vol.68 - お客様:宿口豪さん(Bar blen blen blen)
【テーマ:ブラジルを好きになってしまう10曲】
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
今回は渋谷のBar blen blen blenの宿口豪さんをお迎えしました。
林; こんばんは。早速ですがお飲物はどうしましょうか。
宿口; では大好きなコエドブルワリーの黒ビールをお願いします。妻が川越出身で、コエド直営のレストランにもよく連れて行ってもらってたんですよ。
林; そうなんですか。すごくいいところですよね。はい、どうぞ。それではお生まれと小さい頃のお話を聞かせてもらえますか。
宿口; 1974年生まれです。所謂団塊ジュニア世代です。母の故郷、新潟の上越で産まれました。父は大阪出身なのですが仕事の都合で群馬県太田市に引っ越しまして、2歳から上京する18歳までそこで育ちました。群馬移民2世です(笑)。
林; 根っからの群馬っ子じゃないんですね。音楽環境はどうでしたか?
宿口; 父はクラシックギターを弾き、姉はピアノを習っていました。音楽好きの家庭だったと思います。僕もピアノに興味があったのですが、姉が触れることすら許してくれなかったので(笑)、小2からエレクトーンを始めました。中1まで続けました。
林; え、エレクトーンを小2から中1。
宿口; 父が某電機メーカーのオーディオ事業部の勤務だったということもあって、ハード面では恵まれていたのかなと思います。
アンプ、スピーカー、レコード・プレイヤーはもちろん、80年代前半には父が会社から持ち帰った5連奏のCDプレイヤーがありましたし、当時父が開発に携わったラジカセが(当時はテレコって言ってましたが)ヒットしてくれたおかげで、僕も姉もダブルカセットでオートリバース付きのラジカセを与えられました。このラジカセを駆使して遊び倒しましたね。いろいろ録音しまくりました、架空のラジオ番組作ったり。
林; 架空のラジオ番組を作るような子供だったんですね。意外と言えば意外かも。
宿口; 父は休日の朝は居間の庭に面したガラス戸を全て開け放ち、爆音でクラシックやオペラのレコードをかけるような人だったので、僕はそこから逃げるように松田聖子や中森明菜など歌謡曲やアニメの主題歌をテレビからテープに録りまくっていました。
月曜20時から放送してた「ザ・トップテン」(本当は「ザ・ベストテン」が見たかったのですが、21時からだったので親が許してくれなかった)とか、夕方やってたロボット・アニメの再放送に夢中になっていました。放送前にはいつもラジカセを持ってテレビ前でスタンバイ。ラジカセはハイスペックでライン入力があるというのに、テレビには出力がなかった。なのでテレビのスピーカーにラジカセを押し当てて必死に録音していました、吠えそうになる愛犬をなだめながら(笑)。
林; (笑)
宿口; 初めて心に刺さった曲は中村雅俊の「心の色」(笑)。小1でした。しみじみいい曲だなぁって聴き入っていたら祖母に「あんたは渋い趣味してるね~」なんてからかわれていました。マイナー調の曲が好みでした。中森明菜「セカンドラブ」や薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」などの来生たかお曲にも相当ヤられてましたね。
林; 確かに子供らしくないですね。最初のレコードは?
宿口; 初めて買ったレコードは「なめんなよ」のサウンドトラックです、なめ猫の写真満載のレコード(笑)。なめ猫の免許証やポスター集めてた時だったんですよ(笑)。当時から収集欲があったのかもしれないですね。
林; (笑)
宿口; 小学校高学年になってやっと念願のファミコンを手に入れてからは(近所の友人が海外に引っ越す際に譲ってくれました)、ゲーム・ミュージックにも夢中になりました。いい曲多いんですよ。当時のゲームってスペック的に同時発音数が限られていますから、作曲者も気合入ってたんじゃないのかなあと思います。あとゲーム・ミュージックって無限ループ曲なので頭に残るんですよね。「ドラクエ」シリーズ、「FF」シリーズはもちろん、「グラディウス」のアーケード版とかミステリー・アドべンチャー「オホーツクに消ゆ」とかCDも買いましたね。また、これらの音源をエレクトーンで弾くのも好きでした。こういう時だけは積極的に練習してましたね。
林; ゲームですか。流行ったモノはちゃんと押さえてますね。中学はどうでしょうか?
宿口; 中学時代はバンド・ブーム全盛期。特に群馬出身のBOØWYを聴くことは通過儀礼のようなものでした。周りの友人たちもザ・ブルー・ハーツやジュン・スカイ・ウォーカーズ、プリンセス・プリンセスなどにも夢中になっていましたね。でも僕はこっそりTMネットワークやドリカムも好きで、当時エレクトーンと引き換えに買ってもらったYAMAHAのシンセサイザー、EOS B200で練習しまくってました(笑)。ギター・ロックがもてはやされていたので、鍵盤楽器をやっていることにちょっとした後ろめたさがありました。バレーボール部に所属していたためバンド活動はできませんでしたが、家でバンド・スコアのキーボード・パートを弾くのが好きでした。
林; ああ、ずっと鍵盤奏者だったんですね。これまた誰も知らない意外な話ですね。高校は?
宿口; 高校時代はバレーボールを本気でやるため、県で3位の強豪校に進みました。もう厳しい練習の毎日で音楽どころではありませんでしたね。
ただクラスメイトたちがとてもファッションに敏感な連中で、結局彼らの影響でフリッパーズ・ギターやオリジナル・ラブなどを聴くことになったのです。その時高校卒業後は上京してバンドを組むことを目指すようになりました。思えば群馬にいる時に聴いていたのはほとんど邦楽ですね。唯一、A面がカーペンターズでB面がサイモンとガーファンクルという駅前で売っているようなカセットテープだけは擦り切れるほど愛聴していました。
林; ゴウさんいたってメジャー感覚というか、「俺だけ洋楽聞いてるんだよ」みたいな感覚って皆無で清々しいですね。さて高校を卒業しますが。
宿口; 予備校生として上京しました。悪夢の浪人生活の始まりと思いきや、実はこの時点で目標達成だったんです、上京できたので。もう世間は渋谷系やアシッド・ジャズ・ブーム全開期です。UKロック、フレンチ・ポップスなんかも浴びるように聴きました。暇さえあれば渋谷に行ってました、すぐ行けるのが本当に嬉しくて。
林; 90年代前半ですよね。もうまさにど真ん中の時代ですね。
宿口; 翌年青山学院大学に進学しました。数々の有名ミュージシャンを輩出したベター・デイズという音楽サークルに入ろうと思っていたのですが、サークル勧誘コンサートで大好きなコーデュロイのカヴァーを演っていたバンドを観て青山ジャムセッションというサークルに入りました。
後に2年も留年してしまうのですが(笑)、その時にベターデイズの連中とも知り合い、仲良くなりました。一緒にライヴ企画やったり。今売れっ子ギタリストのカシーフともこの頃からの友人です。また、渋谷のDJバー・インクスティックで毎月開催されていたパーティー「フリーソウル・アンダーグラウンド」に通いました。時にはバイト先の本厚木から終電に乗って(笑)。
林; フリーソウルに通ってたんですね。
宿口; オーガナイザーの橋本徹さんや山下洋さん、小林径さんらのかける曲をメモってレコードを買い、バンドで演ってました。だから演奏する曲のジャンルはもうバラバラ。
スティーヴィー・ワンダー、アイズレー・ブラザーズ、スペンサー・デイヴィス・グループ、ブライアン・オーガーなんて感じで。アル・クーパーの「Jolie」はコーザ・ノストラより僕らの方が早かったし、ライトハウスの「One fine morning」もシアターブルックより僕らの方が早かったなんて言い張っていました(笑)。僕はヴォーカル。憧れのFender ストラトキャスターやOvationのアコギをローンで買ってギターも練習したけどさっぱりダメでしたね。
林; ああ、ここで鍵盤は演奏せずにヴォーカルだったんですね。
宿口; 高校の同級生から誘われてDJを始めたのも20歳くらいからでした。最初は「フリーソウル・アンダーグラウンド」の影響下にあったのでソウル・レアグルーヴばかりかけていましたが、徐々にヒップホップ・カルチャーに影響を受け、傾倒していきました。その頃から徐々にバンド活動からDJ活動へ移行していきました。その時のヒップホップ精神は未だに僕の根底にあるものです。
林; なるほど。レアグルーヴからヒップホップっていう順番なんですね。
宿口; とにかくレコードは買いまくっていました。ヒップホップ、ソウルはもちろんロックでもハウスでもドラムンベースでも。完全な雑食、広く深く、DJ仲間もみんなそうでした。ホントいい仲間に恵まれていました。その仲間たちと「ファンクを感じるものは何でもかける」を合言葉に、南阿佐ケ谷「Cool Dread Bar」、六本木「Nuts」、新宿「OTO」と場所を移しながら「Funk Box」というパーティーを数年間毎月開催していました。
また、DJ仲間の紹介でレコード屋で働き始めたのもこの頃です。東急ハンズの前にあるマンション、ノア渋谷の8Fにあった「ソウルブラザーズ」とその本店、西新宿「レコード・コレクターズ」で3年間バイトさせてもらいました。ここでの経験も貴重なものでした。レア盤に囲まれて働ける楽しさといったら(笑)。
林; ゴウさん、絶対にレコード屋経験者の聴き方ですよね。すごくわかります。
宿口; その後友人の紹介でちょっと通うようになっていた渋谷のバー「ミリバール」のマスター、清野さんにバイトしないか?って誘ってもらったんですよ。ここでも音楽の洪水を食らいました。自分が積極的に聴いてこなかったレゲエやラテン、オーセンティックなソウル、ロック、ニュー・ウェーブetc...。音楽の幅がぐっと広がるきっかけになりました。また、音楽業界関係者やミュージシャンの出入りも多かったので、刺激的な日々でした。本当にいろいろなことを教わりましたね。
林; なるほど。ミリバールが運命を変えましたね。
宿口; そしてその数ヶ月後、ソウルブラザーズとミリバール両方の常連で仲良くさせてもらっていた橋本徹さんから、今度カフェを出店するので働かないかと声をかけていただきました。「カフェ・アプレミディ」です。オープンから2年半、お酒係として働かせていただきました。アプレミディでもたくさんの出会いがあり、本当に刺激的な時間を過ごさせていただきましたね。ソウルブラザーズ、ミリバール、カフェ・アプレミディの3つを掛け持ちしながらの学生生活は、僕の黄金時代(笑)、一番の良い思い出です。
とにかく膨大な音楽情報の波を泳ぎ続けた学生生活でした。こう振り返ってみると本当に僕は渋谷でラッキーな出会いがいっぱいありました。
林; いい話です。さて、周りは就職を考えている時期ですが。
宿口; 大学卒業を控え、将来について考えざるを得なくなっていました。当初はレコード屋開業を夢見ていましたが、バーという仕事が楽しくて楽しくて。好きな音楽をかけて、楽しい人たちが来てくれて、ウソみたいな面白事件も起きる(笑)。「これだ、俺がやりたいのは!」って思うようになり、卒業を機にレコード屋を辞めました。
林; 僕も同じくレコード屋をやめて飲食業に行ったのですごくわかります。
宿口; 飲食店で経験を積み、30までに開業しようと決意し、1年遅れて2006年に開業しました。最初はブラック・ミュージック・バーをやろうと思っていたのですが、27歳くらいの頃でしょうか、大きく舵を切ることになります。
ある日ミリバールにパルコのクアトロ・レーベルからリリースされた新譜CDのプロモが届きました。ウィルソン・シモナルの息子、ウィルソン・シモニーニャやマックス・ヂ・カストロetc...サンパウロのクラブ・ミュージックをリリースしていたトラマ・レーベルの音源でしたが、これにヤられました。US、UKでもない独特なR&Bで、クセになりましたね。ブラジリアン・ドラムンベースもこの頃でした。それ以来ブラジルのリアルタイムの音楽を掘るようになりました。一回方向を決めるとトコトン突き進む性格なので、いろいろなとこへ出向き買い漁りました。
林; おおお。
宿口; 特にラティーナのセールとヴァージン・メガストアの閉店セールでは探していたCDを安く大量に購入できて興奮したものです。
最終的には地元の隣町、群馬県大泉町のブラジル人街にもしょっちゅう行くことになりました。そこでCDを掘りつつご飯を食べたりしているうちに、どうしてもブラジルへ行きたい衝動を抑えられなくなり、2004年に初渡伯。ノープランでしたが、結局1ヶ月かけてレシーフェからサンパウロまでのバスの旅でした。
旅を通じてブラジル音楽の豊潤さに感激しました。元々雑食だったのも良かったのかもしれません。クラブミュージックが入り口でしたが、サンバ・パゴーヂも大好きになりましたし、旧譜も掘りまくり、結局あちこちでレコード200枚くらい買って帰国、しんどかったです。
もうここで完全にブラジル中毒になりました。店は絶対にブラジルだー!と決意しましたね。
林; ああ、ブラジルに行ってからの決意だったんですか。
宿口; 昼は某飲食チェーンのセントラル・キッチンで肉を切りまくり、夜はバーカウンターに立って貯金しながら開店にこぎつけました。
店では24時まではできるだけブラジル音楽をかけています。最新のブラジル音楽中心に、パゴーヂ、MPB、バイーアものなど音量大きめの物が多いです。ご存知の通りブラジル音楽は多種多様ですので、基本的にリクエストはお断りして僕が最大公約数的な選曲をしています。
深夜はバーの醍醐味の時間です。秩序から無秩序へ移行する時間とでもいいましょうか(笑)。その時の気分でブラックミュージック中心になんでもかけます。とにかくウンチクよりも楽しい雰囲気になるように心がけています。自分の店は交差点でありたいと思ってます。家でもなく村でもなく。で、僕が信号機(笑)。
林; (笑)
宿口; 特別な場所でもなく、単なる交差点。いろんな人がふらっと来て、ふらっと去って行けばいいなと。
おかげさまでブラジル好きの方や古くからの友人の支えもあって、12年目を迎えております。店を続ける自分的な秘訣はとにかく自分が飽きないことですかね。
林; わかります!
宿口; 趣味を仕事にすると、飽きたら最悪ですよ。なので新しい趣味はすぐ店に反映することにしています。ちなみに最近はサッカーに夢中で、最近のお客さんはサッカー・バーと勘違いするほどです(笑)。
あと定期的にブラジルには行くことにしています。
ブラジルは訪れるたびに刺激をもらいます。最初は音楽だけを求めていましたが、今はブラジルの国民酒カシャッサとブラジル料理が渡伯のテーマになっています。
特にここ数年はミルトン・ナシメントやトニーニョ・オルタでお馴染みのミナスジェライス州の食に興味が向いています。州都ベロオリゾンチには仲良くしてもらっているエドゥアルド・マイヤという有名なシェフがいまして、彼にいろいろとミナスジェライスについて学ばせてもらいました。ミナスはフランスと同じくらいの面積がある山に囲まれた農業州です。「ミナスはブラジルのトスカーナ」と言われるくらい食材が豊富で料理が美味しいんですよ。エドゥアルドはミナスのガストロノミー・イベント「ProjetoAproxima」を通じてその魅力をアピールしているので、ミナス音楽好きの方々、是非ミナスの食にも興味を向けてみても楽しいと思いますよ(笑)。
林; ミナス料理、美味しいんですよね。日本でも本格的に誰か紹介すれば良いのにといつも思います。さて、これみんなに聞いているのですが、これからの音楽はどうなると思いますか?
宿口; うーん、どうなるのでしょうか。
もともとCDのミリオンセラーやDJブームって僕ら団塊ジュニアが学生時代に支えていたと思うんですよ。何せ人口が多いですから。僕らが買えばヒットですよ。だから僕らが卒業して社会人になった途端レコード屋は衰退の一途をたどってしまったと思うんです。でも本当の音楽好きの人は社会人になっても当然買い続けてますよね。
現存のレコード・ショップやレーベルの方々は、本当に音楽が好きな人なのでしょうね。「オレらのコレを聴いてくれー!」っていう自社商品を、そういう本当の音楽好きに届ける努力をしているから続けていられるのでしょう。本当に頭が下がります。CD・レコ屋が無くなるとホント困りますからね。
そういう意味では送り手がホントの音楽好きだらけなのですから、健全なのではないのでしょうか。利益を出すのは大変でしょうけど。
林; ですね。
宿口; バーも飲食店も一緒だと思います。わかりやすく儲からないけど好きだから続けてるんですよね。
まあ僕とかウチのお客さんは相変わらずレコードもCDもiTuneでも買いまくってキャッキャしてるので、あまりこういうことは考えた事ないっすね。
林; なるほど、ゴウさんらしい回答ですね。さて今後はどうされる予定でしょうか。
宿口; ブラジルの街角にあるようなラテン系バルを路面でやりたいですね。飲んで食べて、飲んで食べてという感じのカジュアルな雰囲気で。
前回のブラジル旅行の帰りにポルトガルにも立ち寄ったのですが、リスボンもポルトも本当に素晴らしいところでした。ワインを飲みにアレンテージョ地方にも行ってきました。しみじみ美味いポルトガル料理も出したいし、ブラジルだけじゃなくラテン民族の街のアノ感じを表現できたらいいなと思ってます。さあ、果たして実現するのか?(笑)
林; ラテン系バルを路面で! 良いですねえ。是非、実現してください。それではみんなが待っている選曲ですが、まずテーマは?
宿口; テーマは「ブラジルを好きになってしまう10曲」です。
林; おお、楽しみです!
01. Max de Castro (マックス・ヂ・カストロ)「A História da Morena Nua...」
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宿口; この曲は2ndアルバムに収録されているんですけど、このチキチキ・ビートが妙にクセになって大好きでしたね。ビデオクリップもかっこよくて。とにかく当時のトラマ・レーベルが好きで、ブラジルについた初日にサンパウロのクラブ「Blen blen Brasil」にトラマ・ナイト目当てで遊びに行ったくらいです。
林; ブラジル人ならではのグルーブ感ですね。ところでトラマ・ナイトっていうのがあるんですね。やっぱり現地でそういうの経験したいですねえ。
02. Paulinho Moska (パウリーニョ・モスカ) 「UM MÓBILE NO FURACÃO 」
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宿口; この曲もブラジルを好きになった一つのきっかけでした。偶然ライブを観ることになり彼の歌は勿論、マルコス・スザーノのパンデイロとサッシャ・アンバッキの近未来的鍵盤にぶちのめされてしまったのです。それ以来クレジットにスザーノとサッシャがある物は全て手に入れてきましたよ
林; パウリーニョ・モスカ好きなんですね。ゴウさんってロックのイメージがなかったのですが、今回のインタビューでなるほどなあとわかってきました。
03. Adriana Calcanhotto (アドリアーナ・カルカニョット)「Vambora」
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宿口; これもサッシャ・アンバッキの仕事ですね。なんとも言えない浮遊感と落ちていく感じがたまりません。凄くブラジルっぽいですね。サッシャの事を好き好き言ってたら、シンガーのTOYONOさんがフェイスブック経由で紹介してくれました。もう感激でしたね。アナ・カロリーナのサッシャ作品も神ってます。
林; アドリアーナ・カルカニョットもゴウさんの10曲に入るって意外な気がしますが、サッシャ・アンバッキがキーワードなんですね。これまた知らなかったゴウさんの一面でした。
04. Julia Bosco (ジュリア・ボスコ)「Dance com seu inimigo」
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宿口; ジョアン・ボスコの娘による昨年の新譜です。サウンド・プロデュースは恋人でジョアン・ドナートの息子、ドナチーニョ。で、この音です(笑)。サイコーですね、昨年のLATINA誌のブラジル・ディスク大賞で、僕は本作を1位にしたほど好きなアルバム。ブラジルはことごとく裏切ってくれるところが好き。
林; 2世つながりなんですね。うわ、この音...(笑)。僕、この80年代サウンド、リアルタイムで体験してるんでどうも立ち止まっちゃうんですよねえ...
05. Ivete Sangalo, Tatau (イヴェッチ・サンガロ、タタウ)「Arerê」
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宿口; 初めてサルヴァドールを訪れた時に大ヒットしていたバイーアの女王のDVDから。デュエットしているタタウはアラケトゥというグループのフロントマンでした。イヴェッチは勿論、タタウの歌声にヤられて、アラケトゥのCDを買い漁りました。親しみやすいベタなメロディーとバイーアの太鼓グルーヴがたまりません。
林; うわあ、会場盛り上がってますね。なんか今回ゴウさんの群馬でボウイを聞いてその後青学の話からサルヴァドールにたどりついたことを知ると感動します。
06. Skank (スカンキ)「Vou Deixar」
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宿口; やはりこれも初めてブラジルに行った時にあちこちでかかっていた思い出の曲。元々はポリスに憧れていたのか、レゲエとロックの融合とかをやっていてメッチャかっこいいのですが、この曲からリッケンバッカーを携え完全なUKロックサウンドに。サンパウロのカラオケ・バーでこの曲歌ったらキャーキャー言われて楽しかったな。
林; ブラジルのインテリ男子って必ずスカンキ好きですよね。これカラオケ・バーで歌うとモテるんですね。勉強になりました(笑)。
07: Marcelo D2 (マルセロ・デー・ドイス)「MD2 (A Sigla Tá No Tag) ft. Som Imaginário」
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宿口; 我らがヒーローD2。運良く2回ライブを見たことがありますが、本当にヒップホップIQが高いんですよ。USヒップホップ・マナー。そこが他のブラジルのMCとの違いですね。後ろでスクラッチしているのはBlenにも来てくれたDJナッツ。1stは彼が全てのトラックを作っているんですよ。
林; おおお、ブレンにはそんな人も来てるんですね。ブラジル人がアメリカの音楽をどう解釈するかっていうテーマってずっとあると思うのですが、なるほどブラジルですね。
08: Péricles Part. Xande de Pilares(ペリクレスfeat.シャンヂ・ヂ・ピラリス)「 Êta Amor」
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宿口; パゴーヂはブラジルのサンバ歌謡みたいなものでしょうか。ホント大好きになりました。街中に溢れていて、生活に密着した音楽ですね。名曲がありすぎて挙げればきりがないのですが、ここ数年でお気に入りはこの曲かな。元エザウタ・サンバと元ヘヴェラサォンのフロントマンによるデュエットです。
林; うわあ、すごい良い曲ですね。パゴーヂ、僕も昔すごく好きで聞いてたのですが、ゴウさん、本当にちゃんとリアルタイムでチェックしてるんですね。
09: Casuarina (カズアリーナ)『 Certidão』
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宿口; こちらはよりクラシカルなパゴーヂ。インテリ層に受けの良いリオの人気グループです。この曲で歌っているジョアン・カヴァルカンチはレニーニの息子ですよ。完璧なコーラス・ワークと演奏、楽しそうに踊る観客たち。まさにこれぞリオの夜の楽しみ方って感じですね。Blenでも月1でこんなパーティーやってますので是非。
林; レニーニの息子なんですか。ごめんなさい、ほんと知りませんでした... 確かにクラシカルで僕にも響いてきます。リオですねえ。みなさんも是非、ブレンに!
10: Gilberto Gil (ジルベルト・ジル)「Se eu quiser falar com Deus」
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宿口; 最後にしっとりと深夜向けのいい曲を。ジルベルト・ジル御大による名曲です。こういう美しいメロディーの曲がブラジルには本当にたくさんあります。それに加えて歌詞もいいんだからもう!ブラジルの深夜のタクシーでこんな曲がかかっちゃったらもうアウトですね。一度ハマると抜け出せないカオスなブラジルへようこそ。
林; おお、この展開で最後に御大! なんか最後にジョルジ・ベンでもカエターノでもミナスでもサンバでもなくジルベルト・ジルを持ってくるのがゴウさんだなあって思います。
ゴウさん、お忙しいところどうもありがとうございました。ゴウさんの知らない顔がたくさん見れました。みなさんもこの10曲に何か感じたら是非、渋谷のブレンに行ってみてください。
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すっかり春ですね。良い音楽、聞いてますか? 音楽を片手に外に出てみませんか。
それではまた来月もこちらのお店でお待ちしております。
bar bossa 林伸次
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■Bar bossa林さんが選曲したコンピレーションアルバムが11/16リリース!
■タイトル:『Happiness Played In The Bar -バーで聴く幸せ- compiled by bar bossa』
■アーティスト:V.A
■発売日:2016年11月16日
■レーベル: ユニバーサル ミュージック
■品番:UICZ-1646
【収録曲】
1.Blossom Dearie / It Might As Well Be Spring
2.Bill Evans / Soiree
3.Paul Desmond / Emily
4.Bill Evans Trio / Elegia
5.Quincy Jones and His Orchestra / Dreamsville
6.Gerry Mulligan / Night Lights
7.Vince Guaraldi Trio / Great Pumpkin Waltz
8.Cal Tjader / Just Friends
9.Shirley Scott/Can't Get Over The Bossa Nova
10.Blossom Dearie / Give Him The Ooh-La-La
11.Burt Bacharach / I'll Never Fall In Love Again
12.NICK De CARO and orchestra / I'M GONNA MAKE YOU LOVE ME
13.Blossom Dearie / Sweet Surprise
14.Beach Boys / Caroline No
15.Burt Bacharach / Alfie
16.Milton Nascimento / Catavento
17.Earl Klugh / The April Fools
18.Danilo Perez/Another Autumn
【林 伸次 近著】
■タイトル:『バーのマスターは「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由』
■著者:林 伸次
■発売日:2016年9月9日
■出版社: DU BOOKS
■金額:¥1,728 単行本
「このビール、ぬるいんだけど」とお客さまに言われたら、あなたならどう対応しますか?
その都度悩んで、自ら回答を見つけてきた渋谷のバーのマスターの約20年。
楽しく経営を続けられたのには理由がある!
「バーの重たい扉の向こうには、お客さま、店主、お酒......その他たくさんの物語が詰まっています。ぜひ、あなたもその物語に参加してみてください。」
――本文より
bar bossa information
林 伸次
1969年徳島生まれ。
レコファン(中古レコード店)、バッカーナ&サバス東京(ブラジリアン・レストラン)、
フェアグランド(ショット・バー)を経た後、1997年渋谷にBAR BOSSAをオープンする。
2001年ネット上でBOSSA RECRDSをオープン。
著書に『ボサノヴァ(アノニマスタジオ)』。
選曲CD、CDライナー執筆多数。
連載『カフェ&レストラン(旭屋出版)』。
bar bossa
●東京都渋谷区宇田川町 41-23 第2大久保ビル1F
●TEL/03-5458-4185
●営業時間/月~土
18:00~24:00 bar time
●定休日/日、祝
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