控えめで軽やかなブラス、つい間奏をハミングしてしまう程に頭に残るアレンジ。「at seventeen」とだけ歌詞を声に出してしまうことは..、許しくださいませ(笑)♪。

H;良い曲ですよねえ... そう言えば、最近SSW再評価ムーブメントでジャニス・イアンは取り上げられていないような...


Maurice Ravel - Jeux d'eau ~ Martha Argerich

K;ソロピアノを含むECM諸作を聴くようになり、そこからクラシックへ逆流し、ピアノ・レッスンを再開する大きな動機になった曲です。印象派の数々の現代的で美しい曲と、強烈な個性を持つピアニスト達を知ることの端緒ともなりました。どちらかといえば作曲者への興味が強い私ですが、ここはこの美しいピアニストの演奏を♪。

H;おお、今度はラベルですか。アルゲリッチの繊細かつ躍動感のある演奏が本当に水が戯れているようです。


あこの夢 / 鈴木勲

K;時代は"クロスオーバー"。奏者達のジャズからはみ出ていこうとするエネルギーと感傷的な曲想が10代の終わりの青臭い記憶と結びついて忘れられない一曲です(笑)。シンセ(白玉)とベースにのってチェロ(ピチカート)によるテーマがで奏でられれば、心地よい陶酔に誘われます。2本のギターは渡辺香津美と秋山一将。素敵です♪。

H;へええ。こういう演奏があるんですね。当時、日本でもいろんな試みがあったんですね。


Ordinary Fool / Soundtrack

K;映画「ダウンタウン物語」で使われたポール・ウイリアムスの曲。ナット・キング・コールも歌っていそうな雰囲気。でもちょっとモダン。エラ・フィッツジェラルドが取り上げていると知ってとても 嬉しかった。シャーリー・ホーンならどんな風に..。誰よりチェット・ベイカーが歌ってくれていたら..、と空想してしまうのです。

H;心の中で「この曲はあの人の歌で、演奏は...」って考えるの、高度な音楽の楽しみ方ですね。


ハロウィン / The Tights (ザ・タイツ)

K;1988年時点でこのタイトル(笑)。楽しく、美しく、捻じれ、僅かに裏切りを孕みながら素晴らしくポップ。やられました。一色進が率いるタイツに出会ったのはチラシを渡され向かった渋谷LAMAMAでした。当時ジャズ一辺倒だった私に「POPS・ROCKも良いな」と思わせてくれたこの曲。次のハロウィンの時には是非歌ってみてください♪。

H;すいません。僕、このタイツってバンド、知りませんでした。こういう青臭い感じ、川嶋さん、突然好きですよね。


YELLOW YELLOW HAPPY / ポケットビスケッツ

K;コンビニで買い物中に突然流れたのがこの曲でした。「もしも~」という繰り返し部分にショックを受け冷蔵ケースの前でしゃがみこみました。帰り道にふらふらとCDを購入し家で1晩中ループさせる事態に。照れ隠しのような平メロ部はちょっとアレですが..。どなたかこの曲をコラージュして映像を合せてみてはくれませんか?。

H;「ポケットビスケッツって何だっけ?」と思ったら、ありましたね。あの、本気で川嶋さんが好きってこと、僕はすごく理解してますよ。僕も「美しいメロディ」には負けるタイプですので。


齢には勝てないぜ / 吾妻光良 & The Swinging Boppers

K;大好き吾妻光良。私のアイドル・ギタリスト。ジャズ・マナーのビッグバンドを率いて楽しい歌と強烈なギダーを聴かせてくれます。ジャンプ・ブルースと分類されがちですが、もう素晴らしく個性的♪。選曲は「俺の家は会社」他、色々と迷うところですが、ここは素直にこちらを(笑)。あ~、バッパーズのライブを観たいですナ!!。

H;こんな曲あるんですね。今回はもういろんなところから川嶋さん、投げてきますね。さて、最後の曲ですが。


Time on My Hands / Chet Baker (with Bill Evans)

K;1959年。Kind of Blue前夜のマイルスのリズム隊と一人向き合うチェット・ベイカー。夢の様です。アイデアをうまく音にできないのか、もどかしげに俯きがちな旋律を綴るチェット。どこか遠慮がちなビル・エバンス。それでも聴き手に浸透するジャズの"蜜と毒"。スタジオでの彼等の会話を夢想しながら、何度でも聴き返すのす。

H;ジャズは1曲だけ... で、これですか。うーん、川嶋さんのロマンティスト具合がよく伝わりますね。


川嶋さん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。やっぱり音楽って良いですね。

みなさんGWはどういうご予定でしょうか。素敵な音楽に出会えると良いですね。
それではまた来月、こちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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bar bossa vol.44:bar bossa

bar bossa


vol.44 - お客様:新川忠さん(ミュージシャン)


【お気に入りの80'sポップス】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は1月にアルバム『Paintings of Lights』をリリースした新川忠さんをゲストにお迎えしました。


林(以下H);いらっしゃいませ。お飲物はどうされますか?

新川(以下S);じゃあ、ビールください。

H;でしたら、COEDOという川越のビールが美味しいですので、そちらをお出ししますね。さて、お生まれと小さい頃の音楽体験のようなものを教えていただけますか?

S;1977年10月17日生まれです。生まれは東京なんですけど、その後すぐ引っ越したので、育ったのは千葉県の柏市になります。郊外に暮らす会社員の一家なので、ごくありふれた家庭に育ちました。音楽に関する幼少期の思い出と言えば・・・まぁ、音楽を聴くのは家族全員好きでしたね。両親は専らクラシック。7歳年上の姉はMTV世代で(笑)、流行りの洋楽80'sポップスを追っかけてました。5歳上の兄も洋楽好きでしたけど、マイケル・ジャクソンとかクール&ザ・ギャングといったブラックミュージック系を好んでました。末っ子のチビだった僕は、日常のBGMとしてそういった音楽に無意識に親しんでいたように思います。

H;なるほど。かなり年上の洋楽好きのお姉さんとお兄さんがいらっしゃるんですね。最初に買ったレコードは?

S;生まれて初めて好きになってドーナツ盤のレコードを買ってもらった音楽は、ドラえもんの映画の主題歌(笑)。いや、でもこれがいい歌だったんです。大杉久美子さんの歌う「わたしが不思議」という曲なんですけど。子供ながらにジーンとして(笑)。でも小学校時代は音楽にのめり込むということはなかったです。それよりも僕は絵を描くことに夢中だった少年で、絵画教室に通ったりマンガ描いたりして、将来は美術方面に進もうと真剣に考えてました。

H;ドラえもんの映画の主題歌に、絵画教室ですか。イメージと違いますねえ...、その後のお話を聞かせていただけますか?

S;中学生の頃、兄の影響で僕もブラックミュージックを好んで聴くようになりました。90年代を迎えたその当時、アメリカでは新しいR&Bやヒップホップが活気づいていて、そういったシーンにどんどん夢中になっていったんです。結果的にその音楽体験は、美術方面に進もうとしていた僕の進路を大きく変えることになりました。聴いているだけではもはや我慢できず、自分でもこういう音楽を作ってみたいという欲求が芽生えたんです。

H;お、中学でブラックミュージックですか。

S;今なら普通なんでしょうけど、当時はマセた趣味をしたガキだったかもしれません(笑)。高校生になると独学で作曲や編曲の勉強を始めました。楽器も色々やり出しましたが、バンドを組むことはしませんでした。R&Bやヒップホップが日本で一般的になるのはまだ数年先のことで、当時音楽の趣味の合う人というのは周囲には皆無でしたから(笑)。それに演奏して誰かに聴かせたいというよりも、とにかく録音作品を作りたかったんです。それで安いキーボードと4トラックのマルチトラックレコーダーを購入して、いわゆる「宅録」をやり始めたんです。これが面白くてたまらず、もう美術なんかどうでもよくなった(笑)。美術どころかハイスクールライフをエンジョイすることも放棄しちゃって(笑)。完全なるネクラなオタク高校生でした(笑)。それでまぁ、よくある話ですが「高校卒業したら進学も就職もしない。バイトしながらプロのミュージシャンを目指す」と宣言して親や担任を大いに困惑させました(笑)。

H;(笑)周りにはあまりいなかったんですか。さて、大変な道を選んでしまいましたが、その後は?

S;結局、進学も就職もせずフリーターになりました。一応、親からは条件を出されました。1年間だけ好きにやってみろと。それで何もつかまなければ進学か就職をしろと。それでバイトしながらせっせとデモテープを作って。当時はソロのアーティストではなく、ソングライターやトラックメーカーになりたかったので、そういうのを募集しているレコード会社とかオーディションに応募しまくっては無視されるという日々(笑)。悶々としてることもありましたけど、でも個人的な音楽人生においては重要な時期でした。音楽と好きなだけ向き合い、掘り下げた時間だったので。その頃にはブラックミュージックだけでなく、ありとあらゆる音楽に興味を持つようになりましたし、バンドをやったりもしました。作曲やアレンジやミックスのコツを自分なりに発見し身につけていったのもこの時期です。そして約束の1年が経って、僕は悟りを開くんです(笑)。プロになんかならなくっていいやって。好きな音楽を聴いたり作ったりできれば、何をしてたってそれで満足だってわかったんです。

H;僕、25才の娘がいるので、ご両親のご理解が素敵だなあと、違うところに感動してますが...

S;いや、僕の強情に根負けしただけだと思いますけど(笑)。その後は約束通り進学をしました。グラフィックデザインの専門学校に入って、まぁ、就職活動で挫折して2年後にはまたフリーターに逆戻りしてしまうんですが(笑)。とにかくそれ以来、音楽はかけがえのない「趣味」として、今に至るまで作り続けています。

H;かけがえのない「趣味」。才能と金銭的な成功は必ずしも結びつくものではないですからねえ。その後、アルバムを発表しますが、その経緯は?

S;もともと僕はソロのシンガーソングライターになるつもりはなかったんです。ソングライターにはなりたかったけど、シンガーは別の人にやってほしかった(笑)。それで21歳くらいの頃、募集広告で知り合った女の子ヴォーカル二人組とレコーディングバンドを作って、僕の作った曲を歌ってもらったりしてたんです。で、「仮歌」というのを入れるでしょう?まず僕が歌ったものを録音して聴かせるんですけど「新川君の歌のほうがいい」とよく言われて。結局そのバンドはさっさと解散するんですけど、最後に言われたんですよね。「ひとりでやったほうがいいよ」って(笑)。そう言われて、ソロのシンガーソングライターとしての可能性を探り出したんです。どんな歌、どんな曲を作ったら自分に合うんだろうかと。ちょうどその頃よく聴いていたのが50~60年代のイージーリスニング。甘いムーディーなヴォーカルの聴けるボサノヴァや古いジャズのスタンダードです。よくCDをかけながら口ずさんでいたんですけど、こういうのがしっくり来るかもと思って。しかも録音もあの時代そのままの古めかしい感じを再現して。そうやって制作を開始したのがファーストアルバムの『sweet hereafter』です。デモ音源を音楽評論家の高橋健太郎さんの主宰するインディーレーベルMemory Labに送ったところ気に入って頂けて、2003年にめでたくリリースとなりました。

H;なるほど。そんな経緯だったんですね。でも、最初のアルバムが高橋健太郎さんのMemory Labからというのがすごいですね。『sweet hereafter』、僕も聞きましたが素晴らしいですね。

S;ありがとうございます。2年後に発表したセカンドアルバム『Christy』は、ファーストとは全然違うことをやってやろうと思って作りました。実はその2年の間、色々あって僕はけっこう荒れてて(笑)。急にパンクに目覚めたりなんかして(笑)。ダークサイドにアプローチせざるを得ない精神状態だったんです。それでパンクのルーツを辿ってヴェルヴェット・アンダーグラウンドに行き着いて、ああいう暗い影のあるロックアルバムを作ろうと思ったんです。でもこれは本当にしんどい作業でした。負のエネルギーを使って作品を作るというのは、精神的にも肉体的にもボロボロになるってことがわかって。それで僕は疲れきって「もうCDは出さない」と言って、しばらく引きこもることにしました(笑)。

H;セカンドはパンク~ヴェルヴェット後だったんですか。でも、かなりポップな印象がありますよ。そしてその後は?

S;その後何してたかというと・・・80'sポップスを聴いてました(笑)。パンクを聴き出したときに、その流れで80年代のポストパンク、ニューウェーブのバンドにもハマってたんです。その余韻が残ってて、普通の80'sポップスもまた聴きたくなった。「また」というのは、専門学校時代に一度個人的80'sポップスブームがあって(笑)。子供の頃によく耳にしていた姉の好きだったレコードを引っ張り出してきて、懐かしさで聴き出したら夢中になっちゃったんです。実はその時点で今回出したアルバムのアイデアは芽吹いてたんですね。いつかこういうのやりたいと。それで30代に突入してようやく、その「いつか」がついに来たかという感じで、80年代テイストの曲を次々に書き出しました。でも創作意欲は燃えてたんですけど、CDアルバムを出すというのはもう懲り懲りだったんで、ちょうどその頃ミュージシャンの間で流行っていたSNSサイトのMySpaceに登録して、そこで作品を発表していったんです。マイペースに作った作品を「こんなのできました」と言ってアップしてはみんなの反応を見るという感じで。

H;なるほど。そういう流れの80'sだったんですね。Lampとのことを教えていただけますか?

S;LampとはMySpaceを通じて知り合いました。僕はもともと彼らの大ファンだったんです。同世代のミュージシャンの中では突出した才能だと思ってました。それでコンタクトをとってみたところ、リーダーの染谷さんから返事が来て。驚いたことに、彼らも僕のことを知っていて気になる存在だったというんです。そこから交流が始まって、実家が近所だったなんてことも判明して(笑)、音楽家としてのスタンスも似た者同士、関係が深まっていったんです。そんな最中、僕がMySpaceで発表した「ヴィーナスの腕」という曲を染谷さんが非常に気に入ってくれて、会って食事なんかをする度に、あの曲の入ったCDを出してほしいというリクエストをされてたんです。「もうアルバム作らないんですか?」と。それでまぁ、敬愛するミュージシャンにそこまで言われてはと(笑)。これはもう、やらざるを得ないかなと。でも、どうやってリリースするかということについては、しばらく二人とも考えあぐねてたんですが、とうとう染谷さんがLampで自主レーベルを始めるという決意をしまして。彼らも色々あってバンドとして新しい可能性を模索していた時期だったんで、これがいい機会だと判断したんだと思います。そこでその第一弾として僕の作品を出そうという計画が具体的になって、今回のアルバムが発売されることに至りました。だいぶ時間はかかりましたけど(笑)。まぁ、実現できて本当に良かったと思ってます。

H;うわ、良いお話ですね。インターネットって色々とありますが、そういうお話を聞くとやっぱり良いものですね。さて、みなさんに同じ質問をしているのですが、これから音楽業界はどうなると思いますか? 

S;うーん、どうなんでしょう。なるようにしかならないんじゃないでしょうか。まぁ、どうでもいい、というのが正直な感想で(笑)。だって音楽が全てってわけじゃないですから。「何でもアリ」ってことでオーケーだと思います(笑)。

H;すいません。愚問でしたね。すごく新川さんらしいお言葉ありがとうございます。これからはどうされるご予定でしょうか?

S;一人でアルバムを一枚作ると本当にくたびれて、当分今後のことなんて考えられなくなるんですけど、珍しく早くも次のアルバムを作ることを考えています(笑)。年のせいでしょうか。「もうあんまり時間はないぞ」という意識が働いてるのかもしれません(笑)。でも次に自分が一体どんなものを作り出すのか、今非常に楽しみです。

H;次のアルバム、本当に楽しみにしています。さて、このブログ、みんなが「選曲」を楽しみにしていまして。お願いできますか?

S;今回出したアルバムが80年代のポップスへのオマージュなので、月並みですが「お気に入りの80'sポップス」というテーマでセレクト致しました。・・・ちょっと店のムードに合わないかもしれないんですけど(笑)。


a-ha - Take On Me

S;いきなり直球ですけど(笑)。ミュージックビデオも含めて、やっぱり大好きな1曲です。小学生の頃、MTVで見たときは本当に興奮しました。「うわ、カッコイイ!」と思って。その感想は今も変わりません。

H;これが一曲目ですか。確かに「うわ、カッコイイ!」ですねえ。


Level 42 - Children Say

S;バリバリの演奏テクニックを誇る「フュージョン」のバンド、というイメージが強い彼らですが、曲そのものの良さとマーク・キングとマイク・リンダップのヴォーカルが僕は好きで。80'sポップスを真剣に聴き出したとき、一番夢中だったバンドの1曲です。

H;ええと、僕、69年生まれで、新川さんのお姉さんと一つ違いなので、このアルバム、リアルタイムで買いました。「曲そのものの良さ」、納得です。


Basia - Promises

S;ポーランド出身の歌姫、バーシア。日本でもバブル崩壊の前後くらいに(笑)、オシャレな音楽として人気がありましたね。ドラムマシーンとシンセベースで作られたサンバのビートがツボです(笑)。こういう、ちょっと「フェイク」な感じが僕は好きなんです。

H;僕、お店の名前の通り、ブラジル音楽が専門の人間なのですが(笑)、僕もバーシアの「フェイク」のサンバ、すごく好きです。


Scritti Politti - The Word Girl

S;スクリッティ・ポリッティと言えば、きらびやかで緻密に構築されたダンス・トラックが有名ですが、僕の一番のお気に入りは、やや控えめなこの曲。ゆったりしたレゲエのリズムに乗るグリーンのハイトーンヴォイス、そして洗練されたアレンジがたまりません。「おや?」と思わせる奇妙なアウトロも印象的です。

H;スクリッティ・ポリッティはこれですか。PC画面の向こう側でオジサン達が「おおお!」って吠えているのが伝わってきます(笑)。


色彩都市 - 大貫妙子

S;シンガーソングライターとして最も影響を受けたのが、大貫妙子さん。数多い名曲の中で、ご自身もフェイバリットに挙げるこの曲は本当に素晴らしいです。坂本龍一さんとの共同作業で生まれた、まさに魔法のような1曲だと思います。

H;魔法です。本当に。


Prefab Sprout - Moving The River

S;気づくのが遅かったんですが、30歳前後でプリファブの音楽に出合って、もう夢中になってしまいました。とくにこの曲を聴いたときは「これこそ求めていたものだ!」と(笑)。異常な刺激を受けました。いよいよもって「80'sポップス、やりたい!」という欲求に火をつけた1曲です。

H;新川さんの世代って本当に面白いですね。CD再発の波があったので、色んな情報はあふれていましたし、プリファブとの出会いが30歳前後というのが本当に面白いです。


Echo And The Bunnymen - The Game

S;80年代の「ロックバンド」で一番好きなのが彼ら。当時流行りのキラキラした派手なサウンドが「陽」だとすると、彼らは「陰」のバンド。そこに惹かれます。パーティーの隅っこで独りぽつんとしてる、ちょっと影のあるハンサムな青年・・・みたいな魅力(笑)。

H;え、エコバニお好きなんですか? 10曲に入るんですか? そういう印象はあまりないですね。ホント、こういうのって聞いてみないとわからないものですね。


Bangles - Manic Monday

S;好きな80年代の「ロックバンド」女子編(笑)。これは「陽」ですね。ガールズバンドは華やかなほうがいい(笑)。ミュージックビデオも含めて、あの時代特有の「青春」のムードに、元気が出ると同時に切なくなるやっかいな1曲です(笑)。

H;なるほど。バングルズが「陽」ですか。なんとなく新川さん世代がどういう風に80年代を見ているのかがわかってきました。


New Edition - Mr. Telephone Man

S;残り2曲はR&Bでいきます。ニュー・エディションは、80~90年代のR&Bファンにはおなじみの5人組。まぁ、アイドルグループですね。80年代丸出しのシンセ・リフと「アー」というつたないコーラスに胸がキュンキュン言ってしまいます(笑)。これこそ極上のスウィート・アイドル・ポップスではないかと。

H;この流れでニュー・エディションが出てくるんですね。新川さんセレクトのブラック・ミュージックCDを聞いてみたい気がしてきました。


Anita Baker - Sweet Love

S;最後は「ブラコン」・・・って死語ですけど(笑)、ブラコンの女王、アニタ・ベイカーの代表曲で。子供のころにどっかで耳にして、なんかこう、大人の世界への憧れを掻き立てられた(笑)。大人になった今も、この曲を聴くと、そのころの夢見るようなロマンティックなムードに浸れます。

H;ええと、何度も言いますが、僕は69年生まれで、お姉さんと一つ違いなので、この曲は「青春の一曲」だったりします。こういう話題にしたくないですが、世代について色々と感じてしまった選曲でした。さて、最後に『Paintings Of Lights』についてお話いただけますでしょうか?

S;とにかく、大変でした(笑)。長かった。3年もやってましたからね。これ、いつ終わるんだろうと(笑)。ですからアルバムについては、こう、様々な思い出が混沌とした大きな塊になっててですね、それを小さな穴から引っぱり出すようなもので、上手く語ることができないんです。

ただひとつだけ、制作を終えた今つくづく実感しているのは、本当にこれは「趣味」の音楽だなと(笑)。こういうのは趣味じゃなきゃ作れないと思うんです。幼少期を過ごした80年代へのノスタルジーとヨーロッパ的な情景への憧れ、というまったく個人的な感覚から得たインスピレーションだけで作り上げたものなので、これ、Botanical Houseが何千枚も売ろうとしてるレーベルだったら企画が通らなかったですよね(笑)。ですから、こんなシロモノを世に出そうと奔走してくれた染谷さんはじめLampや協力してくれた人たちには本当に感謝しています。そうそう、先程「これからの音楽業界」についての質問がありましたが、こういう無茶をしでかす人たちが必要なんじゃないかという気がします(笑)。

H;最後にすごく素敵な言葉が出てきましたね。新川さん、お忙しいところどうもありがとうございました。では、最後に新川忠さんのニュー・アルバムから「アイリス」をお聞きください。

【新川忠 / アイリス】






●新川忠 BLOG→ http://tadashishinkawa.blogspot.jp/

●新川忠 twitter→ https://twitter.com/shinkawatadashi


もうすっかり春ですね。お花見は行きましたか?
それではまたこちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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【新川忠New Album『Paintings of Lights』】

Paintings of Lights500.jpg

■タイトル:『Paintings of Lights』
■アーティスト:新川忠
■発売日:2015年1月11日
■レーベル: Botanical House
■製品番号:BHRD-1

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[収録曲]

1.アイリス
2.渚
3.霧の中の城
4.カミーユ・クローデル
5.彼女たちの舞台
6.ハワースの荒野
7.シルエット
8.メアリー・ローズ
9.眺めのいい部屋
10.ヴィーナスの腕


クラシカルな西洋的イメージを80年代シンセサウンドでロマンティックに描くポップスアルバム。全ての作詞・作曲・編曲・歌・演奏・録音・ミックスを一人で行う自宅録音のスタイルをとり、独自のセンスに貫かれた作品世界の構築を目指した。

【制作意図】
80年代ポップスファンとして、ここ数年の音楽シーンで聞こえてきたポストパンク〜ニューウェーヴ期を思わせるロックサウンド、テクノポップ風ダンスミュージックといった「リバイバル」には、常々関心を寄せてきましたが、しかし、ぼくが最も惹かれる、あの時代独特のロマンティシズムとセンチメンタリズムに溢れた繊細な歌やサウンドは、まだあまり顧みられていないように感じています。例えば、プリファブ・スプラウト、世界的な成功を収めたa-haの(「テイク・オン・ミー」以外の)隠れた名曲たち、大貫妙子さんの「色彩都市」「ベジタブル」・・・etc。コンセプトに掲げた「クラシカルな西洋的イメージ」、別な言い方をすれば、ある種ヨーロッパ的な情景は、こういった80年代のポップスに散見されたものであります。そんな、今なお根強いファンを持ち、その音楽性を高く評価されながらも、メインストリームからは忘れられてしまった良質の80年代ポップスに、このアルバムを通じて、今、ささやかな光を当ててみたいと思っています。

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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由

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bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

bar bossa
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
12:00~15:00 lunch time
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
お店の情報はこちら
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bar bossa vol.43:bar bossa

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vol.43 - お客様:山本勇樹さん(Quiet Corner、bar buenos aires)


【真夜中のクワイエット・コーナー】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は『クワイエット・コーナー』を出された山本勇樹さんをお迎えしました。

林(以下H);いらっしゃいませ。では早速ですが、お飲物はどういたしましょうか?

山本(以下Y);まだまだ寒いですね。温かいラムをお願いします。

H;かしこまりました。さて、今回の本の元になったフリーペーパーのことから教えていただけますでしょうか。

Y;最初は、旧HMV渋谷店で「素晴らしきメランコリーの世界」という手作りのフリーペーパーを作っていたんですけど、それも閉店とともに無くなってしまいました。でも、読んで面白がってくれた人も何人かいたりして、あとカルロス・アギーレとかもまだまだ広めたいな、という強い気持ちもあったので、2010年の冬に、タイトルを「クワイエット・コーナー」に変えて新たに作り始めました。だから第1号はカルロス・アギーレが表紙を飾って、ちょうど中島ノブユキさんの「メランコリア」とかワールド・スタンダードの「シレンシオ」が発表された時期とも重なっていたので、一緒に並べて掲載しました。

H;ちょうどそういう感覚が重なった時期でしたよね。コンセプトのようなものは?

Y;コンセプトについては、まずジャンル・ミックスというのは前提にあって、しかも"ある種の空気感"をもった音楽を紹介するもの・・・というとすごい伝わり難いんですよね。だからこそ紙面で語りたいというか、いろんな音楽が並ぶことで見えてくる独自の風景を作りたかったんです。「あー、わかる」って言ってもらえるような。"クワイエット"といっても表面的な静けさではなくて、意味合いとしては"平穏"に近いかもしれませんね。とりあえずみんなで仲良く音楽について語ったり、聴いたり、共感したり、そういう気持ちがこめられています。

H;執筆陣がすごいですよね。

Y;執筆陣に関しては、僕は文章に自信がないから、なるべく書かないようにして(笑)。あとはやっぱり色んな人の文章を読める方が楽しいですよね。だから自分は選盤とかディレクションする立場になって、レビューは友人たちに頼みました。

H;書籍化の経緯は?

Y;中村智昭さんが営んでいる渋谷のバー・ミュージックで、シンコー・ミュージックの小熊さんという編集者が、フリーペーパーを手にとってくれたみたいで、その何日後にメールで「書籍にしませんか?」と連絡がきました。それで、いろいろ考えて、今まで紹介した音楽を一冊にまとめてディスクガイドにしたら面白いかもと思って、その提案を引き受けることにしたんです。というのも、僕自身、たくさんジャケットが並んでいるようなディスクガイドが好きだし、単純に自分が読みたいという気持ちもあって、あとここ数年、個人的な趣味が出たようなディスクガイドがあんまりなかったから、このタイミングで出たらどんな反応がかえってくるのかなと。

H;バー・ミュージックに置いてたのがきっかけですか。やっぱりお店を介して繋がっていくことってよくあるんですね。小熊さん、Jazz the new chapterも編集されているし、今、すごく注目の編集者ですね。さて、こういう本って「わかりにくさ」もあると思いますが。

Y;やっぱり「サバービア・スイート」とか「ひとり」とか「リラックス」とかを読んで育った世代なんで、この機会に、その影響を咀嚼して吐き出してみようと思いました。ポスト・サンプリング・エイジなんで(笑)。ただ、ジャンルレスでディスガイドを作ると、一見分かり難くなって、表現したい世界観が伝わりづらくなると思ったので、選んだ約350枚の作品を12のテーマに分けることにしたんです。たとえば「Viento, Luz, Agua」というテーマでは、光とか水を感じさせるナチュラルな音楽、「Intimate Dialogue」では親密なデュオの音楽、というようにして、読む人のイメージが自由に膨らむような抽象的な言葉をあえて付けています。

H;なるほど。

Y;それで、この本のレビューもフリーペーパー同様に、友人たちにお願いして、あとコラムの方では、橋本徹さんとか中島ノブユキさんとか伊藤ゴローさんとか、いつもお世話になっている人たちにゲストとして参加してもらいました。そうそう、林さんにも素敵な文章を寄せていただきましたね。

H;僕だけちょっとおバカでしたが...

Y;もう一つのサプライズ企画は、「ぼくたちが穏やかな音楽を選ぶ理由」をテーマに、「雨と休日」の寺田俊彦さんと対談をしています。もう、本当に寺田さんにはシンパシーを抱いていますから。良いページになったと思います。僕は1978年生まれで、ちょうど90年代から00年代前半の渋谷のレコードの空気で育った世代だから、何かその経験値と、リスニング・スタイルをひとつの形にしたかったんですよ。10年代に入ってから、そろそろ僕たちのスタンダードを更新するタイミングが来たかなと、肌で感じていました。ビル・エヴァンスとイノセンス・ミッションとカルロス・アギーレを同列で語ることって、すごい違和感がありそうなんですけど、けっこうしっくりくるというか。そういう居心地の良さというのが今の空気感なのかなと。

H;寺田さんとの対談は5年おきくらいにやってみると、東京の空気の良い記録になるかもと思いました。本のデザインのことなんかも教えて貰えますか?

Y;まず、シンプルな本にしたかったんです。それはデザインも内容も含めて。たくさんの情報が羅列しているよりは、淡々と地味な感じで、じっくり読むというよりはパラパラと眺める感じ。だからこの本は、ディスクガイドなんですけど、アーティストや作品に関する詳細なデータやバイオグラフィーが全然詳しく載ってないんですよ。

H;そうですね。

Y;本の中で、チャーリー・ヘイデンというすごい有名なジャズ・ベーシストを紹介しているんですけど、代表作ではなくてデュオの録音しか紹介していなかったりして・・・。でも一般的な名盤たちは、もう他のディスクガイドでも散々紹介されているし、僕は評論家でもないから、せっかくなら自分の趣味をとことんさらけ出してしまえと。年表とかウンチクばかりだと、ちょっと退屈ですし。だから、そんなに音楽に詳しくない人にも手に取ってもらえるように、たとえばカフェとか雑貨屋のようなライフ・スタイル系のお店に置いていても、自然と馴染むものを目指しました。でも、雰囲気だけで終わらせないために、熱心な音楽ファンにもアピールできる文脈も随所に散りばめました。例えば、お互いに影響を与えたり受けたりしている作品を同じページに掲載したり、有名な作品の横にマイナーな作品を置いたり、いろいろ考えて編集しました。

H;音楽マニアにも「お!」と思わせる配置になってますよね。

Y;表紙の帯も一見すると、お洒落なライフ・スタイル本のような写真でディスクガイドらしくないんですけど、よく見るとヴァージニア・アストレイとラドカ・トネフのレコードが置いてあったり、積み重なっている本は、ECMのカタログとかヴィニシウス・ヂ・モラエスの詩集だったりして、実はけっこう面白い要素を織り込んでいます。


H;ゲームの中の「隠れアイテム」みたいですね(笑)。

Y;あと、テーマの扉ページの挿絵は、「&Premium」とかで活躍中のイラストレーターの三宅瑠人さんにお願いしたり、最後のテーマは紙の種類を変えて女性向けの付録にしたりしました。それに読み進めていくと、途中でビヴァリー・ケニーやチェット・ベイカーのポートレイトが用意されていたり、突然バート・バカラックの「アルフィー」の歌詞が出てきたりするのは、完全に自分の趣味です。というか全部好きなように作らせてもらったので、本当に小熊さんには感謝しています。

H;「アルフィー」の歌詞が突然出てくるのは、良いなあ、山本さんってロマンティストだなあと思いました。さて、今の音楽状況について山本さんが思うところを教えていただけますか?

Y;もう音楽業界のことを「不況」とか「衰退」とか、声高に言う時代は終わりましたよね。むしろ良い音楽のアーカイヴが溜まってきたから、今が一番楽しいって言いたくなりますよ。音楽を表現する方法も、受け取る方法も多種多様だから、それぞれ皆さんが自分に合った方法で楽しむことが一番だと思いますよ。

H;なるほど。

Y;ただ、ひとつ言えるのは、その分、情報が乱雑になって多いだけに、リスナーが本当に欲しているものを選び難くなっているのは事実ですよね。だから色んなタイプのキュレーターは必要だと思いますし、クワイエット・コーナーもそういう一端を担うことができれば嬉しいですね。

H;僕も情報が多すぎて、これからは山本さんのような「選んで整理する人」という人が一番活躍する時代だと思います。では、最後にこの本の「読みどころ」のようなものを。

Y;このディスクガイドは、日常に音楽を必要としている人に、ぜひ手に取って頂きたい一冊です。あとは、最近音楽から離れてしまった人とか、どうやって音楽を探していいか分からない人にも、リスニング・スタイルの提案が出来れば最高ですね。同時に、インパートメントからも本とリンクしたコンピレーションCDも出ているので、ぜひ併せて聴いていただきたいです。そうそう、4月にはユニバーサル・ミュージックから新作のコンピレーションも発売されます。うちのお店に置いてみたいとか、どんな内容か知りたいという人は、ぜひご連絡ください。

H;お店をやっている方、是非、ご検討ください。

Y;あと、ラジオやりたいですよね。やっぱり音楽は実際に聴いてもらうのが一番なので。林さんがパーソナリティーで、僕が選曲するのってどうですか?企画書作って局に持っていきましょうよ(笑)。

H;え、僕そんな喋りは自信ないですが... でも、山本さん、是非これから攻めていってください! さて、みんなが楽しみにしている10曲ですが、今回はどんなテーマでしょうか?

Y;はい、全部、今回のディスクガイドの中で紹介した作品から選びました。テーマは「真夜中のクワイエット・コーナー」。きっとこのブログを夜の深い時間に見ている人も多いと思いますので。そしてこれを聴いていただければ、クワイエット・コーナーが、どんな世界観なのか伝えられるかもと思いました。

H;それでは、みんなが待っている選曲をお願いします。


Anna Christoffersson & Steve Dobrogosz - Starlit

Y;クワイエット・コーナーのテーマ曲に、北欧のラドカ・トネフ&スティーヴ・ドブロゴスの「The Moon Is A Harsh Mistress」があるんですけど、これはコンピにも入れたし、最近いろんな場所で紹介させて頂いたので、ここではこのアンナ・クリストファーソンとの美しいデュオを選びました。

H;山本さんらしい曲で始まりましたね。「あ、この選曲、山本さんだな」って感じさせるのってひとつの才能だと思います。


Stina Nordenstam - His Song

Y;それで10年後の同じ北欧から生まれたのがこの音楽です。時代を超えているけど、共鳴する魅力があります。一瞬にしてその場の空気を変えてしまうような、静かだけど力のある音楽だと思います。あと、僕の青春時代によく聴いた一曲でもあります。

H;よくビョークと比較される人ですよね。うわー、でもヨーロッパならではの優れた楽曲ですね。これが山本さんの青春時代の一曲ですか。


Iron & Wine - Each coming night

Y;アイアン&ワインってアメリカのインディー・シーンでは有名で、いい作品を沢山残している人なんですけど、ジャズとかブラジル音楽を熱心に聴いている人にとっては、なかなか出会うことができない音楽だと思います。そういえば大好きなシンガー・ソングライターのベッカ・スティーヴンスも、この曲をカヴァーしていました。

H;山本さんはこっち方面もチェックされてますよね。山本さん、起きている間、ほとんど音楽聞いてるんですか?(笑)


Rickie Lee Jones - Evening of My Best Day

Y;リッキーの2003年作なんですけど、彼女のような大御所が2000年に入ってから出した作品って、けっこう良いのに、なかなか紹介されなくなってしまったので、クワイエット・コーナーで大事に紹介していきたいと考えています。

H;確かに全く話題になりませんでしたね。音楽を紹介するメディアの問題って色々と考えさせられます。


Kat Edmonson - I Just Wasn't Made for These Times

Y;ご存じブライアン・ウィルソンが書いた名曲のカヴァーなんですけど、すーっと心の奥まで染みこんでくるというか、真夜中に一人で聴いているとなぜか涙が溢れてくるんですよ。でもメランコリーの向こう側に、ささやかな光も感じられて、こういう佇まいのある曲に惹かれます。

H;すごく良いですねえ。山本さん、「世界の女性ヴォーカル」という特集で何か形にすれば良いような気がします。


Louis Fhilippe - I Can't Own Her

Y;それでこのルイ・フィリップという人はブライアン・ウィルソンからすごい影響を受けた一人で、80年代にチェリーレッドとかに名作を残していますが、個人的にはこの曲が収録された「Azure」というアルバムが今こそ聴くべき作品かなと思います。シモン・ダルメとかジョルジオ・トゥマにも通じるものがあります。

H;ルイ・フィリップ、僕は実は80年代から90年代初期まで同時代でずっと追いかけてたのですが、途中から離脱してしまって... 確かに今こそ聴くべきという音ですね。


Steve Kuhn w/Strings - Promises Kept

Y;これはスティーヴ・キューンのECM作品なんですけど、ECMにしてはめずらしくオーケストラをバックに録音しているんですよね。品格が漂っています。それになにか円熟の極みというか、ピアノが語っているように聴こえます。全身を任せたくなるような名演です。

H;スティーヴ・キューン、もちろんお好きなんだろうなあとは思っていたのですが、これを持ってきますか。山本選曲節ですねえ。


Lori Scacco - Love's Journey

Y;イースタン・ディヴェロップメントという、クラブ・ミュージック界では人気のレーベルがありまして、2004年にひっそりそこから発表されたんですけど、最近になって再発されました。本に掲載することは誰も知らないのに、なぜか寺田さんから「再発されますよ」って連絡をもらった時はびっくりしましたね。

H;また寺田さんとの良い話が出てきましたね。何千回も言いますが、寺田さんとの対談本をいつか是非作ってください。2010年代の東京の空気を未来に残しましょう。


Milosh - slow down

Y;これは近年、日本でも盛り上がっているL.AのアンビエントR&Bとか呼ばれている音楽なんですけど、わりと同時代にもこういうベッドルーム感というか、まさしくクワイエットなサウンドがあったりして、これについてはニューヨークのジャズ・シーンでも同じことを言うことができて、クワイエット・コーナーも積極的にリンクしていければと考えています。

H;おお、新しいところを投げてきましたね(笑)。選曲家、紹介者として、昔の音源だけではなく現在を考えるのも優れた人の役目のような気がします。


Robert Wyatt / Ros Stephen / Gilad Atzmon - What A Wonderful World

Y;いいですよね、このヴァージョン。ロバート・ワイアットが2010年に発表したアルバムの曲なんですけど、弦楽器を入れた室内楽で、すごい今の雰囲気というか。ちなみにこの作品は本の中では、中島ノブユキさんが主人公の「家具の音楽」のテーマで紹介しています。こういう曲を聴いていると、つくづく音楽って、目には見えないけど、最高に美しい芸術の一つだと思います。

H;以前、ロバート・ワイアットと中島ノブユキさんの共演って出来ないのかなって話をbar bossaのカウンターでしたことがあったのですが、もう音楽活動はやめられたんですよね。山本さん、ロバート・ワイアットで何かフリーペーパーを作ってください。変に持ち上げる気持ちはないのですが、山本さんの仕事、今、色々出来る時期だと思います。

山本さん、お忙しいところどうもありがとうございました。みなさん、もちろん名著クワイエット・コーナーは購入されましたよね。まだという方は是非。インタビューでも触れていただきましたが、僕もコラムを書いています。21世紀初頭の東京の音楽を感じるには最適な本だと思います。「昔はジャズやボサノヴァを結構チェックしてたんだけどもう最近は全然...」という方こそ是非。


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【クワイエット・コーナー 心を静める音楽集】

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■タイトル:『クワイエット・コーナー 心を静める音楽集』
■監修:山本勇樹
■発売日:2014年11月22日
■出版社: シンコーミュージック
■金額:¥1,836 単行本(ソフトカバー)

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幅広い音楽ファンの間で話題になっているHMVのフリーペーパー「Quiet Corner」が待望の書籍化。"クワイエット"で"センシティヴ"な感覚を通奏低音に、12のテーマのもと、ジャズ/ワールド・ミュージック/SSW/アンビエント/ポスト・クラシカル/エレクトロニカなど、ジャンル~国~年代を超えて約300枚の作品をセレクト。日常生活にやさしく寄り添い、ささやかな幸せと豊かな彩りを届けてくれる一冊。


【Quiet Corner - a collection of sensitive music】

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■タイトル:『Quiet Corner - a collection of sensitive music』
■アーティスト:V.A.
■発売日:2014年11月30日
■レーベル: Inpartmaint./Quiet Corner
■製品番号:RCIP-215

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[収録曲]

1. The Moon Is A Harsh Mistress
2. Moon River
3. But Not For Me
4. Bright Days Ahead Closing
5. Musical Express
6. Our Day Will Come
7. Hold On
8. Parallel Flights
9. Chance
10. Landscape With Birds
11. Moving To Town
12. Carinhoso
13. Uma Valsa em Forma de Arvore
14. Memoria de Pueblo
15. Bittersweet
16. Woyzeck
17. Heartleap


幅広い音楽ファンの間で話題になっているフリーペーパー「Quiet Corner」を冠タイトルにした、初のコンピレイションCDが発売。メディアで大きく取りあげられることはなくとも、幅広いリスナーが深い愛情をもって聴き、自身で語りはじめている「クワイエット」で「センシティヴ」という共通感覚。それを通奏低音に、ジャズ/ワールドミュージック/SSW/ポスト・クラシカルなど、ジャンル〜国〜年代を超えて厳選した、日常生活にやさしく寄り添い、ささやかな幸せと豊かな彩りを届けてくれる18曲。同名のディスクガイドブックも同時発売。


●山本勇樹 twitter→ https://twitter.com/vila_kitoco



まだまだ寒いですが、そろそろ春ですね。良い音楽を聞きながら春を待ちたいものです。
それではまた来月もこちらのお店でお待ちしております。

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レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
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2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
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bar bossa vol.42:bar bossa

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vol.42 - お客様:田仲昌之さん(fete musique.)


【注目の音楽】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は話題の新レーベル「fete musique.(フエト・ミュージック)」のオーナー田仲昌之さんをお迎えしました。

林(以下H):いらっしゃいませ。早速ですがお飲物をうかがいましょうか。

田仲(以下N):モヒートをお願いします。

H:かしこまりました。田仲さんといえば、RONDADEで数々の話題作を制作していますが、まずはRONDADEの話を教えていただけますか。

T:RONDADEは2006年からスタートしていままで音楽作品としては12アーティスト22タイトルをリリースしています。自分がRONDADEと関わり始めたのはARAKI Shinの1枚目のアルバム「A Song Book」の制作を始めたころ(2007年)だったと思います。 10年ほどやっていた渋谷FMの番組の制作を辞めたところでもう少し違った角度で音楽の現場と関わってみたいと言う思いもあって 友人の佐久間さんが始めたRONDADEにスタッフとして参加し始めました。 RONDADEは当初、音楽、アート、出版、広告、イベント等それぞれをフィールドにしている人間達が集まってモノ創りをする(今で言う) クリエイティブ集団を目指していました。その最初のアウトプットが音楽レーベルとしての活動でした。 パンクの持つ初期的衝動と現代アートが持つ時代に斬り込むエッジ感。それらを併せ持った音楽レーベルと言ったことがコンセプトでした。(言葉にするととってもチープに聞こえてしまいますが....笑)

H:いえいえ(笑)

T:ECMやNonesuchと言ったレーベルそのものに強烈な個性を持ったレーベルが国内には皆無だったのでそんな個性的な音楽レーベルを 運営出来ればと考えていました。普段、J-POPやROCKなどを聴いている人達に対してRONDADEの音源はどう響いていくのかと言った問い掛けの意味も強くありました。ただRONDADEからリリースされる作品はどれもジャンル分けが難しいらしく、特に大手CDショップなどではJ-POPやROCKのコーナーには置いて貰えることはあまり有りませんでした。しかしその後ポストクラシカルなどが流行ったこともあって RONDADEの作品に目を向けてくれる人達が増えました。現在では作品22タイトル全てにコンスタントにセールスが有りますし、海外からの反応もかなりあります。爆発的なヒットは無いですが(笑)スローペースながらもRONDADEと言うレーベルが世の中に浸透してきているのかな?と言った印象はあります。

H:海外からの反応、多そうですよね。さて、今回、立ち上げられたレーベルですが。

T:今回、RONDADEでは無く新たにfete musique.を立ち上げようと思った理由はやはりAOKI,hayatoとharuka nakamuraと言う2人のアーティストとの出会いが大きいです。ハルカくんと初めて出会ったのは実は音楽の現場ではなく共通の友人が開いた食事会でした。 共通の友人が偶然その場に居合わせたハルカくんを紹介してくれました。自分も彼の音楽を以前から聴いていましたし、ハルカくんもRONDADEのことは知っていてくれたのですがお互いに何かそういったタイミングで知り合ったこともあってすぐに打ち解けた関係になりました。お互いにいろいろと話しをしていくうちにハルカくんがRONDADEの作品をとてもリスペクトしてくれていることを知りました。 上手くタイミングが合えばRONDADEからも作品をリリース出来たらと2人では話したりもしてました。 青木さんの音楽を初めて聴いたのは吉祥寺にあるOUTBOUNDと言うお店の店内でBGMとしてかかっているのを耳にした時でした。すぐにお店のスタッフの方に問い合わせてその場で販売されていたCDを購入しました。それから自宅でもヘッドフォンステレオでも 青木さんの作品をヘビーローテーションで聴くようになりました。ライヴにも何度か足を運ぶようになりいちファンとして作品やライヴを楽しんでいました。

H:どちらも、いかにも街中現場主義的な田仲さんらしい出会いかたですね(笑)

T:そんな中、ハルカくんから西荻窪にある「雨と休日」さんの3周年記念のライヴで青木さんと共演することを聞きました。共通点が余りに見当たらないこの2人の組合せに驚きと同時にどんな音楽が生み出されるのか楽しみになりました。 残念ながら最初のライヴを観ることは出来なかったのですが何度目かのリハーサルに立ち会わせてもらいました。まだまだお互いに探り合ってのセッションでしたが2人が出し合う音の1音1音に2人の相性の良さを感じました。そして何より2人が奏でるサウンドに情緒を感じました。セッションを聴いてすぐにこれは音源として残すべきだと思い、2人にはすぐにCDを制作しようと提案しました。 当初は2人の作品をRONDADEからリリースすることも考えたりもしましたがRONDADEのイメージと2人が奏でるサウンドとはかなり方向性が違うなと感じていました。 青木さんもハルカくんもソロとしての作品とは差別化を計りたいと言う考えもあったし自分としても2人と同じ様にRONDADEとは違うコンセプトとやり方で活動したいとの思いが強くあってfete musique.を立ち上げることにしました。

H:先に音源ありきだったんですね。でも、よくこんな時代にレーベルを立ち上げようと思いましたね。

T:確かに音楽が売れない時代ですが決して音楽が聴かれなくなってしまった訳では無いですよね。 ただ音楽が売れなくなってしまったのはここ20年くらい僕等も含めた音楽を送り出す側が『音楽』そのものを大切に扱ってこなかったことに原因があると思っています。音楽雑誌至上主義だったり、音楽データの形式が統一出来なかったり、AKB商法だったり。 音楽の質よりも手っ取り早くどれだけ多くの消費を生みだせるか?と言ったことが最優先されてしまっている音楽業界の状況に音楽リスナーの人達はみんな疲弊しているように感じています。だから単純に自分達はもっと『音楽』そのものを大切に扱い丁寧にリスナーの人達に送り届けられるようなレーベルを目指すことが必要なんだと感じています。

H:なるほど。レーベルの名前の意味を教えていただけますか?

T:レーベル名の"fete musique(フエト・ミュージック)"の由来は村上春樹の小説「ノルウェイの森」の扉に書かれていた「多くの祭り(フエト)のために」という一文から引用しました。フランス語のfête(フェト)にはお祭りとか祝祭とか言った意味があってレーベルを立上げることを決めた直後に何気なく広げた「ノルウェイの森」のこの一文と偶然出会いその瞬間に決めました。 言葉の響きも意味もとても気に入っています。

H:多くの祭りのために、ですか。良い言葉ですね。それでは、最近はものすごく話題になって品切れにもなってましたが、第一弾のアルバムのことについて教えていただけますでしょうか。

T:fete musique.の最初の作品でもあるAOKI,hayatoとharuka nakamuraの1stアルバム『FOLKLORE』は去年の秋にリリースしました。 まるでロードムービーのように旅することで出会った人々、見えた風景、経過していった時間、溢れ出す感情を2人は旅を重ねながら奏でてきました。『FOLKLORE』はこれからも続いていく2人の旅の途中経過を記録した作品です。今回、録音は2人だけで行っています。セッションを重ねながら1曲づつ楽曲を構築していくと言った作業をライヴと並行して2年近く掛けて行ってきました。 マスタリングは2人のリクエストでWater Water Camelの田辺玄さんにお願いしました。 アルバムのデザインやアートワークは全て青木さんが手掛けました。ジャケットになっているボックスの仕様も青木さんのアイデアでYAECAやCLASKA等の商品の紙箱を制作している竹内紙器さんにお願いしました。ジャケットそのものも今回の作品の1部として感じて欲しいという思いもあってジャケット自体のサイズ感、風合い、手触り等にも拘って作りました。 ボックスを開けてCDを取り出し音楽を聴くと言った一連の所作も作品の中での重要な要素だと考えています。

H:もう本当に「採算度外視」という言葉通りの凝りに凝ったボックスジャケットですよね。これからのCDの未来を色々と考えさせられました。さて、これからはどうされるご予定でしょうか。

T:今後はまずは『FOLKLORE』をもっとたくさんの人達に聴いてもらえるようにすることが第一だと考えています。 去年までのCDの販売はライヴ会場と雨と休日さんのみで販売していましたが今年からはCDショップに限定せず自分達が『FOLKLORE』を販売してもらいたいと思うお店にアプローチをして作品を評価して貰えればその店舗さんに販売をお願いしようと考えています。 そして先ほども言ったように2人の旅はまだ今後も続く予定なのでまた旅を記録していく作業をしていきたいと思っています。次回はゲストにも加わってもらって外に向かって拡がるような内容の作品を創れればと話したりもしています。 レーベルとしてはリリース時期はまだ未定ですがThe Yong Groupの木之下渉クンのソロ作品をリリースしたいと思っています。

H:おお、木之下くんも予定してるんですね。楽しみです。それでは、選曲に移りましょうか。
テーマは「今、田仲さんが注目の音楽」ですね。


ARAKI Shin - Reflection Of Your Flowers

T:1曲目はARAKI Shinの『A Song Book』からの楽曲。やはりこのアルバムには最初に関わった作品と言うことで自分なりにとても思い入れがあります。荒木くんともとても長い付き合いになりました。いまではharuka nakamura PIANO ENSEMBLEのメンバーとしても活躍しています。また彼の新しい作品を聴いてみたいです。

H:せつない曲ですねえ。こういう曲の制作に関われるって羨ましいです。


Iwamura Ryuta - February 20/C-dur(ハ長調)

T:次もRONDADEからの作品でIwamura Ryuta「Sunday Impression」からの楽曲。このアルバムはバッハの平均律クラヴィーア曲集のように、12の鍵盤(1オクターヴ)を、半音ずつ上がっていき、毎週1つの調で1曲、12週かけて作り上げた内容になっています。 岩村クン自身が日曜日に純粋に自分とピアノと向き合う為に作った楽曲たちです。

H:テーマが先にあるのに、とても自然な美しい曲ですね。


Dakota Suite & Quentin Sirjacq - as long as forever is (part II)

T:スロウコア/サッドコアといったジャンルを確立した"静寂"を音楽で表現するバンドdakota suiteと数々の映画やドキュメンタリー番組の音楽を手掛けてきたフランス人ピアニストQuentin Sirjacqがコラボレーションした楽曲です。 実は以前dakota suiteのアルバムをRONDADEでディストリビューションする計画があって彼等とは何度か話し合いを持ったことがありました。 結局残念ながら契約することは叶いませんでしたが今でも彼等の作品を聴くとあの時彼等と一緒に作品が創れたらなと思います。

H:そんなお話があったんですね。田仲さんが扱っているジャンルは現在の日本の音楽とは違って、簡単に国境を越えてしまいますね。


The Album Leaf - Always For You

T:ポストロック/エレクトロニカ・シーンで人気を博するマルチ・インストゥルメンタリスト、Jimmy Lavalleのソロ・プロジェクト。 ヘッドフォンステレオで聴くものが無くなると必ず聴いているのが彼等のアルバムです。 なぜか不思議と彼等のアルバムは聴き飽きることがないのです。そしていつも何だかのインスピレーションを与えてくれる。自分にとってはとっても重要なバンドです。

H:サブ・ポップなんですね。僕はこの辺り、全くノーチェックで。いやあ、でもすごくカッコいいですね。


Kings of Convenience - La Blogothèque | ARTE Concert

T:フランスのWebサイトLa BlogothequeでのKings of Convenience のLiveが収録された映像です。全編で約26分あります(笑)。 本当に完成度が高いライヴなので可能であれば最初から最後までこの2人のパフォーマンスを楽しんで頂けばと思い無茶を承知で紹介させてもらいました。

H:おおお! 彼らのライブってこんな親密な感じなんですね。これは紹介したくなる気持ちわかります。


Zach Condon & Kocani Orkestar - Sunday Smile~siki siki baba

T:Beirutと言うバンドのフロントマンであるZach CondonとマケドニアのジプシーブラスバンドKocani Orkestarがパリのキャバレーでセッションを行った際の熱狂のライヴ映像です。 この映像を初めて観たとき、余りの音楽の力強さに感動し涙が出ました。

H:うわ、僕もちょっと涙腺、危ないです。これ、ほんと「音楽の力」のようなものを感じますね。素晴らしいです。


David Moore / Bing & Ruth - Take Away Show #102

T:Bing & RuthはNYのピアニストDavid Mooreが率いる11人編成のミニマル音楽集団です。 一聴すると現代音楽~アンビエント~ポストクラシカル的な世界感ですが自分にはパンク的な要素を彼等のサウンドから感じてしまいます。

H:確かに何かパンクを感じますね。田仲さん、さすがにいろんなの聴いてますね。

T:AOKI,hayatoとharuka nakamuraそれぞれの音源も1曲づつ紹介したと思います。


morning inkyo with AOKI,hayato

T:蔵前にある中川ちえさんのお店「in-kyo」さんでの映像に青木さんの音楽がBGMとして挿入されています。 青木さんのサウンドはこの映像の様に日々の暮らしの何気ない一瞬一瞬がスケッチされてるように感じます。

H:この映像も良いですねえ。確かに「日々の瞬間」を切り取っている感じがします。


haruka nakamura PIANO ENSEMBLE feat.CANTUS - 光

T:昨年末にリリースされたアルバム、haruka nakamura PIANO ENSEMBLE「音楽ある風景」から聖歌隊CANTUSをフィーチャーした楽曲。 きっと自分は10年先も20年先もこのアルバムを聴いているんだだろうなと思います。 そんな作品と出会えたことがとても嬉しいです。

H:これ、ジャーナリストの佐々木俊尚さんが突然、好きだってツイートして話題になってましたね。いやあ、本当に美しいです。

T:そして最後はAOKI, hayato と haruka nakamura の1stアルバム「FOLKLORE」からの1曲。


days / AOKI, hayato と haruka nakamura

T:例えばこの音楽を偶然耳にしてくれた人たちが『FOLKLORE』を手にしてくれて普段の生活の中で2人の音楽を聴いてる。 いろいろな人たちの生活の中にこの音楽が溶けていく瞬間を想像するとやはりグッときてしまいます。 レーベルをやることの醍醐味はやはりそういうところなのかも知れないと思いました。

H:僕は今、田仲さんのその音楽への思いにグッと来てます。たくさんの人に届くと良いですね。 田仲さん、今回はお忙しいところ、どうもありがとうございました。 みなさん、是非、フエト・ミュージック、チェックしてみてください。


●fete musique. HP→ http://fete-musique.tokyo.jp/
●fete musique. twitter→ https://twitter.com/fete_musique

●購入はこちら→ 『FOLKLORE / AOKI, hayato と haruka nakamura』(雨と休日)


2月、もうしっかりと寒いですね。みなさん風邪などひいてないでしょうか。 良い音楽に出会えると、心も温まりますよね。 それではまた来月、こちらのお店でお待ちしております。

bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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