vol.60 - お客様:榎本善一郎さん(Yama-bra東京支部)
【テーマ:山形に行き着く前の10曲】
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今回はYama-bra東京支部の榎本善一郎さんをゲストにお迎えしました。
林; こんばんは。早速ですが、お飲物はどうされますか?
榎本; こんばんは。では、アルザスのピノ・ノワールをお願いします。
林; おっと素敵なご注文ですね。ではセピランドマンの美味しいピノ・ノワールがありますので、こちらにしますね。ではお生まれと小さい頃の音楽環境の話なんかをお願いできますか?
榎本; 1967年、埼玉県の久喜市というところに生まれました。子供の頃は主要道路以外はまだ舗装されていない道も多かったことを覚えています。そんな田舎でしたが家にはアップライトでしたがピアノがあって兄弟(姉と妹がいます)みんなピアノを習っていました。でも僕は本当に練習とか訓練が苦手で、バイエルの下巻終了時点で挫折しました。バイエルまでは姉と同じで、曲を知っていたので譜面を見なくても弾けたのですが、その後教則本が変わりまして、譜面を読むところからが嫌でやめてしまいました。
林; 男の子ってみんな挫折してしまいますよね。どんな音楽を聴いてましたか? 初めて買ったレコードも教えてください。
榎本; 普通にテレビやラジオから流れる歌謡曲を聴いていました。初めて買ったレコードは月並みで「泳げたいやきくん」だったと思うのですが、擦り切れる程聴いたのは「宇宙戦艦ヤマト・ドラマ編」だと思います。超有名なスキャットのテーマ曲はもちろん、全てのセリフ、効果音を完コピして空で再現していました。今ならエアヤマトですね(笑)。相手は主に妹で、LP1枚なので多分約50分付き合わせてました(笑)。
林; (爆笑)
榎本; それが小学4年から5年の頃で、同時に漫画にハマり出し、愛読書は「マカロニほうれん荘」と「すすめ!! パイレーツ」でした。今から考えると1977年は自分の核というか根っこが決まった年な気がします。ヤマトは何よりもストーリーのみならずメランコリックなオーケストレーションにしびれていましたし、マカロニとパイレーツで今以って変わらない自分のナンセンステイストは全て説明つきます。
林; ああ、「マカロニほんれん荘」お好きなんですね。なるほど、なんか納得です。中学はどうでしたか?
榎本; 1980年に中学に上がるのですが、その年にYMOに出会いました。3つ上の姉がすでにハマっていたので家にはLPがありましたが、マイファーストYMOは同級生の高山君が作ってくれたオリジナルテープでした。彼の家のステレオは録音ができなかったようで、ステレオの前でラジカセで録音されたものでした。YMO以外の色々な音が紛れていましたが、お母さんが高山君を呼ぶ声「たーちゃん、ごはんだよ」が微かに入っていたことを覚えています。
林; (笑)
榎本; その後効果音のない「クリアな」YMOを聴いた時には違和感があって(笑)、しばらくそのおかしなオリジナル感覚が残っていました。
中学時代はみんなAMラジオに夢中になっていて、深夜放送ではオールナイト・ニッポン派が多い中、僕はミスDJリクエストパレードで対抗していました。千倉真里さんというDJが好きで、彼女がここ、という時にかけていたのが佐野元春です。「Someday」です。あとはラジオをつけたら必ず流れていたのが大滝詠一の「A Long Vacation」で、実はこの2枚のLPを買うのは随分後になってからなんです。
林; ミスDJ派というのもらしいですね。
榎本; 月並みにビートルズを聴き出したのも中学時代で、初めて付き合った女の子に作ってあげたカセットも中身はビートルズでした。中学時代はお金がなかったので音楽ソースはFMやAMで、カセットテープにエアチェックしたものを繰り返し聴いていました。
林; エアチェックでしたよね。高校時代はどうでしたでしょうか?
榎本; 1983年に高校に進学してJR(当時は国鉄)での電車通学が始まりました。この定期を持つという変化とお小遣いの増額が僕をレコード探しという行動に導きました(笑)。高校は北浦和というところにあったのですが、まずは埼玉県人の東京へのゲートウェイ、池袋に到達。埼京線はまだなく、京浜東北線から赤羽線に乗り継いでました。パルコ文化が時代をリードしていた頃でもありますが、池袋パルコにあったオンステージヤマノには憧れのレコードや見たことのないインディー盤があって田舎のレコード店との違いに心ときめきました。ここではピーターバラカンさん司会でジョン・ルーリー来日時のイベントが開催されて、挙手して質問したことを覚えています。僕のしどろもどろの質問を聞いたピーターさんは僕にウインクして、上手く翻訳してくれました。格好良かったな。
林; え、ジョン・ルーリーのイベント! さらにピーターバラカン司会!
榎本; 程なく山手線に乗り継いで新宿まで行くようになりました。ALTAの中にCISCOがあった時期があって、スリッティ・ポリッティの「キューピッド&サイケ85」の英国初回盤(タイトルロゴが金色)が発売時に全面ディスプレイされていた鮮明な記憶があります(壁一面全てスリッティ・ポリッティ!)。でも新宿といえば西新宿でその名も新宿レコード等の中古も取り扱う店が沢山あり、XTCやエルビス・コステロの初回盤やシングルを随分発見しました。
林; なるほど。池袋が入り口で次は新宿という感じなんですね。
榎本; そして遂に渋谷に上陸します(笑)。当時一番通ったのはタワーレコードでしたが、まだ移転前で今のbar bossaの近くにあった時代です。自分にとってはある種のアメリカ文化の入り口的な場所でした。アメリカ盤は比較的安かったし、シュリンクとかステッカーにしびれていました。もちろんCISCO本店にも通いましたが、当時ダイエー資本のCSVというやたらニューウェーブなレコード店が公園通りを登りきった辺りにありました。ここはコンパクト・オーガニゼーションのBOXセットが山積みされていたりとか、夢のようなお店でしたが、当時の自分でもこれでやっていけるのだろうかと心配していました。やり過ぎたWAVEというか(笑)。果たして?事情は不明ですが3年程で閉店してしまいました。
林; おお! 伝説のCSVも行かれたんですか。羨ましいです。
榎本; 埼玉に戻ります。高校からの帰りによく寄ったのが大宮にあった新星堂でした。当時は新星堂が独自にベルギーのクレプスキュール・レーベルのレコードを輸入、帯をつけて販売していて、ミカドとかアンテナのミニアルバム、所属アーティストのオムニバスLPなんかを買いました。また、ダイエーのようなスーパーにもレコード売り場があって、何故か輸入盤があったりして。トーキング・ヘッズのスピーキング・イン・タングスの特殊ピクチャーレコードはそこで買いました。
林; 新星堂がやってましたよね。僕も買いました。
榎本; 大学に入る前に浪人生活がありましたが、そこで、予備校のあった御茶ノ水が行き先に加わります。この辺で購入する形態もCDに移行しだしました。まだ新興だった頃のレコファンが駅並びにあってコンパクトXTCというベストCDを発見して嬉しかったことを記憶しています。
林; 僕も当時XTCには夢中になりました。
榎本; 埼玉の田舎出身の子供がレコード店を探す、ために都内に進出していったプロセスが以上なのですが、そもそも嗜好の中心には引き続きYMOがあって、彼らの関連盤や好きと言っているレコードを探す、というのが当時の行動規範(笑)でした。現在においても坂本龍一さんは最も好きなアーティストの1人ですが、高2の秋にリリースされた「音楽図鑑」は今だに心のベスト1候補です。これが1984年。また、細野さんの起こしたレーベル、ノン・スタンダードからリリースされた、ピチカートファイヴの「オードリー・ヘップバーン・コンプレックス」。小西康陽さんも今に至るまでその音楽に魅了され続けている1人で、スタートは1985年でした。確か坂本さんがFM番組「サウンド・ストリート」でかけていて、翌日慌ててレコード屋に買いに行ったと思います。ピチカートはその後CBSソニーに移籍して「カップルズ」という名盤をリリースします。本気で好きになったのはここからかもしれません。ヤマトで刷り込まれたオーケストレーション・ポップス好きの根っこがひきづりだされた、というのは後から強引に結びつけた自分史ですが、このアルバムでロジャー・ニコルズを初めて知りましたから、あながち嘘とも言えない気がします。
小西さんは当時「テッチー」という月刊誌でThe Best of Greatest Hitsという連載を持っていました。そこでピチカートは小西さんと高浪さんだけになり、新ボーカルを迎えてレコーディング中であることが語られていた筈です。別でそれがオリジナルラブというインディーバンドの田島貴男という人であることを知りますが「ベリッシマ」というこのアルバムのテーマはソウル。特にフィリーソウルやマービン・ゲイ、ボビー・ウーマックなど影響されたレコードを紹介した号は衝撃的でした。1988年9月21日、僕は青山にあったパイド・パイパー・ハウスに「ベリッシマ」を買いに行きます。当時長門さんがピチカートのマネージメントしていることを知っていたので、パイドで絶対買おうと決めていました。あと、何かオマケがつくかもしれない、という期待も大きかった。残暑の日差しの残る昼過ぎに店についてドアを開けると、ムード歌謡のような音楽が流れていて、あれっと思ったのですが、すぐにこれがピチカートの新作なんだと気付きました。3曲目の「聖三角形」という曲です。ドキドキしながらCDをレジに持っていく時にはスライ・マナーの「ワールド・スタンダード」が流れている。この時の高揚感は多分一生忘れないと思います。会計を済ませると、「これ、どうぞ」と宣伝用ポスターを渡されました。「ベリッシマ」のフロント・カバーは多分自分の持っているレコードの中でも1、2を争う程好みなのですが、このポスターはフレームに入れて今だに部屋に飾っています(笑)。
林; おおお、当時の一番正しい音楽少年ですね。さて、大学に入って何か状況は変わりましたか?
榎本; 高校時代もバンドをやっていたのですが、浪人したりでしばらく楽器からは離れていました。でもとにかく音楽が好きなままでしたので、自然にバンド・サークルに入りました。自分が入った「リアル・マッコイズ」は先輩に竹内まりやさん、杉真理さんなんかがいることから想像できるような、良質のポップス、Jazzフュージョンなんかを得意とするサークルでした。当時は「イカ天」全盛でしたが、そういった音楽に対するアンチな感じでポップスを演奏していました。なんか逆に屈折している感じです(笑)。
林; イカ天のあのバンドブームな感じへのアンチでポップスという雰囲気があったんですね。さすが慶応ですね。
榎本; ここでもピチカートです。大学1年の6月、ニューアルバム「女王陛下のピチカートファイヴ」のレコ発ツアーが名古屋から始まりました。僕は6月25日に、当時六本木にあったインクスティックでのライブに一番仲の良かった同級生と2人で観に行きました。田島さんのライブを観たのはこの時が初めてだったのですが、クネクネしながら歌う姿にびっくりしたものの、ボーカリスト、パフォーマーとしての圧倒的な存在感に一発でノックアウトされました。その後定番となるアンコールでの「夜をぶっとばせ」の弾き語りは、この時がベストと僕は思っています。このライブを一緒に観た友人も同様に衝撃を受けていて、当時ベースを弾いていたものの上手くもならないし辞めようかぐらい悩んでいたのが、ピチカートみたいな音楽をやりたい、自分は歌う、と決心してくれました(笑)。自分もベースだったので、これで一緒にバンドを出来るようになった訳ですが、結局卒業まで彼とは一番好きな音楽を演奏し続けたので、そのきっかけとなった一夜だったと言えます。
林; 良い話ですね。
榎本; 彼とのバンドではほぼコピーを演っていましたが、ピチカートは勿論、全曲小坂忠のアルバム「ほうろう」からのライブをやったり(その後渋谷系で再度脚光を浴びるアルバムですが、当時の僕らはアングラロックと笑われていました)、後半はCDリイシューにより再度流行りだしていたAOR(スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲン、ボズ・スキャッグス等)を演奏していました。このバンド以外も色々演りましたが、メンバーがオリジナルを持ち寄る企画もありました。当時好きだった女の子が作曲、ボーカルのバンドで、僕はこのためにシーケンサー付きのシンセサイザーを購入し、自作曲を作りました。「翳りの朝」という曲で、当時はまったく意識していませんでしたがイメージ的には吉田美奈子に影響を受けていると思います。因みに曲自体はその女の子のキャラと全く合っていなくて、中間部に別の先輩女子にスキャットソロを入れてもらいました。これも美奈子風。ギターはこちらもずっと一緒に演っていた同級生で、上手く曲を聴けるものに昇華させてくれましたが、今だったら大村憲司を聴かせて、こんな感じで、とダイレクションすると思います。因みにこれをきかっけに彼女が自分に振り向いてくれることはありませんでした(笑)
林; (笑)
榎本; レコード店ではこの時代は自分的にはWAVE全盛期でした。六本木店は勿論のこと、渋谷店は渋谷に行ったら必ず寄っていました。何故かは分かりませんがピチカートなんかのプロモ盤がさりげなく売られていて、当時はネットなんてなかったので足繁く通ってゲットしていました。
林; え、プロモ盤売ってたんですか... さて、榎本さんと言えば、今でもほぼ音楽漬けの日々で有名ですが、大学卒業後は音楽の道に進もうとは思わなかったのでしょうか?
榎本; サークルはコピー中心の活動で、どちらかというと好きな曲を如何に正確に再現するかをテーマにやっていたことがあります。先輩でプロのスタジオミュージシャンになった方々もいましたが、僕は本番で人前で演奏するよりバンドでの練習が好きだったりで。音楽関連の道に、ということも周りでは当然意識されていましたが、就職活動が本格化していく中で、何故か僕は業界、マスコミなんかも含めて何か違うな、と思うようになりました。大学時代に遊びすぎたので、真っ当な大人になりたい、と思ったというか、当時の現実が続くなんて信じることができませんでした。
林; ああ、なんとなくわかります。僕も当時そういう気持ちでした。
榎本; 渋谷系が始まったとされる1993年に社会人になり北海道(千歳市)に赴任しました。可処分所得は段々増えますから、当然CDやレコード購入は加速しました(笑)。当時は札幌での購入が中心でしたが、ピチカートファイブのアルバムの発売日(の週末)とライブの時は有給休暇も取りながら東京に帰ってました。映画「男と女」に出会ったのもこの頃です。多分サバービアの影響で知ったのですが、本当に衝撃を受けたことを覚えています。はい、月並みですがサバービアの影響は絶大です。1998年末に東京に戻ってきてからも、その後地方に転勤になっても(笑)、渋谷には通い続けていますので、もう30年以上渋谷に行き続けていると思います。渋谷在住者、あるいは渋谷で働く人以外の日本人での渋谷来訪回数はベスト100圏内だと自負しています(笑)
林; (笑)さて、これはみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?
榎本; 今だにどうも配信とか、YouTubeでさえ馴染めないのでCDやアナログでの販売はなくなって欲しくないです。ただ僕は制作者サイドの事情は正確には分からないので、林さんのレストラン話ではありませんが、とにかく買い続けることしか出来ません。
ところでライブ全盛ですよね、今。僕は「ものんくる」に出会って以来、都内を中心に若手のJazzミュージシャンのライブに行く機会が増えたのですが、やがて、センスが良く技術水準の高い20代を中心とした若手ミュージシャンの層があることに気づきました。先日音楽評論家の柳樂さんとお話した時、今の若者は過去の音楽を遡って勉強する、というか聴くことをしないのだけど、Jazzというジャンルだけはまだそういった伝統が残っていると思う、と伺いました。Jazzだから、みたいです。確かに彼らはJazzの過去を共通言語として話します。一方、今までのミュージシャンと明らかに違う育ち方(JTNC的かもです)も感じて、僕はそういった彼らを観ることによってまだまだ音楽の未来が楽しみだな、と素朴に思っています。例えば、ドラマーの石若駿さん。本当に毎日どこかで叩いているので、試しに彼を追ってみるとすぐに理解できるのではないかと思います。
林; なるほど。この質問への答え、人によってそれぞれなのですが、現場に足を運び続けている榎本さんらしい前向きなお話ですね。さて、榎本さん、これからはどうされるご予定ですか? カフェをやりたいなんて話も以前、カウンターでされていましたが。
榎本; 「これからの人生。」の方が短いことを思うと何か世の中に恩返しできないかな、と考えることが多くなりました。カフェだとかbar bossaのような空間を僕が好むのは出会いとか、そこから始まる人間関係があるからです。あるいはストレートにライブハウスとか。あのアーティストのあのライブをあの時に、なんていう体験から起こる何かってロマンチックですよね。音楽を共通項に何か残せることはないか、結構真剣になってます。
林; おお、榎本さんの今後が楽しみです。では、そろそろみんなが待っている選曲に移りますが、テーマは何でしょうか?
榎本; 「山形に行き着く前の10曲」です。以前このコラムにも登場された石郷岡さんのYama-braへの出会いは、僕にとってはひょっとしてここに行き着くために色々な音楽を聴いてきたのでは、と思うぐらいの出来事でした。Yama-braで紹介されるようなブラジルやアルゼンチンの音楽の中でも自分が心惹かれるのは、最近の言い方ではメランコリーといった感覚だと思っています。その源流を辿ったらこんな感じになりましたが果たして繋がっているのか・・・。
林; 楽しみですね。では聴いてみましょうか。
01. 宇宙戦艦ヤマト「無限に広がる大宇宙」
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榎本; いきなりアニメも何ですが、このメロディー、アレンジが自分のルーツの1つです。最近のリメイクはプロデューサーの西崎義展さん、音楽の宮川泰さんの息子さん達が手がけていて、見事なクオリティでした。必ずこのメロディーは流れますから、一瞬で心鷲掴みにされちゃいます(笑)。
林; 最初にアニメ、もちろんです。ちなみに僕は銀河鉄道999でした。
02. 高橋幸宏「今日、恋が」
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榎本; スネークマンショーの2nd収録曲ですが、「男と女」のサントラ以上に「男と女」ですが本物に出会う前に刷り込まれたロマンの感覚がこれです。高橋幸宏さんの初期の代表作に「サラヴァ」がありますが、それは坂本龍一さんがクラウス・オガーマン風のストリングスアレンジを付けた傑作で、60周年記念ライブでもラストに歌われていました。
林; おお、今聴くとまたすごく良いですねえ。
03. Pizzicato Five「聖三角形」
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榎本; ピチカート・ファイヴの2ndフルアルバムは、冒頭から畳み込むように3曲、新加入の田島貴男さんの曲が続くのですが、いかにこの時期が作曲の部分においても伸び盛りであったか感じさせる煌めきというか奇跡感があります。1曲目「惑星」は自分的にはヤマト~マービン・ゲイ「What's going on」からつながるスキャット三部作の1曲です(笑)。
林; ピチカートはどの曲でくるのかと思ってたらこれですか。榎本さん、僕が想像してたより「男っぽい」ですね。
04. Peirre Barouh「Samba Saravah」
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榎本; bar bossaの定番、そしてこのビデオも定番ですね。多くの人がそうなのかもしれませんが、サンバ、ボサノヴァの巨人達の名が語られるこの名シーン、特に「サラヴァ」の声の響きによって、一発でブラジルへの幻想が擦り込まれました。ブラジル音楽が特別なものになった瞬間です。ピエール・バルーは永遠の憧れで、時々、渋谷のサラヴァ東京でBBAサポートのライブなんかに参加する時には特別な気持ちになります。「男と女」、今年50周年だそうですね。自分はその半分ぐらいしか付き合っていませんが。
林; ほんと、名シーンですよね。そうですか、50周年なんですね。
05. Antonio Carlos Jobim「Chovendo na Roseira」
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榎本; ジョビンのレコードは学生時代にJTのプレゼントで「Wave」のCDに当選したものが最初です。緑です。ジョビン、有名過ぎて手元に置きたいと思っていなかったのですが、真剣に聴いていくと自分のボサノヴァへの知識が偏狭なものだったと反省しきりでした。この曲が一番好きです。クラウス・オガーマンのストリングスが効いてますよね。
林; ジョビンはこの曲ですか。いやあ、榎本さん、ほんと嬉しいです。この曲ですよね。
06. 坂本龍一「The Last Emperor (Theme)」
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榎本; あまりに有名過ぎて誰も挙げないと思うのですが(笑)。坂本龍一さんのサントラは勿論「戦メリ」を擦り切れる程聴きましたが、この曲はいつ聴いても涙がでますね。イントロからメインテーマに進むところのアレンジ(1分35秒から20秒程)は聴く度にはっとします。
林; おお、僕もその個所で今鳥肌がきました。
07: 中島ノブユキ「八重、新たなる決意~覚馬の正義」
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榎本; 中島さんの音楽との出会いは当時渋谷パルコのB1にあったアプレミディ・セレソンで購入した「エテパルマ」です。橋本さんPushしてました。2013年はNHK大河「八重の桜」のサントラを担当されました。坂本さんのメインテーマが号泣を誘うものであったとしたら、中島さんの楽曲達は正にメランコリーで、僕は映像を思い出しては一人じんわりと涙しています(笑)この頃は結構定期的に馬喰町のフクモリで楽曲を披露してくれていました。
林; 中島さん、今、世界へとはばたいていますね。
08: Maria Schneider Jazz Orchestra「Choro Dancado」
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榎本; マリア・シュナイダー、僕にとっては絶対的な存在で昨年はN.Y.までライブを観に行ってしまいました。最近のフォロアーの続出ぶりが影響の大きさを実感させます。アルゼンチンの「Nadis」とかN.Y.の「Christopher Zuar Orchestra」とか、今年も傑作が続いています。日本の挾間美帆さんなんかも最高です。
林; なるほど。榎本さん、マリア・シュナイダーお好きなんですね。なるほど、すごく納得です。ショーロですね。良いですねえ。
09: ものんくる「南へ」
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榎本; 明治大学のビックバンドに在籍していた角田隆太さんが吉田沙良さんというボーカリストに出会って構想した音楽がこういったジャズとポップスのハイブリッド=ラージアンサンブル的アレンジということだったようです。同世代のミュージシャンが皆シンパシーを感じ、参加することの喜びを僕に語ってくれました。これはアルバムの告知映像ですが、彼らの音楽の高揚感が良く出ていると思います。角田隆太さんは間違いなくこの世代を代表する才能であり、これからの日本の音楽の中心にいて欲しい存在です。
林; 榎本さん、大プッシュのものんくる。榎本さんのツイッターを見ていると本当に惚れ込んでいるんだなって。榎本さんの常に現場主義な感じもらしいですね。
10: Tatiana Parra & Andres Beeuwsaert「Milonga Gris」
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榎本; 最後にYama-bra的楽曲を1曲。昨年のピアノ・エラでの奇跡の共演も記憶に新しいですが、タチアナとかアンドレスの音楽を考えると何故かいつも切なくなります。また、僕には今まで聴いてきた音楽とは別物のような新鮮な感覚と、今まで聴いてきて惹かれてきた音楽との共通性というか連続性というか、その2つが同居する不思議な感覚を覚えます。世界にはまだまだ素晴らしい音楽があるんだ、と信じさせてくれる音楽です。
林; 衝撃的な楽曲ですよね。何度聞いてもハッとさせられます。
●榎本善一郎twitter
榎本さん、お忙しいところどうもありがとうございました。今回は色々とお話を聞いて、音楽って本当にいろんなものや人や記憶がつながっていくものだなあと思いました。世界の音楽がこのまま美しいままでいてほしいものですね。
みなさん、夏が本格的になってきましたね。この夏も素敵な音楽に出会えると良いですね。それではまたこちらのお店でお待ちしております。
bar bossa 林伸次
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【林 伸次 近著】
■タイトル:『ワイングラスのむこう側』
■著者:林 伸次
■発売日:2016年3月26日
■出版社: KADOKAWA
■金額:¥1,404 単行本
東京・渋谷で20年、カウンターの向こうからバーに集う人たちの姿を見つめてきた、ワインバー「bar bossa(バールボッサ)」の店主・林伸次さん。バーを舞台に交差する人間模様。バーだから漏らしてしまう本音。ずっとカウンターに立ち続けている林さんだから知っているここだけの話。
bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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