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2016年3月アーカイブ

類家心平インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

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類家心平インタビュー


類家心平というトランペッターは僕の中では不思議な存在だった。日本のジャズの中心にいるようで、その演奏の場はポップスやバンドなど様々な音楽を渡り歩いている。しかし「ロックなサウンド」という謳い文句の新作を引っさげた彼にインタビューしてみると、その立ち位置が明らかなジャズ・ミュージシャンであることを痛感した。今回は新譜についてはもちろんバンドメンバーについて、スタジオワークについて、そして新譜でも取り上げたマイルス・デイビスまで盛りだくさんに語ってくれた。

2016/2/22 @JJazz.Net
インタビュアー:花木洸 HANAKI hikaru(音楽ライター)





――まずバンドのメンバーを類家さんから紹介していただけますか。

[類家心平]
「僕のバンドは元々4人でやっていたんですよ。ドラムとベースは今と一緒なんですけどピアノがハクエイ・キムさんとやっていてギターはいないっていうカルテットでずっとやっていて。ドラムと鉄井(孝司)さんとハクエイ・キムは最初池袋のマイルス・カフェ(現SOMETHIN' Jazz Club)がジャム・セッションをやっていて、そこに行ったんです。その時はハクエイ・キムと鉄井孝司と今はJazztronikでドラムを叩いている天倉正敬っていう人がホストバンドに入っていて。その2人が良かったのでその2人とバンドをやろうと思って。

ドラムはもうその前から決めていたんですよ。吉岡大輔っていう人は、彼のバンドはファンクをやるバンドだったんですけど、彼は若い時から僕なんかよりキャリアの長いドラマーで。彼はスウィングのビートがカッコ良くて、尚且つファンクみたいなグルーヴのビートも出せるって人で。もうドラマーはこの人にしようって決めていました。それで4人集めてバンドが始まりました。その後サックスを入れたりしてた時期もあったんだけど、最終的には4人でやりましょうって事になり、1枚目の『Distorted Grace』と2枚目『Sector b』はカルテットで作りました。

 そしたら今度はハクエイ・キムがユニバーサルに入ってすごい売れちゃったのでスケジュールがあわなくて。どうしようかなと思って、ハクエイくんは自分のやりたい事を思うようにやった方がいいと思ったので、ピアノを替えようかなと。それでちょうど地元のジャズ・フェスティバルに出るタイミングで中嶋錠二に替わって。錠二は青森の八戸市出身で地元が一緒なんですけど、そこにいる時から知っているわけではなくて。三輪裕也君がやっていたInformel 8(アンフォルメル ユイット)ってバンドがあったんですよ。dCprGってバンドでサックスを吹いている高井(汐人)君とか、僕が入った時はドラムの田中教順君がいたりして結構メンバーは替わってるんですね。今は休止状態なんですけどそのバンドは作曲家がいるバンドなんですよ。三輪くんっていう演奏はしないんだけど曲を提供するっていう人がリーダーで。そのバンドに錠二がいてそこで出会って。すごくいいなぁと思ってデュオとかはよくやっていて、じゃあバンドでも弾いてもらおうと思って入ってもらったっていう感じです。

 その当時ちょっとエレクトリックな事をやりたいなと思っていたんで、アコースティックなものとエレクトリックなものを繋いでくれる要素がもうちょっと必要だなと思っていたんです。なのでそこを上手く繋いでくれるギターを入れようと思って。ギターを入れるなら田中"tak"拓也にしようと思っていたので声を掛けました。田中拓也はボストンのバークリーに行った後ロサンゼルスに渡ってロスでずっと仕事をしていたんですが、彼が向こうに住んでいる頃日本に帰ってくるとJP3っていうバンドをやっていたんです。それは田中拓也と中村亮っていうドラムに、今は"Big Yuki"として活動してる鍵盤の平野雅之の3人でやっていたバンドで、そのバンドと対バンしたんです。もう10年以上前ですね。その時にすごく良いなと思って、そこからちょこちょこ観たり聴いたり一緒に演奏したりしていました。彼は結構ポップスとかもやってたりもするんですよ。替わりになる人がいないサウンドというか、ちょっと変わってますよね。」


――このバンドでは、曲は最初に何かビジョンがあってそこに近づけていく感じなんですか?それともセッション的に?

[類家心平]
「それはどっちとも言えないというか、どっちもありますね。特に最近はよりバンドっぽい感じになって来たから。結構ジャズのバンドってセッションっぽい感じのバンドが多いじゃないですか。あんまりそうもなりたくないんですよね。コンポーズ自体は僕がほとんどやっているので、DTMでデモとか作っていって「こういう感じで」みたいなやりかたもするし。それを持って行ってリハーサルをして、みんなから色々アイディアが出てきてデモとは違う方向に行くっていうこともあるし。

サウンド自体は自分の頭の中に最初にあるものがあるんだけど、それをこのメンバーでやるとこのメンバーのサウンドになるっていう。だからどっちが先っていう意識は無いですね。ただ音楽的に一緒にやっていくっていう上で好きなメンバーを集めたっていう所はあります。やっぱり僕はジャズのインプロビゼーションが根底にある人、そしてその中で出てくる音楽っていうものに魅力を感じるので。だからこのバンドの曲はリズムがちょっとロックなビートだったり、コード感っていうものがビ・バップに比べたら細かく割り振りされているわけではないんだけど、やっぱりロックの人がやるインプロビゼーションとはまた違うサウンドになるんです。僕はそっちの方が好きだから、やっぱりジャズをやっている人たちでバンドを作りたかったんですよね。」


――このバンドは結構サウンドが「ロック寄り」って言われることが多いじゃないですか?今のジャズって「ヒップホップ寄り」とか「R&B寄り」が増えてる気がするんですけど、このバンドのサウンドが「ロック寄り」になっていったきっかけっていうのはどこにあると思いますか?

[類家心平]
「確かに世の流れとしては全体的にレイドバック感がありますよね(笑)でも僕たちは自分の中にあるものを表現したいわけじゃないですか。それは絵を描く人でも写真を撮る人でも。その媒体が何であるかっていうことの違いであるわけなんですよ。アウトプットするときにR&Bとかヒップホップとかそういうものが自分のフィルターの中にある人はそれが自ずと出てくると思うんです。僕もそれが無いわけじゃないんだけど、そこを使った自分の表現っていうのが上手く出来ないんじゃないかなと思ってるんですよ。割りと破壊的な物を作りたいので(笑)それはヒップホップでもやりようはあると思うんだけど、どっちかというとロックっぽいサウンドの方が自分の表現したいものに合ってるっていうだけのことだと思うんですね。」


――たしかに類家さんって、実は自分のリーダー作ではクラブに近いようなサウンドってやってないんですよね。僕の中では類家さんの世代って、クラブとジャズがすごい近い世代っていうイメージなんですよ。類家さんの中では「クラブ」の影響ってありますか?

[類家心平]
「それはありますね。クラブのフロアでお客さんが立っている感じとか、逆にピットインみたいなジャズのライブハウスでみんな座っている感じとか僕はどっちもやっているから、どっちもやっていて良かったなっていうのはすごくあるんですよ。座っていても聴けるし立っていても聴けるっていうそこのギリギリのところの音楽。そのギリギリのところを常に演奏で出せるようになるっていうか。よくクラブで夜中のギグとかやってましたけど、ああいうのが無いと出せないものっていうのもあるんですよ。

だから僕からすると今の若い人のほうがちゃんと「ジャズ」をやっているような気はすごいしますね。やっぱり当時もガチガチのジャズのセッションに行く人とクラブに行く人っていうのは別れてはいたんですけど、TOKUさんみたいにたまにクラブの方にアプローチしてくれる人達がいたのが大きかったですね。

当時僕が行っていたのはマイルス・カフェもそうだし、渋谷のTHE ROOMってところでそういうセッションがあって。曲をやるわけじゃなくてファンクとかソウルとかでセッションをして、ラップをする人もいるし、歌を歌う人もいるし、ボイス・パーカッションをする人もって、本当に色んな人が来ていたんです。ジャム・セッションっていうよりは所謂オープン・マイクですよね。そういう中でトランペットを吹くとなると、場を力ずくで持って行かなきゃいけないわけじゃないですか(笑)そういうスキルはやっぱり付くんじゃないですかね。お客さんの反応もそういう事に対してシビアだし、ジャズとは違う緊張感があって。ジャズのセッションだとキーがどうとか、曲を知っているとか、ツー・ファイブのフレーズが吹けるとかそういう所に重きを置くんですけど、それが良かったりも悪かったりもするので。そういうところを引っぺがえしちゃって、取っちゃっていわゆるシンプルなフォームの中でどれだけ自分を出せるかっていう事だけになってしまうので。聴いている方もそういう熱量を求めて来る部分もあるから。」


――類家さんが書く曲はいわゆるビ・バップ的なコーダルな曲というよりは、コード一発のものであったりモーダルな雰囲気の曲が多いですよね。

[類家心平]
「そうですね。自分はその方がより自由になれるというか、やりやすい。結局音楽はコミュニケーションをとらなきゃいけないじゃないですか。それは演奏しているメンバーともだし、聴いているお客さんともだし。そのコミュニケーションを音楽の上でとっていく時に、やっぱりビ・バップは正直言って僕には難しいんですよね。その中でコール&レスポンスというかメンバーと会話をしながら音楽を構築していければいいんだけど、やっぱりそれはすごく難しいし。あんまりゲームっぽかったりスポーツっぽくなるよりは、お互いが聴き合っていけた方が良いなって思った時に、フォーマットとしてこういう形になるんですよね。」


――さっきも出たんですけど、曲はどうやって書いてバンドに持って行くんですか。

[類家心平]
「色々ですね。メロディを先に作ることもあるし、コードを先に作る事もあるし。それを一回Logic(DTMソフト)に打ち込んでみて、「こんな感じか」って譜面を書いてデモを作って持って行ってという感じです。DTMを使っているのは僕の場合はそんなに器用じゃないんで、例えばテンポが早い曲だとコードを押さえていくのが大変だけど打ち込みならいける、とかただ単にそういう理由です。打ち込みだとテンポも自由に変えられるし、デモとしての機能が優秀なので打ち込んでしまうっていう感じですね。でもドラムの打ち込みは難しくてやっぱり(仮)になっちゃいますね。リズムだけどっかからサンプリングしてデモを作ることもあります。」


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――このアルバムや楽曲のタイトルはどうやって決めているんですか?

[類家心平]
「僕の場合は意外と何でも良いというかニュートラルな状態にしておきたいんですよね。せっかくインストゥルメンタルの音楽なので、歌詞が無いわけじゃないですか。せっかく自由な感じでみんな聴けるのに、そこにラブソングみたいなタイトルが付いちゃうとその曲はもうラブソングとしてしか聴けないじゃないですか。そういう所はニュートラルにしたいな、という部分があるので変な言葉を。適当かもしれないですね(笑)前作の「Guru」とかはちょっとヒップホップぽい曲でちょうどGuruが亡くなった時期だったからとか、そういうところからタイトルを付けることもあります。」


――今回のアルバムでマイルス・デイヴィスの「Maiysha」を取り上げた理由を教えて下さい。

[類家心平]
「単純に好きだった曲なんですよね。それとこのバンドに合うかなと思って。マイルスも何回か録音が残っているんですけど、マイルスがやるとグダグダだけどカッコ良いんですよね。ライブでカバーしている人は結構いるんだけど、やっぱり比べるとカッコ悪いんですよ。普通にファンクっぽい感じになっちゃうと、みんな上手いから。この曲はすごい単純な曲だから、あんまりちゃんとやっちゃうとすごいカッコ悪くなっちゃうんです。マイルスって全般的にそうですけど、とくにキャリアの後半の方は本当に呪術的というか呪いのような不思議な感じがどうしても解明できなくて。だからそれを自分たちなりにやれれば良いなって感じで。」


――類家さんがマイルスで聴くのは割りとエレクトリックのところが多いんですか?

[類家心平]
「いや、実はエレクトリックになる寸前というか70年代の休止する前とか60年代後半とかが一番好きですね。エレクトリック・マイルスを取り上げてる人って、今はそんなにいないけど多分昔はいっぱいいたと思うんです。ウィントン・マルサリスみたいな事ってやろうとしても出来ないんですけど、マイルスっぽい事って出来ちゃうんですよ。そこに落とし穴があって。なんとなく出来てる感じになるんだけど、やっぱりああはならないという。だから自分もワウを使ったりするんですけど、なるべく遠ざかるようにしたいなとは思っていて。」


――類家さんはマイルス・デイビスからジャズに入ったんですよね。

[類家心平]
「最初はやっぱりマイルスから入りましたね。でもそれはエレクトリックなものではなくて50年代の所謂「マラソンセッション」です。トランペット自体を始めたきっかけは、最初兄がブラスバンドでトランペットを吹いていて。そこが結構力を入れている学校で、小学校のブラスバンドなのに70人くらいいたんです。先生がいろいろ研究しているような人で、もの凄く生徒を勧誘してくるんです。で、僕も兄がやってたらその先生に勧誘されて入って。ドラムがやりたかったんですけどね、ドラムが出来なくて。でもトランペットは最初から音が出たんですよ。トランペットは歯並びとかにもの凄い影響される楽器だから、最初に出ないとみんなやめちゃうんです。僕はたまたまトランペットが自分に合ったのでずっと続けることになってしまいましたね(笑)」


――類家さんがトランペットまわりで使っている機材の事を聴いてみたいなと思っているんですけど、録音の時はエフェクトは足元で作っているんですか?

[類家心平]
「そうですね。踏み忘れたやつとかは後から掛けたりもしたんですけど、ほとんど足元です。今はBOSSのME-80っていうギター用のマルチ・エフェクターでほとんど作ってますね。前は普通にVOXのワウとBOSSのRE-20っていうテープエコーを再現したディレイペダルと、って組み合わせて使っていたんですけど。管楽器でマイクで使うとギターに比べて入力のゲインの差がもの凄いあるんですよ。そうするとワウを踏んだ瞬間にゲインが跳ね上がってしまうのでミキサーを挟んでワウを踏む時は入力を絞ってとかやってたんですけど、マルチを使ってみたら楽だなと。おかげでフィルター系のエフェクトも使うようになったし。今はマイクから足元のミキサーに入れて、そこからエフェクターにいれて、ダイレクト・ボックスで卓にっていうシステムになっています。」


――エフェクターはどこからアイディアを得るんですか?

[類家心平]
「ミュージシャン同士でもタブゾンビ君は結構エフェクターを使うから情報交換をしたりしてます。僕が好きな近藤等則さんもエフェクトを沢山使っているのでライブを観に行って見せてもらったりとか。ニルス・ペッター・モルヴェルが来日した時も足元のエフェクトを見せてもらったりしました。彼はGUITAR RIGっていうパソコン上で使うギターアンプ・エフェクトのシミュレーターで音を作っていて足元もそれのコントローラーだけでしたね。あの人はエフェクトが掛かっているマイクと普通のマイクの2本を使っているんですよ。たぶんエフェクターを通すと生の音が痩せるっていうことだと思うんですけど。ツアーだからかもしれないですけど「これだけあれば良いんだ」って言っていて。まぁパソコンとコントローラーだけ持って来るだけでいいですしね。」


――今回のアルバムはほとんど一発で録ってるんですか?

[類家心平]
「そうですね。ほとんど1テイク目が使われてますね。録音は1日半くらいでやっていて、あと4曲位録ったので全部で14、5曲録っていて。」


――今回は全体的に音がクリアなんだけど、歪んだ感触が足されているのが面白いなと思って。いわゆるジャズのアルバムの音っていう感じでは無いじゃないですか。

[類家心平]
「そうですね。このバンドはライブの時からそういうちょっと歪んだ様な音像なので。特にギターが入ってからは、スウィングの曲をやっていても変なギターが裏に入ってるみたいな。そういうところもバンドのサウンドになって来ているので。単純にそのまま録ったっていう感じですね。」


――前回がライブ録音で今回がスタジオ録音じゃないですか。その違いっていうのは意識したりしますか?

[類家心平]
「そうですね。曲によってはスタジオじゃなきゃ出来ないような部分もあるので。インタールード的な立ち位置の曲とかはあんまりライブでは出来ないものだったりするので。3曲目の「Polyhedron Girl」みたいにトランペットを重ねている曲もあるんです。ミックスもマスタリングも立ち会いましたね。そこで音がだいぶ変わりますから。」


――具体的に何かリクエストした事はありますか?

[類家心平]
「さっきも話したけど、あんまりジャズっぽい感じにならないようにっていう事は意識しましたね。今ってヒップホップを生でやっているバンドとかあるわけじゃないですか。そういう物を聴いてきているから、サウンド的な面ではそういう今っぽい部分を意識しました。良い音の基準って時代によって変わって来ているから。で、今はみんなコンピューターに入れて聴くから、他のポップスとかと並べて聴いた時に差が出ないようにガッツリいけたらいいなって。」


――今回はPVも作ったんですね。

[類家心平]
「そうですね。6曲目の「Danu」って曲を池袋のKAKULULUっていうお店で撮りました。ジャズはアドリブだからPVを作るのは難しいんですが、最近はジャズのミュージシャンでも作る人が増えている印象です。今はみんなYouTubeしか観ないですからね。でも今のジャズ・ミュージシャンってなんだかんだ言ってみんなジャズだけじゃなくて色んな物を観たり聴いたりしてるじゃないですか。だから割りと感覚がフラットになって来てるのかなっていう。その方が健全というか健康的だと思いますね。なるべくジャズっていう囲いを取り払った方が良いと思います。」


Shinpei Ruike (RS5pb) / DANU (Official Music Video)



――類家さんは普段どんな音楽を聴きますか?

[類家心平]
「トランペットの物はやっぱり気になりますね。最近だとアンブローズ・アキンムサリとかクリスチャン・スコットとか聴きますし。昔のものも聴くし。」


――クリスチャン・スコットもレイドバックしている音楽というかは...

[類家心平]
「そうなんですよね!あの人も意外とロックが好きなんだと思います。」


――じゃあ今気になるトランペッターと言ったらやっぱりそのあたりの人ですか?

[類家心平]
「いや、広瀬未来じゃないですか。すごいですよ彼は。今日本のトランペットの若い人で上手い人がどんどん出てきていて、石川広行君とか市原ひかりちゃんとか。今の若い人ってなんか世代的な意識が強いですよね。ジャズの行く末を危惧してるのかみんな意識が高くて礼儀正しくていい人が多い。でもみんなで集まって何かやろうっていうアクションはすごく良いと思います。昔はもっといい加減だった気がするんですけど(笑)

世代で分けるのもどうかと思うけど、やっぱり同じ物を観て同じものを聴いてっていう経験は大きいですからね。僕のバンドもだいたい同じ世代の人で組んでいるから「言わずもがな」で伝わる共通の認識があったりしてやりやすい部分はもちろんあります。でも僕が板橋文夫さんのバンドでやってもすごく面白いし、そういう世代を超えてっていう事もあるから。一概には言えないですね。」


――最後にどうしても訊きたいことがあるんですけど...類家さんってトランペットを吹く時に、結構ほっぺたが膨れるじゃないですか。あれは訓練によるものなんですか?

[類家心平]
「あれは勝手に膨らんできちゃったんですよ(笑)僕は自衛隊の音楽隊でずっと吹いてたんですけど、その時は膨らませて無かったんですよ。その頃はマーチとかクラシックとか色んな曲を吹かなきゃいけないから、セオリー的には膨らませちゃいけないんです。でも自衛隊を辞めてジャズだけやろうと思って、出したい音のイメージに近づけて行こう行こうとしてたら段々膨らんできちゃったんです。でもまぁ普通に吹けてるからいいやと思ってそのままにしてたらどんどん膨らんできて(笑)でも日野さんとかも膨らませますよね。結局口の中の容積、息の入る量が変わるから出てくる音もちょっと変わるはずなんですよ。意外とトランペットって唇で音を出すからイメージが大事で。そうなりたいって思っていると勝手に変わってくるんですよ。」


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New Album

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Title : 『UNDA』
Artist : 類家心平 RS5pb (Ruike Shinpei 5 piece band)
LABEL : T5Jazz Records
NO : T5J-1012
RELEASE : 2016.3.23

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【MEMBER】
類家心平 - trumpet
田中 "tak" 拓也 - guitar
中嶋 錠二 - piano, keyboards
鉄井 孝司 - bass
吉岡 大輔 - drums

2015年録音


【SONG LIST】
1 Unda
2 Haoma
3 Polyhedron Girl
4 Invisible
5 Es
6 Danu
7 Maiysha
8 Tupamaros
9 Kyphi
10 Pirarucu

All songs written by Shinpei Ruike except "Maiysha" written by Miles Davis.







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【類家心平】(トランペット)

1976年4月27日、青森県八戸市生まれ。10歳の頃にブラスバンドでトランペットに出会う。高校生の時にマイルスデイヴィスの音楽に触れジャズに開眼する。高校卒業後海上自衛隊の音楽隊で6年間トランペットを担当。自衛隊退官後、2004年Sony Jazzからジャム・バンド・グループ「urb」のメンバーとしてメジャー・デビュー。タイ国際ジャズフェスティバルに出演するなど注目を集める。 「urb」の活動休止後に自身のユニット「類家心平 4 piece band」を主宰。ファースト・アルバム「DISTORTED GRACE」を2009年にリリース。2作目「Sector b」を菊地成孔氏のプロデュースで2011年にリリース。その後メンバーチェンジを経て「類家心平 5 piece band」(RS5pb)となり2013年にT5Jazz Recordsよりライヴ盤「4 AM」をリリース。ド迫力の演奏内容に加え、Pure DSDによる高音質録音の話題も加わり、CDのみならずハイレゾ配信で大きな話題を呼ぶ。

その他「菊地成孔ダブセクテット」、「dCprG」、元「ビート・クルセイダース」のケイタイモ率いる「WUJA BIN BIN」や「LUNA SEA」のギタリストSUGIZOが率いるユニットにも参加。板橋文夫や山下洋輔、森山威男などベテランジャズミュージシャンとの共演も多数。またジャズを題材としたアニメ「坂道のアポロン」の劇中のトランペットを担当するなど、活躍の幅を広げている。


類家心平 Official Site

T5Jazz Records

Monthly Disc Review2016.03.15:Monthly Disc Review

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Title : 『A Time For A Change』
Artist : 荒武裕一郎



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東京を中心に活動する日本人ピアニスト荒武裕一郎の新作『A Time For A Change』。
メンバーは若手の注目ベーシスト三嶋大輝、そして日本ジャズ界の重鎮とも言えるであろう本田珠也とのトリオが軸となっている。荒武はこれまでにも定期的に作品を残してはいるが、トリオでの録音はデビュー作以来15年ぶりというから驚きだ。


一曲目、デイブ・ブルーベックの名曲から始まるのは紛れもないジャズ。三嶋の若手には珍しい骨太なベースラインと、本田のツボを押さえた熟達のドラムは相性よくスウィングしていく。その上で転がっていく荒武のピアノの端々には歴史と伝統への敬意がひしひしと伝わってくる。それは愛奏するスタンダードだけではなく、荒武のオリジナル曲や取り上げたアーティストのオリジナル曲にも表れている。ベテラン橋本信二(gt)を迎えた#5、本田竹広の楽曲を取り上げた#9、そのどれもが楽しさと喜びに溢れているのが印象的だ。しっとりとした後半から、大団円へと向かい、最後はピアノソロで締めるというある意味ベタな構成が心地よい。


新しい手法や音への追求はもちろんだが、荒武が自ら主宰する音楽イベント「Music make us one !! 」では、ジャズ界の若手からベテランまで取り上げ毎回面白い試みがなされている。歴史とその中での現在地を一番考えているのは荒武のようなプレイヤーかも知れない。


今回のアルバムのフライヤーには「日本ジャズ界で走り続けることに疲れ始めた1年前 ピアノをやめようと考えていた そんな思いから解放してくれたのが本田珠也と三島大輝の2人だった」と書かれている。荒武を導いた2人とともに、このアルバムは聴く人を真摯なジャズへ迷いなく導いてくれる一枚だ。


文:花木洸 HANAKI hikaru


【Dialogue in a Day of Spring】




Recommend Disc

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Title : 『A Time For A Change』
Artist : 荒武裕一郎
LABEL : Independent
NO : SDR6001
RELEASE : 2016.2.9

【diskunionでの購入はこちら】


【MEMBER】
荒武裕一朗 Yuichiro Aratake (piano)
三嶋大輝 Daiki Mishima (bass)
本田珠也 Tamaya Honda (drums)

Guest:
橋本信二 Shinji Hashimoto (guitar)
小泉P克人 Yoshihito P Koizumi (bass)

Recorded at Power House Studio, TOKYO 28, 29, 30 November, 2015


この連載の筆者、花木洸が先日発売になりました『Jazz The New Chapter 3』で編集・選盤・レビュー記事などを担当。ブラック・ミュージックの最先端からUKジャズ、ネクスト・ジャズ・ファンク、ラージアンサンブル等ここにしかない記事・インタビューが盛り沢山となっています。


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■タイトル:『Jazz The New Chapter 3』
■監修:柳樂光隆
■発売日:2015年9月10日
■出版社: シンコーミュージック

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今日においてはジャズこそが時代を牽引し、ディアンジェロやフライング・ロータスなど海外の最先端アーティストから、ceroなど日本のポップ・シーンにも大きな影響を与えている。この状況を予言し、新時代の到来を告げた「Jazz The New Chapter(ジャズ・ザ・ニュー・チャプター)」の第3弾がいよいよ登場。2014年の刊行時より刷数を重ね、SNS上でも未だ話題沸騰中の第1弾・第2弾に続き、2015年9月末に〈Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN〉が開催されるなど、かつてない活況を迎えているジャズの次なる未来は、ニューチャプターが切り拓く!


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「Monthly Disc Review」アーカイブ花木 洸

2015.04 ・2015.05 ・2015.06 ・2015.07 ・2015.08 ・2015.09 ・2015.10 ・2015.11 ・2015.12 ・2016.01 ・2016.02




Reviewer information

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花木 洸 HANAKI hikaru

東京都出身。音楽愛好家。
幼少期にフリージャズと即興音楽を聴いて育ち、暗中模索の思春期を経てジャズへ。
2014年より柳樂光隆監修『Jazz the New Chapter』シリーズ(シンコーミュージック)
及び関西ジャズ情報誌『WAY OUT WEST』に微力ながら協力。
音楽性迷子による迷子の為の音楽ブログ"maigo-music"管理人です。

花木 洸 Twitter
maigo-music

"TOUCH OF JAZZ"アルバム - 片倉真由子 セレクト:TOUCH OF JAZZ

青木カレンがナビゲートする番組「TOUCH OF JAZZ」では、毎回ゲストの方に
自身の「TOUCH OF JAZZした作品=ジャズに触れた作品」を紹介いただいています。


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今回のゲストは、日本を代表するジャズピアニストの一人、片倉真由子さん。

同じくジャズピアニストのお母様のコレクションの中でも
一番のお気に入りであり、ジャズにのめりこんでいくきっかけとなった1枚。

ハンプトン・ホーズからフィニアス・ニューボーンをオススメしてくれたというエピソードは
ジャズ一家ならではですね。


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『THE TRIO VOL.1 / Hampton Hawes』


「実家に母親のハンプトン・ホーズのコレクションがあり、毎日聴くのが日課のようになっていましたが、中でも聴いたのがこの1枚です。恐らく、ジャズピアニストを志す直接のきっかけになった1枚だと思います。

「どうしてこの音楽は聴いているとこんなに気持ちがいいんだろう」と思った記憶があります。その頃はもちろんジャズのアーティキュレーションやフレージングなど何も知りませんでしたから、本当に私の本能に働きかけてくれた音楽です。この人のタッチやニュアンスが高校生だった私に強烈な印象を与えてくれたおかげで、今でも私のジャズに対する美学はこのCDにあります。様々なジャズを聴いていますが、やっぱり私はこの音楽に戻って来ます。

余談ですが、母親に「お母さん、私はハンプトン・ホーズというピアニストがとても好き」と言ったらとても嬉しそうな顔をして「あら!そうなの。じゃあきっとこの人も好きになるね」と言って懐からフィニアス・ニューボーンのCDを出されたのを憶えています。こうしてますますジャズにのめり込んでいきました。」

片倉真由子


■タイトル:『THE TRIO VOL.1』
■アーティスト:Hampton Hawes
■オリジナル発売年:1955年

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【Hampton Hawes - Blues the Most】




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New Album

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Title : 『The Echoes Of Three』
Artist : 片倉真由子
LABEL : 55 Records
RELEASE : 2015.9.16

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【MEMBER】
片倉真由子(p)
中村恭士(b)
カーマン・イントーレ(ds)

Recorded in March, 2015 at Samurai Hotel Recording Studio, New York
エンジニア:内藤克彦

【SONG LIST】
1. Echo
2. Into Somewhere
3. A Dancer's Melancholy
4. At The Studio (Reunion)              
5. Directions
6. Serene (Eric Dolphy)
7. Pinocchio (Wayne Shorter)
8. You Know I Care ( Duke Pearson)
9. A Barfly's Hope

All songs except 6,7&8 composed by Mayuko Katakura






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【片倉真由子】

1980年、宮城県仙台市出身。幼少よりクラシックピアノを始める。洗足学園短期大学入学と同時にジャズピアノに転向、ピアノを今泉正明氏に師事。同大学を首席で卒業後、2002年、バークリー音楽大学より奨学金を受け、入学する。在学中より、ボストン市内のライブハウスで、クリス1チャンスコット, デイヴサントロらと演奏を重ねる。2004年、piano achievement awardを受理し、卒業する。卒業後は、ディックオーツ, ジェリーバーガンジーらと演奏を重ね、また、2004年8月に行われたLitchfield Jazz Festivalに、デイヴサントロのピアニストとして出演する。2005年9月、ジュリアード音楽院入学。ピアノをケニーバロンに、アンサンブルをカールアレン, ベンウォルフに師事。在学中より、ハンクジョーンズ, ドナルドハリソン, カールアレン, ベンウォルフ, エディーヘンダーソン, ビクターゴーインズ ,ドミニクファリナッチらと共演する。2006年、Mary Lou Williams Women In Jazz Piano Competitionで優勝し、翌年5月に、同ジャズフェスティバルに自己のトリオを率いて出演する。また、2006年9月に開催されたThelonious Monk International Jazz Piano Competitionのセミファイナリストに選ばれる。現在は自己のトリオをはじめ、山口真文カルテット、大坂昌彦グループ、伊藤君子グループ、竹内直カルテット、the MOSTなどのメンバーとして活動中。2009年9月には、リーダーアルバム「インスピレーション」をリリース。第43回スイングジャーナル社主催の「ジャズディスク大賞」において、ニュースター賞を受賞。2010年9月、セカンドアルバム「フェイス」をリリース。

片倉真由子 OFFICIAL SITE



Monthly Disc Review2016.03.01:Monthly Disc Review

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Title : 『Warp』
Artist : Jon Balke



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多くの人が抱くECMのパブリックイメージがあるとしたら
おそらくそれを代表するうちのひとつであろう一枚。


まずは入口となるアルバムカヴァー。
奥へ奥へとどこまでも続いていそうな白樺の森。
北欧にしては珍しく薄日が差し、
白樺の葉の緑が心地よい。
しかしその森の奥へ実際足を踏み入れようとすると
何かがその往く手を拒んでいる。
少しの好奇心と少しの恐怖心が鬩ぎ合う。
そんな妄想を掻き立てる写真だ。
ここでは紹介出来ないが、バックカヴァーの写真も秀逸で、
コンテンポラリーなアート作品だ。
ちなみに写真もJon Balke自らが手がける。


収録されているのは、Jon Balkeによるpianoとsound images とある。
この時点ですでに、単なるソロピアノ作品ではないことに気付く。
ピアノ演奏の背後に、様々な景色を描きだす音像が重ねあわされる。
それは、時にはリズムを後押しする電子的な音であったり、
または日常の景色から切り取られたフィールドレコーディングであったり、
幻想的なヴォイスであったりと、
さり気なく加味されている程度の音像ではあるのだけれど、
その効果は絶大で表情豊かな作品へと昇華させている。
そのSoundscapesは、さまにECM的と多くの人が感じる仕上がり。
所謂エレクトロニカに生のピアノといった凡庸な風情に陥らないのは
ECMの重鎮たちのアイデアと技術の深みからくる差なのだろう。


スタッフクレジットによると、
ピアノの録音は、お馴染みOsloのRainbow StudioでJan Erik Kongshougが担い、
Sound imagesとField Recordingを含む最終MIXは、
LuganoでStefano Amerioが担当するといった、
現在のECMに欠かせない二大エンジニアの贅沢使い。
Jon Balkeに対してのEicherの計らいか。


北欧的なアートワークとミニマルなSoundscapesは、
入口としては入りやすいと感じるかもしれないけれども、
決して、開放的に外へ外へと僕らを誘うことはない。
やわらかな陽が差し、澄んだ緑の風が吹いている白樺の森は
自己の内に抱えた広大な世界への入口であるのだ。
一度は、その森へ足を踏み入れることをお勧めする。


文:平井康二





Recommend Disc

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Title : 『Warp』
Artist : Jon Balke
LABEL : ECM(ECM2444)
RELEASE : 2016.2.12

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【MEMBER】
Jon Balke(Piano, Keyboards)


【SONG LIST】
01 Heliolatry
02 This Is The Movie
03 Bucolic
04 On And On
05 Bolide
06 Amarinthine
07 Shibboleth
08 Mute
09 Slow Spin
10 Boodle
11 Dragoman
12 Kantor
13 Geminate
14 Telesthesia
15 Geminate var.
16 Heliolatry var.


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「Monthly Disc Review 平井康二」アーカイブ平井康二

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Reviewer information

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平井康二(cafeイカニカ)

1967年生まれ。レコード会社、音楽プロダクション、
音楽出版社、自主レーベル主宰など、約20年に渡り、
音楽業界にて仕事をする。
2009年、cafeイカニカをオープン
おいしいごはんと良い音楽を提供するべく日々精進。


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cafeイカニカ

●住所/東京都世田谷区等々力6-40-7
●TEL/03-6411-6998
●営業時間/12:00~18:00(毎週水、木曜日定休)
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bar bossa vol.55:bar bossa

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vol.55 - お客様:山本のりこさん(ボサノヴァ・ボーカル&ギター)


【テーマ:多感な小学生時代~ブラジル音楽との出会い~刺激を受けた70年代サウンド】



いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。

今月は先日ニューアルバム『トレン・ダス・コーリス』を発表したばかりの山本のりこさんをお迎えしました。


林;こんばんは。早速ですが、お飲物はどうしましょうか?


山本;じゃあ、モヒートください。


林;かしこまりました。では小さい頃のお話を教えていただけますか。


山本;育った場所の影響が大きいです。兵庫県宝塚市の、大阪にも神戸にも1時間以上かかる山の上です。友達が近くに住んでなくて、学校から帰ると花を摘んだり塗り絵をしてました。


林;いいところですね。


山本;父方の祖父は丁稚奉公から独立して、いわゆる阪神山の手のプチブルを目指しました。芦屋には家が買えなくて、そこそこ山の手の宝塚で折り合いをつけたそうです。しばらく良い暮らしをしましたが、父がまだ学生の時に亡くなって、たちまち家計は傾いたそうです。父はそんな激動の生き方が嫌でサラリーマンになりました。家だけがやたら大きいお屋敷で、私も自分のことお嬢さんなのかなと思ったこともありましたが、立派な床の間がストーブ置き場になってたりして、いや違うな、みたいな。。


林;(笑)


山本;そんなわけで色んな価値観がない交ぜになった家庭でした。ピアノはやっぱりできなければ、みたいな感じで近所の教室に習いにいかされました。ピアノはすぐ好きになりました。


林;ピアノを習われたんですね。


山本;親は音楽に詳しくなくてレコードプレイヤーが家に無かったです。小学生の時に買ってもらったルービンシュタインのカセットテープにものすごく夢中になり、それはショパン曲集でしたが、本当にテープが伸びて切れるまで聴きました。歌謡曲はテレビで覚え、アグネス・チャンが大好きでした。歌うことには物心ついた時から異常な情熱があって、校歌斉唱であろうとキャンプファイヤーであろうと一生懸命歌ってました。


林;ショパンとアグネス・チャン。なんかのりこさんのことがわかりますね。中学はどうしましたか?


山本;中学は親の仕事の関係で熊本に引っ越して、FMで邦楽や洋楽のベストテンをいつも聴いてました。なぜだか、大ヒットの後のシングルが好きになる性質でしたね。圧倒的にわかりやすいものじゃない、中間色なやつ。アラベスクだと「ペパーミント・ジャック」とか、久保田早紀さんならセカンドシングルの「25時」とか。なんで私の好きなやつみんな知らないんだろう?って・・。


林;(笑)


山本;サザンオールスターズのファンでもありました。"5 Rock Show" と題して5か月間毎月1枚シングルを出した時期があって、それがサザンの最低業績だったみたいです。でも子供にはチャートの上下とか関係ないですからね。その5枚のシングルトラックは今でも最高峰だと思ってます。


林;なるほど。サザン好きなんですね。


山本;歌謡曲からだんだんシンガーソングライターの時代に変わる頃で、佐野元春さんの登場も衝撃でした。コンサートを親に内緒で見に行きました。あとYMO! YMOで一番好きな曲は「Nice Age」です。これも変わってるかも。


林;はずしてきますねえ。


山本;熊本でついたピアノの先生が突然亡くなってしまい、レッスンが中断したので、あとは好きな曲に勝手に伴奏をつけて家で弾語りしてました。知ってる曲はとりあえず全部歌ってみました。このときに譜面から離れて耳コピを覚えました。


林;そこで耳コピに走るかどうかで音楽人生が決まるという話、聞いたことあります。雑誌とかは?


山本;雑誌は、『平凡』、『明星』、ファッション誌の『Mc Sister』、今井美樹さんがモデルでデビューして、ダントツに可愛かったです。弟がいるのでマンガは少年誌ばかり読んでました。鴨川つばめさん、江口寿史さんのポップな雰囲気が大好きでした。


林;女性で江口寿史が好きって良いですねえ。高校はどうでしたか?


山本;高校時代はまた関西に戻り、テニス部に入りました。毎日練習でくたくたなのでラジオが聴けなくなりました。あのとき帰宅部だったらラジオで物凄くマニアックな音楽に出会って別の人生があったかも・・。その頃が80年代の始めです。テレビでMTVという番組が始まったんで、映像が楽しくて夢中になりました。Eurythmics、Joe Jackson、Thompson Twinsなど。今思うとイギリスの人が多いですね。


林;MTVですよね。そしてその後は?


山本;高校までは自分が人前で演奏することはまったく考えてませんでした。周りにそういう環境や出会いがなかったし。大学でたまたま同じ学科に私の知らない音楽ばっかりギターで弾く友人が出来て、そこで初めてユニットらしきものを組みました。


林;お、始まりましたね。


山本;その相方は英語でオリジナル曲を書いていて、初めて作ってきた歌が「BLACK CAT CUT ACROSS THE WAY(黒猫が横切った)」というリズム&ブルースっぽい曲です。ならず者の歌っていうんですかねぇ。。これはどうやって歌うんだと、R&Bの節回しみたいなものを研究しました。私が歌担当で、はじめはもっぱら4トラックのテープレコーダーに宅録してました。そのうち人にも聞いてもらいたくなって、お店を訪ねてお願いして、ライブするようになりました。


林;おお!


山本;相方だった菅原まりもはクラシックギターの出身で、ライブの最初にいつもソロギターで小品を弾いてくれるんですけど、Garoto の曲をよく取りあげてました。その辺から影響されてブラジル音楽に興味を持っていきました。他のラテン語圏の音楽も色々聴き漁って、そのうちブラジル音楽だけに絞られていきましたね。あんまり思い詰めてなくて優雅な感じがするのが好みに合いました。ポルトガル語の響きが淡い色合いでね。 Astrud Gilberto を聴いたときに、初めて自分でもポルトガル語を歌ってみたいと思いました。


林;そんな時期にGarotoってすごいですね。


山本;大学は本当はグラフィックデザインを勉強したかったんですが、うちはとにかく父の希望が強くて、工業系の手堅い仕事をしろと言われました。工業でかつデザインができる建築という分野があるよと言われて、そのとおりにすすみました。成り行き任せでしたけど、周りの子もみんなそんな感じでしたよね。。バブルの時代だったので学校から割り当てられるような形で建設会社に就職しました。


林;のりこさん、ちゃんと就職されてたんですよね。さて、いよいよプロのミュージシャンへの道が始まるわけですが。


山本;会社で数年間、建築設計の仕事をしましたが、好きな人が東京に就職したので彼を追いかけて上京しました。いろいろありまして、会社を辞めて。それが転機と言えば転機でした。すみません、こんな理由で。。


林;いえいえ。恋は大きいですよね。


山本;上京して何年かした時、その彼がどっか行っちゃいまして、このあとどうしよう?となりました。東京でも建築の図面を描く仕事などしていましたけど、がっくりしちゃって一時期何もできなくなったんですよね。会社員時代の貯金があったので、仕事をいったん休んで何か月かぶらぶらして暮らしました。気を紛らわせたいのもあって、ギターをモーレツに練習しましたね(笑)。昼間ギターを弾いて、夜はライブを見に行っていました。ミュージシャンの方々とも段々とご縁ができて、自分でもライブを頻繁にやるようになっていきました。


林;なるほど。音楽が精神安定剤のかわりでもあったんでしょうか。


山本;そのぶらぶらしてる時期は心細くもあったけど、すごく楽しかったですよ。音楽ってやっぱり、ある程度連続した時間がないと深まっていかないんですよね。仕事から帰っての数時間で出来ることもあるけど、途切れずに一日中浸ってると、お酒みたいに発酵してくるようなところがあると思います。


林;なるほど。音楽を志している人にはすごく参考になるお言葉ですね。


山本;このとき私は30才を越えたところで、はっと気が付いたら、周りで普通に仕事をしてる人とだいぶ遠いところに来ちゃったなと思いました。もちろん、また勤め人になって建築の仕事をするという道も考えたんですけど、きっとまた音楽に戻っちゃうんだろうなぁという予感がするんですね。そんなに好きなら、なんでもっと最初から仕事にしようとしなかったんだろう?と後悔も感じました。


林;はい。


山本;そこで考えたんですけど、今この思いを抑え込んだとして、また10年後や20年後に同じモヤモヤが出てきたら、これはまずいだろうと。。そしたらまた「あの時真剣にやっていれば・・」とか思うでしょ。もし70才のお婆ちゃんになって「ああ、ミュージシャンになりたかったのになぁ」なんて愚痴を言う自分を考えたら、それはもう駄目すぎます。。「やってみたけどダメだった」なら全然いいでしょ。なので出来るだけのことをやってみようかと思って。そんなで今に至ります。


林;すいません。僕ちょっと今、目がウルウルなんですけど... ではこれはみんなに聞いているんですけど、これからの音楽はどうなると思いますか? アナログとか音楽配信のこととか何でも結構です。


山本;うーん。。林さんが聞かれてるのは音楽の業界のことです?
流通や宣伝媒体はいま変化が激しいですよね。私はレーベルも自分でやってるので、一時期はまともに取り組もうとしましたが、何だか疲れて果ててしまいました。今はいい演奏ができるようにだけ考えていたいです。


林;さてさて。今回のニューアルバム、すごく良いですよね。詳しく経緯なんかを教えていただけますか。


山本;ありがとうございます。今回の特徴はエレピ(electric piano)が入ってることです。もともとエレピの音は好きでした。電気楽器なんだけどロマンティックで、にじんでいくようなサウンドですよね。ボサノヴァでは Doris Monteiro の76年のアルバム『Agora』が大のお気に入りです。これはネットじゅう探し回って岐阜のsongsさんから買いました。聴きながら、こんな感じのを作れないかな~とずっと思ってました。


林;なるほど。ドリモンですか。あれ良いんですよねえ。


山本;好きなアルバムに75年のものが多いのを最近気付いて、何かその頃耳にしてたんだろうか?と一度思い出してみました。それで一つ分かったのが、映画「タワーリング・インフェルノ」のサウンドトラックです。天気予報のBGMに使われてテレビで毎日流れてたんですよ。日本では75年公開です。毎日の天気予報はほんと侮れないですね・・身体に刷り込まれます。この時代は世界的にエレピ・サウンドが溢れてたかもしれません。


林;75年ですか。それは興味深いです。


山本;サウンドの肌触りの面では、歌の存在感をなくすことに気を付けました。『CALOR』は声がすごく前に出てて、「これ誰が歌ってるの?」とよく聴かれたそうです。それは自己紹介としては良かったんですが、今度のアルバムはもっとさりげないものにしたいと思って。何か月か経って気づいたら何度も聴いてたな、とか。洋服で言うとさっと気軽に羽織れるものみたいな・・を目指しました。あと、あまり高尚で澄み切ったテイストは私には似合わないので、ちょっと濁ってたり、いなたい雰囲気を醸し出したいな、とも考えました。


林;その「ちょっと濁ってたり、いなたい雰囲気を醸し出したい」っていうのすごく成功していますね。


山本;昔のアナログ盤の淡白な雰囲気が好きなので、トラックの長さも短くおさまるようにアレンジして、フェードアウトを短めにしました。


林;ああ、この感じは昔のアナログ盤の雰囲気を意識してるんですね。


山本;ミュージシャンの編成は、上物はフルートとエレピを核にしています。Steve Sacksさん(flute)、永見行崇さん(e.p, pf)。フルートはSteveが全てアレンジしてくれました。彼はアストラッド・ジルベルトやアナ・カランの仕事もしていて、ボサノヴァの多重アレンジが得意です。鍵盤楽器は大枠だけ私が決めて、細かいところは永見さんに自由に演奏してもらいました。彼のふわふわしたタッチが全編の雰囲気を決めることになったと思います。


林;いやあ、ホント、このフルートのアレンジがすごく僕はやられちゃいました。


山本;リズム隊は、加瀬達さん(contrabass)、服部正美さん(per)です。お二人とも長くブラジル音楽に関わってきた方々ですよね。加瀬さんはとにかく音の美しさと上品さが素晴らしくて、エレキベースじゃなくてコントラバスを入れて欲しいとお願いしました。パーカッションは、今回チャ・チャっぽいリズムのボサノヴァが多かったので、服部さんがタンボリンやギロを重ねるアイデアを出して下さいました。3曲目に軽いタッチのタンボリンとボンゴが入ってるんですが、そのコンビネーションがすごく好きです。


林;リズムのまとまりかたも良いですよね。


山本;変わり種のトラックとしては、一曲アコーディオンが入ってる曲が中盤にあったらすごくいいなと思ったので、佐藤芳明さん(acc)にお願いしました。前作にも参加して頂いてまして、特にピアニッシモでの語り口は抜群ですね。ドラマチックになりすぎないですし。それから、コーラスで1曲参加して頂いた田代つかささん(vo)は、ボサノヴァを演奏するアーチストです。彼のギター弾語りはチェット・ベイカーとジョアン・ジルベルトを足して割ったような感じですよ。彼は視覚障害者で、活動を支援する音楽事務所があるのですが、彼の移動の付き添いをしているボーカリスト橋本智保子さん(vo)が明るい声なので、華やかさを足したいと思い、彼女にもマイクから少し離れて歌っていただきました。


林;アコーディオンの抑えた感じもゲスト・ヴォーカルの浮遊感も良いですね。


山本;表題の「Trem das Cores(色彩の列車)」はカエターノ・ヴェローゾの曲で、私が彼の作品のなかで一番好きな一曲です。確か国際フォーラムの公演でも歌ってました。歌詞も素晴らしくて、走っていく列車の中から風景をみたり、物思いにふけったりする心の移り変わりが描かれています。和訳のリーフレットが付いてますので、ぜひ読んでいただきたいです。


林;みなさん、ちゃんと買って読んでくださいね! さて、ここでみんなが待っている10曲の選曲ですが、まずテーマを決めていただきたいのですが。


山本;10曲って難しいですね。
「多感な小学生時代 ~ ブラジル音楽との出会い ~ 刺激を受けた70年代サウンド」と辿って選んでみましたが、いかがでしょうか。


林;良いですねえ。楽しみです。


01. Arthur Rubinstein - Chopin Ballade No. 1 in G minor, Op. 23

山本;小学校の時に買ってもらったカセット・テープ、生まれて初めてのヘビロテ体験です。ブラジル音楽が好きになったのは、これを聴いたせいなのかもしれません。この曲を聴きすぎたため、テープが切れてお釈迦になりました。72歳の演奏ですよ!


林;これが聴き過ぎてテープが切れた録音なんですね。確かに72歳なのに瑞々しい演奏ですね。


02. John Williams - Something for Susan

山本;映画「タワーリング・インフェルノ」のサウンドトラックからです。これも小学生の時に天気予報のBGMで毎日聴いていて、セクシーな曲調とエレクトリック・ピアノの音に憧れました。74年。


林;うわー、すごく良いですね。このアルバム、早速レコード屋で探します!


03. Candy Candy

山本;バロック風のハープシコードの音が流れます。これを再現したくて、自分の新譜の1曲目にもハープシコードの音色を入れました。松山祐士さんという方のアレンジです、この方の編曲はテレビでいっぱい聴いてたみたいです。76年。


林;そう言えばハープシーコードですね。僕実はこれカラオケで十八番にしています...


04. Janis Ian - Will You Dance?

山本;これも小学生の時でしょうか。ドラマの主題歌になっていて、初めて意識して聴いた洋楽だったんじゃないかと思います。声とピアノの質感に退廃的な匂いや「死」を感じました。こういうハバネラみたいなリズムには小さい時から心惹かれていました。77年。


林;なるほど。『岸辺のアルバム』のテーマ曲だったんですか。のりこさんが好きそうな曲ですね。


05. Lamentos do Morro [Garoto] Paulo Bellinati

山本;大学生時代にブラジル音楽に出会いました。コンビを組んだ友人が弾いていた曲で、これでガロートを知ったんです。大阪にはクラシックギターの名門で大野ギターという教室があり、大野先生はブラジル音楽にも詳しいんです。そこでCDを売って頂きました。この一枚は宝物になり、ベリナチのギターのファンになりました。


林;これ本当に良いアルバムですよね。僕も大好きです。


06. Astrud Gilberto - Misty Roses

山本;同じく大学生時代、アストラッド・ジルベルトに貸しレコード屋さんで出会いました。土臭さとエレガントさ、自分の好きなものが全部入ってる!と歓喜しました。67年。
60年代はヴィブラフォンやハープが活躍してて、シンセが出た後に減っていきますね。


林;アストラッドは何が来るのかと期待していたらこの曲なんですね。本当に外してきますね...


07: O Boto - Antonio Carlos Jobim

山本;ここから3曲は、自分で音楽活動をやるようになってから刺激を受けた音源です。
ビリンバウのイントロからベースが入ってきて、乾いた歌声の出だしまで、何度聴いてもスリリングです。ジョビンのアシッドな面を感じるトラックです。75年。


林;ジョビンも外してきましたね... でもこれ本当にカッコいいんですよねえ。


08: Doris Monteiro - Dia de feira

山本;切れがあって素晴らしいエレピ・サウンドのトラックです。参加してるミュージシャンもMPBの一流どころを集めた名作ですね。ドリスは軽快で本当に歌が上手いです。このアルバム『Agora』は良い曲ぞろいで、愛らしいショリーニョやワルツも入ってます。76年。


林;このアルバムをすごく推す感覚がのりこさんらしいですよね。僕も名作だと思います。


09: Io So Che Ti Amero - Ornella Vanoni, Vinicius de Moraes e Toquinho

山本;「あなたを愛してしまう」のイタリア語版です。オルネラに出会うまでは マリア・クレウーザが好きでしたが、今はどうしてもオルネラに軍配が上がってしまいます。。ヨーロッパの音楽の奥深さを感じます。75年。


林;おお、言われてみれば「ヨーロッパ音楽の奥深さ」という言葉わかります。僕もマリア・クレウーザ・ヴァージョンが好きですが、この感じも捨てがたいですね。


10: Trem das Cores - 山本のりこ

山本;最後に、新しいアルバム『Trem das Cores - 色彩の列車』から、タイトル曲をどうぞお聞きください。他の収録曲も試聴動画をUPしていますので、どうぞよろしくお願いします。


林;やっぱりフルートとエレピの感じがたまんないですね。いやあ本気で名盤です。みなさん是非!

のりこさん、お忙しいところどうもありがとうございました。

みなさん、是非、山本のりこのニューアルバム『トレン・ダス・コーリス』、お買い求めくださいね。


もうそろそろ春ですね。春にはいろんなことが始まりますが、みなさんは何を始めますか?
それではまた来月、こちらでお待ちしております。


bar bossa 林伸次


山本のりこ 公式サイト
山本のりこ twitter


トレン・ダス・コーリス500.jpg

■タイトル:『Trem das Cores - 色彩の列車』
■アーティスト:山本のりこ
■発売日:2016年2月1日
■レーベル: office calor

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ボサノヴァ・ボーカリスト&ギタリストの山本のりこが9年ぶりに発表するソロアルバム4作目。今作はレトロで温かい70年代のブラジル・サウンドがテーマ。エレピやフルートをふんだんに起用したトラックを主軸に配した、聴きごたえのある意欲作となっている。カエターノ・ヴェローゾによる詩情あふれる表題曲「Trem das Cores」、独特の声の深みで弾語りを聴かせるドリヴァル・カイミ作「Das Rosas」、ファンには待望の新録オリジナル曲「Gira Catavento」など全10曲収録。
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【バーのマスターはなぜネクタイをしているのか? 僕が渋谷でワインバーを続けられた理由】
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林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。

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