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2015年8月アーカイブ

【わたしとOMA SOUND】Vol.2 小沼ようすけ:わたしとOMA SOUND

【わたしとOMA SOUND】
Vol.2 小沼ようすけ(g)



日本のジャズレジェンド、オマさんこと鈴木勲さんが才能ある若手を発掘、輩出してきた異色のバンド、"OMA SOUND"。ゆかりあるメンバーに「わたしとOMA SOUND」というテーマでコメントを寄せていただきました。


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「僕がオマさんのバンドに入ったのは24歳のとき。
"常に誰とも違うこと、新しいことをやりなさい"と教えてくれた。

脳に浮かんだインスピレーションを即座にプレイに反映すること、考えてしまった時点でリアルタイムではなくなる=フレーズが腐ってしまうこと、オマさんが中心にいるだけで油断してしまったらロスト、もしくは振り落とされそうなハイパワーなグルーヴになりその中に放りこまれ鍛えられる。少しでも音に作為的なものなど嘘があれば見破られ、サングラスの上からでもわかる鋭い眼光がそれを指摘する。

バンドの集中が極地に達し得るあの一秒、一秒クリアに感じられる時間の流れ、何をやってもいい自由な楽園のような世界、あれは何だったんだろうと夢のような終わったあとの余韻、オマさんのバンドに入った若手ミュージシャンが必ず経験する初めての快感。

未熟だった僕はだいたい10回に1回あればいい方だった、そんな経験をさせてもらい後は修行のような日々。オマさんバンドにいた一年間の経験は僕にとって宝物であり、ほんとの自分を見つけるためのスタートになった。

あの渦巻くベースのグルーヴ感、メロディの歌い方、教えてもらった沢山のことが今だに脳裏に焼き付いているのは、それだけ僕らのことを大事に思い本気で教えてくれたからなんだと思う。

オマさんには本当に本当に感謝しています。」

小沼ようすけ


JJazz.NetのSHOPページでは特別番組「鈴木勲 OMA SOUND を語る」の貴重なインタビューをパッケージし、販売しています。番組では紹介できなかったエピソードが収録されている他、OMA SOUND年表もセットになっています。

JJazz.Net SHOP


【わたしとOMA SOUND】アーカイブ

vol.1織原良次 



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【小沼ようすけ】(g)
秋田県出身。14才でギターを始める。1995年、ヘリテージジャズギターコンペ世界三位を皮切りに注目を集め、1999年ギブソン・ジャズ・ギター・コンテストで優勝。プロ活動を開始。2001年、「nu jazz」でSony Musicよりデビュー。Rock、Soul、R&Bから影響を受けたグルーヴ感溢れるジャズを展開。初のNY録音となる4作目「The Three Primary Colors」でリチャード・ボナ(bass)と共演し、彼から奏でられたあたたかい音色、広大さ、美しさに感銘を受けこれまで使用していたピックを捨てフィンガー・ピッカーに転向。2006年より東京から湘南に拠点を移し、海の側でのライフスタイルを表現することに傾倒したアルバム「Beautiful Day」,カリブのリズム"グウォッカ"をフィーチャーしたアルバム「Jam Ka」で自然要素を含んだ独自の世界感を表現。2014年、ベスト盤を含んだ9作目となる「GNJ」をT5Jazz Recordsからリリース。ジャンルの壁を越えて活動、常に進化する奏法、常に進行形である音楽性、まさに唯一無二なギタリストである。




【今後の予定】
9/24(Wed) 鈴木勲 スペシャル
神奈川 横浜JAZZ SPOT 「DOLPHY」
18:30open 19:30start
鈴木勲(b) 井上銘(g) 本田珠也(ds) 小沼ようすけ(g)

小沼ようすけLIVE情報


小沼ようすけ Official Site
http://www.yosukeonuma.com/


Florencia Ruiz with Los Hongos Orientales~ Cultural Exchange Tour 2015 ~:ライブ情報 / LIVE INFO

ブエノスアイレス出身の才女、フロレンシア・ルイスが今年も来日!

アルゼンチン音響派として知られ、ファナ・モリーナと並ぶ存在の彼女。
昨年と同じく、鬼怒無月、ヤヒロトモヒロ、佐野篤による
ハイブリッドなラテン・プログレ・ロック・バンド、Los Hongos Orientalesとのツアーです。

彼女独特の世界、是非堪能して下さい。
8/31(月)東京・渋谷 CLUB QUATTROではインディーズ・シーンで話題沸騰中、
「森は生きている」も出演。

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会場限定で「目に見えない7つの手紙」と題された2015年ツアー限定CDアルバム
『7 cartas invisibles』を販売。
(10色の手縫ケース入り、特製ポストカード、フロレンシアからのお手紙、リーフレット付き)

Florencia Ruiz - 7 cartas Invisibles EPK-



■Florencia Ruiz with Los Hongos Orientales
~ Cultural Exchange Tour 2015 ~

アルゼンチン音響派の最有力候補、
フジテレビ「心がポキッとね 」の挿入歌で話題にもなった
シンガー・ソング・ライター&ギタリスト、フロレンシア・ルイス
サポートは、最強の布陣からなるロックバンド
ロス・オンゴス・オリエンタレス!

【メンバー】
Florencia Ruiz(vo,g)
Los Hongos Orientales
<鬼怒無月(g)、佐野篤(g,b,vo)、ヤヒロトモヒロ(perc)>


【日程】
8/23(日)
岐阜・美濃 Cafe & Live Bar DiAngelo
開場 18:30 開演 19:30
charge 4,000円 大学生以下 2,000円 (1ドリンク付)
美濃市松森595 マツモリビル3F
Furuta 090-4115-4235, E-mail: pupupupumpkin@gmail.com


8/24(月)
静岡・浜松 HERMIT DOLPHIN
開場 18:30 開演 19:30
前売 3,500円 当日 4,000円 ※全自由席 ※1ドリンク別
浜松市中区田町326-25 KJスクエア2F
TEL.053-451-1807 MAIL. hermitdolphin@gmail.com
http://www3.tokai.or.jp/hermitdolphin/


8/27(木)
北海道・札幌 くう(COO)
開場19:30 開演20:00
前売3500円(当日4000円) 別途飲物代500円必要
〒064-0801 札幌市中央区南1西20-1-25 アウルビルB1
(地下鉄「西18丁目」駅、出口1より徒歩2分)
TEL 011-218-1656 info@sapporo-coo.com


8/28(金)
北海道・新冠 レ・コード館
開場 18:00 開演 18:30
前売 2,500円 当日 3,000円 高校生以下無料
新冠郡新冠町字中央町1番地の4
TEL 0146-45-6601(9:00~17:00)
主催: NPO法人レ・コード館自主企画委員会/後援:新冠町・新冠町教育委員会
http://www.niikappu.jp/kurashi/kyoiku/bunka-sports/record/index.html


8/31(月)
東京・渋谷 CLUB QUATTRO
✩ インディーズ・シーンで話題沸騰中「森は生きている」出演!
開場 18:30 開演 19:30
前売 3,800円 当日 4,000円
渋谷区宇田川町 32-13-4・5F TEL 03-3477-8750
D別 ※当日入場口にてドリンク代として 500円頂きます。
チケット販売:・チケットぴあ:0570-02-9999(Pコード:268-630)
・ローソンチケット:0570-084-003(Lコード:75225)
・e+(イープラス):http://eplus.jp ・会場/ 渋谷CLUB QUATTRO
http://www.club-quattro.com/shibuya/


9/2(水)
愛知・名古屋 TOKUZO
開場 18:00 開演 19:00
前売 3,800円 当日 4,300円
名古屋市千種区今池1-6-8ブルースタービル2F
TEL 052-733-3709
http://www.tokuzo.com/


9/3(木)
和歌山 devicespace HERON
開場 19:00 開演 20:00 前売 3,500円 当日 4,000円(ドリンク別)
和歌山市屏風丁13 吉田ビル B1F
予約・問合/
和歌山音楽愛好会フォルテ TEL073-422-4225
device spase HERON TEL 073-427-5550


9/4(金)
大阪 CHOVE CHUVA
開場 19:00 開演 19:30
前売 3,500円 当日 4,000円
大阪市西区京町堀 1-13-2 藤原ビル2F TEL 06-6225-3003


9/6(日)
新潟・ 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015
開場 17:30 開演18:00 *18:00~18:30 町田健介ライブ 
*18:45~ Florencia Ruiz with Los Hongos Orientales
会場:「胞衣--みしゃぐち」(古郡弘)[新潟県十日町市東下組]
    雨天の場合は、もぐらの館(旧東下組小学校)体育館
料金:大人2500円、子ども(中学生以下)1000円
(大地の芸術祭パスポートをお持ちの方:大人1500円、子ども500円)
交通:十日町駅から車で25分 
※自家用車でお越しの方は、「うぶすなの家」の駐車場をご利用ください
問合せ先:大地の芸術祭 実行委員会事務局 
TEL: 025-757-2637 E-mail: info@echigo-tsumari.jp

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 <Photo:Federico Caruso>

Florencia Ruiz[フロレンシア・ルイス] プロフィール

1977年ブエノスアイレス生まれのギタリスト&シンガーソングライター。アルベルト・ヒナステーラ音楽学校の出身、保育園で音楽教諭をしながら音楽活動を続ける。ロックをベースにしたストレートな唯一無二の音楽性は早くから注目を浴びる。2000年ファースト・ミニアルバム「CENTRO」(セントロ)をリリース、シンプルながらも斬新な音楽と歌詞の鋭さが話題を呼ぶ。2003年2nd.アルバム「CUERPO」(クエルポ)を発表、さらに進化したサウンドはより多くのリスナーの注目を集める。2005年に3rd.アルバム「CORRER」(コレール)を発表、アメリカ、チリ、メキシコでもリリースされた。2007年4枚目となる「MAYOR」(マジョール)を発表後、2008年4月にプロモーションの形で初来日を果たす。来日記念ミニアルバム「tiemblo e.p.」(ティエンブロ・エ・ペ)を大洋レコードからリリース。同年元ロス・ファブロソス・カデラクスのアリエル・ミニマルとのデュオによるアルバム「ESE IMPULSO SUPERIOR」を経て、2011年5枚めの大作「ルス・デ・ラ・ノーチェ~夜の光」(Luz de la Noche)を日本(Yamaha Music Media)、アルゼンチン、USA、メキシコで発表、2度目のプロモーション来日を果たした。2014年ヤヒロトモヒロの働きかけでロス・オンゴス・オリエンタレス(ヤヒロトモヒロ、鬼怒無月、佐野篤)との日本ツアーを実施し、6枚めの限定アルバム「MA 間」を発表、各地で好評を得る。

2015年4月~6月放送のフジテレビ系ドラマ「心がポキっとね」で挿入歌を2曲描きおろし、スペイン語による優しい歌声が視聴者の間で話題となる。これまでの共演はジャキス・モレレンバウム、ウーゴ・ファトルーソ、アリエル・ミニマル、モノ・フォンタナ、フェルナンド・カブサッキ、など。来日直前の2015年8月8日、モノ・フォンタナとのドゥオ共演にて、キケ・シネシ&グアダルーペ・ゴメスとの舞台に立ち、4者での共演を果たす。
<プロフィール作成:PaPiTa MuSiCa>

Florencia Ruiz オフィシャルサイト

フロレンシア・ルイス 日本語HP Florencia Ruiz en JP




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Los Hongos Orientales[ロス・オンゴス・オリエンタレス] プロフィール

ラテン、ジャズ、ファンク、アフリカン、ロックなど、メンバー各自の個性が共鳴し混ざり合うハイブリッドなラテン・プログレ・ロック・バンド。熟練ミュージシャンの音楽センスと技術が集結し、2013年に結成された新生バンド。


鬼怒無月(g)
'64年神奈川県出身。'90年に自己のグループ、ボンデージフルーツを結成、'98年"スカンジナビアン・プログレッシヴ・ロック・フェスティバル"、'99年、サンフランシスコの"Prog Fest '99"に招かれるなど海外での評価も高い。勝井祐二とのデュオ「Pere-Furu」、壷井彰久との「FRA」、吉田達也の「是巨人」、カルメンマキの「サラマンドラ」、更に灰野敬ニ、常味裕司とのコラボレーション、鈴木大介とのギターデュオ「The Duo」、ギターソロ等。日々自己のギタースタイルを進化させ続ける異才ギタリスト。
鬼怒無月 オフィシャルサイト


佐野篤(g,b,vo)
一般的にはベーシストとして知られる。他数多くの楽器を演奏する。主に作詞作曲を得意とし、その旋律は情景的であり、そのリズムは立体的に構成される。アフリカ修行後、長年にわたり、バンド【KING】主宰。多くのミュージシャンからリズムに関しても大きな信頼を得ている。BEGIN、矢沢永吉、エスケン&ホットボンボンズ、山根麻衣、ティポグラフィカ等とも共演する。


ヤヒロトモヒロ(perc)
少年時代をカナリア諸島で過ごした異色の打楽器奏者。山下洋輔、久石譲、さだまさし、らの公演やツアーに参加。伝説のアフロファンクバンド「じゃがたら」や「エスケン&ホットボンボンズ」のレギュラ-サポ-トも務める。「武満徹メモリアルコンサート」でNYカーネギーホール等に招かれ、小澤征爾氏総監督のサイトウ・キネン・フェスティバル松本は2010年から3年連続出演。ウーゴ・ファトルーソpとのドス・オリエンタレス、ガイアクアトロ等、多岐にわたり国内外で活躍中。
ヤヒロトモヒロ オフィシャルサイト

【わたしとOMA SOUND】Vol.1 織原良次:わたしとOMA SOUND

【わたしとOMA SOUND】Vol.1
フレットレスベース奏者・織原良次



日本のジャズレジェンド、オマさんこと鈴木勲さんが才能ある若手を発掘、輩出してきた異色のバンド、"OMA SOUND"。ゆかりあるメンバーに「わたしとOMA SOUND」というテーマでコメントを寄せていただきました。


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「鈴木勲という日本ジャズ界が世界に誇るアーティストがやってきたことの重大さをお知らせしたいと思います。オマさんのバンドの出身者はジャンルや世代を超え音楽業界の端々にまで及びます。オマさんと深く関わりあったミュージシャンの一部(あまりにも多い共演者、共同作業者のため、一部、ということにしておきます。)は後にアーティストとして強烈な個性を発していくのです。

オマさんとの共演は自分のスタイルや能力と直面する、ある種逃げ場のない修行の場、ドラゴンボールで言うところの「精神と時の部屋」にいるようなものです。オマさんとの共演によって個性を発酵させられ、後に自分という名のオーブンで焼き上げなくてはなりません。そしてこの'発酵'こそが現在の音楽シーンに欠かすことのできない、そして鈴木勲にしかできない、愛情溢れる荒療治なのです。

私は2005年から約2年間OMASOUNDに在籍しました。この頃OMASOUNDは30日級のツアーを連発していました。短いようで長いこの2年間、オマさんは常に何が自分らしさで何がジャズであるか、25歳だった自分に強烈に訴えかけてきました。そしてこれは年表にある98'のOMASOUND開始から始まったわけではなく、オマさんの誰よりも濃く長いキャリアの中での一環したテーマなのではないか、と思っています。

この'オマさんによる発酵'を自覚しているミュージシャンは少なくないはずです。自分はこれから織原良次を焼き上げなくてはいけません。
オマさん本当に感謝しています。」

フレットレスベース奏者
織原良次


JJazz.NetのSHOPページでは特別番組「鈴木勲 OMA SOUND を語る」の貴重なインタビュー(音声のみ)をパッケージし、販売しています。番組では紹介できなかったエピソードが収録されている他、OMA SOUND年表もセットになっています。

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【織原良次】(フレットレスベース)
2003年に山田里香(vo)、小池龍平(gt,vo a.k.a.bonito、Hands of Creation)とブラジル音楽を独自の解釈で演奏する『Bophana』を結成、2007年メジャーデビュー。同時期ジャズベーシスト鈴木勲『OMAsound』への参加でジャズシーンに頭角を現す。国際交流基金主催事業にて2009年南米(ボリビア、ペルー、ベネズエラ、パラグアイ)ツアー、2010年米モンタレー・ジャズ・フェスティバル、ペルーで演奏。現在、けもの、畠山美由紀、アン・サリー、植田章敬BAND(from岡山)、橋爪亮督Group、林正樹/間を奏でる、太田朱美/Riskfactor、野本晴美トリオ、小松伸之/gravity、松尾由堂/ボナンザ、坪口昌恭/東京ザヴィヌルバッハ人力Special、菊地成孔SingsSlOw、竹内直&ワガンなどに参加、共演。


【今後の予定】
9/3(木)miD
@下北沢apollo
織原良次(fretless bass)
滝野聡(gt)
市野元彦(gt)
本田珠也(ds)

10/7(水)miD
@新宿ピットイン昼の部
織原良次(fretless bass)
滝野聡(gt)
市野元彦(gt)
本田珠也(ds)

年末に関西方面でのベースソロツアーを計画。

織原良次LIVE情報


織原良次 Official Blog
http://orioriori.exblog.jp/

Monthly Disc Review2015.0815:Monthly Disc Review

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Title : 『THE WAY』
Artist : 宮川純



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リーダーの宮川純は1987年生まれ。アルバムはこれで三枚目となるが、ピアニストで言うとシャイ・マエストロやギターのジュリアン・レイジと同じ生年でジャズの世界で言うところの新世代に位置づけられるだろう。

ここに「高校生の頃、僕のアイドルだったのが、東京事変とベン・フォールズだった」と語っていることと、彼が10代の時に<ヤマハ・ティーンズ・ミュージック・フェスティバル>で今人気のロックバンドcinema staffと東海地区代表を掛けて争っていたことを加えると「ただのピアニストじゃないぞ」という気配がしてくる。


アルバム全編に共通する板崎拓也、石若駿とのピアノトリオのコンビネーションは完璧で、石若は細かいサインやフックを仕掛けているし宮川はそれを絶対に見逃さない。そこに時には釣れない素振りを見せたり一緒になってフックをメイクしていく板崎との三者の関わりは、正にピアノトリオを聴くときの醍醐味といった塩梅で聴けば聴くほどとんでもなくスリリングだ。ギターの荻原亮もソロは少ないながらも「JB's Poem」と「Pulse」ではそれぞれちがった毛色ながらどちらも白熱のギターソロを聴かせる。宮川もいわゆる熱量のあるソロだけでなく、時にはコンパクトなソロを聴かせたり、「The Water is Wide」でウーリッツァーでメロディを粛々と紡いだり、「JB's Poem」でローズと生ピアノをバッキングとフィルで華麗に使い分けたりする宮川の達者ぶりは同世代でも随一だろう。石若も「The Golden Bug」でのいわゆるスネアをズラした今風のリズムと「Just A Moment」での高速4ビートを叩いているのは本当に同じ人物なのかと疑うくらい多彩なリズムを使い分け、曲中でも細かなフィールで次々に彩りを加えている。
コンテンポラリーな楽曲といわゆる"New Chapter"的な作品が実に自然に同居しているところはこの世代の、そしてアルバムほぼ全曲の作曲者でもある宮川のバランス感覚の賜物だろう。


これら演奏面と同じくらい特筆すべき面白さはこのアルバムの録音だ。
一曲目の「Introduction」のドラムの音を聴いた瞬間に「待ちに待っていたアルバムがついに出た!」と、僕はそう思った。
ロバート・グラスパーやクリス・バワーズ、ホセ・ジェームズといったミュージシャンはレコーディング・エンジニアにあえてジャズのエンジニアでは無い人材を起用してライブ音楽であるジャズに録音作品としての面白さを付与してきた。このアルバムに参加している黒田卓也もそんなジャズメンの一人だ。そこに呼応するような作品が日本でも「ついに出た」のだ。

6月にも日本のこの世代のミュージシャンを取り上げたが、この世代が今、日本のジャズに開き始めた風穴を押し広げていることは間違いない。


文:花木洸 HANAKI hikaru


【参考】
インタビュー:日本のジャズ新時代を告げる重要作をリリースした宮川 純に柳樂光隆(JTNC)が迫る【前編】 - CDJournal CDJ PUSH

http://www.cdjournal.com/main/cdjpush/miyakawa-jun/1000001107

・全曲試聴
Jun Miyakawa - The Way (Sound Sample)' by T5Jazz Records on SoundCloud

https://soundcloud.com/t5jazz/sets/jun-miyakawa-the-way-sound-sample




【Jun Miyakawa / The Water Is Wide (Official Music Video)】







Recommend Disc

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Title : 『THE WAY』
Artist : 宮川純
LABEL : T5jazz Records
NO : T5J-1010
RELEASE : 2015.7.22

アマゾン詳細ページへ


【MEMBER】
宮川純 - piano, Rhodes, Wurlitzer
荻原亮 - guitar
坂崎拓也 - bass
石若駿 - drums
*黒田卓也 - trumpet (#1, #2 & more)

【SONG LIST】
01. 1. Introduction
02. The Way
03. JB's Poem
04. Pulse
05. The Water Is Wide
06. Automata
07. Glossy
08. The Gold Bug
09. Just A Moment


この連載の筆者、花木洸が編集協力として参加した、金子厚武 監修『ポストロック・ディスク・ガイド』(シンコーミュージック)が発売になりました。シカゴ音響派などジャズとも互いに影響しあって拡がった音楽ジャンルについて、広い視点から俯瞰するような内容になっています。


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■タイトル:『ポストロック・ディスク・ガイド』
■監修:金子 厚武
■発売日:2015年5月30日
■出版社: シンコーミュージック
■金額:¥2,160 単行本(ソフトカバー)

アマゾン詳細ページへ


20年に及ぶポストロック史を、600枚を超えるディスクレビューで総括!貴重な最新インタヴューや、概観を捉えるためのテキストも充実した画期的な一冊。90年代に産声をあげた真にクリエイティヴな音楽が、今ここに第二章を迎える。


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「Monthly Disc Review」アーカイブ花木 洸

2015.04 ・2015.05 ・2015.06 ・2015.07 




Reviewer information

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花木 洸 HANAKI hikaru

東京都出身。音楽愛好家。
幼少期にフリージャズと即興音楽を聴いて育ち、暗中模索の思春期を経てジャズへ。
2014年より柳樂光隆監修『Jazz the New Chapter』シリーズ(シンコーミュージック)
及び関西ジャズ情報誌『WAY OUT WEST』に微力ながら協力。
音楽性迷子による迷子の為の音楽ブログ"maigo-music"管理人です。

花木 洸 Twitter
maigo-music

日本初上陸!Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN開催決定!:ニュース / NEWS

NYで2011年にスタートした「Blue Note JAZZ FESTIVAL」が日本初上陸。
1日限りの野外フェスとして、9/27(日)横浜赤レンガ野外特設ステージにて開催されます。

既にPAT METHENY、JEFF BECK、ROBERT GLASPER TRIO, INCOGNITO,
SNARKY PUPPY, HIATUS KAIYOTEといった豪華な顔ぶれの出演が決定。
今後も続々と追加出演者がアナウンスされていくようです。

赤レンガやベイブリッジをバックに、
お酒片手に"ジャズで"身体を揺らしたり、チルできるなんて想像するだけで気持ち良さそうです。

拡張し、混在する今のジャズシーンを捉えた新しいジャズフェス。
期待せずにはいられません。


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【Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN】

NYのさまざまなクラブやホールで、ジャズの名プレーヤー、そしてジャズの冒険的なスピリットを持ちながら新たなサウンドを生み出すアーティストやDJが一ヵ月にわたり連夜ライヴを繰り広げる一大イベントとしてNYで2011年にスタートした「Blue Note JAZZ FESTIVAL」。今年で5回目を迎え、すっかりNYの夏の風物詩として定着したこのフェスティバルが、1日限りの野外フェスに形を変えて日本に上陸するのが「Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN」。ジャズというキーワードのもとに、ジャンルを超えて良質な音楽を奏でる面々が集結します。

会場はジャズの街、横浜の「赤レンガ野外特設ステージ」。目の前に大さん橋、その向こうにはベイブリッジを臨む最高の環境で、潮風を感じながら音楽を全身で浴びる、特別な体験をしてみませんか。


【日時】
9月27日(日) 開場 12:00 開演 13:00 終演予定 20:30

【出演】
PAT METHENY with BLUE NOTE TOKYO ALL-STAR JAZZ ORCHESTRA,JEFF BECK,
ROBERT GLASPER TRIO, INCOGNITO, SNARKY PUPPY, HIATUS KAIYOTE, and more...

【会場】
横浜赤レンガ野外特設ステージ
〒231-0001
神奈川県横浜市中区新港1丁目1番 横浜赤レンガ倉庫
■JR・市営地下鉄
「桜木町駅」より汽車道経由で徒歩約15分
■JR・市営地下鉄
「関内駅」より徒歩約15分
■みなとみらい線
「馬車道駅」または「日本大通り駅」より徒歩約6分
「みなとみらい駅」より徒歩約12分

【料金】
スタンディング ¥9,800(税込)
A指定席 ¥15,800(税込)
S指定席 ¥23,000(税込)特典:各種優先サービス(専用トイレ、優先ドリンクレーン、記念グッズ)
※ご入場の際、別途1ドリンク代500円をいただきます

【チケット発売】
チケットぴあ(0570-02-9999 Pコード:267-985)、ブルーノート東京、各プレイガイドで発売中

【お問い合わせ】
クリエイティブマン 03-3499-6669

【主催】
Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN 実行委員会

【後援】
横浜市文化観光局

【企画制作・運営】
クリエティブマン、ブルーノート・ジャパン


●オフィシャルサイト
http://bluenotejazzfestival.jp
●facebook
https://www.facebook.com/bluenotejazzfestivalinjapan
●twitter
https://twitter.com/BlueNoteJazzFes
●instagram
https://instagram.com/bluenotejazzfestival/




【Blue Note JAZZ FESTIVAL 2015 trailer 】





【出演ミュージシャン動画】

【Pat Metheny: The Unity Sessions Preview】



【Jeff Beck - Hammerhead (Live in Tokyo)】



【Robert Glasper - The Worst (Live At Capitol Studios)】



【INCOGNITO "Always There" from "Live In London - 35th Anniversary Show" - OUT August 14th, 2015】



【Snarky Puppy, Metropole Orkest - Sintra - Flight - Atchafalaya】



【Hiatus Kaiyote - Live in Revolt】




"TOUCH OF JAZZ"アルバム - SARA GAZAREK & JOSH NELSON セレクト:TOUCH OF JAZZ

青木カレンがナビゲートする番組「TOUCH OF JAZZ」では、毎回ゲストの方に
自身の「TOUCH OF JAZZした作品=ジャズに触れた作品」をご紹介いただいています。


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今回のゲストは6月に新作『DUO』をリリースしたサラ・ガザレクとジョシュ・ネルソン。

お二人のルーツを知ることのできる1枚。
趣は違えど、どちらもジャズの醍醐味を味わう事のできる作品ですね。


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『Ella And Basie / Ella Fitzgerald/Count Basie』


「最初に聴いたのは15歳の時。1年くらい聴きこんで本当に全部覚えちゃったの。リリックの一つ一つからフレージングから息づかいから。ボーカルにしてもそうだけどスキャットから全部。私にとってそんな大切な1枚です。」

SARA GAZAREK(サラ・ガザレク)




『THE PRISONER /HERBIE HANCOCK』


「沢山あるけれど(笑)、一つだけ選ぶとすれば1969年のこのアルバムかな。ピアノの演奏も素晴らしいしアレンジも素晴らしいんだけども、彼のオリジナル曲に関して言えば60年代の市民権運動の社会背景をすごく反映していて、そういう意味でも非常に興味深い作品だと思う。

ジョー・ヘンダーソンやジョニー・コールズなど、参加しているミュージシャンも素晴らしい。少人数の編成なんだけどビッグバンドでやっているような、本当に音のふくらみが素晴らしい作品。

何かあると必ずここに戻ってくる、そんなアルバムです。僕にとっては。」

JOSH NELSON(ジョシュ・ネルソン)




■タイトル:『Ella And Basie』
■アーティスト:Ella Fitzgerald/Count Basie
■オリジナル発売年:1963年

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■タイトル:『THE PRISONER』
■アーティスト:HERBIE HANCOCK
■オリジナル発売年:1969年

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【Ella Fitzgerald - On the Sunny Side of the Street】




【HERBIE HANCOCK, I Have A Dream】




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■タイトル:『DUO』
■アーティスト:SARA GAZAREK/JOSH NELSON
■発売日:2015年6月17日
■レーベル:コアポート
■製品番号:RPOZ-10011

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[収録曲]

01. オール・アゲイン
02. ブラックバード/バイ・バイ・ブラックバード
03. オ・パト
04. サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート
05. アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー
06. プチ・パピヨン
07. ムード・インディゴ
08. ノー・ムーン・アット・オール
09. アイ・ドント・ラヴ・ユー・エニモア
10. ファーザー・ファーザー
11. リヴァー/リヴァーマン
12. ビハインド・ミー 【日本盤ボーナス・トラック】


[メンバー]
SARA GAZAREK(vo)
JOSH NELSON(p)

■2015年1月録音作
■プロデュース:アル・シュミット
■録音:アル・シュミット (キャピトル・スタジオ、ハリウッド)
■マスタリング:G&J Audio
■編曲:ジョシュ・ネルソン、サラ・ガザレク

互いに寄り添い、完全に調和する声とピアノ。サラ・ガザレクの最新作は名コンビ、ジョシュ・ネルソンとのデュオ作。ニック・ドレイク、ローラ・マヴーラ他のカヴァー曲収録。サラ・ガザレクの全オリジナル作でピアノを弾き、サウンドを決定付けているジョシュ・ネルソンとのデュオ作。サラのナチュラルなヴォーカル・スタイルをさらに引き出す、温かみのあるピアノとの調和は極上もの。様々なジャンルからのカヴァー・センスが光りつつ、スタンダードのような品格を持つオリジナル曲が絶品。日本先行発売。日本盤ボーナス・トラック収録。




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【SARA GAZAREK(サラ・ガザレク)】(ジャズ・ヴォーカル)
シアトル生まれ。エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンから大きな影響を受け、南カリフォルニア大学のソーントン音楽スクールに入学。同校でジョン・クレイトンの指導を受け、2003年には"Down Beat Student Music Award"のヴォーカリスト部門で最優秀大学生ジャズ・ヴォーカリカト賞を受賞。その後もコンコード・ジャズ・フェスティバル他に出演後、2005年にジョン・クレイトンのプロデュースによる『ユアーズ(Yours)』でデビューして大ヒット、iTunesトップ・ジャズ・アルバム・チャートで1位を獲得する。日本でも当時の"ポスト・ノラ・ジョーンズ"の筆頭に躍り出る。2007年の第2作では再びジョン・クレイトンをプロデューサーに迎え、シーマス・ブレイク(ts)やアンブローズ・アキンムシーレ(tp)他も参加した『リターン・トゥ・ユー(Return To You)』を発表、2010年にはトリオセンスとのコラボレイト作『ホエア・タイム・スタンズ・スティル』を発表。2011年には4年ぶりのオリジナル作でブロッサム・ディアリーに捧げた『花とミツバチ』を発表。その自然体のヴォーカルとサウンドは日本でデビュー以来人気が高く、来日公演は9回にも及ぶ。

SARA GAZAREK Official Site http://saragazarek.com/


【JOSH NELSON(ジョシュ・ネルソン)】(ピアノ)
南カリフォルニア生まれ。サラ・ガザレクと同じく、南カリフォルニア大学のソーントン音楽スクール出身。サラ・ガザレクの全オリジナル・アルバムにピアニストとして参加し、またミュージカル・ディレクター的存在でもある。自身のアルバムも『First Stories』(1998)、『Anticipation』 (2004)、『Let it Go』 (2007)、『I Hear a Rhapsody』(2009)、『Discoveries 』(2011)、『Exploring Mars』(2015) とリリース。サイドマンとしてモナタリー・コール、ピーター・アースキン他とも共演している。サラと共に来日公演を重ね、日本でも多くのファンを獲得している。

JOSH NELSON Official Site http://joshnelsonmusic.com/

Monthly Disc Review2015.0801:Monthly Disc Review

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Title : 『Treehouse』
Artist : Tom Hewson Trio



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以前、こんな文章を残したことがある。
「大好きなミュージシャンがこの世を去ってしまい、新作が聴けなくなってしまうことと、
自分の方が先にこの世を去り、聴くことのできない作品がこの世に存在すること、
どちらの場合がより悲しいか。」


この時、僕はとても才能のある自分よりもかなり若いミュージシャンに出会っていて、
彼女の生み出す作品をすべて聴き続けたいと思っていた。
しかし、ふと思ったのだ、彼女と自分の年齢差を考えると
ほぼ確実に自分の方が先にこの世を去るのだと。
それは、自分がこの世を去った後に生み出される作品がおそらく存在すること、
そして自分はそれを聴くことが出来ないということを意味していた。
それくらい、その若いミュージシャンに心酔していたのだ。


Tom Hewsonの存在を知り、その作品を耳にした時、
自分が以前に書いた"自分が逝った後に生み出される作品"という文章を思い出させた。
それは、Tomがまだ若いピアニストだということ(恐らく現在30歳くらい)のみならず、
多くのジャズミュージシャンの場合、老いて枯れてもなお、
素晴らしい作品が発表されることが頭をよぎったからだ。
(先月のレビューのCHARLIE HADENのように)

晩年のTom Hewsonの作品を聴いている自分は全く想像がつかない。
と言っても仕方のない現実なので、とりあえずはTomの作品をしばらく追ってみようかと思う。


今作は、レギュラートリオとして活動している"treehouse"の作品。
このトリオ、piano,vibraphon,bassという編成。
ピアニストTomのリーダーアルバムではあるけれども、この編成の場合、
やはりvibeの存在感はかなり大きい。
vibeが響き出すと、景色が一変する。
ひんやりとした舌触りのスイーツを口にしたような、
海辺を渡る夕暮れの潮風に身をゆだねているような、
夏に聴くVibeの音色は快楽である。


調べてみるとTomは、John Taylorをメンターとする、とあり、
確かにソングライティングにその影を感じることが出来る。
師の域に達するまでには、まだまだ時間が必要なのは当然のこととして、
まずは、今のこの若い才能と演奏を楽しむことを優先したい。
"自分が逝った後に生み出される作品"には触れることが出来ないのだから。


この原稿を書き終えた数日後に、John Taylorの訃報を聞く。
やはりこの喪失感は、なんとも云えず、ただ残念でならない。
こうなってしまうと、師を失ったTom Hewsonの今後の作品に、
今作以上にJohn Taylorの姿を追い求めてしまいそうだ。
一人のリスナーとしては、Tomの作品に潜むJohn Taylorの影を
勝手に想像して楽しむことにしたい。

Johnの冥福をお祈りします。


文:平井康二


http://tomhewson.com/
http://tomhewson.com/treehouse/





Recommend Disc

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Title : 『Treehouse』
Artist : Tom Hewson Trio
LABEL : CAM JAZZ(CAMJ-3316-2)
RELEASE : 2015.7.3

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【MEMBER】
Tom Hewson (p)
Lels Wright (vib)
Calum Goiurlay (b)


【SONG LIST】
01. Sparticle
02. Treehouse
03. Lifting
04. Not Relevant
05. Gelsomina
06. Splitting
07. Glitch
08. Silver Strands
09. Lingering
10. Beanie's Bounce


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「Monthly Disc Review 平井康二」アーカイブ平井康二

2015.4.1 ・2015.5.1 ・2015.6.1 ・2015.7.1




Reviewer information

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平井康二(cafeイカニカ オーナー)

1967年生まれ。レコード会社、音楽プロダクション、
音楽出版社、自主レーベル主宰など、約20年に渡り、
音楽業界にて仕事をする。
2009年、cafeイカニカをオープン
おいしいごはんと良い音楽を提供するべく日々精進。


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cafeイカニカ

●住所/東京都世田谷区等々力6-40-7
●TEL/03-6411-6998
●営業時間/12:00~18:00(毎週水、木曜日定休)
お店の情報はこちら

bar bossa vol.48:bar bossa

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vol.48 - お客様:上川大助さん(ロス・バルバドス)


【テーマ:俺のキンシャサ】





いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今回は、渋谷のロス・バルバドスの上川大助さんをゲストにお迎えしました。


林;こんばんは。お飲物はどうしましょうか?


上川;ノン・アルコールの、エルダーフラワーのやつ、お願いします。


林;フーゴのアルコールなしですね。かしこまりました。さて、早速ですが、お生まれと小さい頃の音楽体験を教えてください。


上川;1960年、目黒区の大岡山で生まれました。小学校入る頃、やっと家にテレビが来て、シャボン玉ホリデイっていう番組でクレイジーキャッツ見たり、当時流行ってたGSが最初に触れた音楽かな。初めて買ったレコードは、よく覚えていないけれど、確かスパイダース。


林;うわ、最初のレコードがスパイダース!


上川;そう。で、いつだったか、おふくろがどこからか蓄音機もらって来たんだよ。それにソノシートが何枚か付いてて、映画音楽のコンピみたいなやつだったんだよね。ビートルズの「涙の乗車券」のインストが入ってて、好きでそればっかり繰り返し聞いてたのを覚えてる。おふくろは若い頃歌舞伎座で働いてたんで、周りに音楽好きも多かったみたいで、デューク・エリントンやベニー・グッドマンなんかのスイングジャズが好きだった。俺が小さい頃死んじゃったオヤジは、洗足池で喫茶店やってて、ジャズかけてたんだって。わりと周りにそんな音楽はあったんだよね。


林;なるほど。それは羨ましい音楽環境です。


上川;小学校高学年になると、日曜日の朝ラジオでやってた、ニッポン放送だったかな・・・「アメリカ20」っていう番組があってさ、それよく聞いてた。カーペンターズや、ミッシェル・ポルナレフ、エルトン・ジョンなんかがかかってた。


林;アメリカが輝いていた時代ですよね。中学のときはどうでしたか?


上川;中学二年の時仲良くなった、同じクラスのタケウチくん。二コ上の姉さんがいて、それが美人なんだけどズベ公でさ、その姉さんがロック好きだったんだよ。頭脳警察のファンだった。タケウチくんもその影響でいろいろ知ってて、教えてくれた。「ラジオ関東で面白い番組やってるぜ」って、「オー・シンディ」教えてもらって。加藤和彦とミカがパーソナリティー。毎日やってたんだよね。当時ボブ・ディランがちょうど8年振りの復活コンサートを全米でやっていて、一か月ずうっとディランばっかりかけてた。そこでディラン初めて聞いて、いいなぁって思って。


林;加藤和彦とミカのラジオ番組があったんですか。ディランがいいなぁと思ったというのも意外ですね。


上川;そう? で日曜の夜は、ジャズピアニストの三保敬太郎とフォークロックシンガーの生田敬太郎の二人がやっていた番組。そこで村八分とか知って、日本にもこんなバンドがあるんだーとガツンときたのを覚えている。そこからフォークやロックをよく聞くようになったかな。


林;そういうラジオ番組で村八分とかはみんな知ったんですね。


上川;うん、そう。それでしばらくしてまたタケウチくんが「夜逃げジャンボリー」って番組面白いぜ、って。なぎら健一がパーソナリティー。深夜3時からだったから、水曜の晩は早く寝て、3時に起きて聴いてた。そこでカントリーやフォーク、ブルーグラスなどアメリカのルーツミュージックを知ったんだよね。ウディ・ガスリーやミシシッピー・ジョンハートなんか知ったのもこの番組。エア・チェックして、何度も聞いたよ。


林;渋い中学生ですねえ。


上川;4時半まであって、その後5時まで30分間は関西の番組を買い取ってオンエアしてたみたい。アメリカのSSW系をよく流す金森幸介から京都のフォークシンガー東野ひとしにパーソナリティーが変わったら、ジョルジュ・ブラッサンスばっかりかけてさ。シャンソンってそれまで、エディット・ピアフや、日本なら有名なのってアダモだったじゃない? 変な音楽だなーって思ってたけど、ブラッサンスはかっこいい! と思っちゃってさ。イヤなガキだよね。


林;ダイスケさんらしいです。


上川;当時ラジオの公開録音とかあってさ、日大両国講堂で、チャーが入った古井戸のライヴとか見たよ。俺の影響で音楽好きになったサッカー部のイシカワくんと、遠藤賢司が渋谷でやってたカレー屋「ワルツ」でなぎらさんの番組の公開録音見に行ったりもしたな。


林;うわー、遠藤賢司って、カレー屋やってたんですね。そして公開録音も!


上川;そうなんだよ。で高校入ったら、仲の良かったヒラタとオザワと一緒によくギター弾いてた。
ある時オザワが乱童夢(ランドーム)っていうガリ版刷りのミニコミどっかからもらって来てさ、中身はマリファナとかグレートフル・デッドの話。地元のヒッピー崩れの、俺たちより少し上の連中が作ってたんだよね。そこに夏、市営グラウンドでフリー・ライヴをやりたいからボランティア・スタッフ募集ってあって、三人で行ったんだ。そこで、今でも時々店に来てくれるくらい長い仲になった、二つ上の奴ら何人かと知り合った。そいつらはブルースやソウル、ブリティッシュロック、サザンロックなんかバンドでやってて、リハ見に行ってその辺りの音楽を知った。


林;70年代半ばですね。雰囲気伝わりますねえ。


上川;うん、その頃かなぁ、立ち読みした宝島にボブ・マーリーが襲撃されたニュースが載ってたんだけど、まだレゲエに興味無かったし、このヒトなんなんだ? と思ったけどスルーしちゃった。ブルース・スプリングスティーンのボーン・トゥ・ラン聴きまくってた頃だから。


林;あ、ダイスケさん、その頃はブルース・スプリングスティーンでしたか。わかってきました。


上川;わかってきた? そうこうするうちにヒラタが「おじさんからもらった面白いレコードあるから聴きに来いよ」って誘われて。ジーン・ビンセントの7インチ。ロカビリーだよね。ヒラタんちは公団の5階でさ、なぜかTVKが普通に見れたんだよ。電波の弱いローカル局の番組が、なんかの拍子に見れちゃう、とかあったんだよね。

TVKってもともと音楽番組が多かったんだよ。おじさんの7インチ聞いて、テレビ点けたらTVKでなんたることか「パンク特集」やっててさ。クラッシュの「白い暴動」、JAM の「イン・ザ・シティ」、ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」だよ! 大ショックよ、もう。そこからパンクまっしぐら!


林;待ってました! さて、その後、高校を卒業しますが。


上川;卒業したら調理師学校を中野に選んだのも、高円寺に鳥井ガクのやってたブラックプールっていうパンク飲み屋があったから。そこにもよく通ったし、吉祥寺にDOLL主催のフィルムコンサート、皆でPV見るって感じなんだけど、そんなイヴェントがあって、そこでロンドンのパンクをいろいろ聴いたな。

そのうち「東京にもすごいのあるらしいぜ」って、東京ロッカーズの存在を知ったんだ。「パンク仕掛け99%」っていうライヴ・イヴェントのフライヤー見て、碑文谷にある目黒福祉会館のホールに行ったよ。リザード、ミラーズ、Sケンなど6バンド出た。リザードもかっこよかったけど、代わりにトリのフリクションがステージに立った時の衝撃ったら無かった。今でもよく覚えてる。ステージの空気がガラっと変わったんだ。MC無し、30分ぱーっとやっておしまい。すげぇ、なんだこれ!! ってそれからはフリクション。新宿のロフトや屋根裏、いろいろ見に行った。ラピスさん(ギタリスト)の真似して、トレーナーの肩のあたり破いたり、Tシャツに血糊塗ったり、安全ピン刺したりさ。銀座のソニープラザにデップっていう髪立たせるジェルが売ってるって聞いて、わざわざ買いに行ったりもした。


林;フリクションでしたか。あ、僕も高校の時、デップ買いましたよ!


上川;買った? そうだよな。で当時住まいの近くの津田沼にソングバードっていうアメリカン・ロックかける店があった。時々顔出してたんだけど、ある時店主に「お前、パンク好きなら市川にできたロッキンっていう店行ってみろよ」って教えられてさ。行ったら「パンクは無いけどレゲエはあります」って。そこで初めてボブ・マーリーを聴いたんだよね。

ロッキンの向かいの酒屋で働いている神宮さんっていうのがいて、俺のこと聞いたのかふらっと入ってきて「こういう音楽に興味あるの?」「パンクが好きなンすけど、レゲエにも興味あります」そしたら「実は世界は今すごいことになってるんだよ」って話始めて。ジャマイカのレゲエ、中南米のサルサ、ハイチの音楽、ブラジルのジョルジュ・ベン、アフリカのフェラ・クティ・・・。毎週水曜の夜にその辺の音楽かける「サードワールド・ティーパーティー」やってるから来い、って言われて。それに顔出すうちに、またいろんなやつらと知り合った。


林;おお、良い感じですねえ。


上川;でも根がパンクだったからいまいちはまらなかった。そんな時、千葉パルコにあった山野楽器が「レゲエを推す」ってことになり、東芝EMIの当時ボブ・マーリー担当ディレクターの三好さんと神宮さんのトークショーっていうのがあったんだよね。そこでボブ・マーリーのロンドンのライヴ映像見たんだよ。それでガツンときちゃってさ。ソニー・ビルや緑屋のオーディオルームで、山名昇、藤川Q、例の三好さんなんかがやっていた「レゲエシンジケート」っていうレコードコンサートに通うようになったんだ。通ううちに「ロッカーズ」っていう映画がもうすぐ日本でも見られるぞって話を聞いて、80年の夏だったかな、原宿のラフォーレであった上映会に行ったんだ。もう、冒頭のシーン、ラスタがナイヤビンギやってる、あれにやられちゃったね。レゲエバンドやりてーなー、って思い出して、昔池袋西武の端っこにあったホールでのロッカーズ上映イヴェントに友達誘ってまた見に行ったんだよ。上映の前に、ナーキのバンドとミュート・ビート、クールラニングスが出た。ミュートは最高にかっこよかった。


林;ダイスケさん、伝説の場所には全部、参加してますね。


上川;あはは。で、その一緒に行った友達と「ソルジャーズ・トーク」っていうレゲエバンドを結成したんだ。メイヨ・トンプソンがやってたサイケデリック・バンド「レッド・クレヨーラ」のアルバムタイトルから取ったんだよ。かっこよかったから。このバンドは2年余り活動した。当時原宿にあったサンビスタや、クロコダイルの深夜の部、デビューは椿ハウスの「レゲエ・ナイト」だった。


林;デビューが椿ハウス!


上川;そうなんだよ。でトロンボーン吹いてた増井が、掛け持ちしてたミュート(ビート)やメロンの仕事が忙しくなって抜けることになって、レゲエ・バンド、これからどうしようか、なんて考えてた時に神宮さんがキンシャサ旅行から戻ってきた。「ダイスケ、キンシャサすげぇよ、行こうぜ」って誘われて。当時乗ってたワーゲン売ったのと、バイトで貯めた金で行くことにした。本当はジャマイカ行こうと思ってたんだけど、ジャマイカにはその頃もう日本人が結構行ってて。じゃあ、未踏の地もいいかな、って。


林;ダイスケさんの人生が動いた瞬間ですね。


上川;そうだね。で生まれて初めての海外旅行が84年12月のザイール(現在コンゴ民主共和国)のキンシャサ行き。まずアフリカ大陸にはケニアから入った。一緒に行った仲間にジャンキーのタロウくんっていうのがいて、ナイロビ着いたらすぐ消えちゃった。あれ、どこ行ったの? なんて話してたらコーディネーターの相楽さんが「あぁ、なんかブラウンシュガー買えるところあるって聞いて行っちゃったよ」って。

今はナイロビも治安が悪いらしいけど、当時はもっとのんびりしてたんだよね。空港もきれいで、入国審査も「普通」な感じで、アフリカって言ったって、そんなに変わんないじゃん、ってその時はたかくくってたんだ。ところがザイール入ったら大変。空港はボロイわ、わけわかんない人が大勢いるわ、なんだかんだ言ってくるわで、とにかくパワーがもの凄い。もう、空港からしてカオスなの。キンシャサ入って最初の一週間は調子出なかったねー。やられっぱなしよ。


林;ダイスケさんもやられるんですね(笑)。


上川;もちろんだよ。で一週間たった頃、神宮さんから「ライヴチェックしがてら散歩行こうぜ」って誘われて、歩いてった。いつどこそこでライヴやります、っていう告知のヴァン・カルテ(看板)が街中のいたる所にあった。お店に入って神宮さんにオーティスが、昔どうしてパパ・ウェンバがイシフィっていうバンドから追放されたか、なんて話してんの聞いてて。
そしたら、えらくクールな男が入ってきた。素肌にスーツ、素足に革靴、身長も190cmくらいあって、すごくかっこいいの。わぁ~と思って、いきなり抱きついちゃったんだ、俺。彼はヴィヴァの取り巻きのコロネール・ジャガーだったんだけど、いきなり初対面の、それもぶっ飛んだジャポネが抱きついてきてびっくりしてたよ。でも、その後いろいろ話してくれた。もう、完璧ヤクザなんだけど、優しいんだよ。で、ちょっと落ち着いてきたから神宮さんとそのお店をあとにした。帰り道添いにブロック塀があってさ、ほら、昔日本にもよくあった、松の形にくり抜いてあるタイプのやつ。あれ見てたら「なーんだ、日本と大して変わらないじゃん」って思った。一気にキンシャサが親しくなったよ。それからは、もう絶好調!


林;それで絶好調ですか。


上川;そう! あ、ここでちょっと自慢話してもいい?この頃、フランコに会ったんだ。ライヴではもちろん見ていたけど、フランコの家に行って会ったの。ある時ホテルに、ヴィヴァのセキュリティーやってた空手家のデカいドナってのが迎えに来てさ「今日これから、ヴィヴァがフランコの家でパーティーやるから来いよ」「えー、そんなパーティーに俺たち行っちゃっていいの?」って感じだったんだけど、得意のノー・プロブレム! で、ついてった。

高級住宅街であるリメテっていう所にフランコの豪邸があった。いわゆる、コロニアル建築。その広い中庭で、お金持ちっぽい人がたくさん集まって飲み食いしてた。バンドは、ヴィヴァとフォルクローレがいくつか出てたかな。途中でドナに肩叩かれて「上見てみろよ」って。見上げたら3階のバルコニーから見下ろすフランコがいたんだ。わー、伝説の人を近くで見ちゃったーって思ってたら、じきに下りてきて。今度はドナが「挨拶して来いよ」って言うもんだから恐る恐る近づいたよ。まだリンガラ語もそんなにできなかったから「ンボテ(こんにちは)」みたいな挨拶くらいで。フランコ機嫌が良かったのかニコニコして、握手してくれたんだ。いやー、感激した。


林;すごい経験ですね。


上川;うん。その時の旅行中、キンシャサで俺たちのめんどう焼いてくれたのが、アシンバ・バッシーていうジャーナリストだった。まじめで、本当にいいやつで、音楽誌に書いてたんだけど、今は社会派ジャーナリストになって活躍しているよ。

アシンバにある時「グラン・ザイコの周年パーティーがあるから、お前ら一緒に演奏してみないか」って言われた。えー、できんのかな?って思ったけど、リハに参加したらメンバーが皆いい人ばかりで。まぁ、大人のベテラン・バンドだからね、余裕があるんだよ。「そうか、そうか、それならこの曲一緒にやろう」って練習してくれてさ。コズミークっていうライヴハウスで、一曲演奏させてもらえたんだ。


林;そんなにあっさりと...


上川;そうだね。で一回目のキンシャサから戻った時、レゲエ・バンドよりアフリカに特化したバンドやりたいなーって思って、友人数人と、小編成でコンゴ音楽やる「モロカイ・スターズ」っていうバンドを始めたんだ。ヴォーカルのアラタはスワヒリ語勉強してて、ケニア、タンザニアを周ってた。でもコンゴは行ってないって言うから、じゃぁ、行ってみっか、と。二度目のキンシャサは、86年から87年にかけて半年滞在した。


林;日本ではバブル絶好調ですね。


上川;はは。で、ヴィクトリア・エレイソンっていうバンドに入りたくて、空港からのタクシーの運ちゃんに「ヴィクトリア、今キンシャサにいるの?」って聞いたら「ヨーロッパ行ってて2月になんなきゃ戻んないぜ」って。だけど、一回目のキンシャサで仲良くなってたアリっていうヴィクトリアのバンドボーイは残っていたから、真っ先に顔出した。すごくいいやつで、顔も広かったからね。ヴィクトリアがいなかったのは残念だったけど、ヴィヴァ(・ラ・ムジカ)の連中と一緒にやることができた。パパ・ウェンバは単身パリに渡っちゃってたんだけど、他のメンバーは残ってたんだ。

ある日リジョ・クェンパ(ヴィヴァのヴォーカルのひとり)の家に遊びに行ったら「行きつけのバーに行こうぜ」。そのバーでプレイバック(レコードの音源に合わせて歌ったり踊ったりすること)やらされた。リジョが勝手に画策してたんだ。ジャポネが踊るぞーって皆に声かけちゃってて、すごい人集まってたから。しょがないからアラタと二人で踊ったら大ウケ! 娯楽が少ないからさ、街中に広まっちゃった。おかしなジャポネがいるぞ、ってね。


林;お、始まりましたね。


上川;うん。で、そしたら次は「TVに出て踊れ」って。口パクで踊ったよ、何曲か。その頃TVが家にある所なんてそうそう無かったし、出たからって影響無いよな、と思ってたら皆見てた。TVのある家に集まって見てんだよ。昔の日本と一緒。ホテルに戻ったら周りにいたガキどもがばーっと集まってきて「TV見たよ~」って大騒ぎ。キンシャサで有名人になちゃったから、今度はバンドに入って演奏しろ、って。それでヴィヴァに入れてもらったんだ。


林;なるほど。そういう経緯があったんですね。


上川;そう。三か月もすると、他のバンドのメンバーやら取り巻きやら、音楽関係者の友達がたくさんできた。帰国間際に「タバコの新商品のプロモでツアー周るから、一緒に来い」って声かけられた。あと一週間もしないで帰国予定だって言ったら「大丈夫、2~3日だから」って。それが結局二週間だよ。


林;(笑)


上川;ツアーは今でいうバコンゴ州、キンシャサから西の方。マタディに二日、ボマに一週間、そこからムワンダっていう街に移動。その移動が夜間だったんだけど、途中誰かが「おい、電気消せ、電気消せ!」って。「空見てみろ」窓から見た夜空に、ものすごくきれいな天の川が見えたんだ。あんなの一生に一度だろうな。回りがぶっとんだ黒人の兄ちゃんばっかりっていうのが全くロマンチックじゃなかったけどね。ツアー中は結構ハードで、メンバー間に喧嘩が起きたりしたんだけど、あれ見て皆心が洗われる感じがしたな。


林;良い話ですねえ。


上川;うん。ツアーは良い経験になったけど、途中でビザ切れちゃうし、不法滞在、参ったよ。飛行機はオープン・チケットだったから問題なかったけど、金も無くなってくるしさ。ツアー中は顎足付きだけど、ギャラなんて出なかったよ。ビザ再発行には在キンシャサのコンゴ人でも日本人でも、誰かの推薦状と、健康診断書と、お金が必要で。始めヴィヴァのメンバーが「よし、推薦状書いてやる」って張り切って作ってくれたんだけど「レコーディング、及びツアーの為に延長お願いいたします」って書いちゃった。観光ビザで入ってんだから、何事か! って突っ返されちゃった。結局日本大使館にいたFさんていう人が推薦状作ってくれた。とても良い人で、いろいろアドバイスもしてくれた。延長の理由は「帰国前に、どうしてもキブ(コンゴ東部)の美しい景色が見たかった」にしろ、一旦受理したら再発行しないわけにはいかないから、受け取るまで粘れ。一度受け取ったら逃げて来い、って。

再発行手続きには役所に何回もジェンスっていうヴィヴァのマネージャーが付き合ってくれた。どこのお役所仕事も一緒で待ち時間が長いから、その間にジェンスからバンドの歴史やミュージシャンのことを聞けて、それはそれで楽しかったな。何度目かでやっと受け取ったから、Fさんに言われた通り逃げ帰ったよ。


林;普通に話してますけど、大変な経験ですね。


上川;はは。そうそう、その頃かな、俺大統領の前でも演奏してんの。当時の、独裁者として悪名高きモブツ大統領。週末のヴィヴァのライヴが終わって、大体朝の4時とか5時なんだけど、出ようとしたらモブツの使いの者っていうのが来て「本日昼過ぎからンセレ(郊外の会議場)でセレモニーがあるから、出演してほしい」って。ホテルで数時間仮眠取って、皆でバスで向かったよ。キンシャサ中心部から小一時間かかったかな。中国庭園みたいな場違いな建物(実際中国人が建てたものらしい)。パラグアイの使節団がきていたらしく、そのためのパーティーか何かだったんだよね。楽屋なんて無いから、幕の下りたステージで皆で待機してた。そのうち、聞きなれたモブツの声がした。当時はラジオ聞いてると、日に何回か「大統領のお言葉」みたいなコーナーがあったから、すぐにわかったんだ。メンバーに「覗くな!」って叱られながらも、幕の間からこっそり見ちゃった。レオパードのあだ名よろしく、トレードマークのヒョウ柄の帽子被ったモブツが見えた。しばらくして、演奏開始。幕が開いたら皆4~50m先の会食場みたいな所に移動していて、ちょっと離れたステージで演奏するって感じだったな。一番手前にこちらに背を向けて立つモブツ見ながら演奏したよ。時々ちらっと横向くんだよね、演奏は気になるみたいで。独裁者の前で演奏した日本人なんて、そうそういないと思うよ、北朝鮮以外ではさ。


林;(笑)


上川;そんな外交に関わるセレモニーなら、O.Kジャズやザイコが呼ばれるのが妥当なんだよ。ヴィヴァなんて当時は町のチンピラ・バンドだったんだから。でも、TVやなんかに出て「ジャポネも入ってるバンド」って話題になってたから、モブツも見てみたかったんじゃないかな。まさか、ヴィヴァが演るような町場のライヴハウスなんか物騒で来れないものね。下手したら暗殺されちゃうから。その日アラタが体調悪くて、それでも頑張って歌ったんだけど。アリ(前出のヴィクトリアのバンドボーイ)が何かあったらいけないから、って付き添って来てくれてたんだ。本当にアリにはいろいろ世話になって、気持ちも通じ合ってた。その後アンゴラで行方不明になったって聞いて、残念だよ。また会いたかった。


林;行方不明って...


上川;そうなんだよ。で、やっと帰国、といった時にまたひと騒動あったんだ。韓国人経営のカフェがあった。行くと「あ、同じアジア人」って嬉しそうな顔してくれるんだけど、俺はハングルも仏語もダメ、彼は日本語もリンガラ語もダメ、で会話はできないわけ。「こんにちは」って挨拶だけ。でも、なんとなく居心地の良い店で気に入ってたんだ。そこでお茶してたら、手に石やこん棒持った男たちがどどどどーって走ってくる。カフェの中見て「ここは違う」ってスルーして、どこか行っちゃって。

そのうちに戻ってきて、近くの店に投石したりガラス叩き割ったりし始めた。なんだなんだって、店にいたコンゴ人のお姉ちゃんに聞いたら「ブラザビルでコンゴ(共和国)とザイール(現コンゴ民主共和国)のサッカーの試合があった。審判の判定に抗議したザイールの選手を、コンゴの警官がこん棒で殴って殺しちゃった。報復として、コンゴ人や審判やってたマリ、エチオピア人の店を襲撃してる」って。選手が亡くなったとか、真偽のほどはわからないんだけど、暴動が起きたのは確か。

次の日、ホテルからも見えるヴィクトワールの交差点の辺りはもの凄い人で、これに乗じて、地方で民主化の学生運動やってたやつらもバスで乗り付けたり、至る所で強奪は起こるは、大変だった。少ししたら落ち着いたんで帰ってこれたけど、最後に凄いもん見ちゃったなーって感じだった。


林;うわー、やっぱりいろんな意味で治安は不安定なんですね。


上川;うん。で、この時の滞在で、ヴィヴァの連中と今でも会えばお互い嬉しい関係が築けたし、若いバンドもいっぱい見れて楽しかった。それが自分の人生の核になっているのは確かだね。


林;ちょっと普通じゃ出来ない体験ですね。


上川;そうだね。で、帰国したらA型肝炎やっちゃって。マラリアの予防薬の副作用もあったんだよね。一か月くらい入院してガリガリに痩せちゃった。体調も戻った頃、神宮さんに「オルケストル・ヨカ・ショック」っていうコンゴ音楽のバンドに誘われた。87年の夏頃だったかな。


林;お、ついに!


上川;うん。ヨカ・ショックはシャンテール(ヴォーカル)が3~4人フロントにいて歌って踊る、っていう向こうのスタイルそのままでやった。90年頃から活動が本格化してきて、91年にメンバーで一人キンシャサ未体験のイシを連れて、俺にとっては三回目のキンシャサ。この時は初めてパリ経由で行って、ヴィクトリア(エレイソン)に入って、パリとキンシャサで演奏した。その後バンド作った神宮さんは抜けちゃったんだけど、活動はかなり真剣にやったな。原宿のクロコダイルや、恵比寿にあったピガ・ピガ、ビア・ホールで演奏したこともある。メンバー全員キンシャサ行ってて、向こうの雰囲気わかるし、やりやすかった。そのうちオリジナル曲も作り出して、全部リンガラ語で歌詞をつけた。ソニーからも声かかったよ。バブルの頃だから、話聞くだけで寿司屋にフグだよ。でも結局「日本語でやってもらわないと困る」って条件のみたくなくてさ、断っちゃった。


林;どうしようもないですね。


上川;そうだね。で、96年に知り合いの横浜のガンボ・スタジオでレコーディングした。スタジオの川瀬 さんが、コンゴ音楽もよくわかってる人で、スムーズにいけたよ。97年にインディーでCD出したんだよね。「BANA KINSHASA BANA JAPON」ってタイトルで。メンバーの中川がそれ持ってパリに売り込みに行った。ザイールはベルギー領だったけど、パリにもたくさんザイール人が住んでいて、バンドも活動の拠点をキンシャサから移したり、盛り上がっていたんだよね。リロ・ミヤンゴっていうパリ在住のジャーナリストが興味持って、彼の尽力でヨーロッパのいろんな所のアフリカン・コミュニティーでヨカ・ショックのCDが売れたよ。パリでライヴをやれる、っていう話も出た。


林;パリってそういう自由さが良いですね。


上川;うん。で、97年の夏、お盆の時期にメンバー全員とその奥さんとか友人とか、10人余りでパリに行った。でも、観光ビザだったからおおっぴらにできなくて、結局パリ郊外サンドニにあったバチカンっていうライヴハウスで演奏した。治安の悪そうな、凄い所でさ、ボロボロのライヴハウスで、でもそこに200人くらいギュウギュウで(もちろん皆ザイール人)、外にも入りきれない人が溢れてた。ザイール人にとっては大スターのエメネヤ・ケステール(ヴィクトリア・エレイソンのリーダー)も飛び入りしてくれて、盛り上がったよ。終わって外出たら若いザイール人が寄って来て「ベース弾いてただろ? すごく良かったぜ!」って声かけてくれた。嬉しかったな。


林;ダイスケさんの伝記映画作ったら、ハイライト・シーンですね。


上川;はは。で、ヨカ・ショックは2000年まで活動してて、2002年に日比谷公園であったアフリカ・フェスに出るために再結成して、また休止。2011年にベルギー人の現代美術のアーチスト、カールステン・ヘラーから、彼の企画する「コンゴ・ジャポン展」に出てくれってオファーが来たけれど、もうしばらくやってなかったし断ったんだよね。でも、ならばヴィデオだけ流したいって。それで一回市川のスタジオで演奏して、その演奏送ったんだ。フランスのどこだっけな・・・美術館で期間中は流れていたんだって。ヨカ・ショック、またやってください、ってよく言われる。でも、まぁ、もうやらないだろうな。皆歳取っちゃったしさ、やり切った感もあるのよ。


林;真弓さんとの出会いも教えてもらえますか。


上川;ああ、真弓と出会ったのは88年。原宿のキャットストリートの裏にトレンチタウンっていうレゲエ雑貨屋があってさ、そこにライヴのフライヤー持って行ったら、遊びに来てた彼女と会ったの。で、ライヴとか見に来てくれるようになって、って感じかな。知り合って5年して、93年に結婚したんだよね。パーティーを恵比寿のピガピガでやっただけ。


林;さらっと説明していただけましたが、真弓さんが「ダイスケ、ほんと、カッコ良かったのよ」っていつも言ってますね。


上川;そう? で、いつかお店をやりたいねーなんて話してたから、俺は実入りの良い現場仕事してた。空調ダクトの設備屋。つくりものも多くて、結構楽しかったな。マレーシア人の同僚とかもいて皆日本名つけられちゃって、タナカくん、とかコバヤシくんとかさ、やつらとの付き合いも面白かった。妙に懐かれちゃって「ダイスケさんと同じ現場がいいです」なんて言い出すやつまでいたよ。昔から、非白人系外国人と、犬猫にはすぐ懐かれんのよ、俺。


林;(笑)


上川;で金も少しずつ貯まった頃、アパートの更新にかみさんが行った時「将来飲食店やりたいから10坪くらいの店出たら教えてください」って頼んだら「あるよ」って。市川駅から徒歩2分、スナック居抜き。居抜き譲渡料含んだ保証金ってのがちょっと高かったんだけど、場所も良かったから国民金融公庫に借金して始めちゃった。オープンは95年の4月。レゲエって言っても、ロック・ステディとかSKAをかけるバー。店名の VIS-A-VIS (ヴィザヴィ)は、キンシャサのライヴハウスから取ったんだ。バンドメンバーもほとんど市川に住んでたし、初心者が始めた店にしては、良い滑り出しだったと思う。そのうち、商大(千葉商科大学)の美術部の学生たちや、英語の先生やってるイギリス人なんかも来だして。当時は店も多く無かったからさ。


林;市川の面白い人が集まるお店だったんですね。


上川;まあそうかな。で、週末は若いのにDJやらせたり、隣の寿司屋が休みの水曜日にライヴ入れたり、いろいろやった。開店の年の秋にブルーノート7周年でパパ・ウェンバも来日した時、わざわざ市川まで来てくれたよ。


林;それは嬉しいですね。


上川;うん。で、2001年に駅の逆側、南口に ZAZOU っていう、もう少し明るめの、ラウンジっぽい店を出した。イームスの椅子置いたり、ソファがあったり、音楽もレゲエにこだわらないで。でも二店舗経営って結構しんどくて、しばらくして、ZAZOU の方は店長やってた西本に完全に渡しちゃった。嬉しいことに西本、まだ市川で続けてくれてるよ。


林;飲食店って「二軒が一番大変」って言いますよね。


上川;そうかもなあ。で、市川駅周辺にもチェーン居酒屋が増えだして、学生も酒飲まなくなって、なんとなく勢い無くなっちゃったな、煮詰まっちゃったな、と思って2004年の9月にヴィザヴィは閉めちゃった。でも、閉店近くにお客さんがサプライズでパーティーしてくれたり、その時知り合った人たちと今も付き合いがあったり、大して儲からなかったけど、それが財産だと思うよ。


林;本当にあっさりとやめちゃいましたよね。


上川;うん。かみさんもう別の仕事してたし、気分転換に引っ越すか、って渋谷に来たんだ。


林;渋谷でお店を始めた経緯を教えてください。


上川;渋谷で店また始めたきっかけ? そりゃ、林くんだよ!!

俺こっち(渋谷)に来て、生協のドライバーや飲食店の雇われ料理人したりだったんだけど、林くんが「ダイスケさん、また店やってくださいよー」「渋谷で店始めてくださいよー」って会う度言うんだもん。ある時かみさんと bossa に飲み行ったらまたその話になって「不動産屋、紹介します!! うちもお世話になってるS って、この辺りの物件たくさん持ってるんです!」って言ったの、覚えてる?


林;言ったような覚えがなんとなく...(笑)


上川;言ったよ。で、そこまで言われちゃったらなぁ、って一応不動産屋さんに挨拶行ったんだ。「小さくていいんですけど、飲食店できる場所出たら教えてください」って。したら「あるよ」って。ヴィザヴィの時もそうだけど、物件探しにはあまり苦労しなかった。考えてみたら住まいもそうだけど、なんとなくちょうど良いのが転がって来て、そこにすぐ決めちゃう。


林;物件は本当に出会いですよね。


上川;そうだね。今の店、Los Barbados は、以前の1/3の規模、4坪欠ける小さな店。坪単価で考えると決して安くないけれど、何せ小さいから毎月の家賃も高くない。保証金も大して高くなかった。
一人で始められるにはいいかな、と思った。ここ借りてやろう、と決めた時にタワーレコードで知り合いのミュージシャンに偶然会って。昔カセットコンロスでドラム叩いてた福家くん。また店やろうと思ってさー、物件スケルトンなんだよね、なんて立ち話してたら「あ、俺木工できますよ。店舗もやりたい」って言ってくれて。カウンターや棚は福家くんが作って、俺が壁塗って、って感じで造った。アールのついたカウンターや、厨房内の動きやすさなど、福家くんのおかげで良い感じにできて、2010年1月の末にオープンした。


林;なんかちょっとした出会いでダイスケさん、人生が全部決まっていくんですね。


上川;そうかもね。で、来てもらった方はわかると思うけど、路面店じゃなくて、ビルの通路入った奥なんだよ。目立たなくて、初めは苦労したなぁ。昼、夜開けてお客さん全然来ない日なんてのもあった。市川時代は12年近く店やって、売上0の日なんて一日も無かったからこたえたね。


林;そうだったんですか。


上川;そう。で、かみさんはまだサラリーマンやってて、妙に楽観的でさ「大丈夫、大丈夫、その内大化けすっから」なんてなんの根拠もないこと言うわけ。後から聞いたら「覚えてない」って。出張続きで忙しかったからわかるけどさ。で、そのかみさんも仕事辞めて5月から一緒に店やることになった。まだまだ大変だったけど、少しずつお客さんが来だした。楽では無かったけれど、いざとなったらかみさんに任してここの家賃分くらい俺がビル清掃の仕事でもして稼ぎゃいいか、なんてことも考えてた。一年余りたった2011年の4月のブルータスの酒場特集だかに、小さく載ったんだ。その影響は結構あったかな。


林;ブルータスって本当、大きいんですよね。


上川;うん。で、雑誌で取り上げてもらうことも増えて、ラジオも一回だけ出た。TVは取材依頼はたまに来るけど全て断っている。TV嫌いだし、狭い店だから一気に来られても困るし。気に入ってリピートしてくださるお客様が入りづらくなったらイヤだからね。あ、コンゴのTVは別だよ。こないだも取材受けて出たばかり。市川では夜開けて深夜過ぎまでやるバー営業だったから、今度は飯中心の店にしたかったんだよね。ランチからやって、夜はあまり遅くない時間に閉める店。最初はバー使いの方も多くて1時2時までやっていたけれど、アフリカ料理って知られてきたり、ヴェジタリアン・メニュー増やしたりしたら、徐々に食事メインのお客様が増えてきた。今は完全飯屋だね。売上の半分以上FOODだよ。

夜も早く閉められるようになった。22時半にはクローズ札出して、カーテン下ろして掃除しているのに「二名ですけど」ってお客様が入って来る。この状況、どっから見ても閉店後だろ、オヤジがしゃがんで床掃いてんだから、って思うけど、ありがたいよね。集客に苦労した初期に比べたら、予約の電話断らなきゃいけない日もあるから。わざわざ予約して来るような店では無いんだけど、狭いから仕方ないのかな。ただどっかの店みたいに「数か月先まで予約でいっぱい」なんてこと無いよ。ガラ~ンとした日だってある。まぁ、おかげ様で、夫婦食っていけてるからありがたいよ。

奥渋谷なんて言われて、今この辺りで物件探している人多いらしいね。何にも無かった頃からずっとやってきた bar bossa はすごいし、いいタイミングで声かけてくれた林くんには、本当に感謝してます!!


林;いえいえ。ほんと、僕も外国人の友人が渋谷に来たら、必ずバルバドスさんって決めてます。みんな絶対に気に入るんで。さて、みんなに聞いているのですが、これから音楽はどうなると思いますか?


上川;荻原和也さんのアフリカ音楽本に「アフリカ音楽の黄金期時代は過ぎ去っている」ってあるんだよ。悲観的な言い方しちゃうと、アフリカだけでなく、世界中の音楽の黄金期は過ぎてるし、ひいて言えば人間の文化の黄金期が過ぎているのだと思う。これから若い世代には、その世代の考え方があるんだろうから世代なりの何かが出てくるかもしれない。それでいいんじゃないのかな。正直、これからの音楽には悲観も期待もしてない。ただ、好きなことを好きなようにやれた世代として、今の若い世代やその子供たちにも、好きなことを好きなようにやれる時代、社会であってほしいと思います。


林;それではみんなが待ってる選曲に移りましょうか。テーマは?


上川;「俺のキンシャサ」です。星の数ほどある好きな曲の中で、ライヴ映像のあるもの、現地の雰囲気が感じられる10曲を選びました。


01. ZAIKO LANGA LANGA / ELIMA NGANDO
ザイコ・ランガランガ / エリマ ンガンド

上川;ZAIKO LANGA LANGAは、コンゴ音楽史上第三世代と言われる新しいスタイルを作り出したバンド。メンバーが固定し、安定期に入った頃の映像。'70年代からオータンテシティ(オーセンティック)、つまり伝統回帰が興る。ここに見られる大ヒットしたダンス「ゼケテ・ゼケテ」は、フォルクローレが強く打ち出されたもの。


02. Victoria Principal / Deux Temps
ヴィクトリア・プリンシパル / ドゥ タン

上川;二つの時。人生には、過去と未来しか無いのだ、という歌。現在は一瞬にして過去になってしまうからなのか。バンド名は、当時流行ったアメリカのTVドラマ「ダラス」に出てきた女優から。ヴィクトリア・エレイソンから一時枝分かれしてできたバンドだったが、短命(2年くらい)に終わり、8枚のシングルしか出していない。


03. Choc Stars / Male
ショック・スターズ / マレ

上川;LANGA LANGA STARS から枝分かれしたバンド。'83年~'80年代後半にかけて黄金期を築く。後半は円熟味を増し、特にお金持ちに受けていた。この映像はわりと初期なので結構とんがっている。子供たちのダンスが上手! 「ロボティ・ロボタ」という名のダンスは多分キコンゴ(コンゴ語)。当時人気を博した。


04. VIVA LA MUSICA / Etat Civil
ヴィヴァ・ラ・ムジカ / エタ シビル

上川;'83~'84年「ルンバ・ロック・フレンチェン」というダンスが流行った頃のヴィヴァ。ちょうど日本でリンガラが聞かれ始め、このダンス名からコンゴ音楽を「ルンバ・ロック」と呼ぶ日本人もいる。メール・フレンチェン(本名アドロ)という、ヴィヴァのパトロンだった女性のためのダンスである。パトロン文化が根付くコンゴ音楽業界では、パトロン個人のために歌やダンスを作ったり、演奏中名前を呼ぶことも珍しく無い。


05. VIVA LA MUSICA / Mea Culpa
ヴィヴァ・ラ・ムジカ / ミア クルパ

上川;パパ・ウェンバの作った中でもかなり、ベストでマストな一曲。まだエメネヤ・ケステールも在籍していた、'80年頃の最強のヴィヴァ。当時の独特の疾走感がある。この辺りの音源を、経済学者の岡崎彰氏がアフリカから持ち帰り、親交のあった高円寺のレコ屋「アミナタブ」へ。そこから俺たちが耳にしてぶっ飛んだ、というわけ。


06. Rumba Ray / Mj Ngoy
ルンバ・ライ / メイジェイ ンゴイ

上川;ヴィヴァの初来日に連れて行ってもらえなかった若きシャンテール(Vo.)スティノが、マライ・マライ率いるルンバ・ライに入れてもらって歌ったもの。スティノは、ヴィヴァがコンゴに帰国すると、すぐに出戻った。'89~'90年、キンシャサとパリで大ヒットし、スティノはスターになる。Mj Ngoy は、スティノの奥さんの名前。


07: LANGA LANGA STARS / BAKUTU
ランガ・ランガ・スターズ / バクトゥ

上川;ザイコとヴィヴァからミュージシャンをごっそり引き抜いて、エボロコが'81年にバンドを作った直後の映像。行った人にはわかるが、キンシャサ臭ぷんぷん。行かなくてもわかるのは、メタ・カンパニーの海老原氏くらいか。フロントの向かって左端のジャナナは、話がとて面白く、巧妙なMCで観客を盛り上げたらしい。


08: KING KESTER EMENEYA & VICTORIA ELEISON / ATAMPIAKA
キング・ケステール・エメネヤ&ヴィクトリア・エレイソン / アタンピアカ

上川;ヴィクトリア最高傑作のひとつ。アルバム「マンハッタン」に収録。'87年当時キンシャサにいた頃、耳にしない日はなかったくらい大ヒットした。2014年2月のエメネヤ没後も、実弟であるジョリー・ムビアラ、エル・シャント、カルトゥーシェ、ルトゥラ(G)、を中心に「ヴィクトリア・エレイソン・グラン・コンプレ」というバンド名でパリで活動中。


09: Anti Choc / SISI
アンチ・ショック / シシ

上川;ZAIKO→LANGA LANGA STARS→Choc Stars と渡り歩いたシャンテール、ボジ・ボジアナが'86年頃に結成したバンド。後に「ニーズに合わせて」女性シャンテールを入れて丸くなったが、これは尖がってた頃の映像。フロントの向かって右から二番目のアドリは、無口だがとても良い人で、よく葉っぱ屋に誘ってくれた。


10: TP OK Jazz / Mario
TP OK Jazz / マリオ

上川;言わずと知れたコンゴ音楽の王、フランコ率いる OK Jazzの、'85年最晩年の映像。マディル・システムの歌から始まるこの曲は大ヒットになった。年上の女性のヒモになっているマリオに、そんなことは早くやめ、家に戻って仕事をしろ、という内容。フランコ曰くマリオはコンゴ人ではなく、ポルトガル人だそうである。




林;ダイスケさん、今回はお忙しいところどうもありがとうございました。みなさんも是非、ロス・バルバドス、行ってみて下さい。すごく良いお店ですよ。では最後にダイスケさんが在籍したヨカ・ショックの映像をご覧ください。

Orchestre Yoka Choc du Japon - Bana Kinshasa



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夏ですね。熱い音楽を聞いて乗り越えましょう。
それではまた来月、こちらのお店でお待ちしております。


bar bossa 林伸次


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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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